あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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2012年6月1日現在、尖閣寄附金は10億円を超えています。

10億1048万5228円 件数 7万333件 
平成24年6月1日入金確認分まで


2012年5月8日の時点で、東京都庁への尖閣寄附金は3億円を超えました。


★大手メディアはこの寄附金口座すら報道せず、石原都知事の発言を批判的な歪曲報道に必死ですが、見事に日本国民の民意は反映されています。僅かな募金でも(100円でも1000円でも1万円でも)日本の領土を守るために寄附をしたいと思う気持ちは尊いです。中国共産党は「尖閣は核心的利益」としており、既に日本の領海侵犯をし海底資源の調査も開始しているのです。それもメディアは伝えない。いったい、どうなっているのでしょう。そうしたものもあぶり出されることになり、戦後の平和ボケに大きな一石を投じた石原慎太郎東京都知事の今回の発言がアメリカ・ワシントンから故に、さすがに国内メディアも報じないわけには行かず政府も含めアタフタ状態。反日家もエセ保守を見つめるにも分かりやすい踏み絵とも云えます。

いつまでも国民を侮るなかれ!歓喜した日本人はこの都知事の発言から、ようやく戦後レジームからの脱却に光を見い出せたのです。地権者の方は石原氏だから売るとおっしゃっている。金額のお話は一度もないと。中国は350億円で購入したいと持ちかけ断られている。尖閣が中国の領土なら購入交渉することもないでしょうに。海洋国世界第6位の日本。石原慎太郎氏は子供の頃から海に魅せられ自然を愛しながらもその脅威をもご存知のお方である。今回の講演でも憲法破棄論、環境問題や移民問題等も触れている。けれど、そうした発言はまったく報道されず、暴言だの失言だのと言葉尻ばかりを見出しに批判され続ける存在ながら、その存在が脅威なのは諸外国に対してもハッキリ物を言う政治家だからである。三島由紀夫氏が石原氏を「彼はエトランジェだから」と云った意味も感慨深いです。

寄付金の振り込み先
みずほ銀行 東京都庁出張所
普通口座 1053860
「東京都尖閣諸島寄附金」
-------------------------------
ゆうちょ銀行
口座記号番号 00110-9-386056
加入者名「東京都尖閣諸島寄附金」

10万円を超えるなど、現金自動預払機(ATM)で取り扱いができない場合は、都から専用の振込用紙を送付する。連絡先は都知事本局尖閣諸島寄附担当(電)03・5388・2206(平日午前9時~午後6時)。 → 都のホームページにも案内がございます。「尖閣募金」の寄附口座は東京都庁出張所のみですので、お気をつけください。

以下引用: 産経新聞 より
東京都の石原慎太郎知事は27日、沖縄県・尖閣諸島購入問題について「尖閣諸島寄附金口座」を開設したと発表。現地調査のための上陸許可申請など、実務を担当する7人態勢の専従組織を、5月1日に設置することも明らかにした。

 石原知事は、尖閣諸島購入の寄付金が、都庁に現金書留などで計37件、計数十万円寄せられていることを明らかにし、「10万円入っているものもあった。インターネットにも問い合わせや協賛の声があり、ありがたい」と語った。

 国はこれまで、「平穏かつ安定的な維持及び管理」を理由として、島への上陸を認めてこなかったが、石原知事は「国が許可を下ろさなければ、下りるまでやる」と語気を強めた。

 石原知事はこれに先立ち、野田佳彦首相と首相官邸で会談し、米軍横田基地の軍民共用化を29日からの訪米でオバマ大統領に提起するよう求めた。尖閣問題については、「(首相に)一番の障害は外務省だと事例を挙げて言った」と説明した。

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by claranomori | 2012-05-09 14:11 | 想い・鑑賞・読書メモ
東京が買うことにいたしました。
東京が尖閣諸島を守ります。

日本人が日本の国土を守るのに
島を取得するのに何か文句がありますか。
ないでしょう。やることを着実にやらないと政治は信頼を失う。
まさか東京が尖閣諸島を買うことで米国が反対することはないでしょう。

by 石原慎太郎東京都知事
アメリカ・ワシントンでの講演にて


★石原慎太郎東京都知事の尖閣諸島を都が購入することにしたという朝のニュースを知り、とても感激しました。「東京が尖閣諸島を守ります。」という言葉に涙が溢れました。その言葉を語る表情は穏やかで優しい眼差しであった。石原氏は自民党時代に、尖閣諸島に最初に灯台を建てたお方でもある、若き学生方とともに。その後に、さらに立派な灯台が日本青年社により建てられた。そんなこともあり、尖閣諸島に対する想いは強いものが長年ある。海を愛するお方であるので、あの美しい海に囲まれた島々を大切に想われるのも何の不思議もないこと。日本は海洋国で海底資源が豊富なことも、また海や自然と共に日本が生きて来た長い歴史、海の恵みも怖さも十分ご存知なお方である。日本はやはり「太陽の国」なのだなあ、と。太陽は明るく燦々と輝く、そして闇の陰の黒い太陽でもある。そんな太陽や海を愛する石原慎太郎というお方の小説の中で感じる生と死。そして、国家というものが必ず在る。叩かれても叩かれてもブレない、この強靭かつしなやかな精神に惹きつけられる。

ワシントンでの講演内容は渡米前から気になっていたのですが、このような発言と行動が出来る石原慎太郎氏がやはりとても好きです。アメリカで横田基地問題、中国の尖閣諸島問題、原発問題、及び、再生、自然エネルギー問題について発言することはとても大きな意味を持つと想います。今の政府は何か事が起これば「遺憾である」ばかりで及び腰。国家は外交と防衛が重要であるのに、野田首相は震災復興は後回しで何やら増税に命を賭けているとか。また中国や北朝鮮、韓国など隣国は反日プロパガンダも推し進める中、東日本大震災の為に、台湾は200億円以上の義援金をくださった。なのに、今年の3月11日の東日本大震災から一年の式典では二階席の来賓扱いだった。心臓手術をされたばかりの天皇陛下がお言葉を述べられた後も、「着席のままで」と指示したという無礼さ。陛下のお言葉、皇后陛下の喪服姿からも私は深い両陛下のお気持ちが伝わるようだった。外ではこの式典に反対する人々の集会も行われていたという。個人の政治的イデオロギーは其々あって当然だと想うのですが、せめて、この日くらいは被災者の方々や遺族の方々のお気持ちに寄り添う日であっても良いのではないだろうか、と寂しいような複雑な想いを抱いたものでした。

この先、何十年かすると中国に沖縄も新潟も仙台も...となり、日本は中国の支配下に置かれるのではないか、との意見を耳にしたこともある。今年は間もなくサンフランシスコ講和条約から60周年、日本がアメリカ(GHQ)の占領下から主権回復して60年。中国国交正常化から40年という年でもある。果たして正常化しているのだろうか。多額の予算を費やし反日映画を公開したり、尖閣諸島の領海に中国船がやって来る頻度は増々多くなっている。どんな意図があってか、「尖閣は核心的利益」という中国の言葉は脅威である。石原氏は何も反中ではない。何度も会見でお聞きしている言葉は「中国の文化や中国は好きですよ。中国共産党が嫌いなんだ。」とハッキリ語る。政治家が諸外国に対して自分の意見を述べられなくて外交などできるとは想えない。

以下の引用は、NHK、読売、産経のネットニュースより、お借りいたしました。中国や、政府、その他反対意見も続々出てくるでしょうが、私は東京都民ではないけれど、日本の首都、東京が日本を守るための都知事の英断を素晴らしいと大拍手!久しぶりに胸のすく朗報に光を感じます。きっと、賛同されるお方の方が多いと信じたいです。沈没しそうな船の舵取りを船乗りでもある石原都知事が日本のためにしてくだる。やっぱり凄いな!石原慎太郎☆

石原知事 都が尖閣諸島購入交渉

東京都の石原知事は訪問先のワシントンで講演し、中国が領有権を主張している沖縄の尖閣諸島について、このままでは実効支配が脅かされるおそれがあるとして、現在尖閣諸島を所有している地権者から東京都が購入する方向で交渉を進めていることを明らかにしました。

東京都の石原知事はアメリカ政府の関係者らと会談を行うため、先週からワシントンを訪れており、16日、市内のシンクタンクで「日米同盟とアジアにおける日本の役割」と題して講演を行いました。

この中で石原知事は、中国の海洋当局が尖閣諸島付近の海域で巡視活動を行うなど、中国が尖閣諸島の領有権の主張を強めていることについて「中国は『日本の実効支配を崩す』と言い始めたが、とんでもない話だ。このままでは危ない」と述べ、日本の実効支配が脅かされるおそれがあるという認識を示しました。

そのうえで石原知事は、現在、尖閣諸島が個人の所有となっていることを踏まえ、「本来は国が買い上げればいいが、外務省は『中国が怒るのではないか』とびくびくしている。尖閣諸島は東京都が守る」と述べ、東京都が尖閣諸島を地権者から購入する方向で交渉を進めていることを明らかにしました。
石原知事は、講演のあと記者会見を行い、尖閣諸島の購入にどのくらいの予算が必要かなど詳細については明らかにしませんでしたが、今後、都議会にも諮ったうえで、年内にも購入に向けた手続きを終え、購入後の利用の在り方については地元の沖縄県などと協議を行いたいという考えを示しました。

石原知事 都が尖閣諸島購入交渉

石原知事 「尖閣諸島、東京都が買い取る」

アメリカを訪問している東京・石原都知事は現地時間16日、ワシントンで講演し、中国が領有権を主張している沖縄・尖閣諸島のうち3つの島を東京都が買い取る手続きを進めていることを明らかにした。

石原知事「(尖閣諸島を)東京が買うことにいたしました。東京が尖閣諸島を守ります。日本の政府が嫌がるかどうか。どこの国が嫌がろうと、日本人が日本の国土を守るために島を取得するのは、何か文句がありますか」

買い取るのは、尖閣諸島のうち魚釣島と北小島、南小島。理由について石原知事は、領有権を主張し、過激な運動も辞さない中国から守るには「今の政府の姿勢じゃ危ない」と述べた。また、現在の地権者とは去年末から交渉を始め、「基本的に合意している」としている。

取得額については明らかにしなかったが、東京都民の理解が得られるかについては「東京がやることは『国のため』が大原則なんじゃないの」と述べた。

自らを中心とした新党構想もくすぶる中、石原知事は東京都が尖閣諸島を買い取るという異例の行動に打って出た形。

石原知事は講演の後、「面白い話だろ」と記者団に笑顔を見せた。今後は、日本政府や中国の反応が焦点となる。
東京都が尖閣諸島購入へ ワシントンで石原知事が明言 
「日本人が日本の国土を守る」


東京都の尖閣諸島購入について語る石原慎太郎知事=米国・ワシントン

 【ワシントン=石元悠生】東京都の石原慎太郎知事は16日午後(日本時間17日未明)、ワシントン市内のシンクタンクで講演し、「日本人が日本の国土を守るため、東京都が尖閣諸島を購入することにした」と述べ、尖閣諸島の魚釣島、北小島、南小島を個人所有する地権者と交渉を開始したことを明らかにした。

代理人を通じて詰めの交渉を続けているといい、基本的な売買の合意はすでに得ているもようだ。購入後は、沖縄県や石垣市に共同所有を提案する考え。

石原知事によると、売買交渉は昨年末に開始。山東昭子参院議員を通じて地権者の埼玉県在住の男性と会談する機会があり、男性が「東京都が買ってくれるのなら売ります」と話したという。

都の購入予定エリアは、尖閣諸島の魚釣島、北小島、南小島で、価格は「10~15億円になる見込み」(関係者)。会見では、「都の予算は都民のために使うのが大原則では」との質問も出たが、石原知事は「大原則は国のためだ」と述べた。

今年中に、専門家による審議会に諮り、都議会の同意を得る方針。現在、3島は、国が年間2450万円で賃借しており、来年3月31日の契約期限が切れるのを待って、都への所有権移転を目指す。

石原知事は尖閣諸島について、「極めて重要な島々であり、所有者は代々、国益を常に念頭に置いて、これを守ってきてくれた」と強調。過去には、数名の仲間と尖閣諸島に上陸し、灯台を建設した経緯があるが、「当時の外務省が時期尚早として海図に載せなかった」と批判した。

尖閣諸島をめぐっては平成22(2010)年9月、領海を侵犯した中国漁船が海上保安庁の巡視艇に衝突を繰り返し、船長が逮捕される事件が発生。中国の反発を受け船長を処分保留で釈放するなど日本政府の対応に批判が集まった。

石原知事は「日本の国土を守るために島を取得するのに何か文句ありますか。ないでしょう。やることを着実にやらないと政治は信頼を失う。まさか東京が尖閣諸島を買うことで米国が反対することはないでしょう」と話した。

石原知事は会見後、「尖閣諸島の周辺は豊穣(ほうじょう)な漁場で、自然エネルギーの開発でも大きな可能性がある。世界遺産に登録された小笠原のような豊かな自然も世界的に貴重なもの。都がこれまで培ってきたノウハウも生かしながら、この島々を舞台としてさまざまな施策を展開すべく、購入に向けて検討に入る」とするコメントを出した。

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by claranomori | 2012-04-17 11:05 | 想い・鑑賞・読書メモ
わたしは、ストーリイ・テラーとしての石原氏の才能を買っている

by 澁澤龍彦

 ちょっと久しぶりの更新となりました。情けない脆弱な胃腸障害は生まれつきらしくノウハウも得て来たつもりですが、時折どうしようもなく乱調を来たすのです。けれど、質素なお食事でも"美味しい!"と想えることに感謝しています。東日本大震災から一年経た今も、まだまだ仮設住宅での不憫な生活を続けておられる方々が沢山居られるのですから。最近、もう嫌でしかたのない言葉となりそうな"絆"。本来とても好きな言葉であるので複雑な想いながら。共同体や連帯という日本人の嘗てあった美徳は平和ボケの間に薄れてしまい、遂には失われてしまうのだろうか...否、そんなことはない、と希望を捨てることもできない。

 今の同時代を生きる「私の好きな日本人」を想う。どうした訳か、石原慎太郎氏が大好きになってしまったのです。急なことでもないのですが、この平成に入ってからの間に少しずつ気になって行った。私は関西人なので石原慎太郎東京都知事としてよりも、子供の頃の記憶や両親との会話、三島由紀夫や小林秀雄、江藤淳...という文学的な流れの政治家として。政治にはまったく無関心であった私。所謂「ノンポリ」「シラケ世代」「新人類」などと呼称される世代で、殊に私は。弟さんの石原裕次郎はテレビの刑事ドラマのボス役で、山さんとの何とも云えぬ無言の友情のようなものに胸がドキンとしていた。いつの日だったか、母が「裕次郎より慎太郎の方が好きやわ」と、「太陽族」というブームメントの頃のこと、その他なにやらお話してくれた。その当時、石原慎太郎は自民党の国会議員時代で、私は政治家だと知っていたけれど作家でもあることは知らなかった。そんな時代からずっとなにか気になる存在であったのだろう。興味のある人物であり続け次第に好きになって今に至るという感じだろうか。

 思えば文壇デビューの1955年から2012年の今、57年という半世紀以上の年月。デビュー時から石原文学は賛否両論で物議を醸し出し、その後のあの田中角栄全盛時の自民党政府、金権政治と派閥争いの恐るべき世界に、空前の300万票を得て当選した若き文壇からの政治家であった。石原慎太郎は派閥に属することなく、かの"青嵐会(せいらんかい)"と自ら名付けた自民党内、メディアからバッシングされる若きタカ派の同志たちと活動していた。今もアンチ石原が多く言葉の揚げ足を取られてはバッシングされ続ける存在。こんなに叩かれ続け、称賛と批難の現役は戦後の日本で見渡しても石原慎太郎しか居られない。人間、誰でも好き嫌いはあるけれど、私は苦手な人でも部分的な肯定と否定をするように心がけている。ゆえに、右派だの左派だのとはっきりした線引きもできない今の保守や革新云々には大して興味はない。嘗て(戦前)の左派は好きだったりする。そんな人々が喧々諤々と議論し合っていた時代と今は違う。そんな時代を生き、今も気概を持ち続ける石原慎太郎というお方はいったい何だろうとも想う。先日、吉本隆明氏がお亡くなりになった。右でもなく左でもなかったお方だと感じていたけれど、都知事の会見でも認識できたようだった。

 石原慎太郎を軸に文学や映画が連なる。かのジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーにも影響を与えたデビュー作『太陽の季節』や『狂った果実』はヌーヴェル・ヴァーグの先駆とも云われている。何で読んだのか想い出せないけれど、"弟のためなら何本でも脚本を書くよ"というような言葉や、野坂昭如氏との対談の中での、最も大事なものはという流れで野坂氏は「命」と仰った。石原氏は「僕はそこは少し違うんだなあ。時には命より大切なものがあると思う」とその言葉が気になって何十年か経た後、その「時には命よりも大切なもの」とは「自由に裏打ちされた石原慎太郎という人の中にある国家である」のだと今想う。お二人とも昭和一桁生まれで戦後中学生くらい。私の両親とも近い世代ゆえに、戦争には行っていないけれどあの敗北、戦後の焼け野原、GHQ占領下の少年少女たちである。私の世代とは違いすぎる。けれど、世代は継続され繋がり合っていて断ち切ることなどできない。私の甥は石原裕次郎は知らず、石原慎太郎は知っているのです。私の両親の世代、その下の団塊世代、そして私達のシラケ世代、そして今の若き世代。また石原慎太郎が『太陽の季節』を書いた1955年は自民党結党の年でもある。その自民党での勤続25年、その日に自民党と決別された。

 思春期や青春期は大人や社会に対して反抗的な想いを抱くもので、あの戦後の日本の「怒れる若き世代」のような『太陽の季節』と共にセンセーショナルに文壇に登場し、今は政府の閣僚よりも海外からの招待が多いと云われる、日本の首都、石原慎太郎東京都知事である。立川談志師匠の言葉にもあったけれど、総理大臣になってほしいと願う一人です。そして、その国政復帰でまたバッシングは付き纏うでしょうが。57年もの間、第一線で活躍し続ける石原慎太郎。バッシングは山のように存在するようですので、敢えて私は称えることをしたいです。そんなことを想って色々読んだりしていると、新鮮な言葉に多数出会えるのです。石原氏は10代の頃からフランス文学好きで、実存主義哲学に傾倒されていたようで、ご本人の言葉の中にもフランス文学に関することも多く嬉しくなります。

 まあ、書物は今も書き続けて居られ多数あるのでなかなか読破できませんが、気に入ったものを書き留めてゆきたいと想います。上記の澁澤龍彦氏の言葉は、石原慎太郎の『行為と死』の書評より。気になる箇所があるもので再読し、また、もう少し追記いたします。
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by Claranomori | 2012-03-30 11:19 | 想い・鑑賞・読書メモ
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三船敏郎は日本の誇りであった、否、今もなお。まるで映画を通しての国際的な日本大使のような役目も果たしておられたとさえ云えまいか。アラン・ドロンは三船さんを「日本の兄」、「憧れの男性」と尊敬の念を抱き続けてくださる。フランスには騎士道精神、日本には武士道がある。その精神を私は日本の美であると想っている。いくら古臭いものと揶揄されようが。この武士道精神たるは何も男子に限ったものでもないと想っている。女子の精神にも通うものはある。それは日本という国家が心にあるか無いかで理解されないかもしれない。日本人としての志や尊厳という気高き心は国家なくしてあり得ないと私は想うのです。強制的なものではなく、其々の想いがあって当然という上で。もどかしい。素晴らしい三船敏郎を語った、詩人である白石かずこ氏によるお言葉の一部が今再び私の心に沁み入るのです。

三船敏郎こそは、まさに時代の人、あの戦争という日本人のエネルギー、明日をも知れぬ不安を抱きながら魂の噴火の最も強烈だった時代そのものを全身で現すことのできる人だった。それは彼の演技ではなく、彼の地、そのもの。

戦後は、三船という幟をたてて日本の映画が縦横無尽に走った、繁栄していった時代だったと思う。

忘れてはならないのは、このかつてはよく知られざる国、日本を最初に注目させた、そして今日も尚、彼への憧憬は変わらぬ世界に最も愛されている国際的スターだということだ。天上にいった今もおそらく金星のように、この地上で、わたしたちの記憶の中で、光りつづけることであろう。あまりにも巨きく、気持ちよいほどの元気を、戦後の日本人たちに与えてくれた人よ。

引用: 白石かずこ 『ダイナミックな国際性』 より

ずっと観たいと願い続けて来た『黒部の太陽』の44年ぶりの上映という朗報は喜ばしきことながら、何か私の心は寂寥たるものをも伴う。それは何だろうと想像する。やはり浮かぶは子供の頃、少女だった頃の蒼い私であり、共に在った家族や友人、田畑や川の流れなどの風景である。伊丹の生まれでずっと社会に出るまで育った場所。家の付近には野菜と果物畑、稲穂の香の田んぼ。しかし、そのような風景と私の人生が合致しているのは概ね小学生の頃くらいまでのこと。だんだん人手不足だったのか、荒地になってゆく田畑、そしていつしかその地にマンションが建ったり駐車場に変わって行った。果物畑で苺を育てていたおばさんからよく獲れたての苺を頂いた。母はそのおばさんからお野菜などを買っていたので、一緒に付いてゆくといつも何かくださるのだった。母より年長のお方だった。

家族と最も時間を共有することのできたあの頃を、その頃から幼な心で好きだったアラン・ドロンや三船敏郎という両親譲りの映画スター。映画を想うとどうしても郷愁が伴うのでセンチメンタルにもなってしまう。阪神・淡路大震災であの懐かしき阪急伊丹駅の崩壊をテレビのニュースで観た折の気持ちは言葉に今もできない。それでも、あの震災の後の関西は復興した。失ったものは尊いけれど、それでも生きて行くのが人間だもの。凄いなあ...と想う。そして、間もなく一年となる東日本大震災という正しく未曾有の災害、そして豊かな日本が嘘であったかのような原発事故の衝撃は心身に応えた。けれど、あの戦後の空襲及び原爆投下による日本中の焼け土からここまで日本はやって来た。自然と科学、文化と文明の鬩ぎ合いの中で国際的経済大国と呼ばれる国に。けれど、真に自立は今もしてはいない。なので、尖閣諸島は危機にさらされている。私は国粋主義ではないけれど日本が大好きなだけ。自分の国だから。その日本の風土や景色が奪われてゆくのはやるせない。取り返しのつかないことになるような憂国の想いは心身を蝕むようで体調はあまり良くない。こんな想いを綴っていて嫌気がさすお方も居られるだろう。でも、幸いにも少なくとも共感してくださる方が居て下さることに感謝して、その方々を心の友だと慕い勇気を頂きながら今日を生きる。何故か毎日泣いています。恐怖ではなく危機感というものを今ほど感じた事がない自分がよく分からないのだろう。

●追記です●
上のお写真のアラン・ドロンと三船敏郎のツーショットは、共演した映画『レッド・サン』でのオフショットです。三船さんと云えば、やはり子供の頃から好きな萩尾望都さまも好きな俳優に挙げておられたことを想い出します♪


少数派ブログながら参加してみました♪
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by claranomori | 2012-03-04 09:13 | キネマの夢・シネマ万華鏡
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私の一等好きな日本の男優は子供の頃から今も変わらず三船敏郎である。戦後の焼け野原の日本の復興に当時の日本人は愕然と折れてばかりではなかった。三船敏郎は映画人生の中で、日本を体現していた本物の役者であった。晩年まで海外からの出演オファーは絶えなかったという。そして、出演を決められる際に幾つかの三船としての信念があり、その中の一つに「日本人を茶化していないこと」があったという。三船敏郎の映画デビューは1947年。まだGHQ占領下の日本であった。三船敏郎と黒沢明監督が先陣を切り世界に日本映画在りと。その後、幾人もの名優方が日本映画を彩った。三船を尊敬しており、いつか共演したいと想っていたという昭和のもう一人の輝けるスターに石原裕次郎が居た。1962年に日活の製作に飽き飽きし独立する。石原プロモーションである。三船敏郎も同じ年1962年に三船プロダクションを設立。当時の五社協定その他の障害を経て、この『黒部の太陽』が完成したのは1968年。三船プロダクションと石原プロモーションの共同製作の下、熊井啓監督による超大作映画。けれど、限られた公開のみでソフト化も未だになされていない幻の映画。

ずっといつか観たいと熱望していた作品が、震災復興を願って、全国チャリティー上映会が開催されるという。大阪は以前も抽選での鑑賞のみで観たくても観れなかったお方も多いだろう。版権は石原プロがお持ちで、生前の裕次郎さんの夢であったという、「映画は大きなスクリーンで観てほしい」という想いをまき子夫人が英断され、上映の一部は被災地に寄付される。私も是非とも!スクリーンで観たいです。

そこで、嬉しいテレビ放映の情報です。
明日3/4(日)夕方5:00~5:50 チャンネル銀河
映画『黒部の太陽』を巡る旅
●映画カメラマンがロケ地を巡るという番組のようです。

そして3/17(土)夜8:00~10:20 NHK BSプレミアム
『黒部の太陽』 特別編
●3時間を超える大作の編集版のような形ながら放送されます。

★観終えた後に感想を綴りたいと想っています。本当に嬉しいです!石原プロに感謝いたします!三船敏郎と云えば、我が家では両親共に大ファンでしたので、幼い頃から父の傍での浪人姿とあのお声、ミフネという圧倒的な存在感に魅了されていました。石原裕次郎と云えば、『太陽にほえろ!』等の刑事ドラマでのボスです。後追いながらやはりショーケン(萩原健一)のマカロニ刑事の頃が特に好きです。裕次郎さんがお亡くなりになった折の特番を静かに見守っているかのような両親の姿が浮かびます。美空ひばりさんの折も似ていました。三船さんがお亡くなりになる前に、私の両親は亡くなってしまったのですが、日本の名優、スター方の死と共にひとつずつ何かが消えてゆくかのような哀切な想いがあります。激動の昭和は同じ戦後でも平成とはやはり違う気がします。三船敏郎と石原裕次郎、正しく昭和の日本の巨星であった。その後、『風林火山』でも共演されていますが、この『黒部の太陽』は初共演作であり、映画ファンにとって夢の共演が実現した大作なので特別版放送にも感謝したいです。

黒部の太陽
1968年・日本映画
三船プロダクション・石原プロモーション提携作品
監督:熊井啓 助監督:片桐直樹
製作補:銭谷功、小林正彦 企画:中井景
原作:木本正次 脚本:井手雅人、熊井啓
撮影:金宇満司 美術:平川透徹、山崎正夫、小林正義
編集:丹治睦夫 音楽:黛敏郎 音響効果:杉崎友治郎
●出演者と役名●
三船敏郎 北川(黒四建設事務所・次長)
石原裕次郎 岩岡(第三工区・熊谷組岩岡班)
滝沢修 太田垣(関西電力株式会社・社長)
志村喬 芦原(関西電力株式会社・常務取締役)
佐野周二 平田(関西電力株式会社・黒四建設事務所・所長)
辰巳柳太郎 源三(岩岡の父)
玉川伊佐男 佐山(岩岡班・幹部)
下川辰平 安部(岩岡班・幹部)
平田重四郎 重夫(岩岡班・安部の弟)
加藤武 国木田(第一工区間組・所長代理)
高津住男 大野(第一工区間組・工事課長)
柳永二郎 藤村(第三工区熊谷組・専務)
山内明 塚本(第三工区熊谷組・工事課長)
宇野重吉 森(第四工区佐藤工業社員)
寺尾聡 賢一(第四工区佐藤工業社員・その長男)
二谷英明 小田切(第四工区佐藤工業・工事課長)
成瀬昌彦 熊田(第五工区大成建設・工務部長)
清水将夫 田山(地質学者)
樫山文枝 由紀(北川の長女)
日色ともゑ 牧子(北川の次女)
川口晶 君子(北川の三女)
高峰三枝子 加代(北川の妻)
岸野小百合 筈見(建設事務所・事務員)
北林谷栄 きく(森の妻)
信欽三 武本(黒四建設事務所・次長)
芦田伸介 黒崎(黒四建設事務所・建設部部長)
岡田英次 吉野(黒四建設事務所・次長)
庄司永建 大橋(黒四建設事務所・社長秘書)
雪丘恵介 漱山(黒四建設事務所・第三区・工区長)
長尾敏之助 倉沢(黒四建設事務所・代理)
英原穰二 山口(黒四建設事務所・木工課長)
鈴木瑞穂 千田(黒四建設事務所・技師)
山本勝 木村(黒四建設事務所・社員)
小柴隆 芝田(黒四建設事務所・事務所)
水谷貞雄 谷村(黒四建設事務所・技師)
牧野義介 高橋(技師)
大滝秀治 上条(上条班・班長)
小林亘 抗夫1(上条班)
熱海弘到 抗夫2(上条班)
二木草之 助抗夫3(上条班)
根本義孝 抗夫4(上条班)
島村謙二 抗夫5(上条班)
嶺田則夫 抗夫6(上条班)
内藤武敏 診療所医師
武藤章生 武山(岩岡班抗夫)
千代田弘 榎本(岩岡班)
伊豆見雄 抗夫B(岩岡班)
晴海勇三 抗夫C(岩岡班)
岩手征四郎 抗夫D(岩岡班)
田畑善彦 抗夫E(岩岡班)
有村道宏 抗夫F(岩岡班)
中平哲仟 抗夫G(岩岡班)
大浜詩郎 抗夫H(岩岡班)
草薙幸二郎 上手(岩岡班抗夫)
下絛正巳 神田(岩岡班抗夫)
岡倉俊彦 ピン(岩岡班抗夫)
稲垣隆史 テツ(岩岡班抗夫)
日野道夫 田中(岩岡班抗夫)
佐野浅夫 川村(岩岡班抗夫)
長弘 木内(黒四出張所・技師)
斉藤雄一 高木(黒四出張所・技師)
須崎孝 須田(黒四出張所・技師)
伊藤浩 伊藤(黒四出張所・技師)
宮崎準 徳田(徳田班班長)
肉倉正男 労務者イ(徳田班)
山吉克昌 労務者ロ(徳田班)
近江大介 労務者ハ(徳田班)
小川吉信 労務者ニ(徳田班)
宮坂将嘉 木原(取締役大阪支店長)
桝谷一政 労務者一
紀原土耕 労務者二
露木護 労務者三
岡部政明 記者
伊藤寿章 A建築事務所部長
山口仁奈子 A建築事務所女事務員
寺田誠 与一郎
田口精一 高熱墜道抗夫
西原泰江 熊谷組看護婦
(参照:allcinema)


少数派ブログながら参加してみました♪
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by Claranomori | 2012-03-03 11:02 | キネマの夢・シネマ万華鏡
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★高畠華宵(明治21年:1888年4月6日~昭和41年:1966年7月31日)は愛媛県宇和島市生まれの画家。大正から昭和初期にかけての広告絵や挿絵などで、新聞小説や少年・少女雑誌を中心に活躍された。とりわけ華宵風の美少女画は一世を風靡したという。華宵の描く美少女たちは高貴かつ妖艶でもあった。透き通るような肌、ぬれた眼差し、豊満な頬の彼女たちは「華宵好みの君」と流行歌にまでなり、一種の社会現象となる。昭和5年に村田社から発売された華宵便箋は、少女たちの熱狂的な支持を得、皇族の令嬢方もお忍びで買いもとめていたという伝説も生む。当時の華宵人気を窺うことのできるエピソードです。高畠華宵の描く少女たちの魅力はやはりあの眼差しに強く感じます。少年画も多く描かれているのですが、華宵の描く少女たちは時折ドキドキする程に中性的にも感じます。この2つの画は昭和初期に一世風靡したとされる美しい便箋より、上の画は「ばらの幻想」で、下の画は「カルメン」と題されたものです。これらの美麗な便箋が当時の少女たちの心をどんなに癒していたことでしょう。古き良き日本の浪漫にうっとりいたします♪
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by claranomori | 2012-02-24 15:41 | 愛の花束・日本の抒情
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僕は政治的には無知な国民として事変に処した。黙って処した。それについて今は何の後悔もしていない。大事変が起こった時には、必ずもしかくかくだったら事変は起こらなかったろの復讐だ。はかない復讐だよ。この大戦争は一部の人達の無知と野心から起こったか、それさえなければ、起こらなかったか。

どうもぼくにはそんなおめでたい歴史観は持てないよ。ぼくは歴史の必然性というものをもっと恐ろしいものと考えている。ぼくは無知だから反省はしない。利巧な奴は(お前らは)たんと反省してみるがいいじゃないかね。

小林秀雄 
著:石原慎太郎 『私の好きな日本人』 - 小林秀雄 -
より

★観念的左翼陣営の批評家たちが、戦後の流行であった日本の知識人たちの戦争批判を、なぜ一緒にしてくれないのかという言い分に対して、小林秀雄(明治35年:1902年4月11日~昭和58年:1983年3月1日)という日本最強の近代文芸評論家は、この(上記の)ようにいい切り突き放す。また、戦後以降今日まで流行る進歩的文化人なる手合いをこれほど無下に切り捨てた論も滅多にない。何も小林秀雄なる人の権威のせいではなしに、それ以前に、小林秀雄という一人の人間の強固な存在感の故に他ならない、と石原慎太郎は語っている。

若き日の石原慎太郎の小林秀雄との想い出、そして小林秀雄と様々な人々との邂逅などが綴られる中で伝わる小林秀雄への畏敬の念、また微笑んでしまうような逸話もあり愉快である。小林秀雄の他の戦前戦後の数多の知識人たちとの知性の格の違い、それ以上に人間としての分厚さが格段に違うのだ、と言い切る。傍若無人な強烈な個性、さらに保守文化人であり愛国者としての正論等々は、今日の批判反撥を向うにし老骨にむち打ち孤軍奮闘する石原慎太郎という人の姿でもあると想います。石原慎太郎が『私の好きな日本人』の一人に小林秀雄を挙げているのだけれど、すべてに於いて格段の差のある私が畏れ多くも、今生きる日本で、「私の好きな日本人」の一人に石原慎太郎を胸熱く挙げたい。荒っぽい物言いの中に培った教養と体験が帯び、その発言者たるはやはり小気味よいのである。文学者、あるいは政治家としての石原慎太郎という以前に、一人の人間の強固な存在感の故に他ならない。普通ならゆっくり過ごしたい老境であろうに、そうはゆかない今日の憂国ぶり。先述の萩原朔太郎の「古いことの正義」の系譜とも云える気概、粋な姿はかっこいい!
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by claranomori | 2012-02-19 18:58 | 愛の花束・日本の抒情
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古いことの正義

人が生活熱情や、イデヤや、憧憬や、ヒューマニティや、夢見る強い衝動やを持ってることで、もし時代的に「古い」と言われるならば? 古いことはいかに正義なるかな! 
―或る浮薄なる近頃の唯物主義者や、新時代主義者に向って言うのである。

萩原朔太郎
『虚妄の正義』 -芸術に就いて- より

★萩原朔太郎(明治19年:1886年11月1日~昭和17年:1942年5月11日)は、「日本近代詩の父」と称される、大正時代を代表する詩人であり歌人。萩原朔太郎の詩には直観的に響くものがあった。その高校生の折の私、あの教室の机に座り、なにやら思考に耽る私が蘇るようでもある。10代の多感な時期に強烈な影響を受けたものたちは消え失せはしないようで、この萩原朔太郎の『虚妄の正義』と題された講談社文庫を購入したのは1994年。ついこの間のことのようながら20年近く時が経ている。アフォリズムの嵐の御本ゆえ、大量の付箋と共に年月の割には古びている。この古びた書物と共に私も歳を重ねている。不思議な至福感で心は晴れやかになる。萩原朔太郎の詩に多数好きなものがあるように、またアフォリズムも多数ある。今の私に飛び込んできた言葉の一つがこの『古いことの正義』であった。「かっこいい」と想い気持ちがすっきりした。そして、古びた付箋を新しく幅広のものにし、清々しい日曜日の朝を迎えている。今朝はまだ小鳥の囀りが聞こえないのがやや気がかりかな。

【追記です】
●気がかりな小鳥の声が聞こえました。元気な様子です。いつもよりも軽やかに長めの歌を歌っているようです。いつも私の作業机の近くの窓、あるいは近い処に止まったりしている小鳥たち。ちょっと今朝は私の方が早起きだったのかな。何を歌っているのだろう...と耳を傾けてしまいます。これもまた、私のささやかな至福の時なのです♪
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by claranomori | 2012-02-19 06:10 | 愛の花束・日本の抒情
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わたしの おねがい おまどに かいた

★いわさきちひろ(1918年12月15日~1974年8月8日)は福井県武生市(現:越前市)生まれの画家であり絵本作家。この『あめのひのおるすばん』は昭和43年(1968年)の作品。この作品に限らず、いわさきちひろの絵の主題は常に「子どもの幸せと平和」であったこと、これは終戦直前に空襲で東京の実家を焼かれたりという忘れ難い戦争の恐怖でもあったであろう。この絵の中の少女が雨の日の窓に書いた平仮名ばかりの小さな一文。そんな光景を懐かしく想い出すお方も多いと想う。私もそんな想い出が蘇ります。けれど、おるすばんは苦手だった。弟が入退院するので、時々一人でお留守番ということがあった。怖いのである。これは性分のようで今も家に一人、それも日が暮れ夜になると。なので、ヘッドフォンで音楽を聴いたり、映画を観たり、耽読できる作品たちと共にその時間を過ごす。小学生の頃は、思いっきりテレビの音量を上げ、歌を歌ったりしていた。それでも、心の中はドキドキ落ち着かず、両親の帰宅を待ちわびていた。子供は気まぐれで勝手なものでもあるので、そんな臆病者の私なのに、ランドセルの中にいつもお家の鍵を持っている人が羨ましいとも想っていた。彼女たちは持ちたくて持っていたのではないのに。

あの淡く繊細な色彩、あの滲んだような色調の絵の中の少年少女たちは、戦後の日本、殊に昭和60年代から70年代初頭期の作品群として残されている。私は知らず知らずに、いわさきちひろの絵を眺めていた。絵本や児童文学関連の御本の中の挿絵としてだったと想う。今でも古びた栞があり大切にしている。アンデルセン童話での挿絵や童画集を子供の頃からぺらぺらと頁を捲っていた。子供の私が選んで購入したはずもなく、紛れもなく母の趣味であろう。けれど、母はいわさきちひろの共産党的思想などを一度も私に語らなかった。父は保守思想的であり、母は革新主義ではないけれど、やや左派的な想い(ロシアへの憧れという時代でもあり、ロシア文学を愛好していた様子)があったように感じている。戦争は二度と嫌なようだった。それでも戦争で亡くなった英霊方や、よく左派の方々が天皇制云々の批判をされるけれど、両親は天皇皇后両陛下があっての日本であるという想いは私に強制するでもなく伝わるものだった。ごく自然なことのように。そうした緩やかなイデオロギーの下、育ったことは良かった気がする。

例えば、もう少し成長し思春期以降にいわさきちひろの作品に出合っていたら、少し違うだろう。さらに、いわさきちひろと日本共産党というイメージが先行してから作品を知るのとも。なので、今、子供だった頃から幾十年経ても、「いわさきちひろ」はあの繊細な童画たちと共に私の子供時代の情景と共に在る。きっといつまでもそうであろう。少女期と云えども、やはり幼い子供時代は概ね両親の影響が大きく、歳を重ねても失せるものではないらしい。
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by claranomori | 2012-02-18 22:41 | 童話・絵本・挿絵画家
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★今も復興ままならぬ被害の大きな福島県いわき市に所縁のある美しいお話『安寿と厨子王』。幼き姉弟の強く結ばれた愛情に感動して泣いたものです。私もとても幼い頃に読み、殊に少女の安寿の一途で健気な姿が美しいと想ったものです。この絵(講談社版の「新・安寿と厨子王丸」)に少し似ている気がするのですが、その読んだ御本の題名は『安寿と厨子王』でしたので違うものでした。当時、森鴎外の『山椒太夫』のことは知らず、またこのお話がもっと古い時代からの伝承派生の作品だということもずっと後に知りました。この『安寿と厨子王』の伝承、伝説のお話は佐渡、津軽、京都にもあるのだそうですが、福島県いわき市の安寿と厨子王と母の三人の母子像も有名です。やはり民話のある国は幸せに想います。

この中世時代にまで遡る日本の伝承、説教節『さんせう太夫』を基に、森鴎外が大正4年(1915年)に小説化したのが『山椒大夫』で、次第に童話や児童文学としての読み物になり、1961年にはアニメーション映画としての『安寿と厨子王丸』も公開されたそうです。その映画は未見なのですが、私が知ったのは日本童話としての『安寿と厨子王』が最初でした。

安寿は母親と乳母に連れられ筑紫の父を訪ねる旅の途中、越後の海辺で人買いにだまされて弟の厨子王と共に由良の山椒大夫に売られ、奴婢として潮汲みをさせられる。母は佐渡に売られ、乳母は海に身を投げた。山椒大夫の家での過酷な日々。ある日、安寿は弟と一緒に芝刈りの仕事をしたいと伝えるが、その代わりに男のように髪を切れと命じられる。安寿の美しい髪は切られるが、安寿の顔は喜びに満ちていた。あくる朝、安寿は心配する弟の質問にも答えず山の頂を目指す。そこで、ようやく弟を逃がす決意を伝える。厨子王は自分が逃げた後に姉の身に振りかかる仕打ちを想い躊躇する。けれど、安寿は厨子王に大事にしていた守本尊を与え励まし、取るべき道を細かに論して逃がす。そして、安寿は沼に身を投げ命を絶つ。安寿15歳、厨子王12歳であった。

安寿と厨子王の歳は諸説あるようです。けれど、美しい黒髪を切り男のようになり自らの命を犠牲にして弟を守ろうとする少女の心、その安寿の姿は気丈で美しい。一身を投げ打つ姉の言葉が、弟の耳に神さま、仏さまの言葉に聞こえた。姉を想う優しい弟の幼き心にも胸を打たれる。本来、兄弟姉妹とはこういう姿であるのだろう。逃れた厨子王は母を探し佐渡へ渡る。その行方は容易に知れない。想い悩みながら畑中を歩いていると、ふと目にした百姓屋から女性の声が聞こえる。

安寿恋しや、ほうやれほ。厨子王恋しや、ほうやれほ。

その歌のようにつぶやく声は、視力を失い髪は乱れぼろを着、瞽女となった母の声であった。そして、母親の見えない目も安寿の大事にしていた守本尊のお陰で見えるようになり、二人はしっかり抱き合う。姉の犠牲と神仏を敬う気持ち。優しさとは気高き心である。細部をしっかり覚えているのではないけれど幾十年経て、こうして文字を打ちながら浮かぶ安寿と厨子王の姿。この御本を与えてくださった天国の両親にも感謝しています。


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by Claranomori | 2012-02-17 18:32 | 愛の花束・日本の抒情