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あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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タグ:少女小説 ( 9 ) タグの人気記事

b0106921_10185437.jpg★レオン・フラピエ(Leon Frapie:1863年~1949年)の1905年の短編集『女生徒(L'Ecoliere)』。表題の『女生徒』の他8篇の9つからなる小さな物語たち。邦訳初刊は1938年のようですが、私は1995年の復刊時に表題が気になり購入。共に岩波文庫からの訳者は桜田佐によるもので、この復刊時のものも初刊の折と同様だと思える旧仮名遣いで、このような風情が好きですが、読み辛いと思われるお方もおられるかもしれない。大体、変な感じですね...縦書きに書かれた文章を読むことが多いのですが、こうして想いを書き留めておく場合は横書きなのですから。詩情のようなものが旧漢字等の変換もできず損なわれますがご了承ください。

この『女生徒』の主人公も10歳の健気な少女の姿を描いたもので好きですが、最も印象強く残っているのは『愛の歌』というお話の中の、10歳の少女ルイゼットと、同じ建物に住む11歳の少年トトールの愛らしいお話。少女ルイゼットは金髪の痩せっぽちで青白く、ませた顔が妙におっとりした憂鬱さで淋しそうで、碧い眼は澄んで利口そう。蝶形に結ばれた青い編リボンの端が、左の耳の上、髪の毛の間から可愛らしくのぞいている。その彼女の護衛のような、また兄妹のような存在の少年トトールも金髪で帽子をかぶらず貧血症で、黒い手や墨だらけの顔は印刷屋の子供といった雰囲気で、悠々と鼻をほじくる。こんな様子で二人とも愛らしいのです。

少女ルイゼットの両親は別れていて母親と暮らしているけれど、週に一度、父親に会いにゆける。母のことづけの「お前、お父さんに、あたしあの人、好き・・・・・なもんかいつて云ひな。」という言葉をルイゼットは落ち着いて父に告げる。父も冷静な様子で沈黙が続くなか、外で待っている少年トトールの口笛が聞こえる。そろそろお暇しないといけない時刻。ルイゼットは、「ぢや、お母さんになんて云ひませうか?」と尋ねると、父は「同じ事を云っておくれ。私は母さんが好き・・・・・なもんかいつて。」

そうして、ルイゼットとトトールは家路へ向かう中、ルイゼットがトトールに教える。「お父さんとお母さんはもうぢき仲直りするわ。」と。そんな小さな二人も仲よく会話したりイライラしたりし合う。ちょっと険悪な空気になり、「今日はどうかしてるね!いゝかい、僕は、お前が好き・・・・・ぢやないつと。」「あたしもよ、いゝこと、あんたなんか好き・・・・・ぢやないわ。」暫くして、急に二人はにこにこする。もうぢき二人もいゝ仲になるだろう。

レオン・フラピエはパリ生まれの写実派の作家。この『女生徒』の訳者である桜田佐は以下のように序文で述べている。

「彼は日々のパンに追われているような貧民や労働者の生活を観察し、その家庭や勤め先に在る人達、親子、兄弟、同僚、殊に幼い者同志の間に通う幽かな心の陰影を捉えて、簡素な筆に託して行く。そして、その中に籠もるやわらかな同情と、あかぬけした風刺とは、微光のように読む者の胸へ流れ入るのを感ずるであろう。」
櫻田佐 昭和13年夏

レオン・フラピエの作品の邦訳は少ないようですが、1904年の長篇『母の手(La maternelle)』はゴンクール賞に選ばれた小説で、平凡社から邦訳刊行されていました。訳者の序では『保育園』と題されていますが、原題は同じで邦題が異なる場合もあるので他の出版社からも発行されていたのかもしれません。フランス版の表紙も素敵です♪
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同じタイトルの太宰治の『女生徒』も以前綴ったことを想い出しました。
by claranomori | 2010-11-07 09:27 | 本の中の少女・少年
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~『屋根裏部屋にて』の「ジョー」の詩~

首のぬけた人形 すりきれたノート
鳥もけものも、 いまは何もいわない
幼い日 フェアリーの国からもって帰った
かずかずのえもののなつかしさよ
とおい日の思い出の甘さよ
書きちらした詩 まずい物語
あたたかかったりつめたかったりの
気まぐれなたくさんの手紙
りこうぶった少女の日記は
まだ若いのに老けこんでしまった女の名残りだろうか
ただひとり、さびしく家をまもっている女
「愛にあたいする者になれ、そしたら愛は来るであろう」
だれかがくりかえす。
真夏のにわか雨に似た、かなしい言葉をくりかえす
女はしずかに耳をかたむけている


★ジョーがある雑誌に投書した詩であり、ベーア先生との絆を深めることになる詩。ジョーはまずい詩だと想っていたけれど、ベーア先生の心にはしっかり届いたのだ。この詩は、屋根裏部屋の四人の姉妹の名を記した引き出しを見ながら書いたもの。ベスの死は姉妹の中でもジョーには特別な哀しみだったのだと想う。泣いてばかり過ごしていた勝気なジョー。素敵なジョーはオルコットの分身のよう。『愛の四少女』(この邦題が今も大好き!)と題された古いご本は私が小学生になった頃のもの。今では『続若草物語』として手にすることができる。四人の若草姉妹たちに愛が訪れるまでのお話。ベスがいないと想うとやはり悲しいけれど。
by claranomori | 2009-10-08 19:39 | 本の中の少女・少年
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「小さな勇気が世界を変え、女の子でもヒーローになれる」

このように語るのはニュージーランドの作家ウィティ・イヒマエラ。1987年に刊行された小説『クジラの島の少女』の作者。2002年には、同じニュージーランドの女性監督のニキ・カーロにより映画化もされた。その少女も可愛いお方であった。

女の子でもヒーローになれるし、男の子でも女神(ミューズ)になれる。私はこの主人公の12歳の少女と同じ歳であったという事実が嬉しい。多くの少女は愛らしい夢を抱き希望に溢れた日々を送っていただろう。私もそうではあるけれど、実に行動力の乏しい心だけは冒険家のようでもあったので、こうした少女が苦しい目に遭いながらも光を求め報われるお話はとても気分が良い。

クジラ乗りという先祖を持つオマリの一族。彼等は代々男性を長としてきたのだけれど、初めて女の子が生まれた。跡継ぎは男の子と切望する長である祖父は、どうしてもその少女カフを受け入れることができない。そんななか、のびやかに成長してゆく少女を襲う運命と愛と奇跡の物語。

伝統社会からの拒絶と軽蔑を受ける少女。けれど、その少女は死と再生、すべての苦難の末の平静と調和をもたらす使命を受けて海からやって来た少女。聖なる存在としてのクジラ。クジラというと妖精や少女との絆が深いと勝手に想い込んでいる。そのようなお話を好んで読んだり観たりするからだろうけれど。海は女性名詞である(フランス語で)。私はウーマンリブというものにあまり興味はない。けれど、男性視点の少女のお話のなんと多いことか...それらは好まれるのだろうけれど、私は少女も少年も尊い存在であるし、言いなりになる受動態の少女が健気に映る場合もあるけれど、そればかりが少女ではない。私の憧れていた少女は勇敢だった。その上美少女でもあった。

『ライラの冒険』の主人公は女の子。そんな冒険物語がもっと作られ観る方も増えると良いのに...と続編が未定なようなので寂しく想ったりする。この映画化された『クジラ島の少女』は原作よりも少女カフの心をより強く描いている。そういえば、映画ではカフは双子として誕生していた。そのもう一人は男の子だったけれど、死んでしまったということになっていた。

「エ ヒネ、エ ノホ ラ (少女よ、さようなら)」と泡立つ水の中、クジラは巨大な尾びれを振ってお別れの挨拶をする。海とクジラが織り成す調べに美を感じる☆

※苦手な夏と体調不良、そしていつもの如くの貧乏暇なし状態で、ここ数ヶ月更新が少なくて頭がもう、「爆裂少女都市」状態のようです。なので、脳髄少女たちと勝手気ままな想いをせっせと綴ってゆきたいと想います。いつも、ご覧頂いている皆様、ありがとうございます!
by claranomori | 2009-09-28 19:55 | 本の中の少女・少年
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ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』。アリスのモデルにはアリス・リデルという実在の可愛い少女がいた。『赤毛のアン』のアン・シャーリーは、作者であるL.M.モンゴメリご自身の少女時代、そして生涯の腹心であったと想う。カナダの大自然を想像する...プリンス・エドワード島。私は子供の頃から前と横の髪が特に赤く、よく”赤毛”と言われていた。なので『赤毛のアン』は最初はあまり好きではなかった。でも、今でもずっと私の心の住人である大切な少女♪赤毛でそばかす顔でやせっぽっちな少女、アンの生活や成長を描き続けたモンゴメリのアン・シリーズの小説たちや映画やアニメや絵本たち。甘ったるい少女物語とはじかれることもあったけれど、私はアンの強い信念や希望、豊かな想像力や美しきロマンを愛する心...どれも大好き!もうひとりの少女ダイアナ・バリーはアンの心の許せる生涯の親友。ふたりは”腹心の友”を誓う。アンは美しい少女ダイアナの黒い髪、黒い瞳、薔薇色の頬に魅了される。ダイアナもアンの個性豊かなロマンティックな想像力に惹かれる。孤児院を転々として来た少女。”プリンス・エドワード島でいちばん幸せな女の子”と想えた時のアンを想う。普遍的なこと。私が女の子として生まれ育ち大人になって生きている中で、今もこのアンから学ぶことは大きい。それは永遠なのかもしれない。両親を失い11歳から孤児となった不遇なアン。でも、天才的な想像力で小さなことにでも歓びを見い出し美しい世界を見つけ出す、その希望に満ちた光り輝く前向きな姿勢は読む(観る)私に勇気を与えてくれる。今も何故だか綴りながら泣いてしまう。

あなたは良き星のもとに生まれ、精と火と露より創られた。

モンゴメリはカナダのお方ながら英国的なふとした瞬間が嬉しい。この題辞はヴィクトリア朝時代の英国詩人ロバート・ブラウニングの『エヴリン・ホープ』の一節より。誠実で心優しきアンは少女であるけれど、それは男の子だって同じだと想うし年齢も関係ないと想う。”善良”という言葉は安易過ぎ使うと変だろうか。世の中はそう綺麗でもないと知ってしまった...でも美しい!私は心豊かに生きてゆくために敢えて汚いものは見たくない。それでも見えるし聞こえたりする...その中で生きている。アンのように素晴らしい心を持てば生涯の友も持てるし幸福だと想える時を過ごせる。いつの間にか私はそのように生きている気がする。アンのように豊かな心ではないけれど光を求めて生きるための術を、私が美しいと想う世界から得ているような。”頑なさ”という点は共通しているかな、と想うと嬉しい☆
by claranomori | 2009-01-10 20:50 | 本の中の少女・少年
太宰治の昭和14年(1939年)秋頃の小説『女生徒』の中の少女。彼女の年齢ははっきり書かれていないけれど、15歳から17歳頃のように感じる。時代が違うので今の少女たちの方が早熟なお方が多いだろうけれど、昔も今も変わらないものは変わらない。この小説はある少女の日記を基にされているという。けれど、太宰の創作。ひとりの女生徒の起床から就寝までの一日が描かれている。私は所々自分と似ている箇所を見つけたり、こんな気持ちは嫌いだけれど少し分かる...などととても愉快。外国かぶれした子供だったので、日本文学をまだまだ知らない。太宰は中学生の時に課題図書とされ知った。太宰の虚無感や厭世観のようなものが私は好きになった。まだ小さな童女の頃は少し頭だけませていて、古いフランス映画を観ては綺麗な女優さまに憧れた。黒いヒール姿にタイトなスーツ姿は上品で”大きくなったらば・・・”と夢を馳せた。しかし、思春期(人より長いかもしれない)の私はそんな夢など行方知らず。大人や社会に対する言葉にできない抵抗があり”時よ止まれ!”と真剣に願った。友人たちの身長や体型に変化が大きく表れだす頃。私は”このままでいい”と強く願った。お陰で貧弱なまま至るが後悔はない。前髪の1cmの差が死ぬほど大事なことのようだった。制服の襟やスカートの皺は許せなかった。鞄や靴が汚れるのが嫌だった。男子に脚を見られたりするのが嫌で校則ぎりぎりまでの長さのスカートを穿いていた。その頃の不良っぽい女子生徒は短いスカートだったので運良く思いっきりロングにして穿いていた。少し前までは叱られたことだったけれど時代の流れが幸いした。今の私も少しはまだ残っているかもしれないけれど、あの頃は神経が張り詰めていた。母に尋ねても大したことじゃないと言われる事柄たちが私には大問題だったのだ。

この小説の中の少女の姿に感情移入できるのは、この頃ならではの潔癖性のようなものかもしれない。それも人それぞれだけれど。また、この少女は近眼で眼鏡をかけている。その顔が好きではない様子もとてもよく分かる。似た感情を持っていたのでとても好きな箇所がある。

朝は、いつでも自信がない。寝巻きのままで鏡台のまえにすわる。めがねをかけないで、鏡をのぞくと、顔が、少しぼやけて、しっとり見える。自分の顔の中で一ばんめがねがいやなのだけれど、ほかの人には、わからないめがねのよさも、ある。めがねをとって、遠くを見るのが好きだ。全体がかすんで、夢のように、のぞき絵みたいに、すばらしい。きたないものなんて、何も見えない。大きいものだけ、鮮明な、強い色、光だけが目にはいってくる。めがねをとって人を見るのも好き。相手の顔が、皆、優しく、きれいに、笑って見える。それに、めがねをはずしているときは、決して人とけんかをしようなんて思わないし、悪口も言いたくない。ただ、黙って、ポカンとしているだけ。そうして、そんなときの私は、人にもおひとよしに見えるだろうと思えば、なおのこと。私は、ポカンと安心して、甘えたくなって、心も、たいへんやさしくなるのだ。

だけど、やっぱりめがねは、いや。めがねをかけたら顔という感じがなくなってしまう。顔から生まれる、色々な情緒、ロマンチック、美しさ、激しさ、弱さ、あどけなさ、哀愁、そんなもの、めがねがみんなさえぎってしまう。それに、目でお話をするということも、おかしなくらいできない。


それから幾年も流れ私の近眼はさらに進んだので、似合わない眼鏡だけれど無くては何も見えない。眼鏡の似合うお方を見るのは好き。そして、今でも眼鏡をはずしてポカンとしているのが好き。下の挿絵はこの少女が二匹の犬と一緒のもの、ジャピイとカアという名。楽しく遊んでいるのがジャピイ。ショボンと寂しそうなのがカア。ジャピイは真っ白で綺麗だから可愛がる。カアは体が不自由で汚いから、わざと意地悪くしてやる、というような箇所がある。こういう少女は嫌いだけれど、そんな意地悪さを知っている。私も綺麗な美しいものばかりを見たりするので、高校生の時に指摘された。でも、意地悪くしたりはしなかったつもり。汚いと想うものを見ようとしなかったその頃の私、つけが廻って今になり目を見開いて見つめる試練を得ている。ああ、まだまだ青二才。
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by claranomori | 2008-11-06 08:01 | 本の中の少女・少年
日本の少女文学が吉屋信子で始まる。私はやはり立ち返る処は子供時代の強烈な衝撃や感銘を受けたものたちへ。少女漫画の中でどれだけの感動や人間の繊細な心理を感じてきたことか!一条ゆかり、萩尾望都、竹宮恵子、大島弓子(敬称略)...方の描く世界が今なお如何なる優れた文学作品たちにも劣らず優れた作品たちであることか!ずっと、こんなことを言う私は軽く笑い飛ばされて来たけれど、頑固者で良かった。そして、それらの世界に多感な時期に出逢えたことに感謝している。私は自分の言葉を馬鹿にされるよりも、愛する作品やアーティストを馬鹿にされることが辛かったのだと想う。自然な流れの中で出会った大好きなものたちだから。
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1896年(明治29年)12月20日に尾崎翠は鳥取県岩井町に生まれる。兄3人、妹3人という7人兄妹のなかで育つ。父は13歳の折に事故死されている。少女時代に愛する父を亡くしたこと、その面影の記憶は後の作品にも関係しているように感じる。林芙美子も彼女を慕っていたという文人たちとの交流時期も短く、かの幻想小説『第七官界彷徨』が単行本として刊行されたのは1933年(昭和8年)。そして、1935年(昭和35年)『新秋名菓』の冒頭を発表するが、その頃文人たちとの交信は絶え、戦後まで母と共に暮らす。1940年(昭和15年)に母が死去。暮らしていた鳥取の寺町から兵庫県の豊岡付近まで、純綿の雑巾を売り歩いて生計を立てる。1960年代になり、尾崎翠の名、『第七官界彷徨』の再評価、文筆の依頼なども受けるが一切筆を折ったまま、1971年(昭和46年)7月8日、鳥取生協病院にて死去。享年75歳であった。20代頃から頭痛に悩まされ、鎮痛剤ミグレニンというお薬を常用し始める。その後、入退院を繰り返し、副作用などからか幻覚症状が頻繁に起こるようになったという。そんな状態の中で書かれた『第七官界彷徨』の時間軸の揺れ、不可思議な描写はナンセンス文学とも幻想文学とも言われるに至る今日。『第七官界彷徨』のことやその他まだまだ想いが募る過程の私。最初に感銘を受けた大好きな作品は『少女ララよ』。1927年(昭和2年)31歳の折、上京し松下文子と移り住んだ頃「少女の友」にて発表されたのが初出。

詩人アントニオと盲目の美しい幼い少女ララが出逢う南伊太利のペスツムという貧しい村。そこには多くの乞食の子供たちがいる。その中にすぐれて美しい女の子がいる。その神々しい女神のような気高さを持つ少女は、子供達の群から少し離れて立っている。他の子供と同じようにみすぼらしい身なりで裸足でいる。そして、黒髪を美しく束ね、房々とした前髪には一束の菫の花をさしている。アントニオが身近で彼女を見ると胸が閉ざされてしまった。この美しい少女の二つの瞳は盲いていた。アントニオは即興詩をうたうけれど、心の中はこの盲いた少女ララのことでいっぱいだった。

山の美しさ、水の美しさ、物寂びた祠の美しさ、紫の菫の花の美しさ、誰もが受けるこの美しいたまものを、如何してその娘だけは受けることが出来ないのだろうと、その哀憐を涙を流してうたうのだった。哀れな少女ララよ、さようなら - アントニオは旅を経てベニスの夜会にてあの美しい少女ララの面影を残す少女マリアに出逢う。マリアはその町の市長の姪であるけれど、誰も彼女の幼い頃の身の上をしるものはいなかった。ただ、4年前に遠い国から叔母に連れられ戻ってきたということだけしか。美しい月夜にマリアは黒っぽい着物を着て、半身に青白い月光を浴びるマリアの神々しい姿は6年前のララそのものだった。アントニオはいきなり琴を取ってうたいはじめる。涙を浮かべてマリアは静かに物語る。神様に光明をお願いする為に貧しい村に預けられ、神の囁きを聞き、その洞窟で薬草を摘んで下さった。そして、2年間、毎日その薬草の花を煮て盲した目を洗い続けた。そして、神様は光明を下さったのだと。アントニオの心は旅に憧れ、菫咲くペスツムの丘へ、カプリの島の碧い天地へ。貧しく幼かったララの跡を訪ねる為に、水の都ベニスを後にする。 - さようならマリアさようならベニス。-


予定よりも詳しく書き綴ってしまったような気もするけれど、少女ララとアントニオを想いその美しい心の通いに涙が溢れる。尾崎翠という文人の描いた物語ながら、私はその賤しい村の美しい様子を想い描き、気高く心の清らかな美しい少女ララを愛おしく胸に刻み続けている...☆


by claranomori | 2008-08-15 23:22 | 本の中の少女・少年

『万葉姉妹』 川端康成

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川端康成の『万葉姉妹』は昭和26年に『ひまわり』で連載されていた少女小説。私は集英社のコバルト・シリーズの文庫で知ったもの。姉の安見子(典子)と夏実の万葉集から得られた名の二つ違いの姉妹の物語。東京の池辺家の大きなお屋敷の書生を父に持つ姉妹。ところが、その姉妹の実の父は、妹の夏実が生まれて間もなく死んでしまう。姉の安見子は子供のいないそのお屋敷の養女として育てられ、妹の夏実は母のふるさとの福島の田舎で育てられる。やがて、母が死に、祖母も亡くなり孤児となる。祖母の遺言により15年目に池辺家に預けられ、姉妹は一緒に生活を始めるけれど、ふたりはお互いに姉妹であることは知らない。姉の典子はお金持ちで何不自由なく育ち、気位の高い少女ながら病弱。妹の夏実は、素直で心の美しい天使のような少女。初めのうちは典子は夏実を嫌い冷たい態度をとるけれど、胸を患い気弱になってゆく中、ずっと夏実は典子の身を案じ支えてゆく。そんな二人の間には次第に通い合うものが生まれる。そして、”もしかすると...”と互いに姉妹であることを感じ始めるのだ。結局、典子は死に至るのだけれど、それまでの過程の描写は感動的!

「あなたとわたしはおなじよ。夏実さん、あなたとわたしはおなじよ・・・」


死の間際に典子が夏実を見つめてこのように語る。”あなたとわたしはおなじよ”という言葉に私はとても涙した。再読し今も綴りながら泣いている。全く違う境遇で育ち、実の姉妹であることも知らない二人の血の絆というのだろうか。健気な夏実の汚れない美しい心、思いやる心、そして病に伏す典子の悲しみ。”わたしたちは姉妹よ”とは言わずに”おなじよ”と言うあたりが繊細で美しいと想う。また、川端康成ご自身の境遇をこの姉妹に託して書かれたものだと知り、さらに感慨深い静かな想いが私の心に沁み入るかのよう。このようなお話が好きみたい☆
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映画や音楽と同様に文学も異国のものを好んで読み始めたので、川端文学の素晴らしさに惹かれ始めたのはかなり遅い。今住んでいる町は大阪と言えどものどかで静かな町。京都に近い北摂。10年間心斎橋(南堀江)に住んでいたのだけれど、生まれた兵庫の町の田舎でもなく大都会でもない、穏やかな田畑や森、猪名川の流れる自然が蘇るような平穏な町に今は戻ってきた。体調がかなり悪くなっていた数年前の私は次第に少しずつ回復している。売り上げは大きく減ったけれど、あのままではお仕事を続けるのも不可能になっていたかもしれない...でも、そうしたバランスを崩したことは何らかの私の糧になっているのだろうと想う。精神力の強いお方に憧れる。特に幾つもの試練を乗り越えてきたようなお方に。それらのお方はご自分の辛い体験や境遇から人への慈しみや哀しみを理解する寛容さをも持ち合わせているものだから。私はすぐに泣くししょ気てしまうけれど何故かどうにか生きることに絶望を感じたことはない。歳のせいか、試練がやってくると”まただ”と想いその先の光を希望に見るようになってきたようにも感じる。能天気だとも言えるのかも。川端康成氏に因んだ”川端通り”を行くと図書館がある。その辺りの町並みはとても綺麗でお気に入り♪
by claranomori | 2008-04-22 08:12 | 本の中の少女・少年
ルイザ・メイ・オルコット女史というと、『若草物語』は欠かせないものだけど、『ライラックの花の下』も名作のひとつ。孤独なベン少年と、愛情深いモス夫人と二人の娘たち、その隣人のシリアとソーニの姉弟たちとの美しい愛と友情、悲しい結末...の物語。そのお話の中のシリアが少女時代に書いた詩をソーニがベンに教え、ベンが心を込めて読むという場面のもの。この1878年の家庭読物として愛されるオルコット文学が好き!他の作品や映画化されたもの、少女文学(小説)作品などは今後追々にと想う♪

私の王国

私は小さな王国を持っている、
そこには考えも感じもある。
それを上手に治めることは、
とてもむずかしい仕事。
熱情が惑わすから、困らせるから。
強情が道をまちがえさせるし、
すべての言葉と行いとに、
わがままが影を作らせる。

私はどうして
太陽の魂を持ったらよいのか、
人生の道を照らすためには?
私はどうして
小さな心を整えたらよいのか、
楽しく一日を歌い暮らすのには?

愛する天の父なる神よ、
恐れを消し去る愛を、
私に与えさせたまえ。
御身に頼らせ、
おそば近きを知らしめたまえ。
誘惑も目に見え、
子供の悲しみも、
小さくなきことを教えたまえ。
限りなき忍耐を持って、
御身がすべてをやわらげ、
慰め給うがゆえに。

私は王冠などは望まない、
ただこのお願いだけを。
どんな世界も、
征服しようとは思わない、
ただ一つ、心の中の世界を。
神よ、導きたまえ、
優しい御手にひかれて、
心の中の幸福な御国を、
私が見出すまで。
そしてその指揮のできるまで。


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by claranomori | 2008-02-14 23:59 | 本の中の少女・少年
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孤独で純情な14歳の少女マヌエラ(ヘレタ・ティーレ)は、最愛の母を亡くし全寮制の寄宿女学校に入れられる。少女たちから慕われている毅然たる美貌のベルンブルク先生(ドロテア・ヴィーク)。1931年というトーキー幕開けのような時期にこの深い問題提起!ドイツも好きな国。物語の中盤から終末のマヌエラの死に至るまでの繊細な描写は素晴らしくも胸が苦しくなるものだった。私は映画を先に観、後からクリスタ・ウィンスローエの原作を読むことができた。どちらも好きだけれど、少女マヌエラとベルンブルク先生の心の奥深く、静かに燃える炎のようなものは小説の方がより胸に差し込むというのか、好きな繊細さのように想う。

「胸のこの奥に感じられるものは、もう、燃えるような幸福よ!これから先ずぅっと、あたしは美しい、清らかな心で生きていきたいわ。あたしは立派な人間になりたいのよ!もうなんにも世の中に恐ろしいものはないみたいよ!ああ、あの方さえ、いらしてくださったら・・・・・・」

マヌエラは両手を自分の胸に押し当ててこのように語る。この少女の気持ち、心のいったいどこが汚らわしいというのだろう!女性が女性を好きになり恋慕うことの何が...と。心の自由さを誰も奪うことなどできないはずなのに。どうして、マヌエラは死を選ばなくてはならなかったのだろう?!性的な描写などはない。純愛であり、乙女の死によって問うものはとても大きなもので、今の時代にも通ずる投げかけなのだと想う。

日本公開は1933年だそうで、それも大ヒットを記録した作品。本国ドイツ・ベルリンでひっそりと公開され、口伝えに広まりロンドン、パリ...と世界中で人気を博したという。それも、無名監督、無名の出演者たちによって僅か22日間で完成。原作、監督、主要スタッフ、出演者はすべて女性ばかり。同性愛のロマンスでもあるけれど、当時のドイツはワイマール共和国時代。ナチスの台頭の不吉な足音の聞こえ出す折だという歴史はこの映画の中でも大きなものだと想う。軍国主義者の女校長、厳しい規律、抑制された自由の無い制服の少女たちの青春とは...。謳歌しよう、すべきだという作者や監督の強い意思は、哀しいマヌエラの自殺を通して訴えかけてくるようで、”何故?!”と私にも悲痛に響く。清純な乙女の心を汚らわしいもの、学校の汚名だと校長はマヌエラを罰する。権力の下で身動きの取れない少女たちの閉ざされた心の殻は不自然なのに、そういう体制の時代。レオンティーネ・サガン監督はこの後、ナチスを逃れるために英国に渡り、オックスフォードを舞台にした作品を作られたそうだ(観てみたい!!)。このような感性、きめ細かな描き方は女性監督ならではのように想う。古い古い映画なのに、こうして時代を超えて共鳴させていただけることが嬉しい♪20年後に、若き日のロミー・シュナイダー主演でカラー・リメイクされているけれど、その映画は残念ながら未見なので死ぬまでに観てみたい☆

制服の処女/MÄDCHEN IN UNIFORM
       1931年・ドイツ映画
監督:レオンティーネ・サガン 監修:カール・フレーリッヒ 原作:クリスタ・ウィンスローエ 脚本:F・D・アダム 撮影:ライマール・クンシュ、フランツ・ワイマール 音楽:ハンソン・ミルデ・マイスナー 出演:ヘレタ・ティーレ、ドロテア・ヴィーク、エミリア・ウンダ、エレン・シュヴァンネケ、イルゼ・ヴィンター
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       ◆フリードリヒ大王の如き女校長と制服の少女たち!
by claranomori | 2007-11-17 01:03 | 銀幕の少女たち・少女映画