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あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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★上の絵はスコットランドの画家ジョン・ファエド(JOHN FAED:1819年8月31日~1902年10月22日)の『クルエル・シスター』(1851年)です。英国のトラッドフォーク・バンドのペンタングルの歌にも同名タイトル曲があります。私はジャンルをあまり意識せず女性ヴォーカルがいつの間にか大好きになり、今では愛好しているのだという自覚さえあります。少女愛好と無縁でもないのです。そんな中でトラッドフォークが好きになってゆきましたが、何と云ってもあの幻想とロマンの歌詞の世界とメロディに魅了されたからです。そのきっかけとなった曲がペンタングルだったのです。

ロマン主義とも無縁ではなく、美しくも残酷な伝承たちは遥かな時代から生き続けている。元来、神話や妖精物語が大好きなので今もまだまだ色々と読んだり鑑賞したり。フランシス・ジェームズ・チャイルド(FRANCIS JAMES CHILD:1825年2月1日~1896年9月11日)というお方の大偉業である『チャイルド・バラッド』の文献の日本語訳(全部ではないけれど)が全3巻として発行された折は飛び上がる思いで、今も机の片隅にいつも居るご本たち。この『クルエル・シスター』は『チャイルド・バラッド』の10番(チャイルド氏の名がリスト番号となっている)の『二人の姉妹(THE TWA SISTERS)』と題されたものと類似したお話。似たお話は、イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズを中心にヨーロッパ各地までに及ぶ「バラッド集」は幾種類もの文献が存在する。私は特に研究家でもないので限られた手許にある資料を参考にさせて頂いている。

姉妹物語が好きでもあるので、今日はこの絵に関連した『二人の姉妹(THE TWA SISTERS)』のことを。この絵の三人は、真ん中の騎士と向かって左の女性が姉で右が妹。この騎士は妹を愛しているのだけれど姉の妬みにより、可哀相に妹は姉の手によって川へ突き落とされて死んでしまう。姉は黒髪であることが強調されているようで、妹は金髪で白百合のような手で細い腰の美しい娘である。しかし、姉の手によって溺死してしまう。妹は浮いては沈み浮いては沈み水車の堰まで流れてゆく。粉屋が娘を見つけ、竪琴弾きが通りかかり、その娘の蒼い姿をみつめ泣く。竪琴弾きは娘の肋骨(ほね)で琴を作り、娘の髪で弦を張り、その竪琴を持ってお城にゆく。その音色は石の心も和らげ、その調べは人の心を悲しませる。お城に着き石の上においたその琴はひとりでに鳴り出すのであった。

琴がならした最後の音は
ビノリー ビノリー
「ひどいお姉様のヘレンにわざわいあれ」
きれいなビノリーの水車のほとり

引用:『チャイルド・バラッド』より

「肋骨(ほね)で琴をつくり」、「髪で弦を張り」という現実的とも非現実的ともいえる表現について、ウィンバリーは「『二人の姉妹』は骨=魂の関係の証拠であり、娘の精霊が髪の毛に現れている」と述べている。なので、琴が妹の化身であるということでもあると、解説にあります。

「ビノリー ビノリー」のリフレインがまた不気味に美しいのですが、こうした伝承バラッドには詳しい舞台設定など無く、淡々と突発的に物語が進んでゆくのも愉快です。黒い髪の姉は色黒のようであり、この時代「黒い」とか「黒」は不吉なとか、野蛮、劣悪さの象徴とされていた時代。赤い髪もかなり酷い扱われ方をしてきたけれど、こうした伝承世界に有色人種に対する嫌悪は隠せない時代であったことも、長い歴史の中で考えさせられ学びとなると想っています。ちなみに、ペンタングルの歌の最後では、この残酷な姉は涙を流して終わりますが、バラッド詩の中では残酷な姉は妹の呪いの歌声(調べ)を聞きながら終えるのが通説のようです。
by claranomori | 2010-10-08 08:49 | 神話・お伽噺・妖精譚
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★マイ・ミトゥーリチ=フレーブニコフによる印象的な水色の表紙の絵、その他3つの挿絵は水彩画風で、優雅で美しい『中二階のある家 ある画家の物語』のお話と実にピッタリだと思った。『散文におけるプーシキン』とトルストイが名づけたアントン・チェーホフによる1896年刊行の短編小説『中二階のある家 ある画家の物語』 。同年に戯曲『かもめ』も刊行されている(チェーホフの四大戯曲と呼ばれる『かもめ』『三人姉妹』『ワーニャ伯父さん』『桜の園』は日本でも馴染みの深い作品)。

ある風景画家と裕福な地主の娘ジェーニャとの夢のような儚きロマンス。母のエカテリーナ・パーヴロヴナと娘リジヤ、その妹ジェーニャの暮らす地主邸。広大な大自然を有する大国ロシアの苛酷な激動の歴史。大学生の折から患っていた結核を抱えながら作家として医師として働き貫いたチェーホフという文豪の生涯...インテリゲンツィヤと農民との折り合いは苦戦(葛藤と挫折)、1861年の農奴解放以後もまだまだ続いていたのだし、暗い暗殺も数多く起こったという西欧において後進国であった時代のロシア。そんな19世紀のロシアはその僅か100年の間にめざましく文化を開花させる。国民の7割は文盲であったという時代から驚異的なことだと思う。こんな背景がこの『中二階のある家 ある画家の物語』にも織り込められているけれど、チェーホフは優雅に綴り大袈裟な描写をしない。家ではリーダと呼ばれる姉のリジヤとミシューシと呼ばれる妹のジェーニャ。年も10歳近く違い、性格も対照的な姉妹。姉のリジヤはゼームストヴォ(地方自治体学校)の教師で自立した女性。父の遺産で何不自由のない生活を送れるのにである。また、妹のジェーニャは穏やかで目覚めるとすぐに安楽椅子に座り本を読むという静かな生活を送っている。妹は姉に不服従な態度をとることはない。ある画家と妹ジェーニャの恋はある一瞬の美しき夢のように、また、永遠の乙女像をこの作品の中で描いたようだ。姉のリジヤはある画家を好んでおらず二人の交際を禁止するのだけれど、このリジヤは作者であるチェーホフの分身のようでもあるので優しく面白いのでもある。

「中二階のある家」という幸せのシンボルは時代の中で壊れて行くだろうし、とどめようがないだろう。チェーホフは鋭いアイロニーの世界と同時に、夢のような短篇、ロマンティックな夢を、作品として独立させたかっただろう。夢幻の詩情。それはまたロシア文化が肉体派でありながら、秘かに頼りにしてきた純粋さなのだろう。

~翻訳者である工藤正廣氏の解説より~

上の画像は『中二階のある家 ある画家の物語』の、2004年に「チェーホフ没後100周年記念出版」として刊行された日本語オリジナル版の表紙(マイ・ミトゥーリチ=フレーブニコフによる)をスキャンしたものです。
by claranomori | 2010-09-18 07:10 | 19世紀★憂愁のロマンと美
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★この絵本『白雪と紅ばら』(SNOW WHITE AND ROSE RED)の初出は1984年で、日本語訳としての刊行は1991年。お話はグリム童話の『白雪と紅バラ(白ばら紅ばら)』なので幾種類もの刊行物がありますが、これは「ワンス・アポンナ・タイム・シリーズ」のもの。絵はローラン・トポール(ROLAND TOPOR)で甘すぎずやや奇妙なメルヘン・ワールドです。

むかし、むかし・・・・・夫をなくした貧しい女性の小屋の前の庭に、小さなバラの木が2本植わっていました。1本は白いばら、もう1本は紅(くれない)のばらです。またこの女性にはばらの花のような二人の美しい娘がおり、一人は白雪、もう一人は紅(べに)ばらという名前でした。二人の娘は優しく気立ての良い、働き者でした。白雪はおとなしく穏やかで、紅ばらが牧場や野原を駆け回って、お花を摘んだり蝶を捕まえたりしている時も、白雪はお家に居てお母さんのお手伝いや本を読んであげるという対照的な性格。でも、二人はとても仲が良く、いつも一緒に手を繋いで出かけるのでした。

「わたしたち、いつもいっしょよ」と白雪がいうと、紅ばらはこたえます。 「いつまでも、いっしょよ」 そんなとき、お母さんはいいました。「なんでも、ふたりで仲よく分けあうんですよ」

この箇所がとっても大好きなのですが、この仲の良い姉妹の森でのできごと。小人との出会い、そして口のきけるクマとの出会い。実はこのクマは王子さまなのでした。このお話での小人は悪者で王子さまに魔法をかけてクマに姿を変え、宝を奪っていたのでした。王子さまはその小人をやっつけることができた時に、ようやく魔法が解けもとの凛々しい王子さまの姿に戻り宝石も取り戻せました。そうして、白雪は王子さまの花嫁に。紅ばらは王子の弟の花嫁に。宝も分け合い、年老いたお母さんも、2本のバラの木も一緒に王子さまのお城で幸せに過ごしました。そのバラの木はお母さんのお部屋の窓の外に植えられて、くる年、くる年、白と紅の、それはそれは美しい花を咲かせたのでした。...というようなお話です。

この絵本のローラン・トポール(1938年1月7日~1997年4月16日)はパリ生まれの画家であり作家。ポーランド系のユダヤ人でもあり、1964年の初の小説『幻の下宿人』、その原作を映画化したロマン・ポランスキー監督の『テナント 恐怖を借りた男』との類似のような直感から好きさが増したのは、1972年のルネ・ラルー監督との共同製作アニメーション映画『ファンタスティック・プラネット(野性の惑星)』を知った時。再見して知ったことにヴェルナー・ヘルツォーク監督の『ノスフェラトゥ』にも出演されていた。正に怪奇と幻想、ゴシック・ロマン香る私の好きな世界の繋がりの妙を想う。これらの映画のことについても感想などをまた綴ろうと想います。

(関連記事)
『テナント 恐怖を借りた男』 監督・主演:ロマン・ポランスキー原作:ローラン・トポール『幻の下宿人』を更新いたしました♪
by claranomori | 2010-08-23 06:17 | 童話・絵本・挿絵画家
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先述の『美女と野獣』で有名なフランスの女性作家ボーモン夫人(マダム・ルプラン・ド・ボーモン)のお話の中には他にも好きな作品が幾つもあるのですが、『不運つづきの娘』というお話の中の主人公の娘オーロール。18世紀の作品であり、ボーモン夫人が子どもたちを愛して古い民話を編んだり、英国滞在時での教育事業に傾けた熱意と誠実さ、モラリテが強くお話から感じられる。ボーモン夫人の子供たちへ注がれる眼差しを。各国の仙女物語やおとぎ話の中でよく見られることながら、この『不運つづきの娘』にも登場するもう一人の娘エーメ。彼女はオーロールの妹でこの姉妹は共にたいそう美しい少女である。けれど、妹のエーメは意地悪な性格の持ち主。姉オーロールは心優しく賢明な娘。どうしたわけか、その姉オーロールにばかり不運が訪れる。羊飼いのおばさんはその都度、オーロールに助言を与えてくださり、素直な娘はその言葉を受け入れ、どんな試練がやって来ようと動じない気高き意思をも備えてゆく。

この姉妹と結婚することになる王さまとその弟君。王さまは弟が結婚するという美しい娘オーロールを手に入れようと企てる。けれど、オーロールが荊で美しい顔が傷だらけになってしまった時に王さまは娘に会うことに。王さまは何故こんな醜い娘を弟が愛したのかわからない。オーロールは痛い上にとても傷ついただろうに。けれど、その時、荊で怪我を負わなければ愛する弟王との結婚は妨げられていたのだ。古今東西、人生は正負の法則なのだと教えられる。上の挿絵はアダマールというお方によるものをスキャンしました。オーロールと弟君の王さまはめでたくご結婚されるのだけれど、ある日森でお二人の赤ちゃんが海賊に奪われる。この絵の海辺に描かれている女性はその海賊の妻で抱きかかえている赤ちゃんはオーロールと弟君の王さまの子供。海賊の船は難破してしまいこの二人だけが生き残り、運命的な幸せな出会いで終えました。そうそう、オーロールを化け物扱いした王さまはオーロールの妹エーメと結婚。しかし、性悪の妻を持ったがゆえに苦悩のあまり亡くなってしまいました。オーロールの荊での顔の傷は癒えて元の美しいお顔になっています♪
by claranomori | 2010-08-06 11:55 | 本の中の少女・少年
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★幾度も観ている大好きな映画『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』。原題にあるように、"ヒラリーとジャッキー"、この姉妹の子供時代からジャッキーが亡くなるまでの、お互いの人生と姉妹の確執が見事に演じられ描かれている。エミリー・ワトソンは本当に素晴しい女優さま。この『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』では20世紀最高のチェリストと絶賛されていた実在の人物を演じている。安易な役柄ではないと思う。そして、姉であるヒラリー役のレイチェル・グリフィスも地味ながらもいつも上手い!と思わせる素敵な女優さま。
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運命は残酷だ。幼い頃から姉はフルートの実力があったのだけれど、音楽家の道を断念し結婚し子供たちとの生活(ジャッキーからするとその姿はありきたりの平凡な主婦の姿だった)を選ぶ。妹の才能に幼い頃から嫉妬のような思いを抱いていたり、逆に幸せな家庭を持つ姉にジャッキーもある種の嫉妬を抱いていた。でも、結局はお互いに切り離せない血の絆を痛感しているし求め合ってもいるようだ。特にレイチェル・グリフィスの表情はいくつもの場面で感動的。

多発性硬化症という難病がジャッキーを襲う。日に日に思うように動かない身体、聴覚まで薄れていく、その悪化する中での葛藤と苛立ち。そして、エルガーの協奏曲の美しくドラマティックな旋律がさらにシーンを盛り上げるので、息が詰まる程の複雑な感動を受ける。

「何も心配しないでいいのよ。」という言葉。幼い頃二人で海岸で抱き合っていたあの光景は共に永遠のものだったのだろう。最も大切な人、ジャッキーが最期に本当に会いたかったのはヒラリーだったと思う。でも、その直後亡くなってしまう...。

弟と車での帰り道、カーラジオから妹の訃報を知る。その、あのヒラリー、レイチェル・グリフィスの繊細な演技の見事なこと(オーバーアクトではないのでさらに感動が込み上げる)。何度観ても涙に溢れる大好きな作品、心に響き過ぎ苦しいくらいに素晴らしい!

ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ:HILARY AND JACKIE
1998年・イギリス映画 
監督:アナンド・タッカー 製作:アンドリュー・ペイターソン、ニコラス・ケント 脚本:フランク・コットレル・ボイス 撮影:デヴィッド・ジョンソン 
音楽:バーリントン・フェロング
出演:エミリー・ワトソン、レイチェル・グリフィス、ジェームズ・フレイン、デヴィッド・モリシー、チャールズ・ダンス、セリア・イムリー

by claranomori | 2010-04-09 11:21 | 往還する女と少女
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★2010年、最初の読書はもう結構長く愛読している「神話」関連の一つで、世間はお正月なのだけれど毎年実感の伴わない生活をしている私。読んでも暫くすると名前を忘れてしまうので、記しておきたいと想う。

上の絵はエリュー・ヴェッダー(Elihu Vedder:1836~1923)による『プレアデス七人姉妹の踊り』(1885年)。象徴主義あるいはラファエル前派の画家とされているお方。アメリカのお方ながらヨーロッパ的な芳香で19世紀末の耽美な世界に私を誘う。

右下の方に光が見える。これがギリシャ神話で『行方知れずのプレヤードの星』と呼ばれているものだそうだ。この星のお話は世界中の伝説にあるらしくどれも似た内容だという。冬空の美しい星団として知られる「プレアデス星団」の星たちになっているのは、マウリタニアの王、巨人アトラスとニンフのプレイオネの間に生まれた七人の娘たち。マイア、タイゲタ、アステロペ、エレクトラ、ケレーノ、アルキオネ、メローペ。この七人の姉妹に父と母が加わっての星の集まりと云われている。けれど、いくら目を凝らして眺めても現実に見える星は六個で、余程の視力の良さでないと七個は見えないのだそうだ。もしも、七個見えたなら九個見えるとも。

その見えない星を巡る伝説が『行方知れずのプレヤードの星』である。七人姉妹のうち一人だけが見えない(消えてしまった)というお話でとてもロマンチック!その一人はマイアであるとかエレクトラであるとか定かではないけれど、この姉妹たちはたいそう可愛らしい美少女たちで、野原で歌ったり踊ったりと、楽しく遊んでいたところを、オリオンに追いかけられ天に昇り美しい星になったという。

カナダの伝承ものでは、やはりこの七人姉妹(セヴン・シスターズ)が歌い踊っている場面が記されている。その美しい光景を見た青年が魅了されてしまい翌日もその場所にやって来る。ますます、魅せられてしまった青年は三晩目に姉妹たちを追いかけてしまう。けれど、慌てて天上に逃げてしまった。その時に逃げ遅れかごに乗り損ねてしまった少女が一人いた。

「あなたは、どなたですか。どこからやって来たのですか。」と青年は尋ねた。少女は「私たちは、七人姉妹で天上界に住んでいるのです。空が穏やかで湖も静かな時を選んで、ここに降りて来て星明かりで踊っているのです。」泣いていた少女のこの言葉を聞き一層愛らしく想った青年は結婚を申し込んだ。それは天上界で暮らすという条件のもと。そして、二人は仲良く暮らしたそうだ。いつも夫のかげに隠れて座っているこの乙女ゆえに、通常私たちの目には見えないのだというもの。どの娘なのかは記されていないので分らないけれど、「だれだろうなあ」って想うのが好き♪

☆新年、明けましておめでとうございます。相変わらずこんな調子でありますが、今年もどうぞ宜しくお願いいたします!☆
by claranomori | 2010-01-05 02:58 | 神話・お伽噺・妖精譚
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ルイザ・メイ・オルコットの自伝的な内容も含まれている不朽の少女小説であり児童文学でもある『若草物語』はいったい幾度映画化されているのだろう。このマーヴィン・ルロイ監督の1949年作品は既に4度目の映画化だそうだ。アニメや日本映画も含めると6作品の『若草物語』を観ているのだけれど、今のところ、その中で一等好きなものはこの1949年のもの。この頃ならではのテクニカラーが好きだし、お衣装や小物、舞台セットなどが実に美しい!また、それぞれ性格の異なる四姉妹たちも。原作や他の映画と異なるのは、三女のベスと四女のエイミー(エミー)を変更している点。それは、当時、名子役として人気を博していたマーガレット・オブライエンがエリザベス・テイラーよりも年少であり、幼くして病に死す内気な少女ベスを演じることで。名演技に涙したお方も多いのだろう。原作では姉妹たちは皆まだ10代。次女のジョーを演じるジューン・アリソンは当時32歳だったというけれど、ハツラツとした快活なジョーを演じている。長女のメグ役のジャネット・リーは原作のイメージと私は少し違うのだけれど、美しいし好き。リズは撮影当時16.17歳で既に完璧な美を誇っている。エイミー役にお似合い。初めて観た時に少し違和感があったのは、多分リズなのにブロンドの髪の少女だったからだと思う。こんなにブロンドのリズは他の作品では拝見出来ないのではないだろうか。縦ロールの髪も素敵だけれど、終盤のローリーと結婚する場面(ヨーロッパから帰国後)の後ろで纏めた美しいヘアスタイルの方がお美しいお顔立ちが際立つように思う。舞台は19世紀半ば。姉妹の中でも中心はジョー。裕福ではないが姉妹はお互いを思いやり、両親を尊敬し愛している。また、隣人やご近所の人々への慈愛も深く、その中でのそれぞれの乙女心。時代は随分違えども、ある時期の少女たちには共通するものがいつもある。なので、100年以上前の小説がいつまでも愛され続けるのだろう。ジョーは個人的にはジリアン・アームストロング監督作品(1994年)でウィノナ・ライダーが演じたものがお気に入りなのは今も変わらないけれど、どれを観ても最後は感動で泣いてしまう。
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若草物語/LITTLE WOMEN
  1949年・アメリカ映画
監督:マーヴィン・ルロイ 原作:ルイザ・メイ・オルコット 撮影:ロバート・プランク、チャールズ・ショーンボーム 音楽:アドルフ・ドイッチ 出演:ジューン・アリソン、マーガレット・オブライエン、エリザベス・テイラー、ジャネット・リー、ピーター・ローフォード、 メアリー・アスター、C・オーブリー・スミス、ロッサノ・ブラッツィ
by claranomori | 2009-08-10 09:58 | 銀幕の少女たち・少女映画
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★ブライアン・デ・パルマ監督の1973年映画である『悪魔のシスター』を先に観ていたので、リメイクされると知り楽しみにしていた。噂ではクローネンバーグ監督でというお話もあったよう(そちらを観てみたかった!)。でも、主演が10代の出演作から追っている好きな女優さまであるクロエ・セヴィニーとルー・ドワイヨン(ジェーン・バーキンとジャック・ドワイヨンの娘さまでジェーンによく似ている)で、劇場へは行けなかったのでこの春にレンタル屋さんでお借りして観たもの。端的に云うと、やはり『悪魔のシスター』の方が断然良かった。監督お得意の画面を二分割しての映像も多用され、主役の姉妹役であるマーゴット・キダーもとても可憐で素晴らしく、また怖くもあった。けれど、どちらも最後になんとも云えぬ物悲しい余韻を残すもので、少し感じ方は異なるけれど、やはり私はその余韻が悲しくも美しいものとして残っているので観て良かったと想う。
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主な登場人物の名前が異なっていたのでメモしておこう。デ・パルマ版の姉妹であるダニエラとドミニク(マーゴット・キダー)、女性記者グレース(ジェニファー・ソルト)、精神科医のエミール・ブルトン(ウィリアム・フィンレイ)。ダグラス・バック監督のリメイク版の姉妹のアンジェリクとアナベル(ルー・ドワイヨン)、女性記者グレース(クロエ・セヴィニー)、精神科医フィリップ・ラカン(スティーヴン・レイ)。この姉妹は腰の辺りで引っ付いているシャム双生児として生まれ過ごしていた。けれど、その姉と医師は恋仲となり結婚する。この医師がとても重要な役柄でかなりの変質的な人物で、その点も断然ウィリアム・フィンレイの方が不気味であった。この医師は姉妹を切り離す手術を施した人物でもある。後に、離婚しているけれど執拗に付き纏う辺りも気持ち悪いものだった。こういうマッドサイエンス的な様相はやはりデ・パルマ作品の方が色濃く凄みもあったように想う。手術後、妹は死んでしまうのだけれど、自分のために死んでしまった妹に申し訳ない気持ちを抱き続ける姉。傍目には、妹は生きていて、手術後精神を患い凶暴な性格となったことになっていた。それも医師による操作であり特殊な薬物を処方され飲んでいる。医師なりの偏愛なのだろうけれど。そのお薬が切れると凶暴な妹の人格が姉に移行するもののようだ。ちょっともう一度観ないと不明な部分も多いし、記憶も定かではなくなっている。デ・パルマ版の最後に、モノクロームの古い記録映像が流される。それは精神病院の模様で、その中に少女時代の姉妹(ふたりがくっ付いていた頃)の姿もある。いつも一緒に行動していたふたりの表情は普通に愛らしいと思えた。また、リメイク版の最後はルー・ドワイヨンとクロエ・セヴィニーがまるで姉妹であるかのように髪型もお洋服も同じで歩いてゆく後姿を映し出し終える。そんな現実と妄想世界が混合する中、何か物悲しさに美しさを感じた。私は姉妹ものが好きだということもあり、また、70年代のデ・パルマ映画に好きな作品が幾つかあるのは、すべて主演の女優さまに少女性を帯びたお方が多いという理由もかなり大きい。往還する女と少女♪
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※これはサントラ盤より。音楽はバーナード・ハーマンなので、やはり意図して作られたと想われるヒッチコックの引用(『サイコ」や『裏窓』)も見られる『悪魔のシスター』をもう一度また観たいと今想う。
by claranomori | 2009-07-09 11:33 | 銀幕の少女たち・少女映画
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リンゼイ・アンダーソン監督の『八月の鯨』(1987年)は、リリアン・ギッシュ90歳、ベティ・デイヴィス79歳、ヴィンセント・プライス76歳、アン・サザーン78歳、ハリー・ケリー・ジュニア66歳という、ハリウッド映画の各分野で活躍し続けてきた名優方を配しての名作。この映画が大好きで次はこれを綴ろう!と思っては書けなくて...好きなシーンがいくつも巡り、溢れる涙で胸がいっぱいになってしまう。初めて観た時はまだ20歳そこそこだった。映画の魅力は年を重ねてゆく中で作品がまた新鮮なものになる。なので、何度も観たくなる。この往年の名優たちの初期の作品はまだまだ未見のものが多い。古くからのファンのお方はこの作品が封切られた時、どんなに嬉しかっただろう!と、私もうっとり想像する。そんな優しい詩情溢れる品格のある作品。老練という言葉が相応しいのは随所に。
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娘時代に姉妹リビー(ベティ・デイヴィス)とセーラ(リリアン・ギッシュ)は幼馴染みのティシャ(アン・サザーン)と3人で、8月になると入江にやってくる鯨を見にかけて行ったものだった。でも、もう遠い昔のことになってしまった。その間50年もの歳月を色々な思い出と共に生きてきたのだ、それぞれに。出演者は主に年老いた5人の名優たち。あとは、海辺の別荘と美しい自然、そして別荘内の小物たちや衣装たち。特に野ばらや紫陽花が印象的。とてもシンプルに流れてゆく。

戦争で先立たれた夫への変わらない愛。薄化粧をし髪を整え、よそ行きのお洋服と靴に着替え、花一輪と蝋燭のともし火、そしてワインを用意する。そして、亡き夫のお写真を前にして語りかけるセーラ。私はリリアン・ギッシュがとても好きなのだけれど、何故好きなのかという答えが必要ではないことを、こういうシーンから得られる。幸せなのだ。”永遠の少女イコンであるリリアン・ギッシュ”の愛らしさ!この90歳を超えたお姿を拝見しても”可愛い~!!”と声に出してしまうくらい。たまらない。このセーラ役もリビー役も適役。ただ年老いた役者というだけではこの情感は表現出来ないと思う。そして、この撮影当時既に癌に侵されていたであろうベティ・デイヴィスの痩せこけたお姿。視力を失って自分の事が自分で出来ない、そんな苛立ちを流石の演技で見せてくれる。すべて自然な感じ。姉の白くなった長い髪を妹が梳くシーン。最後のこの老女優(名女優)お二人が固く手を握って微笑むシーン・・・私は、きっと年を重ねる度に、この人生を静かに謳い上げる名作を味わい続けるのだと思う☆
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八月の鯨/THE WHALES OF AUGUST
1987年・イギリス映画
監督:リンゼイ・アンダーソン 脚本:デヴィッド・ベリー 撮影:マイク・ファッシュ 音楽:アラン・ブライス 出演:リリアン・ギッシュ、ベティ・デイヴィス、ヴィンセント・プライス、アン・サザーン、ハリー・ケリー・ジュニア、メアリー・スティーンバージェン、マーガレット・ラッド、ティシャ・スターリング
by claranomori | 2009-04-28 09:53 | 往還する女と少女
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ガブリエル・アクセル監督の1987年映画『バベットの晩餐会』は大好きな作品のひとつ。舞台となるのは19世紀後半のデンマーク、ユトランドという海辺の村(原作では、ノルウェイのベルレヴォーグという小さな町)に、初老の美しい姉妹と12年前にやって来た家政婦バベットが住む家。この姉妹の名はマーチーネ(ビルギッテ・フェダースピール)とフィリパ(ボディル・キュア)。姉妹の父は牧師で、敬虔な正統協会派を設立し、この宗派は国中に広まり厚い尊敬を受けていたお方。牧師の死後、年月が経ち、弟子たちも年老いて一派の名も薄れてゆく。けれど、彼等は共に集い、黄色い家に住む娘時代から知っているこの姉妹を愛していた。皆、清貧と禁欲を説くプロテスタント(ルター派)の亡き牧師の意志を継ぎ質素に生きている。しかし、嘗てこの姉妹は若き日(並外れて美しかった)に、お互いに恋焦がれる感情を体験している。結ばれることはなかったけれど、この映画の後には形ではない心の結びつき、永遠なる尊い心の通いを感じることが出来る。とても美しいと思う。それは、主人公であるバベット(ステファーヌ・オードラン)の牧師の生誕100年を祝しての晩餐会があってのこと。

バベットはフランス人。バベットはパリ・コミューンの戦乱により家族も財産も失い国外へ逃亡しなければならなくなった不幸な女性。質素な生活をしている姉妹に家政婦がいるのは不思議なことながら、この身寄りのない女性を姉妹は優しく受け入れる。バベットは姉妹への感謝の気持ちも込めて、初めてのお願いをする。”フランス流のお料理で晩餐会を”と。バベットは1万フランという大金をクジで当て、そのお金を一夜かぎりの晩餐会に全て費やすのだった。お金だけではない、嘗て、カフェ・アングレというお店の女料理長だったバベットのアーティストとしての精魂と共に。年老いた弟子たちは互いにいがみ合うようにもなっていた。けれど、牧師への敬愛心は失せない。この質素に暮らしている人々にとってフランスの豪華なお料理は理解できず、バベットに毒を盛られるのでは...とマーチーネは悪夢をみたりもする。しかし、嘗て心焦がした相手レーヴェンイェルム(ヤール・クーレ)と今は出世した将軍として30年ぶりにこの晩餐会で再会する。将軍はカフェ・アングレを知っているお方。皆は決して舌で味わうことはしまいと誓い合ったのだけれど、美味なるものを食しているうちに次第と心が和み豊かになる様は愉快。これぞ、バベットの晩餐会の真骨頂!宗教的な難しい対立はあったのだろうけれど、美味しいものは美味しい!美しいものは美しい!舌で味わう美味なる感覚とややグロテスクにさえ思える並ぶ芸術品でもある数々のお料理や一級品のワイン。老人たちの表情や会話が次第に柔和になってゆく様を静かに笑みをたたえながら悦ぶ姉妹。バベットは大金を使い果たしたけれど満足だった。そして、彼女がこの村にやってきた使命にも思えた。抑えた色調の美しい映像はフェルメールの絵のようだと言われる名作映画でもあり、アカデミー賞の外国語映画賞にも輝いたもの。私は綺麗事のように思われてもずっと思い続けていることでもある”豊饒”というものが伝わり、観ている私の心まで豊かになるような映画。”豊かさ”とは決してお金だけではない。お金持ちがすべて心豊かな人々であるとも限らないし、貧しい人々が心の狭い人々でもない。”心の贅沢”はお金ではない!大恐慌と言われる時代を生きているけれど、心まで貧しくなるのは虚しい。何が心を満たしてくれるかというと、やはり”美しいもの”であり”芸術”である私は今日もこうして生きてゆける。そして、老女(老嬢)もまた少女であるという思いを深めて愉しいのである☆
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バベットの晩餐会/BABETTES GASTEBUD
1987年・デンマーク映画
監督・脚本:ガブリエル・アクセル 原作:カレン・ブリクセン(アイザック・ディーネセン) 撮影:ヘニング・クリスチャンセン 音楽:ペア・ヌアゴー 出演:ステファーヌ・オードラン、ビルギッテ・フェダースピール、ボディル・キュア、ビビ・アンデルション、ヤール・クーレ

by claranomori | 2009-04-19 11:36 | 文学と映画★文芸・史劇