ブロニスワフ・マリノフスキー(Bronisław Malinowski:1884年4月7日~1942年5月16日)は、ポーランド生まれでイギリスに渡り人類学者として活動したお方。特にブロニスワフ・マリノフスキーについて詳しいわけではないのですが、『神話と社会』(1926年:1941年邦訳)という御本の中にとても気になる指摘がありましたので覚え書き。
神話という神聖な伝統がいかに根強くメラネシア人の日常生活のなかに入り込み、
いかに力強くその道徳的な行為や社会的行動を支配しているか
ブロニスワフ・マリノフスキー 『神話と社会』
この自然的かつ社会的過程が集落や共同体として実体化されてきた。よく「私達」とか「我ら」とか「我々」と使っている言葉は「仲間」を意識化するもので私は好きです。けれど、はてな...と思いました。今では都会ではその共同体が崩壊してゆくなか、地方や田舎の地域ではまだこの共同体精神のようなものが存続している。その素晴らしさは助け合いや連帯としての美しい姿でもあると、東日本大震災での大変な状況の中での、東北の人々の美しいお姿から痛感したものです。
ところが、「村八分」という言葉があるように、その村社会からはみ出すこと、禁忌という概念が発生する、ごく自然なかたちとして。家族があり、社会があり、国家がある。慣習から倫理へという中で生まれ、道徳となり人々の関係が安定化され、円滑な保証ともなる。ヘーゲルの云う所の「客観的精神」ながら、この自然発生的な共同体精神の問題は、その規範のようなものからはみ出してしまう者たちの疎外感。そこから仲間はずれ、差別も生じてゆき、イデオロギーと結びついた折に改革や革命へと向かう力学さえ孕んでいるのではないでしょうか。
人は一人一人、家族内でも性格や個性が異なる。共同体の中でどうしても逸れてしまう人が居ても不思議とは思わないのですが、「私達」や「我等」という外に出てしまう人は、その共同体から疎外視される。私は人は一人で生きてはゆけない、家族や隣近所の人々と何か困った事が起きた折は力を出し合い、助けを受けながら生活しているものだと思っています。出来れば、嘗てあったこのような共同体、連帯の精神を呼び起こすことを望んでいます。地域によって様々な差異があり、日本には外国人の人々も住み生活している。
日本に限らず、今、世界的な随所で起こっている民族的闘争が惨劇を生んでもいる。慣習や宗教の違う人々が同じ国、社会で生きてゆく中で生まれる友好な交流もあれば、やはり民族区別としての意識が生じ、高じて問題化してゆくことも何も不思議とは思わないのです。「人類みな兄弟」は素晴らしい。けれど、各民族の伝統や誇りを同化してしまうことは不可能であり、そのような甘い幻想の時代では無くなっているのだと、イギリス、フランス、スイス、スウェーデン...もう世界各国での最近の民族問題、また日本国内でも問題があちらこちらと生まれている現実を想うのです。
自民党は成長戦略の方針の中に、遂に移民政策を打ち出しました。1000万人移民受け入れを先の選挙公約に掲げてもいましたので、懸念していましたことです。労働不足を補うため、日本で働くことを望む外国の人々を歓迎するのは良いと思います。けれど、同時に日本人労働者の雇用や賃金低下、また反日教育の隣国(中国や韓国)による歴史に関する諸問題が噴出し、プロパガンダ政策で世界に吹聴され続ける中、各国で起こっているような宗教、慣習の違いによる人種間での惨劇が生じないよう、対策をしっかり検討しなくては大変な事になる。留学生や研修生待遇も良いことだと思いますが、経済的理由で進学を諦めなくてはならない日本国民の若者も多いです。それは、日本人の優秀な才能の芽を潰す事にもなり、極端に云えば「逆差別」に繋がるとも想えます。また、巷に氾濫する中国語や韓国語表記は日本人には混乱を招きます。読めない日本人の方が多い筈です。先日も銀行のATMで主婦の方が困っておられました。後ろに並んでいた私に訊かれたので、日本語を選択するようにお伝えしました。実は私も最初は戸惑い一瞬画面をうろうろしたものでした。日本語と英語併記で良いと思うのですが...。
日本人にとって不自由な状況がこうした生活の一場面でも見られるのです。国粋主義や排外主義ではなく、異国の人々、異国の歴史や文化を尊重しながら、その差異からの学びが愉しいと想える私は、米国の様に多民族国家ではない神話の国日本では、所謂「多文化共生」はあまり馴染まないものだとも想えます。ただ、長年日本で生活されている外国籍の人々、また外国で生活されている日本国籍の人々も居られます。なので、政府の打ち出す移民政策と一括りには出来ないし混同は避けて考えています。国民が不安に陥る政策が続々と...難しい問題ゆえにこそ、国民の代表である政治家の先生方にはしっかり議論して頑張って頂きたいです。
愛国教育ではなく、私達が自然と本来持っている祖国愛はイデオロギーに左右されるものではない、とも想います。そんな風に色々と考えていると、やはり八百万の神、神話の国である日本は特殊だなあ、と想います。異国の人々が日本に魅せられる所以、また日本が誤解される所以でもあるのでしょうけれど、そんなわが国日本が大好きです。「日本が好き」「日の丸って美しい!」と云えない、なんとも奇妙な空気だった私の少女時代からの疑問。そんな窮屈な想い、日本の素晴らしさの再認識は、実は世界の国々、民族、言語、文化、慣習...等からの学びとも云えます。ゆえに、差異は愉しく尊きもの!差異は誇るべきもの!そんな風に生きているお陰で、自虐史観に深く陥る危機から逸れながら今に至っているような、ちょっと複雑な想いで今日もポジティヴ・シンキング☆