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あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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60年代以来、我が国でも熱狂的なファンを育ててきたフレンチ・ポップ。その勃興期から、70年代~2000年代以降までを幅広く見渡した本格的なディスク・ガイドがいよいよ登場!! 

書籍
~ ディスク・コレクション ~
『フレンチ・ポップ』
監修:佐藤篁之
A5判/192頁/本体価格2,200円+税
12月下旬発売予定が1月31日発売になりました。
出版社:シンコーミュージック
書籍 『フレンチ・ポップ』 ディスク・コレクション 発売のお知らせです♪_b0106921_18023090.jpg

時代を作ったトップ・スター達を筆頭に、ロリータ・ポップ、フォーク、ディスコ、テクノ・ポップなど、多岐にわたるスタイルを網羅。また、「リテレール(詩的)」「レアリスト(現実派)」「サンティマン(感傷派)」「ファンテジスト(夢想的)」「アーティスティック(感覚的)」「アヴァンセ(新規・革新)」といった傾向別の項目を設け、各人の魅力をわかりやすく掘り下げていきます。

掲載アーティストの一部:シルヴィ・バルタン/フランソワーズ・アルディ/フランス・ギャル/ミッシェル・ポルナレフ/セルジュ・ゲンスブール/ジェーン・バーキン/ジョニー・アリディ/クロード・フランソワ/ジャック・デュトロン/ルノー/ピエール・バルー/レ・リタ・ミツコ/ブリジット・フォンテーヌ 他

★全ページ・カラーで合計500枚のアルバムが掲載されています。
まだ完成したものを拝見していないのですが、
ライターの先輩方が選ばれた作品や紹介文もとっても楽しみです。

若輩者の私CHOUCHOUも1/4程担当させて頂きました。
好きで聴き続けて来て良かったとご縁に感謝しております。
この喜ばしき機会に恵まれ、多くの発見がありました。
日々、学びを痛感しながら、好きな世界をこれからも私なりに追求してゆきたいと思います。

2015年の2月、3月とVelvet Moon関連のイベントもございます。
決定次第、詳細等を随時お知らせさせて頂きます。

書籍 『フレンチ・ポップ』 ディスク・コレクション 発売のお知らせです♪_b0106921_17441668.jpg

『フレンチ・ポップス愛好館』 を始めましたので、お気軽にコメントなど頂けると嬉しいです。夏から初秋にかけ、原稿に取り組んでおりましたので、更新が進んでおりませんでしたが、ようやく落ち着きました。これからは此方の『クララの森・少女愛惜』を主軸にしながら、『フレンチ・ポップ愛好館』では、好きなフランスの音楽のこと(フレンチ絡みのボウイのことなども交え)気ままに綴ってゆきたいと思います。

今年も間もなく終わり新年を迎えます。
☆今後とも、どうぞよろしくお願いいたします☆

# by Claranomori | 2014-12-29 17:57 | 耽美派少女の愛した音楽たち
2014年10月13日(月・祝) 『ゲンスブールナイト大阪:GAINSBOURG NIGHT OSAKA』 開催のお知らせです☆_b0106921_10591567.jpg

2014年10月13日(月・祝)

ゲンスブールナイト OSAKA 

場所:京橋ベロニカ
大阪市城東区蒲生1-8-4
TEL 06-6939-9292

17:00 open
17:30 start

前売 2500円
当日 3000円
(ともに飲食代別途かかります)

出演者
サエキけんぞう&クラブ・ジュテーム (from 東京)
 Alek et Les Japonaises (form ベルギー)
 おおたえみり
 中村扶実
 カンアキトシ

トークショー
 サエキけんぞう+ChouChou+グルーヴあんちゃん

DJ
グルーヴあんちゃん
ChouChou (VELVET MOON)
 sxkxkx and more

VJ
Yamaten (VELVET MOON) et Matsukawa


★前売りご予約は会場の京橋ベロニカ様 または 
当店VELVET MOON(「お問い合わせ」よりご予約ください)
でも承っております。

各出演者のプロフィールなどは、『ゲンスブールナイト大阪』の特設ページをご覧ください。

私chouchouも久しぶりにDJとトークショーで参加させて頂きます。
ゲンスブールってだれ?ジェーン・バーキンの名は聞いたことあるけど、フレンチポップって良く知らないな~というお方も、気さくなイベントでバラエティに富んだライヴが中心ですので、是非、遊びにいらしてくださいませ☆

皆様、お気軽にご参加くださいますよう、
どうぞよろしくお願いいたします♪

# by claranomori | 2014-10-06 11:19 | イベントのお知らせ
 
木花の佐久夜毘売(コノハナノサクヤヒメ) ★ 『古事記』の中の日本神話の女神さま_b0106921_14492753.jpg
 前述の記事を書きながら、「八百万の神」と云いながら、はて、それはどこから来たのだろう?自然と共に生きてきた日本人には、漠然とこのような想いは多く共通するものだと想います。今全国で桜の季節の折、ちょっと思い出した桜のお姫様(女神)のこと。日本最古の書物である『古事記』より以下引用させて頂きます。

我が女ニたり並べて立奉りし由は、石長比売を使はさば、天つ神の御子の命は、雪零り風吹くとも、恒に石の如くに、常はに堅はに動かず坐さむ。また木花の佐久夜毘売を使はさば、木の花の栄ゆるが如栄えまさむと誓ひて貢進りき
古事記 

 1200年以上も昔の『古事記』の漢字や仮名遣いは、現代国語に慣れた私達には読み辛い。今も文字を打ちながら変換出来ずに時間がかかりました。けれど、そんな面倒な作業の中にも多くの学びと愉しみを感じてもいます。我が女二たり(わが娘二人)の我がとは父親の大山津見で、二人の娘とは「石長比売」《いはながひめ》と「木花之佐久夜毘売」《このはなのさくやびめ》。ニニギが笠沙の岬で出会った美しい乙女に求婚する。乙女は自ら返事をすることはできず、父がお答えいたしましょう、という流れで、たいそう喜んだ父は姉のイハナガヒメを添えて献上した。ところが、ニニギは美しいサクヤヒメだけを傍におき、醜い姉のイハナガヒメは送り返してしまった。このことを父は恥じ、「もしも二人の娘と結婚していたら、あなたの命は石のような不動性と、花のような繁栄を同時に手にすることができた。けれど、サクヤヒメだけを留めたので、天つ神の御子の寿命は花のように短くなるでしょう」と云う。

 醜い姉とされるイハナガヒメがお気の毒に想いながら、この美しい乙女サクヤヒメとの対比は石と花。石も美しいと想うけれど、花は美しいが短命、というイメージがあるので分かり易いです。コノハナノサクヤヒメの「サク」は「咲く」であり、「ヤ」は感動を示し、「咲く」には「栄え」「盛り」「酒」などと同根の、内なる生命力が外に向かって放たれる意味があるという。その象徴的なものが満開の桜であり、サクヤヒメという名に桜を想起させる。「サクラ」の「サ」は早乙女の「サ」と同様に神威の現れとし、「クラ」は神の寄りつく場所だとされ、木の花に宿る精霊、花の精なのだろうと想えます。大山津見にはもう一人の娘「コノハナノチルヒメ」がいるそうで面白いです。咲き誇る花と同様に、また散りゆく花にも神威を見たのですね。日本人には古来からこのような、木々、草花には神が宿るという、森羅万象の風土があると想います。それはやはり八百万の神であり、多神教の国日本を象徴しているようにも。またこのような観念から日本人は一神教であろうと他の神々、他の宗教にも寛容であるのではないでしょうか。ケルト、北欧、エジプトの神々などにも通ずるように想います。そんな神話、精霊と共に生きる世界観、愛らしく美しく、また儚げなお花たちの物語が私はとても好きです☆

 ●今日の読書、調べものは『古事記の読み方 - 八百万の神の物語』(著:坂本勝)を参照させて頂きました。

# by claranomori | 2014-04-05 14:52 | 神話・お伽噺・妖精譚・伝承
『神話と社会』ブロニスワフ・マリノフスキー★共同体規範から生まれる連帯と疎外、そして民族の差異からの学びを想う。_b0106921_13270883.jpg
 ブロニスワフ・マリノフスキー(Bronisław Malinowski:1884年4月7日~1942年5月16日)は、ポーランド生まれでイギリスに渡り人類学者として活動したお方。特にブロニスワフ・マリノフスキーについて詳しいわけではないのですが、『神話と社会』(1926年:1941年邦訳)という御本の中にとても気になる指摘がありましたので覚え書き。

神話という神聖な伝統がいかに根強くメラネシア人の日常生活のなかに入り込み、
いかに力強くその道徳的な行為や社会的行動を支配しているか
ブロニスワフ・マリノフスキー 『神話と社会』
 
 この自然的かつ社会的過程が集落や共同体として実体化されてきた。よく「私達」とか「我ら」とか「我々」と使っている言葉は「仲間」を意識化するもので私は好きです。けれど、はてな...と思いました。今では都会ではその共同体が崩壊してゆくなか、地方や田舎の地域ではまだこの共同体精神のようなものが存続している。その素晴らしさは助け合いや連帯としての美しい姿でもあると、東日本大震災での大変な状況の中での、東北の人々の美しいお姿から痛感したものです。

 ところが、「村八分」という言葉があるように、その村社会からはみ出すこと、禁忌という概念が発生する、ごく自然なかたちとして。家族があり、社会があり、国家がある。慣習から倫理へという中で生まれ、道徳となり人々の関係が安定化され、円滑な保証ともなる。ヘーゲルの云う所の「客観的精神」ながら、この自然発生的な共同体精神の問題は、その規範のようなものからはみ出してしまう者たちの疎外感。そこから仲間はずれ、差別も生じてゆき、イデオロギーと結びついた折に改革や革命へと向かう力学さえ孕んでいるのではないでしょうか。

 人は一人一人、家族内でも性格や個性が異なる。共同体の中でどうしても逸れてしまう人が居ても不思議とは思わないのですが、「私達」や「我等」という外に出てしまう人は、その共同体から疎外視される。私は人は一人で生きてはゆけない、家族や隣近所の人々と何か困った事が起きた折は力を出し合い、助けを受けながら生活しているものだと思っています。出来れば、嘗てあったこのような共同体、連帯の精神を呼び起こすことを望んでいます。地域によって様々な差異があり、日本には外国人の人々も住み生活している。

 日本に限らず、今、世界的な随所で起こっている民族的闘争が惨劇を生んでもいる。慣習や宗教の違う人々が同じ国、社会で生きてゆく中で生まれる友好な交流もあれば、やはり民族区別としての意識が生じ、高じて問題化してゆくことも何も不思議とは思わないのです。「人類みな兄弟」は素晴らしい。けれど、各民族の伝統や誇りを同化してしまうことは不可能であり、そのような甘い幻想の時代では無くなっているのだと、イギリス、フランス、スイス、スウェーデン...もう世界各国での最近の民族問題、また日本国内でも問題があちらこちらと生まれている現実を想うのです。

 自民党は成長戦略の方針の中に、遂に移民政策を打ち出しました。1000万人移民受け入れを先の選挙公約に掲げてもいましたので、懸念していましたことです。労働不足を補うため、日本で働くことを望む外国の人々を歓迎するのは良いと思います。けれど、同時に日本人労働者の雇用や賃金低下、また反日教育の隣国(中国や韓国)による歴史に関する諸問題が噴出し、プロパガンダ政策で世界に吹聴され続ける中、各国で起こっているような宗教、慣習の違いによる人種間での惨劇が生じないよう、対策をしっかり検討しなくては大変な事になる。留学生や研修生待遇も良いことだと思いますが、経済的理由で進学を諦めなくてはならない日本国民の若者も多いです。それは、日本人の優秀な才能の芽を潰す事にもなり、極端に云えば「逆差別」に繋がるとも想えます。また、巷に氾濫する中国語や韓国語表記は日本人には混乱を招きます。読めない日本人の方が多い筈です。先日も銀行のATMで主婦の方が困っておられました。後ろに並んでいた私に訊かれたので、日本語を選択するようにお伝えしました。実は私も最初は戸惑い一瞬画面をうろうろしたものでした。日本語と英語併記で良いと思うのですが...。

 日本人にとって不自由な状況がこうした生活の一場面でも見られるのです。国粋主義や排外主義ではなく、異国の人々、異国の歴史や文化を尊重しながら、その差異からの学びが愉しいと想える私は、米国の様に多民族国家ではない神話の国日本では、所謂「多文化共生」はあまり馴染まないものだとも想えます。ただ、長年日本で生活されている外国籍の人々、また外国で生活されている日本国籍の人々も居られます。なので、政府の打ち出す移民政策と一括りには出来ないし混同は避けて考えています。国民が不安に陥る政策が続々と...難しい問題ゆえにこそ、国民の代表である政治家の先生方にはしっかり議論して頑張って頂きたいです。

 愛国教育ではなく、私達が自然と本来持っている祖国愛はイデオロギーに左右されるものではない、とも想います。そんな風に色々と考えていると、やはり八百万の神、神話の国である日本は特殊だなあ、と想います。異国の人々が日本に魅せられる所以、また日本が誤解される所以でもあるのでしょうけれど、そんなわが国日本が大好きです。「日本が好き」「日の丸って美しい!」と云えない、なんとも奇妙な空気だった私の少女時代からの疑問。そんな窮屈な想い、日本の素晴らしさの再認識は、実は世界の国々、民族、言語、文化、慣習...等からの学びとも云えます。ゆえに、差異は愉しく尊きもの!差異は誇るべきもの!そんな風に生きているお陰で、自虐史観に深く陥る危機から逸れながら今に至っているような、ちょっと複雑な想いで今日もポジティヴ・シンキング☆

# by claranomori | 2014-04-03 14:59 | 想い・鑑賞・読書メモ
『音と言葉』 著:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー (1954年) ★ 「美しい心を取り戻す」という悲痛なる嘆きに共鳴_b0106921_17260426.jpg
 わあ!何と今年最初の投稿となります。いつも気にかけてくださっている皆様、ありがとうございます!年末年始とバタバタしており、確定申告も終えましたので、そろそろブログの更新ものんびりですが頑張ろうと思います。お正月の初詣の折のおみくじに書かれていた言葉は、私自身の想いととても重なる尊きお言葉でした。総じて「これまでの歩みに誠実に励みなさい」というような意味だと解釈しました。私の場合、気が付けばずっと「音楽」に関わるお仕事で、それには何か深いご縁をも感じています。10代の頃から「生きるということは何だろう?」「なぜ、大人になってゆくのだろう」「どうして、こんなに音楽が好きなのだろう?」「ボウイはどうしてこんなに美しいのだろう!」「美とはなんだろう?」...etc.と「なぜ?」ばかりの自問自答人生を続けています。

 大好きな音楽や映画、文学や絵画の中から数多の発見と学びの日々はずっと続くのだと思います。「たかが音楽、されど音楽」な訳で、どうした事か大好きな音楽の多くには各アーティストの主張があったり、抽象的な歌詞であっても強く響く言葉がある。また時に歌詞のない音楽のメロディから響く詩もある。それはどうしてだろう?その時の社会とは?と、その国々の歴史背景を調べてみたりしていると、太古の時を往来する事も多い。そんな音楽たちが大好きでたまりません。人其々の音楽の愉しみ方がありますが、どうも私は探求したいようです。その起源はデヴィッド・ボウイという稀有なるアーティストに魅せられた者の宿命だと拝受。答えの見つからない難題である「音楽ってなんだろう?!」という永遠のテーマを傍らに、愛しきものたちと人生を共に、これからも歩んでゆけたら本望だと思います。

 そんな想いの中、再読したフルトヴェングラーの最晩年(1954年)の『音と言葉』という音楽評論集の中に、とても共鳴した文章がいくつもありました。ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(WILHELM FURTWANGLER:1886年1月25日~1954年11月30日)は、西ドイツ、バーデン出身の指揮者であり作曲家。20世紀を代表する指揮者のお一人であり、また作曲家としては後期ドイツ・ロマン派の系譜にあるとされる。けれど、ご本人はその後期ロマン派との呼称に複雑な想いを抱いておられたようでもあります。第一次世界大戦、第二次世界大戦と大きな二つの戦争の時代を生きたお方で、ワーグナー、ベートーヴェン、バッハ、ブラームスの悲劇的生涯の中に問いつめ、悲しみ、哀惜せずにはいられないフルトヴェングラーの芸術家としての危機感、その想いは、生きた時代も国も異なる私にも伝わるような気がします。

 「私たちはもう芸術の中に生きているのではない。単なる傍観者になってしまった」というフルトヴェングラーの嘆き。それはもう後戻りできない科学の進歩の中で、時計の針を戻すような思考ではなく、人間の情、生命、故郷をも忘れてはならないのだという、悲痛なる嘆きに思えます。ある意味、わが国日本に於ける明治の維新が復古でもあったこととも通ずるような。
 ―少なくとも今日のための―基底となるよう、この国の中へ、家々の中に降りてきていただきたい。あがない得た歴史的な展望を、指針として用いるべきであって、支配せんとするために使用してはなりません。芸術作品という不回帰の出来事を、それは直接我々に関する出来事であるゆえに、歴史的な関連と同様に、いやむしろそれ以上に尊敬していただきたいのです。真の偉大さに対する愛、熱狂的な、なんの保留をも付けない献身的な愛情を持つことを、もう一度学んでいただきたい。 
 『音と言葉』 すべて偉大なものは単純である フルトヴェングラー
 一言にしていえば、「美しい心を取り戻す」という事だったかもしれない。この意味で彼はゲーテやトーマス・マンなどとは血縁であり、余り遠く隔たった所にいたのではない。彼の名演奏の秘密の一端はそこにうかがえるような気がする。
芳賀檀 あとがき より

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮、リヒャルト・ワーグナーの『ジークフリート牧歌』です♪


# by Claranomori | 2014-03-21 23:16 | 詩人・作家・画家・芸術家