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あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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<   2013年 05月 ( 3 )   > この月の画像一覧

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★ペニー・スミス(Pennie Smith:1949年生まれ)はイギリスはロンドン出身の女性写真家。詳しくは知らないのですが、私は音楽雑誌のザ・クラッシュやパティ・スミスなどのグラビアで惹きつけられ、この写真家の名を覚えるようになりました。アルバム・ジャケット等も多数手掛けておられ、70年代後半のあの英国でのパンク旋風、ミュージシャンをモノクロームな世界に刻み残された。それ以降現在もご健在です。ザ・クラッシュ、各メンバーのお写真は多数撮られています。昨日、・ザ・クラッシュの『ロンドン・コーリング』のジャケットの思い出を少し作業の合間に日記に記しました。その余韻が今朝も残っているもので、此方にもペニー・スミスの撮ったお気に入りのお写真を数枚掲載させて頂こうと思います。上から、パティ・スミス、デビー・ハリー(デボラ・ハリー)、ジョー・ストラマー、ザ・クラッシュです。その当時を知らないけれど、あの時代に想いを馳せることはできる気がします♪
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by claranomori | 2013-05-11 08:19 | 耽美派少女の愛した音楽
b0106921_14532712.jpg★豊島与志雄は(1890年:明治23年11月27日~1955年:昭和30年6月18日)は、福岡県朝倉生まれの小説家、翻訳家、仏文学者、児童文学者。殊にユゴーの『レ・ミゼラブル』やロマン・ローランの『ジャン・クリストフ』の翻訳家として有名なお方。大正期から作家として活躍していた豊島与志雄は、自然主義やリアリズムや私小説な形式に飽き足らず、実験性に富んだ作風で知られていたが、戦中から「近代説話」と称した説話体に象徴的、或いは神秘的な物語をはめ込む小説話法を試みていた。敗戦後の1946年、一気に鬱積していたものを発散するかのように、毎月「近代説話」の副題の短編を発表してゆく。この『白蛾』はその中の一つで代表作でもあると思います。初出は1946年2月、生活社より刊行。けれど、作家としてだけでは生活できず、教師としても働き、長年困窮生活であったそうです。

『白蛾』は一種の焼け跡小説であり、豊島与志雄ならではの幻想文学でもあると思います。焼け跡の菜園に東京の農村化をみる。村育ちの少年時を中年期の今、焼け跡暮らしに幻視する。比較的空襲の被害の少なかった谷根千(谷中・根津・千駄木)の谷中墓地にまだ五重塔があった(後に放火により焼失)。この五重塔の下で主人公の岸本と美津枝は逢引きをし一夜を過ごす。美津枝は岸本が通勤の折に見かけ惹かれていた女性である。一週間後に再会の約束をするが彼女は現れない。

浅草で空襲に逢い、良人やその両親を失い、自分も危うく死ぬところでしたが、不思議に怪我一つしないで助かり、今は知人の家に間借りして、兵隊として南方に行ったまま消息不明の弟を待っている

美津枝の境遇はこのように語られている。この当時の日本での間借り生活は普通のことで、二家族三家族が雑居生活の家はざらであったのです。待っても現れないので、その彼女の間借りの家を男性は訪ねる。そこの善良そうな老人は語る。

「まったく、籔から棒の話で、私共でも驚きましたよ。もっとも、あのひとは、ここが少し・・・。」
老人は人差し指で額を叩きました。
「少し変でしてね、時々おかしいことがありましたよ。静岡へ行く少し前など、毎日、ひどくおめかしをして出かけましたが、或る晩は、夜更けに戻ってきて、なんだかしくしく泣いているようでした。それが、ふだんは正気なもんで、はたからは何のことやらけじめがつきませんでね。元からあんなじゃなかったんでしょうが、いろいろ不幸が続いたもんですから・・・・・気の毒でしてね。」

この女性は戦災で頭がおかしくなった白痴美のお方で、今の境遇から連れ出してくれる人を毎日五重塔の下で待っていたのです。白蛾は女性の神秘的な比喩としての描写でしょうか。嘗てお世話になったお千代という女性と美津枝が重なり合う幻視的な心模様。戦中戦後の激動の中で生きた人々の姿を想うことが好きな私は、この美津枝さんが好きです。また自責の念に捉われ、さらに美津枝さんをいとおしく思う岸本さんの心も。

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●戦後GHQ占領期日本● 
(昭和21年:1946年2月) 覚え書き

第一次農地改革を実施
軍人恩給停止(53年に復活)
マッカーサーがGHQ民放局に憲法草案の作成を指示
(三原則は象徴天皇、戦争放棄、封建制度の廃止)
天皇陛下の全国巡幸が開始される
タバコ「コロナ(10本入り10円)」が発売
東京宝塚劇場を「アーニーパイル劇場」と改称
玄洋社など45団体に対し、軍国主義・超国家主義として解散命令
東京の山手線でGHQ専用車両の運行開始
公職追放令公布
アメリカ映画「春の序曲」「キュリー夫人」が、戦後はじめて封切られる。
(入場料10円 *邦画は3円)

※日本の歴史に於いて、初めて、唯一の、この7年弱(昭和20年:1945年8月~昭和27年:1952年4月)と云う連合軍(GHQ)による占領下という時代。この時期は検閲も厳しい中、作家たちは貧しい紙に筆を走らせた。その中から得られるものは尊いと思います。「戦後体制」は未だに続いている。脱却するにはやはり当時の事を知りたいのです。戦後68年、決して遠い時代のことではない。その時代を体験している方々もまだまだご健在です。日本の近代史、現代史を学ぶこと無くして、今の鬱積した国内の問題、これからの日本、諸外国との関係などを考察することはできない、そのように感じます。なので、自分の器内で読んだり観たり聞いたりして、考えてゆきたいと思います。
by claranomori | 2013-05-04 15:33 | 愛の花束・日本の抒情
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★久しぶりの私的少女音楽は、ワンダ・サー(WANDA SA)の『ヴァガメンチ(VAGAMENTE)』 。1964年のまだ10代の終りに録音されリリースされたソロ・デビュー・アルバムです。セルジオ・メンデスのブラジル'65のヴォーカリストとしても人気を博していた、ボサノヴァの妖精と愛されていたお方。けれど、エドゥ・ロボとご結婚され一時引退。今は復活され現役として活動されています。ワンダはヴァンダでもあります。決して美声とは云えないけれど、ビブラートのかからない掠れたお声が絶妙なのです。

ワンダ・サーの甘すぎず愛らしいお声が好きです。また、ブラジル音楽やボサノヴァ特有の哀切漂う、サウダージと呼ばれる、ノスタルジーともまた異なる、ポルトガル語の語彙の深さを感じ想うのが好きです。語感、言葉、言語というものは其々のお国にあるもの。それらは大切なものなので、侵略され奪われてしまうという悲劇も起こるけれど、本来保たれるべきものだと想います。日本語がすべて英訳不可能なように(TPP及び英語の公用化反対!っと)。

愛する悲しみ(tristeza de amar)

悲しみよ 飛んで行け
愛する辛さも 飛んで行け
愛する人のいない者は
行く場所がない
人生はずっと
果てしない苦しみの回廊
さあ
旅立ち 苦しみ そして微笑む者のために
悲しみは 愛ゆえだけではないのだから



アルバムタイトルの「ヴァガメンチ」も日本語だと「淡い思い出」という感じで、アルバム全体に漂うもの、それらがサウダージという深いものなのだろうと想います。ただ思い出を懐かしむ、というのでもなく、故郷や家族、友人たちのいる風景へ、郷愁、慈しみ、そして憧れ...そんな心象風景を感じる、ポルトガル語の歌が好きです♪
by Claranomori | 2013-05-02 05:00 | 私的少女音楽★愛しき歌姫