あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

ビアトリクス・ポター:BEATRIX POTTER

b0106921_7371234.jpg
ビアトリクス・ポター(1866年7月28日~1943年12月22日)というと、ピーター・ラビットの作者として今も世界中で親しまれている児童文学・絵本作家。エリザベス・バカンの書いた『素顔のビアトリクス・ポター』という生涯を綴った御本を読み感銘を受けた。子供の頃からピーター・ラビットは知っていたけれど、私はあまり兎が好きではなかった。お友だちや多くの女の子は”うさぎちゃん”が好きだったものなのに...。ちょっと、それには理由がある。私が小学2年生だから8歳頃の学校にて。授業が終わり、いったんお家に帰り仲良しのお友だちと再び学校に遊びに行った。その時の学校の事情などは分からないままだけれど、広い校庭の隅に飼育していた動物たちがいた。そこに兎も。飼育係のおじさんが餌を忘れたのだと皆は言っていたけれど、理由よりもその場のショックは今も甦る...。可愛いと思っていた兎が仲間を食べていたのだった!残酷絵図のその事件は翌日の話題でもあった。私はその場にいたのでその後から大騒動になったそうだけれど、すぐに帰宅して母に伝えた。あの気持ちはどういったものか...泣くこともなく怒ることもなく。動物だし、人間だって殺戮の歴史だ...と今は思えるけれど、あの真っ白な綺麗な兎。にんじんを食べる可愛い兎だと思っていたのに...。高校生の時の修学旅行で信州に行き初めてスキーをさせられた。高所恐怖症の私はリフトに乗って移動する距離が死ぬ程怖かった。中程あたりだったか、雪の中を野兎がぴょんぴょん駆けていた。その様子はずっと描いていたイメージだったので再び”可愛い!”と思えるようになった。約10年間程、苦手な動物だったとは不運にも想う。

そんな訳で、このピーター・ラビットの作家であるビアトリクス・ポターについて、関心を持ち始めたのはその生涯、生き様だった。大好きな英国のヴィクトリア朝時代に少女時代を送っている。大そう裕福な生家でその時代の女子の躾は厳しく、気の合うジョン・エヴァレット・ミレイもいたけれど、年頃の人たちとは一緒に遊ばせてはもらえなかった。使用人も多い大きなお屋敷の中で、家庭教師により学ぶのがその時代の裕福な子供たちの風習。後に、ポターは学校へ行っていなかった事を幸運だったと語っていた。自分の才能を潰されずに済んだというような意味合いのようだった。また、その時代の女性の自立などは以ての外。そんな時代に自分の信念を生涯貫き通した姿に感動する。仲良しの弟と子供の頃から昆虫や動物を観察し愛していた。こっそり、持ち帰ったりしていたという。15歳の頃、誰にも解らない(後に読み返そうとしてもご本人も読めなかった)暗号による秘密の日記を書いている。そこには既に挿絵もあり辛辣な大人に対する不満なども書かれていたという。また、生家が好きではなかったので自立したいという思いは強かったようで、その才能があり生かすことが出来て良かったと思う。結婚後も最期まで円満な夫婦生活と、湖水での動物たちとの牧羊業生活。その頃のポターのお写真を見ると、木靴を履きせっせと土地を耕す姿(古くからの農業のあり方を重んじていた)や、ガールガイズとの微笑ましいものもある。ナショナル・トラストには、遺書により”保護と維持のため”4000エーカー(620万平方メートル!)もの土地が寄付されている。

死の床に横たわる最晩年にポターは語っている。

わたしは《見える目》を持っていることを、感謝します。という意味は、たとえベッドにふせていても、わたしは老いた自分の足ではもう二度と行けない高原やでこぼこ道を、足下の石や花、ぬかるみやワタスゲなどを心の目で見ながら、一歩ずつ歩いていける、ということです。

b0106921_7372924.jpg

77歳の生涯の終焉。愛した自然や動物を浮かべながら死を迎えたポターの穏やかな表情が思い浮かぶかのよう。レニー・ゼルウィガーとユアン・マクレガー再共演の『ミス・ポター』を風邪で見逃してしまった。春頃にレニーのインタビューを読んでいて、映画を観てからビアトリクス・ポターのことを何処かに綴っておきたいと思っていたのだけれど...。DVD化待ち♪
[PR]
by claranomori | 2007-11-08 07:43 | 童話・絵本・挿絵画家