あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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澁澤龍彦「わたしは、ストーリイ・テラーとしての石原氏の才能を買っている」石原慎太郎の文壇登場から57年

わたしは、ストーリイ・テラーとしての石原氏の才能を買っている

by 澁澤龍彦

 ちょっと久しぶりの更新となりました。情けない脆弱な胃腸障害は生まれつきらしくノウハウも得て来たつもりですが、時折どうしようもなく乱調を来たすのです。けれど、質素なお食事でも"美味しい!"と想えることに感謝しています。東日本大震災から一年経た今も、まだまだ仮設住宅での不憫な生活を続けておられる方々が沢山居られるのですから。最近、もう嫌でしかたのない言葉となりそうな"絆"。本来とても好きな言葉であるので複雑な想いながら。共同体や連帯という日本人の嘗てあった美徳は平和ボケの間に薄れてしまい、遂には失われてしまうのだろうか...否、そんなことはない、と希望を捨てることもできない。

 今の同時代を生きる「私の好きな日本人」を想う。どうした訳か、石原慎太郎氏が大好きになってしまったのです。急なことでもないのですが、この平成に入ってからの間に少しずつ気になって行った。私は関西人なので石原慎太郎東京都知事としてよりも、子供の頃の記憶や両親との会話、三島由紀夫や小林秀雄、江藤淳...という文学的な流れの政治家として。政治にはまったく無関心であった私。所謂「ノンポリ」「シラケ世代」「新人類」などと呼称される世代で、殊に私は。弟さんの石原裕次郎はテレビの刑事ドラマのボス役で、山さんとの何とも云えぬ無言の友情のようなものに胸がドキンとしていた。いつの日だったか、母が「裕次郎より慎太郎の方が好きやわ」と、「太陽族」というブームメントの頃のこと、その他なにやらお話してくれた。その当時、石原慎太郎は自民党の国会議員時代で、私は政治家だと知っていたけれど作家でもあることは知らなかった。そんな時代からずっとなにか気になる存在であったのだろう。興味のある人物であり続け次第に好きになって今に至るという感じだろうか。

 思えば文壇デビューの1955年から2012年の今、57年という半世紀以上の年月。デビュー時から石原文学は賛否両論で物議を醸し出し、その後のあの田中角栄全盛時の自民党政府、金権政治と派閥争いの恐るべき世界に、空前の300万票を得て当選した若き文壇からの政治家であった。石原慎太郎は派閥に属することなく、かの"青嵐会(せいらんかい)"と自ら名付けた自民党内、メディアからバッシングされる若きタカ派の同志たちと活動していた。今もアンチ石原が多く言葉の揚げ足を取られてはバッシングされ続ける存在。こんなに叩かれ続け、称賛と批難の現役は戦後の日本で見渡しても石原慎太郎しか居られない。人間、誰でも好き嫌いはあるけれど、私は苦手な人でも部分的な肯定と否定をするように心がけている。ゆえに、右派だの左派だのとはっきりした線引きもできない今の保守や革新云々には大して興味はない。嘗て(戦前)の左派は好きだったりする。そんな人々が喧々諤々と議論し合っていた時代と今は違う。そんな時代を生き、今も気概を持ち続ける石原慎太郎というお方はいったい何だろうとも想う。先日、吉本隆明氏がお亡くなりになった。右でもなく左でもなかったお方だと感じていたけれど、都知事の会見でも認識できたようだった。

 石原慎太郎を軸に文学や映画が連なる。かのジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーにも影響を与えたデビュー作『太陽の季節』や『狂った果実』はヌーヴェル・ヴァーグの先駆とも云われている。何で読んだのか想い出せないけれど、"弟のためなら何本でも脚本を書くよ"というような言葉や、野坂昭如氏との対談の中での、最も大事なものはという流れで野坂氏は「命」と仰った。石原氏は「僕はそこは少し違うんだなあ。時には命より大切なものがあると思う」とその言葉が気になって何十年か経た後、その「時には命よりも大切なもの」とは「自由に裏打ちされた石原慎太郎という人の中にある国家である」のだと今想う。お二人とも昭和一桁生まれで戦後中学生くらい。私の両親とも近い世代ゆえに、戦争には行っていないけれどあの敗北、戦後の焼け野原、GHQ占領下の少年少女たちである。私の世代とは違いすぎる。けれど、世代は継続され繋がり合っていて断ち切ることなどできない。私の甥は石原裕次郎は知らず、石原慎太郎は知っているのです。私の両親の世代、その下の団塊世代、そして私達のシラケ世代、そして今の若き世代。また石原慎太郎が『太陽の季節』を書いた1955年は自民党結党の年でもある。その自民党での勤続25年、その日に自民党と決別された。

 思春期や青春期は大人や社会に対して反抗的な想いを抱くもので、あの戦後の日本の「怒れる若き世代」のような『太陽の季節』と共にセンセーショナルに文壇に登場し、今は政府の閣僚よりも海外からの招待が多いと云われる、日本の首都、石原慎太郎東京都知事である。立川談志師匠の言葉にもあったけれど、総理大臣になってほしいと願う一人です。そして、その国政復帰でまたバッシングは付き纏うでしょうが。57年もの間、第一線で活躍し続ける石原慎太郎。バッシングは山のように存在するようですので、敢えて私は称えることをしたいです。そんなことを想って色々読んだりしていると、新鮮な言葉に多数出会えるのです。石原氏は10代の頃からフランス文学好きで、実存主義哲学に傾倒されていたようで、ご本人の言葉の中にもフランス文学に関することも多く嬉しくなります。

 まあ、書物は今も書き続けて居られ多数あるのでなかなか読破できませんが、気に入ったものを書き留めてゆきたいと想います。上記の澁澤龍彦氏の言葉は、石原慎太郎の『行為と死』の書評より。気になる箇所があるもので再読し、また、もう少し追記いたします。
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by Claranomori | 2012-03-30 11:19 | 想い・鑑賞・読書メモ