時が止まったままの私の想い出の少女 ★ おじいちゃんのことから巡り想い出す裏庭での少女との出会い
2012年 02月 18日
私は真面目な生徒であったと想う。でも何か違っていた。一度も立候補などしたこともないのに、小学二年生から大学に入っても学級委員のような役目を担わされた。高校時代は生徒会の書記なるものまで。生徒会活動はまったく向いていなかった。皆、優等生ばかりで私のようにデヴィッド・ボウイやルキノ・ヴィスコンティ映画、シャーロット・ランプリングの美しさを大真面目で友人たちに語る者の居場所ではないと強く感じた。早く学期が変わり他の係りに移りたいと想いながらの10年強。けれど、その中で学んだことも多いのだと想う。出来るだけ自分たちのクラスをまとめたいと想っていた。意地悪をする人を無視できなくて、ある男子に泣かされたこともある。懐かしい風景が色々浮かぶ。
好きで楽しくその係りを務めたのは図書係と保健係だった。最初の図書係は小学四年生。あの図書カードを整理したり本棚の整理など最高に楽しかった。読んだことのない本たちがいっぱいあり、その背を眺めているだけでも楽しかった。保健係は中学三年生の頃に務めただけ。でも下級生の女子や男子の手足の傷を消毒してお薬を塗る。バンドエイドか軽い包帯までだったけれど。保健室は馴染みのある場所であった。元来、貧血症の私は朝がとっても苦手で朝礼、それも日差しの強い季節の朝礼は辛かった。後半になると一人、二人...と保健室に向かう人たちがいた。私もその一人で常連でもあった。保健の先生は女性で「また、倒れたか」と半ば呆れながらも笑顔で迎えてくださり、いつの間にか仲良くなっていた。
初めての保健室の想い出はちょっと不思議。小学三年生だった。参観日で母の父兄の会が終わるまで学校の裏庭で待っていた。本物ではないと想うけれど、ロダンの「考える人」の像や池のある場所で母を待っていた。いつも一緒に帰るお友達はその時は先に帰っていたのか私は一人だった。すると、一年生の女の子がお腹を出しながら泣いて歩いてくる。「痛い、痛い」とお腹をさすっていた。名札を見ると小学一年生。まだ入学して間もない小さな少女だった。私は一年生の校舎が何処かも分からず、その少女が何処から歩いて来たのかも分からなかった。その少女も学校内で迷ったようで一人で泣いている。先ず、近くにあった職員用のおトイレを勝手に使わせて頂くことにしてその少女を待った。まだ痛みは治まらず泣いている。そして、職員室に一緒に行き、保健室で手当をして頂き、私は母と帰宅した。その少女との時間がどのくらいだったのだろう。今も憶えているのは、その少女の小さな手である。ついこの間まで幼稚園に通っていた女の子。生意気にも小学三年生の私なのに結構冷静であったように想う。ただ、その少女の小さな泣いている姿、小さくて柔らかい手を繋いだ時に想ったあの気持ちは「かわいい」だった。変な意味では無くて「愛おしい」のだった。何故かまた涙が溢れます。偉そうに云っても、私の手だってまだ小さかったのに、もっともっと優しく無垢な手だった。あの髪の短い小さな少女の名前は覚えていないけれど、あの可愛い手はいつまでも私の心に刻まれている。時が止まったままの私の想い出の少女の一人である。




































































































































































































































