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あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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『芸術鑑賞』 著:岡倉天心 ★ 『茶の本』 明治39年(1906年) より

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『茶の本』 著:岡倉覚三 (岡倉天心) 
訳:村岡博 岩波文庫


★明治の文人にして思想家の岡倉天心(文久2年12月26日(1863年2月14日)~大正2年(1913年9月2日)と云えばやはりこの『茶の本』で、私は岩波文庫版で読みましたが、他社からも多数新訳なども発売されています。元々『茶の本』は明治39年(1906年)に『THE BOOK OF TEA』として英文で書かれたもので、当時、岡倉天心(本名:岡倉覚三)がボストン美術館の東洋部顧問時代にニューヨークでの出版が初出で、以下の七章からなる名著です。



第一章 こころの茶
第二章 茶の流れ
第三章 道家思想と禅
第四章 茶室
第五章 芸術鑑賞
第六章 花
第七章 茶の宗匠

★幕末以降、日本の浮世絵などがヨーロッパで流行し、印象派にも多大な影響を与えジャポニスムと讃えられた。けれど、日本の美を理解されたことではなく、東洋的な魅力(オリエンタリズム)として持て囃されたというもの。そこで、岡倉天心は「茶」を商品としてではなく「美」として「文化」として西洋に向けて主張したのが『茶の本』である。

いつになったら西洋が東洋を了解するであろう、いな、了解しようと努めるであろう

このような言葉を残した岡倉天心は、「茶」を美的表象として唱えることで、血なまぐさい戦争や資本主義の闘争の世界の中で、「茶」の一服の静謐さ、喧噪の外へ心性としての美を「茶」が果たすという、日本及び東洋の「茶」に於ける思想を美的表象として語ったものが『茶の本』であろうと想う。中でも「第五章 芸術鑑賞」が個人的に印象強く残ったもので、「琴ならし」の挿話があり、誰が奏でても不調和な音しか出ない不思議な琴を、伯牙なる名手が手にすると、天地を揺るがすような美しい調べを奏でた。その理由を聞く皇帝に伯牙はこう答える。

陛下、他の人々は自己の事ばかり歌ったから失敗したのであります。私は琴にその楽想を選ぶことを任せて、琴が伯牙か、伯牙が琴か、ほんとうに自分でもわかりませんでした。

この物語は芸術鑑賞の極意をよく説明している。傑作というものはわれわれの心琴にかなでる一種の交響楽である。真の芸術は伯牙であり、われわれは竜門の琴である。美の霊手に触れる時、わが心琴の神秘の弦は目ざめ、われわれはこれに呼応して振動し、肉をおどらせ血をわかす。心は心と語る。無言のものに耳を傾け、見えないものを凝視する。名匠はわれわれの知らぬ調べを呼び起こす。長く忘れていた追憶はすべて新しい意味をもってかえって来る。恐怖におさえられていた希望や、認める勇気のなかった憧憬が、栄えばえと現われて来る。わが心は画家の絵の具を塗る画布である。その色素はわれわれの感情である。その濃淡の配合は、喜びの光であり悲しみの影である。われわれは傑作によって存するごとく、傑作はわれわれによって存する。

『茶の本』 第五章 芸術鑑賞 より

東洋の独特の宗教感を帯びた美学である。主体はないのです。それは美しい。そして、この岡倉天心の『茶の本』から100年以上経た今も、天心の云う所の西洋が東洋を了解するには至っていないのではないかと想えます。また、仏教、道教、儒教と云った東洋の教えがあるように、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、ユダヤ教...と共に生きる世界中の人々がいる。了解しようと努力し合えることが出来れば闘争も緩和されると期待したいけれど、そんな容易いことでは世界の乱世は治まらない、私利私欲の歴史であるのだから。「一服の茶」の心は今の日本人にもあるはずだと想うけれど、新自由主義へ突き進もうとするのなら、ますます日本の美、日本の心は解体へと向かわざるを得ないのだと、憂国の想いに包まれてしまいます。やはり、嘗ての日本人たちは気高かったと想います。

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by claranomori | 2012-02-14 14:28 | 愛の花束・日本の抒情・文学