あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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『ぼくのさよなら史』 作:阿久悠 ★ 『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』 作:竹内整一 より

b0106921_2315594.jpg★『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』という竹内整一氏による著書(ちくま新書)を昨年読み、たいそう感動いたしました。引用されている作家の言葉や作品に好きなものが多いのも嬉しく感じながら、またまったく知らない作家の言葉にも考えさせられ、やはり新書好きもやめられないと想いました。覚え書きとして留めておきたい箇所を幾つか。

先ず、「はじめに」という序文から一気に惹きつけられたのですが、それは昭和の歌謡曲史に多大なる功績を残してくださった作詞家、作家の阿久悠氏の言葉を引用されていた、その言葉が私の心に強く響いたのです。

「さよならは有能で雄弁な教師であった」
「人間はたぶん、さよなら史がどれくらいぶ厚いかによって、いい人生かどうかが決まる」


生活の中で、もう少し大仰にいって人生の中で、別れということに無自覚なら、感性をヒリヒリ磨くことも、感傷をジワッと広げることも、それに耐えることも出来ない。

人間の心というのは、いつも少し湿りけを帯びていなければならないのに、カラカラに乾かしていては味気ない。心に噴霧器で水分を与えるには、切なさや、哀しさや、寂しさの自覚が不可欠である。(中略)人の心にはさよならによって湿りが加わるのである。

阿久悠 『ぼくのさよなら史』 より

この阿久悠氏の言葉は、「さよなら」が孕んでいる重い意味を語っているものであり、同時に、時代に対する危機認識が阿久悠氏の根底にあり、なぜ「さよなら」を云わなくなったのか、それは「別れ」を自覚することもなくなったという現代人の悲劇を問うているようです。

そして、著者の竹内整一氏は、『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』、なぜ、日本人は別れに際して「さようなら」と云ってきたのかと考察してゆくのです。私は今でも「さようなら」と会話の中で使っていることにも気づきました。「バイバイ」と気楽に別れのことばにすることもあれば、「それではまた」とかメール等では使うことも。けれど、子供の頃から、日常会話の中、学校の中で、例えば「先生、さようなら」とまた明日お会いするけれど、今日のお別れのご挨拶として何の抵抗もなく自然と云ってきた。でも、私の感覚は大いにして世間とズレていることも多々あるので、阿久悠氏の嘆きの如く、いつの間にか次第に「さようなら」は死語へと進んでいるのだろうか。そうであるならば、やはり寂しい。この阿久悠氏の『ぼくのさよなら史』は晩年に、『ミセス』に掲載されたコラム、エッセイのようです。私は阿久悠著作をまだ3冊しか読んだことがなく、この『ぼくのさよなら史』が後に、エッセイ集として纏められた作品が刊行されているのかも知らないので、ご存知のお方が居られましたら教えて頂きたいです。

★子供の頃から、「この曲の歌詞が好きだなあ」と想うと、その作詞家は阿久悠(1937年2月7日~2007年8月1日)であることが多かった。そんな私の幼き頃の阿久悠作詞の曲と云うと、桜田淳子であり沢田研二だと想う。永遠のアイドルである郷ひろみの阿久悠作詞の曲なら『いつも心に太陽を』が好き。でも郷ひろみは岩谷時子や阿木燿子の作詞曲に好きな曲が多いです。また、阿久悠氏は小説も書かれており、『瀬戸内少年野球団』は篠田正浩監督により映画化もされました。お美しい夏目雅子さんが主演の中井駒子を演じており、その夫の傷痍軍人、中井正夫役は郷ひろみで片足が不自由な役でした。郷ひろみは凛たる軍人役を他の作品でも演じており、それらの姿はやはり毅然たる軍人の美の姿として脳裡に焼きついています。死にゆく役ばかりだったと想います。そうしたことも、この御本を読みながら少女の頃の記憶や想いが色々と蘇り繋がり合い、今も考えています。次ももう少し、この『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』のことを続けたいと想います。
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by claranomori | 2012-01-11 00:49 | 愛の花束・日本の抒情