『影法師 ドッペルゲンガー』 詩:ハインリヒ・ハイネ★『影の病い』 著:河合隼雄 『無意識の構造』より
2010年 09月 12日
ドイツのハインリヒ・ハイネの詩もまた大好き。現在のデュッセルドルフ生まれなので、プロイセン王国という時代に生きパリに移住し永眠された。ハイネの詩には好きなものが多いので追々に。新書好きという全く乙女度低しの私は河合隼雄氏(臨床心理学者でもある)の『無意識の構造』を以前読み、その中にハイネの詩『ドッペルゲンガー』 に触れた章が強く印象に残っていた。久しぶりに再読し、やはり気に入っているので記しておこうと思う。その章は『影』の中の『影の病い』と題されたもの。日本でも江戸時代に「影のわずらい」とか「影の病い」と呼ばれていたものがあり、「離魂病」とも言われる、人間の魂がその身体を離れ漂泊するという考えによる、影の遊離現象だという。ドイツの民間伝承に「ドッペルゲンガー」というのがあり、自分自身とまったくそっくりの人間に出会うという体験を指している。これは「影の病い」と同意だと考えてよいようだ。
静けき夜 巷は眠る
この家に 我が恋人は かつて
住み居たりし
彼の人はこの街すでに去りませど
そが家はいまもここに残りたり
一人の男 そこに立ち
高きを見やり
手は大いなる苦悩と闘うと見ゆ
その姿見て 我が心おののきたり
月影の照らすは
我が 己の姿
汝 我が分身よ 青ざめし男よ
などて 汝 去りし日の
幾夜をここに 悩み過せし
わが悩み まねびかえすや
訳:遠山一行
フランツ・シューベルトの歌曲(リート)『白鳥の歌 第13曲』の『影法師(ドッペルゲンガー)』としても有名で、ハインリヒ・ハイネの『歌の本』の詩の一つ。嘗ての恋人の家の前に立ち苦悩している男性。その姿を月影の中に見た時、実はそれは自分自身、もう一人の自分であったという驚きと恐れ。自分は恋人をあきらめ、決心してそこを立ち去ったつもりだったのに、もう一人の自分はずっとそこに立ちつくしていた。河合隼雄氏は、このハイネの詩と「ドッペルゲンガー(二重身)」の現象と、ドイツ・ロマン派のE.T.A.ホフマン(エルンスト・テーオドール・アマデウス・ホフマン)の『悪魔の美酒(霊液)』、ドストエフスキーの『二重人格』、スティーヴンソンの『ジキル博士とハイド氏』なども挙げている。どれも好きな作品たちである。また、このような「影」の存在は子供の頃からなんとなく好きで、よく自分の影を追ったりして遊んでいた光景が浮かんで来たりもする。
(追記)
※「新書」を好む読者の大多数は男性だという。実は、私の本棚にはその「新書」が結構固まって並んでいるのです。乙女本ばかりが並ぶ本棚だと良いのだけれど、ニーチェ好きだし、理解不能な難解な書物もなぜか同居しています。10代の頃から紀伊国屋書店に行くのが好きで、入ると先ず向かう先は海外文学コーナー。装丁の美しい単行本はお小遣いではなかなか買えないので文庫という時代。その文庫コーナーで一等好きだったのは「岩波文庫」。今は各文庫デザインも随分と変容していますが、当時から今もやはり「岩波文庫」に愛着があります。「新書」が好きになったのはもう少し後で、白水社の「白水Uブックス」の虜になって行った頃からだと想います。やはり読書が好きなので、忘れてしまうことが多いので偏っておりますが、これからも好きな文学作品や作家のことも綴ってゆこうと想います♪