★タマーラ・プラトーノヴナ・カルサヴィナ (Tamara Platonovna Karsavina:1885年3月10日~1978年5月26日)は、バレエ・リュス(ディアギレフ・バレエ団)の代表的なバレリーナ。タマーラ・カルサヴィナはロシアのペテルブルグに生まれ、父はプラトン・カルサヴィン(帝室バレエ団の舞踊家であり帝室バレエ学校の教師)、祖父は俳優で脚本家であったので三代目の劇場人(舞台人)でもある。8歳頃からタマーラの才能を見抜いていた母親、父親も驚き、帝室バレエ学校へ入学し優秀な成績で卒業。コリフェとしてマリインスキー劇場バレエ団の一員となり1902年にデビュー。そのデビューでの相手役はミハイル・フォーキンで『ジャヴォット』の最終幕に挿入された『漁夫と真珠』であった。デビューの成功後も数多くの舞台に出演。1906年頃、男性のクラスに出ていたタマーラは後の相手役となる世紀のニジンスキーと出会う。ニジンスキーと最初に組んだのはある舞台稽古のような特別公演のためのパ・ド・ドゥであった。その時、三年先輩のアンナ・パヴロワによる思わぬ悪罵と衣装のハプニングにより涙にくれたというエピソードも残されている。
そうして、1909年のディアギレフ・バレエ団の第一回パリ公演。有名なニジンスキーとの『火の鳥』。この『火の鳥』はディアギレフが急遽『青い鳥』の男女の役割を入れ替えたもので、青い鳥と王女が、火の鳥と王子として踊られたというエピソードも大好き。タマーラ・カルサヴィナというと『火の鳥』『薔薇の精』『カルナヴァル』『ジゼル』『ペトルウシュカ』...と多数挙がる。殊に『ジゼル」はフランス・バレエながら50年近く上演されていなかったという。バレエ・リュス(ディアギレフ・バレエ団)によって、このロマンティック期の名作が息を吹き返したというのも感動的!その『ジゼル』の相手役もニジンスキーである。
タマーラは1917年に祖国を離れ英国の外交官ヘンリー・ジェームズ・ブルースと結婚。1978年5月26日、93歳のタマーラはロンドン郊外で静かに息を引きとった。イギリス王立舞踊アカデミーの設立、英国バレエの確立に大きく貢献されたお方でもある。バレエ・リュス(ディアギレフ・バレエ団)というと、やはりニジンスキーの世界的人気があるので二の次的な存在となりがちながら、私にはタマーラ・カルサヴィナは欠かせないお方。セルゲイ・ディアギレフのミューズであったとさえ想う。ディアギレフ・バレエの1909年の第一回公演から1929年の最後の公演(ロンドンで)まで数多く出演された。革命以前のダンサーの生活が窺われる自伝『劇場通り』も残されている。