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あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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追悼★小林繁さんの訃報に号泣。そして巡るは父との想い出。さらに、浅川マキさんの死まで...

追悼★小林繁さんの訃報に号泣。そして巡るは父との想い出。さらに、浅川マキさんの死まで..._b0106921_2114938.jpg
★小林繁さんが17日に急死されたというニュースを知る。心筋梗塞であったそうだ。そして、江川卓さんの悲痛な言葉を聞く...30年にも前になるあの電撃的なトレードのこと(「空白の一日」と呼ばれている事件)は、お二人の心の中でずっと消えないものだったという。当人方にしかその心の痛みは分りはしない。私は昨日から今日も何も集中できず泣き止んではまた泣いていた。父との想い出も付随して蘇るからでもあった。

今日の記事は私の少女時代のこと。小林繁さんがジャイアンツからタイガースに移籍された。その時の私はまだ子供で「空白の一日」と今も語り継がれる前代未聞の事件のことはうる覚え。ただ、あの時の私は江川さんの印象が良くなかった。今はこれからも背負って生きてゆかれるのだと思うと気の毒な思いである。選手に責任はないと思えるから。でも、あの時に「野球が好きだから、阪神にお世話になります」という潔い姿勢はスポーツマン精神の表れだと思う。その時に拒否する権限もあったそうだ。

私の父は若き日から巨人(読売ジャイアンツ)のファンで、とりわけ長嶋茂雄さんは父のヒーローのようだった。父が大好きな私は父の好きな巨人の応援を何も知らないうちにしていた。小学生の時の担任の先生も巨人ファンで、ある日「巨人ファンの人は手を上げて下さい」とにこやかに仰った。私は手を上げた。兵庫なのでクラスの多くは阪神ファンの人たちだった。ところが、小林さんが阪神に移籍となったその日から、私はいとも簡単に阪神ファンになってしまった。長嶋さんはその頃監督で巨人が優勝された年も小林さんは大活躍だったのだ。背番号19番。細い体つきでサイドスローの投手。投げた後は帽子が吹っ飛ぶあの姿をしっかり覚えている。私はミーハーゆえに野球の専門的なことなど何も知らない。けれど、あんなに野球を必死で観戦していた時期はあの頃しかない。その時期は正しく私の少女時代である。弟は入退院を繰り返しながらもリトルリーグという地域の少年野球クラブに入っていた。私より先に自らの意思で阪神ファンとなっていた。母は私以上に野球のルールもよく分かっていないようだったけれど、阪神を応援していた。なので、家族内での五分五分で巨人対阪神という試合はとっても楽しいものだった。家族そろってブラウン管に向かっていたあの頃が懐かしい。

父は私の変わり目の早さに呆れていた。でも、父は巨人の次に応援するチームは阪神だったのだ。なのでアンチではなかった。そして、高校野球も必ず観ていた。「どこを応援してるの?」と訊くと、「どこでもない。負けてる方を応援している」と。そんな父が大好きだった!寂しい想い出は、日曜日の休日になると、よく父と弟は家の前でキャッチボールをしていた。私は傍でなんとなく弟を羨ましく見ていた。すると、優しい父は弟のグローブを借りて私が父の投げるボールを受けるという機会を与えてくれた。二人はテンポ良く続けていたので、私はあのボールが上手にキャッチ出来るだろうか(キャッチしたい!)という思いだった。何球かは上手くキャッチできなかったけれど、グローブに父の投げたボールがあった時、とっても嬉しかった。父は私には下から軽く投げてくれていた。また、弟も優しいから「お姉ちゃん、頑張れ!」って云ってくれた。何故だか、そんな遠い日の想い出たちが蘇り、今も上手く自分の気持ちが綴れないけれど、ただ悲しい。

私は熱狂的な野球ファンではないけれど、「好きなチームは?」と尋ねられたなら「タイガース」と答えている。そして、あの70年代の終わりから80年代半ば頃は野球観戦が楽しくてしかたのない頃だった。弟は今も大のタイガース・ファン。けれど、二人の甥はどちらも野球にあまり興味がない。でも、甲子園に何度も行っている。上の甥はオマリー(コーチ時代)に頭を撫でてもらったのだそうだ。甥よりも弟の方が大喜びして帰って来た。

現監督の真弓さんとも小林さんは仲が良かったという。真弓さんも私は阪神に入団されてからずっと好きだった。ホームランを打てる一番打者でハンサムだし。私も長嶋さんや王さんが好き。でも、阪神の次に好きなチームは広島カープだった。川口さんや大野さん、山本浩二さんに衣笠さん、そして前田さんとかスター性がありかつ実力のある方々が多く居た。今も居られるのだろうけれど、テレビを観なくなったしなにか私の中では違う感じ。やはり「昭和」が好き。そして、こうして私の好きな人たちがお亡くなりになってゆく。昭和のヒーローやスターたちが。そして、今日18日に追い討ちをかけるような訃報。浅川マキさんが心不全でお亡くなりになられたというニュース。浅川マキさんとは幾度かお会いさせて頂いたことがある。ご一緒にカレーライスを食べたり、頂いたご本なども大切にしている。あの不思議なマキさんに「あなたは変な女ね」と云われてしまい「そうですか?」と自分ではまともなつもりなので複雑な思いながら笑ってしまった。もう少し東京に居られたなら...と残してきたものを悔恨する。けれど、両親が倒れ、精神的にも限界だったこともあり関西に戻って今に至る。

マキさんとの事は上手く今は語れない。いつの春にか...。

小林繁さん、浅川マキさんの連日の訃報はまだ信じられないけれど、御冥福をお祈りしています。そして、ありがとうございました。
by claranomori | 2010-01-18 20:33 | 想い・鑑賞・読書メモ