あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

タグ:19世紀末 ( 41 ) タグの人気記事

この記事はブログのファンのみ閲覧できます

[PR]
by Claranomori | 2015-07-07 21:31 | わが麗しの夢幻音楽の旅
b0106921_211659.jpg

 「悠久の時の流れ」を想うことが好きです。その中で幾つもの戦争があり今日も。そんな時の中で技術革新は続けられ、それらの影響は経済産業や人々の生活は勿論、芸術への影響もとても大きいです。ただただ経済優先のグローバル化に懸念を感じながらも、ひとつの時代の転換期、変革には様々な人々の尽力と同時に、変わりゆく時代との鬩ぎ合いに様々な想いもある。それらはそれぞれの思想ともなる。

 オリンピックには世界中の方々が観戦に開催地に赴く。また報道関係の人々も写真や映像を記録し本国へいち早く届ける。想い出にと観戦者もカメラやビデオに記録する。2020年は東京で開催されるのですから時差が無いのですね。オリンピックの折はついつい時差ゆえに、朝晩逆転しながら好きな競技をテレビで観戦していたので新鮮な感じです。

 19世紀末から20世紀初頭の写真史は、ピクトリアリズムと呼ばれる手法からモダニズムへと移行する転換期で、上のお写真はピクトリアリズム手法の1903年のもの。画面をぼかした絵画的理論から写真を追求していたような。このやわらかで美しい少女写真が私はとても好きです。写真表現の追及も美学であることをも再認識します。

空気遠近法を意識し、実際に肉眼に見えるように、近景にコントラストのはっきりしたものを置き、遠景を曖昧にする。地平線の位置などを厳密に合わせたうえで、表現のために風景写真に雲などを合成する。過剰な細部を省略して表現したいモティーフや感情を表そうとする。 
引用:wikipediaより

 けれど、モダニズムの台頭期に伴いピクトリアリズムは退潮。そこで下のお写真はコダック・カメラを手に喜ばしそうな乙女。これはこれで素敵だなあ、と想えます。何か時代が変わろうとする折、人々の心は揺れ動く。時代に必死で抗う人々もいれば、新しい時代を信じて前進しようとする人々。そうして世界は動き歴史は流れ続ける。物事の賛否はあれど、出来るだけ大局的に歴史的時間の流れ、背景に学びながら、今という時を生きてゆきたいと想います☆

b0106921_2112557.jpg

[PR]
by Claranomori | 2013-09-14 02:11 | 写真の中の少女・夢の時間
b0106921_4135294.jpg

★フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh:1853年3月30日~1890年7月29日)。ゴッホはオランダ出身の後期印象派の画家で、死期迫る中でも描き続けたお方です。ゴッホの作品は幾つかの時期に分けられるようですが、この19世紀末の最晩年、1890年の『花咲くアーモンドの枝』はとても好きな絵画です。アーモンドのお花を知ったのもこのゴッホの絵からでした。桜にも似たバラ科の一種です。ゴッホは精神的病に侵されながら、極度の困窮の中でも描き続けて亡くなりました。どんな想いがこの絵に託されているのだろう...と百数十年以上も前の絵を眺め想います。この絵にはジャポニスム(ジャポニズム)の影響も濃く感じられます。当時のヨーロッパに影響を与えた日本文化を外国の作品から感じることができる、そんな世界に遭遇すると何故か嬉しくなります。

b0106921_4141975.jpg

[PR]
by Claranomori | 2013-06-02 04:09 | 19世紀★憂愁のロマンと美
b0106921_0544095.jpg
★日々世相は暗いけれど、色々なニュースから考えさせられる事も多い。素朴な疑問が過ぎるけれど、よく分からない事について安易に二者択一の返答は出来ない。なので、私なりに調べたり考えたりしている、そんな今日この頃。手許にある限られた資料やネット検索などを利用させて頂き、以前から興味があり読んだりしていた事柄を、今は日本の社会事象から新たな想いを抱きながら読み返す作業をしています。そんな中再会した一つが、19世紀のヴィクトリア朝時代の英国のガヴァネスのこと。以前、(『ガヴァネス』 ヴィクトリア朝時代の女性家庭教師たち)という記事を書いた折に疑問であった事柄が少し解けたようで、日々、学びであることを実感し感謝しています。

ガヴァネスとは「女性家庭教師」ですが、住み込みのガヴァネスの場合、その雇い主には召使たちも居る。身分的にはガヴァネスの方が上ながらもどうも曖昧で矛盾を孕んだ状況であった。その前後に興味深い「飢餓の40年代」と云われた10年間の不況があった。生活の場を植民地へ求めたり、婚期を遅らせる独身男性が増え、結婚の機会を逃す女性も続出。そこに、下層社会から、教育を身に付け社会的地位を目指し、ガヴァネスのポストをねらう女性も続出。そして競争が激しくなり零落のガヴァネスも年々増えて行ったようです。

上の絵は19世紀英国の画家、リチャード・レッドグレイヴ(Richard Redgrave:1804年4月30日~1888年12月14日)による『憐れな教師』(1843年)。興隆する中流階級の家でのガヴァネスの曖昧な地位は孤独であったことを示唆している美しい絵画だと想います。召使たちより身分もお給料も上で、時には召使に命じる立場でもあるガヴァネスながら、召使からの反感や僻みも受け、精神的重圧も起こるという歪んだ逆現象。そんなガヴァネスの孤独は、真っ黒な地味な服装、手にした手紙、寂しげな表情、陽気な家族たちとの対比を陰翳濃く描かれています。また、ピアノの楽譜は「ホーム・スウィート・ホーム」なのだそうです。

ガヴァネスの存在が、1840年代から社会的にも文学的にも注目を浴びるようになったのは、「レディ」の孤独がこのような社会的矛盾を抱えていたからであろう、と腑に落ちるのでした。

More
[PR]
by claranomori | 2013-02-22 23:49 | 絵画の中の少女・女性たち
b0106921_12883.jpg

★目まぐるしく政局が動く中、風邪が悪化したり回復したり、というここ一か月。とっても久しぶりの更新となります。気にかけてくださっている皆様に感謝しております。いつもありがとうございます。パソコンのフォルダーを整理していると素敵なお写真に再会できました。その中の一枚から1960年代のロベール・ローラン或いはロバート・ローランによる『帽子と手』と題された作品。このお方について詳しく知らないのですが、とても美しいモノクロームなお写真です。

19世紀に写真術の発明。絵画をモデルに写真作品へと。それはロマン主義であったり自然主義であったり、絵画主義的写真の流れの19世紀。そして、19世紀から20世紀にかけて変容をみせることになる。造形芸術の領域での数多の「イズム」の登場に興味があります。未来派、キュビズム、シュプレマティズム、ダダ、表現主義、構成主義、ヴェリズム、プロウン、抽象主義、他。すべてはモダニズムであり、レオナルド・ダ・ヴィンチの「絵画の手綱であり舵である」という遠近法。その遠近法を超える試みが写真芸術の中に見ることができるようで愉しい夢の時間です。

個人的には絵画の方が写真よりも好きなのですが、音楽や映画、そしてファッションとどれも密接な関係にある芸術なので、やはり写真にも興味を抱かないわけにはゆかないようです。

b0106921_282572.jpg

[PR]
by Claranomori | 2012-12-05 01:07 | 詩人・作家・画家・芸術家
b0106921_1244065.jpg

★ロンドン・オリンピックもいよいよ終盤となりました。四年に一度のオリンピックがやはり好きなので睡眠不足が続いております。昨年より今年の夏はさらに猛暑でもあり熱中症寸前の日もありましたが、どうにか過ごしております。ロンドンは好きな世界都市の一つなので、今日は英国の美のことを。私は英国というとどうしても19世紀末のラファエル前派が欠かせない程大好きです。もっとも美術館や画廊巡りをしたのは80年代なのですが、ラファエル前派関連の展覧会にも幾度か行きましたことも懐かしい想い出として残っています。

ラファエル前派とは、イタリア・ルネッサンスの巨匠ラファエロ以前の自然に忠実な絵画精神を目指し、1848年に結成された絵画運動で、形骸化しつつあったイギリス画壇に大きな影響を与える。同派は1860年代以降、新たな開花を遂げ、ロセッティやバーン=ジョーンズ等の傑作はヨーロッパのみならず、遠くわが国日本の明治浪漫主義の芸術家にも多大な影響を及ぼすことになる。とりわけ後期を中心とするラファエル前派は、世紀末美術の源泉としてその意義が重視される、20世紀末に10代であった私の心と40代の今の心は変わらないものもあれば、今日的意義という点に於いてますます興味深い絵画運動であると想っています。

知人が私を「文化保守的タイプ」とおっしゃった。政治的、経済的なことは疎くもっと勉強したいと想っていますが、文化や伝統を保守することは右左、イデオロギー云々以前に、いつしか私の中でごく自然なことのように思えるのです。けれど、古ければ全て良し、とも思わない。そして新しいことが全て良いとも。人それぞれの感性は異なり、時代も変動する中で、やはり守るべきものは国柄ということではないでしょうか。この19世紀の英国の絵画運動は正しく英国という古い歴史と伝統を持つお国としての保守運動であったとも想います。そして、この混迷する混沌化する日本に於いて、私は日本人として守るべきものは「日本の美」であり「日本人の美徳」であると想います。難しいことは分かりませんが、芸術も政治も切り離すことは出来はしないという中で、私の心が求めるものへ、ただ素直に赴き、時に闇をも見据えなければならなくとも対峙する中で得られる尊いもの、それが精神的な崇高なる美に繋がると想いますので、これからも向かい合い、我流の異端であれど私らしく生きてゆきたいと想います♪
b0106921_124216.jpg

[PR]
by Claranomori | 2012-08-08 11:55 | 19世紀★憂愁のロマンと美
b0106921_5122773.jpg
★オーブリー・ヴィンセント・ビアズリー(Aubrey Vincent Beardsley:1872年8月21日~1898年3月16日)は、イギリスの挿絵画家(イラストレーター)であり詩人。英国ヴィクトリア朝の世紀末美術のイコンでもある。繊細な線描はこの細長い指先で描かれていたのかと19世紀末に夢を馳せます。黒の美学を愛するようになり30年を過ぎていますが、私の最も好きな色はやはり今も黒。またそろそろ知人の冊子に寄稿するために拙い想いを巡っているので、暫くそんな題材が多くなるかと想いますが、その日の気分にまかせて。
b0106921_5204412.jpg
オーブリー・ビアズリーのデビュー作は、1893年から1894年にかけて制作された、トマス・マロリー作『アーサー王の死』の挿絵及び装飾デザインとされている。まだこの頃はエドワード・バーン=ジョーンズやラファエル前派の影響が窺える、中世ロマンチシズム漂うものでファンタジックである。しかし、オスカー・ワイルドはこの頃のビアズリーのジャポニスムの雰囲気を嫌ったそうで、ワイルドの『サロメ』(1894年)の挿絵ではかなり印象が変わる。けれど黒と白、または線と面という構造はやはりビアズリーの美学に他ならないでしょう。『アーサー王の死』の挿絵はウィリアム・モリスとの剽窃論争も起こったとされ、先輩方から方々での批判が飛び交っていたようです。ワイルドの『サロメ』以降僅か4年間ながら社交界を席捲していたオーブリー・ビアズリーという名。しかし、学生時代から肺を患い病に伏しがちであったビアズリーは、結核により25歳の若さで息絶える。その夭逝はやはり惜しまれます。

肺病患者はきまって熱烈な、熱病のような才能の輝きを持っているものだ―本能的にそれが自分の悲しむべき分け前のであると知っている短い時間に出きるだけ沢山の人生を吸収しようと焦って。可哀そうなオーブリー! 彼は悲劇の人物だった。まるで神々がこう宣言したようなものだ―あと四年だけお前に与えよう。 だが、その四年の間にお前は他の人間が四〇年かけて学ぶことを経験するのだ。

これはビアズリーと同い年であった画家ウィリアム・ローセンスタイン(ウィリアム・ローセンシュタイン)の『回想の人々』の中の言葉です。ウィリアム・ローセンスタインによってビアズリーは日本の浮世絵や枕絵などの版画を知ったとされています。この19世紀末、英国のヴィクトリア朝時代の交流劇は私にとって夢のような絵巻でもあり英国の栄華なる時代です。
[PR]
by claranomori | 2012-02-22 04:51 | 19世紀★憂愁のロマンと美
b0106921_013922.jpg

わたしのとても好きなものは、おぼろげなもの、ほのかな音と色、
すべてうちふるえ、波打ち、おののき、玉虫色に光るもの、
髪の毛と眼ざし、水、木の葉、薄絹、
ほっそりとしたものの生けるごときたたずまい。

詩:アルベール・サマン 『好きなもの』より 訳:内藤濯

★19世紀フランスの詩人、アルベール・サマン(Albert Samain:1858年4月3日~1900年8月18日)の詩です。この詩を読んでから随分年月が経ちましたが、今もやはり共鳴する私です。絵は、アルベール・サマンと同じ時代のフランスを生きた、印象派の画家ピエール=オーギュスト・ルノワールの1886年の名画『読書をする少女』を何となく一緒に並べさせて頂きました。印象派、19世紀末、フランス、淡くほのかな音と色...私の好きなものでもありますので、心が安堵します。
[PR]
by claranomori | 2012-01-05 23:48 | 19世紀★憂愁のロマンと美
b0106921_11202118.jpg

★『白のシンフォニーNo.2 白衣の少女』或いは『団扇を持った白い服の娘』或いは『白い少女』と題された、ジェームズ・マクニール・ホイッスラーの「白のシンフォニー」の第二作で1864年の作品。ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー(James Abbott McNeill Whistler:1834年7月10日~1903年7月17日)は、19世紀末を代表するアメリカ人の画家ながら、パリで美術を学び、画家としては大半をロンドンで過ごしているので英国画家であるとも思います。この絵画はテート・ギャラリーに所蔵され、ラファエル前派の動きとも呼応します(ラスキンとの論争も長きに渡る)。けれど、美術史の中の位置づけは印象派及び印象主義、耽美主義に属します。さらに、このホイッスラーの絵画を鑑賞して感じるあの感傷的な雰囲気、正しくヨーロッパの憂愁なのです。ホイッスラーの父親はオランダ人だそうですが、土木技師であった為、鉄道建設の仕事でロシアに赴く。その後、イギリス、アメリアと渡り、フランスに移住という流民の人であった。そうした父の人生とホイッスラーの人生が重なり合う、鏡のようでもあります。

この『白のシンフォニー』の頃は「白の時代」で、当時の英国はヴィクトリア朝時代なのでジャポニスムの影響も絵の中に表れています。物憂い少女の面持ちと柔らかなモスリン風の白い衣服に団扇を持ち、朱色の碗も見られます。全体を包む白のイメージは、私の好きなロマン主義的な感傷へと誘います。ホイッスラーはとても音楽を好んだ画家のお一人で、やはりロマン派を愛好されていたように何かで読んだことがあります。アメリカ人ながら異邦人のようなホイッスラーは、複雑怪奇な脈々と流れる長いヨーロッパの歴史、芳香を受け、汲み込みながら作品に投影されていたように思います。この絵の「白い少女」の憂いと倦怠のようなもの、そして全体の構図としての穏やかな調和は、やはり私には「音楽」あるいは「詩」を奏でる作品です。ホイッスラーの心にはそうした心の音楽、心の詩が流れていたのでしょう。優美で大好きです。
[PR]
by Claranomori | 2011-10-31 11:18 | 絵画の中の少女・女性たち
b0106921_763718.jpg
★ジィップ(Gyp:1849年~1932年)はフランスの作家で、本名はマリー・アントワネット・ドゥ・ミラボー=マルテル伯爵夫人。貴族の出身で国粋主義者でもあったという。そのジィップによる1888年の作品がこの『マドゥモァゼル・ルウルウ』。森茉莉によって1933年1月に崇文堂より自費出版された初の翻訳書でもある。後に、1973年5月には薔薇十字社より、1975年4月には出帆新社より復刊され、1982年4月には新潮社『森茉莉・ロマンとエッセー ロマン1 マドゥモァゼル・ルウルウ』に、1994年1月には筑摩書房より『森茉莉全集8マドゥモァゼル・ルウルウ』に収録されています。久しく絶版状態でしたが、2009年12月に河出書房新社より、装画・装丁も新たに復刻されたものです。序文は与謝野晶子、出版には与謝野寛(与謝野鉄幹)の尽力もあったそうです。今回の復刻版は1973年の薔薇十字社版を定本としているものです。

1888年(19世紀末)作品ながらとてもモダンで、少女ルウルウは訳者の森茉莉さんのようにも想えたりしながら記憶されています。軽快でユニークな作品。主人公は、おしゃまな貴族の14歳の少女ルウルウ。天衣無縫な少女ルウルウの颯爽とした優雅な身のこなし、知性はのびやかで、男性に媚びることもなく、綺麗な少女ながら少年ぽいイメージも私にはあります。ゆえに、大好きな少女像でもあるのですが。森茉莉さんが翻訳されたのは1933年なので、作者ジィップの死後ということになります。その事は森茉莉さんも悲しまれていたそうです。

彼女はルウルウを、実在性をもたせたなぞというより以上の、まるでほんとうにいる人のように書きました。わたしはジィップの書かなかった色いろの場面のルウルウをはっきり見て微笑み、おかしがりました。ルウルウはほんとうにいる、わたしの大好きな少女です。

ジィップは革命の直後、貴族の家に生まれました。彼女は周囲の虚礼的な、そうして権力のない者を冷遇するような生活態度に反感を持っていたらしく、その文学にはそれが出てくるようです。また非常に頭のいいために男というものに不満で、くだらない男より動物のほうがいいというので動物に夢中だったといいます。彼女は少女のときに、モンテスキュウに可愛がられたそうです。上流の家に生れて、馬鹿げた因襲、虚飾に反抗して、男の悪口をいい、動物に夢中になっているルウルウはジィップそれ自身のようです。 引用:訳者のことば 森茉莉 より


b0106921_701263.jpg
『マドゥモァゼル・ルウルウ』
著:ジィップ 訳:森茉莉
★天衣無縫、そして奔放。森茉莉が愛してやまなかった14歳の貴族の少女、おしゃまな貴族のおてんば娘、ルウルウが繰り広げる日常の大冒険! 薔薇十字社からの単行本刊行より三十余年、ついに待望の新装復刊。本文二色刷の豪華仕様。序文:与謝野晶子 解説:中野翠 挿画:宇野亜喜良 装丁:名久井直子 と豪華仕様の復刻版です。 出版社:河出書房新社 2009年

※上のカラーの画像は2009年新装版の『マドゥモァゼル・ルウルウ』の見返しの美麗な絵(宇野亜喜良)をスキャンいたしました。天・地・小口はピンク(薔薇色)で、表紙も実物はもっと素敵です(ゴテゴテしていなくて)♪
[PR]
by claranomori | 2010-11-05 07:07 | 本の中の少女たち・少年たち