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あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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輪おどり

世界じゅうの女の子が
そろって手と手をつないだら
海をめぐってぐるぐると
大きな輪ができましょう。

世界じゅうの男の子が
みんな水夫になったなら
船をならべて波のうえ
きれいな橋がかかるでしょう。

だから世界の人たちが
みんな手と手をつないだら
世界のはしからはしかけて
ぐるりとおどってまわれましょう。

詩:ポール・フォール 訳:西条八十(西條八十)

★ポール・フォール(Paul Fort:1872年2月1日~1960年4月20日)はフランスの詩人、劇作家。19世紀のフランスに於ける自然主義文学という退潮の中で、反自然主義的な演劇、象徴主義の演劇運動が起こる。とりわけポール・フォールは象徴主義演劇への道を開いたとされ、ステファヌ・マラルメ等の援助のもとに「芸術座」を創設したお方でもある。ポール・フォールの作品を詳しく知らないのですが、この『輪おどり』は西条八十による訳詩で知りました。こんな世界は夢物語だと想われるお方も居られると想いますが、それでもこの詩を読むと心が穏やかで居られるのです。そんなやさしい詩篇たちを胸に、これからも生きてゆきたいです。今も色褪せず好きな、あるいは新たに知り大好きになった古今東西の詩篇たちは沢山あります。少年少女詩とは私にとっての感覚で云っているのに過ぎません。人それぞれの好きな少年少女世界があるのですから♪
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by claranomori | 2012-02-24 03:28 | 詩人・作家・画家・芸術家
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★金子みすゞ(1903年:明治36年4月11日~1930年:昭和5年3月10日)は山口県出身の、大正末期から昭和初期にかけて活躍した童謡詩人。殊に西條八十に絶賛された女性詩人で、金子みすゞ自身も西條八十のファンタスティックな童謡に心おどらされたお方。金子みすゞが二十歳の折、初めて書いた童謡を雑誌『童話』に投稿。その「お魚」と「打出の小づち」が選ばれ『童話』9月号に掲載される。選者の西條八十は金子みすゞの童謡を「この感じはちょうどあのイギリスの詩人、クリスティナ・ロゼッティと同じだ」と褒め、「女性のすぐれた童謡詩人のいない今日、この調子で大いに努力してください」と励まさたれという。優しくて、それでいて人の心の奥深くまで見つめたみすゞの童謡は、多くの詩人や文学少年・少女の心をとらえた。

この童謡集のタイトルである「わたしと小鳥とすずと」の「すずと、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい」のあたたかな祈りのような響きが多くの人の心に静かに届くのだと想います。小さきもの、力の弱いもの、無名なもの、無用なもの、存在するすべてのものには何かしら意味があるもの。26歳での自死はあまりにも惜しまれるお方ですが、今でも読み続けられていること、出会えたことに感謝しています。

寒い白い冬ですね。今年は積雪が多いそうです。雪は綺麗ですが雪国の生活、ましてやあの大きな東日本大震災後、復旧ままならぬ東北の雪景色を映すニュースを拝見すると、何故か涙が出てきます。真っ白で綺麗な冷たい雪と共に冬を過ごす人々に、以前のような暮らしが一刻も早く訪れますように☆今日はこのやさしき詩『つもった雪』と共に♪

つもった雪

上の雪
さむかろな。
つめたい月がさしていて。

下の雪
重かろな。
何百人ものせていて。

中の雪
さみしかろな。
空も地面(じべた)もみえないで。

『金子みすゞ童謡集 わたしと小鳥とすずと』 より

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by claranomori | 2012-01-28 21:21 | 愛の花束・日本の抒情・文学
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歌というものは、人間が幼いときから年寄りになるまでいつもその人の人生につきまとう、まるで影法師のようなものです。わたしたちは生まれると間もなく母親の口から、あのやさしい子守り歌を聞いて育ちます。それから、幼稚園や小学校へ行けば、あのかわいい童謡、すこし大きくなれば校歌や会歌、それからレコードなどから覚える民謡や流行歌やシャンソン、ジャズ、山には木こりの歌、海には漁師の歌、軍隊には軍歌、もっと広くは、国民ぜんぶが歌う国歌もあります。こんな風に、歌は人間が生まれて成長していく間、絶えずそのくちびるに咲く花のようなもので、人間はそれらの歌をうたっている間に、知らず知らずその歌の意味や響きから大きな影響を受けます。だから歌は空気や水と同様、わたしたちの生活にとって、もっとも大切なもののひとつといえましょう。

この書物は日本をはじめ世界各国の子どもたちが、どんな歌をうたっているかということを考え、その代表的なものの中から、なるべく健全で芸術的なかおりの高いものを選び集めたものです。ふしのついているものはそのまま歌い、ついていないものは、読んでよく意味をあじわってください、きっとみなさんのためになると信じています。

参照引用:西条八十 「世界少年少女詩集 世界童謡集」 まえがき より

★西條八十によるこの「歌というものは」という「世界少年少女詩集 世界童謡集」 のまえがきに託されたお気持ちを想うことが今ならできます。「歌」とは「詩」でもあり、やはり言葉と響きなのだと想います。なので、私は詩や歌が好きです。小説なども詩の響きのあるものが好きです。

会話の中でも、人それぞれの話し方、口調があって愉しいです。関西人ゆえに、標準語でお話しているつもりでもどこかイントネーションが違うこと、その面白さを東京に住んでいた折に指摘されたことも想い出します。関西と云えども、大阪と兵庫では少し違う、京都も違う...そんな地域の言葉の妙はやはり尊い文化だと想います。友人には関西圏以外の方も多く、ちょっとした折に見え隠れする生まれ育った地域の言葉や訛りのようなものに出合うと嬉しくなります。子供の頃から在日の友人も居ます。日本語しか話せない方も居れば、母国語と両方話せる方も。私は髪が赤いことが子供の頃はコンプレックスでした。そのことでからかわれる事もありましたが、みんな何かしらコンプレックスを持っていると感じるようになり、時代の流れも幸いし気にならないようになりました。今から想うと、酷いあだ名で呼ばれていた女子や男子がいました。それでも、泣いたり笑ったり、時に喧嘩にもなったのでしょうが、また一緒に遊んでいた、そんな風景が蘇ります。懐かしく、少し悲しい想い出もありますが。

会話とは相手の意見を聞き、私はどう想うかと問われることもあれば、まるでそっくり似ていて歓喜することもある、相互の言葉を読み取る大切な習慣だと想えます。ネットの時代となり、電話も携帯、お手紙よりもメールとなって行きましたが、それでもその短い言葉のやり取りで勇気や喜びを得られることも多いです。この私のブログに訪れてくださるお方から頂くコメントやメールなどに、どんなに励まされて来たことでしょう!世の中には偏狭な方も居るもので、意見が違うとある一言だけを批判するという光景もニュース等でもよく見かけます。その前後の言葉や言葉の奥にある心も読めるともっと有意義に想えます。いつの間にか、禁止用語となった日本語も多いです。言葉によって傷つくこともあります。けれど、表現の仕方が違うだけで、根底は似ていることを云っていることも多々あるのではないかと想います。一方的に言い放つお方には到底敵いませんが、それでも後から自分の言葉で気持ちを伝えること、それを教えてくださったのは社会という荒風、荒波の中でです。泣き虫の私はきっと、人より多く泣いて過ごしているでしょう。でも、涙から学ぶこと、救われることも多いです。「歌」の中でも、エレジーやララバイ、バラードやバラッドという感傷的な美しい哀調のメロディーに触れ、涙した回数もまた多いです。偏狭にならず寛容に、これからも美しい「歌」や「詩」に触れて生きてゆきたいです。

やはり人間は言葉ありきです。読み書き以前から語る言葉を持っていた。ケルト人は文字を持たなかったけれど、多くのバラッドや伝承物語が今も受け継がれています。ショーペンハウエルの読書にたいする考えは、決して読書の否定ではない、と想えるようになるには読後暫くの時間が必要でした。書かれたものを読む作業の中で、自分はどう想うかとも考えられなければ読書は危険を伴うということだと勝手に解釈しています。西條八十の『書物』という大好きな詩がありますので今日はその詩を胸に♪

書物

月の夜は
大きな書物、
ひらきゆく
ましろきページ。

人、車、
橋のやなぎは
美しくならべる活字。

木がくれの
夜の小鳥は、
ちりぼいて
黒きふり仮名。

しらじらと
ひとりし繰れば、
なつかしく、うれしく、
悲し。

月の夜は
やさしき詩集、
ゆめのみをかたれる詩集。

詩:西條八十
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by claranomori | 2012-01-26 00:00 | 愛の花束・日本の抒情・文学
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ゆめ

「ああ、だれかいまやさしい声が
わたしの耳もとちかく
ゆめですよ、みんなゆめですよ、と
ささやくことはないであろうか、―
そうして目をひらくと
あたりはかがやかしい十六のわかい朝で
まくらべにあの昔なつかしい父と母が
ほおえんでいることはないであろうか」―
しずかにふけゆく春の夜と、
母親の目には、いつか
幼児のようななみだがわいていました。

作:西条八十
「世界少年少女詩集 世界童謡集」(少年少女世界文学全集 第50巻)より

★西条八十は日本の童謡及び少年少女詩を多数残されました。好きな作品は多数あるのですが、今日は前日の記事の流れで"母と娘"、"親と子"の優しき言葉を超えた情景を。この『ゆめ』の後半部分を引用させて頂きました。前半は三つになる女の子が夜なかのゆめで眠りながら声たてて笑っていました。母親はその子を揺り覚まし「嬢や、ゆめですよ、起きて、お母さんの顔をごらんなさい」、と。幼き娘は母の顔を見て安心し、再び安らかな眠りに入ります。娘を優しく寝かせて臥所に戻った母親は、何故だか眠れず物悲しい心が、その胸をとらえてしまうのです。この詩を読むと、娘の様子も母の様子もとても懐かしく私の胸に響き涙しました。今も赤ん坊の頃から同じような夢を時々みます。この少女のように声立てて笑うことも、怖くて大声で泣いていることも。自分の声で目覚めるくらいです。いつの間にか、自分のお部屋で寝るようになり、父や母と一緒に眠っていた頃は遠い昔。けれど、今もしっかり覚えています。こうした懐かしい想い出を蘇らせてくださるのです、美しい日本語で。西条八十は大正期に多くの童謡集、浪漫詩を残されていますが、このような親子の風景は今も残っているのだと想います。残っていて欲しいと想います。
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by Claranomori | 2011-10-12 11:14 | 愛の花束・日本の抒情・文学
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『風』  詩:クリスティーナ・ロセッティ

誰が風を見たでしょう?
ぼくもあなたも見やしない、
けれど木の葉をふるわせて
風は通りぬけてゆく。

誰が風を見たでしょう?
ぼくもあなたも見やしない、
けれど樹立ちが頭をさげて
風は通りすぎてゆく。

訳:西条八十

★クリスティーナ・ロセッティは、生涯独身を通され、慎ましやかに長きに渡る静かな生涯の中で多くの作品を残された、19世紀ヴィクトリア朝時代の英国を代表する女性詩人。本名はクリスティーナ・ジョージナ・ロセッティ(Christina Georgina Rossetti:1830年12月5日~1894年12月29日)。兄はラファエル前派の中心的人物の画家であり詩人でもある ダンテ・ガブリエル・ロセッティ。この『風(The Wind)』はクリスティーナ・ロセッティの初期の童謡詩の一つで、西条八十の訳詞に草川信による作曲で大正10年(1921年)に、日本の童謡としても有名な詩となりました♪
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by claranomori | 2010-11-26 11:06 | 愛の花束・日本の抒情・文学
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『別れの唄』

出発するということは、いくらか死ぬことである、
愛するひとに対して、死ぬことである、
人間は一々の時間の中に、一々の場所の中に、
自分を少しずつ残してゆく。

それはいつも願望の喪失であり、
詩の最終の言葉、
出発するということは、いくらか死ぬことである。
出発なんか、至高の別離すなわち死の別れにくらべれば
遊びのようなものであるが、
その死の時まで、人間はさよならを言うたび、
自分の死を、そこに植えてゆく、
だから、出発するということは、いくぶん死ぬことである。

詩:アロークール 訳・西条八十

★エドモン・アロークール(Edmond Haraucourt:1856年10月18日~1941年11月17日)はフランスの詩人、小説家、劇作家、オペラなど歌劇にも造詣の深いお方だったようだ。私は小説も好きだけれど、詩集がとても好きなのですが、エドモン・アロークールの詩はこの一つしか知りません。この西条八十氏の訳による『別れの唄(Rondel de l'adieu)』は母が持っていた『愛の名詩集』を死後譲り受け、知ることのできたものです。なので、とても古びています。けれど、古びた風情も好きです。両親の死後、多くの詩や小説、映画や音楽、友人たちから勇気づけられ今があります。本当に古びた詩集ながら今ではとても愛おしいもの。中には私の好きな作家が多く、持っている詩集もあるのですが、もっと新しいものなので、訳者も違います。西条八十(1892年(明治25年)1月15日~1970年(昭和45年)8月12日)というお方も好きな詩人(童謡など)でもあります。

このエドモン・アロークールというお方の作品はあまり邦訳されたものがなくて、このすっかり大好きになってしまった『別れの唄』以外の詩も読みたいのですが困難な現状です。図書館に『原人ダアア』があったので今度お借りしたい候補の一冊になっています。嘗ては『或る原始人』『人間と性の歴史』として刊行されていたものの最も新しいものです。人間の生というものを深く探求されていたお方のように感じます。

エドモン・アロークールと同時代を生きておられた西条八十。この『別れの唄』はエドモン・アロークールの初期の作品『L'ÂME NUE』(1885年)に収録されているもの。直訳では「裸の魂」なるこの作品が嘗て邦訳されていたのかも知らないのですが、フランス文学の授業でも名前すら出てこなかったので、日本ではあまり知られていない作家のようです。何かご存知のお方が居られましたら教えて頂けると嬉しいです。
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by claranomori | 2010-10-30 07:33 | 19世紀★憂愁のロマンと美