あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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by Claranomori | 2015-09-14 06:30 | わが麗しの夢幻音楽の旅
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by Claranomori | 2015-07-20 01:05 | わが麗しの夢幻音楽の旅
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 スージー&ザ・バンシーズ(Siouxsie & The Banshees)の「DEAR PRUDENCE」(1983年)というビートルズのカバー曲があります。シングルでも発売され、下の画像は12インチのレコード・ジャケットです。当時はまったく知りませんでしたが、やはりボウイの影響でドイツ表現主義などの絵画に興味を持ち始め、幾年か経た後に、この日本の表現主義作品、田村榮の「白い花(White Flower)」(1931年)を知り得ました。この「白い花」は絵画的ですが写真です。スージーはこの作品に限らず、東洋的なるもの、オリエンタルな世界に興味を抱き何らかの影響を受けて来られたお方だと想います。私が幼い頃から、西洋の世界に魅了されて今に至るのも、何も政治思想などではなく、西欧的なるものに単純に感覚的に惹かれてのこと。スージーはファッションやメイクなども含めたアートに精通したお方。西欧人が感じる東洋的なもの、それらを作品を通じて知ることができる。素晴らしい文化交流だと想います。

 田村榮(1906年:明治39年9月17日~1987年:昭和62年7月22日)は、大正から昭和の日本戦前期に活躍した、芸術写真系統の写真家、写真編集者、写真評論家。田村榮について詳しくないもので、他に気になっている事柄もあるのですが纏まらずにいます。いつか、お詳しいお方にご教示願いたいので、此方の記事に綴ってみたいと想っています。「表現主義」と云っても、しっかりとした定義があるわけでもないようですが、やはりドイツ表現主義の影響は日本でも大きく、大正から昭和初期頃に、各分野で表現活動をしていた方々の作品や記録が残っています。中でも日本の表現主義としての写真表現は「視覚的表現」を目指し、「写真の表現主義」と名付けられたそうです。

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 表現主義は印象主義と対照的で、ドイツだけでなく他のヨーロッパにも表現主義はありますが、不穏で暗いです。でも生命力に溢れてもいます。そんな心象風景に魅せられます。日本では第一次世界大戦、関東大震災を経た時期です。第一次世界大戦はヨーロッパに於いては第二次世界大戦よりも、ある意味大戦争だったのではないでしょうか。敵味方関係なく、戦争や紛争によって多くの人々が傷つき、不安に陥る。そうした社会や生活を表現する。生きる時代や国を誰も選べない。その運命を受け入れながら人々は生きてゆく。素晴らしいです!


★ギターは一時期、バンシーズのメンバーでもあったロバート・スミス(ザ・キュア―)です♪



★スージー&ザ・バンシーズの多くの美麗写真で構成されています。
途中、日本の旭日旗を背景に漢字が描かれた和装姿のスージーも。
旭日旗は日本の自衛隊旗であり勝利祈願、応援の旗です。
いちいち変な事を云って来る、不思議な友好国なる隣国を憂いますが、デザイン的にも「ライジングサン・フラッグ」として海外では人気が高いのです♪

 
 ●追記●
 日本は大国米国と戦い負けました。戦争をしながら映画も撮っていた余裕の米国にです。でも、そんな日本を友だと想えるのも、また米国なのかもしれない...そんな気もしています。やや嫌米なのですが、米国の文化や人々に対してではなく。そういう意味で、昨今の中国や韓国の抗日、反日の政府方針を嫌悪。政治に関心の無い人でも嫌でしょう!日本も相変わらず自国の意志表示が出来ない政府で、国内、国民に対しては説明なしで公約違反を邁進。複雑な想いの日々ですが、長い歴史の中で、常に自然災害と共に生きて来た日本人ならではの連帯。イデオロギーを超えた、日本人特有の精神のようなものはそう容易く失われるものではないと想っています。受け継ぐものは形になったものだけではなく、もっと尊く崇高なものでもあると。そして、この様な日本人の精神的なものに美を感じる異国の人々もいる。

 どの国の民族にも誇りがある。愛国前提の右派左派を諸外国から教えて頂きました。日本では愛国=右翼、反体制=左翼のような世代ゆえに。誤解されている方が多いですが、尊敬しております石原慎太郎氏は保守ながら左派(国防に於いてはタカ派)という稀有なるお方。その上、政治家云々では捉えきれない。何よりも揺るぎない日の丸が刻まれた愛国者であるのは間違いない。愛国者の何が悪くて、左翼や右翼の何が悪いのだろう。直ぐに正義とか悪で片付けようとする米国の統治政策の賜物かもしれない。友人が「自民党の批判をすると左翼だと云われた。」と語っていました。なんでしょう?!翼には左右必要。どちらかに偏ると危ないです。今ではそんな安易なレッテル貼りが嘘だと分かり心は晴れ晴れ!そして、多様な意見に耳を傾け、理解出来なくても異国の其々の文化や歴史を尊ぶ寛容さをも大切にしたいと想います。発展途上国と云われる国々も文化や歴史、宗教や慣習を持つ人々にとっての大切な祖国。何も経済大国が一番だとは想えないのです。経済より大切なものもある、と☆
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by claranomori | 2013-10-31 17:05 | 想い・鑑賞・読書メモ
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 今日の早朝、ルー・リードが71歳で逝去、というニュースに心がざわめく。いつもの如く、直ぐにピンと来ない。驚いたのだけれど、またじわじわと悲しみが込み上げて来るのだろうか?と。そして、レコード棚に向い、ルー・リードの『ブルー・マスク』をターンテーブルに乗せ針を下す。その辺りくらいか、涙が溢れ今も泣き止んでは泣いている。10代の多感な時期に出会えた愛しき音楽たち。そんなミュージシャンやアーティストが亡くなってゆく。私もあれから30年以上という歳を重ね続けているのだから不思議ではない。ルー・リードは今年の5月に肝臓移植の手術を受け、闘病生活。再びライヴの予定も入っていたけれどキャンセルされた。奥様のローリー・アンダーソンは「かなり深刻な状態」とおっしゃっていた...。

 ヴェルヴェット・アンダーグラウンド!今では普通にCDが買えるけれど、私が10代の折はレコード屋さんに行っても無かったのです。私は「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」よりも先に「ルー・リード」や「ニコ」のソロ・アルバムを買い聴き始めました。きっかけはデヴィッド・ボウイ。私に限らず、ルーの影響を受けた次世代、また次の世代のミュージシャンたちはこの後も継承されてゆくのでしょう。世界的にまだルー・リードの名は有名では無かった70年代初頭。この優れたソングライターであり、ロック詩人をイギリスで紹介したのはボウイです。ボウイは、米国と英国のロックの橋渡し役を果たした事にもなります。イギ―・ポップの存在も同様に。
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 取り留めなく綴っています。今日は想いを綴っておきたいもので。何故、涙が溢れるのだろう、と考えてみる。タイムスリップするのです。いとも簡単に、あの頃に。あの学校の教室や廊下から眺めていた裏庭...色々と懐かしい風景に再会する。ずっと音楽が大好きで聴いているけれど、あの頃の、レコードを買うことが楽しくて、帰りの自転車での道のりのわくわくする気持ち。一目散に部屋に戻りプレーヤーにレコードを乗せる、あの瞬間の喜びは、その後、今の感動とも少し違う気がするのです。こうして、あの頃の私に思いがけず再会する度に、懐かしさと共に、何か寂しさのようなものも...。

 あの頃持っていたボウイのレコードは、所謂「ベルリン三部作」や、初めて映画館で観たドイツ映画の『クリスチーネ・F』のサントラなど数枚だけ。名盤!名盤!と音楽雑誌の記事で目にして来た『ジギー・スターダスト』はまだ買えずにいた。中古盤屋さんなど知らず、自転車で行けるレコード屋さんは日本盤がメイン。片隅に輸入盤のコーナーがあるのだけれど、毎月お小遣いをもらってはボウイのコーナーに一目散!でも、コーナーにあるレコードは変わっていない。次第に店長さんと会話するようになり、まだ聴けないでいる『ジギー・スターダスト』と双璧を成す、と記事に書かれていたルー・リードの『ベルリン』のレコードを尋ねた。「ああ、廃盤ですね。」って。音楽雑誌に「デビッド・ボウイー」という固有名詞を見つけたら、もう一言でも嬉しくてその文章を好きになっていた。そんな中、ボウイがルー・リードのプロデュースをした『トランスフォーマー』というアルバムの事を知る。すっかり行きつけのレコード屋さんになっていた私は、メモを店長さんに渡したりして探して頂く事も増えた頃。「ちょっと待ってくださいね。」と調べてくださる。「ルー・リード」というコーナーが無いので、私は何処かにあるのかも?と期待しながら。でもやはり、「廃盤ですね。」って。そんなお返事を幾度も頂いた。

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 けれど、その後結構直ぐにRCA盤の再発があり、ルー・リードの『トランスフォーマー』と『ベルリン』を買うことが出来た。『トランスフォーマー』ではボウイとの共作もあり、ボウイのバック・ヴォーカルも聴けるので、お気に入りのアルバムに。どんよりとした退廃的なベルリンの町を思い浮かべながら『ベルリン』を聴くうちに、物悲しき美しさを溺愛するようになって行った。映画が小学生の頃から好きだったので、音楽を聴きながら異国に思いを馳せる中で、乏しい知識ながらも浮かぶ景色があったのだと想う。そうして一途に耽美派ロック的な音楽に傾倒して行った。

 愛しき音楽たちに感謝!ありがとう、ルー!さようなら、って一応想うけれど、さようなら、ではない。だって、これからもずっとルー・リードの音楽を聴くだろうから。ただ、新作はもう聴けない。来日も無い。でも、二度ライヴを拝見できた。あの一曲一曲が心に突き刺さり、あのギターの音が心臓に悪いくらいに響く、あの感動は忘れない。今も「ニコ」は生きているような気がするのですが、きっと、ルーのことも、そんな風に想いながら、これからも生きてゆくのだと想えます。私の大切な心の住人たちなので☆
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★ルー・リードの初期大名曲の「Rock and Roll」!
もうお一人のギターはロバート・クイン(元リチャード・ヘル&ザ・ヴォイドイズ)です♪


★ボウイの究極のロックンロールはヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「White Light/White Heat」だそうです。ボウイの50歳のバースデー・ライヴでの「キング・オブ・ニューヨーク」(ボウイ曰く)!ルー・リードとの共演ヴァージョンの「I'm Waiting For The Man」です♪


★ルー・リードの名曲は沢山ありますが、ボウイ繋がりの大名曲「Satellite of Love」も♪

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by claranomori | 2013-10-28 21:40 | 耽美派少女の愛した音楽
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★ピーター・アシュワース(PETER ASHWORTH)は英国の写真家でデザイナー。生年月日は不詳ですが、80年代のNewWave系、殊に耽美派ロック系のアーティストとの交流、作品も多く手掛けています。私が最初に印象強く気に入ったアルバム・ジャケットは、ユーリズミックスのコニ―・プランクがプロデュースした1stアルバムでした。ヴィサージも今も好きです。マーク・アーモンド(マーク&ザ・マンバス)やガジェッツの作品等ではミュージシャンとしても参加されていたそうです。


☆麗人!アニーがお美しい!Eurythmics - Never Gonna Cry Again☆

一番の上のお写真はプリミティヴズの3rdアルバムなのですが、このジャケットも大好きです!キュートなトレイシー嬢が髪をブロンドに戻し、真っ赤な薔薇のお花の中に埋まっていて綺麗なので。どの作品も鮮やかな独特の色使いです。上からプリミティヴズ、ユーリズミックス、ビル・ネルソン、モリッシーです。モリッシーはオスカー・ワイルドの御本に囲まれています。この噎せ返るような世界!好き嫌いの別れそうな感覚ですが、私はジャン・ジュネの文学を知った折の印象を強烈に憶えていて、やはり好きな世界の一つのようです。

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by claranomori | 2013-08-06 23:05 | 耽美派少女の愛した音楽
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★デヴィッド・ボウイの 『セヴン・イヤーズ・イン・チベット』(1997年)の曲と付随する想い、それに関連して、「デヴィッド・ボウイとドイツ表現主義★エーリッヒ・ヘッケル:ERICH HECKEL」を。以下の言葉はボウイ自身が語った『セヴン・イヤーズ・イン・チベット』という曲についてですが、表現主義的なレベルの歌詞とありますものでドイツ表現主義のことを少し。

チベットの状況について何か発言したかったんだ。僕は19才の頃ににわか仏教徒になった。半年ほど勉強したかな。実に素晴らしいチベット人たちと知り合った。ロンドンのチベット協会でのことだ。その中の一人とは数年間付き合いを保っていた。彼の名前はチメ・ヨン・ドン・リンポチェといい、ロンドンの大英博物館の翻訳者なんだ。当時僕が非常に影響を受けていた本にハインリッヒ・ハラーというドイツ人の『チベットでの七年間』というのがあった。彼はごく初期の内に実際にチベットに行った西洋人の一人だった。この本の卓越した実在感と実に崇高な哲学は感動的だ。何年たっても忘れることのできない本だった。そこで僕は近年チベットで起こっている政治的状況に、音楽を通じて何らかの関わりを持ちたいと思った。この曲は家族を殺され、自国内で無力化させられている若いチベット人たちの絶望感や苦悩を表現している。敢えて具体性を追求しすぎないようにした。表現主義的なレベルの歌詞の方がより効果的だからだ。曲全体から漂う雰囲気を感じ取ってほしい。

デヴィッド・ボウイ

そうなのです。ボウイと殊にドイツ表現主義との関連は重要なのでした。画家でもあるボウイはドイツ表現主義、或いはドイツ表現派に属する作品とボウイの絵も評価されています。ドイツ表現主義は20世紀初頭にドイツから発生した一大芸術運動。そして、ドイツ表現主義の最初の芸術家集団「ブリュッケ」が誕生しました。中心となるメンバーはエルンスト・キルヒナー、エーリッヒ・ヘッケル、カール・シュミット=ロットルフ、フリッツ・ブライルの四人は創設メンバーでした。ボウイがとても影響を受けたのはその中のお一人、エーリッヒ・ヘッケルです。

エゴン・シーレに傾倒しているわけではない。最も好きなのはエーリッヒ・ヘッケルで、彼の属する表現主義が私の基盤、特別なルーツだ。ある種の基盤を持つのは大切だ。
そして私の場合は表現主義ってことになる。

デヴィッド・ボウイ

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エーリッヒ・ヘッケル(Erich Heckel:1883年7月31日~1970年1月27日)は、ドイツ表現主義の代表的画家であり版画家。木版による白と黒の対比による力強い表現が高く評価されたようです。また、ドイツ表現主義の作品で扱われるテーマは、生活及び社会の矛盾、革命、戦争など、既存の秩序や市民生活に対する叛逆を目指したものが多く、これらのアーティスト達の思想的影響はニーチェによるものが大きいとされているのも妙に納得します。そんな訳で、5年前に綴ったパウラ・モーダーゾーン=ベッカー以来となりますが、久しぶりにドイツ表現主義に関わりの大きいデヴィッド・ボウイと共に少し触れてみました。

★関連記事:「『セブン・イヤーズ・イン・チベット SEVEN YEARS IN TIBET』 ~ 今の日本の危機を想う」を「ボウイ館」にて追記いたしました♪
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by Claranomori | 2012-10-17 07:53 | 詩人・作家・画家・芸術家
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 どこに行ってしまうのでしょうか、日本は?!と虚無的にもならざるを得ない日々、されど愛しき日本なのです。一昨日から、これまで好きで聴いて来た音楽たち、詩や言葉たちと今の私がどう向き合えるのかと、向き合ってみようと思い、まったく私的な音楽との出会いを綴り始めました。時々ぼやいたりもしてしまいますが軽く読み流してください。「耽美派ロック」なるものを愛好してきた私にとって、欠かすことのできない音楽雑誌「Fool's Mate」(現行のビジュアル雑誌になる以前の)編集長であった北村昌士というお方のこと。殊に、書かれる文章が大好きで影響を受けて来たように感じています。そんな訳で、「北村昌士氏に謝意、或いは愛惜...永遠なれ、美しきものよ!」という拙い今日の思いを少し綴ってみました。"何故、今頃、北村昌士?"と思われるお方。"誰?その人"と思われるお方も多いと思いますが、そうして忘れ去られてしまうにはあまりにも稀有なるお方なのです。私の蒼き刻の言葉や音楽との出会いに、思い入れが強すぎる故の綴りともなるのでしょうが、現実を見つめながらも、時にはノスタルジーに浸るのも好しと思っています。

 「北村昌士氏に謝意、或いは愛惜...永遠なれ、美しきものよ!」

 今年の6月も間もなく終わり7月、夏の扉へ...苦手な季節は子供の頃から変わらない。きっと私は夏に死ぬのだろう、などと想えたり。昨年の3月11日の東日本大震災は私に、同じ日本で生きる同胞の人々の姿から、痛ましい悲報の中で礼節極まる姿から、まだ残されていた共同体、日本人の美徳を思い起こさせてくださった尊いものだった。都会に暮らす私にも幼い頃にはあった、あの懐かしい風景が蘇り尊く想えたもの。まだ復興などしていない、イデオロギー云々で反原発も推進も勝手にしやがれ、と心が叫び続けて消えない。何が子供たちだ、何が人権だ、権利だ...本来自由を謳う精神は誰にもあるもの。人権だって、子供の権利だって。けれど、義務もある。「放射脳」という厄介な論調が蔓延する中、福島にも子供たちはいる。原発反対を当初から訴え続けて来た人々とは違う大人のイデオロギーが連携してゆく様は、もう一つの放射脳である「推進脳」もまた同じように感じたり...冷静に国家を思惟する政治家、真正保守主義(自由主義)である、石原慎太郎氏しか信用できない、こんな危機の折には「石原イズム」に託したい、そんな今日この頃。

 生活が音楽と共にあれど、ご飯を食べ、滅入るような毎日のニュースからも逃れることはできない。この6月というと、私にとってある恩人のようなお方の死が今も惜しまれてならない。北村昌士という音楽評論家であり、ミュージシャンでもあったお方。2006年の6月17日に49歳で死去された。現在はビジュアル系の雑誌となっている音楽雑誌「Fool's Mate」(まだ海外のNewWaveやインディーズ中心の、正統派のサブカル雑誌だった頃)の編集長でもあったお方で、私が最も影響を受けた音楽評論家は北村氏だろう。既に洋楽ばかり聴くようになっていた中で、北村氏の創設したインディーズ・レーベル「トランス」だけは好きで聴いていたものだ。何か相性の良さのようなもの、そういう言葉を超えた感覚は好きな音楽でも映画でも読書にも表れるのではないだろうか。言葉を超えた旋律が詩的に響く瞬間を幾度か感じた気がする。

 私が10代の頃、あるいは蒼い季節を共に過ごした友人たち。私が熱心な「Fool's Mate」の読者であり、北村昌士氏の、殊にあの文章の大ファンであったことは折り紙つきらしい。そんな私が北村氏に謝意を表することをこれまであまりしていない。そうした自戒の意も込めて、忘却の彼方へと去られてしまうには、あまりにも惜しい、北村昌士氏の言葉や音楽など、心に残るものを留めておきたい。懐かしい言葉たちに時を経た今の私の心がどう向き合うのか、向き合えるのか。永遠なれ、美しきものよ!

新しいモラル、新しい倫理、新しいおしゃれ、新しいイデオロギー。新しいということが輝かしさと同一だったあの平和なひとときはいつのまに過ぎ去ってしまったのでしょうか。
別に皮肉を言うつもりはありません。美は肯定されるものだからです。

北村昌士



★CANIS LUPUSの大好きな名曲「天使」です♪

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by Claranomori | 2012-06-29 08:01 | 想い・鑑賞・読書メモ
華麗なる屈折美学
追憶の80年代・映画編


 文明と文化が拮抗し合う様相を窺う中で思考する魂。喩え、産業が発達し物質的に豊かになったとしても、歴史、伝統は脈々と継承されてもいる。家族の断裂と云われるけれど、都市と過疎の村ではやはり異なる風景があると想う。80年代、ニュー・ウェイヴと云えども。異国の文化を映画や音楽から感じ何かを得る。まったく異なるタイプの映画を前述の「音楽編」との関連で二つばかり。
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 一つは80年代のユーゴスラビア映画で想起するのは、エミール・クストリッツア監督作品である。カンヌ映画祭のパルム・ドールを『パパは、出張中!』と『アンダーグラウンド』で2度受賞のヨーロッパで絶大な評価を得ている監督。とりわけ『ジプシーのとき』(1988年)は不思議な映画で、幾度か観返しているお気に入り。“ジプシー”という言葉は差別用語だという。ならば“ロマ”と言い換えると良いのだろうか。動乱のユーゴスラビアの歴史は複雑で言語、宗教も多種存在する。この映画の舞台となる土地、生活する人々は流民する、漂泊の民人たち。エミール・クストリッツア監督と共同脚本家のゴルダン・ ミヒッチは、その土地で実際に生活し、映画に登場する出演者たちの大半は職業役者ではなくジプシーたちを起用。其処には彼等の歴史や文化があり、主人公の青年の夢やロマンス、また挫折を、悲哀とユーモアで叙情豊かに描いたファンタジックな秀作。花嫁衣装を着たまま子供を産み死に絶える美しい娘が空高く舞い上がるシーン、流れる音楽と一体化する美しさは言葉を超える。クストリッツア作品はどれも音楽も優れており、サントラ作品としても秀作が多い。本作での音楽担当は、ユーゴのロックバンド、「ホワイト・ボタン」で活動していたゴラン・グレゴヴィッチである。トラディショナルな楽曲をアレンジしたもの等、ジプシー音楽の魅力を伝えながらも斬新な音を奏で映像と共鳴する様は圧巻である。
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 もう一つは、ロシア(旧ソ連)出身のスラヴァ・ツッカーマン監督の1983年、アメリア映画で『リキッド・スカイ』という映画。主演のアン・カーライルは 男性と女性の二役を美麗に演じ脚本にも名を連ねている。世界一の大都市、ニューヨークを舞台にした異色カルトSF。主人公は女性版デヴィッド・ボウイ然たるエキセントリックな美しきアンドロジナス。大都市マンハッタンならではのスタイリッシュなアンダーカルチャーが描かれている。ペントハウスに宇宙船が出現し異星人がその住人の女性モデルに乗り移る。彼女と関係を持った男性たちは次々と精気を奪われ死に至る。サイバー・モンドなヴァンパイア・ロマンスはユニークである。映画の要である脚本は優れているとは個人的に思えないが、映像力、見せる力はあると想う。好き嫌いが分かれるのは当然のカルト映画ながら、 『リキッド・スカイ』に魅せられるのは、やはり女性と男性を演じるアン・カーライルの存在感であり、その一点に尽きるとさえ思う。私の幼少時からの謎でもあるが、古今東西の両性具有あるいは性別を超えた美の化身に惹きつけられる傾向は、歳月と共にかなり深刻な心の核となりつつある。音楽もコンラッド・シュニッツラー的、プログレ経由のニュー・ウェイヴ感覚を帯びた電子音楽で映像と絶妙に一体化し得た成功作であろう。
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 “無用でなければ、何も美しくはない。有用なものはすべて醜い。”と、オスカー・ワイルドが『ドリアン・グレイの肖像』の序文で引用していた テオフィル・ゴーティエの言葉が私に囁きかける。そうして、刻と云う時間の澱に微睡みながらロマンに心を馳せるのだろう。

ジプシーのとき/DOM ZA VESANJE
1988年・ユーゴスラビア映画
監督:エミール・クストリッツァ 
製作:ミルザ・バシッチ 製作総指揮:ミラン・マルティノヴィッチ
脚本:エミール・クストリッツァ、ゴルダン・ミヒッチ
撮影:ヴィルコ・フィラチ 
美術:ミリアン・クレカ・クリアコヴィッチ 音楽:ゴラン・ブレゴヴィッチ 
出演:ダボール・ドゥイモビッチ、ボラ・トドロビッチ

リキッド・スカイ/LIQUID SKY
1983年・アメリカ映画
監督・製作:スラヴァ・ツッカーマン 
製作総指揮:ロバート・フィールド
脚本:スラヴァ・ツッカーマン、アン・カーライル、ニーナ・V・ケローヴァ
撮影:ユーリー・ネイマン 
音楽:スラヴァ・ツッカーマン、ブレンダ・I・ハッチンソン
出演:アン・カーライル、パーラ・E・シェパード、スーザン・ドーカス、オットー・フォン・ヴァーンヘル

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by claranomori | 2011-12-24 15:31 | キネマの夢・シネマ万華鏡
華麗なる屈折美学
追憶の80年代・音楽編


 80年代は私の思春期から青春期という時代。日本はバブルであった。70年代後半から80年代前半にポストパンク或いはニュー・ウェイヴなる旋 風の巻き起こる頃。ヨーロッパの各地、ニューヨークから斬新かつユニークなバンド、アーティストの作品が日本にも入ってきた。関西ローカルのラジ オ、テレビ番組でそれらのバンドの音楽や映像を観る機会も稀にあった。MTVを根気強く観ていると、マニアックなアーティストのPVが流れる事も あり、その為に深夜遅くまでブラウン管を眺めていた。そんな私の洋楽熱がぐんぐん高まる時期で、愛と涙のレコード散財の始まりでもあった。

 日本は高度経済成長を遂げ物資的には豊かになったけれど、精神の豊穣には遂に至らなかったと想う。嫌ながら社会人となるも、多数派に属せない私は所謂“質より量”または“アート至上主義は終わった”と上司が会議で語る中、肩身の狭い全体の中の一人、隅っこの社員のようであった。ゆえに、 自分達の好きな音楽、 アートを求める為に独立することになり、紆余曲折の末、今日のヴェルヴェット・ムーンに至る。一長一短の道程ではないけれど今日もどうにか生きている。

 『ニュー・ウェイヴ』と称されていたムーヴメントは実に個性豊かで愉しい出会いの連続であった。レコードの時代の終焉はバブル崩壊の足音の聞こえる頃であったことも因果な関係に想う。80年代から時を経て、「ニュー・ウェイヴ名作100選」というような特集号が組まれることも多くなり、 CD化も進んでゆ く。けれど、未だに隠れた名作、忘れ去られた作品も多い。そんな微に入り細を穿つ好きな作品を音楽と映画を中心に書かせて頂きたいと想う。
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 データ管理の時代となり、数字には反映されない埋もれた名盤が世界中に存在する。イギリスやアメリカのインディペンデント作品よりも入手し難い東欧にもニュー・ウェイヴ・バンドは存在していた。思い入れの強いバンドの一つにDORIAN GRAYというユーゴスラビア社会主義連邦共和国(現:セルビア・モンテネグロ)のバンドが居た。アルバムは僅か2枚のみで解散。活動期間は1982年から1986年。アルバム『SJAJ U TAMI』は1983年の1st作品である。予備知識ゼロで「ドリアン・グレイ」というバンド名のみで躊躇なく購入。理由な安易でオスカー・ワイルド好きであることと、漠とした予感としてのアートロック感を期待して。見事に感覚の勝利であったと自負する。

 ヴォーカルとギター担当のマッシモ・サヴィッチの歌声、彼らの楽曲から連想されるのは、デヴィッド・ボウイ、デヴィッド・シルビアン(ジャパン)或いは ニュー・ロマンティックの芳香であり、ヨーロピアン・デカダンである。タイトル曲『SJAJ U TAMI』は、ウォーカー・ブラザーズの『太陽はもう輝かない(The Sun Ain't Gonna Shine Anymore)』のクロアチア語でのカバーでもある。私は80年代に限らず、やはりアートロックが好きで、欧州の歪曲した奇妙な音楽たちを愛好し続けており、ふとこの古いレコードが蘇る。激動のユーゴスラビアの歴史など、当時の蒼い娘が知る由もなかったけれど、時が流れ年を重ねる中でノスタ ルジーと共に新鮮な閃光を放ち続けているようだ。
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 音楽、映画、文学、ファッションは深く共鳴し合う関係で、アートロック、総合芸術家的なデヴィッド・ボウイと、「芸術至上主義宣言」に至るオスカー・ワイルドという奇妙な人生を送った唯美主義者の影響は英国は勿論、世界中に継承され続けている。19世紀のヴィクトリア時代を生きたオスカー・ワイルドと20世紀アートロックの美神のようなデヴィッド・ボウイは私にとって常にキーとなる存在である。ジェンダーを無化した存在の第三の性は重要で、同性愛、トランスジェンダーの壁は80年代に於いても厚く強固であったと想う。ワイルドの分身を垣間見ることの出きる『ドリアン・グレイの肖像』を、ボウイがミック・ジャガーと共に映画化との情報に狂喜乱舞した頃も懐かしい。
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 ユーゴスラビアのドリアン・グレイと同時代に結成され今も活動するスコットランドのニュー・ウェイヴ・バンド、CINDY TALK。彼らの幾つかの作品はCD化されている。英国の『4AD』というレーベルが好きで所謂“レーベル買い”をしていた。コクトー・ツインズやデッ ド・カン・ダンスと共に、このCINDY TALKのヴォーカルのゴードン・シャープも、THIS MOTAL COILのメンバーとして参加していた。当初から中性的な雰囲気は漂っていたが、彼は今では彼女でもある。不思議な事では無い。あのジェネシス・P・オー リッジまで今は女性となっている。彼とも彼女とも呼べる存在、第三の性はオスカー・ワイルドの時代(否、より遥か太古の時代から)から脈々と世界のアートの歴史に不可欠な存在と して刻まれ続けてゆく。

 このゴードン・シャープは10代の頃から音楽活動を開始しており、最初はTHE FREEZE(1976年1981年まで)というパンクバンドのヴォーカルを務めていた。ロキシー・ミュージックのカバー等もしており、パンキッシュながら後のニュー・ロマンティックのムーヴメントとも繋がりながら、ゴードン・シャープはさらなるデカダンを求め、ゴシッ ク色も深めながら動から静の美へと昇華させて行った。ゴードン・シャープもまた美の殉教者の一人なのかもしれない。

★上記の2つは東京発行のフリーペーパーに寄稿させて頂いたものです。
ご予約頂いております方々には年内に送らせて頂きます。部数が少なく、第一回目ということで、ちょっと編集ミスが生じたようで私のコラムに連絡先等が記されておりませんでしたので、ブログに掲載しない予定でしたが記録として残しておこうと思います。次号は来年4月に発行予定だそうです。『華麗なる屈折美学』としてシリーズ化してくださるそうなので、頑張りたいと思います♪
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by claranomori | 2011-12-24 15:15 | 耽美派少女の愛した音楽
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★追悼!ミック・カーンよ、永遠に美しく!★

★ミック・カーン(Mick Karn)、本名アンソニー・ミカエリデス(Anthony Michaelides:1958年7月24日~2011年1月4日)の訃報で年始から風邪の私はかなりの打撃!けれど、まだ信じられないので実感が伴わない。そして、まったく追悼の気持ちすら追いつかないというのが本音です。ジャパン(JAPAN)との出会いはボウイやケイト・ブッシュとの出会いと近い頃なので中学生。私が洋楽に夢中になり始めた頃から好きだった思い入れの強いバンド。ジャパンのメンバーの中で最も好きだったのはミック・カーンであった。1982年のジャパン解散後のソロ活動、彫刻の腕前も凄いお方。同じくバウハウス(BAUHAUS)を解散したフロントマンのピーター・マーフィーとのユニットであるダリズ・カー(DALI'S CAR)。ウルトラヴォックスのミッジ・ユーロとのコラボレーション(MIDGE URE & MICK KARN)。ジャパンのメンバでのレイン・トゥリー・クロウ(RAIN TREE CROW)他の活動は、好きなアーティストたちとの繋がりもあり私なりに追っていた。けれど、まだまだ聴き続けなくてはいけないアーティストのお一人なので、こんなに早い死が悔やまれます。ご冥福をお祈りいたします。
元ジャパンのベース奏者、ミック・カーンが死去

昨年自ら肺ガンであることを公表していた元ジャパンのベース奏者、ミック・カーンが1月4日、ロンドンの自宅で亡くなったことがオフィシャル・サイトで発表された。52歳だった。

1月4日ロンドン・チェルシーの自宅で家族や縁の人たちに囲まれ息を引き取ったというカーンは、昨年6月に自らがガンであることを発表し、その後、闘病生活を送っていた。

70年代半ばにデヴィッド・シルヴィアン、スティーヴ・ジャンセンらとジャパンを結成。グラムロックを継承した化粧など奇抜なファッションは日本でもアイドル的人気を博し、特にヴィジュアル系ロックにファッション面で大きな影響を与えた。また後期の『孤独な影』や『錻力の太鼓』はロックに史に残る傑作とされている。

カーンのフレットレス・ベースを使用したオリジナリティ溢れるベース・サウンドは、ジャパン解散後もスタジオミュージシャンとして数多くの大物ミュージシャンに愛され、数多くの作品に関わった。また坂本龍一など日本のミュージシャンとの共演も数多く残したことも知られ、ビビアン・スー、土屋昌巳、佐久間正英、屋敷豪太らとユニットThe d.e.pを結成したことでも知られている。

リッスンジャパン 1月5日(水)13時1分配信 より引用させて頂きました。

JAPAN/QUIET LIFE
ジャパンの大好きな曲です!赤い髪で眉の無い妖しく美しいミック・カーン

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by claranomori | 2011-01-08 00:37 | 耽美派少女の愛した音楽