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あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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タグ:父と娘 ( 12 ) タグの人気記事

 今日は母の日。私の両親はもうこの世に居られないけれど、母の日、父の日、両親のお誕生日、命日は忘れることはない。私が小学生の頃はまだ毎月決まったお小遣いを貰っていなかった。学友たちとの会話の中でみんな毎月お小遣いを貰っていると知ったのだった。中学生になって毎月のお小遣いを貰い始め、ほとんど少女マンガに費やしていた。デヴィッド・ボウイに魅了されてからはレコードを買うようになっていった。

 母の日にカーネーションは学校の先生から頂いたりもした。多分小学二年生頃だったかな。母の日にプレゼントをと想い、お金が無いので手作りの手帳をプレゼントした。色紙とクレヨンと鉛筆で作ったもので、チケット風に切り込みを入れたりして。細かく覚えていないけれど、「お遣い券」「お皿洗い券」「洗濯券」「肩たたき券」・・・等で10回位分。期限など無くて、母が使いたいときにその切符を切り離して私に渡す、「はい、今日はこれでお願い。」と言った風に。結構嬉しかった。それを知った父も欲しい気がしたので、次には父にも作ってプレゼントした。父のには「肩たたき券」を多くした。お遣い券はタバコ屋さんに行くもの。その近所のタバコ屋さんはヤマザキのパン屋さんも兼ねていて、中にはお菓子や雑誌も売っていた。父はそのお遣い券を使ってもお駄賃をくれたので、私はマンガを買ったりしていた。肩たたき券を多くしたのは肩コリが酷かったのを知っていたから。私は両親の肩たたきをしながらよく郷ひろみの曲を歌っていたものです。大人になっても回数は減ったけれど父の肩たたきはしていた。次第に弟の方が力が強くなり、私より威力が増してゆくのを羨ましく、そして少し寂しく想ったり。前にも書いたかもしれなけれど、父と弟はキャッチボールが出来て羨ましかった。母は毎日お家に居るけれど、父は日曜日と祝日しかゆっくりできない。生涯で父との会話は母との会話よりずっと少ない。でも、私がバイトで頂いたお給与でプレゼントしたセーターをよく着てくれていた。そのセーターは父の棺に入れて天国へ持って行って頂いたのだった。

 キャンディーズのスーちゃんが亡くなり、追悼番組は嬉しくも悲しい。そして、私の少女時代とあまりにも時期が重なるので、どうしても家族との時間が蘇る。私はお家が大好きだったので、誘われないと外で遊ばない子供だった。マンガを読んだり、お人形と遊んだりという時間が多かった。音楽熱が高まる中で、さっさと自分の部屋で音楽ばかり聴くようになった。両親の死がそんなに早く訪れるとは考えたこともなく。誰のお陰でレコードや本が買えていたのだろう。なので、両親との想い出のレコードや本、映画やドラマの記憶は大切な心の財産。私のささやかな大切な宝物。宝物ってお金で買えないものも多い。心に刻まれた宝物なら、私が死んだ時にも一緒に居てくれる。両親の本棚はどちらの本か直ぐに分かるようになった。父は思想系のもの、母は文学もの。ドイツとロシアの作家が多かった。なので、敢えて私はフランス文学を自ら購入しては感想をお伝えしたりする事が歳を重ねる毎に増して行ったように想う。

 母の日に、いつまでも歳をとらない両親を想い、何も親孝行できなかった娘だけれど、感謝の気持ちはずっと忘れたくはないと想っています。本当に大切なものは失ってから身に沁みるものであると心底想うのです☆

 今日もよく泣いた!けれど涙の後の心は晴れやかでもある。カタルシスというものだろうか。それにしても、泣き虫は一向に治らない。赤ん坊の頃から夜泣きも酷かったそうなので、両親の睡眠を妨げていただろう。不思議なことに、どうしてだか子供の頃から何度も見る夢がある。今でも時々。真っ暗でひとりぼっちの私。そこから出たいのに出れなくて怖くて泣き声で目が覚める...なんなのだろう。
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by claranomori | 2011-05-08 21:32 | 想い・鑑賞・読書メモ
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★シャルロット・ゲンズブールの大阪公演@IMPホール、無事終わりました。シャルロットが可愛くて綺麗で素敵な女性であることは充分に感じて来たけれど、やはりライヴはいい!普段見えない本質めいたものが垣間見られる。ゆえに、ライヴは恐ろしいともいえる。ごまかしは利かない。

13歳のシャルロットの歌声、カトリーヌ・ドヌーヴの娘役で映画デューした時から、今も変わらず(否、以上に!)シャルロットが大好き!我がミューズの大切なお一人であり、同時代性という意味に於いてはシャルロットが最高峰な私。20年ぶりにシンガーとしてのアルバムをリリース。シャルロットの中でタブーとされていた「音楽」に再び向き合う決心に戸惑いがあったという。そうでしょう!「父の存在」ゆえに。けれど、私はまたしても「父の娘」というものを考えさせられる。20年の間に女優として国際女優としての軌跡を歩んできた。これから先もシャルロットの活動をそおっと追って行くであろう私にとって、今回のシンガー(ミュージシャン)としてのシャルロットのライヴはやはり奇跡的瞬間に思える。昨夜はとっても楽しくて、シャルロットを愛する友人たちとご一緒に声援していた。半日近い時間が流れ、今また私は自分の心と対峙している。そんな中で、今回のシャルロットのライヴのクオリティの高さは絶賛されるべきだと思う。女優シャルロットも歌手シャルロットも普段のシャルロットも、当然ながらシャルロット・ゲンズブールである。音楽というと父セルジュ・ゲンズブールが離れることなはい。娘だもの!私自身もそうだけれど、女の子にとって「父の娘」であることは、その父が亡くなってしまっても永遠のもの。特別なもの(好き嫌いとは別)。

シャルロットはセルジュとジェーンの良いところばかりを一身に受けて生まれ育ったお方に思う。ご主人のイヴァン・アタル、子どもたちとの生活を大切にしながらも、マイペースに活動されてきた。大役の主役もあれば脇役も。今回はシャルロットはバンドを率いてのツアーでの来日公演。私の好きなアーティストは総合芸術家が多い。セルジュもそうだった。今回、スタンディングということだったけれど、座席での鑑賞というスタイルに当日変更された。お陰で上着を椅子にかけたりできて良かったけれど、最初から最後までずっと立っていた。座っては居られないのだった。整理番号順に会場に入り好きな座席に座る。友人達と並んで。その時、会場で流れていた曲はなんと!デヴィッド・ボウイだった。ルー・リードやジャクソン5も流れていた...今回のシャルロットのライヴは新作『IRM』(BECKの全面協力アルバム)が中心。けれど、ボブ・ディランの60年代の名曲『Just Like A Woman:女のように(女の如く)』のカバーが聴けて嬉しかった。そして、セルジュの『メロディ・ネルソン』というアルバムは、セルジュのアルバム全部好きだけれど、中でもとっても好きなアルバム。その中から『L’Hotel Particulier(特別ホテル)』、さらに古いセルジュの曲『Couleur Cafe(コーヒー・カラー)』のカバーも聴けた。『5:55』も好きなアルバム。エールのメロディが好きだし、歌詞の提供はジャーヴィス・コッカー(パルプ)やニール・ハノン(ディヴァイン・コメディ)、レディオヘッドで有名なプロデューサーであるナイジェル・ゴドリッチ...これらのシャルロットを愛するミュージシャンたちに私の好きなアーティストが多いことも嬉しい。敢えて、英語曲をメインに歌うというシャルロット、真の意味でのオルタナティヴ、これまた父譲りの内向する魂、かつ生真面目で優しい育ちの良さに溢れたシャルロットのである!これは誰も真似できない。ジェーン・バーキンにだってできない。そんなシャルロットが大好き!
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シャルロットのバックメンバーに可愛い女性アーティストが居られる。Nicole Morierというロス出身のお方で、相棒のLegs Le Brockとのガールズ・ユニットである「ELECTROCUTE(エレクトロキュート)」で活動されている。エレクトロでパンクなガーリー・ユニット。そのラブリーなニコルももっと見ていたかったけれど、やはりシャルロットの動きや表情ばかり見ていた。とっても長い脚でスレンダー。綺麗で可愛い!私はウィスパー・ヴォイスが好きだけれど、シャルロットはジェーンとは違うタイプ。時折、クロディーヌ・ロンジェを想起したのは私だけだろうか...。もう20年以上前、発売前に予約して買ったシャルロットのデビュー・アルバム『魅少女シャルロット』のレコードにサインを頂けた。中のレコードは無理だけれど、このジャケットは棺に入れて頂くと決めた(誰が入れてくださるのか予想もつかないのだけれど)。半日経て、じわじわと込み上げるこの気持ちは不思議。

「ミューズとは我々の夢に最大の影、あるいは最大の光を投げかける存在である。」 by シャルル・ボードレール

20数年ずっと好きでいる(これからも)シャルロットを想い、このボードレールの言葉が聞こえてくるようである。

※シャルロット記事が続いていたのですが、まだまだ書きます。でも、他にも予定記事はいっぱいなので、のんびりといつもの具合で更新してゆきます。ご覧頂いている皆様、ありがとうございます!どうぞお気軽にコメントくださいね。昨夜も友人達がご覧くださっているけれど、コメントは書きづらいと仰っていたのですが、どうしてだろう。こんなミーハーな気ままな戯言なのになあ...な~んて想うのです♪

b0106921_2295189.jpgシャルロット・ゲンズブール/IRM
2010年3rdアルバム。シャルロットからご指名を受けたベック。スタジオで作業を始めるや否や二人は意気投合。最初はアルバムのプロデュースとミキシングのみ手掛ける予定だったが、最終的には全曲をベックが書き、歌詞もシャルロットと共同で手掛けている。

b0106921_2383223.jpgシャルロット・ゲンズブール/5:55
2006年の20年ぶりとなる2ndアルバム。プロデューサーはRADIOHEADやBECKの作品で有名なナイジェル・ゴドリッチ。ジャーヴィス・コッカー(パルプ)やニール・ハノン(ディヴァイン・コメディ)も参加!シャルロットもレディオヘッドのファンで嬉しいです。
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by claranomori | 2010-10-27 07:02 | 想い・鑑賞・読書メモ
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★小林繁さんが17日に急死されたというニュースを知る。心筋梗塞であったそうだ。そして、江川卓さんの悲痛な言葉を聞く...30年にも前になるあの電撃的なトレードのこと(「空白の一日」と呼ばれている事件)は、お二人の心の中でずっと消えないものだったという。当人方にしかその心の痛みは分りはしない。私は昨日から今日も何も集中できず泣き止んではまた泣いていた。父との想い出も付随して蘇るからでもあった。

今日の記事は私の少女時代のこと。小林繁さんがジャイアンツからタイガースに移籍された。その時の私はまだ子供で「空白の一日」と今も語り継がれる前代未聞の事件のことはうる覚え。ただ、あの時の私は江川さんの印象が良くなかった。今はこれからも背負って生きてゆかれるのだと思うと気の毒な思いである。選手に責任はないと思えるから。でも、あの時に「野球が好きだから、阪神にお世話になります」という潔い姿勢はスポーツマン精神の表れだと思う。その時に拒否する権限もあったそうだ。

私の父は若き日から巨人(読売ジャイアンツ)のファンで、とりわけ長嶋茂雄さんは父のヒーローのようだった。父が大好きな私は父の好きな巨人の応援を何も知らないうちにしていた。小学生の時の担任の先生も巨人ファンで、ある日「巨人ファンの人は手を上げて下さい」とにこやかに仰った。私は手を上げた。兵庫なのでクラスの多くは阪神ファンの人たちだった。ところが、小林さんが阪神に移籍となったその日から、私はいとも簡単に阪神ファンになってしまった。長嶋さんはその頃監督で巨人が優勝された年も小林さんは大活躍だったのだ。背番号19番。細い体つきでサイドスローの投手。投げた後は帽子が吹っ飛ぶあの姿をしっかり覚えている。私はミーハーゆえに野球の専門的なことなど何も知らない。けれど、あんなに野球を必死で観戦していた時期はあの頃しかない。その時期は正しく私の少女時代である。弟は入退院を繰り返しながらもリトルリーグという地域の少年野球クラブに入っていた。私より先に自らの意思で阪神ファンとなっていた。母は私以上に野球のルールもよく分かっていないようだったけれど、阪神を応援していた。なので、家族内での五分五分で巨人対阪神という試合はとっても楽しいものだった。家族そろってブラウン管に向かっていたあの頃が懐かしい。

父は私の変わり目の早さに呆れていた。でも、父は巨人の次に応援するチームは阪神だったのだ。なのでアンチではなかった。そして、高校野球も必ず観ていた。「どこを応援してるの?」と訊くと、「どこでもない。負けてる方を応援している」と。そんな父が大好きだった!寂しい想い出は、日曜日の休日になると、よく父と弟は家の前でキャッチボールをしていた。私は傍でなんとなく弟を羨ましく見ていた。すると、優しい父は弟のグローブを借りて私が父の投げるボールを受けるという機会を与えてくれた。二人はテンポ良く続けていたので、私はあのボールが上手にキャッチ出来るだろうか(キャッチしたい!)という思いだった。何球かは上手くキャッチできなかったけれど、グローブに父の投げたボールがあった時、とっても嬉しかった。父は私には下から軽く投げてくれていた。また、弟も優しいから「お姉ちゃん、頑張れ!」って云ってくれた。何故だか、そんな遠い日の想い出たちが蘇り、今も上手く自分の気持ちが綴れないけれど、ただ悲しい。

私は熱狂的な野球ファンではないけれど、「好きなチームは?」と尋ねられたなら「タイガース」と答えている。そして、あの70年代の終わりから80年代半ば頃は野球観戦が楽しくてしかたのない頃だった。弟は今も大のタイガース・ファン。けれど、二人の甥はどちらも野球にあまり興味がない。でも、甲子園に何度も行っている。上の甥はオマリー(コーチ時代)に頭を撫でてもらったのだそうだ。甥よりも弟の方が大喜びして帰って来た。

現監督の真弓さんとも小林さんは仲が良かったという。真弓さんも私は阪神に入団されてからずっと好きだった。ホームランを打てる一番打者でハンサムだし。私も長嶋さんや王さんが好き。でも、阪神の次に好きなチームは広島カープだった。川口さんや大野さん、山本浩二さんに衣笠さん、そして前田さんとかスター性がありかつ実力のある方々が多く居た。今も居られるのだろうけれど、テレビを観なくなったしなにか私の中では違う感じ。やはり「昭和」が好き。そして、こうして私の好きな人たちがお亡くなりになってゆく。昭和のヒーローやスターたちが。そして、今日18日に追い討ちをかけるような訃報。浅川マキさんが心不全でお亡くなりになられたというニュース。浅川マキさんとは幾度かお会いさせて頂いたことがある。ご一緒にカレーライスを食べたり、頂いたご本なども大切にしている。あの不思議なマキさんに「あなたは変な女ね」と云われてしまい「そうですか?」と自分ではまともなつもりなので複雑な思いながら笑ってしまった。もう少し東京に居られたなら...と残してきたものを悔恨する。けれど、両親が倒れ、精神的にも限界だったこともあり関西に戻って今に至る。

マキさんとの事は上手く今は語れない。いつの春にか...。

小林繁さん、浅川マキさんの連日の訃報はまだ信じられないけれど、御冥福をお祈りしています。そして、ありがとうございました。
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by claranomori | 2010-01-18 20:33 | 想い・鑑賞・読書メモ
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by claranomori | 2009-06-06 07:41 | 愛の花束・日本の抒情・文学
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やっと登場!大好きなアンナ・パキン♪『ピアノ・レッスン』でデビューした少女を観た時からずっと好き。テイタム・オニールと並んで史上最年少(11歳)のオスカー受賞者。でも、今もマイ・ペースに主役に拘らず気に入った脚本作品に出演を続けている。この『グース』は主演第一作となるもので、役柄の少女エイミー・アルデンと同じく14歳頃でとっても可愛い!事故で母親を亡くしたエイミーは10年間会っていなっかた父親トーマス(ジェフ・ダニエルズ)の元へ引き取られる。母の想い出にこもるばかりのエイミーが、ある日森の中で親を亡くしたグースの卵を見つける。そっと、持ち帰りエイミーはその日からグースたちのお母さんになってゆくのだ。卵から孵化し雛に成長しさらに空高く舞うまでずっと一緒。このお話は実話だと知りますます感動した。大自然の風景と本物のグースたち。グースを育てる中で、ギクシャクしていた父と娘の絆も育まれてゆく。そんな温かな物語。
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1996年にシャルロット・ゲンズブール主演の『ジェイン・エア』でシャルロット扮するジェインの子役時代をアンナ・パキンは演じている。シャルロットはインタビューの中で「アンナ・パキンの大ファンなの!」と共演できることを喜んでいたのを想い出す。不思議なようだけれど、80年代に登場した私にとっての”聖少女”なシャルロット。そして、90年代に入りこのアンナ・パキンの出現!お二人とも、今も素敵な女優さま。アンナ・パキンはカナダ生まれのニュージーランド育ち。フランス語も話せる。また、この映画のグースたちも見事に主役たちだと想う。全て本物のグースと人間。撮影中はアンナ・パキンの声を録音しグースたちに覚えてもらったそうだ。共に撮影を楽しんでいるかのようで微笑ましい!このような映画はCGも使われていないので地味に想うかもしれない。でも、ヨチヨチと歩いていた小さな雛たちが大空を舞い飛び立つ日までのその過程は感動的だ。舞台となるニュージーランドからノース・カロライナまでの500マイルの越冬の旅。エイミーが操縦する”ママ・グース号”とトーマスが操縦する”パパ・グース号”に誘導されながら飛び立つことができた。そして、エイミーにもすっかり笑顔が戻り、親子の絆も深まってゆく様子が同時進行で伝わりとても感動的☆
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グース/FLY AWAY HOME
   1996年・アメリカ映画
監督:キャロル・バラード  原作:ビル・リッシュマン  音楽:マーク・アイシャム  出演:アンナ・パキン、ジェフ・ダニエルズ、ダナ・デラニー、テリー・キニー、ホルター・グレアム、ジェレミー・ラッチフォード、デボラ・ヴァージネラ
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by claranomori | 2008-04-07 23:28 | 銀幕の少女たち・少女映画
最近予定外の事柄に対応するため慌しく過ごしていたけれど、これも人生のお勉強だと想う。ようやく少し落ち着きかけているというところ。平穏な気持ちでいたいのである詩集を読んでいた。19世紀末のアメリカの女性詩人エミリー・ディキンソン。久しぶりに取り出してみた。元々好きな詩人なのだけれど、読んでいるとふと、ジョディ・フォスターの初めての主演映画『白い家の少女』が浮かんだ。その13歳の少女リン・ジェイコブズ(ジョディ・フォスター)は父を愛し、またエミリー・ディキンソンの詩集を持ち歩き愛読していたのだった。確認するために観直してみた。洋書でタイトルはハッキリしないけれど確かにエミリー・ディキンソンだった!
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エミリー・ディキンソン(Emily Elizabeth Dickinson)は、1830年12月10日のマサチューセッツ州生まれ。生涯独身で1886年5月15日に腎臓炎で55歳の生涯を終えている。エミリー・ディキンソンの作品の多くは遺言に従い妹ラビニアが焼却している。でも、ラビニアは詩篇だけは惜しくて焼却出来ずに残り、こうして私に深い感銘を与えてくださるものとしてあるのだ。エミリー・ディキンソンは映画の中の少女リンと共通するところが多いと感じる。エミリーもリンも共に父親は詩人であり、独自の厳格な信念を持って生きて来たお方のようだ。そして、娘は共にそんな父、及び一緒に暮らした家を愛していた。エミリーの時代とこの映画の時代は違うけれど、父親という存在が家と密接であること、それは私も未だに拭い去ることのできないものとして想い出が残る。エミリーは自ら作品を出版社に売り込むような気持ちも無く、また記録に残された学業時代と、その後の僅かな外出以外に家から出ることをしなかったという。1874年の父の死後、一切外出しなくなったそうだ。親友ヘレン・ハント・ジャクスンとの書簡、そして”死”をテーマにした詩篇も多く書かれてゆく。訪問者があっても滅多に会うこともせず、夏冬を通じて白い衣服を纏っていた。

女が身を白く飾ることは
尊いこと
神さまが似合うとおっしゃれば
その汚れのない神秘を身にまとうことも ―


エミリーの隠遁生活は次第に強くなってゆく。父の死後40代初め頃のエミリーにとって「もはや侵すことの出来ぬ神聖な」もの(家)となり、その孤独の生活は「彼女に許された唯一の存在の方法」(リチャード・チェイスが語った言葉)であったのだろうと想う。
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★まだまだ想いは書き尽くせない。そして、これからも時折エミリー・ディキンソンの詩集に呼ばれることとなるだろう...私にはとても相性の良い詩篇たちであり、色々なことが繋がりあっているように感じている。
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by claranomori | 2008-03-10 21:08 | 19世紀★憂愁のロマンと美

リー・ミラー:LEE MILLER

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リー・ミラー!本名エリザベス・ミラー(1907年~1977年)はアメリカ・ニューヨーク生まれ。父シオドアと母フローレンスの間に生まれた長女。父は工場支配人で科学・技術への関心の強いお方だったらしく、その影響はリー・ミラーの凄まじい生涯を追ってみると欠かせない存在であるように強く感じている。私がこの稀なる美貌の才女に興味を抱いたのは、80年代半ば頃だっただろうか...大阪(確か大丸)での『マン・レイ展』に行き、その数々の作品を鑑賞した後に、年月と共にじわじわとという感じ。興味は尽きない過程なので大まかな事しか知らない。マン・レイとの共同製作(モデルに留まらない!)、若き日の美しいリー・ミラーのお姿に先ず魅入ってしまったことから始まる。シュールレアリスム的なアート関連の書物を読み耽っていた頃のこと。そうして、今(の時点)では、マン・レイよりもリー・ミラーの方が私には欠かせない魅力のアーティストとなっている。何で読んだのか覚えていないけれど、幼少時の不幸な性的事件が起こったと記されていた。その当時(ざっと90年も前)の精神科医は、この少女の罪悪感を減じる方法として、性的関係を単なる肉体運動にすぎず、軽視させる療法を施したというもの。僅か7歳の少女のそのトラウマは後々の奔放な生涯を見ると因果なものに想えて悲痛でもある。また、年の離れた男性を愛したようにも思う。この辺りは父親への憧憬や愛情が強いのだろうとも...。
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前衛的な芸術(アーティストたち)からファッション、ジャーナリストとして自らもカメラで捉えた、それは戦争という時代へ突き進む。このようなリー・ミラーの勇ましい姿は神々しいようでもあり、時に怖いものをも感じる。ヒトラーのポーランド侵攻という頃、ヴォーグ誌のスタッフとなり、さらにアメリカ軍の従軍記者としてノルマンディーへと渡り、戦場を駆け巡っていたのだ。連合軍が開放した収容所に逸早く駆けつけ写真を撮った。また、ライプチヒが連合軍に占領され市長一家は自殺。その死の娘も撮っている。私が最も慄いたのは、ヒトラーの使っていた浴槽の中でのリー・ミラーの写真(撮影はデイヴ・シャーマン)だった。その時の彼女はいったいどんな気持ちだったのだろう...と。私などには到底分かりはしないもの。ただ、リー・ミラーという幾つもの肩書きが並ぶような時代のミューズは、被写体やアートの世界に安住してはいなかった。それらの活動よりも、その瞬間、時代の中で生きている刻に自ら走りこむような姿を想う。きっと、それは彼女の権力(ファシスト)への憤りや多くの犠牲者たちの姿を記録し伝えるという内なる力。それらの写真(記録)をファッション雑誌に掲載した女性。心の赴くままに行動し続けた女性。クールな眼差しと美意識が混在するのは彼女の捉えた写真だけではなく、リー・ミラーという女性の生き様にも見られるように想う。リー・ミラーが好きなのか羨望なのか、私はまだ分からないけれど、ひとりの時代と共に生きた女性として、興味が失せないでいるのは確かなよう。ジャン・コクトーの映画『詩人の血』の中で、リー・ミラーは大理石であり人間でもあるというヴィーナスを演じていた。流石のコクトーだ!多くの男性を魅了した。その陰で恋人や夫を奪われた女性の苦しみ(自殺に追い込んだ方もいる)、去られたマン・レイも自殺願望の書を残している。ファム・ファタルである!輝く美神のような美貌と知性は息を呑むほどゆえに。

金色の髪を短く切り、アッピア街道から来た、太陽にキスされた  
羊飼いの少年のような 若い女性


このようにセシル・ビートンも語っている。私が美しい!と想うのはこの点が大きい。リー・ミラーは美しい女性ながら、どこか男性的なものを感じる。科学に興味を抱き、外へ働きかけるその躍動感のような姿勢だろうか...。軍服に身を包み戦場をカメラを持って駆け巡ることのできる女性。新しい女性(当時では)の姿を凛々しく想いながら、複雑な気持ちを抱いてもいる。
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by claranomori | 2007-12-21 23:52 | 往還する女と少女
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ミア・ファローが出演している作品は多分公開作品はデビュー作以外は観てるかな...かなり大好きなので!私にしては快調に更新していたのだけれど、ちょっとバタバタ落ち込んだり喜んだりと忙しくしていた。日記めいたことも最近混じってるみたい。今日は大好きなミア・ファローを想って綴るのだった。あちこちで、ちょこちょこ書いたりしているけれど、ロマン・ポランスキー監督の『ローズマリーの赤ちゃん』は代表作であり、出世作となったもの。ジョン・カサヴェテスが夫役で出演している。嘗て”恐怖映画”と呼ばれていた映画のジャンルのようなものも、今ではとても多様な作風に溢れている。私は心臓がドキドキしたりするのだけれど、”サイコ・ホラー”ものや”心理サスペンス”風が好き。ミステリー風味が好きなのかな...この完全版も観たけれどかなり怖かった。でも、好きで幾度も観る。この作品に出演するかどうかという問題は当時のミア・ファローにとっては大きな決断と選択に迫られていた。『くたばれ!ハリウッド』でその逸話が語られていた。19歳で30歳年上のフランク・シナトラと結婚していた頃で、シナトラはミアの映画出演をあまり好んでいなかったそうだ。ところが、監督と製作者はミアの出世作になることを強く信じ、自信を持って説得したという。シナトラは”それなら離婚だ”と仰ったそうだけれど、ミアは出演し一躍スターとなった。でも、平和な結婚生活は僅か2年で終えた。でも、フランク・シナトラと嘗ての義娘さまであったナンシー・シナトラ(歳はミアの方がお若い)との絆は深く、ウディ・アレン裁判にもミアを援護し続けたお方。

「彼は初恋の人。真の友人であり、必要な時はいつもそこにいてくれた。」
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           ♥可愛い☆19歳頃のミア・ファロー♪

映画監督と女優の両親を持つミア・ファロー。生まれた時から映画の世界が周りに存在していたのだから。キャンディス・バーゲンやライザ・ミネリとは娘時代からのお友だちで、映画女優の着ていたお衣装を真似て特注し仕立ててもらって遊んでいたお話も読んだ。生まれつきのお嬢様なので、『華麗なるギャツビー』のデイジー役もピッタリだったと想う。あの役は既に大物の女優様方も演じたい役だったそうでオーディションに普段行かないような方々も受けたというもの。でも、その羨望の役はミアが得たのは演じなくても素の要素が大きかったのだろう。個性派女優さまだけれど、決して演技派というタイプではない。20代でも10代の少女の役柄が似合う、それもちょっと風変わりな役がハマっていた。幸か不幸か...これも運命なのだろうけれど、ウディ・アレンとの10年余りの期間は突飛な役柄がすっかり減ってしまった。逆にそれまでにないミアの魅力をウディ・アレン作品で拝見できたけれど。オファーは沢山あったけれど、ウディ・アレンはご自分の作品専属にと要望しそれに従って、他の作品と言えば『スーパーガール』(これがまたB級ぽくって面白い!)のみ。スーパーマンのいとこであるスーパーガールを演じる可愛いヘレン・スレイターのお母様役で、少しだけ出演のこの作品以外はない。なのに、とんでもない裏切りが待っていた。

ミア・ファローもまたファザー・コンプレックスの強いお方に想う。幼くして大好きなお父様を亡くされている。フランク・シナトラとの仲睦まじいお写真はいっぱい拝見した。お仕事と結婚や家庭の両立は働く女性なら誰もが悩まされる問題だろう(我が身を振り返ってみたり)。ミアはマザー・テレサを敬愛している。子供時代に病気で学校に行けずにお家で読書をする孤独な少女の姿が浮かぶ。そんな体験からか、ご自分の子供以外にも多い頃は14人程も育てていた。子供が大好きだそうだ...でも、その最初の養女は今はウディ・アレンの奥様なのだ...どんなに心に穴があき傷ついただろう...50代になっていたミアは暫く大きな役は演じていなかったけれど、女優を続けている。ようやく『オーメン』で見事な名助演を見せてくださったと私はとても嬉しかった!そして、先日公開されていたリュック・ベッソン監督の『アーサーとミニモイの不思議な国』でアーサーの祖母役で出演。この作品は実写とアニメの融合した作品でアニメの役柄の声優には、デヴィッド・ボウイ様やマドンナ、ロバート・デ・ニーロ...と大物揃い!私はミアが観れるのとボウイ様の声優としての作品なので嬉々と劇場に向かった。ところが、近所の映画館だけだったのかは分からないけれど日本語吹き替え版での上映と書いてあったので未見のまま...。最近、ちょっとガクン!となることがしばしば起こる今日この頃なれど、人生は愉しいという変な具合☆
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by claranomori | 2007-11-25 05:32 | 往還する女と少女
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★アリソン・イーストウッドは、1970年3月22日、アメリカ・ ロサンジェルス生まれ。父親はクリント・イーストウッド!最初の奥様との間に生まれた長女で、映画デビューは『ブロンコ・ビリー』(1980年)で端役として。次に『タイトロープ』(1984年)では映画の中でも父と娘という設定のサスペンス作品。アリソン・イーストウッドは撮影当時14歳頃でとても美少女♪その後、今も現役の女優さまですがすっかり変わってしまい観ていない作品が多い。偉大なクリント・イーストウッドなのですが、私は子供の頃からその世代の人気の男優さまでは、家族まるごとアラン・ドロン・ファンだったもので、かなりズレた観方をしてきたと思う。ハンサムで長身でカッコイイのだけれど先ずは女優さまや子役や衣装などに目が行く癖がいつ頃からか...。なので、内容はかなり好きなのですが、この『タイトロープ』ではもうこのアリソン・イーストウッドばかり観てしまう(先月も観たけれど相変わらずだった)。『ブロンコ・ビリー』は賛否両論の作品のようだけれど結構楽しい。70年代から80年代後半まで10年以上のパートナーだったソンドラ・ロックが私は大好き!!なので彼女が出ていればそれで嬉しい。『タイトロープ』にはソンドラは出演していない。私だけだろうか...アリソンがソンドラに似ていると思うのは。少女時代のアリソンはとても似ているので、最初はソンドラとの娘さまかと思った程(でも、それは違った)。クリント・イーストウッドがアリソンを抱き上げるシーンなど、こちらまで”ほっこり♪”してしまう程の素敵な表情。こんなに可憐な少女だものなぁ...なのに、実の娘に襲われる役を与えるのだ。この偉大なクリント・イーストウッドは幅広い世代に愛されているお方である種のヒーロー的存在。でも、私は時々、妙にどこか屈折したもの(時にロリータ・コンプレックスも)が見え隠れするように思え、そこが好きだったりする。折角のヒーロー像を歪めるようで恐縮ではありますが、魅力は幾種もあるもので人それぞれの感じ方があるものなので。でも、変かなぁ...同じように感じるお方がいてくださると幸いです(弱気)☆
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タイトロープ/TIGHTROPE
  1984年・アメリカ映画
監督: リチャード・タッグル
製作: クリント・イーストウッド、フリッツ・メインズ
出演: クリント・イーストウッド、アリソン・イーストウッド、ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド、ダン・ヘダヤ、ジェニファー・ベック、レベッカ・パール、 レジーナ・リチャードソン、マルコ・セント・ジョン
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by claranomori | 2007-10-02 22:34 | 銀幕の少女たち・少女映画
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ニキ・ド・サンファル(Niki de Saint Phalle:1930年10月29日~2002年5月21日)は、フランスの画家、彫刻家、映像作家。本名カトリーヌ・マリ・アニエス・ファル・ド・サンファル(Catherine Marie-Agnes Fal de Saint Phalle)。両親はフランス人の父とアメリカ人の母。裕福な生まれながら父の銀行が破産し1933年に家族でアメリカへ。ニキの思春期はアメリカで育つことになる。20歳で出産(この最初のご主人とは離婚している)23歳の時に神経衰弱(鬱病とも言われている)に陥り、そこからの回復のために絵を描くことを始める。1960年代には、絵具を埋めこんだ銃で石膏レリーフを撃つという衝撃的なパフォーマンスで世間の注目を浴び、その後、「魔女」「娼婦」「結婚」「出産」といったテーマの作品に取り組み、「ナナ」シリーズで大きな評価を得る。そして、1998年にはタロットカードをモチーフとした彫刻庭園「タロット・ガーデン」を、20年もの歳月を経てイタリアに完成させる。この自己との闘い、創造する上での途轍もない精神力とエネルギーを想うと壮絶すぎる。不安定な内面を持ちながらも”ナナ”に至るまでの過程とはどんなに苦渋の歩みだっただろう...とても強い!

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   ♥1963年ミュンヘンのベッカー画廊での射撃パフォーマンス!

私は80年代に知ったお方で、特にヌーヴォー・レアリスムについてというよりも、ニキという女性に興味を抱いて来たのだと思う。インスピレーションというものは大切なもので私の場合、一枚のポートレートやスチール写真などから、そのアーティストに惹かれてゆき、やっぱり好きになるということが多い。そんなお一人で、10代の頃はヴォーグやライフ誌にモデルとして掲載されたこともあるというお美しいお方でもある。ユマ・サーマンの眼を大きくしたような、中年期以降はどことなくイングリット・カーフェンを想起させるようなお方。生涯に渡り、父親への複雑な心理(コンプレックス)、性、母性礼拝、生命、闘い、苦悩、愛というようなテーマを創造されたように思う。

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  ♥ニキとスイス人の夫(彫刻家・画家でもある)ジャン・ティンゲリー♪

ドキュメンタリー映画 『ニキ・ド・サンファル/美しき獣(ひと)』 (1994年・ドイツ映画)や、『DADDY』 (1972年・フランス映画)などのDVD化も熱望しているけれど...。特に『DADDY』はニキの幼少時代の半自伝的なシュールな夢のゲームのようなお話で、愛と憎しみの家族の物語。

”アニエスは、ある日パパが死んだという電報を受け取る。彼女は昔過ごした城へ戻り、父との思い出に浸る。官服を着た立派なパパ、森でのかくれんぼ。そして、同時に思い出される、誰だか分からない怪物のイメージ...”

ニキ・ド・サンファル原作(監督ピーター・ホワイトヘッドとの共同)・出演の幻想的な映画。父親の死を知らされたひとりの女性の胸に、父との思い出がよみがえる。森でかくれんぼしたこと、母親と奇妙な“遊び”をしていた父の姿・・・。自分の過去と再会することで、変化してゆくもの。大好きなパパ、偉大なパパ、でもあれはいったい誰だったのだろう。あのモンスター(怪物)は・・・パパ...?!(ニキは自分の事をもモンスターと呼ぶ) 。この作品は万人受けするものでは決してなく、”観たくない!”と思う方も多いだろう。私は東京の友人から頂いたこの資料の中に、UAのコメントを見つけ優しく響いた。あまりにも私の気持ちに近い表現に★

「みられない人が多いことは知ってるけど、関係ないからみられないのか 関係あるからそうなのかは よくわからない。私はどっちかというと 関係ある人間で良かったと思う その方が今のところ過ごしやすい。」 (UA)
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by claranomori | 2007-09-20 20:14 | 往還する女と少女