あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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 私は戦後生まれ、それも高度経済成長期に子供時代を過ごし、思春期は超バブル大国日本であった。こんなことを書くと決して若くない年齢を露呈してしまうのだが事実だからどうしようもない。幼き頃からの想い出としての嘗ての日本の時代、戦後に対して戦前とか、昭和、大正、明治時代を想うことが好き。祖父は明治生まれであったので、私の明治、大正への憧憬のようなものがあるとすると、大好きだったおじいちゃんの姿になるのかもしれない。両親の兄姉たちは大正生まれか昭和一桁生まれ。そして両親たちの昭和10年代初頭という時代を想うことが好きでしかたがない。小学生から思春期の頃、学校で教わる授業で好きだったのは国語と社会と美術(図画工作)。まったく今もそんな感じで生きていると苦笑してしまうけれど、いつの間にかそこに音楽が加わった。それも学校での音楽はあまり好きではなく成績も大して良くなかった。高校では選択することが出来たので、音楽ではなく美術を選び、日本史より世界史を選んだ。ゆえに、日本史、殊に近代、現代史は学習として深く得ていない。何故だか、子供の頃から舶来嗜好だったので世界史の時間はわくわくして先生のお話を聞いていた。国語は現代国語も古文も大好きだった。英語と理科の科学は割と好きだった。ずっと好きではなくて苦手だったのは算数であり数学。殊に数学はどうにか赤点を取らないために基礎問題で点数を取ろうと努めた。応用問題になればなるなるほど、ちんぷんかんぷん。けれど点数は大きい。なので少しでも解き出し僅かな点数を頂き、追試を免れていたという姑息さ。嫌いな科目の追試を受けることほど嫌なことはない、と想っていたので結構必死でもあった。

 私は真面目な生徒であったと想う。でも何か違っていた。一度も立候補などしたこともないのに、小学二年生から大学に入っても学級委員のような役目を担わされた。高校時代は生徒会の書記なるものまで。生徒会活動はまったく向いていなかった。皆、優等生ばかりで私のようにデヴィッド・ボウイやルキノ・ヴィスコンティ映画、シャーロット・ランプリングの美しさを大真面目で友人たちに語る者の居場所ではないと強く感じた。早く学期が変わり他の係りに移りたいと想いながらの10年強。けれど、その中で学んだことも多いのだと想う。出来るだけ自分たちのクラスをまとめたいと想っていた。意地悪をする人を無視できなくて、ある男子に泣かされたこともある。懐かしい風景が色々浮かぶ。

 好きで楽しくその係りを務めたのは図書係と保健係だった。最初の図書係は小学四年生。あの図書カードを整理したり本棚の整理など最高に楽しかった。読んだことのない本たちがいっぱいあり、その背を眺めているだけでも楽しかった。保健係は中学三年生の頃に務めただけ。でも下級生の女子や男子の手足の傷を消毒してお薬を塗る。バンドエイドか軽い包帯までだったけれど。保健室は馴染みのある場所であった。元来、貧血症の私は朝がとっても苦手で朝礼、それも日差しの強い季節の朝礼は辛かった。後半になると一人、二人...と保健室に向かう人たちがいた。私もその一人で常連でもあった。保健の先生は女性で「また、倒れたか」と半ば呆れながらも笑顔で迎えてくださり、いつの間にか仲良くなっていた。

 初めての保健室の想い出はちょっと不思議。小学三年生だった。参観日で母の父兄の会が終わるまで学校の裏庭で待っていた。本物ではないと想うけれど、ロダンの「考える人」の像や池のある場所で母を待っていた。いつも一緒に帰るお友達はその時は先に帰っていたのか私は一人だった。すると、一年生の女の子がお腹を出しながら泣いて歩いてくる。「痛い、痛い」とお腹をさすっていた。名札を見ると小学一年生。まだ入学して間もない小さな少女だった。私は一年生の校舎が何処かも分からず、その少女が何処から歩いて来たのかも分からなかった。その少女も学校内で迷ったようで一人で泣いている。先ず、近くにあった職員用のおトイレを勝手に使わせて頂くことにしてその少女を待った。まだ痛みは治まらず泣いている。そして、職員室に一緒に行き、保健室で手当をして頂き、私は母と帰宅した。その少女との時間がどのくらいだったのだろう。今も憶えているのは、その少女の小さな手である。ついこの間まで幼稚園に通っていた女の子。生意気にも小学三年生の私なのに結構冷静であったように想う。ただ、その少女の小さな泣いている姿、小さくて柔らかい手を繋いだ時に想ったあの気持ちは「かわいい」だった。変な意味では無くて「愛おしい」のだった。何故かまた涙が溢れます。偉そうに云っても、私の手だってまだ小さかったのに、もっともっと優しく無垢な手だった。あの髪の短い小さな少女の名前は覚えていないけれど、あの可愛い手はいつまでも私の心に刻まれている。時が止まったままの私の想い出の少女の一人である。
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by claranomori | 2012-02-18 04:59 | 想い・鑑賞・読書メモ
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★1937年のバーバラ・スタンウィック主演の『ステラ・ダラス』の1990年リメイク『ステラ』。製作者は父サミュエル・ゴールドウィンからサミュエル・ゴールドウィン・Jrへと受け継がれているもの。さらに古いオリジナル版もあるそうだけれど未見。『ステラ・ダラス』もとても好きだけれど、時を経てカラー時代での『ステラ』。打ってつけのステラ役はベット・ミドラー。娘ジェニー役はトリニ・アルヴァラード。以前『タイムズ・スクエア』のことを綴った折の少女パメラ役だったお方。この『ステラ』では高校生から進学して結婚するまでを演じている。

バーで働く陽気なステラ(ベット・ミドラー)は魅力的。裕福な医大のインターンであったスティーヴン(スティーヴン・コリンズ)はステラに魅了され交際を求める。ステラは身分違いだと最初は軽く跳ねつけるのだけれど、やがて二人は恋に落ち、娘が生まれる。生真面目なスティーヴンは責任を感じ結婚しようと告げるけれど、ステラは断る。やや二人の愛が冷めていたこともあり、何より同情されて結婚だなんて!ステラのプライドが我慢ならないのだった。養育費も受け取らず自分の手でこの娘を育ててみせるという心意気。私がこのステラの好きなところでもある。娘ジェニーも成長してゆく中、ステラは化粧品のセールスなどを始め猛烈に働く。そんな母が大好きなジェニーで、二人で「カリフォルニア・ドリーミング」(ママス&パパスの曲)を歌ったりしながら、決して裕福ではないけれど楽しい日々を送っていた。

少女から大人へという時期であるジェニーは優しく素直で可愛い。父に会いにゆける日はとても嬉しい!父も娘を愛している。複雑な家庭環境であるけれど、母と娘は親子であり親友のようでもある。けれど、ジェニーが恋をした男の子パット(ウィリアム・マクナマラ)はお金持ちの息子で優秀な進学校へ行くので、ジェニーも行きたい。夏の海辺のバカンスでのこと。いつも派手なステラはご機嫌でダンスをしたり。ジェニーはパットと仲よく過ごしていたけれど、ジェニーの女友達の陰口を何気に耳にしてしまうステラ。「ジェニーのママを見た。ジェニーが可哀想。」というような。ステラはとても傷ついたけれど、このままではジェニーの幸せはない。心を鬼にして、ジェニーを父親に引き取ってもらう相談を恋人であるジャニス(マーシャ・メイソン)に持ちかける。ジャニスも自立した賢明で素敵な女性。一生懸命育てて来たステラの大切なジェニーを...と戸惑うのだけれど、ステラの意志は固く、わざと長年の友人エド(ジョン・グッドマン)といちゃついたり、ジェニーに「もう、あんたの面倒はみれないわ!」と心にもないことを、涙を隠して言い放つ。傷心したジェニーは父の家にゆく。

時が経ち、ジェニーはパットと結婚する日がやって来た。母ステラに手紙を出してるジェニーにステラからの便りはない。結婚式の当日も母を待つジェニーの心。そして、中には入らず、外から窓越しに美しくなったジェニーのベールの花嫁姿、そして新郎がキスをする姿を見守るステラ。何度観てもこの場面近くから泣いてしまう。そして、雨の降る中、ステラは涙を浮かべながらも笑顔で軽やかな足取りで帰ってゆく...。

ウーマン・リブとかそういうのはあまり興味がない私。けれど、女性の男性に屈しないプライド、女の意地とか女子の志という姿を持ち、それでいて女性らしさも併せ持つ個性的な女性って大好き!なので、スティーヴンもステラに魅了されたのだし。お金や見た目ではなくてステラの自分に対するプライド。そこが好き。他人との優劣など気にしない。ステラ自身の心。そんな母を離れても決してジェニーは忘れはしないし、親子の愛、絆というものは言葉では言い尽くせない深いものであることを、この映画からも学ぶことができる。

主題歌もベット・ミドラーが歌っているけれど、当時は本国アメリカではこの映画の評価はあまり良くなかったようだけれど、私は好きです♪

パット役のウィリアム・マクナマラは以前綴った『ワイルドフラワー』と同じ時期の作品。また、ジェニーを誘う不良のジム役のベン・スティラーは、ステラに最初から嫌われています。

ステラ/STELLA
1990年・アメリカ映画
監督:ジョン・アーマン 製作:サミュエル・ゴールドウィン・Jr 原作:オリーヴ・ヒギンズ・プローティ 脚本:ロバート・ゲッチェル 撮影:ビリー・ウィリアムズ 音楽:ジョン・モリス 出演:ベット・ミドラー、トリニ・アルヴァラード、マーシャ・メイソン、スティーヴン・コリンズ、ジョン・グッドマン、ベン・スティラー、ウィリアム・マクナマラ、アイリーン・ブレナン、リンダ・ハート

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by claranomori | 2010-10-31 06:52 | 銀幕の少女たち・少女映画
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★秋の夜長になんとなく憂愁に包まれてしまう今日この頃。なので、軽い爽やか青春映画のことを。リアルタイムではないので遅れて観たのですが1980年の映画『リトル・ダーリング』。主演はお金持ちのお嬢様フェリス役のテイタム・オニールと母子家庭に育つ鼻っぱしの強い少女エンジェル役のクリスティ・マクニコルを中心に、ミドル・ティーンの女の子たち。
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お話は、小学生から高校生までの少女たちが「キャンプ・リトル・ウルフ」行きの専用バスに乗り、サマー・キャンプでの楽しい数週間を過ごす中での、仲間たちの交流、思春期の少女たちの異性への好奇心や体験がとても爽やかに描かれたもの。ミドル・ティーンの女の子たち、それぞれの個性があってみんな可愛い!彼女たちの好奇心の的となる男性が二人。一人はキャンプの運動コーチのキャラハン(アーマンド・アサンテ)と、同世代の男の子ランディ(マット・ディロン)。下町育ちで片意地を張ってる少女エンジェルは父親がいなくて母子家庭。そんなエンジェルとは対照的な上流階級のお嬢様フェリスの二人は同い年の15歳。ライバル意識を互いに持ち、キャンプに参加した女の子たちに派閥ができる(賭けをしたり大変!)。というのも、フェリスとエンジェルのどちらが先にひと夏の体験をするかというもの。そんな対決となったのは、既に14歳で経験したと鼻にかけたスーパーおませな少女シンダー(クリスタ・エリックソン)が発端。

シンダーに負けない耳年増で、時折シェイクスピアなどを引用するタナ(アレクサ・ケニン)、ヒッピー哲学に生きる少女サンシャイン(シンシア・ニクソン)、赤毛なので「キャロット」とあだ名で呼ばれるキャシイ(シモーヌ・シャクター)。そして最年少の小学生だけれど、同年たちは子供っぽいから!と上級生のキャビンに乗り込んできたペネロープ(ジェン・トンプソン)。この少女たちのおませな頭とまだ子供の心のアンバランスさを軽快に描いている。なので、少女エロス的な内容の作品にはない爽やかさ。

クリスティ・マクニコルはどこか少年ぽくて想っていたより可愛いお方だった(この映画が初見で『泣かないで』等も好き)。テイタム・オニールはもう少し小さい頃の『がんばれ!ベアーズ』が一等好き!シンシア・ニクソンは『セックス・アンド・ザ・シティ』シリーズで今もスレンダーで素敵に活躍中!コーチ役のアーマンド・アサンテはほとんどよく知らないまま今に至る。マット・ディロンは『ランブルフィッシュ』が初見(ダイアン・レインお目当てに観たもの)。この『リトル・ダーリング』時は15歳頃で、まだ長髪でとっても色白でかわいい少年だったのでビックリしたものだ。

フェリスとエンジェルは反発し合いながらも次第に友情が芽生える。日焼けした少女たちをバスが親元へ。フェリスを抱きしめる父。そして、エンジェルを出迎える母に「ママ、私の親友のフェリスよ」と紹介する。そうして、少女たちのドキドキのひと夏が過ぎ去ってゆくのだった。
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80年代の少女映画はやはり特別な思い入れがある。この『リトル・ダーリング』は1980年作品なので、まだ70年代の香りも残しているのも好き。今の時代の学園ものや思春期少女たちをコミカルに描いた映画も観てしまうのだけれど、やはり時代感というか時代の空気感は再現不可能だと想うので、その時代時代の好きなところを大切にしていたい♪

リトル・ダーリング/LITTLE DARLINGS
1980年・アメリカ映画
監督:ロナルド・F・マクスウェル 脚本:キーミー・ペック、ダレーン・ヤング 撮影:ベーダ・バトカ 衣装デザイン:ジョセフ・G・オーリシ 編集:ペンブローク・J・ヘリング 音楽:チャールズ・フォックス
出演:テイタム・オニール、クリスティ・マクニコル、マット・ディロン、アーマンド・アサンテ、マギー・ブライ、ニコラス・コスター、クリスタ・エリクソン、アレクサ・ケニン、シンシア・ニクソン、シモーヌ・シャクター、ジェン・トンプソン、アビー・ブルーストーン

※映画雑誌『スクリーン』の古いものが家に結構あったのは母が買っていたもの。その影響で古い映画の女優さまを知ることができた。80年代になると、私は自分で雑誌を買い始めていて母に見せてあげたり。買った号は全部残しているのだけれど、箱に入れたままなのでまた眺めてみたいと想う。少女子役スタートの80年代作品を残すアイドルスターたちを辿ると(生年月日順に)、年長からだとナスターシャ・キンスキー、ジョディ・フォスター、クリスティ・マクニコル、フィービー・ケイツ、テイタム・オニール、ダイアン・レイン、ブルック・シールズ、エマニュエル・ベアール、ソフィー・マルソー、トリニ・アルヴァラード、サンドリーヌ・ボネール、パスカル・ビュシエール、ジュリー・デルピー、ジェニファー・コネリー、シャルロット・ゲンズブール、ウィノナ・ライダー、アリッサ・ミラノ、ヴァネッサ・パラディ、ジュリエット・ルイス...そして、ぎりぎり80年代終盤に登場のロマーヌ・ボーランジェ、サラ・ポーリー...かな。この中だと、以前は、クリスティ・マクニコル、フィービー・ケイツ、テイタム・オニールの興味が薄かったのだけれど、今観返すとみんなとっても可愛いのでした☆
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by claranomori | 2010-10-20 06:02 | 銀幕の少女たち・少女映画
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『永遠のアイドルと泉の畔の女神たち』 ← にて更新いたしました♪

※この頃の私はまだ洋楽に目覚める前で、最も心トキメク存在は郷ひろみ(HIROMI GO)でした。いつのまにか洋楽好きになり、お仕事も欧米の洋楽が主で今も継続していること。私が少女だったころ、否、少女という意識すら持っていなかった子供の頃...その頃から子供なりに美しいものが好きだった。学友たちとのズレが日増しに生じていた。それでも、私の心がトキメクものは微動たりしない!可愛い少年から綺麗な青年へと大人の階段を上ってゆくひろみの姿は私に印象強く刻まれている。同時に、その頃の少女時代へ軽くタイムスリップできる。こんな感覚は誰にだってあるだろう。私がこの曲を歌うひろみの年の頃は最悪の「大人恐怖症」に陥っていた。ほんの数年前(この時間は一刻一刻が瞬く間で儚い)までは自分でそんな状況になることすら考えたこともなかった。ケタケタ笑ってはメソメソ泣いていた。夢と希望のようなものを抱いていられた、そんな頃の私、そんな風景が浮かぶ。すっかり時を経た今の私だけれど、あの頃の私も私。尊く大切な記憶☆
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by claranomori | 2010-07-23 19:58 | 想い・鑑賞・読書メモ
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『奇跡のアルバム★郷ひろみ『HIROMIC WORLD』(1975年)作詞:荒井由実 作曲:筒美京平』 ← を更新いたしました♪

※だんだん分って来る気がします。何故!私が女の子大好き!で、なおかつ少年愛好も続けているのか。心がそうさせるのですが、どちらかに偏ることが多いとお聞きします。そうなのです!私の原点にはあの「女の子のように可愛い郷ひろみ」が居たからです。もう後戻りはできないでしょう...すっかり童女時代にまでタイムスリップしてしまい、「私のバラ色の人生」のあの風景が蘇るのです。アイドルやスターって凄いです!こうであらねばならないのです。「音楽ブログ」の方に、郷ひろみ+荒井由実(ユーミン)+筒美京平による奇跡の名盤のことを綴りました。ユーミンの少女世界の少年版とも云える名作だと想います。ひろみの19歳から20歳にかけてのアルバムです。ああ、素晴らしい☆
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by claranomori | 2010-02-06 02:28 | 少女愛考・少年愛好
★時折思い出す。今はもうご結婚され母親になっているだろう6年間親交のあったお友達のことを。中学と高校の6年間が一緒だった。中学になると違う小学校からもやって来る、そんな中で部活も一緒で仲良くなっていた。けれど、同じクラスになったのは最後の一年、高校三年生の時だけ。同い年なのにどこか大人っぽいクール・ビューティーな少女だった。最終的には同じくらいの身長になったけれど、私は身長が伸びるのが遅くて中学の時は前の方に居た。彼女は後ろの方。もっともお話するのはやはり部活の時間。私達は陸上部で彼女は主に跳躍の専門。私は短距離とハードル。

そうそう!「長距離ランナーの孤独」ではないけれど、陸上部って孤独だといつも感じていた。自己の記録が更新されている期間は短いけれど、その儚き時間を私は太陽光線が苦手なのに夏休みも練習していた。楽しかったのだ。真夏の想い出はそばかすが一気に顔中に増えたこと。みんなのように綺麗に黒くなれず、いつも真っ赤な顔で鼻先の皮膚が醜いと鏡を見ては悲しくなっていたこと。髪も日焼でさらに赤茶色になっていた。でも、日曜日は大会があればみんなで自転車で遠出した。帰りには美味しいコロッケ屋さんに行ったり。その女の子とは400メートル・リレーが同じだった。陸上で唯一のチーム競技。チームでダントツに早い凄い人がいたので彼女が第四走者と決まっていた。その他の三人はその都度記録(タイム)により決定された。私は何故かカーブ(第一走者か第三走者)のタイムが良かったみたいでいつの間にか第一走者と決まっていた。試合の前日はドキドキしてほとんど不眠だった。責任重大なのだ、第一走者って。フライングするともうアウトだし、最後の走者までに少しでもタイムを良くしてバトンを渡してゆく。バトンの受け渡しにタイムのロスが生じるのでその練習も幾度もした。私の個人の競技のどれよりもそのリレーが終るまで緊張していた。一位でメダルを頂いた時の感覚があまり思い出せない。中学の時に大会新記録を4人で出したことがある(すぐに更新されたけれど)。その翌日の朝礼で校長先生が私達の名を挙げ誉めてくださったのだけれど、朝礼は長いとすぐに貧血になり保健室へ向かう私。その顔ぶれは毎回大体同じ。私は運動部の体質ではなかったらしい。

その「スーパー・リッチでクール・ビューティーな少女」は第三走者を担うことが多かった。最後の年までは同じクラスでないので彼女がお昼ご飯をどうしているのか知らなかったのだけれど、試合にゆくとパンなどを一緒に買いにゆくことがあり、その時に驚いたのは、中学生の頃からお財布にお札がいっぱい!私はというと必要最低限のその日のお小遣いを貰っていただけなのでビックリ。学年を上る度に仲良くなっていてようやく高校三年生で同じクラスは嬉しかった。お誕生日とかクリスマスくらいしかケーキを食べることは普通なかったけれど、そのお友達はしょっちゅう食べていると云う。高校にもなれば学食を利用する人が多く、お昼休みに教室に残っているメンバーは決まっていた。ガランとした教室で、私は持参したラジカセと編集したカセットテープをそのメンバーに聴いてもらうことが楽しかった。どんな反応を頂けるかなって。その中にはブライアン・イーノやエルヴィス・コステロを知っている人が居て意気投合したり。彼女は演劇部。私は16歳で腎臓が悪化しドクターストップを受ける。診断書を先生に提出しみんなとお別れした時のことも想い出す。お陰で自由な時間ができた私は学校の図書館を利用することが多くなった。読書をする時間が退部届けと引き換えに与えられたみたい。校舎から見下ろすと中学から一緒に過ごしてきた彼女たちの姿がある。寂しかったな...。でも、その女の子とはクラスが同じなので部活が終ってからも一緒に過ごす約束が多くなった。彼女と私は校区の端と端というくらいにお家が離れていた。彼女達の通学路の近くに私のお家があったもので、制服のまま彼女たちが集まることになって行った。

私は両親によそのお家に遊びに行き門限を過ぎて帰宅すると凄く叱られた(私の10代の門限は夕方の6時だった)。なのに、彼女たちが家に居てくれる分には問題なくて、時には晩ご飯を一緒に過ごすこともあった。なんだか変なのだけれど、お友達と少しでも一緒にいるために、彼女たちのすっかり寄り道の場所に私の家(部屋)が役立っていたようだ。私は早々と私服に着替えて彼女たちがやって来るのを待っていた。そのメンバーに洋楽を聴く人は居なかったので、彼女たちが好きそうな日本の音楽(当時はニューミュージックと呼ばれていた)をエアチェックした専用のテープを用意して。偶に洋楽をかけたりしても反応はなく、ほとんどお喋りしていて耳を傾ける暇もない。「いつもこんな音楽聴いてるの?」とか「普段はこんな格好してるんだ!」とからかわれた。「ロックを聴いていると肌が荒れるんだよ」とか...懐かしい♪

そして、いつもお財布にお金をいっぱい持っているスーパー・リッチなお友達。彼女はいつの間にか、学食ではなく購買部でパンとジュースを買ってガランとしたお昼休みの教室メンバーに加わるようになった。そんな時に初めて知ったこと、その時のことが忘れられない。ポツリと「毎日お弁当で羨ましい...」って、そのクール・ビューティーな少女が云った。ドキっとした。その寂しげな表情と同時に「そうか!」という想い。私は毎日お弁当が嫌でみんなと偶には学食に行きたかった。母に云うと週に一度だけ500円を学食費に頂けることになり、姑息にそのお釣りを貯め翌月のレコード代に充てていた。私のお弁当と彼女のパンを半分ずつ交換することもあった。そうすることを喜んでくれるので。私の家で最も遅くまで居ても良かったのはそのお友達。帰っても外食ばかりだと母の煮物を美味しいと食べてくれていた。母はそのお友達のお母さんと電話でお話していたこともあったので、実は私より現状を知っていたのだろう。一度だけ彼女のお家に行ったことがあるけれど、自転車でも遠くて少ししか居られなかった。お兄さんとお母さんと三人暮らしだと知った。お兄さんは働きながら大学に通っていると。お母さんはお仕事が大変で、お弁当どころか、一緒にご飯を食べることも滅多にないと。なので、小さい頃から一ヶ月の食費としてお金を貰っていたのだった。私はその時、ずっとお金持ちのお嬢さんだという勝手な彼女への浅はかな思い込みが瞬間に散って行くようだった。そして、彼女の表情にいつも何か翳りを感じていた(それを美しいと想っていた)、その訳も理解できた気がした。あまり他のお友達は彼女の翳りに関心がなかったけれど、私はどうしていつでもケーキを食べることが出来るのかを知った。でも、そのケーキもいつも独りぼっちで食べていたのだと。よく連れ立って学校内を歩くようになったのに、進路は異なり卒業しなくてはならない日がやって来た。桜の咲く頃はこうした淋しい想い出ばかり。

私が陸上部だったと云うと驚かれることが多い。今から想うと自分でも信じられない位に練習していた。校庭はいっぱいにみんなで使っていた。野球部のボールが怖くてビクビクしながらキャッチもできず何度か頭に当たって痛かった。ソフトボール部、サッカー部、フェンス越しにテニス部、その奥にバレーボール部、バスケットボール部。反対側の隅に卓球部、演劇部の人たちも発声練習しながら時々ランニングしていた。英語部の人たちは窓からいつも手を振ってくれた。私は顧問の先生によく注意を受けていた。「何のためにスパイクを履いているんだ!?」って。先輩の真後ろに付いて走らされたことがある。スパイクで土を蹴りながら走る正しい姿なのだ。私の真後ろにいてもまったく土がかからないと云われた。自分では分からず結局上手く蹴りながら走ることが出来ずに終ってしまった。手を振ってくれる英語部の友人たちは私のそんなスーっと走る姿が好きだとフォローしてくれたけれど、実際に先生の指摘は正しいのだった。上手く活用していたならもう少しタイムは良くなっていたのだから。県大会のハードルで練習不足故に転倒してしまった。凄く叱られた。準決勝まではいける予定だったのに予選でのこと。そして、その上手く活用できないスパイクの針で足は傷だらけ。かなりサイテイで先生も叱った後は呆れて笑うしかなかった。私は呆然としていた...でも、今では大切な想い出たち♪

※(追記)
腎臓を十代で患う羽目になったのは自業自得のことだと随分後に身に沁みた。大事な臓器であるのに、私はバカだとしか云いようのないことに、中学高校という時期に校内のおトイレを利用したことがほとんどない。校舎内の云えば秘密の場所。内緒話したり教室では云えない悩み話を聞いたり。そんな為に一緒に利用していた。あるいは、鏡を見て前髪や制服を整えたりする場所だった。また、長年、駅や公共の場のおトイレも抵抗があった。その為に極力水分を摂らないことが普通となっていた。その上、陸上部なので水分はバテることになるのでお砂糖漬けのレモンをお水の代わりに少しずつ食べていた。そんな愚かな時期を情けなく回顧できる歳になっている。そうして、あの頃の私を懐かしい私であるとも。でも、私に違いない。今も完璧に克服できたかは自信はないけれど、醜いと想っていたことが実は美しいことであったり、尊いことであると心から想えるようになった。あるお友達が「偶には太陽に当たるのも大切よ」って仰ってくださった。もう何年か前だけれど、今ようやくそのお言葉の有り難さを感じているところ。人間の日常には滑稽なことも多い。それらの悲喜交々はすべて美しい生きている姿なのだとも。最近、ノスタルジーに浸ることがさらに多くなったのは歳のせいだろう。本当に100歳まで生きられるのだろうか...その為の学びの日々なのだとポジティヴ・シンキングと水分摂取は欠かせない☆
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by claranomori | 2009-11-23 23:00 | 往還する女と少女
★やはり生きてるって面白いなあって想う。つべこべと想ったことを気ままに色々綴っていると、自分では良く分からないでいたことが、ほんの少しだけれど分かるように感じられることもある。何を云いたいのか!「私は女の子が大好きである!」そして「童女でも老女でもよい!(少女性が感じられたならなおのこと)」。また、音楽や映画で云えば「女性ヴォーカルや女優が大好き!」これらの範囲はとても広い。また「少年愛好」も長年のこと。反して「男性ヴォーカルや男優」となるととても好きなタイプと苦手あるいは興味がない...と限られたものになる。全ては私が男性ではないので分からないからなのだと想う。そして、子供時代のあの性別の区別の曖昧な頃から「美しい男の子」に憧れた。それは、私が「女の子」と植えつけられてしまっていたのだし。

私は自分で性別の差異を考えてもいないのに、両親から「女の子だから」という理由でしてはいけない事や使ってはいけない言葉や態度、遊ぶ時間さえ短くて...厳しい日々を送ってきた。弟がいるのだけれど、姉が云うのも変だけれど少年時代の弟は美少年であった。でも、病弱で入退院を繰り返し学校の成績は悪かった。色んな劣等感があったようだ。そんな弟が愛しかった。そんな時間は短く過ぎ行く。いつの間にかすっかり私の身長を追い抜き、声も変わってしまった。遊び方も違うし、観たい番組も違う。バレンタイン・デイには幾つもチョコレートを貰って帰って来るので助かった。意外とポーカーフェイスを気取った様子などをさり気なく見つめていた。お返しのホワイト・デイにはどうするのだろうかと興味を持った。結局分からないまま。内気なので実は好きな女の子からは貰えずに淋しかったのかも。私も女の子からチョコレートを貰ったことが過去にある。所謂、思春期に入っていた頃。けれど、その眼差しにまったく気付かずにいた。上手く行かないものなのだ。私の好きな女の子は早熟で早くから男子と交際していた。けれど、その男の子に嫉妬はなかったようだ。なぜなら、私は音楽が大好きになっていたから。その日々は一日一日と日増しに。偶像(アイドルやスター)に夢を馳せていたのである。ヒーローとは男性か性別のないものと感じていた。また、揺るぎのない最大のヒーローは父である(今も変わらずボウイだって敵わない)。なので、身近の男子と交際なんて気味の悪いことだったのだ。でも仲の良い男子は居たので何故もっと普通に友情が保てないのだろうか!と長年想ってきた。今はようやく異性の友たちが居る。時間が必要だった、とても。

こんな具合なので、「変なの~!」とか「変わっている」と云われ続け、私の大好きな音楽や映画に対してもまったくの偏見で批判も受けた。分かってもらえないから話すを止めてしまった時期もある。それが私の思春期の真っ只中。気持ちの悪いものや汚いとか醜いと感じるものが強くあった。高校にもなれば周りのお友達は恋愛と共に学校生活があった。失恋して泣いている姿も幾度も見て一緒に泣いた。代理で告白を伝えに行くこともあった...良い想い出はない。男子たちのみるみる逞しく成長する姿が不思議だった。また同じ位に女子たちのみるみる変容してゆく姿には複雑な想いがあった。私は身長はまだ伸びて欲しいという勝手な望みを持ちながら、その他の成長を拒絶する想いは強烈だった。そんな私を「おかしい」と周りは云うのだけれど、自分でも分からないのだからどうしようもなかった。今もまだよく分からない。ただ、私は女性であると分かってはいるので「女の子」の気持ちは色んなパターンで想像できるし理解しようとする。けれど、「男の子」のことは分からない。なので、「美しい」と思える無性の刻の「少年」ならまだ近いものを感じるのかも。大人の女性も中性的な方が今も好みだし、やはり何か欠如しているのかもしれない。

私のもう少し上の世代の方々は白黒テレビという時代。私はカラー世代。お話しているとこれはとても凄いことみたい。同じ番組をカラーで観るのと白黒で観るのは。郷ひろみはカラー世代ならではの新しいアイドル登場であったのだと想う。陽の美少年(美青年)である郷ひろみ。思春期に入ると一気に中性的で耽美などこか妖しげな世界に憧れ始めた。太陽や健康的なものから逃げるように。タイミングは見事でデヴィッド・ボウイやルキノ・ヴィスコンティを知る。今の私は亡き両親の歳に近づいてゆく。弱いなりに結構大病に至らず生きていられることを幸せに想う。角膜の問題で太陽光線が苦手ではあるけれど、最近は太陽の尊さ(恵み)を少しずつ感じられるようになっている。月光や星を眺める方がずっと好きではあるけれど、不健康な不規則な生活をしているけれど、ようやく「健康である姿の美しさ」を感じられるようになっている。それは、15才のあの綺麗な女の子みたいな少年だった郷ひろみが54歳になり、今なお清閑な姿を維持していることを再認識したことによる。初めて好きになったアイドル(スター)である。それも大好きだった。子供の頃にまっすぐで毒気のないアイドルを好きになったことが今の私には貴重な想い出なのだ。日本語の歌、歌謡曲、関西人なので上方芸能に親しみ、それらの歌詞やメロディー、また泣き笑いのお芝居を観て育った。少女マンガを読み異国を夢見ながらも、日本語の詩は響き刻まれていたのだと想う。そんな訳ですっかり毎日、ひろみの古いレコードを聴いたり歌詞を読んだりしていると、これまた新鮮なとんでもない発見が次々とある。初めて行ったコンサートも郷ひろみだった。少し年上のお姉さんたちの方がファンが多かったのか、仲良くしてもらっていた。一度だけ最前列で拝見できたのだけれど、テレビで観るよりさらに細くて綺麗だった。大阪のフェスティバルホールは満員で、階段をドキドキして上ってゆくと煌びやかなドレスを着た美しい女性方が花束を抱えて語り合っていた。上まで上るとその方々は女装をした男性方だった。云われなければ女性だと想っていただろうというくらい印象強く残っている。私の音楽原点は郷ひろみであり、岩谷時子&筒美京平の楽曲たちなのかもしれない♪

大学生になってからマニアックな音楽友達もできた。”洋楽を聴き始めるまでは誰が好きだった?”と訊かれ、どんな反応をされるかとちょっと緊張しながら”郷ひろみ”って云った。すると、その先輩達は”そうだろうね”と意外と同意してくれたことを想い出す。当時、その先輩との共通の好きな音楽はジョン・フォックスやマーク・アーモンドたちだった★
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by claranomori | 2009-11-15 05:21 | 少女愛考・少年愛好
1989年頃に発行された古いサブカル雑誌の中の、『いごこちのいい「少女世界」』と題された文章を読んでいた。当時の同人誌に熱い想いを馳せる少女たちの全体像のようなことが書かれている。私は同人誌という世界には無知に等しい。けれど、そのような文化が今も根強く存在することになんの抵抗もない。私が好きな世界を妄想したりして脳内で描くのと似ているのかもしれないと想うから。この記事の中に、「これは私のことか!」とドキっとした記述の部分もあり、分かるような分からないような部分もあった。けれど、興味深く読んでいた。その一部を。

10代、20代の女のコといえば、スキーやテニスをし、ディスコで遊び、海外旅行に夢中。そんなものだと思っていた。男のコと大好きな恋愛をし、たとえそのことで悩んでいたとしても女のコ同士相談に乗り合い、文句を言い、グチをこぼしながらもけっこううまくやっていると。(中略)

思えば、新撰組の土方歳三と沖田総司に夢中になる少女たちは昔からいた。「少女時代の潔癖性」などということばでは括られてきたアレだ。あるときは歌舞伎の女形であり、あるときはランボーやワイルドなどの世紀末文学であり、あるときはデビッド・ボウイやJAPANなどの耽美的ロック・ミュージシャンであったりした。中性的なものへの憧れ。が、かつて彼女たちは思春期を過ぎて、大人の女になるにつれて、そうした潔癖性からも卒業していくはずだった。結婚をし、子供を産んで。

「同人誌活動のほうがおもしろい」。彼女たちは今メディアを手に入れた。そして溢れる情報のなかから、好みに合わせてマンガやスポーツ選手からさえも、主体的に記号を選び出す方法を。 (梨本敬法氏)


1/3程を記しました。私は沖田総司が好き。ランボーもワイルドも。そして、ボウイやJAPANなどの耽美派ミュージシャンにマンガ。スポーツ選手は女子か女性が主だけれど子供の頃からトキメク存在のお方がいた。中性的なものへの憧れは今もある。理解のある相方がいてくれるけれど、未婚で子供もいない。子供が大好きなのにである...これは長年の愛する世界が築かれる過程において何か因果なものが私の人生を方向付けてきたようにも想う。私は今のお仕事も「したいから」ではない。知らない内に此処に居たという感じなので不思議。流されたのでもなく、愛するものたちのある世界へ導かれたのかな...。元々、虚弱体質とやらだけれど歳のせいか、風邪をひきやすくなってしまって今も咳き込んでいる。けれど、思考ばかりしている。夢をみたり、現実に叩きのめされたり。でも、一度決めたことを投げ出す事をとても嫌っていた父の姿が浮かぶのだ。「また、メソメソしてるな!やると決めた以上頑張りなさい!」って。そして、少女時代からずっと心の住人である美しき方々やモノたちも私を宥めてくださる。だから、生きて来れたのだし、体が動く限りまだまだ出来ることはいっぱいある。弱音を吐くこと、投げ出すこと、やめてしまうことはいつだってできるのだから。

こんなことを考えては泣いていた。「泣いても泣いても、人生謳歌!」これはスローガンである。みんな、頑張っているのだから、それぞれの環境や年代や立場は違っても!私はもっと頑張るべきだとも。
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by claranomori | 2009-10-27 11:27 | 少女愛考・少年愛好
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★思春期・青春期を過ごしました80年代はやはりとても思い出深いものです。一人で小さな映画館に通うようになった頃に観たもの(リバイバルも多かったです)は、年月を経たのでまた観直したいと思うのです。とりあえずこの3作品の画像を(80’sフランス映画の3本立てみたいですが)再見してから今の想いを綴っておきたい場所ですので、予定が変更(映画以外の記事も予定がいっぱい)するかもしれませんが宜しくお願いいたします♪
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by claranomori | 2009-09-17 08:26 | 銀幕の少女たち・少女映画
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主人公の少女スーシー(アンナ・リンデーン)は15歳。幼い頃に父親とは死別。母親はアルコール中毒。スーシーは子供の頃から里親から里親へ。親から愛されたことのない少女。愛をもっとも求めているのだけれど、愛されたことのない少女にはその受け入れ方も分からないのだろう...。このカイ・ポラック監督の『ラブミー』をとっても久しぶりに観返した。とても響いた。少女スーシーの傷ついた心や繊細さ。そして、義父なる存在との関係。これは度々映画や小説を読んでいても出てくる”ロリータ”というキーワード。そして、安易に”ロリータ映画”と括る、あるいは呼ぶことも好きじゃない。こういう疑問がいつも付き纏い頭と心が混乱するのは何故だろう。

初めて観た時は私もずっと若く、正直後味は良くない印象の映画だった。両親の愛をいっぱい頂いて育ったと思える私には少女スーシーの心の孤独さを感じることなどできなかったのだろう。逆にこのスーシーに対して不快な気持ちも抱いていたのかもしれない。なのに今回で3回目の鑑賞...何かが突き刺さったままだからかな。実の母親のアルコール中毒症はかなりの重度のよう。それでもそのママを愛しているスーシー。けれど、里親を転々としている。いまだに馴染む”家”が見つからずにいる。一番欲しいであろう”愛”と”家”。15歳のスーシーの新しい里親グンナー(トーマス・ラウスティオラ)とマルタ(レーナ・グラーンハーゲン)。殊にマルタはこの少女を我が娘のようにと望んでいる。彼女を助けようと精一杯の姿に心打たれる!他人でもこのような”愛”を持って接することのできる人はいる。人間の尊く美しい姿をマルタに見る。グンナー一家には18歳の少年トーマス(トーマス・フリュク)と幼い娘アン(イェニー・カイ・ラーセン)がいる。彼等はスーシーを優しく歓迎する。けれど、その初日から問題だらけ。スーシーは彼らの優しさが分からない。利発な少女なので頭では分かっているし感じてもいる。けれど、その優しさの受け入れ方を知らない。とても可哀想。苛立ちは乱暴な行動をとったり家出を繰り返したり。でも、時折とても美しい表情を見せる。幼いアンと一緒にピアノを弾く場面が好き。この小さな少女アンもとても可愛い。トーマスはスーシーに恋をするけれどまだ若い。15歳のスーシーは初めて純粋な恋をするかに見えたけれど、そうも行かない。義父を誘惑したりもするあたりの心を想う...。

でも、ようやく”家”を見つけたかのようだった。”長い道のりだった”という。15歳の少女が”長い道のり”と自覚するのだ。どんなに辛いこれまでだっただろう。でも、この先の方がずっと長い道のり。その後、スーシーがどのように成長し過ごしたのかは分からないけれど、最後に映るスーシーの立ち姿は美しく、表情には微笑みが見られた。そして、ピアノを弾くスーシーを見つめるアン。スーシーを渾身の力と強い愛で受け入れようとするマルタ。複雑ながらスーシーを放したくはないグンナーとトーマス。穏やかなグンナー一家を破壊しそうなスーシーだったけれど、彼等は彼女を愛している。そして、その微笑みと同じように今までとは違う新しい人生への光のようなものを残して映画は終わる。澄んだ北欧の景色と深い余韻を残して☆
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ラブミー/ALSKA MEJ
1986年・スウェーデン映画
監督・脚本:カイ・ポラック 撮影:ローランド・ステルネル 音楽:アラン・ペテション、グスタフ・マーラー 出演 アンナ・リンデーン、レーナ・グラーンハーゲン、トーマス・ラウスティオラ、トーマス・フリュク、イェニー・カイ・ラーセン
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by claranomori | 2009-03-15 11:59 | 銀幕の少女たち・少女映画