あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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タグ:往還する女と少女 ( 49 ) タグの人気記事

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「ガラスの城★私の王国あるいは夢幻の青い花」 にコレクション投稿いたしました。

 ずっと大好きなシャルロット・ゲンズブールの22歳の頃のもの。撮影はフランスのフォトグラファーで革命児とも称されるジャン=バプティスト・モンディーノによるものです。少女から大人へという時期のシャルロット。シャルロットって父セルジュ・ゲンスブールと母ジェーン・バーキンの良い要素を一身に受け継いでいるように思えてなりません。「それは贔屓目だよ~」って?笑われたりもするのですが好きなシャルロットを喜んで大いに贔屓しています。私の永遠の少女イコンのお一人です☆

  たとえば、昔持っていたイノセンスをなくしてしまった気がするの・・・・・。
自分の中の好きなところ、好きじゃないところを、自分ですごく意識するようになってしまった。前はそんなこと気にしてなかったのに
シャルロット・ゲンズブール
 
 5年前は一言もしゃべれなかったというシャルロットが、最近は楔がはずれて自由になったみたい、だとも語っていました。このインタビューの頃の最新出演作は、イアン・マキュアンの1978年の小説『セメント・ガーデン』を、アンドリュー・バーキンが脚本・監督し映画化したもので、以前綴りました『セメント・ガーデン ルナティック・ラブ:禁断の姉弟』でした。


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by Claranomori | 2015-06-18 05:59 | 少女イコン・不滅の少女
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わたしは、ひとりの時間が好きです。
自分勝手だと思われてもいいの、
子どもが家を出て行き、
二度と一緒に住みたがらないと言って淋しがっているお母さん達。
ちょっと周りを見回してごらんなさい。
やろうと思えばできる楽しいことが、たくさんありますよ。
人生、長くはないんですもの。
うかうかしていると、何もできないうちに終わってしまうわ。

ターシャ・テューダー
引用: 『思うとおりに歩めばいいのよ』 - 「幸福とは、心が充たされること」 - より

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★ターシャ・テューダー(Tasha Tudor:1915年8月28日~2008年6月18日)はアメリカのマサチューセッツ州ボストン出身の、絵本画家、挿絵画家、園芸家、人形作家でもあります。92歳で他界され早5年が過ぎましたが、これからの私の人生に、何らかの希望の光を与えてくださる大好きなお方のお一人に想っています。

みんなが本当に欲しいのは、物ではなく心の充足です。
幸福になりたいというのは、心が充たされたいということでしょう。

今回引用させて頂いたお言葉は、ターシャ・テューダーが87歳の折のもの。自分の時間を愛し、広大なお庭での自給自足生活。この晩年期にさえ、「思うとおりに歩めばいいのよ」とおっしゃるターシャ・テューダーの自由な精神の尊さ。与えられた自由ばかり欲する心とはかけ離れた、もっと崇高で強靭な精神。そこから自由を享受する、そんな「自由」という人間の尊厳を私はどうしても考えてしまいます。そして、心の充足を得るためには、不自由であらねばならない、のだとも想えます。

どうしたものか、先月のイベントから朗読と歌の活動も始めました(次回は9/29・日です)。何故?何故?ばかりの心に出来るだけ無理のないように向き合いながら、私のこの先の人生を歩んでゆけたら...と。愛する美しきものたちへのオマージュ、そして私自身が、私の心なるものとしっかりと向かい合って生きて行きたい想いゆえに。

義父母の闘病を毎日見守る中、私が娘として得られるものの尊さを痛感している日々です。この世に生まれて来たこと、愛しき両親や家族、愛犬、友人たちへの感謝の気持ちもひしひしと。そんな想いが我が国、日本を想うことにも繋がるようにも感じているところです。
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by claranomori | 2013-08-02 08:02 | 往還する女と少女
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「サロン・ド・ヴェルヴェット★美と芸術を愛する友の会」のコンテンツBRIGITTE内に設置いたしました。そして、イベントも1/25(金)に前回に続き、西村幸祐先生を中心に豪華なゲストの皆様がご参加くださることになりました。明日にはHP上でも新しい告知を更新予定です。

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そして、昨日はデヴィッド・ボウイ様の66歳のお誕生日でした。あまり更新出来ないでいる 「ボウイ館」をボウイのお誕生日には更新したいと想っていると、なんと!なんと!ボウイの新曲がボウイのオフィシャル・サイトにて突如発表されました。そして、3月には10年ぶりとなる新作、通算30作目のスタジオ・アルバムも発売されるという朗報。英国は勿論、海外でもこのボウイの復活を伝える報道に溢れました。ボウイ・ファンはみんな待っていたのですよね!あのお声が聴きたいもの!世界中で絶賛された「リアリティ・ツアー」の終盤にボウイは心臓の大手術をされた。あれから10年の年月を経る中で、「ボウイはもう引退も同然」だとか、「まだ新曲出ないのか」とか、様々な報道を目にする度に私は複雑な想いに駆られました。私は人生を生き貫くお方が好きなので、ボウイはきっといつか...と、気長に復活を待とうと努めていたようです。ボウイの新曲のPVと昨夜の想いを少し「ボウイ館」に綴りました。

昨日、この朗報を友人から教えて頂き、数時間の間、頭の中の感動と心が合致しないでいました。夜になり、ひしひしと涙が溢れて来ました。そして心から嬉しい!と想いました。そして、ずっといつもボウイと共に私の人生が在ったという30余年の刻に感謝の気持ちでいっぱいになりました。まったく、上手く言葉に表せないのですが、世界中の多くのボウイ・ファンに、ご自身のお誕生日に、ファンが「おめでとう!デヴィッド☆」と伝えたい気持ちを充分受けとめてくださっているのですね。「待たせてごめんね」というお気持ち。「まだリタイアしないよ!」というメッセージだと私は受け止め歓喜しています。

ボウイが復活!ローリング・ストーンズは50周年!ミックとキースは70歳!石原慎太郎は80歳!なんてカッコいいのでしょう!私の好きな人たちはご自身の世界を保ちながら生き貫くお方が多いようです。それらのお姿から私も生へのエネルギーを頂いているのだとも。今年も前途多難ですが、光をもとめて!その為には暗い闇をも見つめよう。目を逸らさずに私なりに感じ、考えながら生きてゆきたいと想います。
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by claranomori | 2013-01-09 20:52 | 想い・鑑賞・読書メモ
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★7月14日は「パリ祭」或いは「パリまつり」と呼ばれている日。けれどこの呼称は日本でのことで、本国フランスでは「建国記念日」であるけれど、あのバスティーユ襲撃の日であること、そして、フランス革命という世界史に於いてもたいへんな劇的な転換をもたらした大事件だと思います。「自由・平等・友愛」をスローガンに人間の尊い自由なる精神を得る大偉業でもあり、また多くの犠牲、血なまぐさい恐怖政治という時代をも経なければならなかった、フランスの歴史、およそ100年近くのこのフランス革命には今も複雑な想いで揺れ動きます。

まだ幼い時に、池田理代子作の『ベルサイユのばら』が大好評となった頃。私がその作品を知ったのは、母に連れられて行った宝塚歌劇団の『ベルサイユのばら』が最初でどんなお話かも知らないし、タカラヅカのこともその時まで知らなかった。母にはとても感謝しています。今でも浮かぶのはラストシーンのマリー・アントワネットのお姿と「マリー・アントワネットは、フランスの女王なのですから」という台詞が焼きついています。あのタカラヅカの煌びやかな夢のような雰囲気に圧倒されていたのだと想うのですが、死にゆく王妃の気高き心が子供の私に何かを与えてくださったのだと想います。そして後にアニメ版、そして原作という順で作品に親しみました。

以前、ジャン・コクトーのマリー・アントワネットについての言葉に触れましたが、やはり「マリー・アントワネットについて考えるとき、首を斬られるということは、極端な悲劇的な意味をおびる」のです。僅か14歳でフランス王妃となり39歳の若さでギロチン(ギヨチーヌ)刑という生涯。フランス革命に限らず、歴史的な大事件は多角的に見たり考えたりすると、正と悪という短絡的な感情では収まらないものなのでしょう。フランスの文化が好きなのですが、「パリ祭」の日には華やぐ気分にはなれないのです。フランス革命の歌『ラ・マルセイエーズ』は、自由と解放の歌のように愛唱されている有名なフランス国歌でもありますが、歌詞はとても血なまぐさいものです。

起てや祖国の 健児らよ、 栄えある日こそ 来たるなれ、
われに刃向う 暴虐の、 血染めの旗ぞ 翻る、
君よ聞かずや 野に山に、 敵兵どもの 吠えるのを、
わが同胞を 殺さんと、 奴らはわれに 迫り来る、
いざ武器を取れ 市民たち! 隊伍を汲めや いざ行かん!
敵の汚れし 血潮もて、 わが田の畝を 潤さん。

このフランス革命歌、フランス国歌の軽やかなリズムゆえに、高らかに謳う陰に、貴族やデモクラシーに反対する人々(当時の体制派、保守派)は敵であり、アリストクラートと呼ばれた。1792年の夏に、『ラ・マルセイエーズ』はパリに集まって来た義勇兵たちが高唱したもので、フランス国民の統一と団結を謳うもの。けれど、もう一方では同じフランス人の多くの人々のギロチン(ギヨチーヌ)という悲劇は、尊い自由の代償として深く傷痕を残しているようです。けれど、フランスは長い複雑な歴史を国内からあらゆる視点で描く人々がいる。フランスに限らず先進国、大国と呼ばれる成熟した国ならそうでしょう。日本はいつの間にか、フランス国歌よりもずっと穏やかで美しい和歌「古今和歌集」を基とした『君が代』という国歌がありながら、合唱する機会は稀であるという状況。間もなくロンドン・オリンピックが開幕される。日本の選手が金メダルを獲得する折、あの場面すら放送されない局もあるのだろうか、と想うと何故?!と疑問は歳を重ねるほどに強く深くなっています。そんな諸々を想起していました♪
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by claranomori | 2012-07-14 23:56 | 想い・鑑賞・読書メモ
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モンマルトルが好き。
ひびが入り、漆喰が剥げ落ちた壁には味があるじゃない。
建物の中から、今にもエディット・ピアフが出てきそう。
散歩していて、古い建物を見つけるとうれしくなる。
古いものに惹かれるから。
そして、この建物には、昔どんな人が住んでいたんだろう、
なんて想像するのは楽しいもの。
やっぱり、時間に磨かれたものには魅力があるわ。
だからアンティークはいい。
ここには、古い建物がいっぱい残っているから、
モンマルトルを散歩するだけで、わくわくしてくる。

フジ子・ヘミング 『我が心のパリ』 より

★フジ子・ヘミングのエッセイ『我が心のパリ』の中にはパリでの生活の様子が、素敵なお写真と言葉で綴られている。私は古きを訪ね其処から学ぶことが好きなので、年々今という時代とのズレを感じながらも、心のときめくものへと向かう。我が国日本の美、そしてやはり欧州の古い歴史、複雑な重い歴史を想うことが好きです。パリであれロンドンであれ、時に何百年も前の言葉や絵画に出会うことも多い。文明の変化はあれど、変わらぬもの、まったく古く感じない不思議な時間の往来がある。その中で、失いつつある、既に失われてしまったのかもしれない美に出会うと心が奮える。

雨の日が好き。白い花、特に百合が好き。
好きな時間は午後の四時。
夕陽がさしてきて、それがずっと消えるのがいい。

フジ子・ヘミングは1932年12月5日生まれなので今年80歳になられる。激動の時代、その人生ゆえに、言葉はより胸に響く。この『我が心のパリ』の中には好きな言葉がいっぱいで清々しい。世界的に活躍されるピアニストながら、日本での人気のブレイクは90年代以降。私も著作から知ったのです。読むと必ず私の心を代弁してくださる言葉がある。"よし、頑張ろう"という気持ちよりも、光と安らぎを得ながら、"ああ、人生は孤独であるがゆえに素晴らしいのだな"って。フジ子・ヘミングというお方のように強靭かつ自由な精神を私は持ち得ていないけれど、自由である為には孤独を引き受けなければならない。自由という言葉は陳腐にもなるけれど、本来は崇高で美しいものに想うのです。ただ、その代償は途轍もなく大きいとも。現実の悲惨さ、残酷さをこれでもかと。最近は「絆」という言葉さえ、何だか分からない。私は日本でこれからも生きてゆく。古き日本の歴史、文化、日本人の心、美徳というものを大切にして残された人生を共にしたいと、不思議の国或いは果てのないロマンの旅路を光と共に♪


少数派ブログながら参加してみました♪
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by Claranomori | 2012-03-15 22:11 | 詩人・作家・画家・芸術家
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子供の世界

最初の奇跡

小さい子供のころ
結婚式はダーチャで行われたものだ。
ダーチャはすばらしかった。
丸太造り、
彫刻をほどこした雨戸、
小さな出入口がふたつ。
ある晩
片方の部屋でみんながすわって
やっぱり大きくてぴかぴかした
サモワールでお茶を飲んでいた時、
もう片方の部屋にジプシーたちが忍びこんで
うちの銀食器をあらいざらい持っていってしまっても
もの音が聞こえなかったくらい
大きな家だった。

庭も広かったから
門を出なくても、そのまま森になっていて
キノコ狩りをした。
私たちは5月から10月にかけてダーチャで過ごした。永遠だった。

私は5歳だった。
10月が終わる。
小糠雨が降っていた。
庭はうす暗かった。
私は出入口にすわって、リンゴをかじっていた。
琥珀色に熟していて、歯が痛くなるくらい冷たかった。
家中リンゴがころがっていた。
家はすみからすみまでブーニンに耕されている、
彼の本のようだった ―
「アントーノフカのリンゴ」がある
黄色いページの大きな本のように。
でも永遠の国の
10月の終わりのこと、
私はまだその香りを名前で呼ぶことはできなかった。

彼は35歳だった。
この世での生を半ばまで過ごし
彼はいつのまにかうす暗い庭に立っていた。
つまり遠くの門を通って
小径を家へ向かってきたのだ。
彼の後ろにはあと二人歩いてきた。
でも私が見ていたのは彼一人だけだった。

彼は背が高く、おとぎ話のように美しかった。
青い瞳、亜麻色のあごひげ、小麦の穂の色の巻毛 ―
王子様。

私はすぐに好きになった ― なにもかも、
かじったリンゴといっしょに。

彼は井戸を掘りにきたのだった。
私は感じた、これは悪くない、
これは永遠ではない、
当然だった
最後の10月の日だったのだ ―
永遠は終わった。
しかし私はこんなことに我慢したくなかった。
彼らは日がな一日穴を掘った。
そして私は夜通し ―
穴を埋めた。
5歳のペネロペ、
私は三人の夫、三人の花婿を
監視した。
でも本当の花婿は一人だけだった。
あとの二人は彼の後ろにくっついているだけでいい。

そして徒に私は恐れた、
彼はどこへも行かなかった―
結局その10月はとどまった。

そして私もとどまった
こうして私たちはそこに立っている、
リンゴを手に持ったペネロペと王子。

おじいさんとおばあさん、
シャベルを持った労働者、
銀食器を持ったジプシーたち ―
みんな森の中の大きなテーブルについて
叫ぶ。「ゴーリカ!」 ― そして飲む。
ワインを飲む ― 井戸から直接。

詩:インナ・カブイシ
「現代ロシアの詩人たち」 鈴木正美 より

★インナ・カブイシ(Inna Kabysh)は1963年1月28日生まれのウクライナ出身の詩人。そのインナ・カブイシの1996年の作品『子供の世界』の「最初の奇跡」という不思議な自由詩のような言葉たち。少しおとぎ話風、少し悲しい歌のような、哲学的な複雑な構成の詩篇。「子供時代 ― それは時間ではなく、場なのだ」と、インナ・カブイシは作品の中の子供の世界をかつての郷愁ではなく、今この世界として提示しているのだという。詩が楽の調べであるように、やはりインナ・カブイシの詩にも音楽が聞こえる。5歳の少女が35歳の「王子様」と出会う10月の終りのお話。リンゴの香りに満ちた別荘での暮らしは、おそらくインナ・カブイシ自身を投影しているのだろうとのこと。別荘での結婚式は現実とも夢ともつかず、少女の持つリンゴの香りとの美しき重奏。鈴木正美氏はインナ・カブイシの詩の特徴は「天国」であり「子供」である。そして、リンゴは天国や幸福のシンボルとして用いられているのだと語っている。昨日、久しぶりに再会した友人とロシア(ソ連時代)のお話になり、幼き日に読んだロシア民謡や文学の素晴らしさを懐かしく想ったものです。けれど、このような1960年代以降の現代ロシアの詩人や文学はあまり馴染んでいないのですが、このインナ・カブイシという女性詩人の詩篇は、私の好きな往還する女と少女の世界だと感じ、とても興味を抱きました。もっと他の詩篇も読んでみたいです。

※上のお写真はインナ・カブイシの詩も収録の洋書の表紙をイメージ的に♪


少数派ブログながら参加してみました♪ 
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by claranomori | 2012-03-05 02:18 | 詩人・作家・画家・芸術家
 私は戦後生まれ、それも高度経済成長期に子供時代を過ごし、思春期は超バブル大国日本であった。こんなことを書くと決して若くない年齢を露呈してしまうのだが事実だからどうしようもない。幼き頃からの想い出としての嘗ての日本の時代、戦後に対して戦前とか、昭和、大正、明治時代を想うことが好き。祖父は明治生まれであったので、私の明治、大正への憧憬のようなものがあるとすると、大好きだったおじいちゃんの姿になるのかもしれない。両親の兄姉たちは大正生まれか昭和一桁生まれ。そして両親たちの昭和10年代初頭という時代を想うことが好きでしかたがない。小学生から思春期の頃、学校で教わる授業で好きだったのは国語と社会と美術(図画工作)。まったく今もそんな感じで生きていると苦笑してしまうけれど、いつの間にかそこに音楽が加わった。それも学校での音楽はあまり好きではなく成績も大して良くなかった。高校では選択することが出来たので、音楽ではなく美術を選び、日本史より世界史を選んだ。ゆえに、日本史、殊に近代、現代史は学習として深く得ていない。何故だか、子供の頃から舶来嗜好だったので世界史の時間はわくわくして先生のお話を聞いていた。国語は現代国語も古文も大好きだった。英語と理科の科学は割と好きだった。ずっと好きではなくて苦手だったのは算数であり数学。殊に数学はどうにか赤点を取らないために基礎問題で点数を取ろうと努めた。応用問題になればなるなるほど、ちんぷんかんぷん。けれど点数は大きい。なので少しでも解き出し僅かな点数を頂き、追試を免れていたという姑息さ。嫌いな科目の追試を受けることほど嫌なことはない、と想っていたので結構必死でもあった。

 私は真面目な生徒であったと想う。でも何か違っていた。一度も立候補などしたこともないのに、小学二年生から大学に入っても学級委員のような役目を担わされた。高校時代は生徒会の書記なるものまで。生徒会活動はまったく向いていなかった。皆、優等生ばかりで私のようにデヴィッド・ボウイやルキノ・ヴィスコンティ映画、シャーロット・ランプリングの美しさを大真面目で友人たちに語る者の居場所ではないと強く感じた。早く学期が変わり他の係りに移りたいと想いながらの10年強。けれど、その中で学んだことも多いのだと想う。出来るだけ自分たちのクラスをまとめたいと想っていた。意地悪をする人を無視できなくて、ある男子に泣かされたこともある。懐かしい風景が色々浮かぶ。

 好きで楽しくその係りを務めたのは図書係と保健係だった。最初の図書係は小学四年生。あの図書カードを整理したり本棚の整理など最高に楽しかった。読んだことのない本たちがいっぱいあり、その背を眺めているだけでも楽しかった。保健係は中学三年生の頃に務めただけ。でも下級生の女子や男子の手足の傷を消毒してお薬を塗る。バンドエイドか軽い包帯までだったけれど。保健室は馴染みのある場所であった。元来、貧血症の私は朝がとっても苦手で朝礼、それも日差しの強い季節の朝礼は辛かった。後半になると一人、二人...と保健室に向かう人たちがいた。私もその一人で常連でもあった。保健の先生は女性で「また、倒れたか」と半ば呆れながらも笑顔で迎えてくださり、いつの間にか仲良くなっていた。

 初めての保健室の想い出はちょっと不思議。小学三年生だった。参観日で母の父兄の会が終わるまで学校の裏庭で待っていた。本物ではないと想うけれど、ロダンの「考える人」の像や池のある場所で母を待っていた。いつも一緒に帰るお友達はその時は先に帰っていたのか私は一人だった。すると、一年生の女の子がお腹を出しながら泣いて歩いてくる。「痛い、痛い」とお腹をさすっていた。名札を見ると小学一年生。まだ入学して間もない小さな少女だった。私は一年生の校舎が何処かも分からず、その少女が何処から歩いて来たのかも分からなかった。その少女も学校内で迷ったようで一人で泣いている。先ず、近くにあった職員用のおトイレを勝手に使わせて頂くことにしてその少女を待った。まだ痛みは治まらず泣いている。そして、職員室に一緒に行き、保健室で手当をして頂き、私は母と帰宅した。その少女との時間がどのくらいだったのだろう。今も憶えているのは、その少女の小さな手である。ついこの間まで幼稚園に通っていた女の子。生意気にも小学三年生の私なのに結構冷静であったように想う。ただ、その少女の小さな泣いている姿、小さくて柔らかい手を繋いだ時に想ったあの気持ちは「かわいい」だった。変な意味では無くて「愛おしい」のだった。何故かまた涙が溢れます。偉そうに云っても、私の手だってまだ小さかったのに、もっともっと優しく無垢な手だった。あの髪の短い小さな少女の名前は覚えていないけれど、あの可愛い手はいつまでも私の心に刻まれている。時が止まったままの私の想い出の少女の一人である。
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by claranomori | 2012-02-18 04:59 | 想い・鑑賞・読書メモ
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幸福というものは

人生のもたらすものを身につけ、破れた幸福のかけらを拾い集め、別な幸福を築き上げるように、そのつぎはぎをするのだ。そして、我慢ならないものは、力強く押しのけるか、あるいは、その埋め合わせをするように心がけるのだ。感情を外に出すことも、無分別に振る舞うのも、気をつかいすぎるのも、また、あまりくよくよするのも、禁物です。何事につけても控え目にすることです。幸福というものは、静けさの中にあるよりも、ある不安の中に、また、時としては、困難さの中にあるような気がします。

シドニー=ガブリエル・コレット 
引用: 『第二の女』 より

★これはシドニー=ガブリエル・コレットの『第二の女』の中の言葉です。この「幸福というものは」というタイトルのものではないのですが、とても素晴らしい言葉で好きです。殊に、「幸福というものは、静けさの中にあるよりも、ある不安の中に、また、時としては、困難さの中にあるような気がします」という言葉にはとても共感したもので、今も新鮮に感じるものです。コレットという作家の聡明さは理論の外に在る。愛情の縺れの中でも、冷静で憂愁を帯びながらも、一人の女性としての生き方を提案しているように想えます。決して押し付けがましいものではなく。シドニー=ガブリエル・コレットというフランス文学に於ける女性作家という視点のみならず、文壇のどこにも属さず、政治や宗教からも離れた処、それは孤独と云う場所を自ら訪れ、愛する動物や自然と共に衰えることなく老年まで筆をとった、その姿、生涯からシドニー=ガブリエル・コレットというお方の哲学に共感するのです。

人はその時々で想いも変わる。思想や哲学というものは、その人なりの生き方であると想うので、やはり熟年、老年期を迎えたくらいで、ようやくその人の哲学がくっきり浮かび上がるのかもしれない。概ね、いつの時代も心の核なるものにブレのないお方が私は好きなのですが、それにはやはり人生を追わなければ輪郭すら曖昧だと感じています。生きること、幸福とは、と考えた折に、どうしても孤独や不安というものの中に自ら在らねば思考することも、感じることさえ出来ないように想います。シドニー=ガブリエル・コレットは日本の短歌や俳句を讃美されていたそうです。日本の文学がフランス文学よりも古くから自然と共に生まれてきたのだとも。嬉しいです。何故だか、コレットの少女時代から老女に至るまでの生きざまに、これからも興味は尽きないので機に触れては接してゆきたいと想っています。自己の想いを確認し、そして再度否定してみる。そうした考え方が結構好きでもあるので、日々厄介な想いが駆け巡るのです。けれど、こうした中で私は生き、ささやかな幸福を得ているようです。ああ、人生は生涯学びという名の道場なのでしょう。
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by claranomori | 2012-02-12 23:52 | 想い・鑑賞・読書メモ
b0106921_18584855.jpg★『小鳥たち』はアナイス・ニンの死後、1979年に公刊された作品で、日本では『リトル・バード』(訳:杉崎和子)として富士見書房から1982年に刊行。私が読んだものは新潮社から2003年に刊行されたもの。私はアナイス・ニンの作品というよりも、アナイス・ニンという女性の生涯に興味を抱いているように想います。矢川澄子さんがとても好きなことと、この御本の『小鳥たち』というタイトルに惹かれて購入したものでした。内容は13篇からなるエロチカ。それもどれも切ない。この『小鳥たち』のどの短篇が好きかと尋ねられたなら、どれもあまり好きではない、と答えるでしょう。けれど、アナイス・ニンによる「まえがき」と、矢川澄子の「訳者解説」は大好きなのだ、とも。

貧窮のあまり現金収入をもとめる一群の作家がいて、彼らがエロティックなことに全力を投入したとしたらどうなるだろうか。彼らの生活や世界についての感覚や彼ら自身の作品にどう関わっていくだろう。彼らの性的生活にどんな影響を及ぼすだろうか。

私は、そういった作家グループのなかで懺悔聴問尼(マザー・コンフェッサー)のような役割であった。ニューヨークでは、なにごとも困難を極め、残酷さもいっそう増す。まるで、ジョルジュ・サンドみたいに世話しなければならぬ大勢の人間と問題を抱えていた。

アナイス・ニン 『小鳥たち』 まえがき 訳:小池一子

このような回想から、アナイス・ニン自身も周りの友人たち、恋人たちも絶望的に貧しかったという時代であることが窺われる。

けれどもこうして集められた材料に彼女自身の体験からする深い洞察を重ね合せ、このような典雅で澄明なひびきをもつ短篇に仕立て上げたのは、ひとりアナイス・ニンにのみゆるされた特権であり、彼女の希有の詩人的素質を物語る証拠とみてもよいだろう。

矢川澄子 『小鳥たち』 訳者解説
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アナイス・ニン(Anais Nin:1903年2月21日~1977年1月14日)はフランスのヌイイ=シュル=セーヌ生まれの作家。11歳の頃から60年余りの間、綴り続けたという日記。1923年にヒュー・パーカー・ギラーと20歳で結婚。1955年にはルパート・ポールとも結婚。重婚であった。キューバからパリ、そしてニューヨークと移住。アナイス・ニンが1977年に死去するまで、ポールはギラーとニンの結婚を知らずにいたという。

アナイス・ニンは、西欧的・カトリック的な純潔教育の申し子として、内向的かつ閉鎖的な少女時代を過ごしてきた。パリでのヘンリー・ミラーとの邂逅をまって、アナイス・ニンは心身ともにはじめて解放された女性となったという。その後、ニューヨークに戻るも、徹夜で書きお金を稼がなくてはならなかった。匿名で幾つものエロチカ小説を書いた。この『小鳥たち』も大金持ちの老人の楽しみのために書かれたもの。それもお腹ぺこぺこの状態での幻想小説。究極の貧窮など知りもしない私にいったいアナイス・ニンの何が分かるというのだろう。11歳から日記を書き続けた所以とは。「薬と悪」だと云う日記を綴ることで人間の心理を分析すること、研究することで、「詩は不要」と云われても書き続けることが出来たのかもしれない。『小鳥たち』の中の少女たち、女性たちはアナイス・ニンでもあるのだろう。やはり希有なる女性作家である。
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by claranomori | 2012-01-14 18:17 | 往還する女と少女
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二年程前に、アナトール・フランスの『少年少女』という御本を久しぶりに再読した折に少し綴りましたが、今日はもっと以前から家にあった少年少女世界文学全集のフランス編の中から再び。先述の『少年少女』は岩波文庫版の三好達治訳ですが、こちらは講談社版の小林正訳です。題も『かわいい子どもたち』となっています。5編収録されているのですが、中でもこの「ファンションと小鳥たち」の挿絵(斎藤長三)の少女の姿がとても愛らしいので胸ときめき、わくわくしながら読み終えました。

ファンションはまだ一桁の小さな少女で、おばあさんのお家に行くのがとっても楽しみ。おばあさんもまた、孫娘に会い一緒に過ごす時間をとても楽しみにしている。おばあさんは会うたびに大きくなってゆくファンションを愛おしく見守っている。そして、おばあさんも嘗てのファンションの歳の頃を想い出したりするのだろう。大きくなってゆく少女と小さくなってゆくおばあさんは、正しく往還する女と少女であるので、私は老女と少女のお話は大好き!私個人はおばあさんという存在を知らない。父方も母方の祖母も私が生まれる前にとても若くして亡くなっていたので。それ故に、おばあさん、おばあちゃんという存在に憧憬を抱くのかもしれない。

小さなファンションは分からないことが多く、その都度、おばあさんに尋ねる。おばあさんとの会話で学ぶことは新鮮なことなのだ。かわいい孫娘のために、おばあさんはオムレツやパンケーキを作ってくれる。ファンションはおばあさんの手作りのお料理が大好き。そして、色んなお花や草木の茂るおばあさんのお庭で遊ぶことも。そのお庭には小鳥たちもやって来る。ファンションはパンくずをちぎっては小鳥たちに。けれど、色んな色の小鳥がいるように、太った元気の良い小鳥や、やせ細った小鳥、威勢よくパンくずを突きにやって来る小鳥も居れば、なかなか食べることの出来ない小鳥も居る。優しい少女ファンションは、小鳥たちと遊びながらも自然と学んで行く。パンくずをどの小鳥にもあげられるように、小さくちぎって。小鳥たちは嬉しくて囀る。その歌声を聞くとファンションも嬉しくなる。小鳥たちは小鳥たちの言葉で歌い語る。その意味は「神さまがおまもりくださいますように。」とファンションにお礼の気持ちを託して。ファンションは空の歌声に送られながら、おかあさんのもとへ帰ってゆくのでした。

小さな子供は子供なりに思考する。私は長い間、この世の中に悪い人は居ない、と思って大人になって行った。けれど、世の中には悪意というものが存在し左右され、人を傷つけることになったり、人や社会との関係に亀裂が生じることも多々あるのだと今は想う。みんなが仲良くというのは最上の理想なのかもしれない。あまりにも世の中は殺伐としている。それでも、せめて、身近に居る家族や友人、隣近所の人達のことを案じる気持ちは失いたくはないと今も想う。否、今だからこそ、強く想う。

★『かわいい子どもたち』(講談社 少年少女世界文学全集)の収録内容を記しておきます。※後の題名は『少年少女』(岩波文庫)の方です。
●「ファンションと小鳥たち」 ― 「ファンション」
●「学校で」 ― 「学校」
●「フレデリックの勇気」 ― 「勇気」
●「カトリーヌのお客さま」 ― 「カトリーヌのお客日」
●「野あそび」 ― 「野あそび」
以上の5編が収録されています。
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by Claranomori | 2011-12-11 08:50 | 本の中の少女たち・少年たち