あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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 ゴールデン・ウィークなので久しぶりに旅行や帰省される方々...皆様それぞれの過ごし方をされているのでしょうね。私はというと、特に遠出の予定もないのですが借りたい書物や資料があるので近所の図書館に行こうかと思っています。

 時間は瞬く間に過ぎゆくけれど濫読は続けています。映画はしっかり観るのでそれなりに時間の確保が必要ゆえに観ようと思って録画した映画は溜まる一方。音楽も基本的にアルバム一枚を通して聴くことが多いのですが、レコードだと小さなシングル盤も好きなのでターンテーブルに載せることも多いです。読書は装丁重視の性質ですが知らないうちに文庫や新書も本棚を占めています。どこからでも読める短編集やエッセイ、殊に詩集が大好きな傾向も変わることはないようです。

 ブログの方が性に合っているのか、SNSって使ってはいるけれどあまり相性が良いとは思えない。次第に馴染んで来るのかな。長文を読むのが面倒な人達も多いそうです。確かに短文の方が機能的な時もあります。検索もインターネットで色々教えて頂ける。でも、どうしても、本を手にして頁を捲る、あの感じが好きでしようがない。人それぞれの愉しみ方がある時代。性に合った愉しみ方を臨機応変に選べば良いのだと思います。手間のかかる作業はその過程ならでは発見や学びがあって楽しいものです。たとえ少数派でも私はこんな調子でこれからも生きて行くのだろうと思えます。

 そんな事を考えながら、「今日のマイラブ」をメモ風に時々綴っておこうと思います(追記:画像のマイラブ・コレクションとしては「ガラスの城★私の王国あるいは夢幻の青い花」を設置いたしました)。ふと手にしたのは柳田国男の『こども風土記 母の手毬歌』でした。随分と時を経た古い岩波文庫の並ぶ本棚から。下手な写真もさっと机の上で撮ってみました。お寺が好きなこともあり「寺と椿の花」という鎌倉時代の手毬歌を。どんな風に歌い、どんな風にお遊戯するのだろう...♪

 其のつゥばきだァてのつゥばき
 御寺へもォててそォだてた
 日が照ェればすゥずみどォころ
 あァめが降ゥればやめどころ

 雨が降っても日が照っても、この椿は土地の人たちのように、ほかに出て歩くことはできないというので、椿の美しさをいつの間にか人のように取り扱っているのである。また戦国時代のお寺は身分のある人の娘や小さな子供が、暫くあずけられて居た処でもあったそうです。


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by Claranomori | 2015-05-02 21:14 | 想い・鑑賞・読書メモ
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何か大切なものを
忘れてきたような気がして
ときどきふっと
少女にもどりたくなるときが
あります

詩:イソ・ヒロミ

★イソ・ヒロミとはPHP編集部のペンネーム。牧野鈴子とは昭和26年3月24日生まれ、熊本県出身のイラストレーター、画家。80年代初めに出版された絵本のような詩集をいくつか買った。牧野鈴子さんのお名前は他にも好きで買っていた雑誌などでも拝見するようになった想い出深いお方のおひとり。80年代前後...どうしても往来する蒼い刻。そんな時を共にして来た、結構色褪せてきた小さな書物やレコードたち。映画や音楽、本や画集を眺めることが大好きで今に至る。"なんとなく気になるなっ"という感覚だけを頼りに手にしてお店のレジへ向かう。私はあまり立ち読みが好きでなくてゆっくり読みたいと想うもので、その分だけ帰り道の楽しみも味わえたように想う。この詩を読んだ折は10代の子供で大人になりたくない気持ちが強固であった頃。今の私がこの詩を再び読む。少女であった頃は「少女」よりも少女でなくなる年齢や社会というものへの抵抗が大きく心を占めていた。今の私、「何か大切なもの」を想うとこうした私という小さな軌跡を訪ねると出会える気がするのです。戻れることなどなく、けれどあの刻に私の核なるもの、格たる大切な何かを見つけにゆくことならどうにか♪

流れ
流れて
流されて
時は白紙で
消えていく
あせりが
白紙を
にらんでる

詩:イソ・ヒロミ 挿絵:牧野鈴子


少数派ブログながら参加してみました♪
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by claranomori | 2012-03-20 23:27 | 愛の花束・日本の抒情
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音楽

音楽がきこえてくると、
私のまわりの世の中が消えてしまう。
そして
すべての愛しいものは
ひとしお 愛らしくなってゆく。
幻想のなかで、花は燃え咲き
その森の樹木は
陶酔に重い枝をもちあげ
声をのんでたたずんでしまう。

詩:ウォルター・デ・ラ・メア 訳:三井ふたばこ

先述のウォルター・デ・ラ・メアの妖精詩に続きまして、今回はこの『音楽』と題された詩を。「音楽」とは私にとっても欠かせないものです。そして世界中の文学の中に好きな小説や詩集があります。映画や絵画にも音楽が私にはあります。それは感じる、響くという楽の調べです。なので、楽器を奏でる音楽だけではないのです。また、私の好きな「少年少女詩」には往還する少女世界でもあります。私は音楽がきこえてくると、私のまわりの世の中が消えてしまう。そして すべての愛しいものは ひとしお 愛らしくなってゆく。というこの詩が今も大好きなのは、その美しき音楽を愛したゆえに、今の私が在るのだということを心から感じているからです。もう逃れること、後戻りも出来ない私の人生にとって、なんとも美しき孤独を知ってしまったことでしょう。正しく、私の心の旅路であり、孤独であるけれど愛する世界が導いてくださるのです。平坦でないがゆえに、人生も孤独も尊いものだと想っています。それにしても、やはりウォルター・デ・ラ・メアの独自の夢幻的な世界が好きです。

少年少女を愛おしく想う心は何処から来るのか自分でもよく分かりません。ただ可愛いという世界だけではなく。このブログの「クララの森」とはそのような私の好きな美しき世界の表象でもあります。「少女愛惜」とは少年少女を愛おしく想うことと同時に、その儚き刻が束の間の時間であるけれど愛惜の念に於いて結晶のように時の流れと共に私の心の中に在り続けるのだという想いです。なので、少女愛好家と称される方々とは何かが違うと感じることも多い(正否などなく)。もっと乙女ちっくな記事を望んで頂いているお方も居られるそうですが、私の心に見えるもの、感じることに出来るだけ素直に綴っているつもりです。こんなブログながらも共鳴してくださる方々、コメントを頂けることに感謝しています。ありがとうございます!


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by claranomori | 2012-03-07 11:53 | 詩人・作家・画家・芸術家
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輪おどり

世界じゅうの女の子が
そろって手と手をつないだら
海をめぐってぐるぐると
大きな輪ができましょう。

世界じゅうの男の子が
みんな水夫になったなら
船をならべて波のうえ
きれいな橋がかかるでしょう。

だから世界の人たちが
みんな手と手をつないだら
世界のはしからはしかけて
ぐるりとおどってまわれましょう。

詩:ポール・フォール 訳:西条八十(西條八十)

★ポール・フォール(Paul Fort:1872年2月1日~1960年4月20日)はフランスの詩人、劇作家。19世紀のフランスに於ける自然主義文学という退潮の中で、反自然主義的な演劇、象徴主義の演劇運動が起こる。とりわけポール・フォールは象徴主義演劇への道を開いたとされ、ステファヌ・マラルメ等の援助のもとに「芸術座」を創設したお方でもある。ポール・フォールの作品を詳しく知らないのですが、この『輪おどり』は西条八十による訳詩で知りました。こんな世界は夢物語だと想われるお方も居られると想いますが、それでもこの詩を読むと心が穏やかで居られるのです。そんなやさしい詩篇たちを胸に、これからも生きてゆきたいです。今も色褪せず好きな、あるいは新たに知り大好きになった古今東西の詩篇たちは沢山あります。少年少女詩とは私にとっての感覚で云っているのに過ぎません。人それぞれの好きな少年少女世界があるのですから♪
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by claranomori | 2012-02-24 03:28 | 詩人・作家・画家・芸術家
★寒い毎日ですね。少し風邪気味で体調はやや不調なここ数日ですが気分は大して変わりはありません。寒い冬、それも子供の頃の自分の姿がふと蘇ります。小学生の頃、冬になると各クラス内にストーブが置かれ、その上にはやかんでお湯が沸かされていました。危険なのでそのストーブの周りには簡単な柵も設けられていた、あの光景も。私はあまり大雪の中で遊んだ記憶がないのですが、小学四年生頃に校庭にも真っ白な雪が積もり、皆で雪だるまを作ったり、雪合戦をしたことがあります。寒いけれど楽しかった。雪合戦ではドッジボール同様に逃げ回ってばかりだったですが、思わず頬の綻ぶ懐かしき想い出でもあります。小学校の先生は、ほとんどの教科をお一人で教えてくださる。音楽の時間も先生がオルガンを弾きながら皆と一緒に色んな歌を歌ってくださり、教えていただきました。「唱歌」との想い出はやはり小学校の六年間にぎっしり詰まっているように想います。

「唱歌」の始まりは『尋常小学読本唱歌』、明治43年(1910年)7月14日発行の、文部省編集の『尋常小学読本』の中にあった韻文教材をとり、これに曲を付けたものが最初の「文部省唱歌」だそうです。そして次の『尋常小学唱歌』、『新訂尋常小学唱歌』と歩むのですが、時代の流れに伴い唱歌の歴史も変わってゆきます。殊にあの昭和20年(1945年)8月15日の太平洋戦争の終戦、日本はその後数年の間、GHQによる占領下で過ごすことに。それまでの文部省唱歌から消えていった歌も多く、新しい歌、例えば童謡なども取り入れられるような教材へと変わる。昭和22年(1947年)5月3日に、日本国憲法新たに公布され、その少し前の3月29日に教育基本法、及び学校教育法も公布され、教科書も新しくされてゆく。嘗ての文部省唱歌から各出版社の発行する民間の検定唱歌教科書が全国の小・中学校で用いられることになり現在に至るというのが大まかな流れのようです。今の小学生と私の時代では随分異なるのでしょうが、それでも、ずっと昔から歌い継がれ親しまれて来た唱歌たちは、日本人の心の中に生き続けてゆくと想います。知らない昔の唱歌の詩を読むのも愉しいです。言葉の中にその時代が窺える。また、時代が移れども変わらぬものを見つけることも出来ます。そんな失われつつも心に残り続ける日本の文化に出合える喜びに感謝してはほろりと涙が出ます。

今日2月11日は、東日本大震災から11カ月を経た日であり、建国記念の日でもあります。建国記念の日とは紀元節。明治の唱歌の中に『紀元節』という歌があります。元は『紀元節の歌』(明治21年2月)というものだそうです。

紀元節

雲に聳ゆる髙千穂の、髙根おろしに、草も木も、
なびきふしけん大御世を、仰ぐきょうこそ、楽しけれ。

海原なせる埴安の、池のおもより猶ひろき、
めぐみの波に浴みし世を、仰ぐきょうこそ、たのしけれ。

天つひつぎの髙みくら、千代よろずよに動きなき、
もとい定めしそのかみを、仰ぐきょうこそ、たのしけれ。

空にかがやく日のもとの、よろずの国にたぐいなき、
国のみはしらたてし世を、仰ぐきょうこそ、楽しけれ。

『小学唱歌 第一巻』 明治25年(1892年) 明治21年2月(1888年)
作詞:高崎正風 作曲:伊沢修二


★日々想うことが色々あります。私も歳を重ねているのだと再認識しながらも、日本の長きに渡る歴史や文化の中で静かに息づくもの、その美しさは何だろう、と訪ねる折に出合うのはやはり日本語なのです。大和言葉と云うのでしょうか、危うくGHQにこの美しき日本語を剥奪されかけていた時代のこと、その中で毅然と守り続けようと闘い続けていた先代の日本人方にもやはり「美」を感じてなりません。日本中が焼け野原となってゆく中で、広島、長崎に原爆まで投下されて、もうこてんぱんに打ち拉がれた。食べ物が兎に角無かった。当時の子供たちが"ギブ・ミー・チョコレート"と進駐軍にねだる、彼ら子供たちにも其々の想いがあったでしょう...、中には悔しいけれどひもじさを免れるために、また食べたことのないチョコレートやチューインガムにアメリカという国へ羨望を抱いた少年少女たちも。

大東亜戦争、太平洋戦争という第二次世界大戦の終戦後から今もまだ、否、さらにアメリカ主導の下、あの星条旗の51番目の星が日の丸になるのだと語るアメリカ人も居るという。アメリカだけではなくまったく日本と違う共産主義国の中国もじわじわと日本の土地を買い、尖閣諸島を取ろうとしている。韓国には島根県の竹島という日本の領土を既に実行支配され、北方領土のロシアの実行支配のように、だんだんもう戻っては来ないのではないだろうかと憂うのです。論外の北朝鮮による日本人拉致に於いては、心底悲しみと憤りを覚えます。以前、"もうそろそろ良いのではないだろうか"と書いたことに含みは多いです。自分でもまだはっきりしない心もあります。よく人権という言葉を掲げて訴えかける人々が居られます。それも行動ですから良いと想いますが、人間が人間を拉致するという行為はやはり異常なことです。まだ13歳の少女だった横田めぐみさん、その他の人々は今どうしているのだろう。小学生の折に、"海辺で人が消える"というようなお話をお友達とお話していたことがありました。何かの雑誌で知ったのでしたが、その頃は謎ばかりで、神隠しに遭ったのだと云う人も居たこと、そして、すぐにその話題から私も離れてしまって年月を経て生きてしまった。でも、あの小学生の頃、何も知らない無知な幼い私の姿は事ある毎に蘇ります。記憶とはとても不思議です。そんな憂国の気分を和らげてくれるもの、それは美しき日本の言葉であり響きです。私は世界の詩篇も含めて、やはり詞華というものに触れることが大好きなようです。

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夜の梅
文部省唱歌

梢まばらに咲き初めし
花はさやかに見えねども、
夜もかくれぬ香にめでて、
窓はとざさぬ闇の梅。

花も小枝もその儘に
うつる墨絵の紙障子。
かおりゆかしく思えども、
窓は開かぬ月の梅。

『尋常小学唱歌(六)』 大正3年6月(1914年)
作曲:岡野貞一 作詞者:不詳

★今日は明治の唱歌の中からあと二つばかり。冬の情景を歌った『夜の梅』という、行間から漂う美しい響きに胸を打たれる唱歌、そして『冬の夜』という、家族が囲炉裏で暖を取りながらの光景、この唱歌の中に「いくさ」という言葉があるので、日清か日露戦争のことであろうかと想われますが、その時代の日本をこうした優しい調べの中にも見い出すことができること、それらからまたさらに色んな想いが巡り続ける日々でもあります。

冬の夜 
文部省唱歌

燈火ちかく衣縫う母は
春の遊の楽しさ語る。
居並ぶ子どもは指を折りつつ
日数かぞえて喜び勇む。
囲炉裏火はとろとろ
外は吹雪。

囲炉裏のはたに繩なう父は
過ぎしいくさの手柄を語る。
居並ぶ子どもはねむさ忘れて
耳を傾けこぶしを握る。
囲炉裏火はとろとろ
外は吹雪。

『尋常小学唱歌(三)』 明治45年3月
作詞者・作曲者:不詳



●明治の小学唱歌の『紀元節』或いは『紀元節の歌』です♪

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by claranomori | 2012-02-11 05:57 | 愛の花束・日本の抒情
b0106921_23382192.jpg★三木露風(1889年:明治22年6月23日~1964年:昭和39年12月29日)は詩人、歌人、童謡作家。生まれは兵庫県龍野市。明治、大正の近代日本を代表する詩人であり、北原白秋と共に「白露時代」を築く。

三木露風と云えば「赤とんぼ」の童謡が直ぐに浮かぶ童謡詩人としても有名ながら、お若き日は象徴派詩人でもあった。早熟の天才で処女詩集『夏姫』(明治39年:1906年)の刊行の折、17歳である。ちなみに野口雨情の『枯草』が22歳、石川啄木の『あこがれ』が19歳である。「赤とんぼ」の童謡詩の元になったとされる俳句があり、それを書いたのは13歳の頃だそうだ。
 
赤とんぼ とまってゐるよ 竿の先

三木露風が童謡を手掛け始めるのは大正7年(1918年)頃からで、鈴木三重吉が『赤い鳥』を創刊するにあたり、露風も参加。童謡集『眞珠島』或いは『真珠島』はその三年後の大正10年(1921年)のこと。

童謡は乃ち、天真のみづみづしい感覚と想像を、易しい言葉でうたう詩です。易しい子供の言葉で―それは本当の詩と異《かは》らないものを易しい子供の言葉で、という意味です。童謡は詩です。

このように西條八十も絶賛されたという『眞珠島』の序文にある。大別すると、幼少期の追憶を歌った童謡と、想像、幻想の世界を歌った童謡がある。露風の詩に共鳴するのは母への思慕だと想う。僅か7歳での母との別離、後の数々の詩の中で感じられる憂愁、黄昏の詩情は幼き日の母への追慕ゆえだろう。

お宮の段を一つ下りてきたら流れ星がとんだ。
一つ、二つ、三つ、四つ目の段で鼻緒が切れた。
一本杉の下はなほなほこはいぞ早よ駈け、帰ろ。
ちろ、ちろ轟が草の中で鳴いた 早よ駈け かえろ。

この童謡詩『宵闇』は「赤とんぼ」等と共に『眞珠島』に収められたもの。露風が中学生の折に、近くの龍野神社で遊んでいた頃の想い出が歌われている。あの神聖かつ不思議なあそび場であった神社を私も想起しながら読んだ好きな詩です。

最上の表現は象徴である。

三木露風の残された大好きな言葉です。


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by claranomori | 2012-02-01 23:55 | 愛の花束・日本の抒情
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★金子みすゞ(1903年:明治36年4月11日~1930年:昭和5年3月10日)は山口県出身の、大正末期から昭和初期にかけて活躍した童謡詩人。殊に西條八十に絶賛された女性詩人で、金子みすゞ自身も西條八十のファンタスティックな童謡に心おどらされたお方。金子みすゞが二十歳の折、初めて書いた童謡を雑誌『童話』に投稿。その「お魚」と「打出の小づち」が選ばれ『童話』9月号に掲載される。選者の西條八十は金子みすゞの童謡を「この感じはちょうどあのイギリスの詩人、クリスティナ・ロゼッティと同じだ」と褒め、「女性のすぐれた童謡詩人のいない今日、この調子で大いに努力してください」と励まさたれという。優しくて、それでいて人の心の奥深くまで見つめたみすゞの童謡は、多くの詩人や文学少年・少女の心をとらえた。

この童謡集のタイトルである「わたしと小鳥とすずと」の「すずと、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい」のあたたかな祈りのような響きが多くの人の心に静かに届くのだと想います。小さきもの、力の弱いもの、無名なもの、無用なもの、存在するすべてのものには何かしら意味があるもの。26歳での自死はあまりにも惜しまれるお方ですが、今でも読み続けられていること、出会えたことに感謝しています。

寒い白い冬ですね。今年は積雪が多いそうです。雪は綺麗ですが雪国の生活、ましてやあの大きな東日本大震災後、復旧ままならぬ東北の雪景色を映すニュースを拝見すると、何故か涙が出てきます。真っ白で綺麗な冷たい雪と共に冬を過ごす人々に、以前のような暮らしが一刻も早く訪れますように☆今日はこのやさしき詩『つもった雪』と共に♪

つもった雪

上の雪
さむかろな。
つめたい月がさしていて。

下の雪
重かろな。
何百人ものせていて。

中の雪
さみしかろな。
空も地面(じべた)もみえないで。

『金子みすゞ童謡集 わたしと小鳥とすずと』 より

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by claranomori | 2012-01-28 21:21 | 愛の花束・日本の抒情
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歌というものは、人間が幼いときから年寄りになるまでいつもその人の人生につきまとう、まるで影法師のようなものです。わたしたちは生まれると間もなく母親の口から、あのやさしい子守り歌を聞いて育ちます。それから、幼稚園や小学校へ行けば、あのかわいい童謡、すこし大きくなれば校歌や会歌、それからレコードなどから覚える民謡や流行歌やシャンソン、ジャズ、山には木こりの歌、海には漁師の歌、軍隊には軍歌、もっと広くは、国民ぜんぶが歌う国歌もあります。こんな風に、歌は人間が生まれて成長していく間、絶えずそのくちびるに咲く花のようなもので、人間はそれらの歌をうたっている間に、知らず知らずその歌の意味や響きから大きな影響を受けます。だから歌は空気や水と同様、わたしたちの生活にとって、もっとも大切なもののひとつといえましょう。

この書物は日本をはじめ世界各国の子どもたちが、どんな歌をうたっているかということを考え、その代表的なものの中から、なるべく健全で芸術的なかおりの高いものを選び集めたものです。ふしのついているものはそのまま歌い、ついていないものは、読んでよく意味をあじわってください、きっとみなさんのためになると信じています。

参照引用:西条八十 「世界少年少女詩集 世界童謡集」 まえがき より

★西條八十によるこの「歌というものは」という「世界少年少女詩集 世界童謡集」 のまえがきに託されたお気持ちを想うことが今ならできます。「歌」とは「詩」でもあり、やはり言葉と響きなのだと想います。なので、私は詩や歌が好きです。小説なども詩の響きのあるものが好きです。

会話の中でも、人それぞれの話し方、口調があって愉しいです。関西人ゆえに、標準語でお話しているつもりでもどこかイントネーションが違うこと、その面白さを東京に住んでいた折に指摘されたことも想い出します。関西と云えども、大阪と兵庫では少し違う、京都も違う...そんな地域の言葉の妙はやはり尊い文化だと想います。友人には関西圏以外の方も多く、ちょっとした折に見え隠れする生まれ育った地域の言葉や訛りのようなものに出合うと嬉しくなります。子供の頃から在日の友人も居ます。日本語しか話せない方も居れば、母国語と両方話せる方も。私は髪が赤いことが子供の頃はコンプレックスでした。そのことでからかわれる事もありましたが、みんな何かしらコンプレックスを持っていると感じるようになり、時代の流れも幸いし気にならないようになりました。今から想うと、酷いあだ名で呼ばれていた女子や男子がいました。それでも、泣いたり笑ったり、時に喧嘩にもなったのでしょうが、また一緒に遊んでいた、そんな風景が蘇ります。懐かしく、少し悲しい想い出もありますが。

会話とは相手の意見を聞き、私はどう想うかと問われることもあれば、まるでそっくり似ていて歓喜することもある、相互の言葉を読み取る大切な習慣だと想えます。ネットの時代となり、電話も携帯、お手紙よりもメールとなって行きましたが、それでもその短い言葉のやり取りで勇気や喜びを得られることも多いです。この私のブログに訪れてくださるお方から頂くコメントやメールなどに、どんなに励まされて来たことでしょう!世の中には偏狭な方も居るもので、意見が違うとある一言だけを批判するという光景もニュース等でもよく見かけます。その前後の言葉や言葉の奥にある心も読めるともっと有意義に想えます。いつの間にか、禁止用語となった日本語も多いです。言葉によって傷つくこともあります。けれど、表現の仕方が違うだけで、根底は似ていることを云っていることも多々あるのではないかと想います。一方的に言い放つお方には到底敵いませんが、それでも後から自分の言葉で気持ちを伝えること、それを教えてくださったのは社会という荒風、荒波の中でです。泣き虫の私はきっと、人より多く泣いて過ごしているでしょう。でも、涙から学ぶこと、救われることも多いです。「歌」の中でも、エレジーやララバイ、バラードやバラッドという感傷的な美しい哀調のメロディーに触れ、涙した回数もまた多いです。偏狭にならず寛容に、これからも美しい「歌」や「詩」に触れて生きてゆきたいです。

やはり人間は言葉ありきです。読み書き以前から語る言葉を持っていた。ケルト人は文字を持たなかったけれど、多くのバラッドや伝承物語が今も受け継がれています。ショーペンハウエルの読書にたいする考えは、決して読書の否定ではない、と想えるようになるには読後暫くの時間が必要でした。書かれたものを読む作業の中で、自分はどう想うかとも考えられなければ読書は危険を伴うということだと勝手に解釈しています。西條八十の『書物』という大好きな詩がありますので今日はその詩を胸に♪

書物

月の夜は
大きな書物、
ひらきゆく
ましろきページ。

人、車、
橋のやなぎは
美しくならべる活字。

木がくれの
夜の小鳥は、
ちりぼいて
黒きふり仮名。

しらじらと
ひとりし繰れば、
なつかしく、うれしく、
悲し。

月の夜は
やさしき詩集、
ゆめのみをかたれる詩集。

詩:西條八十
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by claranomori | 2012-01-26 00:00 | 愛の花束・日本の抒情
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ゆめ

「ああ、だれかいまやさしい声が
わたしの耳もとちかく
ゆめですよ、みんなゆめですよ、と
ささやくことはないであろうか、―
そうして目をひらくと
あたりはかがやかしい十六のわかい朝で
まくらべにあの昔なつかしい父と母が
ほおえんでいることはないであろうか」―
しずかにふけゆく春の夜と、
母親の目には、いつか
幼児のようななみだがわいていました。

作:西条八十
「世界少年少女詩集 世界童謡集」(少年少女世界文学全集 第50巻)より

★西条八十は日本の童謡及び少年少女詩を多数残されました。好きな作品は多数あるのですが、今日は前日の記事の流れで"母と娘"、"親と子"の優しき言葉を超えた情景を。この『ゆめ』の後半部分を引用させて頂きました。前半は三つになる女の子が夜なかのゆめで眠りながら声たてて笑っていました。母親はその子を揺り覚まし「嬢や、ゆめですよ、起きて、お母さんの顔をごらんなさい」、と。幼き娘は母の顔を見て安心し、再び安らかな眠りに入ります。娘を優しく寝かせて臥所に戻った母親は、何故だか眠れず物悲しい心が、その胸をとらえてしまうのです。この詩を読むと、娘の様子も母の様子もとても懐かしく私の胸に響き涙しました。今も赤ん坊の頃から同じような夢を時々みます。この少女のように声立てて笑うことも、怖くて大声で泣いていることも。自分の声で目覚めるくらいです。いつの間にか、自分のお部屋で寝るようになり、父や母と一緒に眠っていた頃は遠い昔。けれど、今もしっかり覚えています。こうした懐かしい想い出を蘇らせてくださるのです、美しい日本語で。西条八十は大正期に多くの童謡集、浪漫詩を残されていますが、このような親子の風景は今も残っているのだと想います。残っていて欲しいと想います。
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by Claranomori | 2011-10-12 11:14 | 愛の花束・日本の抒情
 母の想い出からの連想で浮かぶ童謡や絵本のお話。中でも『赤い靴』という童謡は幼心に寂しく悲しい気がしたものです。なので、後にテレビで観た映画『赤い靴』にも即反応したのかもしれない。この有名な童謡は大正11年(1922年)の作詞は野口雨情、作曲は本居長世によるもの。子供の頃にはその背後に託された意味など知らなかったけれど、小さな少女が何処か遠い異国に連れてゆかれる絵が浮かぶのでした。今でも、今の私の心で、ある少女の姿が浮かぶ。そして、我が子と別れなくてはならなかった母の気持ちも想像して哀切な想いが募ります。

赤い靴 はいてた 女の子
異人さんに つれられて 行っちゃった
横浜の はとばから 船に乗って
異人さんに つれられて 行っちゃった

今では 青い目に なっちゃって
異人さんの お国に いるんだろう
赤い靴 見るたび 考える
異人さんに あうたび 考える

 野口雨情という詩人は童謡界の三大詩人(北原白秋と西條八十と共に)と謳われたお方で、多くの童謡を残されている。他にも好きな童謡が色々あるけれど、この『赤い靴』にはやはり格別な想いを寄せる。それは、ずっとずっと後になってから読んだ御本の中で、この詩の中の少女は実在していたと知ったことが大きい。少女きみちゃん(明治35年(1902年)7月15日~明治44年(1911年)9月15日)の母親は岩崎かよという女性で未婚の母としてこのきみちゃんを出産し母の手一つで育てていた。そして鈴木志郎という男性と結婚し静岡から北海道(虻田郡真狩村)へ。けれど、開拓地での3人の生活は苛酷過ぎるので、娘きみ(3歳の頃)をアメリカ人宣教師チャールズ・ヒュエット夫妻の養女に。母かよの娘の将来を想う気持ちと手離したくない気持ちの葛藤は壮絶であっただろう。かよの弟も苛酷な労働で病死に至っており、夢の農場開拓団は2年で解散となり、夫妻は札幌に引き揚げる。苦労の末、ようやく志郎は北鳴新聞社に職を見つける。その新聞社に野口雨情がいた。それも、一軒家を二つの家族で借り、同じ屋根の下で暮らしたそうだ。かよが雨情夫妻に娘きみのことを話し、かよの悲しい過去を聞いた雨情は、後に『赤い靴』の詩を書いたという。

 けれど、実在のきみとその短い人生が、北海道新聞へのある投書から判明することに。その投書の主は岡そのという女性で、かよと志郎の三女であるのできみの義理の妹ということになる。そのはどうか姉に会いたいという想いで投書したようだ。ヒュエット夫妻の養女になったきみは夫妻から我が子のように愛されたそうだけれど、きみは結核という病魔に侵されていた。夫妻に帰国命令が出され、困惑の果ての決断は東京麻布にあった孤児院に預けることに。この孤児院は恵まれない少女たちが多くいたという。きみちゃんはまたしても親が居なくなってしまったのだ。その上、当時は不治の病と云われていた結核という病気と闘いながら、僅か9歳という悲しくも短い命を閉じたのである。この調査の地や生誕の地には母かよと娘きみの母子像が建てられている。

 このお話には他にも諸説が存在するようですが、私は事実がどうで云々という事にはあまり興味がない。少女が赤い靴を履いていたかいないとかは特に。ただ、詩人野口雨情と我が娘を手放すことになった母かよの存在及び交流は確かで、後は其々が各想いを抱けば良いのだと。「事実などは存在しない、ただ解釈だけが存在する」とニーチェの言葉が浮かぶ。私は解釈など大それたこともできないけれど、ヒュエット夫妻と異国(アメリカ)へ渡っているものだと想いながら、北海道で困窮に耐える母かよと、同じ日本(東京)に居ながら二度と再会する日が訪れることのなかった悲しい親子の運命を想い、少女きみちゃんに愛惜の念を抱くのです。
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by claranomori | 2011-05-10 11:48 | 愛の花束・日本の抒情