あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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1966年のロベール・ブレッソン監督の『バルタザールどこへ行く』。DVD化された折に購入して観たのが最初。何年か振りに観返し、またしてもこの作品の(監督の)厳しさに暫く心はざわめき続けた。再見する予定でいたけれど、重いものがのしかかるのを初見の折に痛感したので...。偶然にもテレビで放送していたものに遭遇したのだった。”今、観るべき時”ということなのだろうか。ブレッソン作品は好きである。難解だと言われる孤高の映画人。以前、『少女ムシェット』のことを少し綴ったけれど、私はこの『バルタザールどこへ行く』の方がより好きな作品かもしれない。難解と言えば難解なのだろう。しかし、私は難解だとは感じない。理解できるという意味ではなくて、社会、この人間と社会の有り様を寡黙に冷厳な眼差しで描いている。そんな世界だと知るまでに観ていれば私にはちんぷんかんぷんだったのかも知れない。この映画の主役は聖なるロバであるバルタザール。優しく悲しい目をして人から人へ。物や人を運び、棒切れやムチで叩かれる。凶悪な人々、残忍な人々、愚劣な人々、流され行く人々、利用される人々、騙される人々、辱めを受ける少女、自尊心を貫く人々、お金だけが人生だという人々、愚連隊の若者たち...をのろまで馬鹿だと言われもする聖なるロバはじっと見つめている。けれど、働き尽くめでなんの報いもない。悪事に利用され、最後は足を負傷し力尽き死に至る。その最後の場面は神々しい!群れをなす優しい羊たちが負傷したバルタザールを囲んでいる。本来あるべき(理想郷だろうか)世界の光景ならばこの映画は作られなかっただろう、人間の業をこれでもか!と映像は見せつける。
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いつものように、今の心を書き綴っている。ここは『少女愛惜』なので、もうひとりの主人公である少女マリー(アンヌ・ヴィアゼムスキー)のことも。映画の冒頭シーンは清らかだ。少年少女時代の幼き時の少女マリーと少年ジャック。彼等は永遠の愛を誓い合う。牧場主の息子であるジャックと教師の娘マリー。美しく成長したマリーとジャックは再会するけれど、その土地を巡る親の裁判沙汰やマリーは誰よりもバルタザールを愛していたのに、いつの間にか不良グループのリーダーのジェラールに魅了されていた。彼と会うためにもうバルタザールのことも、両親の言葉も耳に入らない(そういう年頃だろう)。よくあるお話。今もマリーを愛するジャックの気持ちを嬉しく思うマリーはジェラールに決着をつけに行くけれど、小屋に裸で閉じ込められてしまう。そして、家を出てゆく。意気消沈した父は病み死に至る。残された母にはバルタザールのみとなる。しかし、執拗にもジェラールは悪事にバルタザールを利用する。それまでにもアルノルドという中年男性やお金を墓場まで持ってゆくという男性(ピエール・クロソウスキー)などの下でも働いていたバルタザール。ああ虚しい!けれど、これが現実なのか、そうだと知っていても悲しい。ある啓示だというのだろうか。聖なるロバであるバルタザールはイエスのようだ。人間の業故に苦難の道のりをあの足音で幾道も歩いて歩いて。マリーは思春期の少女らしい存在ながら、無表情で無気力。現代的な気もする。しかし、私はこのマリーに感情移入はできないし、好きではないけれど、アンヌ・ヴィアゼムスキー(撮影当時17~18歳頃の初出演映画)は素晴らしい!また、こうような少女はいるのだ。善良で優しい少年にのみ恋をするものでもない。人間の底知れる魅力は人それぞれで出逢いや運命もある。どう考えても愚劣なジェラールにマリーは心惹かれ、”死ぬまでついてゆくわ”とも語る。あまり感情を出さない少女で不幸を望んでいるかのようにも感じる。”こんな汚いところで死にたいわ”という台詞もショックだった。翻弄されゆく少女とも言えるのだろう。バルタザールにお花の飾りをつけてあげる優しい少女なのに。美しく成長する中で失われてゆく(忘れてしまう)ものがある。堕落...これもまた人間的だと思う。もう少し思いはあるけれど、上手く言葉にならずもどかしい。ブレッソン作品は好き嫌いの分かれる作風だろう。観ていて想起する監督は大好きなイングマール・ベルイマン。けれど、全く違う。ベルイマンならこのように描かないだろうし、ブレッソンだからこそ描けるとも言える。しかし、思うのは”目線”!?”少女マリー”にしても”少女ムシェット”にしても...何かが私の心を不快にさせる。それは少女に対する”目線”というのかもよく分からない。けれど、好きな映画であるし、バルタザールが何よりも神聖で悲しく美しい。すべてを静かに見つめているあの目が忘れられない☆
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バルタザールどこへ行く/AU HASSARD BALTHAZAR
     1966年・フランス/スウェーデン合作映画
監督・脚本:ロベール・ブレッソン 撮影:ギスラン・クロケ 音楽:ジャン・ウィエネル 出演:聖なるロバ、アンヌ・ヴィアゼムスキー、フィリップ・アスラン、ナタリー・ショワイヤー、ヴァルテル・グレーン、ピエール・クロソフスキー

※画家であり作家でもあるピエール・クロソウスキーが出演している。クロソウスキーの弟はかのバルチュス。また、本名はバルタザール・クロソウスキー。ダリオ・アルジェント監督は、かなりバルチュスに影響を受けたと語っていた。それは納得。何が言いたいのかと言いますとそれは言わない方がよいように思ったり。まあ、色々と頭の中は相変わらずごった返しているけれど、果てしない旅は続きます♪
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by claranomori | 2009-04-23 10:58 | 銀幕の少女たち・少女映画
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ダイアン・キートンが好きなので彼女に関する映画は機会があれば鑑賞している。そんな中で知った作品『ワイルドフラワー』はテレビ映画として製作された1991年のもの。ダイアン・キートンは出演していなくて監督。真っ赤なバラのお花が香るような美しい映像。撮影はヤヌス・カミンスキー(ホリー・ハンターのご主人でもある)。原作は『アリス』。主人公の少女アリス(パトリシア・アークエット)は重度の難聴で発作も起こる不治の病。母親エイダ(スーザン・ブレイクリー)は夫に先立たれ娘と生活してゆくためにガスリーという乱暴な男性と暮らしている。兎に角このガスリーは凶暴で大嫌い!母親の立場や気持ちは分かるし娘との絆も深い。ただこの継父ガスリーは少女アリスを厄介者扱い。驚くべきことにアリスはボロボロの納屋に住んでいる。近所に住む兄妹がアリスの存在を知り友情を育んでゆく。この妹役のエリー(リース・ウィザースプーン)の魅力もいっぱい。この作品がリース・ウィザースプーンのデビュー作(『マン・イン・ザ・ムーン』と同年。こちらも好きな映画なのでまた♪)らしい。
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体中汚れて納屋に住むアリスは外の世界を知らない。学校へも行かせてもらえず言葉も知らないことだらけ。正確な設定は分からないけれど10代後半頃の少女のようだ。優しい兄妹と過ごす中、初めて草花の香りを知る。本も初めて見るもので詩の美しさを知る。まるで赤ちゃんのように無垢なアリス。最初はこっそりアリスに会いに行っていたふたりを叱る父ジャック(ボー・ブリッジス)もアリスを自分の家に住ませることにする。町のお医者さんもおばあさんも優しい。際立つ凶暴な継父の存在。何故母エイダは我が娘を納屋に住ませているのか...と疑問に思いながら観ていた。凶暴な継父と一緒よりも安全だからだった。エイダもアリスもこの乱暴者にしょっちゅう殴られている。継父は何もアリスに教えようともしない。アリスはようやく”愛”というものを知ったのだ。ジャック一家と触れ合う中で。泥だらけの少女は見違えるように美しくなった(本来の美しさだけれど)。そして、年頃のサミーとアリスは次第に友情から恋が芽生え始める。サミーの大学行きなど色々みんなが上手くは行かないけれど、クリスマスの感謝祭での町のパーティーを外から眺める母エイダの表情。そこに台詞はないけれど、その表情が如何に娘を愛しているのかが伝わる。女二人で生きてゆくのは困難なことだろう。難病の娘と一緒でもある。ジャック一家に住むアリスは新しい家族が出来た。けれど、母は一人!また、ジャックも妻に先立たれているので、ジャック家には母親がいない。まだ14.15歳であろうエリーはママが恋しい...。そんな其々の立場や思いを感じながら観ていた。匂い立つような赤いバラや木々などの自然と心優しき人々の姿は美しい。映像もとても綺麗。名女優ダイアン・キートンはやはり凄い!しかし、リース・ウィザースプーンの演じる少女エリーの存在が最も私には印象強く残っている。少女期の真っ直ぐな姿は大好き☆
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ワイルドフラワー/WILDFLOWER
    1991年・アメリカ映画
監督:ダイアン・キートン 原作・脚本:サラ・フラニガン 撮影:ヤヌス・カミンスキー 出演:パトリシア・アークエット、リース・ウィザースプーン、ウィリアム・マクナマラ、ボー・ブリッジス、スーザン・ブレイクリー
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by claranomori | 2009-03-17 10:55 | 銀幕の少女たち・少女映画
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主人公の少女スーシー(アンナ・リンデーン)は15歳。幼い頃に父親とは死別。母親はアルコール中毒。スーシーは子供の頃から里親から里親へ。親から愛されたことのない少女。愛をもっとも求めているのだけれど、愛されたことのない少女にはその受け入れ方も分からないのだろう...。このカイ・ポラック監督の『ラブミー』をとっても久しぶりに観返した。とても響いた。少女スーシーの傷ついた心や繊細さ。そして、義父なる存在との関係。これは度々映画や小説を読んでいても出てくる”ロリータ”というキーワード。そして、安易に”ロリータ映画”と括る、あるいは呼ぶことも好きじゃない。こういう疑問がいつも付き纏い頭と心が混乱するのは何故だろう。

初めて観た時は私もずっと若く、正直後味は良くない印象の映画だった。両親の愛をいっぱい頂いて育ったと思える私には少女スーシーの心の孤独さを感じることなどできなかったのだろう。逆にこのスーシーに対して不快な気持ちも抱いていたのかもしれない。なのに今回で3回目の鑑賞...何かが突き刺さったままだからかな。実の母親のアルコール中毒症はかなりの重度のよう。それでもそのママを愛しているスーシー。けれど、里親を転々としている。いまだに馴染む”家”が見つからずにいる。一番欲しいであろう”愛”と”家”。15歳のスーシーの新しい里親グンナー(トーマス・ラウスティオラ)とマルタ(レーナ・グラーンハーゲン)。殊にマルタはこの少女を我が娘のようにと望んでいる。彼女を助けようと精一杯の姿に心打たれる!他人でもこのような”愛”を持って接することのできる人はいる。人間の尊く美しい姿をマルタに見る。グンナー一家には18歳の少年トーマス(トーマス・フリュク)と幼い娘アン(イェニー・カイ・ラーセン)がいる。彼等はスーシーを優しく歓迎する。けれど、その初日から問題だらけ。スーシーは彼らの優しさが分からない。利発な少女なので頭では分かっているし感じてもいる。けれど、その優しさの受け入れ方を知らない。とても可哀想。苛立ちは乱暴な行動をとったり家出を繰り返したり。でも、時折とても美しい表情を見せる。幼いアンと一緒にピアノを弾く場面が好き。この小さな少女アンもとても可愛い。トーマスはスーシーに恋をするけれどまだ若い。15歳のスーシーは初めて純粋な恋をするかに見えたけれど、そうも行かない。義父を誘惑したりもするあたりの心を想う...。

でも、ようやく”家”を見つけたかのようだった。”長い道のりだった”という。15歳の少女が”長い道のり”と自覚するのだ。どんなに辛いこれまでだっただろう。でも、この先の方がずっと長い道のり。その後、スーシーがどのように成長し過ごしたのかは分からないけれど、最後に映るスーシーの立ち姿は美しく、表情には微笑みが見られた。そして、ピアノを弾くスーシーを見つめるアン。スーシーを渾身の力と強い愛で受け入れようとするマルタ。複雑ながらスーシーを放したくはないグンナーとトーマス。穏やかなグンナー一家を破壊しそうなスーシーだったけれど、彼等は彼女を愛している。そして、その微笑みと同じように今までとは違う新しい人生への光のようなものを残して映画は終わる。澄んだ北欧の景色と深い余韻を残して☆
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ラブミー/ALSKA MEJ
1986年・スウェーデン映画
監督・脚本:カイ・ポラック 撮影:ローランド・ステルネル 音楽:アラン・ペテション、グスタフ・マーラー 出演 アンナ・リンデーン、レーナ・グラーンハーゲン、トーマス・ラウスティオラ、トーマス・フリュク、イェニー・カイ・ラーセン
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by claranomori | 2009-03-15 11:59 | 銀幕の少女たち・少女映画
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スコット・マクギー&デヴィッド・シーゲル監督の『綴り字のシーズン』(2005年)は、宗教学者の大学教授ソール・ナウマン(リチャード・ギア)一家のお話。一見何不自由のない幸せな家庭、ナウマン一家。でも、それぞれに家族の誰にも言えない秘密の心があり、次第に均衡が崩れバラバラになろうとする。そのバラバラになったものをまた再生へと向かう優しい力に最後は泣いてしまった...。
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完璧過ぎる夫を愛しながらも、実は息が詰まりそうな日々の妻ミリアム(ジュリエット・ビノシュ)。二人には可愛い息子アーロンと娘イライザがいる。父は優秀な息子アーロンに愛情を注ぎ、アーロンもまた誇りに思う父であり尊敬していた。しかし、ある日娘イライザが学校でスペリング大会に優勝して帰ってきた。地区大会でも優勝。とんでもないスペリングの才能を持つ11歳の少女イライザ(フローラ・クロス)。彼女は”目を瞑ると文字が浮かんでくるの”と母に語る。そんな娘の才能を知り、父の愛情の傾きがイライザに大きくなってゆく。イライザは父に抱きしめられ会話する時間が増えとても嬉しい。それまで兄を羨ましく思っていたので。でも、今度は兄が心寂しくなる。何となく分かるなぁ~という感じ...。意外な展開だったのは、ミリアムには幼い頃に両親を失ったことでのトラウマが今も心に強くあった。そのことはソールも知らない。ミリアムには窃盗癖がありその発覚に驚くソール。全国大会が近づく中、家族がバラバラになってゆく。イライザはその様子を見ながら戸惑うけれど、全国大会優勝目前でワザと間違う終わりのシーン、スペルは折り紙《origami》だった。崩れそうな家族の絆を結びつける役目となるこの少女。ミリアムも盗んだ破片たちで形にしていくという秘密の場所、それは心でもあるので、何となく普通の主婦のようで謎めいた役、次第に人格が破綻してゆくミリアムをビノシュは流石に上手く演じていたと思う。
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知らない単語が出てきてもイメージして答える大会。ただの暗記大会ではないので新鮮な感じ。映画初出演となるイライザ役のフローラ・クロスは、パリ生まれのフランス人なので次はフランス映画でお会い出来るかも?台詞は多くはないのだけれど静かな大きな役柄を見事にこなしていた。髪どめのスタイルと大きな瞳、万華鏡を覗くシーンなど、とても可愛く印象強く今も残っている!※この下のお写真のフローラちゃんにキュンとなります!!大スターのリチャード・ギアの手を小さな両手でこの表情☆こんな可愛い少女を見ると心に栄養を頂けます♪
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綴り字のシーズン/BEE SEASON
    2005年・アメリカ映画
監督:スコット・マクギー、デヴィッド・シーゲル 原作:マイラ・ゴールドバーグ 脚本:ナオミ・フォナー・ギレンホール 撮影:ジャイルズ・ナットジェンズ 出演:リチャード・ギア、ジュリエット・ビノシュ、フローラ・クロス、マックス・ミンゲラ 

※2007年3月8日に綴ったものに画像を追加いたしました。この少女イライザ役のフローラ・クロスの愛らしさは今もしっかりと焼きついています!嘗てはあまり興味のなかったリチャード・ギアなのですが、実は結構作品を追っています。歳を重ねるごと素敵なお方で今では好きな男優さまとなりました。今年還暦ですね☆そして、ジュリエット・ビノシュも演技力のあるお方でオスカー女優さまでもあります。今年は関西では開催されず寂しいのですが、『フランス映画祭』の団長として来日です☆確定申告を終えたあと、風邪気味となりましたが、積もる一方のお仕事も頑張ってはおります。此方の『少女愛惜』に綴ったつもりでいたもの(『映画の宝石箱』に綴っていたもの)を此方へも記録しておきたいと思います。平行して新しい記事も更新してゆきます。いつもご覧頂いている皆様、ありがとうございます☆
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by claranomori | 2009-03-13 03:07 | 銀幕の少女たち・少女映画
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ジェーン・カンピオン監督の1986年の長編第一作となる『ルイーズとケリー』。長編と言っても76分なのであまり長くはない。ジェーン・カンピオン監督は常に冷静に少女たちを描くお方だと思う。このふたりの少女ルイーズとケリーの高校入試時期から9ヶ月程の期間を時間を遡って描いてゆく。お話の始まりは同級生の少女のドラッグによる死から。対照的なふたりの少女は親友。けれど、この9ヶ月で環境も変わり心の距離も出てきた。ケリーとルイーズは正反対の部分が多いけれど似ているようでもある。ケリーの問題は先ず、継父と折が合わないことの不幸。難関校の入試に受かったふたりは歓喜する。その笑顔で終える。淡々と時間が巻き戻されてゆく中、観ている私の心は案外冷静だった。けれど、ラストの(最初の)ふたりが抱き合い喜ぶ笑顔と歓喜の声!その場面でグッと胸が詰まってしまったのか涙が出てきた。そんな余韻を残す淡い映画。
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好き嫌いの分かれるジェーン・カンピオン監督のようだ。この1986年の映画の公開は1997年なので、『ある貴婦人の肖像』の後。その前には『ピアノ・レッスン』がある。80年代的な髪型やファッション。特に印象深く残っているのはルイーズのスカートの丈。そして、15歳頃の少女たちの制服と初々しい脚かな。僅か9ヶ月の間にルイーズのワンピースの丈は長くなっている。母親はルイーズがこれからさらに成長することを知っているので少し余裕のある制服に決める。その時のルイーズの不機嫌さは私にはよく分かるものだった。15歳。個人差があれども子どものようで大人へと一歩ずつ...。そんな思春期の少女にはスカートの丈5センチや10センチはとても大きなこと。私も高校の制服を購入する際に母が少し大きめのものにした時を覚えている。なんだかかっこ悪い気がした。

同じ高校に進学出来たというのに、ケリーの継父はその学校が嫌いでケリーを違う高校へと決める。ふたりまだ先一緒に過ごせることを願い、それが叶ったというのに!気に入らない継父だった。でも、そういうこともあるのだろう。自分たちの意思では何ともならないことも。ケリーはよくルイーズのお家に遊びに来て泊まることも。お台所で一緒に歌いながら踊ったりする場面も好き!お互いボーイフレンドも出来手紙のやり取りは続いているけれど、嘗てのような感情ではない。その先は分からないけれど、そんな年頃の少女の姿を描いた作品。ケリーがルイーズに宛てた手紙の一部より♪

”汝の心の欲するままに”
今日入試の結果が分かる
待ちきれない
落ちてたら自殺するわ
どっちか落ちたら二人とも
行かない約束
四年間も一人なんてイヤよ
誤字だらけね
減点されるかな?
合格したら同じクラス?
心配ごとがいっぱい
おまじないするわ
このペンもだめ
手紙を書き始めて8本目よ
ピザ屋でもらったの
去年みんなで行ったお店よ


※ルイーズ役のエマ・コールズはこの映画が初出演のようで、黒い髪のショートカット。でも本来はブロンドの長い髪の少女だったそうだ、当時14歳。また、ケリー役のクリス・ビデンコは今も女優の道を続けていて、ジェーン・カンピオン監督の1984年の短編映画である『AFTER HOURS』にも出演しているそうだけれど未見。いつか観てみたい☆

ルイーズとケリー/TWO FRIENDS
  1986年・オーストラリア映画
監督:ジェーン・カンピオン 製作:ジャン・チャップマン 脚本:ヘレン・ガーナー 撮影:ジュリアン・ペニー 音楽:マーティン・アーマイガー 出演:エマ・コールズ、クリス・ビデンコ、クリス・マッケイド
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by claranomori | 2009-03-06 23:44 | 銀幕の少女たち・少女映画
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ジョディ・フォスターの初主演映画(ナポレオン役のジョニー・ウィッテカーも主演)の『ナポレオンとサマンサ(ジョデイ・フォスターのライオン物語)』を観た折の感想(2005年当時)。まだ10歳(撮影当時9歳頃)の可愛いジョディ!思わず、この頃からあの涼しげな表情なので嬉しくて「可愛い~可愛い~』って言いながら観ていた。一人で観ているのに思わず声を出してしまう事がある。とにかくあのクールな目は今も変わらない。
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原題のように、ナポレオンという少年とサマンサという少女の冒険物語。この少年役の方の事は全く知らないけれど(ジョディも共演した『トム・ソーヤの冒険』があるけれど未見)、柔らかい鮮やかなブロンドのソフトカーリー・ヘアーとそばかすが印象的だった。そして、忘れてはならない雄のライオン!少佐という名のナポレオンが飼っている元サーカス団にいたライオン。私は子供の頃から動物園に行くと何よりも先にライオンが見たくて走って行ったものだ。それも鬣のある雄のライオンが大好きなのだ。この少佐が活躍する場面もあるので嬉しかった。

この映画はウォルト・ディズニー製作もの。ジョディ・フォスターが有名になったのでこの様な邦題が付けられたのだろう。途中からダニーという青年が登場。マイケル・ダグラスで、凄くお若い。私はあまり興味はないけれど爽やかな好青年役だった(お父様のカーク・ダグラスの方が好き!)。
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ナポレオンは祖父と少佐と暮らしていたけれど、祖父の死が訪れ孤児院に預けられる事を避ける為に、友人のサマンサと相談して、祖父の死を隠す事に。死体を山に埋めたりする(ちょっと、後の『白い家の少女』を連想してしまった)のだけれど、村の人々は姿を見ないので不信に思い始める。そこで、二人はダニーの住む家までの冒険の旅に出るのだ。その道中、幼い二人には危険や困難な事が起こる。それでも、めげずに到着する。少佐に乗ったり、尻尾を持って歩いたり、とにかく百獣の王ライオンが本物なので、ドキドキしたりワクワクしながら観ていた。

最後は結局、警察や大人の人達によって保護されるのだけれど、それまでの子供ならではの発想や真剣さはとても愛らしく思え、大人になるにつれ忘れてしまう事、耐えなくてはならない事...そんな事をライオンと一緒の冒険として描いているので、子供の頃にも観ていたかったな。

少女ジョディの愛らしさと格好いいライオン!それにしても、天才子役と讃えられオスカー女優で監督もされるまだまだお若いジョディ。レズビアン宣言をしパリの街を女性と子供を連れ闊歩するジョディ。あの涼しい眼差しと意志の強さを感じる歩き方は生まれつきなのだ。IQもとんでもない高さだというし凄いお方だ。この稀なる女優さまは今も私のミューズのおひとり♪
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ジョディ・フォスターのライオン物語/NAPOLEON AND SAMANTHA  1972年・アメリカ映画 
監督:バーナード・マキヴィーティ 撮影:モンロー・P・アスキンス 音楽:バディ・ベイカー 出演:ジョディ・フォスター、ジョニー・ウィッテカー、マイケル・ダグラス、セレステ・ホルム、ウォーレン・オーツ
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by claranomori | 2009-03-05 23:13 | 銀幕の少女たち・少女映画
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レアード・コーニグの『白い家の少女(路地の奥に住む少女)』を読み返して謎が解けた!!と大喜びしていた私。ずっと不思議に想っていたことだけれど、ジョディ・フォスターが映画『白い家の少女』の少女リンを演じた時、ジョディの髪が染められていたのがずっと謎だった...ジョディは生まれ持った美しいブロンドの髪の少女なのに、映画の中では微妙に違うブロンド色だった(気のせいではないと想う)。

久しぶりに再読してみると、勝手に謎が解けたようで気分が良い。原作の中で、13才のお誕生日のお祝いのケーキとロウソクと薄暗いお部屋の描写の場面。映画とかなり二重に浮かぶ、可愛いジョディ♪

焔が二重になって輝いている鏡の前で、少女はじっと立っていた。ゆらめくロウソクの光を浴びて、彼女の両手と顔は青白く、蝋のように白かった。ふだんは樫の落葉色をしている長い髪の毛は、いま赤銅色に染まっていた。

ジョディの本来の髪ではロウソクの光で赤く映えないという美術的な理由からだったのだろう(謎が解けたと言いながらも勝手な想像に過ぎない)...まあ、とにかくやれやれ☆以前も少女リンの愛読書であるエミリー・ディキンソンの詩集のことで、映画を見返したりして納得していたこともあった。やはり、かなり大好きな少女リンなのだろう☆
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by claranomori | 2009-02-10 06:04 | 少女イコン・不滅の少女
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”もうひとつのヴァージン・スーサイズ”という宣伝を目にして反応しない訳はない。これは2003年のカナダ映画の『フォーリング・エンジェルス』というスコット・スミス監督作品。元軍人で暴君的な父親(カラム・キース・レニー)、結婚するまでは美しい天使の様な踊り子だったけれど、今はアルコール依存症で精神を患ってもいる母親(ミランダ・リチャードソン)、子供の頃から太っていて眼鏡をかけた内気で繊細な心を持つ長女ノーマ(モンテ・ギャグネ)、父親に反抗的で自分の意見を率直に言えるハッキリした気性の次女ルー(キャサリン・イザベル)、ブロンドの髪と艶やかなお洋服や髪型が愛らしい三女サンディ(クリスティン・アダムス)という5人家族。舞台はカナダの1969年から1970年という時代。テレビはジョンとヨーコの反戦運動の模様も映し出していた。ルーの夢は”パパの銃でニクソンを撃つ事”という台詞も出てくる。父親はソ連がミサイルを発射し放射能を防ぐためにと、一家には防空壕が作られ2週間そこで暮らした体験がある。家族それぞれにその時の思い出は今も引き摺っている。幼少時のこと。母親のバッグに大切に保管されていたある赤ん坊の写真と新聞記事を見つけるノーマとルー。”生きていたら21歳だわ”とノーマはその写真を今も隠し持ち、その兄に祈りを捧げている少女。原作を知らないので細かい部分に分からないことが残されているけれど、どうもその赤ん坊は事故で死んでしまったようだけれど、母親は今もその死に責任と悲しみを抱き続けているようだ。

三姉妹たちはノーマがもうすぐ卒業というのだから皆高校生だと想う。歳はほとんど近い姉妹たち。”お人形みたいだ”という既婚の男性と恋をする(双子の男性で結婚歴2回でどちらの妻もレズビアンだという)、そして懐妊してしまうサンディ。ルーはアメリカからの転校生の男の子に惹かれ、彼の影響で政治的、哲学的な話題をしながらLSDを。私が一番好きなのは長女ノーマで、彼女は母親の面倒をよく見ていて外出もできずお家の切り盛りをしてもいる。近所に可愛い同級生の女の子がいてノーマに挨拶する。遊びたくても遊べない...でも、後にふたりは抱き合いながらダンスをする場面があり、その時のノーマのはにかんだような嬉しそうなお顔。その少女はステラ(イングリッド・ニルソン)という同性愛者だという設定のようだけれど、この辺りの描き方はもう少し丁寧に描いていただけると嬉しいと想うけれど、想像するもの愉しいかな。
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終盤、屋根の上に上り転落してしまう母親...この母親の死から回想してゆくというかたちでお話は展開される。その中で時々、彼女たちの幼少時(防空壕での生活の頃)と現在が揺れ動く。彼女たちの成長と思春期の多感な時期の心、そして家族というものを感じる。『ヴァージン・スーサイズ』というよりも、時々『ギルバート・グレイプ』を想起していた私。ノーマはお家の中を自分で改築して行く才能があり父親と仲良しである。サンディも華やかなお洋服はご自分で作るという才能が。ルーは最も社会にも反抗的ながら一番美人かな。幼少時の小さな子役たちがこの三人を演じている中で、ルー役のカルメン・フィールディングという少女がとても可愛くて印象に残っている。また、両親役のおふたりは英国俳優で、演技派女優のミランダ・リチャードソンは台詞は多くないけれど、やはり存在感があり素敵だった。キャサリン・イザベルは最初、観たことのあるお方だと想っていたら『素顔のゾーイ』(ミア・ファロー主演作品で観たもの)に出演していたお方であった。お話はやや散漫な気もしたけれど、母親の死は家族に大きい。けれど、反抗的だったルーが父親に歩み寄ってゆく最後の場面は好き、家族の再生というのだろうか。そして、姉妹はこれからも助け合いながら大人になってゆくのだろう...という光を感じるもので、それも良いと想った☆
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フォーリング・エンジェルス/FALLING ANGELS
     2003年・カナダ/フランス合作映画
監督:スコット・スミス 原作:バーバラ・ゴウディ 脚本:エスタ・スポルディング 撮影:グレゴリー・ミドルトン 音楽:ケン・ホワイトリー 出演:ミランダ・リチャードソン、カラム・キース・レニー、キャサリン・イザベル、キルスティン・アダムス、モンテ・ギャグネ、イングリッド・ニルソン
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by claranomori | 2009-01-16 18:50 | 銀幕の少女たち・少女映画
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ずっと以前にテレビで観た1938年のフランス映画『格子なき牢獄』の少女ネリーを演じたコリンヌ・リュシエールの表情が焼きついていた。私も歳を重ねたお陰で今回の2度目の鑑賞で、さらにこの映画が深く沁み入ったように想う。少女ネリーを演じるのは、当時新人だったコリンヌ・リュシェールで役柄と同じ17歳の頃のもの。舞台となるのは少女感化院(私立更生院から更生教育院へと変わる)で過ごす少女たちと先生たち。男性は保険医マルシャル(ロジェ・デュシェーヌ)のみで他は全て女性たち。少し以前綴った『制服の処女』が過ぎるようでもあるけれど趣は異なる。ここに連れて来られる少女たちは盗みをはたらいた罪、家庭環境の問題から親に放り出された少女...と問題を抱えた若き少女たち。院長のアペル先生は彼女たちを腐った人間と規則と厳しい体罰により性根を鍛えなおすというような方針で長年営んでいた。不服を言う者は監禁室に閉じ込められる。しかし、新しい院長が任命され公立となる日がやって来た。新しい院長は若く美しいイヴォンヌ先生(アニー・デュコー)。イヴォンヌ先生はこれまでの教育方針を一変する。心に残る言葉が幾つかある中、”少女時代の思い出は一生つきまといます”と彼女たちに手を上げることを禁止する。”罰するのではなく更生させるのです”と、それまで歌うことすら禁じられていた少女たちが歌を歌いながら作業をする場面も美しい。脱走していた少女ネリー(コリンヌ・リュシェール)が連れ戻された。イヴォンヌ先生はネリーの瞳を信じ、あるお使いを頼む。それはネリーが外出して町へ出ることなのでアペル先生は猛反対。帰ってくるはずはないと想っている。でも、信用されて用事を頼まれ陽光を浴び外を駆ける姿のネリーは愛らしい少女でその笑顔は爽やかなもの。遅くなったけれどちゃんと戻り頼まれたものを持って帰って来たのだ。ネリーは信用されてとても喜ぶ。次第にネリーは更生してゆく。そして、イヴォンヌ先生を信頼し慕っている。しかし、その先生の婚約者だとはまったく知らずに保険医マルシャルを愛するようになるのだった。
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監禁室の鉄格子は外され、お食事もシャワーも改善されてゆく。少女たちはそれぞれ幾年かをここで過ごせば社会へ出てゆくのだ。その教育にイヴォンヌ先生は夜もろくに睡眠を取らずに励む。婚約者のマルシャルとの関係は次第にうまくゆかなくなる。聖女(聖職者)か妻になるかとの選択。イヴォンヌ先生はマルシャルを愛しているけれど、この感化院に永住することを決意する。”格子なき牢獄”とは少女たちだけではなく、実は永住する先生達のことでもある、そのことの方がずっと今の私は胸に突き刺さるものだった。婚約者を諦め、更生したネリーが巣立つ日。ネリーが出てゆくと門がまた閉まる...FIN。イヴォンヌ先生のお心の高潔さ、気高き聖職者としての信念に胸を打たれる。また、少女ネリーが”先生の婚約者だと知っていたら彼を愛しませんでした...”と先生への忠誠を告げる場面も感動的!彼女のその言葉は嘘ではないから。悪知恵の働く少女ルネの存在も物語に欠かせない。この古いモノクロームのフランス映画を観ながら浮かぶ緑の自然、まるで囚人のような黒い服装の少女たちと院内...モノクロ映画でも色が浮かび、黒の陰影から伝わるもの、音楽から伝わるものを一心に浴びるようであった。優れた作品は色褪せぬ。でも、一躍スターになったというコリンヌ・リュシェールはその後、第二次世界大戦のドイツ占領下のフランス時にドイツ軍の愛人となり、投獄され病死したという。まだ29歳の若さで。戦争による悲劇が女優の人生、ひとりの人間の生を絶ったのだと想うと感慨深く、またこのテーマにぶつかる私をなんだろうとも想う。

格子なき牢獄/PRISONS SANS BARREAUX
        1938年・フランス映画
監督:レオニード・モギー 監督:レオニード・モギー、ハンス・ウイルヘルム 撮影:クリスチャン・マトラ、クロード・ルノワール 音楽:ウィル・グロス 出演:アニー・デュコー、コリンヌ・リュシエール、ロジェ・デュシェーヌ
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by claranomori | 2008-11-02 09:08 | 銀幕の少女たち・少女映画
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少女子役時代の、あの『奇跡の人』のヘレン・ケラー役はとても衝撃だった。以前少し書いたのですが補足したいことも色々あるのでまた此方でもと想っているところ。そのパティ・デュークが成長して思春期、青春期を迎えた頃の名作映画『ナタリーの朝』。ナタリーは優しい両親と暮らしているけれど、年頃になりお友達で美人のベティの世話により男の子とデートに行く。ナタリー17歳。大人への階段を上りゆく頃。その時、男の子は美人のベティを見て逃げ腰になってしまう。そしてクラブに行くナタリーはまるで”壁の花”という状態だった。美人でない自分の容姿に対するコンプレックスが募る一方。そのことはもっと幼少の頃から抱いていたナタリー。母親に告げても”大きくなったら美人になるのよ”と言われ信じてもいた。けれど、”ママは嘘つきだわ!”という年頃になったナタリー。子供の頃からナタリーの事を”リトル・プリンセス”と呼んでくれる大好きな叔父さんが10数年の海外生活から戻ってきた。喜ぶナタリーながら、また愕然とすることが。叔父さんが婚約者だというお方が金髪のグラマー美人だったのだ。叔父さんも嘘をついてた!と想ったようだ。
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そして、大学に進学したナタリーは造反ゲバ騒動に参加し退学処分を受ける。そして、両親の反対を押し切って家を出てゆくことに。高校の卒業パーティーでも誘ってくれる男の子はいなかった。ナタリーは架空の恋人を夢みたりする。いつか素敵な王子様が私を...といじらしい少女の心。家を出ることはナタリーの自分自身を見つめる機会でもあり、青春の甘酸っぱさや社会の裏切りをも体験することにもなった。初めて、”きみは美しい。個性的で魅力的だ”と言ってくれた男性と出会う、そして初めての恋をする。しかし、ハッピーエンドではなく、またナタリーは両親の家へ戻るのだけれど、”Me, Natalie”と言うナタリーになって。青春時代は自分が見えない時がある輝かしき刻であると想う。感情で突っ走ることができる頃。そこで苦い体験をしてもその時の輝きはバラ色のように感じるのだと。この映画の中でパティ・デュークは表情や巧みな演技で特に前半は本来よりかわいくない少女(可愛くない少女がいるのだろうか...と私はいつも想う、でもコンプレックスが爆弾を抱えているほどに重い時がある、それも少女!)を演じているのだけれど、オーバーアクトでなく自然で上手いなあ~と想う。そして、グリニッジ・ヴィレッジという町を少し羨ましく想えた映画でもある。流れるヘンリー・マンシーニの美しいメロディや風景と共に忘れられない青春映画のひとつ。最初はテレビで観たのだけれど、その時、既に大スターだったアル・パチーノが端役で出ていたのも印象に残ったもの。後に知ったけれど、この映画がアル・パチーノのデビュー作なのだそうだ。

ナタリーの朝/ME, NATALIE
   1969年・アメリカ映画
監督:フレッド・コー 音楽:ヘンリー・マンシーニ 出演:パティ・デューク、ジェームズ・ファレンティノ、マーティン・バルサム、ナンシー・マーチャンド、サロメ・ジェンズ、デボラ・ウィンタース、アル・パチーノ
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by claranomori | 2008-10-16 09:40 | 銀幕の少女たち・少女映画