あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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★『少女愛惜』を始めた初期に大好きな少女映画(永遠の少女)として少し綴りました。とにかく、大好きな心に刻まれた古いモノクロームの美しくも哀しいフランス映画の名作のひとつです♪
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シベールの日曜日/CYBELE OU LES DIMANCHES DE VILLE 1962年 フランス映画
監督:セルジュ・ブールギニョン 原作:ベルナール・エシャスリオー 脚本:セルジュ・ブールギニョン、アントワーヌ・チュダル 
撮影:アンリ・ドカエ 音楽:モーリス・ジャール 
出演:ハーディ・クリューガー、パトシリア・ゴッジ、ニコール・クールセル、ダニエル・イヴェルネル、アンドレ・オウマンスキー

★関連記事:『シベールの日曜日』(セルジュ・ブールギニョン監督)
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by claranomori | 2010-06-12 11:56 | 銀幕の少女たち・少女映画
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★私は映画が好きなお陰で多くのことを教えて頂いたり考えさせられたり、きっと限りなくいつまでもそんな日々だろう。第二次世界大戦での日本の敗北、焼け野原になり物資もなく困窮に陥った時代。たった60余年前のこと。その当時を生きてこられた方々、家族に犠牲者を持つ方々、恩師や友、恋人を失った方々も今を生きておられる。「昭和」と云ってもこうした戦争の時代もあれば、バブルな時代もある。私は暢気にバブルをバブルと当時感じることさえ出きず、のうのうと生きてきた戦争を知らない子供。「沖縄戦」という史実を知らずにいた。何故、米軍が沖縄に駐屯することになったのか、その後の返還に至る流れをようやく把握(おおまかにだけれど)出来るようになった。それはやはり映画からのこと。同名の原作を映画化した今井正監督による1982年の『ひめゆりの塔』の衝撃が大きい。まだ10代の女子生徒たちが従軍しなくてはならないなんて!

乙女たちよ 知っていたのか 青春の砂時計に残された 
はかない いのちを・・・・・

劇中、明るく愛らしい笑顔の少女たち、みんなで合唱する儚き輝く刻が今も浮かぶ。まだお若い頃の古手川祐子さんが特に印象強く残っている。また、宮城先生役の栗原小巻さんのお美しさと凛々しさ。師を敬い慕う美しき少女たちと身を持って接する尊き姿の先生たち。美しい!けれど、史実が悲劇なので映画化だからと云ってハッピーエンドで終えることなどできない。内容は脚色されているだろうけれど、私は「ひめゆり」と聞くと反応してしまう。先生と生徒、227名がこの戦争で亡くなられている。これから、教師への道、また恋する季節の思春期の少女たち。夢と希望はそれぞれにあったはずなのに。「青春」という短い刻を戦争という狂騒の中に身を投じることになった運命。生き残られたお方もこの悲劇は心の傷跡として消えることはないだろう。そして、徴兵され兵役を担う運命になった方々も。この青年兵士たちの様子は、1968年の舛田利雄監督による映画『あゝひめゆりの塔』で考えさせられたように想う。吉永小百合さんと浜田光夫さんの青春コンビだった。吉永小百合さんの妹的な存在だったのではないだろうか、和泉雅子さんもまだお若く可愛いかった。

熱心な「サユリスト」であった母の姿が吉永小百合さんの出演されている映画を観るとどうしても浮かぶ。私はもっと後の世代だけれど、子供の頃から栗原小巻さんが好きだったので、もう少し早く生まれていたなら「コマキスト」と呼ばれていただろうか。宮城先生は最後は目が見えなくなってしまう。爆撃の連続の毎日で気がふれてしまう少女たち。負傷して壕から脱出できず死に至ってしまったり、解放後も米軍に引き渡されることを拒み手榴弾で自らの命を絶ってしまった少女たち。「ひめゆりの少女たち」のことを知って良かった。もっと学びたいとも想う☆

●“ひめゆり”の由来●
沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校には、それぞれ校友会誌があり、一高女は「乙姫」、師範は「白百合」と名づけられていました。両校が併置された際、校友会誌もひとつになり、両方の名前を合わせて「姫百合」と名づけられました。ひらがなで「ひめゆり」と使うようになったのは戦後です。「ひめゆり平和祈念資料館」より。
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by claranomori | 2009-11-29 02:50 | 銀幕の少女たち・少女映画
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★80年代はやはり私には大切な時代だった。私が10代だった頃に同世代の可愛いアイドルたちに愛を込めて!となると、当時、フランスのアイドルはソフィー・マルソーだった。ジョディ・フォスターやナスターシャ・キンスキーは格別今でも大好きだけれど、既にデビューされていた。薬師丸ひろこが日本では人気で「私のライバルはテイタムよ」って語ったりしていたのだけれど、テイタム・オニールもリアルタイムではないのでちょっと私のアイドルという感じではなかった。映画『ラ・ブーム』(1980年・13歳頃)の日本公開は1982年。ソフィーは15歳頃で、とびっきり可愛くてトキメクのであった。翌年続けて公開された『ラ・ブーム2』共に懐かしい想い出。主題歌の『愛のファンタジー』もヒットしていて、ソフィーを讃える『ビバ!ソフィ』やハート型のレコードも今引っ張り出し眺めてスキャンしたりしていた。こうして長い間一緒に居るレコードやパンフレットって愛おしい。
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ソフィー・マルソーはフランソワ・ヴァレリーとのデュエット曲、あとはオスカルやパリジャン三銃士なる方々の歌が収録されている...いったいどんな経歴の方々なのか、いまだに不思議な存在。ソフィーの好きな本に『青い麦』とあった。嫌いな食べ物がほうれん草だったり、嫌いな科目が数学だったりというのも同じだったので、そうした事に感激していた。今の私はすっかりほうれん草も好きになっているのだけれど。コレットの『青い麦』は私も好きだった。ソフィーのデビューよりもさらに小さな少女ポレットとして『禁じられた遊び』でデビューされたブリジット・フォッセーが、映画『ラ・ブーム』での母親役というのも嬉しいものだった。今も素敵なお方。ソフィーの映画はこの『ラ・ブーム』から今なお追い続けている。あまり好きではなかった作品もあるけれど観てしまう。だんだん大人っぽくなる様子に戸惑いを感じながら観ていた時期もある。すっかり成長した豊満な肢体を見るとショックを受けたものだ...でも、今でもやはり好きでいる♪
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by claranomori | 2009-10-17 11:19 | 銀幕の少女たち・少女映画
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★上から『長くつ下のピッピ』『ピーター・パン』『にんじん』のことを 少年少女映画大好き!Cinema ChouChouに追記いたしました♪
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by claranomori | 2009-10-16 19:15 | 銀幕の少女たち・少女映画
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★スウェーデンの児童文学というと浮かぶのはアストリッド・リンドグレーン(1907年~2002年)。数々の映画化もあり、私の初見は『やかまし村の子どもたち』でとても想い出深い。けれど、『長くつ下のピッピ』の少女ピッピのキャラクターはいつの頃からか自然と強力にある。あの赤毛を編んだ独特のヘアースタイル、そばかすのお顔には笑顔がいっぱい。おてんばだけれど優しくて繊細。あんなに華奢なのに力持ち。さらにお金持ちである。

お馬とおサルのニルソン氏と共にやってきた田舎町。隣に住むトミー(パー・サンドバーグ)とアニカ(マリア・パッセン)と仲良しになる。思い出すのは「床におりないごっこ」!今もその様子が浮かび笑ってしまう。みんな可愛いけれどアニカも大好き。ピッピの名は、ピッピロッタ・シャンデラリア・ヤナギノハッパ・チョコミンサ・エフライム。ごたごた荘で一人暮らしの変わった女の子。お父さんは、エフライム・ナガクツシタ船長で、ホッペトッサ号で世界の海を回っている。お母さんは、お空の天使。お父さんに貰った金貨がぎっしり詰まった鞄を持って、歌いながらやって来た少女。奇想天外なことをするし、初めは誤解されたりする個性はピッピのもの。暫くするとピッピの優しい気持ちも伝わってゆく。笑っていること、そんな姿を見ることは至福でもあると、ピッピを想い浮かべ安堵する。

1969年から1970年頃に製作された映画。5作シリーズで、『長くつ下のピッピ』『続・長くつ下のピッピ』『ピッピの新しい冒険』『ピッピの宝島』『ピッピ船にのる』なのだけれど、結構記憶がごちゃまぜなので観直したい。全作とも監督はオル・ヘルボムで、ピッピとアニカとトミーも同じ。スウェーデンの美しい自然の景色、今の映画では味わえないあの色彩がとても好き。そんな綺麗な自然の中に可愛い三人。ピッピは、草の上に寝転び、青い空や緑の木の頂を見上げながら夏の詩を歌う♪

夏って すてきと
さあ うたおう!
だって 木々は なんなに きれいで
大地は あんなに みどり
花は あんなに 美しく
野いちごは こんなに おいしいの
お日さまは きらきらと かがやき
そばかすは どんどん ふえて
てんてんだらけの 夏のかお
だから うたうの
夏は わたしの ものよと

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◆「赤毛」というのは私の子供時代のちょっとしたコンプレックスでもあった。そして、夏にそばかすが増えるというのも同じ。なので、私は太陽光線は苦手で今に至る。ピッピのように、「夏はわたしのものよ」と想えたことなど一度もなく生きている。なので、ピッピが羨ましい。そして、私に欠けているものに気付く瞬間でもあり苦笑してしまう。
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by claranomori | 2009-10-14 11:52 | 銀幕の少女たち・少女映画
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「小さな勇気が世界を変え、女の子でもヒーローになれる」

このように語るのはニュージーランドの作家ウィティ・イヒマエラ。1987年に刊行された小説『クジラの島の少女』の作者。2002年には、同じニュージーランドの女性監督のニキ・カーロにより映画化もされた。その少女も可愛いお方であった。

女の子でもヒーローになれるし、男の子でも女神(ミューズ)になれる。私はこの主人公の12歳の少女と同じ歳であったという事実が嬉しい。多くの少女は愛らしい夢を抱き希望に溢れた日々を送っていただろう。私もそうではあるけれど、実に行動力の乏しい心だけは冒険家のようでもあったので、こうした少女が苦しい目に遭いながらも光を求め報われるお話はとても気分が良い。

クジラ乗りという先祖を持つオマリの一族。彼等は代々男性を長としてきたのだけれど、初めて女の子が生まれた。跡継ぎは男の子と切望する長である祖父は、どうしてもその少女カフを受け入れることができない。そんななか、のびやかに成長してゆく少女を襲う運命と愛と奇跡の物語。

伝統社会からの拒絶と軽蔑を受ける少女。けれど、その少女は死と再生、すべての苦難の末の平静と調和をもたらす使命を受けて海からやって来た少女。聖なる存在としてのクジラ。クジラというと妖精や少女との絆が深いと勝手に想い込んでいる。そのようなお話を好んで読んだり観たりするからだろうけれど。海は女性名詞である(フランス語で)。私はウーマンリブというものにあまり興味はない。けれど、男性視点の少女のお話のなんと多いことか...それらは好まれるのだろうけれど、私は少女も少年も尊い存在であるし、言いなりになる受動態の少女が健気に映る場合もあるけれど、そればかりが少女ではない。私の憧れていた少女は勇敢だった。その上美少女でもあった。

『ライラの冒険』の主人公は女の子。そんな冒険物語がもっと作られ観る方も増えると良いのに...と続編が未定なようなので寂しく想ったりする。この映画化された『クジラ島の少女』は原作よりも少女カフの心をより強く描いている。そういえば、映画ではカフは双子として誕生していた。そのもう一人は男の子だったけれど、死んでしまったということになっていた。

「エ ヒネ、エ ノホ ラ (少女よ、さようなら)」と泡立つ水の中、クジラは巨大な尾びれを振ってお別れの挨拶をする。海とクジラが織り成す調べに美を感じる☆

※苦手な夏と体調不良、そしていつもの如くの貧乏暇なし状態で、ここ数ヶ月更新が少なくて頭がもう、「爆裂少女都市」状態のようです。なので、脳髄少女たちと勝手気ままな想いをせっせと綴ってゆきたいと想います。いつも、ご覧頂いている皆様、ありがとうございます!
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by claranomori | 2009-09-28 19:55 | 本の中の少女・少年
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★思春期・青春期を過ごしました80年代はやはりとても思い出深いものです。一人で小さな映画館に通うようになった頃に観たもの(リバイバルも多かったです)は、年月を経たのでまた観直したいと思うのです。とりあえずこの3作品の画像を(80’sフランス映画の3本立てみたいですが)再見してから今の想いを綴っておきたい場所ですので、予定が変更(映画以外の記事も予定がいっぱい)するかもしれませんが宜しくお願いいたします♪
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by claranomori | 2009-09-17 08:26 | 銀幕の少女たち・少女映画
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ルーシー・モード・モンゴメリの『丘の家のジェーン』(Jane of Lantern Hill)が執筆されたのは1937年(日本での初版は1960年)。その前の『赤毛のアン』 同様にモンゴメリご自身と美しい大自然とプリンス・エドワード島、そして、やはり『丘の家のジェーン』にもあの少女アンの魂が入っている。兎に角、私は「赤毛のアン」が大好きだし、モンゴメリの小説が好きなので色々想いはあるけれど、今日は映画化された『丘の家のジェーン』のことを。監督は『赤毛のアン』同様にケヴィン・サリヴァンで1989年の作品。ヘプシバ役のコリーン・デューハーストは『赤毛のアン』にも出演されていたお方で、その他父親役のサム・ウォーターストン、母親役のパトリシア・フィリップス、祖母役のゾー・コールドウェルとふたりの少女の周りをしっかりと囲んでいる。ふたりの少女とは、勿論主人公のジェーン(マイロン・ベネット)と唯一の親友ジョディ(サラ・ポーリー)。お話は少女ジェーンのある数ヶ月の成長物語であるけれど、同じ浮浪児としての不遇な境遇にある少女ジョディ(サラ・ポーリー)の存在は重要。サラ・ポーリーの子役時代ではテリー・ギリアム監督の『バロン』が最も有名。そして、同年のテレビ映画シリーズの『アボンリーへの道』はモンゴメリ原作、ケヴィン・サリヴァン監督なのでこちらも大好きなもの。

美しい母とジェーンは二人暮らし。母の病気のために裕福で厳格な祖母の家で暮らすことになるジェーンは12歳の素直で内気な少女。しかし、この権威主義の祖母も豪華なお家も大嫌いなジェーン。私立の名門女子校に入れられ、意地悪な女子生徒たちにからかわれたりする。隣家の台所の下働きをしている浮浪児の少女ジョディは9歳。ジェーンにとってもジョディにとっても唯一の心を許せる友なのだ。このふたりの少女の性格は対照的。ジェーンとジョディを合わせるとアンになるような。お金もなく汚れた身なりのジョディは、そんな不遇な状況でも実に前向きで勇敢でたくまくしく生きている少女。ジェーンはジョディに勇気付けられてもいる。ジェーンは死んだのだと思っていた父がプリンス・エドワード島で作家として生きていると知る事件が起こる。そこから、ジェーンは父親の住む島へと向かい、ジェーンはなんとか両親をもういちど結び付けようと頑張る姿は生き生きとしている。ジェーンが心配で汽車に無賃で乗り込みついてゆくジョディ。なんとなく冴えないジェーンはプリンス・エドワード島で過ごす中で不思議な力を発揮する。夢や幻想も交えながら、超能力を持つ預言者ヘプシバ(ジェーンの夢にも現れる)と合い、だんだんと両親の別離の誤解などの謎が解け、どうにか修復しようと頑張る姿に観ている私も”頑張って!”と応援する。そして、ジョディもジェーンと一緒にプリンス・エドワード島で新しいお家で過ごせるようになる。夢と希望に満ちた光ある少女たちよ永遠なれ!
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丘の家のジェーン/LANTERN HILL
     1989年・カナダ映画
監督:ケヴィン・サリヴァン 原作:ルーシー・モード・モンゴメリ 脚本:ケヴィン・サリヴァ、フィオナ・マクヒュー 撮影:ブライアン・トムソン 音楽:ジョン・ウェルズマン 出演:マイロン・ベネット、コリーン・デューハースト、サム・ウォーターストン、サラ・ポーリー、パトリシア・フィリップス、ゾー・コールドウェル、ヴィヴィアン・リーズ、ジョイス・キャンピオン
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by claranomori | 2009-08-19 09:15 | 銀幕の少女たち・少女映画
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ルイザ・メイ・オルコットの自伝的な内容も含まれている不朽の少女小説であり児童文学でもある『若草物語』はいったい幾度映画化されているのだろう。このマーヴィン・ルロイ監督の1949年作品は既に4度目の映画化だそうだ。アニメや日本映画も含めると6作品の『若草物語』を観ているのだけれど、今のところ、その中で一等好きなものはこの1949年のもの。この頃ならではのテクニカラーが好きだし、お衣装や小物、舞台セットなどが実に美しい!また、それぞれ性格の異なる四姉妹たちも。原作や他の映画と異なるのは、三女のベスと四女のエイミー(エミー)を変更している点。それは、当時、名子役として人気を博していたマーガレット・オブライエンがエリザベス・テイラーよりも年少であり、幼くして病に死す内気な少女ベスを演じることで。名演技に涙したお方も多いのだろう。原作では姉妹たちは皆まだ10代。次女のジョーを演じるジューン・アリソンは当時32歳だったというけれど、ハツラツとした快活なジョーを演じている。長女のメグ役のジャネット・リーは原作のイメージと私は少し違うのだけれど、美しいし好き。リズは撮影当時16.17歳で既に完璧な美を誇っている。エイミー役にお似合い。初めて観た時に少し違和感があったのは、多分リズなのにブロンドの髪の少女だったからだと思う。こんなにブロンドのリズは他の作品では拝見出来ないのではないだろうか。縦ロールの髪も素敵だけれど、終盤のローリーと結婚する場面(ヨーロッパから帰国後)の後ろで纏めた美しいヘアスタイルの方がお美しいお顔立ちが際立つように思う。舞台は19世紀半ば。姉妹の中でも中心はジョー。裕福ではないが姉妹はお互いを思いやり、両親を尊敬し愛している。また、隣人やご近所の人々への慈愛も深く、その中でのそれぞれの乙女心。時代は随分違えども、ある時期の少女たちには共通するものがいつもある。なので、100年以上前の小説がいつまでも愛され続けるのだろう。ジョーは個人的にはジリアン・アームストロング監督作品(1994年)でウィノナ・ライダーが演じたものがお気に入りなのは今も変わらないけれど、どれを観ても最後は感動で泣いてしまう。
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若草物語/LITTLE WOMEN
  1949年・アメリカ映画
監督:マーヴィン・ルロイ 原作:ルイザ・メイ・オルコット 撮影:ロバート・プランク、チャールズ・ショーンボーム 音楽:アドルフ・ドイッチ 出演:ジューン・アリソン、マーガレット・オブライエン、エリザベス・テイラー、ジャネット・リー、ピーター・ローフォード、 メアリー・アスター、C・オーブリー・スミス、ロッサノ・ブラッツィ
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by claranomori | 2009-08-10 09:58 | 銀幕の少女たち・少女映画
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★自分でも不可思議なことながら、「ボウイ館」をここ数日更新している。そして、5/29の『VELVET MOON15周年イベント』までは毎日更新しようと心に誓った。そんな中で、以前綴った映画『クリスチーネ・F』劇中でのボウイのライヴ映像を観ていて涙が止まらないのだった。「ボウイ館」でそのことは触れてはいない。今も目が痛くてたまらないけれど、綴っておかなければ...と想うままに。この映画の中のクリスチーネ(ナーチャ・ブルンクホルスト)は美少女。その少女が(友人たち少年少女も)転落の道を辿る。この画像は、その大好きなボウイのコンサートの舞台を見つめるクリスチーネ。周りの笑顔のファンとは違う。この眼差しに私は胸が締めつけられる程に感情移入できる。クリスチーネにとってデヴィッド・ボウイとは神に等しいのだ。プラットホームでボウイのコンサートを知る時、クリスチーネは劇中唯一の笑顔を見せる。あの瞬間、あの場面が大好き。また、このボウイのライヴを見つめ微かな笑みのようなものも感じられるけれど、夢か幻か、その場の自分さえ分からない。得たことの無い感情を初めて覚えた時の戸惑いは誰もが体験しているだろう。私はボウイを最前列で拝見したことはないけれど、このクリスチーネの心の拠り所である存在がボウイなのだと共感できる。13歳の美しい少女。私は少女映画(少年も)が好きなので色々なテーマのものを観るけれど、この映画は異色中の異色。おせっかいな説明(教訓)など一切無い。すべて少年少女たちの行動を映す。悲しいのは、大好きなボウイのレコードをお金に換えてまでヘロインという魔に引き寄せられてしまう...。少女たちに笑みを与えることができるのは日常を共に過ごす大人たちではない。ボウイだから感情移入できるのかもしれないけれど、この思春期の心の揺れ、葛藤、不安、孤独感をどのように通過してゆくのかは人それぞれ。立派な大人になれる人もいれば、まだこんな具合の私のような者もいる。少女から大人への通過儀礼に失敗したのだろうか。よく分からないので、こうして想いを綴る。いつになれば解放されるのだろうか。死に至るまでの覚悟が必要なのかもしれない。
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by claranomori | 2009-04-25 22:45 | 銀幕の少女たち・少女映画