あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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静かな風景さえも、鳥の飛び交う草原や、刈り入れ時の畑、あるいは緑の燃え盛っている草地でさえも、車が通り、農民や恋人たちが歩いている道さえも、朝市がたち、教会の鐘楼の見えるヴァカンスを過ごす村さえも、ごく簡単に、絶滅収容所に通じているかもしれない。
ジャン・ケロール

★『夜と霧』という映像を観たのは偶然テレビでだった。これほどのドキュメンタリー映画の衝撃は、その後もいまだに私にはない。アラン・レネの要望で実際に収容所に収容された体験のある作家ジャン・ケロールによって、この危険を伴う作業は進められたという。このアウシュビッツの生々しい映像ドキュメンタリーを初めて観た時から随分時が経つけれど、今も甦るのは凄まじい恐怖の歴史と哀しく美しいミシェル・ブーケのこのナレーションの印象。戦争の恐怖、人が人を虐殺するという残虐な殺戮、けれど逃れることの出来ない時代の大きな渦の中に巻き込まれる歴史に是非はないようにも思います。私はホロコースト映画をも見逃すわけにはゆかないのです、なぜだか。これもまた人間の姿であるという悲劇。ナチス・ドイツの姿は何も遥か彼方の歴史ではない。そして、隣国の一党独裁体制下の中国共産党の侵略は、今もなお続いています。日本もその標的であることの脅威...!

夜と霧 / NUIT ET BROUILLARD
1955年・フランス映画 
監督:アラン・レネ 製作:アナトール・ドーマン
原作・脚本:ジャン・ケロール 
撮影:ギスラン・クロケ、サッシャ・ヴィエルニ
音楽:ハンス・アイスラー ナレーション:ミシェル・ブーケ

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この本は、人間の極限悪を強調し、怒りをたたきつけているが、強制収容所で教授が深い、清らかな心を持ち続けたことは、人間が信頼できるということを示してくれた。この怖ろしい書物にくらべては、ダンテの地獄さえ童話的だといえるほどである。しかし私の驚きは、ここに充たされているような極限の悪を人間が行ったことより、かかる悪のどん底に投げ込まれても、人間がかくまで高貴に、自由に、麗わしい心情をもって生き得たかと思うことの方に強くあった。その意味からフランクル教授の手記は現代のヨブ記とも称すべく、まことに詩以上の詩である。
引用野上弥生子 『夜と霧』 書評 より
『夜と霧』 1997年新装版 著:V.E.フランクル 訳:霜山徳爾

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by claranomori | 2012-10-24 23:58 | 文学と映画★文芸・史劇
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★フリードリヒ・フレーベル(Friedrich Fröbel:1782年4月21日~1852年6月21日)はドイツの教育者。幼稚園の創設者であり、生涯子供たちの教育に生きたお方。上の画は『小さな園丁』と題された、フレーベルの代表的な著作である『人間の教育』(1826年)の中の挿絵です。この絵が示唆するように、命を労わる心を育てるためにフレーベルは庭の教育的意味を重視した。ドイツ・ロマン主義的な観点からの思想でもあるとされる。フレーベルの「幼稚園」(Kindergarten)を特徴づける第一の教育原理は「庭」(garten)の原理であるという。

庭でさまざまな植物が―理性的で因果関係に明るい園丁の世話によって―それぞれのやり方で完成に向って、その本質にあった多様な方向に発達するように、同じ方法で、人間、少なくとも幼児は、彼の内的、根源的な本質に忠実に、そして同一の根源をもつ自然および生命と調和して・・・・・発達、教育、形成される。

引用: 著:フリードリヒ・フレーベル 幼稚園の教育原理 『人間の教育』 より

フレーベルのここで云う「庭」とは人工的な箱庭ではなく、力強い生命に溢れた雄大な自然そのものであり、「庭」は幼稚園の象徴であるばかりでなく、現実の欠かせぬ教育環境をも構成している。フレーベルはこの『人間の教育』に於いて、「子どもたちに生きよう」と親たちに語りかける。イエスの言葉である「天国は幼な子らのものである」や「幼な子のようになれ」を愛用し様々な意味が込められているが、とりわけ「子どもたちに生きよう」という言葉によって、フレーベルは「子供たちと一緒に生活しよう」あるいは、「子供たちから学ぼう」ということを強調している。この「子どもたちに生きよう」というフレーベルの言葉は19世紀のものながら、今日でもまったく古くはない言葉だと想います。私はただ幼い子供たちや少年少女たちを愛おしく想うがゆえに、どういう訳か教育者でもないのにフレーベルの難解な御本を読むことになった。そして、教育者として生きたフレーベルの思想に、私の大好きなロマン主義文学との関係も深いこともあり、美学思想にまで及びそうですし、さらに児童文学の世界にも繋がるのでとても興味深い御本であります。絵本や児童文学の良書を多数発行されている日本の出版社「フレーベル館」はこのフリードリヒ・フレーベルから名付けられた社名なのも納得です。
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by claranomori | 2012-02-27 09:16 | 詩人・作家・画家・芸術家
★寒い毎日ですね。少し風邪気味で体調はやや不調なここ数日ですが気分は大して変わりはありません。寒い冬、それも子供の頃の自分の姿がふと蘇ります。小学生の頃、冬になると各クラス内にストーブが置かれ、その上にはやかんでお湯が沸かされていました。危険なのでそのストーブの周りには簡単な柵も設けられていた、あの光景も。私はあまり大雪の中で遊んだ記憶がないのですが、小学四年生頃に校庭にも真っ白な雪が積もり、皆で雪だるまを作ったり、雪合戦をしたことがあります。寒いけれど楽しかった。雪合戦ではドッジボール同様に逃げ回ってばかりだったですが、思わず頬の綻ぶ懐かしき想い出でもあります。小学校の先生は、ほとんどの教科をお一人で教えてくださる。音楽の時間も先生がオルガンを弾きながら皆と一緒に色んな歌を歌ってくださり、教えていただきました。「唱歌」との想い出はやはり小学校の六年間にぎっしり詰まっているように想います。

「唱歌」の始まりは『尋常小学読本唱歌』、明治43年(1910年)7月14日発行の、文部省編集の『尋常小学読本』の中にあった韻文教材をとり、これに曲を付けたものが最初の「文部省唱歌」だそうです。そして次の『尋常小学唱歌』、『新訂尋常小学唱歌』と歩むのですが、時代の流れに伴い唱歌の歴史も変わってゆきます。殊にあの昭和20年(1945年)8月15日の太平洋戦争の終戦、日本はその後数年の間、GHQによる占領下で過ごすことに。それまでの文部省唱歌から消えていった歌も多く、新しい歌、例えば童謡なども取り入れられるような教材へと変わる。昭和22年(1947年)5月3日に、日本国憲法新たに公布され、その少し前の3月29日に教育基本法、及び学校教育法も公布され、教科書も新しくされてゆく。嘗ての文部省唱歌から各出版社の発行する民間の検定唱歌教科書が全国の小・中学校で用いられることになり現在に至るというのが大まかな流れのようです。今の小学生と私の時代では随分異なるのでしょうが、それでも、ずっと昔から歌い継がれ親しまれて来た唱歌たちは、日本人の心の中に生き続けてゆくと想います。知らない昔の唱歌の詩を読むのも愉しいです。言葉の中にその時代が窺える。また、時代が移れども変わらぬものを見つけることも出来ます。そんな失われつつも心に残り続ける日本の文化に出合える喜びに感謝してはほろりと涙が出ます。

今日2月11日は、東日本大震災から11カ月を経た日であり、建国記念の日でもあります。建国記念の日とは紀元節。明治の唱歌の中に『紀元節』という歌があります。元は『紀元節の歌』(明治21年2月)というものだそうです。

紀元節

雲に聳ゆる髙千穂の、髙根おろしに、草も木も、
なびきふしけん大御世を、仰ぐきょうこそ、楽しけれ。

海原なせる埴安の、池のおもより猶ひろき、
めぐみの波に浴みし世を、仰ぐきょうこそ、たのしけれ。

天つひつぎの髙みくら、千代よろずよに動きなき、
もとい定めしそのかみを、仰ぐきょうこそ、たのしけれ。

空にかがやく日のもとの、よろずの国にたぐいなき、
国のみはしらたてし世を、仰ぐきょうこそ、楽しけれ。

『小学唱歌 第一巻』 明治25年(1892年) 明治21年2月(1888年)
作詞:高崎正風 作曲:伊沢修二


★日々想うことが色々あります。私も歳を重ねているのだと再認識しながらも、日本の長きに渡る歴史や文化の中で静かに息づくもの、その美しさは何だろう、と訪ねる折に出合うのはやはり日本語なのです。大和言葉と云うのでしょうか、危うくGHQにこの美しき日本語を剥奪されかけていた時代のこと、その中で毅然と守り続けようと闘い続けていた先代の日本人方にもやはり「美」を感じてなりません。日本中が焼け野原となってゆく中で、広島、長崎に原爆まで投下されて、もうこてんぱんに打ち拉がれた。食べ物が兎に角無かった。当時の子供たちが"ギブ・ミー・チョコレート"と進駐軍にねだる、彼ら子供たちにも其々の想いがあったでしょう...、中には悔しいけれどひもじさを免れるために、また食べたことのないチョコレートやチューインガムにアメリカという国へ羨望を抱いた少年少女たちも。

大東亜戦争、太平洋戦争という第二次世界大戦の終戦後から今もまだ、否、さらにアメリカ主導の下、あの星条旗の51番目の星が日の丸になるのだと語るアメリカ人も居るという。アメリカだけではなくまったく日本と違う共産主義国の中国もじわじわと日本の土地を買い、尖閣諸島を取ろうとしている。韓国には島根県の竹島という日本の領土を既に実行支配され、北方領土のロシアの実行支配のように、だんだんもう戻っては来ないのではないだろうかと憂うのです。論外の北朝鮮による日本人拉致に於いては、心底悲しみと憤りを覚えます。以前、"もうそろそろ良いのではないだろうか"と書いたことに含みは多いです。自分でもまだはっきりしない心もあります。よく人権という言葉を掲げて訴えかける人々が居られます。それも行動ですから良いと想いますが、人間が人間を拉致するという行為はやはり異常なことです。まだ13歳の少女だった横田めぐみさん、その他の人々は今どうしているのだろう。小学生の折に、"海辺で人が消える"というようなお話をお友達とお話していたことがありました。何かの雑誌で知ったのでしたが、その頃は謎ばかりで、神隠しに遭ったのだと云う人も居たこと、そして、すぐにその話題から私も離れてしまって年月を経て生きてしまった。でも、あの小学生の頃、何も知らない無知な幼い私の姿は事ある毎に蘇ります。記憶とはとても不思議です。そんな憂国の気分を和らげてくれるもの、それは美しき日本の言葉であり響きです。私は世界の詩篇も含めて、やはり詞華というものに触れることが大好きなようです。

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夜の梅
文部省唱歌

梢まばらに咲き初めし
花はさやかに見えねども、
夜もかくれぬ香にめでて、
窓はとざさぬ闇の梅。

花も小枝もその儘に
うつる墨絵の紙障子。
かおりゆかしく思えども、
窓は開かぬ月の梅。

『尋常小学唱歌(六)』 大正3年6月(1914年)
作曲:岡野貞一 作詞者:不詳

★今日は明治の唱歌の中からあと二つばかり。冬の情景を歌った『夜の梅』という、行間から漂う美しい響きに胸を打たれる唱歌、そして『冬の夜』という、家族が囲炉裏で暖を取りながらの光景、この唱歌の中に「いくさ」という言葉があるので、日清か日露戦争のことであろうかと想われますが、その時代の日本をこうした優しい調べの中にも見い出すことができること、それらからまたさらに色んな想いが巡り続ける日々でもあります。

冬の夜 
文部省唱歌

燈火ちかく衣縫う母は
春の遊の楽しさ語る。
居並ぶ子どもは指を折りつつ
日数かぞえて喜び勇む。
囲炉裏火はとろとろ
外は吹雪。

囲炉裏のはたに繩なう父は
過ぎしいくさの手柄を語る。
居並ぶ子どもはねむさ忘れて
耳を傾けこぶしを握る。
囲炉裏火はとろとろ
外は吹雪。

『尋常小学唱歌(三)』 明治45年3月
作詞者・作曲者:不詳



●明治の小学唱歌の『紀元節』或いは『紀元節の歌』です♪

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by claranomori | 2012-02-11 05:57 | 愛の花束・日本の抒情・文学
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★今日も怖い夢で目が覚めた。明日で新年1月も終わり2月となり3月を迎える。あの3月11日から間もなく1年。戦後生まれの者にとって忘れられない大震災が日本で起こった。その上に原発事故で今も復興ままならぬ状態が続く。この日本の大災害がなければ3月20日未明(日本時間)に始まったリビア戦争が新聞のトップを飾る出来事だっただろう。英仏米による多国籍軍とリビア、カダフィー政権との戦い。戦争は世界中でいつも起こって来たし起こり続けている。世界の平和を願う人々の気持ちがいくら大きくとも。ガンジー思想を理想と心に掲げてもそんな日は来ないだろう。中東諸国の原油生産量が多い土地柄は幸か不幸か。今、最も大きな中東問題はイランがホルムズ海峡を封鎖すると声明したことだろう。日本にとっても大きなこと。何年前だったか中東情勢をテレビで観た折の小さな体には大きすぎる銃を持った少年兵たちの姿が脳裏に焼き付いている。勇んで気を吐く少年も居れば、怖がっていた少年も居た。それでも彼らは祖国のために戦場に向かわねばならない。運命という逃れられないものがいつも誰にもある。戦争に悪も善もないのだろう。今回のイランに対しては日本は立場的に欧米に歩調を合わせるしかないのだろう。言語も宗教も肌の色も違うことは長い歴史の中で今も紛争の要因だとも想う。どちら側か一方の視点だけで正義も悪もあったものでなはい。私が「戦争による悲劇」と想う折は、その国々の子供たち、少年少女たちを直ぐに想う。それがどうしてか、私の中のどこから其処に向かうのかは自分でも分からないけれど。

2001年のアメリカ製作の『プロミス』というドキュメンタリー映画を想い出す。主な舞台となる場所はパレスチナで、パレスチナ・イスラエル問題を現地の子供たちの姿と共に観る者に問題提起した映画だと想います。公開前に東京の友人にこの映画のことを教えて頂いた。監督はジャスティン・シャピロ、B・Z・ゴールドバーグ、カルロス・ボラドの三人でボストン生まれのアメリカ人ながら少年時代をイスラエルで過ごしたB・Z・ゴールドバーグ監督が提案者。パレスチナとイスラエルの長い対立の中で、今も昔も戦争と隣り合わせの日常を過ごす子供たち。家族や友の命を奪われても、それでも彼らはその地で生きてゆかねばならない。B・Z・ゴールドバーグは、そんな紛争と和平の狭間にいる子供たちの声が聞きたくなったという。1997年から2000年の和平交渉の時期に撮られた映画で、パレスチナとイスラエルの子供たち7人(8歳から12歳の少年少女たち)を取材したもの。お互いほんの20分足らずの場所に住んでいるのに、彼らはお互いの事を知らない。ユダヤ人の双子の少年ヤルコとダニエルはパレスチナ人の少年ファラジの写真をB・Z・ゴールドバーグ監督に見せてもらい、彼に会いたいと想う。反対する子供もいるけれど、彼らは初めてファラジが中心となり会合を開く事になる。難民キャンプを訪れ、食卓を囲みサッカーをして遊ぶうち距離は縮まってゆくが、歩み寄りたい彼らの願いは叶わず、友情の約束は束の間の出来事として、その後もお互いの現実を生きてゆく。その遮断されたもの、壁は途轍もなく厚く強固である。7人の内、唯一の女の子サナベルの愛らしい姿と瞳がどうしても忘れられない。
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●7人の子供たち●
ファラジ
デヘイシャの難民キャンプに住む少年。イスラエル兵に殺された友達の仇をとりたいと想っている。
「いつか必ずこの土地を取り返してやる。いつか次の世代がパレスチナを開放し、故郷を取り戻してくれる」
ヤルコとダニエル
西エルサレムに住む双子の兄弟。関心事は陸軍、宗教、バレーボール。祖父はドイツのユダヤ人強制収容所の体験者である。
「イスラエルでは自分で自分を守らなければならないんだ。仲良く暮らせばよいのに」ヤルコ
「戦争やテロで人々が死んだと聞くたびに殺し合ってバカみたいだと感じる」ダニエル
サナベル
デヘイシャの難民キャンプに住む少女。ジャーナリストの父親は刑務所に2年も抑留されている。
「エルサレムはキャンプから10分なのに私はまだ一度も行ったことがないのよ。検問所のせいでね」
マハムード
東エルサレムに住み、ハマス(イスラム抵抗運動)を支持している少年。父親は旧市街のイスラム教徒地区で、三代に渡り香辛料とコーヒーを売るお店を経営している。
「ここは絶対アラブ人の土地さ。何をどう言おうと変わらない。ここで生まれ育ったのは僕らだ」
シュロモ
ユダヤ教徒地区に住み、1日12時間トーラー(モーセ五書)を勉強している。超正統派ユダヤ教徒なので兵役義務は免除され、国から給付を受け神学校に席を置いている少年。
「彼らの気持ちも分かる。50年前に土地を奪われて心細いんだと思う。でも、アラブ人とは友達になれない」
モイセ
歴史の古いベイト・エル入植地に住む少年。将来はイスラエル軍の最高司令官になり、アラブ人を一人残らずエルサレムから追い出したいと思っている。
「ここはユダヤ人の地だ。アラブ人と仲良くなんかしたら友達に臆病者扱いされちゃうよ」

★資料を基に打ちながら涙が出て止まりません。彼らの中で誰が間違っていて、誰が正しいとか想えないです。もうみんな二十歳を過ぎた頃ですが映像の中でしか知らないけれど、出会えて嬉しいです。

プロミス/PROMISES
2001年・アメリカ映画
監督・製作:ジャスティン・シャピロ、B・Z・ゴールドバーグ
共同監督・編集:カルロス・ボラド
撮影:イアン・バックビンダー、ヨーラム・ミロ
出演:B・Z・ゴールドバーグ
ファラジ、ヤルコ、ダニエル、サナベル、マハムード、シュロモ、モイセ
(実在の少年少女たち)
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※赤い丸で囲んだ辺りがホルムズ海峡です。

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by Claranomori | 2012-01-30 21:42 | 銀幕の少女たち・少女映画
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★ジョージ・ロムニー(George Romney:1734年12月26日~1802年11月15日)は英国の画家で、主に肖像画家として多数作品を残されている。エピソードとして、ジョシュア・レノルズとの長きに渡る確執も有名。生涯ロイヤル・アカデミーの展覧会に出品しなかったのは、総長をジョシュア・レノルズが務めていたゆえに。青年時代に出品した歴史画『ウルフ将軍の死』が受賞することになっていたが、レノルズの情実のため、自分の友人にその賞を授けたことがロムニーの憤慨の種となったという。このような事情から、ジョージ・ロムニーは肖像画家としては在野の首領となり、高い画料をとっていたにもかかわらず、ロムニーのアトリエは依頼者が絶えない状態の人気画家であったそうです。

ジョージ・ロムニーが47歳の折に17歳の少女エマ・ハートと出会う。後のハミルトン夫人ですが、ロムニーはエマ・ハミルトン(ウィリアム・ダグラス・ハミルトン卿の愛人から夫人となる)の美貌にたいそう打ち込み、ハミルトン夫人を題材に、神話や伝説のヒロインを多く描いた時期もある。今日は、やわらかで甘美な佇まいの少女の肖像画を幾つか。どれも大好きな作品です。殊に「ロースン・ゴール一族の子供たち(ゴワー一家)」が最初に知ったロムニー作品でしたので、やはり今も思い入れの強い大好きな絵です。この頃、18世紀の英国画家は、フランスの宮廷、ロココの影響も漂う作品が多いように感じます。
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※上から「ウィロビー嬢」、「ヴィクトリア嬢 少女の肖像画」、「ゴワー一家の子供たち(ロースン・ゴール一族の子供たち)」です。
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by claranomori | 2012-01-20 18:23 | 絵画の中の少女・女性たち
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『DAVID BOWIE & BING CROSBY / PEACE ON EARTH ~ LITTLE DRUMMER BOY』

★メリー・クリスマス!今年は大変な年でした。まだ年末年始に何が起こるか分からないというのは日本に限らず世界中のことのようです。でも、クリスマスというのは子供の頃からとても楽しみにしていた日でした。幼き日には枕元に靴下を置いたりして、本当にサンタのおじさんが贈物を届けてくださるのだと思っていました。次第に、そのサンタさんはお父さんやお母さんであると判明してゆくのでした。なんだか懐かしい心象風景が蘇る日でもあります。

今日は久しぶりに我が永遠のカリスマ!デヴィッド・ボウイさまにご登場願うことに。それも、ボウイからしても大先輩の御大ビング・クロスビーとの歴史的デュエット曲で。1977年の『BING CROSBY'S MERRIE OLDE CHRISTMAS』というテレビ番組で実現した夢の共演なのです。『ピース・オン・アース(PEACE ON EARTH)/リトル・ドラマー・ボーイ(LITTLE DRUMMER BOY)』と題されたシングル盤も発売されていました。ビング・クロスビーのお亡くなりになる少し前の貴重な映像であること、そしてボウイはベルリン3部作時代の頃でカッコイイです(いつもですが)。ボウイの高音のヴォーカルとビング・クロスビーの渋い低音が織り成すハーモニーはやはり幾度聴いても素敵です。ポップス界の世代を超えたこのデュエットは、正しく歴史的デュエットだと想います。この番組の視聴者席の少年少女たちもみんな愛らしいです♪



少年は静かにドラムを叩き始めた。
生まれ来たりしイエス・キリストに捧げるために・・・

★『リトル・ドラマー・ボーイ』は、キリスト生誕をお祝いするクリスマス・ソングとして有名な曲の一つで、貧しい少年がキリストさまに何か捧げものをしたいけれど、お金がないので、ドラムの音色、音楽で捧げるというじ~んと来るお話です。こんな少年少女たちが大好きです。元々はスイス民謡由来の曲ですが、1958年のハリー・シメオン・コーラル(合唱団)のヒットより、今も多くの人々が歌い継ぐ有名なクリスマス・ソングとなっています。
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by claranomori | 2011-12-25 04:12 | 耽美派少女の愛した音楽たち
年輪の話
人間、苦労はむだじゃない


南風と太陽をいっぱいに受けて育つ南側は肉づきもよく、豊かに成長する。つまり、それだけ年輪と年輪の目の幅が広い。だが、北風を受け、日にあたらない中で生きる北側は、寒さから自分を守るために戦う。だから年輪の幅が小さく、しんがその方に寄っていくんだ

だがな、伐採され、材木として利用されるときになると、太陽をいっぱい受けた南側は『板』になる。が、北風を受けて育ったしんの寄った部分は角材として、つまり『柱』になるんだ。
柱は家を支える。
同じように逆境に生きぬいた人間は『板』にはならないが『柱』になれる。
人間、苦労はむだじゃない

★中学三年の秋、父と一緒に山登りをし、その折に伐採された大木の新しい切り株に出合う。「年輪のしんは、どの切り株を見ても同じように北側に寄っているのはなぜか」というお話。著者の柴山一郎氏は、その少年時代の、今は亡き父の言葉を今も自分に言い聞かせているそうです。

人生を3で割ると一日の時間に当たります。卒業生は15歳ですから15割る3で5、つまり午前5時です。これから太陽が昇り、一日の活動が始まる時間です。皆さんの人生はこれからです。

★上記の言葉は、ある中学校の卒業式での二年生代表による「贈る言葉」の一節だそうです。著者である柴山一郎氏はこの少年の言葉を聞き愕然とされた。ご自分の時間を計算され。けれど、父兄による謝恩会でのお話で語られた言葉も素晴らしいのでした。50歳を過ぎて『青春』という詩を壁にはってご自分に言いきかせているという詩です。

青春とは
年を重ねただけでは人は老いない


青春とは人生のある時期をいうのではなく、心の姿をいうのだ。すぐれた創造力、燃ゆる情熱、卑怯を退ける勇猛心、安易をふり捨てる冒険心、こういう姿を青春というのだ。年を重ねただけでは人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。希望ある限り若く、失望と共に老ゆる。

作:柴山一郎 『児童生徒に聞かせたい さわやか1分話』より

★「児童生徒に聞かせたい」というタイトルが気になり読んだ御本です。中にはたくさんの感動的な、また考えさせられる学びの言葉があります。教師生活を終えた後も教育活動を続けている著者ならではの言葉たち。そして、上からの物言いではなく、しっかり生徒たち、子供たちの言葉に耳を傾け、嘗てご自分が少年時代だった頃の体験や両親の姿や言葉も心の糧として生きて来られたことが感じられます。とりわけ、年輪のお話を読んだ折に、今の東日本大震災の東北の人々、殊に子供たちが直結してしまい、そして私自身のこれまでとこれからを想い、とても心に響く言葉でもありました。私は太陽は苦手だし、北風に耐え抜く精神力すら希薄な人間です。けれど、決してこれまでの人生に後悔は持っていません。いくらちっぽけな人生だとしても。考えれば苦しくて泣いてばかりの人生のようです。けれど、楽しかったこと、感動して泣いたこと、笑ったこともいっぱい!「笑い」「笑う」という尊い姿は逆境の中にこそ、崇高な魂と共に在るのではないだろうか・・・とも想え、また泣きながらも妙な心の爽快さを感じています。
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by claranomori | 2011-07-25 11:16 | 想い・鑑賞・読書メモ
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★2005年のクリスマス・イヴに観て以来の幾度目かの再見。感動の鮮度は今なお新鮮!これぞ、映画の魅力なり。そんな訳で今年もフランク・キャプラ監督の『素晴らしき哉、人生!』を観る事にした。やっぱり最後はほっこりとした涙に溢れ気分爽快。さらに人生謳歌な私です。

この映画はジェームズ・スチュワート主演の1946年のモノクロ映画。信じられないけれど60数年も前の作品なのだ。今のハリウッド映画にはない優しさを感じてならない。私にとって最高の娯楽だと思っている「映画」。映画の発祥成長の地はアメリカだろうけれど、生まれたのはフランス(だと思っている)。好きな監督・俳優さんが出ているとどんな悪評でも機会があれば観てしまう。でも、ハリウッド映画ってアンチだったのだ、特に10代の頃は。オードリーもリズもみんなアメリカ人だと思っていたし、大きな偏見をアメリカ映画に持っていた。今ではそんな自分が青く愚かに思える。相変わらずヨーロッパ映画ファンではあるけれど、観て良かったと思えるものに国や年代やジャンル等は関係ない。
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この『素晴らしき哉、人生!』の主人公ジョージ(ジェームズ・スチュワート)は、8000ドルという大金の横領の疑いを受ける。それまでも幾度も挫折感の人生だった。でも遂に絶望の果てに身投げを考える程になってしまう。そんな折にクラレンスという老人(ヘンリー・トラヴァース)が登場する。この老人は実は2級天使。この愛らしい2級天使は2級なので翼がない。善行により格上げされるらしく、守護天使である使命(と翼が欲しいとう目的も)からそんなジョージを救おうとする。ジョージは「自分なんか生まれて来なければ良かったんだ。」と嘆き泣くばかりで、この天使の存在も言葉も信じない。それならば!と天使はジョージが存在しない世界に変えてしまう。すると、幼馴染みの妻メリイ(ドナ・リード)も子供たちも友人たちも建物も・・・ジョージを知らない、そんな世界を見せられ生きる事を神に縋る。行方不明になっていた夫を必死で探し回る妻や可愛い子供たち、裕福ではないけれど暖かい家庭があり友人たちがいる。ジョージに逮捕状まで出ていたので、そんな彼を助ける為に友人や近所の人々が少しずつ募金してくれ奇跡が起こる。警官も逮捕状を破棄しみんなで合唱するラスト。ジョージは家族や友人、そして生きている今のしあわせを想う。クリスマス・ツリーのベルがさり気なく音を鳴らす。あの2級天使に翼が貰えた合図なのでした・・・こんなお話が大好きです♪
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素晴らしき哉、人生!/IT'S A WONDERFUL LIFE
1946年・アメリカ映画 
監督・製作:フランク・キャプラ 原作:フィリップ・ヴァン・ドレン・スターン
脚本:フランセス・グッドリッチ、アルバート・ハケット、フランク・キャプラ
撮影:ジョセフ・ウォーカー、ジョセフ・バイロック 
音楽:ディミトリ・ティオムキン
出演:ジェームズ・スチュワート、ドナ・リード、ライオネル・バリモア、トーマス・ミッチェル、ヘンリー・トラヴァース、ボーラ・ボンディ、フランク・フェイレン、ウォード・ボンド、グロリア・グレアム

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by claranomori | 2010-12-25 11:55 | キネマの夢・シネマ万華鏡
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NHK「みんなのうた」半世紀 元日に特番 
NHK総合で午後5時から
2010年12月21日(火)08:00
(産経新聞) より引用
 
 ■各時代の音楽や映像つめたショーケース

 「ちいさい秋みつけた」「大きな古時計」「おしりかじり虫」-など、童謡からJ-ポップまで多くの名曲や流行歌を生み出したNHKの音楽番組「みんなのうた」。来年4月に放送開始から50年を迎え、その歴史を振り返る「愛されて50年♪ みんなのうた新春スペシャル!」が元日に放送される。NHKエンタープライズの松坂華子チーフプロデューサーは「“売る”ための曲ではなく、子供の感性に訴える“聴かせる”曲にこだわった制作者の思いも届けたい」とし、番組秘話を交えながら、楽曲の数々を一挙に紹介する。(萩原万貴枝)

 「みんなのうた」は昭和36年にスタートし、これまでに約1300曲を放送してきた。30年代までは「バラが咲いた」など既存の童謡や外国の民謡などをモチーフにした歌が多かったが、40年代以降はオリジナル曲に路線を変更。「山口さんちのツトム君」(51年)や「切手のないおくりもの」(53年)は売り上げ100万枚を超えるヒットとなった。

 番組の特徴の一つに、楽曲と映像を一体化させた「ミュージックビデオ」のスタイルを最初に作り上げたことが挙げられる。曲に合わせるアニメーションもセル画からデジタルに移行するなど技術の変化が色濃く反映。広岡篤哉チーフプロデューサーは「時代ごとの音楽や映像表現の可能性をつめ込んだショーケースだった」と説明する。

 正月特番では約60曲を放送予定で、第1回のチェコ民謡「おお牧場はみどり」と詩人、谷川俊太郎(79)の作品に和田誠(74)のイラストを合わせた「誰も知らない」の2曲のほか、約2分半の尺に4コーラスを入れた谷山浩子(54)の「恋するニワトリ」(60年)などを紹介。影絵作家、藤城清治(86)が映像を担当した「ゆりかごのうた」(42年)は、当時のモノクロ映像が今回はカラーでよみがえる。

 広岡氏によると、30、40年代は16ミリフィルムを繰り返し使うなどしていたため、音源や映像が失われた曲は約500曲に及ぶ。しかし、今年亡くなった谷啓さんが歌う「シャーロック・ホームズとワトソン博士」(50年)など2曲が発掘され、番組で披露される。元日には公式サイト内でデータベースを開設し、番組で未収集の曲の提供も呼びかける。

 出演は井上順、榊原郁恵、ベッキーら。

★こんな嬉しいニュースが!!私はNHK番組や放送が好きなのですが、殊に子供の頃から『みんなのうた』や『おかあさんといっしょ』等の影響を知らず知らずに受けて育ったように想います。その『みんなのうた』は50年という半世紀の歴史があることをこのニュースで知りました。大好きな谷川俊太郎さんや和田誠さん、影絵作家の藤城清治さんの手がけた貴重な映像も観れるそうで嬉しくてしかたがありません。知ってる曲も知らない曲もあるけれど、また新鮮な発見があるのだと今から待ち遠しいです。

「“売る”ための曲ではなく、子供の感性に訴える“聴かせる”曲にこだわった制作者の思いも届けたい」というお言葉にも感動!そんな素敵な曲たちを子供の頃に聴き、学校でも口ずさむ人も多かった。私も歌は苦手だけれど、みんなと一緒に歌っていた、あの頃を想い出せます。今年お亡くなりになられた谷啓さんが歌う「シャーロック・ホームズとワトソン博士」(50年)という歌も知らないので楽しみです。愉快な曲だろうな♪

「山口さんちのツトム君」というと、斉藤こず恵さんが幼い少女時代に歌っていた曲(1976年)として認知しているのですが、この『みんなのうた』での唄は(川橋啓史(NHK東京児童合唱団)、アニメーション制作は田中ケイコ)で、どちらも可愛いです!作者はみなみらんぼう。幼馴染のツトム君が元気がないなって、ユミちゃんのツトム君の様子を心配する愛らしい気持ちが今聴いても心に響きます。とってもかわいい大好きな歌です♪
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by claranomori | 2010-12-22 20:12 | 愛の花束・日本の抒情・文学
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★英国の作家ニーナ・ボーデン(Nina Bawden:1925生まれ)の『砦の町の秘密の反乱』(1978年)は、『帰ってきたキャリー』(1973年)の後日談でもある。主人公の12歳の少女ジョーと8歳の妹アリスの手を取り合う姿が浮かぶ。ジェームズとチャーリーという兄たちもいるけれど、このお話では少女ジョーとアリスの姉妹、そして、地中海の異国で出会った14歳の美しい少年アレクシスの姿が夏の地中海と共に。

両親(母キャリーと義父アルバート)と4人の子供たちが、休暇に訪れた外国の古い砦の町でのできごと。12歳の少女ジョーは、その土地の少年アレクシスと友達になる。その少年の父親は政治的な理由から国外に亡命中。その異国は独裁政権下の国で、ジョーも兄のチャーリーも理解できないでいる。でも、ジョーはアレクシスに好意を抱いている。その少年アレクシスは親の居ない暮らしながら、亡命している父親のことを誇りに思っている美しい凛とした少年。そんな中、海軍による反乱計画によりアレクシスが巻き込まれてしまい、その事で兄妹たちはようやく独裁政権下の国で起こっていることを子供ごころで理解する。反乱は未然に防ぐことになったけれど、少年が捕えられるという衝撃的な事件は、少女ジョーにとって忘れることのできない体験となり、また、そのショッキングな休暇は、義父であるアルバートへの不信感も解けてゆき、ジョーを始め、兄妹たちの成長をも描いた、児童文学作品として画期的な作品で、著者ニーナ・ボーデンは自ら「推理・政治小説」であるという。

わたしはおとなの本に書くことは、子どもの本でも書きます。つまり、心の動揺、動機、自分に正直になることの難しさ、人びとの発言と真意にはギャップがあることなどを書くのです。

このようにニーナ・ボーデンは語っている。少女ジョー(わたし)は、あの時のことを考えると息がつまりそうになり、からだがちじむような思いをする。以前よりやわらいだけれど、今でもそんな気分になる。と、語っている。

わたしたちは過去から学ばなければいけない、そして、学ぶということは苦痛をともなうものだ。たとえ人々が死ぬようなことがあっても、革命を起こすのが正しい場合がある、自由がないということは死にひとしいからだ。

この義父アルバートの言葉を胸に刻みながら、惨事は避けられたものの、友人が死んでいたかもしれないと思うと怖いだろうし、納得しきれないものもあるのは当然だろう。それでも、父を亡くして母の再婚という環境にもまだ馴染めずに、疎外感のようなものを抱いていた12歳の少女ジョーは洞察力もあり、小さな妹思いで優しく賢明な少女。自分の赤毛でそばかすの陽に焼けても赤くなるばかりの容姿にコンプレックスを持っているようなのだけれど、私も子供の頃から赤毛で陽に焼けると顔も髪も赤くなるばかりでそばかすも多かった時期(中学生の頃が最も顕著だった)を今でも思い出すので、なんだか少女ジョーは赤毛同盟のお友達のように感じたりしながら再読していた。そして、以前読んだ折はあまり私もお話がよく分からず、内容も異質だったので面白いと思えず印象が曖昧だったけれど、再読して良かったと思える。

この地中海の異国とはギリシャであり、コンスタンタン・コスタ=ガヴラス監督の作品たち、とりわけイヴ・モンタン主演での政治サスペンスの3部作『Z』(1969年)『告白』(1969年)『戒厳令』(1973年)を想起していた。コスタ=ガヴラス監督の娘であるジュリー・ガブラス監督による『ぜんぶ、フィデルのせい』(2006年)も大好きな映画なので、ジュリー・ガブラスの少女時代を勝手に想像したり。ギリシャの激動の歴史を詳しく知らないけれど、歳を重ねてゆく中で、こうして文学や映画などから教えて頂いている。コスタ=ガヴラス監督作品の初見は『戒厳令』であり、シャンソン歌手としても国際俳優としても名作の多いイヴ・モンタン主演映画の初見も『戒厳令』。10代の折でさっぱり意味も分らずテレビで観たのだけれど、モンタンの表情が焼きついてしまって、そこからモンタンの出演映画を追うようになり、今でもよく観返すし、モンタンの歌声も頻繁に聴いています♪
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by claranomori | 2010-10-17 08:25 | 本の中の少女たち・少年たち