あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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★以前『少女ムシェット(ナディーヌ・ノルティエ:NADINE NORTIER) ロベール・ブレッソン監督』として綴った『少女ムシェット』を再びというか追記です。重く悲惨で残酷な僅か14歳の生。ロベール・ブレッソン監督が『田舎司祭の日記』の原作者でもあるジョルジュ・ベルナノスの原作を今作でも映画化したもの。14歳の少女ムシェット(ナディーヌ・ノルティエ)はどうしようもなく救いがない。大体名前からして・・・。どうしてここまで!という程。貧困や苦悩なら誰にも大なり小なりある。自分だけが世界で一番不幸者のように思い込むこともあるだろうけれど、探せば救いは見つかることが多いと私は信じている。でも、このムシェットに関してはもう孤独で死しか救いがなかったのだろう...と思えてしまう。飲んだくれの父、病床の母、まだ小さな乳離れしていない赤ん坊の弟、そして兄と貧しい生活を送っている。父はまったく働く気持ちもなく息子にお酒の密売をさせている。何もしないこの父はアル中で凶暴でムシェットに対して信じられないほどの八つ当たりをする。そんな環境(家庭)から学校へ通うけれど、これまた、学校でも級友や教師からさえ嘲笑いの対象なのだ(もう憤りとやるせなさで痛い!)。お友達もいない孤独なムシェットが、移動遊園地のバンピング・カーで遊ぶシーンだけは楽しそうで好きなシーン。後ろから男の子がバンバンと車をぶつけてくるのだけれど、相手にしてもらっていることに喜びを感じているのだ、いじらしい少女の心。でも、まだまだ不幸は襲ってくる。雨の日の森で密猟をしている男性アルセーヌは森番を殺したと言い、そのアリバイ工作をムシェットに頼む。てんかん持ちで発作を起こしたアルセーヌが落ち着くと、その場にいるムシェットを奪ってしまう...。怖かっただろう...とても!逃げ出すように家に戻り母にだけは伝えたかったけれど、弟にミルクを飲ませなければならず、父も兄もおらず、母は死んでしまう。もう、これでもかというくらいの痛めつけである、悪意の大人たちや社会による。そして、老婆に白いモスリンのお洋服を貰い、崖(土砂)の上から下の池に向かってそのモスリンを体に合わせて転がってみる。そして、また上まで上り、今度は加速をつけて転がってみる。そして、再度さらに加速をつけて転がりドボン...と池の音と白いモスリンが浮かんでいる。ムシェットの死の描き方まで、冷徹な眼差しでこの冷たさはヒリヒリと突き刺さり胸が痛い。台詞もほとんどないモノクロームな映像。音と冷厳な視線の徹し方。
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『少女ムシェット』は、人が故意に眼をそむけようとしている残酷さと悲惨さを暴露しています。残酷さはいたるところにあります。戦争、拷問、強制収容所、老人を殺害する若い男女などに見られます。オスカー・ワイルドは、「普通の残酷さは単純に愚かさから生じています。それはイマジネーションが完全に欠乏しているからです。」というような意味の事を述べています。確かにイマジネーションの欠乏が残酷さにつながります。第二次世界大戦が勃発した頃、私は軍の宿営地で1人の兵士が家兎の皮を剥いでいるいるのを見て、ギクッとさせられたことがありました。 

ロベール・ブレッソン

「残酷さと悲惨さの暴露」とブレッソン監督のお言葉。野兎が狩られるシーンなどもそういう残酷さのひとつのようだし、ただ一人だけ優しい食料品店の女主人がコーヒーとパンをムシェットに与えてくれる。ムシェットがカップをひっくり返してしまった途端!掌を返したように罵声を浴びせるシーンも怖かった...こういう人いるように思う。愚劣な大人たちや社会の犠牲者のような14歳の少女の死。これはある意味、殉職者のようにも思える。孤高の映像詩人のロベール・ブレッソンの映画は重く厳格なものが多いけれど、私はとても好き。観なくてはならない映画だと思ってしまう。ベルナルド・ベルトルッチ監督とジャン=リュック・ゴダール監督はこの映画を絶賛していたそうだ。ゴダールは『ウィークエンド』でジャン=クロード・ギルベールを起用している。ベルトルッチは『ドリーマーズ』で引用している。イングマール・ベルイマン監督は「さっぱり、分からん。最悪だ。」と仰ったという。賛否両論の作品であり、全く商業的な世界から遠くにいる(ブレッソン監督というお方がそうなのだろうけれど)。古い作品をこうして私は再見してはなにかしら考えることができる。考える映画は本来好きなのだと思う。映画は最良の娯楽だという前提で☆
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by claranomori | 2011-08-13 15:55 | 文学と映画★文芸・史劇
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1966年のロベール・ブレッソン監督の『バルタザールどこへ行く』。DVD化された折に購入して観たのが最初。何年か振りに観返し、またしてもこの作品の(監督の)厳しさに暫く心はざわめき続けた。再見する予定でいたけれど、重いものがのしかかるのを初見の折に痛感したので...。偶然にもテレビで放送していたものに遭遇したのだった。”今、観るべき時”ということなのだろうか。ブレッソン作品は好きである。難解だと言われる孤高の映画人。以前、『少女ムシェット』のことを少し綴ったけれど、私はこの『バルタザールどこへ行く』の方がより好きな作品かもしれない。難解と言えば難解なのだろう。しかし、私は難解だとは感じない。理解できるという意味ではなくて、社会、この人間と社会の有り様を寡黙に冷厳な眼差しで描いている。そんな世界だと知るまでに観ていれば私にはちんぷんかんぷんだったのかも知れない。この映画の主役は聖なるロバであるバルタザール。優しく悲しい目をして人から人へ。物や人を運び、棒切れやムチで叩かれる。凶悪な人々、残忍な人々、愚劣な人々、流され行く人々、利用される人々、騙される人々、辱めを受ける少女、自尊心を貫く人々、お金だけが人生だという人々、愚連隊の若者たち...をのろまで馬鹿だと言われもする聖なるロバはじっと見つめている。けれど、働き尽くめでなんの報いもない。悪事に利用され、最後は足を負傷し力尽き死に至る。その最後の場面は神々しい!群れをなす優しい羊たちが負傷したバルタザールを囲んでいる。本来あるべき(理想郷だろうか)世界の光景ならばこの映画は作られなかっただろう、人間の業をこれでもか!と映像は見せつける。
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いつものように、今の心を書き綴っている。ここは『少女愛惜』なので、もうひとりの主人公である少女マリー(アンヌ・ヴィアゼムスキー)のことも。映画の冒頭シーンは清らかだ。少年少女時代の幼き時の少女マリーと少年ジャック。彼等は永遠の愛を誓い合う。牧場主の息子であるジャックと教師の娘マリー。美しく成長したマリーとジャックは再会するけれど、その土地を巡る親の裁判沙汰やマリーは誰よりもバルタザールを愛していたのに、いつの間にか不良グループのリーダーのジェラールに魅了されていた。彼と会うためにもうバルタザールのことも、両親の言葉も耳に入らない(そういう年頃だろう)。よくあるお話。今もマリーを愛するジャックの気持ちを嬉しく思うマリーはジェラールに決着をつけに行くけれど、小屋に裸で閉じ込められてしまう。そして、家を出てゆく。意気消沈した父は病み死に至る。残された母にはバルタザールのみとなる。しかし、執拗にもジェラールは悪事にバルタザールを利用する。それまでにもアルノルドという中年男性やお金を墓場まで持ってゆくという男性(ピエール・クロソウスキー)などの下でも働いていたバルタザール。ああ虚しい!けれど、これが現実なのか、そうだと知っていても悲しい。ある啓示だというのだろうか。聖なるロバであるバルタザールはイエスのようだ。人間の業故に苦難の道のりをあの足音で幾道も歩いて歩いて。マリーは思春期の少女らしい存在ながら、無表情で無気力。現代的な気もする。しかし、私はこのマリーに感情移入はできないし、好きではないけれど、アンヌ・ヴィアゼムスキー(撮影当時17~18歳頃の初出演映画)は素晴らしい!また、こうような少女はいるのだ。善良で優しい少年にのみ恋をするものでもない。人間の底知れる魅力は人それぞれで出逢いや運命もある。どう考えても愚劣なジェラールにマリーは心惹かれ、”死ぬまでついてゆくわ”とも語る。あまり感情を出さない少女で不幸を望んでいるかのようにも感じる。”こんな汚いところで死にたいわ”という台詞もショックだった。翻弄されゆく少女とも言えるのだろう。バルタザールにお花の飾りをつけてあげる優しい少女なのに。美しく成長する中で失われてゆく(忘れてしまう)ものがある。堕落...これもまた人間的だと思う。もう少し思いはあるけれど、上手く言葉にならずもどかしい。ブレッソン作品は好き嫌いの分かれる作風だろう。観ていて想起する監督は大好きなイングマール・ベルイマン。けれど、全く違う。ベルイマンならこのように描かないだろうし、ブレッソンだからこそ描けるとも言える。しかし、思うのは”目線”!?”少女マリー”にしても”少女ムシェット”にしても...何かが私の心を不快にさせる。それは少女に対する”目線”というのかもよく分からない。けれど、好きな映画であるし、バルタザールが何よりも神聖で悲しく美しい。すべてを静かに見つめているあの目が忘れられない☆
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バルタザールどこへ行く/AU HASSARD BALTHAZAR
     1966年・フランス/スウェーデン合作映画
監督・脚本:ロベール・ブレッソン 撮影:ギスラン・クロケ 音楽:ジャン・ウィエネル 出演:聖なるロバ、アンヌ・ヴィアゼムスキー、フィリップ・アスラン、ナタリー・ショワイヤー、ヴァルテル・グレーン、ピエール・クロソフスキー

※画家であり作家でもあるピエール・クロソウスキーが出演している。クロソウスキーの弟はかのバルチュス。また、本名はバルタザール・クロソウスキー。ダリオ・アルジェント監督は、かなりバルチュスに影響を受けたと語っていた。それは納得。何が言いたいのかと言いますとそれは言わない方がよいように思ったり。まあ、色々と頭の中は相変わらずごった返しているけれど、果てしない旅は続きます♪
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by claranomori | 2009-04-23 10:58 | 銀幕の少女たち・少女映画
b0106921_15514889.jpg★14歳の少女ムシェット(ナディーヌ・ノルティエ:Nadine Nortier)の悲惨な青春と悪意に満ちた大人や社会の中で消えてしまった少女の厳格な映画。ナディーヌ・ノルティエは1948年生まれとのことなので、撮影当時は18歳位だろうか...もう少し幼く見える。また、ナディーヌ・ノルティエはこの作品にしか出ていないようだ(この刻だけを映像に焼き付けたお方なのだと思うとそれもいい、というのか崇高な気がする)。ロベール・ブレッソン監督は孤高の映画人に思う。商業的なものから遠い場所で、冷徹なまでに描写してゆく。『田舎司祭の日記』を1950年に作っているけれど、今作も原作者ジョルジュ・ベルナノスの作品を映画化したもの。共にカンヌ国際映画祭で「国際カトリック映画事務局賞」を受賞している。前作『バルタザールどこへ行く』も関連して見ることができるようにも思う。

またしても悲惨な少女が主役の作品について綴っている。この映画が好きなので仕方が無い。台詞もあまりなく、モノクロームな映像。響くは音楽や音。ブレッソン監督はこの少女ムシェット(このお名前からして、虫けらのような扱いであることが伝わる)に全く同情の余地すら表わしてはいない(画面では)。その徹底した姿勢がヒリヒリと最後の衝撃的な死まで私を捉えて離さない。酷すぎる。救いのない14歳の少女の死は殉職者であるというのだろうか。カトリック的な教えや習慣のある方々にはもっと伝わるものがあり、または違う見方ができるのかもしれない。でも、映画の魅力は言語も国籍も風習も超え、多くはなくても胸に刺さる者は世界中にいる。この作品をブレッソンの一番好きな作品だと仰る方も多い。私は一番は『抵抗』(最初の衝撃だったからかもしれない)だけれど、観れた作品たち、どれも好きなので好きな監督のおひとりだと思う。下のバンピング・カーで遊ぶ場面が忘れられない。
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       ♥移動遊園地のバンピング・カーで遊ぶムシェット♪

少女ムシェット/Mouchette
  1967年・フランス映画
監督:ロベール・ブレッソン 製作:アナトール・ドーマン 原作:ジョルジュ・ベルナノス  撮影:ギスラン・クロケ 音楽:クラウディオ・モンテヴェルディ、ジャン・ウィエネル 出演:ナディーヌ・ノルティエ、ポール・エベール、マリア・カルディナール、ジャン=クロード・ギルベール、ジャン・ヴィムネ
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追記:
『少女ムシェット』 監督:ロベール・ブレッソン 1967年 原作:ジョルジュ・ベルナノス★ 再び
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by claranomori | 2007-10-20 03:59 | 銀幕の少女たち・少女映画