あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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★エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(Elisabeth-Louise Vigee-LeBrun:1755年4月16日~1842年3月30日)は18世紀後期ロココを代表する女流画家。同じく画家であった父親ルイ・ヴィジェとは15歳の折に死別。10代の頃から画家の才能を認められ母親と弟を養っていたという。画家で画商のジャン=バティスト=ピエール・ルブランと結婚後、ますます宮廷画家としても多くの貴族の肖像画を描く。マリー・アントワネットにヴェルサイユ宮殿に招かれ王妃や家族の肖像画も多数描かれた。マリー・アントワネットとエリザベート・ヴィジェ=ルブランの友情関係も築かれていったとされるけれど、フランス革命が起こってからはフランスから逃れ、ヨーロッパを転々とされた。

上の自画像はやはりエリザベート・ヴィジェ=ルブランの代表作のひとつだと思いますが、1790年のフィレンツェでの製作とあります。下の愛らしい瞳の大きな娘さんとの母子像が1786年とのことですので、この小さな少女はまだ3歳か4歳という頃です。王妃の身を案じながら、小さな一人娘を抱え、いったいどのような心でフランス革命の最中、この典雅な面持ちの画を維持できたのだろう。生涯画家として多くの作品を残され、王政復古した祖国フランス、ルイ18世に手厚く迎えられ安住の地となる。けれど、夫や成長する娘の素行は良くなく、家庭的には決して幸福なものではなかったという。

「ここで、ついに、私は休みます…」と刻まれた墓碑銘。画家として激動のフランス、ヨーロッパの中で生き抜いた86歳のエリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランの壮絶な時代との生涯と、柔和で優雅な微笑みの肖像画の数々ゆえに、鑑賞者の私に与えてくださるものは言葉を超える☆
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by claranomori | 2012-07-15 22:10 | 絵画の中の少女・女性
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★フランソワ・ブーシェ(Francois Boucher:1703年9月29日~1770年5月30日)は18世紀フランスのロココ時代を代表する画家。1703年にパリに生まれ、1770年にパリに眠る。1723年ローマ賞を受賞しイタリアに留学。ティエーポロの影響を受けたとされる。神話画、牧歌画、風俗画などを主題に、絵画、壁画、タピスリーの下絵などを多作。殊に壁面装飾に才能を発揮し、ヴェルサイユ宮殿の王妃の間の装飾で流行作家となる。ルイ15世妃マリ=レクザンスカやポンパドゥール夫人の庇護を受け、フランソワ・ブーシェは宮廷画家、彫刻家のみならず、室内装飾、服飾デザイナーとしても絶大な人気を誇っていた。とりわけポンパドゥール夫人の美的センスのための重要なブレーンであったので、この肖像画『ポンパドゥール夫人』のファッションも担当されたのではないだろうか。

うっとりする程、美麗な色調は優美!この前時代とは異なる平和で経済も好調であった時代ならではの生活趣味の豊かさに意味を持ったロココ文化の開花。「優美」「洗練」「貴族的」その真髄は「生きる喜び」にあったとされる時代。この肖像画『ポンパドゥール夫人』(1756年)のローブ・ア・ラ・フランセーズ!そのドレスを彩る装飾品たち!薔薇のお好きなポンパドゥール夫人なのでやはり薔薇の造花が数多く付けられ、繊細な手工レース、リボン、真珠、ブレスレット、ブローチ、ネックレス...嗚呼、豪奢である。その夫人の優雅な佇まいを見事に描き出しているフランソワ・ブーシェは、天使の支える時計、クッション、猫足のサイドテーブル、ポンパドゥール夫人候爵家の紋章入りの本棚などとの見事な調和を完成させている。読みかけの本を手にするポンパドゥール夫人は大変な読書家。それも、当時の女性が好んで読んでいた説話本ではなく、詩、哲学、歴史、伝記、文法などの多くの書物を読まれており、どれもよく読んだ跡のあるものであったという。「ポンパドゥール夫人の時代」ともいうべき時代が築かれた宮廷を支配する程の権力を握ったのは、国王ルイ15世の公式の愛人であり美貌の持ち主であったことだけではなく、むしろ豊かな文学的教養と美的センスのためであったとも云われている。

ポンパドゥール夫人については、また別に綴っておきたいので追々にと想います♪
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by claranomori | 2010-09-13 20:07 | 私の好きな王宮物語と運命
マリー・アントワネットは、マリー・アントワネット・ジョセファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・オートリッシュ(Marie Antoinette Josephe Jeanne D'Autriche-Lorraine)という長い本名を持つ。何故に私は今もなお、この18世紀のフランスの王妃に魅せられ続けるのだろう...”魅せられる”という中には疑問も含まれているように想う。そもそも、この”最も憎まれ愛された王妃マリー・アントワネット”という歴史上の人物を知り興味を抱き始めたのは、宝塚歌劇による『ベルサイユのばら』の舞台。まだ幼い私は母に連れられて3度(記憶が交錯するけれど”Ⅲ”もあった!)観に行った。あの華麗なる世界に先ず魅入った!マリー・アントワネット役は初風諄さんで退団公演だと3度目の時に母が語っていた。そして、徐々にタカラヅカ~麻美れい様のファンとなる。池田理代子様の漫画の連載時はリアルタイムではなく歌劇鑑賞後、のちに友人のお姉さんに借りて読んだもの。感動して涙の嵐だった!テレビでアニメ化され再放送も観たりビデオも全巻持っていたりする。マリー・アントワネットに関する書籍も知らない内に結構ある...。
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     ♥『薔薇をもつマリー・アントワネットの肖像』 (1783年)♪

1755年11月2日~1793年10月16日という37歳の生涯。生涯を綴る作業や研究は大変なものだろう!時代はフランス革命だし、その民主主義のあり方も疑問視されていたり...私は単なる興味心から関連物を鑑賞しているにすぎない。本当のことなど分からないし、歴史に名を残すお方はどなたでも賛美者と批判者が存在するもの。私はただ魅せられている過程が長いけれど、訊かれたなら”私はマリー・アントワネットが好き♪”と答えるだろう。何故だろう...悲劇の王妃だから?豪華なロココ趣味や美しいものを愛したから?薔薇のお花がお好きだったから?...よく分からないけれど、オーストリアに生まれた少女マリア・アントニア・ヨゼファ・ヨハナが、ハプスブルク家の女帝マリア・テレジアの娘(15人目の子供)として生を受けたこと、僅か14歳のフランス王妃、その宿命や時代を想うことが好きではあるようだ。あまりにも悲劇でありドラマティックでもある。フェルセン(フェルゼン)伯とのロマンスや子供たちを愛した姿、贅沢な軽率な振る舞い...それらの奥底の心を勝手に想像したりして涙することもよくある。

マリー・アントワネットについて考えるとき、首を斬られるということは、極端な悲劇的な意味をおびる。幸運な時期における彼女の尊大な軽薄さは、事情がやむをえなくなったとき、不幸を前にした崇高な美しさと変る。儀礼の化粧をほどこした心ほど、品の悪いものはない。舞台が変り、喜劇が悲劇になったとき、宮廷の虚飾によって窒息させられた魂ほど、気高いものはない。  

ジャン・コクトーはこのように語っている (『世界悪女物語』澁澤龍彦)。”ベルばら”(宝塚歌劇~少女漫画)に始まり、このように私の好きな作家方の御本や絵画、アニメや映画も含め、年月と共に私の心にいるようだ。結局のところ、”好きだから仕方が無い”ということみたい☆
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by claranomori | 2008-01-16 19:48 | 私の好きな王宮物語と運命