あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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★この曲は、オトゥール・ドゥ・リュシー(AUTOUR DE LUCIE)のデビュー・アルバム『美しき逃亡(L'ECHAPPEE BELLE)』の1曲目『完全な和音(L'ACCORD PARFAIT)』。ヴァレリー・ルリヨ、オリヴィエ・デュラン、ファブリス・ドュモンの3人による良質メロディーとしっかりとしたソングライティング。そして可憐なヴォーカル&アコースティック・ギターを担当するヴァレリー・ルリヨのさり気ないウィスパー・ヴォイスと翳り。ヴァレリー嬢のフェイヴァリット・アーティストにトレイシー・ソーン、スザンヌ・ヴェガ、ホープ・サンドヴァルを挙げ、唯一フランスのアーティストはフランソワーズ・アルディだと書かれていた。私も大好きなお方ばかり!またギタリストのオリヴィエはペイル・ファウンテンズ、スミス、フェルトという英国アコースティック・バンドを挙げていた。そんな薀蓄は後に知ったのだけれど、このアルバム(作品)にはとっても強い想い入れがある。

1994年。当店のオープンした年で、最初は中古盤のみだったけれど新作も入荷し始めた。実は、このアルバムがCDでは初めての複数枚数を仕入れたものだったのである。周りには大型店もあるし、他のお店もあるなかで、やはり「好きな作品を一枚でも多くお好きなお方に届けたい」というような気持ちがあった。その為には、どうしても自分で「大好きだ!」と想えるものでないといけない。フランス盤(この頃はインディーズ時代)でまだ雑誌等に掲載される前に聴けることは唯一の特権のようなものかな。このオトゥール・ドゥ・リュシーは新人バンドで情報も無かったのだけれど、オーダーリストの中に、「Produit par Michael Head」とだけ小さく載っていた。あのペイル・ファウンテンズやシャックのマイケル・ヘッドがフランスのバンドのプロデュース!!と、もうそれだけで早く届かないかなって待ちわびていた。急な階段を上がって来てくださるお客様の目に付き易いようにと、入り口のすぐの処に5枚程だったのだけれど「大すいせん盤!」と手描きの見苦しいコメントと一緒に置いていた。その一枚を買ってくださったお方は今も当店のお客様で居てくださっている。16年近く前のことながら、あの時の感動はこのアルバムを聴く度に蘇る。あの場所、あの雰囲気、そしてあの刻の私...何故か涙が溢れるな。

オトゥール・ドゥ・リュシー(AUTOUR DE LUCIE)は次第にアブストラクトなサウンドへと移行してゆくのだけれど、それらも心地良い。ヴァレリー・ルリヨのヴォーカルさえあれば私はずっと聴き続けてゆくのだろう。この曲ではないけれど、アルバム中の『ISLAND(アイランド)』という曲の作曲とプロデュース、さらにギターでマイケル・ヘッド&ジョン・ヘッド兄弟で参加されている。この新しいバンドが尊敬しているマイケル・ヘッドであるのだけれど、好感が持てるのは自分を出し過ぎないでいてマイケル・ヘッドの存在感は充分に漂っているという辺りに、なんというのかグッと来るのである。私はどうもそんなタイプの人間が好きらしい♪


★アルバムの中でも一際ポップな曲です(動画ではございません)♪


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by claranomori | 2010-02-27 11:56 | 私的少女音楽★愛しき歌姫
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★昨日『レモン・インセスト』を数回聴き、時々起こる胃腸障害のような状態となった。本当にあのシャルロットのお声がたまらなく可愛くて私の心を突き刺す。どうしてそんなに好きなのかは言葉には出来ない。私の抱えている他愛の無いことが起因しているのだろうけれど、そんな他愛の無いことに囚われ続けている。それらを考えるとまた色々なことが想起され涙する。「偏愛音楽」なのだから、「ちょっと好き」とか「けっこう好き」という表現ではなくて、作者の手を離れて年月が経てども私の心に住み着いてしまったものたちなのだ。それらは生き物となんら変わりは無い。ああ、不思議。

さて、セルジュ・ゲンスブールの1984年のアルバム『ラブ・オン・ザ・ビート(LOVE ON THE BEAT)』。この頃はよく通っていたレコード屋さんに予約して先ず輸入盤のレコードを先に買った。そして、日本盤にもなったので購入した。店主は既にセルジュ好きでいっぱい持っていたけれど、私が買った初めてのセルジュのアルバムはここからがリアルタイム。この作品の前はレゲエ・アルバムを2作リリースしていた。私は先にジェーン・バーキンが好きになっていたので、店主と情報交換するようにもなった。セルジュは共通した大好きなアーティストのお一人である。なので、Velvet Moonにとってセルジュは欠かせないお方である。セルジュの来日公演もまた大切な想い出。このアルバムの邦題の副題は『セルジュ式性愛術』だった。嘗ての洋楽には様々な邦題が付けられていて好き。このアルバムのトップを飾る同名曲『ラブ・オン・ザ・ビート』にも副題があり『もういちどジュ・テーム』。クスっとしてしまう。

書き忘れてはならないのは、このセルジュのアルバムは前年1983年に発売されたデヴィッド・ボウイの世界的大ヒット・アルバム『レッツ・ダンス』のセルジュ版とも云われる。ボウイのバックメンバーが参加していることも嬉しい。当時、何かの雑誌でこのセルジュのアルバムにボウイがシークレットで参加しているって。レコーディング・スタジオにはボウイも居たとかって。嘘でも噂話でも妄想話でも大好きなボウイとセルジュのお姿を浮かべては嬉々とした。今もそうであったかもしれないなあ...って想う。事実なんてどうでもよくて。以前、イザベル・アジャーニのアルバムの中の『ボウイのように』のことを少し書いたけれど、このアルバムの『I'M THE BOY(風変わりな少年)』という曲にもボウイが少しイメージングされているようだ。シド・ヴィシャス、デヴィッド・ボウイ、マイケル・ジャクソン、ミック・ジャガー、ジェームス・ディーン、モンゴメリー・クリフト...たちの名をセルジュは並べていたという(立川直樹氏による解説より)。セルジュはロリータ的なテーマの作品も魅力だけれど、時々こうして少年あるいは男性の歌も登場する。私は嬉しい限り!セルジュの並べる男性たち(スターたち)はそれぞれ魅力的だけれど、どこか中性的な魅力のある方々でもある。セルジュは常に美しい女性に囲まれてお仕事をされてきたけれど、よく云われるような女好きとはちょっと違うと想う。セルジュは逆に女性が好きでなかったのかも...とも想ったりもする。まあ、プロ中のプロ!本質が見え隠れしながらも計算された世界観を構築してゆく(それも大いなる才能)辺りもセルジュとボウイの共通点だと想える。そうそう、このアルバムでのセルジュは女装しておられます。お綺麗な娼婦なのかな。アートデザインは奇才!ウィリアム・クライン。

セルジュとボウイをどちらも大好きなお方は結構居られると想う。私が活字として初めて、こうしたセルジュとボウイの共通するものを指摘されたのはサエキけんぞう氏であった。流石!サエキさんである。セルジュが大好きなお陰で「ゲンスブール・ナイト」などのお手伝いもさせて頂くことになった。そして、予てからファンであった永瀧達治さんに大変お世話になってゆくことにもなった嬉しき出会いよ。あの永瀧達治氏と個人的に言葉を交わすなんて!と緊張してしまっていたけれど、まったく気さくでお優しいお方なのである。名台詞は幾つも記憶しているけれど、「ゲンスぶる」と「アズナぶる」などよく今もフレンチ好きの友人たちの中での会話に登場するのだ。嘗て「ゲンスぶって」おられたお方も「アズナぶって」ゆくらしい。私は元々どちらでもなく「ファルメっている」とミレーヌ好きの友人に言って頂いた。今も「ファルメっている」みたいで、ようやく重い腰ながら『源氏物語』に挑戦しようと時間も無いくせに。偏愛は自然と深まり常に学びである。この先どうなるのかさっぱり分らないけれど、「好きなことを一生懸命しなさいね」って仰って頂いたお言葉はしっかり心に刻まれている。

フレンチポップスが渋谷系亡き後すっかり人気が無いと云う。けれど、私たちは渋谷系という括りで音楽を愛好してはいなかった。ピチカート・ファイブだってそれ以前から好きだったのだし。メディアって面白いなとも想うし怖いなっとも想う。まあ、私たちはこれからもいつか売れるかも...という愛する音楽やアートたちと共に生きてゆくだけ。バブル期に思春期から大人になっていた。管理主義やデータ主義、機能主義へという時代。私は数字なんて最も苦手なのにそんな現実と向き合わねばならなくなってしまっていた。私たちはアート主義だと指摘され、これからの時代はそれではダメだって云われた...かなりの打撃だった。しかし、ダメとかイイとかではなくて私たちは頑固にもそれらの人々から離れ今に至る。音楽に関わるお仕事ばかりしているけれど、常にアーティスティックの鏡のようなボウイやセルジュ...愛するものたちのお陰で今も生きている。どうにか食べてゆければ幸せだと想う。私たちに大きな野望などなにもない。私はお婆さんになっても出来るだけ元気で、可能ならば小さな子供たちに囲まれて過ごせたらいいな...と長閑な光景を浮かべる。けれど、現実は厳しく耐えることばかり。試練続き。それも学びであり知らないうちに糧となることでもあろう♪
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by claranomori | 2010-02-10 07:02 | 耽美派少女の愛した音楽
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★シャルロット・ゲンズブール(CHARLOTTE GAINSBOURG)のデビュー曲となる『レモン・インセスト(LEMON INCEST)』。父であるセルジュ・ゲンスブール(SERGE GAINSBOURG)の1984年アルバム『ラブ・オン・ザ・ビート(LOVE ON THE BEAT)』を購入して死ぬかと想った!この比喩は大袈裟なようだけれど、こんなにある一曲が私の胸を突き刺すような体験は後にも先にもこの曲のみ(近いものは他にもあるけれど)。因って、今なおシャルロットは私にとっての「聖少女」であり続けている。美しい二児の母親になられ大女優への道を歩んで行かれても。この曲に限ってはセルジュやショパン云々よりも、少女シャルロットのお声がすべてである私。あの歌唱は芸術品とも云える。やはりセルジュは天才だ!常日頃から脳内少女幻想気質の私は結構遠めに傍観してもいる。けれど、この曲に限っては想い入れが尋常ではないものでまったく落ち着きが無くなってしまうらしい。もう何十回もこの曲を聴いているけれど、今も聴きながら胸に刺さったものは消え失せることはないので痛い。この曲はポップ・シングルにしては短くもなく5分11秒。6分あれば持たないかもというくらいの衝撃だった。嘘ではないので、同じようなお方が居られましたらお知らせ下さい。

落ち着こう。この『レモン・インセスト』はアルバム『ラブ・オン・ザ・ビート』のラストに収録されている。セルジュとシャルロット親子によるデュエット曲、それも禁断の危ない曲で、今も嫌悪されるお方も結構居られるという。けれど!私にセルジュのような才能があり、シャルロットのような娘が居たならばこの曲を12歳のシャルロットの為に、自分の為に作るに違いないと想う。人生に於いて妄想が無くなってはつまらない(過剰は問題だと知っている)。セルジュが居てくださることで当時の私の心の葛藤は幾分か和らぐものだった。私の少女愛惜及び少年愛好は今も留まりはしない。これまで良き友人としてのアドバイス(忠告&警告)のようなご意見を頂いて来たけれど、やめられない。近親相姦の歌。それだけで揶揄するのは視点の違いで、この曲はこの少女期のシャルロットにしか歌えない、その娘とデュエットする機会はこの時期しかないというセルジュの知的な計画は脳内にあったと想う。下のPVをご覧ください!シャルロットの消え入るような危ういヴォイスで一生懸命歌っている時の横の父セルジュの顔や首の動きを!見守るように愛でているあのお姿は痛いほどに伝わる(少し笑ってもしまうけれど)。これです!この曲は私の心の支柱でもある「少女愛惜」のテーマ曲のように勝手に想っている。また何を云ってるのか分らなくなって来たけれど、不謹慎なようだけれどセルジュ流の文学を歌の中に持ち込んだ一曲で、猥雑さの中に常に品性をも欠かすことのないセルジュのこれまでの多くの楽曲たちを再度聴いてみてください。本物ですから!何がというと、プロとしてのお仕事ぶりも然り、ロリータ趣味のことです。きっと、ブリジット・バルドーの存在が大きいと想っている私(ジェーン・バーキンよりも)。また、マリリン・モンローの存在もかなり大きいと想う。男性視点と女性視点は時に目線のズレが生じその行方を左右するけれど。

この『レモン・インセスト(LEMON INCEST)』。シャルロットの1stアルバムのオリジナル盤には収録されなかったけれど、後のジャケット変更後のものには収録されている。そのシャルロットの1stアルバム・タイトルは『CHARLOTTE FOREVER』である。『レモン・インセスト(LEMON INCEST)』から2年後の1986年発売。まだ少女期のシャルロットながらこの2年の時間はとっても!大きく重要だ。確信犯的にセルジュはそれを充分に知っているが故に「この時期を逃しては!」とご自分のアルバム『ラブ・オン・ザ・ビート(LOVE ON THE BEAT)』のラストにこの曲を収録し余韻を残した。愛娘の大プロモーションを全身全霊を込めて開始してゆく。これも親の愛!これぞ父の愛!さらに、エロディ・ブシェーズを見出し、映画『スタン・ザ・フラッシャー』を撮った。このインストであるテーマ曲もとんでもない名曲!死して「やはりセルジュは偉大であった」と云われるようになったけれど、「すべてを手に入れたけれど人生に失敗した」と云い、また「しあわせなどない」というようなセルジュらしい言葉をそのまま受け取ることも出来ない。屈折具合は半端ではないし、挑発的な言動の裏側には「愛」に拘り続けた繊細な姿がいつもある。また、「死を待つ」と云うセルジュの老境でのこれらの作品はやはり知的な一流のプロ職人のようにさえ想う。

セルジュのことはまた追々。アルバム『ラブ・オン・ザ・ビート』のことを続けようと想います♪
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by claranomori | 2010-02-09 13:51 | 私的少女音楽★愛しき歌姫
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★ジャック・イジュラン(JACQUES HIGELIN)は1940年10月18日生まれ。子供の頃から歌を歌ったり劇場に立っていたりしていたという。けれど、俳優として映画出演されるキャリアから注目され出す。マリー・ラフォレと共演したマルセール・ムーシー監督の『赤と青のブルース』(1960年)、ジュビス坊やことアントワーヌ・ラルチーグ主演のイヴ・ロベール監督の『わんぱく旋風』(1962年)でジュビス君の兄役も演じていた。また、あのカルト映画『アイドルたち』のマルク・O監督との出会いも大きいようだ。音楽的素養は天性のものだろうけれど14歳頃にシドニー・ベシェと出会いピアノを弾いたそうだ。次第に自分の言葉で演じたり歌ったりするようになる。ジャック・カネッティとの出会いからボリス・ヴィアンの曲等を歌い歌手としても作品を世に出す。その頃、演劇とシャンソンを融合したような不可思議なものを作っておられる。そのメンバーはブリジット・フォンテーヌとアレスキー・ベルカセムである。ピエール・バルーが彼等の才能に惚れ込み「サラヴァ(SARAVAH)」より作品を発表してゆく。最初はイジュランとアレスキーの連名による『HIGELIN&ARESKI』で1969年のこと。その時イジュランは30才手前だった。さらに、ジャック・イジュランがスターとなるまでにはまだ年月が必要であった。1979年頃からようやくイジュランの表現する世界が注目され人気を得てきたのは、サーカスを導入した演劇的なシャンソンとロックを融合した独自のステージにあったようだ。イジュランは40代になりフランスのスターとなる。遅いようだけれど、スターを目指して活動されておられたのではないだろう。そして、息子であるアルチュール・Hも素晴らしいアーティストとしてデビューされ活躍中。

私はジャック・イジュランというお方を気にし始めたのはブリジット・フォンテーヌとの楽曲たちによる。イジュランのあのお声が好き。子供の頃から掠れた声質だったそうだけれど、歳を重ねてゆく程にそのお声は深く渋味のある、なんとも素敵な響きに想っている。音楽もシャンソンでありながらロック(ニュー・ウェイヴの時期も)、けれどそれらの音楽はすべて「ジャック・イジュランの音楽」なのでカテゴリーは吹っ飛ぶ。クールかつデカダンなあの奇妙な魅力はイジュランの世界。でも、新しいフランスのロック・ミュージックを作り上げたお方には違いない。素晴らしい!また、イジュランの作品に参加されているミュージシャン方も凄く、フランスのプログレ人脈満載でツワモノ揃い。ジャック・イジュランの代表曲というとやはり『悪魔のシャンパーニュ(CHAMPAGNE)』は欠かせない。この1979年アルバムには、ミッキー・フィンがギターで参加されている。ミッキー・フィンなので触れてあるものを幾つか読んでみてもどれもあのT・REXのと書いてあるのだけれど、違うミッキー・フィンでミッキー・フィン&ザ・ブルーメンというバンドのお方。同じ名前なので情報が交錯していたのだろうけれど、T・REXのミッキー・フィンならばパーカッションも担当される筈だろうし。イジュランのアルバムに参加された方のミッキー・フィンは英国からフランスに活動の場を変えていたように想う。その年代は正確には知らないけれど、ニノ・フェレールのアルバムにも参加されている。もっと発見できるかもしれないな。ああ、ややこしいけれど愉しい。ジャック・イジュランの他の好きな作品は多数あるので追々にと想う♪

また、イジュランはシャルル・トレネの大ファンでもあります♪
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by claranomori | 2010-02-05 11:28 | 耽美派少女の愛した音楽
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『永遠のアイドルとガールズポップ★ロック&シャンソン愛好者の偏愛音楽館』(今年より音楽ブログです) ← にて更新いたしました♪
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by claranomori | 2010-01-22 08:03 | 私的少女音楽★愛しき歌姫
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『永遠のアイドルとガールズポップ愛好館』 ← にて更新いたしました♪

◆12月になりました。暑い夏の日もすっかり紅葉の秋、そして白い冬の季節。もうすぐクリスマスがやって来て、年末今年も終わり。2010年の新年が近づいています。この私の心の支柱のようなブログ『クララの森・少女愛惜』は絶えるまであれやこれやと拙い想いを綴ってゆきます。また、連動した形にもなりますが、「音楽」、それも「ポップ・ミュージック」に特化し、私的ガールズ・ポップやボーイズ・ポップの愛しきアーティストや楽曲が浮かぶだけでも数千を超します。始めたばかりでまだまだ記事が少ないのですが、この『永遠のアイドルとガールズポップ愛好館』も今月からピッチを上げて更新してゆく予定です。どうぞ宜しくお願いいたします☆
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by claranomori | 2009-12-03 09:02 | 私的少女音楽★愛しき歌姫
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★ヴァネッサ・パラディ!私にとって”小悪魔”とか”フレンチ・ロリータ”というイメージのリアルタイムはこのヴァネッサちゃんからであると想う。ブリジット・バルドーは既に引退されていて、ずっと後追いで映画や音楽を聴くようになった。リオは私には輝くキュートな存在で不貞腐れた感は希薄で、”フレンチ・ロリータ”と云えるけれど私の当時のイメージと少し違っていた気がする。ヴァネッサ・パラディのことは特に予備知識もなく12インチのレコード・ジャケットを購入したあの場所も雰囲気も私の気分も覚えている。気になってしかたがない、あの小生意気な表情のレコードを抱きしめるようにして家に帰った。そして、針を置き聞こえてくるあのお声に歓喜した!またしてもジャケ買い大成功!であった。

デビュー・アルバム『マリリン&ジョン』~『ヴァリアシオン』~『ビー・マイ・ベイビー』の3枚はヴァネッサ・パラディの10代の時代の作品。本国フランスではデビューの頃から大人気だったそうだけれど、世界的にはレニー・クラヴィッツによるプロデュースや楽曲の『ビー・マイ・ベイビー』だろう。1993年には来日の予定もありワクワクしていたのだけれど流れてしまった。また、この頃のヴァネッサ・パラディはアメリカへ渡っておりレニー・クラヴィッツとのロマンスの噂も耳にした。90年代後半にはコカイン所持というショッキングなニュースもあったりした。でも、その後、ジョニー・デップと恋に落ちご結婚され今も仲良しのご夫妻。ジョニー・デップがアカデミー賞等のノミネートでレッドカーペットを歩く折、横に居るヴァネッサちゃんを観ることのほうを優先してしまう。今も素敵!

何度か、”マイ・ブーム”となるヴァネッサちゃんであるのだけれど、最近またよく聴いている。やはり10代の頃の作品が好き。美少女という感じではエルザの方がずっと好きだけれど、なんとも云えぬ魅力がある。80年代の音楽なのでノスタルジーというよりもついこの間まで聴いていた曲たちのよう。なので、ブリジット・バルドーからのフレンチ・ロリータの系譜を眺めるのは好きではあるけれど、やはり一括りだとちょっと物足らない感じかな。だからどうということでもないのだけれど。

フレンチ・ポップス好きの友人で面白い人が居る。大人しい男性で私と一緒で大の女性ヴォーカル好き。けれど、女優さまの好みは少し違う。彼は女優も歌手も奥様も一貫していて”小悪魔的”なのだ。こうも行動が伴っていると天晴れとしか云えない。私が「どうして、小悪魔的な女性が好きなのですか?」と尋ねると、小さな控えめな語り口調で「なんか振り回される感じが...」って。「約束の時間に来なかったり、すっぽかされたりしても?」と尋ねると「それがいい...」って。愛おしい友である。最近はお子様も居られるのであまりお会いしていないのだけれど、すっかり可愛い娘さまの成長を愛でておられるのだと想う。女性上位時代は現実の中で育まれているようだ。女の子に頬をバシっ!とされる男の子(カップルで)。そんな光景を幾度も通常の街中で拝見するようになった。お話が逸れるけれど、そんな光景に遭遇した折は、何故か心の中で”男の子の気持ちを想像してしまう....”。私はそんな女の子はあまり好きではないけれど、結構その後も仲良く歩いてゆくのでそれはそれで良い関係なのだろうけれど。少女も少年も「愛らしい」人が好き。けれど、か弱いのに突っ張っているような、ちょっと不器用な少女もまた魅力的でもある。当時、ヴァネッサ・パラディにはそんなイメージを強く持ったのである。好きな楽曲や作品についてはまた追々に♪
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by claranomori | 2009-11-03 11:08 | 私的少女音楽★愛しき歌姫
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先述のマリアンヌ・フェイスフル、フランス・ギャル、デヴィッド・ボウイ、イギー・ポップ...と皆同い年である私の好きなアーティスト方の中に、ジェーン・バーキンも居られる。初めて知ったのは音楽からだった。同時期に映画『太陽は知っている』の脇役で出演されているのを拝見した(アラン・ドロンとロミー・シュナイダーを観る目的だったのだけれど動くお姿を拝見できて嬉しかった)。私が18歳頃のこと。そして、今も女優ジェーン・バーキンよりも歌手ジェーン・バーキンの方がより好きでいる。セルジュとの出会いは運命だろう!ジェーン・バーキンはイギリス人。まだ女優としても主役を得ていなかった頃。長身で長い脚は当時のロンドン・ファッションにお似合い。けれど、ミニの女王ツィッギー(TWIGGY)が居るし、モデルはワンサカ溢れていた。そのファッションも含めて英国からフランスへジェーン・バーキンは橋渡しをされたお方に想う。メイクもこの当時のジェーンは本来の目の大きさの倍位でアイラインは寝る時も欠かせない(読んだ噂だけれど)という頃。80年代以降だと想う。日本で一気に人気が出てきたのは。特に女性ファンを多く今も持つ理由のひとつに、「自然体で生きる美しさ」のようなお姿に共感できたのだと想う。私はまだ10代で社会に出る手前頃であったので、とても不安な気持ちでいっぱいだった。なので、その時はその「自然体で生きる」という感覚もファンション雑誌で取り上げられている記事を読んでも今ほど理解できない有様。でも、あの綺麗なお声が大好きだった!高音の危うい感じに胸が締めつけられた。才人!セルジュ・ゲンスブールというお方の歌唱指導の賜物なのだろうけれど。

主にジャズをお好きな知人が居て、ロックやポップスと幅広く聴かれる音楽好きのお方。私がフランスの音楽が好きであるということで、ジェーン・バーキンを聴かないといけないだろうと想われたらしい。けれど、「下手過ぎて最後まで聴けなかったです」と笑っておられた。「そうですか...」とそこでまたしても、グッと言葉に出来ない複雑な気持ちが心に残るのだった。感じ方は人それぞれなのだから、そうした意見を聞けて良かったとも想う。けれど、私はジェーン・バーキンは歌が下手なお方ではないと想う。ジャズだとサラ・ヴォーンが好きで詳しくないけれど素晴らしい!ニーナ・シモンも好き!でも、ブロッサム・ディアリーが一等好きだと想う。なにか「ジャズ」とか「クラシック」や「シャンソン」というと高尚な音楽のようで、「ロック」とか「ポップス」、「アイドル」っていうと低俗なイメージをお持ちのお方も居られる。でも、私は好きな音楽を愛でるだけ。そして、私の生きている世界は「俗」である。その日々の中で音楽を聴いてトキメク瞬間が得られたなら、それはどんなジャンルでも素敵ではないだろうか!何もかも、世界中の音楽を聴けるわけではないので、各々の優先順位で好きな音楽を選択されているのだろう。私は幸か不幸か、因果なものでこの得体の知れぬ限りなき魅力を秘めた「音楽」というものと共にいつの間にか生きている。決して、ひと時も離れはしない。私は歌は下手だしリスナー専門!技術的なことなど勉強しようともしないので無知のまま。ただ、「好き!」と想ったアーティストは追い続ける、自然と遠のくことがあっても心の住人たちであり続ける。なので、どうしてもキャリアの長いアーティスト方を先ず挙げてゆくことにもなるのかもしれない。

1969年が歌手としてデビューされた年(ジェーンは22歳か23歳頃)。初めて好きになった曲は『ジェーン・B. 私という女(JANE B.)』。初めて買ったベスト盤に収録されていた。ジェーン・バーキンよりもさらに大好きになるセルジュ・ゲンスブールだけれど、その時はセルジュのことなど何も知らずにいた。随分、年月が流れ、セルジュはこの世に居られないけれど、不思議なものでそんな気がしない。「ポップス」といっても様々。テンポが良くてキャッチーな曲だけではないと想う。私はメロディーがいつの間にか頭や心の中でふと流れ出す、そんな曲たちはスローな曲調でも寂しげでもやはり「美しいポップス」として愛してしまう。
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by claranomori | 2009-10-31 09:45 | 私的少女音楽★愛しき歌姫
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★シルヴィ・ヴァルタン(シルビー・バルタン)はフレンチ・ポップス界のクィーンで、今なお本国での人気は物凄いお方。嘗て夫でもあられたジョニー・アリデイも然り!このお二人を欠かしてイェイェ(ye-ye)もフレンチ・ポップスも始まらない。デビューは1961年なのでフランソワーズ・アルディより1年早い。当時17歳。60年代は日本でも大変な人気だったらしく母もレコードを持っていた。人気の火付けとなったのは映画『アイドルを探せ』の出演とその主題歌のヒットからだという。映画にはほんの数分しか出演されないけれど、豪華な顔ぶれの並ぶコミカルで素敵な映画で大好き。この曲の作詞をされているのは、御大シャルル・アズナヴールでご本人も映画にも出演されている。この映画と主題歌のことを『映画『アイドルを探せ』 シルヴィ・ヴァルタンやミレーヌ・ドモンジョ達ご本人がいっぱい♪】として以前少し綴っています。

シルヴィ・ヴァルタンのアイドル時代とその後、今日までの歴史は長く音楽も雰囲気も時代ごとに異なる魅力なのですが、60年代のイェイェのアイドル時代は殊に可愛いです。フランス・ギャル、フランソワーズ・アルディ、シェイラ...etc.みんな、それぞれ違う可愛らしさ、女の子っぽさ、少女的な雰囲気があるのです。シルヴィの清楚なワンピース姿とブロンドの内巻き変形ボブからセミロングの髪(初期はショートでしたしロングヘアー時代も多いです)はとっても可憐。お声はどこかしっとりした魅力があり、私個人的にはスローな曲調の楽曲がかなり好きです。フレンチ・ポップスはやはり大好きなようです。個人的に蒐集したレコードの半分以上を占めています。ずっと持っていても...と想うので、当店でお好きなお方にお届けできたら幸いかとも想っています。此方でも、シルヴィのシングルやアルバムなどを追々、かなり時間がかかりそうですが綴ってゆこうと想います。
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by claranomori | 2009-10-28 11:03 | 私的少女音楽★愛しき歌姫
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★更新予定の下の3つのフランス映画。上から『汚れた血』(1986年・公開1988年)レオス・カラックス監督、『冬の旅』(1985年・公開1991年)アニエス・ヴァルダ監督、『白い婚礼』(1989年・公開1991年)ジャン=クロード・ブリソー監督のものです。どれも比べることなどできない想い出の映画です。でも、当時よりも今も気になるというのか心に何かが突き刺さったまま...そんな作品は『冬の旅』なのです。アニエス・ヴァルダが好きだし、さらに少女モナを演じているサンドリーヌ・ボネールがとても好きです。可能な限り作品を追っています。この『冬の旅』はドキュメンタリー風のロードムービー。18歳の少女が寒い冬の南仏で行き倒れたところから。冒頭から映し出される映像は美しく詩的です。最初と最後は四重奏の音楽が流れます。この少女モナに感情移入できない私がいながらも、羨望のような想いがあったのかもしれません。1985年の作品ですが日本公開は1991年。私は社会人となっていましたが、今よりももっともっと物質的な環境に恵まれて日々を過ごしていました。衝撃を受けたのだとは思いますが感動した映画とは思っていませんでした。
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マーシャ・メリルという素敵な女優さまも出演されていますが、大半がその土地の人々にヴァルダが台詞を伝えて語っているのです。その人々はそれぞれ個性的です。盲目の老女が出演されます。そのお方と意気投合するモナのシーンが好きです。劇中、もっともモナの素敵な笑顔が見れるシーンです。深いテーマの映画ですので、また観たいと思いますが、大好きな場面は変わらないでしょう。車のラジオから音楽が流れモナの表情が和らぎリズムに揺れるのです。レ・リタ・ミツコの「Marcia Baila」♪この映画と同じ1985年(1984年の1stアルバムからの3rdシングル)のヒット曲です。私はレ・リタ・ミツコが当時から大好きです。2007年にご主人でもあるフレッド・シシャンが癌で亡くなってしまって哀しいのですが、いつまでも彼等の曲を忘れないだろうし、これからもカトリーヌ・ランジェのあの素晴らしい歌声を聴き続けるでしょう。やはり、多感な時期を過ごした80年代という時代は色々な思い出が連なり今も大切なもののようです。

当時はすっかり音楽(デヴィッド・ボウイとNewWave)にどっぷり状態でしたので、この『冬の旅』の中にはもう一つの忘れ難い音楽が登場していました。「パッション・フォッダー(PASSION FODDER)」というフランスのニュー・ウェーブ・バンドです。彼等の前身は「オーケストル・ルージュ(ORCHESTRE ROUGE)」という少し変わったネオ・サイケ風のサウンドでした。ここのリーダーはアメリカ在住で後に、「ノワール・デジール(NOIR DESIR)」との交流などもあります。フランスにもロックはあるのです。なかなか英語圏でのヒットとなると難しいのですが...。「テレフォン」というカッコイイ!パンク・バンドや、「プラスチック・ベルトラン(プラスティック・バートランド)」も良いです。ああ、またタイムスリップしてしまいました♪

※3つの映画の感想等は観直した後に綴ります(『冬の旅』は綴りました)。あまり重複しないために。此方のエキサイト様が新しくニコニコ動画を貼ることができるようになったと表示されていますが、私は観れないので、YouTubeから上記のレ・リタ・ミツコの初期の名曲を貼ってみます☆

Les Rita Mitsouko - Marcia Baila

★私の好きな歌姫:『カトリーヌ・ランジェ:CATHERINE RINGER(レ・リタ・ミツコ:LES RITA MITSOUKO)』(『LES RITA MITSOUKO/MARC & ROBERT』を聴きながら。 2004.9.7.)

NEW WAVEという80年代のシーンの真っ直中にいた私は、今でも当時の鮮烈なる出会いが何処かに住み続けている。英国の音楽に留まらず他のヨーロッパから、N.Y.からと貪欲に探し求めていたものだ。ちょっと変わった音楽たちを"愛しのへんてこりん"と呼んでいる。そんな中にこのフランスのレ・リタ・ミツコとの出会いもあり、彼らの魅力は色褪せることなく現在進行形で大好きなユニットなのである。ゲランの香水からその名前が付けられたというレ・リタ・ミツコは、素晴らしきヴォーカリスト!カトリーヌ・ランジェとフレッド・シシャンの夫婦ユニット。彼らのファッションや信念の強い言動にもとても共感を受ける。カッコイイ!カップルだなって思うのだ。

さて、カトリーヌ・ランジェのヴォーカル!音域の広い多様な表現力。高音で歌う曲も有れば低音で歌う曲も。それらの全てが色彩豊かなカラフル・ポップなのだ。彼らの音楽は様々なエッセンスが入り混じっていて、その無国籍風な楽しさがいつも嬉しい。エレポップ、シャンソン、ロック、ファンク、ラテン音楽的な要素をとても上手く取り入れながらも、自らの世界観を築いていると思う。どの曲でも、カトリーヌの表現者としての存在感は凄い。

1982年にシングル・デビュー。この「マーク&ロバート」は1988年の3rdアルバムで敢えてこの作品を此処で選んだのは、スパークスと共演しているから!デュエット曲も3曲収録しているのだ。この共演は飛び上がる程嬉しかった。初期からレ・リタ・ミツコのお二人が影響を受けてきたアイドル的存在としてスパークスの名前が挙げられていたものだ。デヴィッド・ボウイやイギー・ポップ、エディット・ピアフの名前と並んで。そう言えば、ボウイやイギーのファンであるレオス・カラックス監督の「ポンヌフの恋人」の主題歌はこのレ・リタ・ミツコだった。ピアフはもう居られないので、後彼らとの共演が待たれるのはボウイだけという現在。その夢の共演を待ち遠しくしているのは私だけでは無いはず。

カトリーヌ・ランジェはどの様な曲でも自分の世界で歌い上げるだろう!そんな柔軟性と表現豊かな歌唱力の持ち主なので。アコースティック・ライヴの作品でもそのヴォーカルの存在感を再確認したものだ。彼らは今も自らの世界を産業ポップに陥る事無く、かつポップの持つ魅力を充分に発揮している貴重な存在だと思う。ジャン=リュック・ゴダール監督は「右側に気をつけろ」の中で、スタジオでの彼らを映し出した。ゴダールはやっぱり凄い!嘗て「ワン・プラス・ワン」であの時期のローリング・ストーンズのレコーディング風景を撮ったのも驚異だと思う。

彼らの素敵な頑固さの様なものが好き。それだけの実力がある方々なのでこれからも怯まない彼等から目が離せない。セルジュ・ゲンスブールを批判する事も有ったけれど、ゲンスブールの業績に敬意を表することも忘れない(「システム D」や「ゲンスブール・トリビュート」でカバーも聴ける)。そんな潔さも気持ちいい。もう20年も経ったけれど、作品を追う毎にますますレ・リタ・ミツコ、カトリーヌ・ランジェのヴォーカリストとしての力量、表現力に魅せられ続けているのである。

(※2004年に書いたものですが、「歌姫」というと私には欠かせないお方なので♪)
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by claranomori | 2009-09-19 09:17 | 耽美派少女の愛した音楽