あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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サラ・ムーン(SARAH MOON)という女性写真家の作品を初めて知った(鑑賞した)のは1986年のこと。今も私は写真よりも古い絵画を鑑賞する方が遥かに好きなのだけれど、写真ならではの魅力というものがある。サラ・ムーンは殊にお気に入りの写真家のお一人。

このお写真は中でも印象強く残っている作品のひとつで「DEAD ROSES」と題されたもの。薔薇のお花は大好きだし、また枯れてしまったお花にも美は残る。お花という生き物はなんて美しく儚い存在なのだろう!この枯れた薔薇はどんな色をしていたのだろうか。色褪せて枯れ朽ちてしまっても、まだ「美」を与えてくださる。この薔薇の鮮やかに咲き誇っていた時間を想う。過ぎ去りし夢の時間。

サラ・ムーンは確かにいつも同じ歌を歌っている。しかし、同じ歌になるように操作しているのではなく天性の問題なのだ。一定の音階の中で彼女の声は揺れ動き執拗に思い出と失恋の歌、過ぎゆく時とはかない幸福の哀歌を口ずさむ。サラは冬の朝の灰色の光と雨上がりの水のきらめきを歌う。また見捨てられた子供の恐れも歌う。ポール・ヴァレリーは美とは絶望するものであると言った。サラは美を歌うが希望をもつことに絶望はしない。 ロベール・デルピール (フランス国立写真センター理事長)
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by claranomori | 2010-07-24 07:10 | 写真の中の少女・夢の時間
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★ピエール=オーギュスト・ルノワール(Pierre-Augustê Renoir:1841~1919)というとフランスを代表する印象派画家のお一人で名画は多数残されている。好きな作品は多数あるけれど、今回はジョルジェット・シャルパンティエ嬢という少女を描いたものを。この少女の微笑みや天衣無縫なこのポーズがなんとも愛らしい!この小さな少女の父は、当時の人気作家であったゾラやモーパッサン、ゴンクール兄弟等の作品を出版していたパリでも有数の出版社シャルパンティエ社のオーナーである。母は社交界の花形で第一級の文芸サロンの主宰者であったというお方。重厚な絨毯や椅子などからもその裕福な生活が窺える。ジョルジェット・シャルパンティエ嬢はお二人の長女で、この当時4歳の肖像画である『座るジョルジェット・シャルパンティエ嬢』(1876年)。白いレースの縁取りと赤いネックレス(珊瑚だそうだ)、背中に見える大きなおリボンの付いたブルーのドレスにブルーのソックス、お靴も可愛い。でも何よりもこの微笑みの表情に私は心和む。下の絵はその2年後なのでジョルジェット・シャルパンティエ嬢は6歳。少女服(姉とお揃いのお洋服)を着ている弟のポール君も実に愛らしい!当時の貴族や上流家庭の幼い少年たちはよく少女服を着ているので、パッと拝見しただけでは女の子に想えてしまう。この絵は『シャルパンティエ夫人とその子供たちの肖像』(1878年)と題されたもの。
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経済的に貧しい画家であったルノワールが上流サロンに出入りするようになるきっかけを得たのは、このシャルパンティエ氏が1875年にルノワールの絵を買ったことからのことだそうだ。このような愛好家やパトロンに恵まれたことは人生に於いて大きかっただろうと想う。けれど、晩年はリュウマチや顔面神経痛という病に侵され車椅子生活を送ることになるけれど、生涯、絵を描き続け1919年に永眠された。また、フランス映画界の巨匠、ジャン・ルノワール(Jean Renoir:1894年9月15日~1979年2月12日)はピエール=オーギュスト・ルノワールの次男で、『ピクニック』や『草の上の昼食』、またはジャン・ギャバン主演の『フレンチ・カンカン』、『大いなる幻影』、『獣人』他の名作を映画の中に多数残されていて、私は二代に渡っての多くの名画に魅了されていることになる♪
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by claranomori | 2010-03-19 09:56 | 絵画の中の少女・女性たち
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★バルバラの絶頂期の世界にたった一つの陶器のような「声」は唯一無二!シャンソンにも様々。バルバラのお声の肌理と室内楽のような美しい楽曲たち。これはバルバラだけの世界。珠玉の作品群はいまなお私の心を震わす。

「私の好きなうた」 
バルバラ(BARBARA)/ナントに雨が降る(NANTES) 
バルバラ!孤高な気高き旋律。優雅な気品と激情を合わせ持つ神秘な声。初めて、この声に出会った作品にこの曲が入っていました。そして、歌詞の内容を後に知りいっそう好きになった曲です。今まで母から聞かされていたシャンソンというイメージとは赴きの違う、美しいピアノの調べとバルバラの吐息と声に圧倒されたものです。間違いなくこの曲は、シャンソンの名曲の一つとして永遠に語り継がれて行くものでしょう。ユダヤ人であるバルバラの歌手デビューは平坦な道のりではありませんでした。この曲を発表した時、既に30代半ば。60年代のバルバラの声はあまりにも繊細で艶があり、このような悲しくも美しい曲がよく似合います。この室内楽とでも言えそうな、バルバラならではのシャンソン世界を見事に表現していると思います。この曲と出会って10年余り経ち私の父も亡くなりました。今でもこの曲を聴くと悲しくなるのですが同時に私の心を落着かせてもくれます。このピアノとバルバラの声の震えだけで充分な比類なき名曲!私にとっての生涯大切な一曲だと思います。

上記のものは、2000年初め頃に「私の好きなうた」として、バルバラの『ナントに雨が降る(NANTES)』について書いたものです。80年代育ちのバブル時代の日本でお気楽に生きて来た私が、バルバラのような激動の時代や体験を経てまるで「生きるために歌い続けた」ようなお方の心の葛藤など到底分る筈は無い。早い別れだとしても両親の愛をいっぱいに受けて育った私には。けれど、もうこの世に居られないバルバラの残された音楽、お声を聴き続けている。「バルバラを聴きたい」と呼ばれるかの如く聴き返し続けている。私の聴く時の心境によって多少は異なるけれど、初めて聴いたあの瞬間は色褪せることはない。読書に「熟読」と「濫読」という形容があるように、音楽を聴く、音楽に向かうことはただ「音を楽しむ」だけに留まりはしない。たかが音楽、されど音楽なり。向き合うことで見えないものが見えることもある。衝撃的な出会いに心苦しくなることだって。バルバラの正しく珠玉の楽曲たちの中には「死」がいつも隣り合わせに居る。ペシミズムを否定的に私は想わない。そんなことをバルバラが教えてくださったようにも想う。辛い現実を生きてゆく為のペシミズム。『孤独のスケッチ(LE MAL DE VIVRE)』というタイトルなど正しくその表れに想う。バルバラの歌手としてのデビューは決して早くは無い。既に人生の苛酷さ、世界の狂気を体験されていた。なので、自作曲を歌い始めてから最期までご自身の曲たちは私たちに向けての曲でもあり、バルバラご自身のためのシャンソンであり続けたのだとも想う。オリジナル・アルバムは全部聴いているけれど、まだまだ聴き続けないと納得がいかない。アルバムを一通り聴いただけで聴いた気にはなれないのだ。とても大好きなアーティストは皆そのように想う。これも修行のようだ。

ご自身の曲を歌われる以前はジョルジュ・ブラッサンスやジャック・ブレルの曲を歌われていた。私が生まれる以前の作品。その頃からバルバラは「黒」のイメージ。そして真っ赤な薔薇のお花も。そして、「孤高の麗人」であるので誰とも比べることなど出来ない存在として、また決して太ることもなかった。世界にたった一つの至宝のようなあのお声。次第に高音が出なくなってゆく時期のアルバムだって大好き!バルバラはただお上品なシャンソン歌手ではない。その潰れてゆくお声でロックへと向かう。私があるアーティストの生涯の作品を通じて「ロックもシャンソンも好き」で居られるお方はそんなに多くは居られない。70年代のフランソワ・ヴェルテメールとの作品を知った時、私はプログレという流れでヴェルテメールのアルバムを聴いていた。バルバラのアルバムでその名を見つけた時は嬉しかった。バルバラの歌に情念のようなものが色濃く刻まれてゆく頃にも想う。「天は二物を与えた麗人」のお一人であるバルバラ。けれど、これ程までにその二物以上の壮絶な哀しみをも背負っておられた麗人は知らない。想うまま独り言のように書いている。後から読むといつも訂正したくもなるけれどこれが今の私の心。畏れ多い存在のバルバラなれど、好きな楽曲のことなど、追々にと想う。私の棺には必ずバルバラのレコード・ジャケットを添えて欲しいと想っている。まだまだ生きるけれど☆
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by claranomori | 2010-02-04 11:36 | シャンソン・抒情と悲調の浪漫
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★イヴ・モンタンが大好きです!あらためて考えてみれば、歌手として、また俳優として、共に名曲&名作を多数残されたお方で、さらに国際的スターであり、なおかつ本物の歌手であり俳優であったお方。俳優業の片手間に少し歌も歌うとか、歌手を本業にしながら少し映画にも出演される有名人は多く居られる。けれど、共に本物であり、かつ生涯に渡りスターであり続けたお方はそう多くは居られない。フランスではモンタンが随一であろう!映画の遺作であるジャン・ジャック・ベネックス監督の『IP5』は再見すると悲しくなる。モンタンの歴史は長くなるので追々にと想う。好きな曲や出演された映画は多数あるけれど、今日は粋なリズムで素敵なモンタンの歌声、フランシス・レイとピエール・バルーによる楽曲『自転車乗り(LA BICYCLETTE)』を。1981年の「オリンピア」での13年ぶりとなるコンサート映像より。チケットは発売と同時に完売であったという。素晴らしい!




花が自然のものであるように、シャンソンは人間のものといえる。それは、可憐にして純粋な表現で、情熱という嵐、感情という雷雨、怒りという大風、優しさというそよ風、愛の風・・・・・・・といった心の変化に晒されている。希望、苦悩、歓喜、抵抗、不安がそこに表現されるシャンソンは、人間でもあるのだ。

今日は微笑みを、明日は厳しさを、往々にして気紛れで、時には狂ったように・・・・・・・シャンソンは泣き、笑い、情熱に燃え、踊り、そして思考する。数多くの秘密を分かち合った友人でもあるのだ。

バラの花がいつまでも愛されるように、シャンソンも永遠である。その要素である美しさ、優しさ、そして希望が永遠なのだから。

イヴ・モンタン

この素敵なお言葉はモンタンが残されたもの。「シャンソン・フランセーズ その栄光と知られざる歴史」(著:ピエール・サカ/序文:イヴ・モンタン/監修・訳:永瀧達治)より引用させて頂きました。

★私はどういう訳か、洋楽が好きになり最初は英国のロックやポップスに夢中になっていた。体が弱くなかなか子供が産まれなかったという母が私を産んでくださった。当時では高齢出産という時期のこと。なので、私の両親と私の世代は大きく違っていた。けれど、そのことがいつの間にか私には学びとなってゆき今に至り継続中。映画好きの両親と一緒に古い映画をよく観た。お陰で私は同世代の作品と古い映画を平行して愛好するようになった。音楽も同じように、無意識のうちに、あるいは運命的な出会いのようなレコードたちを聴き続けている。それらに国境はない。アイドルやポップ・ミュージックも大好き!

文学も同じようにフランス文学が特に好きらしい。けれど、英国文学やドイツ文学に大好きな作家が幾人も。国籍や言語をあまり意識しているつもりはないけれど、何故だか「シャンソン・フランセーズ」は相性が良いのか心が安堵する楽曲が多い。母の持っていた古いレコードをなんとなく聴いていた頃から、意識的に自分でも購入するようになったのは80年代の初め。ヨーロッパのニュー・ウェイヴの音楽を聴きながら。リオやヴァネッサ・パラディ、シャルロット・ゲンズブールやエルザ、ミレーヌ・ファルメールやパトリシア・カースたちが大好きで聴き入っていた頃。ブリジット・フォンテーヌ、バルバラ、フランソワーズ・アルディは既にキャリアの長い方々であった。英国のマリアンヌ・フェイスフル、ドイツ人だけれど無国籍な佇まいの孤高のニコも同じく。

イヴ・モンタン!本当に素敵で大好き。俳優だと想っていたのに、歌手としても偉大なお方だと知ったのもそんな頃。初めて観た映画は『戒厳令』。政治映画でとてもシリアスな作品から知った。劇中の苦悩する渋い表情に魅せられた。そして、今でも「好きな男優」の指折りに必ず入るお方。モンタンの出演作品は結構観ることができている。作品によって様々なモンタンの魅力がある。晩年のモンタンも大好き!額の皺や白くなった髪は長い芸能生活、「イヴ・モンタンの軌跡」である。両親と私が一緒に鑑賞したり、魅せられたお方のおひとり。なので、私のあの時、あの頃が共に蘇るのである。そして、愛する両親との想い出も。みんな、もうこの世に居られないけれど、私の心の中にはずっと、いつまでも。
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by claranomori | 2010-01-20 10:55 | シャンソン・抒情と悲調の浪漫
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1991年のベルギー映画『トト・ザ・ヒーロー』が大好き!この映画は不思議なファンタジー映画。監督はジャコ・ヴァン・ドルマル。劇中で効果的にこの『ブン』が使われている。この映画のことは以前少し触れています。此方では本家のシャルル・トレネの古い映像がありましたので掲載させて頂きます。

1938年のシャルル・トレネによる作詞・作曲。同年、映画『輝ける道』(ピエール・カロン監督)の中でご本人が歌われているのだそうですが未見です。"チク、タク、チク、チク”や”ピク、パク、ピク、ピク”、そして”ブ、ブン!”と僕らの心が鳴る。この擬音語と軽快なリズム、愉快な歌声が好きです。「シャンソン」にも色々な名曲が沢山ありますが、このようなファンタジックなシャンソンも魅力のひとつです。

モノクロの美しい舞台で心和みます。優美な時代に夢を馳せて♪



シャルル・トレネ:CHARLES TRENET  
1913年5月18日生まれ 没年:2001年2月19日

★第二次世界大戦前から戦後にかけて活躍され、多くの名曲を残された「シャンソン」というと欠かせないお方のおひとり。私の個人的な好みですが、幾つものお写真を眺めていると、その朗らかなクルクルした瞳の輝きが好きです。「シャンソン・ファンテジスト」の代表的なお方でもあります。あと、帽子姿が多いです。

ベスト盤などに必ずと云ってよい程、収録される名曲に1937年から1938年録音ものが多く、「喜びあり(Y A D'LA JOIE)」「青い花(FLEUR BLEUE)」「王様のポルカ(LA POLKA DU ROI」「ラ・メール(LA MER)」「メニルモンタン(MENILMONTANT)」「ブン!(BOUM)」「私はうたう(JE CHANTE)」...と大変な時期です。その後も「残されし恋には(QUE RESTE-T-IL DE NOS AMOURS)」「詩人の魂(L'AME DES POETE)」他多くの名曲があります。

幼少時から曲を書いていたそうですが、15歳頃にドイツ(ベルリン)に留学されています。美術の勉強をされており絵を描いてもいたそうですが、その道ではなく歌の世界でチャンス到来!そのきっかけとなるお方にマックス・ジャコブとの出会いや映画があります。シャルル・トレネとしての前に「シャルルとジョニー」というコンビで活動されていました。同年代のジョニー・エスというスイス出身のお方と。

けれど、戦争という時代もあります。兵役中にも曲を書いていたそうです。『歌う狂人』とも呼ばれる由来は、その在隊中に軍服とも平服とも云えぬ奇妙な格好で町に出向いて歌っていたのを、楽譜出版社のラウル・ブルトンが見初めたことによるものだそうです。愉快なお方です。

そして、モーリス・シュヴァリエやジャン・コクトーの存在も欠かせません。「メニルモンタン」はシュヴァリエに捧げられた曲です。

初期のおおまかな軌跡です。

※去年綴ったものです。私は「シャンソン・フランセーズ」という大きな枠組みでの音楽がやはり好きです。そして、音楽と同等に大好きな映画や文学との繋がりが強い曲が数多くあります。それらはフランスに限りません。音楽と映画が対を成して私の心に刻まれている曲たちのことも、気ままに綴ってゆこうと思います♪
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by claranomori | 2010-01-20 09:55 | シャンソン・抒情と悲調の浪漫
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★パリと東京を中心に活動されている写真家のMIKA POSA(ミカ・ポサ)さんの卓上カレンダー。上の少女たちはその中の特にお気に入りの少女たち。いつものことだけれど、年末をバタバタと過ごしている私のことなので、”きっと、買う時間がないだろう”というお優しいお友達から頂き今年を共に過ごしたもの。もうすぐ今年も終わりだなぁ...と想うと少し寂しい。このカレンダーは来年になると私の頂いたもの箱に保存させて頂きます♪

上の少女たちのお写真にちょっとした文が添えられている。その言葉も好きなものから選んだように想う。上から順に(1月~3月~5月~12月)。

●お菓子があると笑顔になっちゃう。
●これから、春をみつけにおでかけするの。
●ベリーの森は、あまい香りでいっぱいなの。
●雪といっしょに、すてきなことがふってきますように。

ああ、可愛過ぎて涙が出ます。おんぼろのパソコンの調子が悪いので配置を変えたばかり。それでなくても環境に馴染めない私。今までと違う場所に色んなものも移動してウロウロしたり、機械音痴のくせに配線をいじったりして音が出なくなり元に戻せず落ち込んでいたり。こうして時間は過ぎ行く。けれど、今日を生き、明日を生きるために、優美なもの、美しいものたちを大切に自分の歩幅で歩いてゆこうと想うのです。
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by claranomori | 2009-12-19 03:42 | 写真の中の少女・夢の時間
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★思春期・青春期を過ごしました80年代はやはりとても思い出深いものです。一人で小さな映画館に通うようになった頃に観たもの(リバイバルも多かったです)は、年月を経たのでまた観直したいと思うのです。とりあえずこの3作品の画像を(80’sフランス映画の3本立てみたいですが)再見してから今の想いを綴っておきたい場所ですので、予定が変更(映画以外の記事も予定がいっぱい)するかもしれませんが宜しくお願いいたします♪
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by claranomori | 2009-09-17 08:26 | 銀幕の少女たち・少女映画
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★『シャンソンの悲劇女優』と謳われたシャンソン歌手のダミア(本名はマリー・ルイーズ・ダミアン)。映画にもなった『暗い日曜日』や『人の気も知らないで』も大好きだけれど、この『かもめ』は寺山修司や浅川マキの世界と共に私の心に浸透し続けている曲。悲哀のドラマが3分弱のシャンソンの中にある。どこの海だか分からないけれど、遠い異国の知らない時代。でもその海は今も存在するだろう。海で死にゆく船乗りたちの魂とかもめが対になる。死にゆく船乗りたちの声であるかのように、暗い空の下を飛び回りながら信心深い魂を集め悲しい声で啼いている...物悲しくも美しい!こんな悲哀がたまらなく好きで仕方がない。ダミアが歌ったことで有名になったけれど、オリジナルは1905年のリュシアン・ボワイエ(お美しいリュシエンヌ・ボワイエというシャンソン歌手と名が似ています)。英国で舞台出演をした後にフランスに帰国し、1911年頃から歌い始め40年余り歌手として活動されたという、シャンソン・レアリストの代表的なお方。黒い衣装に身を包み暗いステージにはスポットライトのみだったという。また、第二次世界大戦という時代背景もとても重要。先述のジャン・ドラノワ監督の『ノートル=ダム・ド・パリ』にも出演されていたけれど、シャンソンとフランス映画の絆はとても深いもの。このカテゴリーはまだまだゆっくり続く予定です♪


海で死にゆく船乗りたちは
苦い海の底に投げ込まれる
まるで石のように、
不信心なキリスト教徒たちと共に
天国へはゆかないのだ
天使長聖ピエールに会うことなどはできないのだ

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※このお写真は白いドレス姿ですが、一時期黒いお衣装から変えた時期があったそうです。でも、黒いドレスにまた戻されたとのことです。暗いイメージの曲のダミアですが、軽やかなシャンソンもあります♪
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by claranomori | 2009-07-18 22:51 | シャンソン・抒情と悲調の浪漫
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★この絵は1854年、オルレアンでのジャンヌ・ダルク記念祭で初めて公開されたという、ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル(Jean Auguste Dominique Ingres)による有名なもの。そして、オルレアンの乙女が聞いた、「王太子シャルルを戴冠させてフランス王位につけよ」という天の声を、深い信仰心故に、その神のお告げに従い軍隊を率いて、かなりの劣勢であったにもかかわらず見事にオルレアンを解放し、それのみならず「ランス大聖堂でのシャルル7世の戴冠式を行った」のである!輝かしきジャンヌ・ダルクの栄光の瞬間を絵にしたものを眺めては、その勇敢なお姿や崇高さと共に浮かぶ哀しみが付き纏うのだけれど。

17歳の少女がフランスを救うために神のお告げによってやって来たというお話をシャルル7世と初めて会った時には信じてはもらえず、査問会が開かれた。シノンのお城での初めての王との会見は1429年2月、オルレアンの解放は同年の5月、そして、戴冠式が7月である!フランスとイングランドの100年戦争。この時期のフランスは明らかに絶望的な状況であったとされている。当時のフランスの武将たちはオルレアンの解放を機に、ノルマンディ攻撃の続行を望んでいた。戦争の最中、戴冠式よりも敵を倒すという武将たちの主張は真っ当な気もするけれど、ジャンヌはひとり強靭にも反抗し続け、ランスの進撃を決行させてしまう。天晴れである!この辺りから、色々と読み漁り私の頭の中は未だに愉快な歴史模様に混乱させられ続けているのだけれど、ジャンヌの、オルレアンの乙女の使命は見事に果たされたのだ。ランス大聖堂でシャルル7世の戴冠式が行われるということの使命、そして、その歴史的事実の持つ意味は大きい。敵国イングランドに与えた打撃のみならず、驚くべきことに敵はシャルル7世の実母である王妃イザボー・ド・バヴィエールでもあったというのだから!僅か14歳でフランス王シャルル6世の妃となったお方である。フランスの歴史の中でも悪名高き女性でもある。なかなか愛らしい容姿の少女であったようだけれど、心の中はかなりの野心を持つ異常としか思えないことがらを行い続けた恐ろしい女性であった。息子を殺害する企てまでしていたという。ジャンヌ・ダルクはそのフランス王妃の策略を見事に打ち砕いたのでもある。王妃イザボー・ド・バヴィエールは、娘カトリーヌ王女をイギリス王ヘンリー5世の妻として、いわば娘とフランス全土を献上するという1420年のトロワの和議を結ぶ。結局のところ、王妃は自身がイギリスとフランスの両国を支配しようというものだったのだろう。この辺りはシェイクスピアの『ヘンリー五世』でも描かれている。しかし、ヘンリー5世、シャルル6世もこの和議の2年後に死去される。そこでイギリスは生まれて1歳にもならない王子ヘンリーを、そして、王太子シャルルも我こそが正統な継承者であると宣言した。当時のフランスにおいて二人の国王を名乗る者が存在した。そんな状況に登場したのがジャンヌ・ダルクであった。この絵のジャンヌには神に選ばれし者の円光が見られる。ジャンヌの後ろで本を読むフランチェスコ派の修道僧、手を合わせる従者、そして、剣を杖にした馬丁の姿。このお方はこの絵を描いた御本人であるアングルだそうだ。自らもこの輝かしき祭儀に参列したかったのであろう。

しかし、この戴冠式から1年も経たないうちにジャンヌは捕らえられ裁判にかけられる。そして火刑台へ...。ジャンヌの鎧の前の銘文板には「その火刑台は、天上の王座と変わった」と書かれているという。当時、まだ”魔女”という概念よりも”異端者”としてジャンヌは刑に処された。当時は土葬が通常の時代に火刑、そしてその灰は土に返ることも許されずにセーヌ川に撒かれたという苛酷な最期。しかし、1900年代になり、ジャンヌ・ダルクは”聖人”とされた...純粋で勇敢な少女はイギリスまでも救ったとも言われるに今は至る。異端者としてのジャンヌは当時女性が男装することは禁じられていた。けれど、その処刑には野望を打ち砕かれた王妃イザボーがイギリスの摂政ベッドフォード公にジャンヌの処刑の要請を手紙にしてまで送っていたという。ルーアンの広場で20歳にもならない少女ジャンヌの命は苦しい火炎の中で燃え尽きてしまったのである。
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by claranomori | 2009-06-09 11:27 | 少女イコン・不滅の少女
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★ああ!胸高鳴る。哀しくも聖なる少女”ジャンヌ・ダルク”あるいは”オルレアンの乙女”のことを想うだけで。いつの間にかこの”ジャンヌ・ダルク”という勇敢な17歳の少女の名を知り、気がつけばすっかり私の中の重要なキーワードのように組み込まれてしまっているのだった。映画でジャンヌ・ダルクを演じたもの、フランスとイングランドの100年戦争、その時代背景や絡み合う人間絵巻などをあれこれ観たり読んだりすることが好き。実在の人物で最古の私にとっての”少女イコン”あるいは”聖なる少女”はこの”ジャンヌ・ダルク”なのだ。まだまだ興味は尽きないけれど、整理してゆくためにも別に「ジャンヌ・ダルク」のカテゴリーを設け、続けてみます♪
※上の彫像はフランソワ・リュード(François Rude)によるジャンヌ像。
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by claranomori | 2009-06-07 10:45 | 少女イコン・不滅の少女