あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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by Claranomori | 2015-07-13 05:28 | わが麗しの夢幻音楽の旅
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by Claranomori | 2015-07-07 21:31 | わが麗しの夢幻音楽の旅
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「ガラスの城★私の王国あるいは夢幻の青い花」 にコレクション投稿いたしました。

 ずっと大好きなシャルロット・ゲンズブールの22歳の頃のもの。撮影はフランスのフォトグラファーで革命児とも称されるジャン=バプティスト・モンディーノによるものです。少女から大人へという時期のシャルロット。シャルロットって父セルジュ・ゲンスブールと母ジェーン・バーキンの良い要素を一身に受け継いでいるように思えてなりません。「それは贔屓目だよ~」って?笑われたりもするのですが好きなシャルロットを喜んで大いに贔屓しています。私の永遠の少女イコンのお一人です☆

  たとえば、昔持っていたイノセンスをなくしてしまった気がするの・・・・・。
自分の中の好きなところ、好きじゃないところを、自分ですごく意識するようになってしまった。前はそんなこと気にしてなかったのに
シャルロット・ゲンズブール
 
 5年前は一言もしゃべれなかったというシャルロットが、最近は楔がはずれて自由になったみたい、だとも語っていました。このインタビューの頃の最新出演作は、イアン・マキュアンの1978年の小説『セメント・ガーデン』を、アンドリュー・バーキンが脚本・監督し映画化したもので、以前綴りました『セメント・ガーデン ルナティック・ラブ:禁断の姉弟』でした。


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by Claranomori | 2015-06-18 05:59 | 少女イコン・不滅の少女
60年代以来、我が国でも熱狂的なファンを育ててきたフレンチ・ポップ。その勃興期から、70年代~2000年代以降までを幅広く見渡した本格的なディスク・ガイドがいよいよ登場!! 

書籍
~ ディスク・コレクション ~
『フレンチ・ポップ』
監修:佐藤篁之
A5判/192頁/本体価格2,200円+税
12月下旬発売予定が1月31日発売になりました。
出版社:シンコーミュージック
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時代を作ったトップ・スター達を筆頭に、ロリータ・ポップ、フォーク、ディスコ、テクノ・ポップなど、多岐にわたるスタイルを網羅。また、「リテレール(詩的)」「レアリスト(現実派)」「サンティマン(感傷派)」「ファンテジスト(夢想的)」「アーティスティック(感覚的)」「アヴァンセ(新規・革新)」といった傾向別の項目を設け、各人の魅力をわかりやすく掘り下げていきます。

掲載アーティストの一部:シルヴィ・バルタン/フランソワーズ・アルディ/フランス・ギャル/ミッシェル・ポルナレフ/セルジュ・ゲンスブール/ジェーン・バーキン/ジョニー・アリディ/クロード・フランソワ/ジャック・デュトロン/ルノー/ピエール・バルー/レ・リタ・ミツコ/ブリジット・フォンテーヌ 他

★全ページ・カラーで合計500枚のアルバムが掲載されています。
まだ完成したものを拝見していないのですが、
ライターの先輩方が選ばれた作品や紹介文もとっても楽しみです。

若輩者の私CHOUCHOUも1/4程担当させて頂きました。
好きで聴き続けて来て良かったとご縁に感謝しております。
この喜ばしき機会に恵まれ、多くの発見がありました。
日々、学びを痛感しながら、好きな世界をこれからも私なりに追求してゆきたいと思います。

2015年の2月、3月とVelvet Moon関連のイベントもございます。
決定次第、詳細等を随時お知らせさせて頂きます。

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『フレンチ・ポップス愛好館』 を始めましたので、お気軽にコメントなど頂けると嬉しいです。夏から初秋にかけ、原稿に取り組んでおりましたので、更新が進んでおりませんでしたが、ようやく落ち着きました。これからは此方の『クララの森・少女愛惜』を主軸にしながら、『フレンチ・ポップ愛好館』では、好きなフランスの音楽のこと(フレンチ絡みのボウイのことなども交え)気ままに綴ってゆきたいと思います。

今年も間もなく終わり新年を迎えます。
☆今後とも、どうぞよろしくお願いいたします☆

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by Claranomori | 2014-12-29 17:57 | 耽美派少女の愛した音楽たち
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★アニエス・ヴァルダ監督の『冬の旅 (さすらう女)』(1985年)。原題は「屋根も無く、法も無く」あるいは「ヴァガボンド」。美しく詩的な映像で始まる寒い冬の南仏の木々。アニエス・ヴァルダ監督のナレーションが聞こえる。その中で、少女モナは”海からやって来たのかもしれない”と。凍てつく寒さの中、海で泳いでいる。この18歳の少女の死を映し出し、彼女に出会った人々の証言たちが。彼等はモナが死んだ事を知らずに語ってゆく。初めて観た折の私は正直モナを好きになれなかった。ヴァルダの作品はそれでも美しく、また、モナの何かが私に記憶され続けていた。年月を経て、今想う事はモナの反抗、自由、孤独の中に見る崇高さのようなものに憧れるのだろうか。イデオロギーに反発するのでもなく、モナは失うものを持っていない。それは孤独と表裏一体。「孤独」や「自由」って何だろう...人は誰もが孤独ではないか。でも、モナの孤独は死を持って崇高さを獲得したようにも想う。私は「自由」というものを真剣に求めたことなどない。育った環境や教育、モナの年の頃はバブルな時代を過ごしていた。また、私は「失いたくないものがある」。それ故に、社会との鬩ぎ合いの中でバランスを保ちながらどうにかこうにか生きている。ちっぽけな私の愛する王国のために。人生は苛酷なものであるという前提にそれでも、空を見上げることを忘れたくはないと。蒼い幻想...。

アニエス・ヴァルダは戦中、戦後、60年代という、激動の時代を体験して来たお方。この映画の中でプラタナスは重要。アメリカからやって来た菌に侵されたプラタナスは、後30年で朽ちてしまうという(ドアーズの音楽が使われている)。それを放っておいてはいけないと研究している独身の女性教授ランディエ。証言の中で、彼女はモナを置き去りにしたことを後悔し、助手にモナを探して連れ戻すように依頼している。しかし、終盤、助手はモナを駅の構内で見つけるけれど、ランディエ教授には見つけたと言わなかった。彼は当初からモナの汚れた髪や衣服、悪臭を敬遠していた。教授は寛容で「もう慣れたわ」と語っていた。私もモナと知り合えたら慣れていただろうか。毎日幾度も手を洗う癖のある私がモナの垢だらけの指を我慢できただろうか(これは、単なる私の病理的なことに過ぎないのだけれど)。複雑な想いが巡る中、それでもこのモナは光の少女として映る。美しいとも想う、このアンビバレントな気持ちは何だろう。きっと、私には持ち合わせていない「自由」を持つ少女が羨ましいのかもしれない。

それにしても、ヴァルダというお方は強靭だ。純粋無垢な少女として敢えて描いてはいない。モナは行きずりの男性と共に過ごすし、少女の汚れた爪を映し出す。女性監督ならではの感性、と言っても様々なのだと幾人かの女性監督が浮かぶ。私は映画を娯楽として愉しみ、また、多くのことを学び思考を強いられ苦しくなることもある。この作品はそんな一つ。サンドリーヌ・ボネールは撮影当時このモナと同い年位。素晴らしい女優さま!

モナは旅を選んだ。路上には、日常的な暴力があり、飢えと渇き、恐怖、そして寒さがある。彼女はそれを生き凌ぎ、何事が起ころうと、誰に出会おうとも意に介さない。私自身、彼女にひどくぞんざいにされた。が、それだけいっそう、彼女の孤独に胸をうたれる。

アニエス・ヴァルダ

このお言葉にあるラスト「私自身、彼女にひどくぞんざいにされた。が、それだけいっそう、彼女の孤独に胸をうたれる。」を読み、私は涙に溢れた。救われた気がしたのです。上手く心を綴れないけれど...。
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【あらすじ】 少女がひとり、行き倒れて寒さで死んだ。誰に知られる事もなく共同墓地に葬られた少女モナ。彼女が誰であったのか、それは彼女が死ぬ前の数週間に彼女と出会った人々の証言を聞くほかなかった。また、証言でわかるものでもない。少女の名はモナ(サンドリーヌ・ボネール)、18歳。寝袋とテントを担いでヒッチハイクをしながらのあてどのない旅。時折、知り合った若者と宿を共にしたり、農場にしばらく棲みついたりすることはあったものの、所詮行きずりの人々にモナがその内面を垣間見せることは滅多になく、また何処ともなく消えてゆくのが習いだった。ある時、プラタナスの病気を研究している女性教授ランディエ(マーシャ・メリル)がモナのことを拾う。ぽつりぽつりと自らのことを語るモナ。ランディエも彼女に憐れみを覚えるが、結局どうすることもできず、食料を与えて置き去りにする。モナは森の中で浮浪者に犯された。またしても放浪の旅を続けるモナはついにはテムの街で浮浪者のロベールたちと知り合い、すっかり荒んだ様子になってしまった。そしてそこへ、前にモナと空き家の別荘で暮らしていたユダヤ人青年ダヴィッド(パトリック・レプシンスキ)がやってきて、マリファナの取引きのことでロベールといさかいになってモナの住んでいたアジトは火に包まれてしまう。すっかり薄汚れて再び路上に戻ったモナはパンを求めて近くの村に赴くが、今しもそこはブドウ酒の澱かけ祭のさなか。何も知らないモナは彼女に澱をかけようとする屈強の男たちに追われ、恐怖に顔をひきつらせ、そのまま力尽きて路傍に倒れ込む。

冬の旅 / SANS TOIT NI LOI
1985年・フランス映画
監督・脚本:アニエス・ヴァルダ 
撮影:パトリック・ブロシェ 音楽:ジョアンナ・ブルゾヴィッチ 
出演:サンドリーヌ・ボネール、マーシャ・メリル、ステファン・フレイス、
ヨランド・モロー、パトリック・レプシンスキー、マルト・ジャルニアス

関連:いつまでも大好き!★カトリーヌ・ランジェ:CATHERINE RINGER(レ・リタ・ミツコ:LES RITA MITSOUKO)♪

※この『冬の旅』は2009年に綴ったものに画像追加いたしました。
以前の映画雑記を少しずつ整理しています♪
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by claranomori | 2013-03-24 15:54 | 銀幕の少女たち・少女映画
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★「なぜ?」と問いながら生きてゆく。それが人生なのだと想いながら、ふと懐かしいフランス映画が脳裡に蘇り、深夜観返していました。多分3度目ですが、前回観た折は超平和ボケの頃で、ただただ少年同士の友情や別れに号泣するばかりでした。けれど、今回は細部の台詞や時代背景などを注意しながら観ることが出来、戦中戦後、現在の日本の状況とも重なり合う部分が多々あることに気づき想いもさらに。

前々から、フランスに親近感を抱いているのですが、そんなお話を友人にすると、私が長年フランス贔屓なので日本との親和性を見つける脳になっているのでは、という愉快な会話。自分でもそうかもね...と想うので、出来るだけ冷静に鑑賞してゆきたいです。けれど、やはりシンパシーを抱きます!フランスは戦勝国ながらドイツ、ナチス占領下にありました。日本は敗戦後GHQ占領下にありました。お国柄も人種も異なりますが、この『サンドイッチの年』の中で描かれる幾多の共通項故に。主人公はヴィクトール少年(演じるトマ・ラングマンはクロード・ベリの息子さん)と彼を雇い面倒をみてくれるマックス小父さんとも云えます。共にポーランド系ユダヤ人で家族を失っています。マックスはクズ屋(字幕に依る)を営んでいるけれど、戦後のどさくさで闇市商売をしている人々、GI(アメリカ)、フランスのキリスト教者たちに対して距離を置いて生活している、やや頑固な小父さん。近隣の人々が戦後すっかりGI及びアメリカ製、英語、米国という異国に憧れを抱いている様子とは対照的なユダヤ系フランス人で、ユダヤ人としての誇りを強く持ち続けて生きているのですが、異教である十字を切ることも出来る。
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日本ではユダヤ人ということでの排他的気運からは離れて来たものの、イラン、イラク、イスラエル、パレスチナへの姿勢はアメリカに倣え。朝鮮戦争もあり二つに分かれた韓国と北朝鮮との関係もねじれたまま、根本的な問題を棚上げにしながら混沌化。白洲次郎氏の「アメリカは食料だけはくれた」というような記述を読んだ事があります。日本を奴隷制度にしなかったアメリカは、嘗てのフランスやイギリスのアジア諸国で強いていた植民地制度とは異なり良かったと想います。今想うのはやはり異国、異教徒の人々との共生は言葉では「お互い寛容に」と想いながらも、そんな言葉も薄っぺらいものに過ぎず、分からないものは分からない。けれど、異なる国家や文化に対してお互いが理解を示そうと歩み寄る対話は拒絶してはならないように想うのです。それらを戦後日本はお金で解決しようとばかりして来たのではないでしょうか。故に、隣国(中国、北朝鮮、韓国、ロシアと地政学的に大変ピンチな状況!)との摩擦が生じたまま解決策も見いだせないまま今日に至るような。

陽がまた昇る限り いい日も来る。
今年のような年は、ハムの薄切れのようなものだ。
2枚の厚いパンの間にはさまって、つまり、サンドイッチの年だ。
そういう時はよく噛みしめなきゃならん。
カラシが一杯で涙が出ても 全部食べなきゃならんのだ。
全部だ、いいな。

このように終盤、ヴィクトールにマックスが語ります。ここで込み上げてくるように涙が溢れました。嗚呼、美しくも儚く過ぎゆくけれど、決して失われはしない10代の風景!兎に角、再確認できた事の一つはマックス役のヴォイチェフ・プショニャックはやはり素晴らしい俳優だ、という事です。ポーランド(現在はウクライナ)出身の、アンジェイ・ワイダ監督作品に欠かせないお方であり、大好きな『コルチャック先生』でヤヌシュ・コルチャックを演じていたお方です。歳を重ねる毎にアンジェイ・ワイダ監督や石原慎太郎氏が好きになってゆく私ですが、色々と合点!因みに、この主人公のヴィクトールの年齢は15歳(石原慎太郎、浅利慶太、大島渚は皆ヴィクトール少年と同年齢)。この『サンドイッチの年』での舞台となる年は1947年7月~8月。第二次世界大戦中と戦後を、サンドイッチの年として現体験している世代の方々なのです。これは逃れようのない運命とは云え、その体験から来る想いは書物で詰め込んだ歴史観、国家観よりもずっしりと重く響くようです。日本を想い社会と共闘して来た先輩方にイデオロギーや思想の差異はあれど、私の世代などには希薄な何か連帯、仲間という意識が強く心に刻まれているのだと想え、憧憬のような気持ちも抱きます☆

サンドイッチの年 / LES ANNEES SANDWICHES
1988年・フランス映画
監督:ピエール・ブートロン
製作:フィリップ・デュサール
原作:セルジュ・レンツ 脚本:ピエール・ブートロン、ジャン=クロード・グルンベルグ
撮影:ドミニク・ブラバン 音楽:ロマン・ロマネッリ
出演:トマ・ラングマン、ニコラ・ジロディ、ヴォイチェフ・プショニャック、ミシェル・オーモン、クロヴィス・コルニアック、フランソワ・ペロー

【あらすじ】 1947年7月、15歳の少年ヴィクトール(トマ・ラングマン)は、両親がナチスに連れ去られて以来、初めてパリに戻ってきた。地理に不案内な彼は地下鉄構内で、伯父さんの仕事を手伝うためにパリに到着したばかりの金持ちの息子フェリックス(ニコラ・ジロディ)と出会い、すっかり意気投合する。彼の案内でかつて住んでいたアパートを訪ねるヴィクトールであったがそこにはもう彼の知る人は誰も住んでいなかった。途方にくれて街を彷徨い歩いているうちに古物商の戸に貼られた求人広告を見つけ、行く宛のない彼は店主のマックス(ヴォイツェフ・プショニャック)に雇ってくれるように頼み込み、やがて屋根裏部屋に住み込みで店の手伝いをする事になったヴィクトールは、おこりんぼで皮肉屋、一筋縄ではゆかない偏屈者、しかしユーモラスで傍若無人の頭の裏には温かい心が隠されている複雑な人柄をもつマックスにあたふたと振り回される日々と、親友フェリックスとの心躍る出来事に満ちた楽しい休日の中で生活してゆくことになる。ところがそんな時に、闇取引をしている少年ブブル(クローヴィス・コルニヤック)と接し、その取引の場に首を突っ込むことになった二人は、予期せぬ事件からフェリックスが大怪我をうけたことにより、彼の家族から交際を禁じられてしまう。すっかり落ち込んでしまうヴィクトールに、マックスは静かに穏やかに、そして優しく温かく彼をなぐさめるのだった。だれの人生にも“サンドイッチの年”がある。人生の中で最も中味の濃い時期、噛めば噛むほどに味わい深くなる人生のちょうどつなぎの年、ヴィクトールにとって今がその“サンドイッチの年”なのだ、と……。(参照:MovieWalkerより)
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by claranomori | 2013-03-21 10:36 | 銀幕の美少年・少年映画
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★エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(Elisabeth-Louise Vigee-LeBrun:1755年4月16日~1842年3月30日)は18世紀後期ロココを代表する女流画家。同じく画家であった父親ルイ・ヴィジェとは15歳の折に死別。10代の頃から画家の才能を認められ母親と弟を養っていたという。画家で画商のジャン=バティスト=ピエール・ルブランと結婚後、ますます宮廷画家としても多くの貴族の肖像画を描く。マリー・アントワネットにヴェルサイユ宮殿に招かれ王妃や家族の肖像画も多数描かれた。マリー・アントワネットとエリザベート・ヴィジェ=ルブランの友情関係も築かれていったとされるけれど、フランス革命が起こってからはフランスから逃れ、ヨーロッパを転々とされた。

上の自画像はやはりエリザベート・ヴィジェ=ルブランの代表作のひとつだと思いますが、1790年のフィレンツェでの製作とあります。下の愛らしい瞳の大きな娘さんとの母子像が1786年とのことですので、この小さな少女はまだ3歳か4歳という頃です。王妃の身を案じながら、小さな一人娘を抱え、いったいどのような心でフランス革命の最中、この典雅な面持ちの画を維持できたのだろう。生涯画家として多くの作品を残され、王政復古した祖国フランス、ルイ18世に手厚く迎えられ安住の地となる。けれど、夫や成長する娘の素行は良くなく、家庭的には決して幸福なものではなかったという。

「ここで、ついに、私は休みます…」と刻まれた墓碑銘。画家として激動のフランス、ヨーロッパの中で生き抜いた86歳のエリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランの壮絶な時代との生涯と、柔和で優雅な微笑みの肖像画の数々ゆえに、鑑賞者の私に与えてくださるものは言葉を超える☆
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by claranomori | 2012-07-15 22:10 | 絵画の中の少女・女性たち
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★7月14日は「パリ祭」或いは「パリまつり」と呼ばれている日。けれどこの呼称は日本でのことで、本国フランスでは「建国記念日」であるけれど、あのバスティーユ襲撃の日であること、そして、フランス革命という世界史に於いてもたいへんな劇的な転換をもたらした大事件だと思います。「自由・平等・友愛」をスローガンに人間の尊い自由なる精神を得る大偉業でもあり、また多くの犠牲、血なまぐさい恐怖政治という時代をも経なければならなかった、フランスの歴史、およそ100年近くのこのフランス革命には今も複雑な想いで揺れ動きます。

まだ幼い時に、池田理代子作の『ベルサイユのばら』が大好評となった頃。私がその作品を知ったのは、母に連れられて行った宝塚歌劇団の『ベルサイユのばら』が最初でどんなお話かも知らないし、タカラヅカのこともその時まで知らなかった。母にはとても感謝しています。今でも浮かぶのはラストシーンのマリー・アントワネットのお姿と「マリー・アントワネットは、フランスの女王なのですから」という台詞が焼きついています。あのタカラヅカの煌びやかな夢のような雰囲気に圧倒されていたのだと想うのですが、死にゆく王妃の気高き心が子供の私に何かを与えてくださったのだと想います。そして後にアニメ版、そして原作という順で作品に親しみました。

以前、ジャン・コクトーのマリー・アントワネットについての言葉に触れましたが、やはり「マリー・アントワネットについて考えるとき、首を斬られるということは、極端な悲劇的な意味をおびる」のです。僅か14歳でフランス王妃となり39歳の若さでギロチン(ギヨチーヌ)刑という生涯。フランス革命に限らず、歴史的な大事件は多角的に見たり考えたりすると、正と悪という短絡的な感情では収まらないものなのでしょう。フランスの文化が好きなのですが、「パリ祭」の日には華やぐ気分にはなれないのです。フランス革命の歌『ラ・マルセイエーズ』は、自由と解放の歌のように愛唱されている有名なフランス国歌でもありますが、歌詞はとても血なまぐさいものです。

起てや祖国の 健児らよ、 栄えある日こそ 来たるなれ、
われに刃向う 暴虐の、 血染めの旗ぞ 翻る、
君よ聞かずや 野に山に、 敵兵どもの 吠えるのを、
わが同胞を 殺さんと、 奴らはわれに 迫り来る、
いざ武器を取れ 市民たち! 隊伍を汲めや いざ行かん!
敵の汚れし 血潮もて、 わが田の畝を 潤さん。

このフランス革命歌、フランス国歌の軽やかなリズムゆえに、高らかに謳う陰に、貴族やデモクラシーに反対する人々(当時の体制派、保守派)は敵であり、アリストクラートと呼ばれた。1792年の夏に、『ラ・マルセイエーズ』はパリに集まって来た義勇兵たちが高唱したもので、フランス国民の統一と団結を謳うもの。けれど、もう一方では同じフランス人の多くの人々のギロチン(ギヨチーヌ)という悲劇は、尊い自由の代償として深く傷痕を残しているようです。けれど、フランスは長い複雑な歴史を国内からあらゆる視点で描く人々がいる。フランスに限らず先進国、大国と呼ばれる成熟した国ならそうでしょう。日本はいつの間にか、フランス国歌よりもずっと穏やかで美しい和歌「古今和歌集」を基とした『君が代』という国歌がありながら、合唱する機会は稀であるという状況。間もなくロンドン・オリンピックが開幕される。日本の選手が金メダルを獲得する折、あの場面すら放送されない局もあるのだろうか、と想うと何故?!と疑問は歳を重ねるほどに強く深くなっています。そんな諸々を想起していました♪
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by claranomori | 2012-07-14 23:56 | 想い・鑑賞・読書メモ
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★アルトゥル・シュニッツラー(Arthur Schnitzler:1862年5月15日~1931年10月21日)は、オーストリアの小説家、劇作家であり医者でもある。その医者であったことが作品中で恋愛、愛欲の心理と分析の描写、繊細でメランコリックなウィーン世紀末とデカダン的な憂愁の美が漂うように想います。新ロマン主義作家と位置づけされてもいます。
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アルトゥル・シュニッツラーの1900年の戯曲『輪舞』の映画化されたものを二つ観ています。どちらもフランス映画で、豪華かつ美麗な役者方が揃っています。随分前にテレビで観たのが最初で、回転木馬の場面がとても印象強く残ったものでした。どちらも愉しめますが1950年のマックス・オフュルス監督作品の方が1964年のロジェ・ヴァディム監督作品よりも好きです。でも、モノクロ映画とカラー映画、やはり共にスター揃いなので魅入ってしまいます。

タイトルの『輪舞』あるいは『ラ・ロンド』のように恋愛劇を対話風に描き、最初の娼婦と兵隊から最後の士官と娼婦と連鎖しながら10人の男女が結局は一回りするというもの。マックス・オフュルス監督版ではお話を繋ぐ狂言回し役をアントン・ウォルブルックが演じておりますが、ロジェ・ヴァディム版にはこの役はありません。その点でもやはり狂言回し役の存在するマックス・オフュルス版の方が好きだと想えます。アルトゥル・シュニッツラーのこの戯曲は当時公演中止になっています。不道徳だということだったのでしょう。時代が移り変わり男女の恋愛模様も随分様変わり。シュニッツラーも戯曲中でやや皮肉を込めながらも軽妙にお話を進めてゆくようです。どうです、このダニエル・ダリューのお美しさ☆
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【配役】1950年マックス・オフュルス版
狂言回し:アントン・ウォルブルック
娼婦:シモーヌ・シニョレ
兵隊:セルジュ・レジアニ
小間使い:シモーヌ・シモン
若主人:ダニエル・ジェラン
人妻:ダニエル・ダリュー
夫:フェルナン・グラヴェ
売り子:オデット・ジョアイユー
詩人:ジャン=ルイ・バロー
女優:イザ・ミランダ
士官:ジェラール・フィリップ

輪舞/LA RONDE
1950年・フランス映画
監督:マックス・オフュルス
原作:アルトゥール・シュニッツラー 『輪舞』
脚本:マックス・オフュルス、ジャック・ナタンソン
撮影:クリスチャン・マトラ 音楽:オスカー・ストラウス
出演:ダニエラ・ジェラン、シモーヌ・シニョレ、ダニエル・ダリュー、アントン・ウォルブルック、セルジュ・レジアニ、ジャン=ルイ・バロー、イザ・ミランダ、ジェラール・フィリップ、シモーヌ・シモン、オデット・ジョワイユ

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【配役】1964年ロジェ・ヴァディム版
娼婦:マリー・デュボワ
兵隊:クロード・ジロー
小間使い:アンナ・カリーナ
若主人:ジャン=クロード・ブリアリ
人妻:ジェーン・フォンダ
夫:モーリス・ロネ
売り子:カトリーヌ・スパーク
詩人:ベルナール・ノエル
女優:フランシーヌ・ベルジュ
士官:ジャン・ソレル

輪舞/LA RONDE
1964年・フランス映画
監督:ロジェ・ヴァディム
原作:アルトゥール・シュニッツラー 『輪舞』
脚本:ジャン・アヌイ
撮影:アンリ・ドカエ 音楽:ミシェル・マーニュ
出演:マリー・デュボワ、ジェーン・フォンダ、ジャン=クロード・ブリアリ、アンナ・カリーナ、モーリス・ロネ、クロード・ジロー、カトリーヌ・スパーク、ベルナール・ノエル、フランシーヌ・ベルジェ、ジャン・ソレル、ヴァレリー・ラグランジェ、マリナ・ヴラディ


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by claranomori | 2012-03-17 23:01 | 文学と映画★文芸・史劇
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モンマルトルが好き。
ひびが入り、漆喰が剥げ落ちた壁には味があるじゃない。
建物の中から、今にもエディット・ピアフが出てきそう。
散歩していて、古い建物を見つけるとうれしくなる。
古いものに惹かれるから。
そして、この建物には、昔どんな人が住んでいたんだろう、
なんて想像するのは楽しいもの。
やっぱり、時間に磨かれたものには魅力があるわ。
だからアンティークはいい。
ここには、古い建物がいっぱい残っているから、
モンマルトルを散歩するだけで、わくわくしてくる。

フジ子・ヘミング 『我が心のパリ』 より

★フジ子・ヘミングのエッセイ『我が心のパリ』の中にはパリでの生活の様子が、素敵なお写真と言葉で綴られている。私は古きを訪ね其処から学ぶことが好きなので、年々今という時代とのズレを感じながらも、心のときめくものへと向かう。我が国日本の美、そしてやはり欧州の古い歴史、複雑な重い歴史を想うことが好きです。パリであれロンドンであれ、時に何百年も前の言葉や絵画に出会うことも多い。文明の変化はあれど、変わらぬもの、まったく古く感じない不思議な時間の往来がある。その中で、失いつつある、既に失われてしまったのかもしれない美に出会うと心が奮える。

雨の日が好き。白い花、特に百合が好き。
好きな時間は午後の四時。
夕陽がさしてきて、それがずっと消えるのがいい。

フジ子・ヘミングは1932年12月5日生まれなので今年80歳になられる。激動の時代、その人生ゆえに、言葉はより胸に響く。この『我が心のパリ』の中には好きな言葉がいっぱいで清々しい。世界的に活躍されるピアニストながら、日本での人気のブレイクは90年代以降。私も著作から知ったのです。読むと必ず私の心を代弁してくださる言葉がある。"よし、頑張ろう"という気持ちよりも、光と安らぎを得ながら、"ああ、人生は孤独であるがゆえに素晴らしいのだな"って。フジ子・ヘミングというお方のように強靭かつ自由な精神を私は持ち得ていないけれど、自由である為には孤独を引き受けなければならない。自由という言葉は陳腐にもなるけれど、本来は崇高で美しいものに想うのです。ただ、その代償は途轍もなく大きいとも。現実の悲惨さ、残酷さをこれでもかと。最近は「絆」という言葉さえ、何だか分からない。私は日本でこれからも生きてゆく。古き日本の歴史、文化、日本人の心、美徳というものを大切にして残された人生を共にしたいと、不思議の国或いは果てのないロマンの旅路を光と共に♪


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by Claranomori | 2012-03-15 22:11 | 詩人・作家・画家・芸術家