あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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★ポール・ガヴァルニ:PAUL GAVARNI(1804年1月13日~1866年11月23日)はフランス、パリ生まれの19世紀のイラストレーター。挿絵画家でもありますがカリカチュアの代表的なお一人です。あのフランス特有の風刺画は世相を反映しており毒も強いので、作品は好きなものとあまり好きでないものがあります。けれど、このポール・ガヴァルニの作品は知っているものに限れば好きな画家のようです。

少しばかり経歴を。ポール・ガヴァルニとはペンネームで、本名はギョーム=シュルピス・シュヴァリエ。1829年10月に創刊された「ラ・モード」の発行者であるエミール・ド・ジラルダンにバルザックがガヴァルニを紹介。ブルボン復古王政が崩壊する以前で、この「ラ・モード」誌は王家の援助を受け好評であったそうです。「パリの神秘」でベストセラー作家となるウジェーヌ・シュー、バルザックにジョルジュ・サンド等もこの雑誌から世に出ることになる。ガヴァルニとバルザックは友人で共にこの時25歳の若さ。1830年から絵を発表し、バルザックの小説で挿絵を担当したり、「カリカチュール」誌にやはりバルザックの紹介であるが、ガヴァルニは政治にほとんど興味を示さない方で政治風刺画はほとんどない。なので寧ろ発表の場は「シャリヴァリ」誌であった。石版画や水彩画も秀でており、それらを展覧会に出品したりしていた。1833年に、「子供達」の連作で自己の画風を完成させる。そして、自らの雑誌を創刊するに至る。名称は「社交界の人々の新聞」である。

今回は『恐るべき子供達』という連作より。この作品は1838年から1842年の5年間に飛び飛びに作られ、50枚のシリーズになる。子供の無邪気さが恐るべきものになるという皮肉な構図で、この頃からガヴァルニは、単なる観察者からシニカルなモラリストと変容してゆく。因みにジャン・コクトーの『恐るべき子供達』は1929年の小説。

上の絵の少女はかわいい子供ではなく、大人のような表情をしています。

紳士:「かわいいお嬢さん、あなたのお母さんは何という御名前のマダムなの?」
少女:「ママはマダムではないのよ、マドモワゼルなのよ」

こんな具合である。バルザックやボードレールのような文学者もこのカリカチュアに協力し、ジャーナリストは文学者に劣る、また挿絵画家は文筆家に劣るという時代が変わろうとしていた頃。こうした文学と美術が共鳴し合う様はとてもフランス的で好きなのです。

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by claranomori | 2012-09-10 03:01 | 絵画の中の少女・女性たち
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C(セー)』 或いは 『セーの橋
詩:ルイ・アラゴン

僕は渡った セーの橋を
すべてはそこに始まった

過ぎた昔の歌にある
傷ついた騎士のこと

堤に咲いた薔薇のこと
紐のほどけたコルサージュのこと

気のふれたの公爵の城のこと
お濠に群れる白鳥のこと

永遠に待つ花嫁が
踊りにくるという野原のこと

僕は飲んだ アイスミルクのように
ねじまげれらた栄光の 長い物語歌を

ロワールが僕の思いを押し流した
転覆した車もろとも

そして銃からは弾が抜かれ
そして涙は消えもやらず

おお わがフランス おお 捨てられた女
僕は渡った セーの橋を

訳:安藤元雄

★ルイ・アラゴンの『エルザの瞳』に所収の詩で、フランシス・プーランクによる作曲の歌曲としても有名です。岩波文庫版によると『C(セー)』と題されていますが、『セーの橋』としても読みました。アンジェに近いロワール川沿いにある町セーの橋。数々の戦場の場となって来た町だそうです。殊に1944年のドイツ占領軍との激戦で知られるというので、西部戦線及びパリ解放時の町や人々を想います。

ルイ・アラゴン(Louis Aragon:1897年10月3日~1982年12月24日 )はフランスの詩人で作家。ダダイズムからアンドレ・ブルトン等と共にシュルレアリスム文学を担い、1930年前後からはフランス共産党活動家でもあった。フランシス・プーランク(Francis Poulenc:1899年1月7日~1963年1月30日)はフランスの作曲家。フランス6人組の一人でもあり、声楽、室内音楽、宗教的楽劇、オペラ、バレエ音楽等、フランス歌曲史に於いて欠かせない音楽家のお一人。そのフランシス・プーランクがルイ・アラゴンの詩『C(セー)』或いは『セーの橋』に曲を付けた歌曲があります。この詩はすべての行でC(セー)と脚韻を踏んでいて、曲はその詩を郷愁というノスタルジーを込めて歌われる美しいものです。

●ルイ・アラゴンの詩にフランシス・プーランクが曲を付けた『セーの橋』の歌曲です♪

★いつも想うのは、愛国心とイデオロギーのこと。今も漠たる疑問があるのですが、その国々、そして其々の時代背景を混同しての左派・左翼、右派・右翼という呼称に対する疑問です。この場合はフランスの抵抗派詩人としてのルイ・アラゴンは共産党員でもあったのですが、この詩にあるように「おお わがフランス」と謡うのです。本来、右も左も祖国を想うがゆえの思想なり行動であり、核なるものは愛国心や愛郷心という強い想いがあってのことのはずです。右派の人々だって戦争を推進しているわけではない。どちらも極端な思想に傾けば過激になってゆく歴史もある。私は我が国や郷土を想う心は万国自然なことだと想うので、気になる書物や音楽等に触れる中でそれらの想いに巡り合うことはとても多い。祖国を想う気持ちは同じであるということは重要だと想えてならないのです。対立するだけではなくて。最も好きではないことは、祖国を裏切る行為、所謂スパイ的な存在や自分の利益の為の売国奴と呼ばれる人々、国賊的な人々が居ること。戦時中に於けるやむを得ない状況下での苦渋の選択はあったかもしれないけれど、今の日本は何か違う気がしてならないのです。そんな事を想いながら、戦争の歴史の中で多くの人々が命を落として行った。その戦争もまたその国々の忘れ難い歴史であること。ただ自虐史観先行で偏狭に感情的に声高に問うよりも、冷静に嫌な歴史を回顧することで学ぶことも大切だと想うのです。


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by claranomori | 2012-02-23 12:20 | 詩人・作家・画家・芸術家
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幸福というものは

人生のもたらすものを身につけ、破れた幸福のかけらを拾い集め、別な幸福を築き上げるように、そのつぎはぎをするのだ。そして、我慢ならないものは、力強く押しのけるか、あるいは、その埋め合わせをするように心がけるのだ。感情を外に出すことも、無分別に振る舞うのも、気をつかいすぎるのも、また、あまりくよくよするのも、禁物です。何事につけても控え目にすることです。幸福というものは、静けさの中にあるよりも、ある不安の中に、また、時としては、困難さの中にあるような気がします。

シドニー=ガブリエル・コレット 
引用: 『第二の女』 より

★これはシドニー=ガブリエル・コレットの『第二の女』の中の言葉です。この「幸福というものは」というタイトルのものではないのですが、とても素晴らしい言葉で好きです。殊に、「幸福というものは、静けさの中にあるよりも、ある不安の中に、また、時としては、困難さの中にあるような気がします」という言葉にはとても共感したもので、今も新鮮に感じるものです。コレットという作家の聡明さは理論の外に在る。愛情の縺れの中でも、冷静で憂愁を帯びながらも、一人の女性としての生き方を提案しているように想えます。決して押し付けがましいものではなく。シドニー=ガブリエル・コレットというフランス文学に於ける女性作家という視点のみならず、文壇のどこにも属さず、政治や宗教からも離れた処、それは孤独と云う場所を自ら訪れ、愛する動物や自然と共に衰えることなく老年まで筆をとった、その姿、生涯からシドニー=ガブリエル・コレットというお方の哲学に共感するのです。

人はその時々で想いも変わる。思想や哲学というものは、その人なりの生き方であると想うので、やはり熟年、老年期を迎えたくらいで、ようやくその人の哲学がくっきり浮かび上がるのかもしれない。概ね、いつの時代も心の核なるものにブレのないお方が私は好きなのですが、それにはやはり人生を追わなければ輪郭すら曖昧だと感じています。生きること、幸福とは、と考えた折に、どうしても孤独や不安というものの中に自ら在らねば思考することも、感じることさえ出来ないように想います。シドニー=ガブリエル・コレットは日本の短歌や俳句を讃美されていたそうです。日本の文学がフランス文学よりも古くから自然と共に生まれてきたのだとも。嬉しいです。何故だか、コレットの少女時代から老女に至るまでの生きざまに、これからも興味は尽きないので機に触れては接してゆきたいと想っています。自己の想いを確認し、そして再度否定してみる。そうした考え方が結構好きでもあるので、日々厄介な想いが駆け巡るのです。けれど、こうした中で私は生き、ささやかな幸福を得ているようです。ああ、人生は生涯学びという名の道場なのでしょう。
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by claranomori | 2012-02-12 23:52 | 想い・鑑賞・読書メモ
b0106921_182130.jpg★好きな映画の原作は出来るだけ読むようにしている。原作と映画共に大好きな作品の一つに『地下鉄のザジ』があります。作者はレイモン・クノー(Raymond Queneau:1903年2月21日~1976年10月25日)で1959年に刊行。翌年1960年にルイ・マル監督の映画化により大ヒットとなり、今も色褪せない愛すべき映画です。80年代に読んだものは今はもうなくなってしまい、手許にあるのは中公文庫版で、翻訳はこれまた大好きな生田耕作。ジャック・カルルマンの挿絵も愉快です。ずっと以前に映画『地下鉄のザジ』のことを書いたのですが、今日はマルグリット・デュラスとの対話に興味深いお話があるのでそのことを。

アナイス・ニンのことに触れながらレイモン・クノーが浮かびました。まったく作風は異なり、私はレイモン・クノーの方が作品は好きですが、お金を稼がなければ生活できない貧窮の中、次から次へと書いたアナイス・ニン。レイモン・クノーはじっくり時間をかけて書き上げる。この『地下鉄のザジ』の完成には6年を費やしている。それ以前の名著『文体練習』(1947年)も5年かけて完成。レイモン・クノーもある意味総合芸術家のようなお方であるけれど、「言葉」への拘り、執着は当時のシュルレアリスムやヌーヴォー・ロマンの作家たちの中でも異才を放っていたお方に想う。言葉あそびをユニークな調子で重ねてゆく。数学者でもあるレイモン・クノーならではの前衛的文学遊戯のようでもある。英国のルイス・キャロルにも数学的な言葉あそびの感覚があるけれど、「言葉」というものに徹底して向かい合う姿勢は凄まじく、小説という骨格を根底から覆すかのような功績は大きい。

詩は言葉で作るものだ」とステファヌ・マラルメは云った。それは重要なことだと想ってやまない。そこで、詩人でもあるレイモン・クノーが『地下鉄のザジ』を発表直後の、マルグリット・デュラスとの対談より。

デュラス:どういうご意見か(小説について)お聞かせいただけますか?
クノー:小説は、いってみればソネットのようなものです。もっとはるかに複雑なものであるとすらいえましょう。

デュラス:当今の作家は早く書き過ぎるとお思いになりますか?
クノー:そう。嘆かわしいことです。彼らのために嘆かわしいことです。これは不幸にも暇がありすぎる作家たちの病いです。暇を有益に使うことは、ご承知のように、たいへんむずかしいことです。だから、皆んなは働き、書きまくります。自分の時間をすべて自由に使えて、しっかり腰のすわった、本物の作品をつくり出せる作家はごく稀にしかいません。なんだか自分のことを弁解しているみたいですが。だって、私は一つの小説(『地下鉄のザジ』)を書くのに六年もかかったのですから。

書くことは苦渋であるとも語っているレイモン・クノーは、それでも言葉に拘り時間をかけて作りあげてゆく。この風変わりな作家の小説観が窺え、それもこれまた大好きなマルグリット・デュラスとの対話によるものであることに、私の心は微笑んだようです。
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●この二つの絵はジャック・カルルマンによる挿絵です♪

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by claranomori | 2012-01-17 18:29 | 文学と映画★文芸・史劇
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前述のアナイス・ニン繋がりですが、アナイス・ニンなる女性作家の存在を知るきっかけは、フィリップ・カウフマン監督の1990年映画『ヘンリー&ジューン 私が愛した男と女』なのです。80年代の同時代性としての英国映画は美しき男優が続々登場する時期でした。そんな中にダニエル・デイ=ルイスも居られ、ミラン・クンデラ原作の映画化『存在の耐えられない軽さ』(1988年)を観ることでフィリップ・カウフマン監督の名を知りました。この映画も好きなのですが、続いて公開された作品が『ヘンリー&ジューン 私が愛した男と女』で感動作という程ではないのですが女性二人と男性一人という関係、お衣装などの美しさは印象強く残ったものです。けれど、私としてはジューン・ミラー役のまだ20歳頃のお若き日のユマ・サーマンとアナイス・ニン役のマリア・デ・メディロスを鑑賞する映画であったようにも想います。ヘンリー・ミラー作品は熱心には読んでいないのですが、クロード・シャブロル監督の『クリシーの静かな日々』(1990年)など、映画を通じての親しみ方を多少している程度です。何故だか奥様のジューン・ミラーへの興味の方が強いのは今もまだ変わりません。
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●ジューン・ミラーを演じるユマ・サーマン♪
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●実在のジューン・ミラー♪

公開当時の映画雑誌だったと想うのですが、ユマ・サーマンのインタビューで、このジューン・ミラーを演じることの困難さを語っていました。それでも降りることなく演じられたのはロバート・デ・ニーロの助言があったこと、劇中のヌード場面は他の女性の代役であると語っていたことも、この映画と同時に甦る記憶でもあります。

ヘンリー&ジューン 私が愛した男と女/HENRY & JUNE
1990年・アメリカ映画
監督:フィリップ・カウフマン 製作:ピーター・カウフマン
原作:アナイス・ニン
『ヘンリー&ジューン』 『アナイス・ニンの日記 1931-1934』
脚本:フィリップ・カウフマン、ローズ・カウフマン
撮影:フィリップ・ルースロ 音楽:ジャン・ピエール・ルー
出演:マリア・デ・メディロス、フレッド・ウォード、ユマ・サーマン、ケヴィン・スペイシー、ジャン=フィリップ・エコフェ、リチャード・E・グラント、フアン・ルイス・ブニュエル、フェオドール・アトキン、モーリス・エスカルゴ
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●ヘンリー・ミラー役のフレッド・ウォードと
アナイス・ニン役のマリア・デ・メディロス♪

★アナイス・ニンの『ヘンリー&ジューン』及び『アナイス・ニンの日記 1931-1934』を基に、彼女と無名時代の作家ヘンリー・ミラー、そして彼の妻ジューン・ミラーとの妖しい三角関係を官能的に描いたもの。舞台は1931年のパリ。銀行家ヒューゴーの妻アナイス・ニンは、無名の作家ヘンリー・ミラーと出会う。二人は互いに惹かれ合うが、アナイスはその後ニューヨークからやって来たヘンリーの妻ジューンにも強く惹かれてゆく。そうした妄想と現実の体験が次第に文学的資質を開花させてゆくことになる。やがて、ヘンリー・ミラーの『北回帰線』が発表され、再びヘンリーのもとを訪れたジューンにも愛を告白するアナイスだがジューンは二人の関係を知り傷つき去ってゆく...。大まかなあらすじはこんな感じです。

ユマ・サーマンがとても好きなので、もう少し出演シーンを望んでいたことも想い出します。ユマ・サーマン出演作は今も可能な限り追っています。ユマ・サーマン、マリア・デ・メディロス共にクエンティン・タランティーノ監督の『パルプ・フィクション』(1994年)にも出演。マリア・デ・メディロスも最近は母親役も多くなっており、最も新しく鑑賞したものはジャン=ピエール・アメリス監督の『デルフィーヌの場合』(1998年)以来の『ベティの小さな秘密』(2006年)です。フレッド・ウォードだとメリル・ストリープの夫役の『誤診』(1997年)とロバート・アルトマン監督の『ショート・カッツ』(1994年)が印象強く残っています。映画はやはり大好きなので、まだまだ好きな映画の感想等を気長に綴って行こうと想います。
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by Claranomori | 2012-01-16 11:28 | 文学と映画★文芸・史劇
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二年程前に、アナトール・フランスの『少年少女』という御本を久しぶりに再読した折に少し綴りましたが、今日はもっと以前から家にあった少年少女世界文学全集のフランス編の中から再び。先述の『少年少女』は岩波文庫版の三好達治訳ですが、こちらは講談社版の小林正訳です。題も『かわいい子どもたち』となっています。5編収録されているのですが、中でもこの「ファンションと小鳥たち」の挿絵(斎藤長三)の少女の姿がとても愛らしいので胸ときめき、わくわくしながら読み終えました。

ファンションはまだ一桁の小さな少女で、おばあさんのお家に行くのがとっても楽しみ。おばあさんもまた、孫娘に会い一緒に過ごす時間をとても楽しみにしている。おばあさんは会うたびに大きくなってゆくファンションを愛おしく見守っている。そして、おばあさんも嘗てのファンションの歳の頃を想い出したりするのだろう。大きくなってゆく少女と小さくなってゆくおばあさんは、正しく往還する女と少女であるので、私は老女と少女のお話は大好き!私個人はおばあさんという存在を知らない。父方も母方の祖母も私が生まれる前にとても若くして亡くなっていたので。それ故に、おばあさん、おばあちゃんという存在に憧憬を抱くのかもしれない。

小さなファンションは分からないことが多く、その都度、おばあさんに尋ねる。おばあさんとの会話で学ぶことは新鮮なことなのだ。かわいい孫娘のために、おばあさんはオムレツやパンケーキを作ってくれる。ファンションはおばあさんの手作りのお料理が大好き。そして、色んなお花や草木の茂るおばあさんのお庭で遊ぶことも。そのお庭には小鳥たちもやって来る。ファンションはパンくずをちぎっては小鳥たちに。けれど、色んな色の小鳥がいるように、太った元気の良い小鳥や、やせ細った小鳥、威勢よくパンくずを突きにやって来る小鳥も居れば、なかなか食べることの出来ない小鳥も居る。優しい少女ファンションは、小鳥たちと遊びながらも自然と学んで行く。パンくずをどの小鳥にもあげられるように、小さくちぎって。小鳥たちは嬉しくて囀る。その歌声を聞くとファンションも嬉しくなる。小鳥たちは小鳥たちの言葉で歌い語る。その意味は「神さまがおまもりくださいますように。」とファンションにお礼の気持ちを託して。ファンションは空の歌声に送られながら、おかあさんのもとへ帰ってゆくのでした。

小さな子供は子供なりに思考する。私は長い間、この世の中に悪い人は居ない、と思って大人になって行った。けれど、世の中には悪意というものが存在し左右され、人を傷つけることになったり、人や社会との関係に亀裂が生じることも多々あるのだと今は想う。みんなが仲良くというのは最上の理想なのかもしれない。あまりにも世の中は殺伐としている。それでも、せめて、身近に居る家族や友人、隣近所の人達のことを案じる気持ちは失いたくはないと今も想う。否、今だからこそ、強く想う。

★『かわいい子どもたち』(講談社 少年少女世界文学全集)の収録内容を記しておきます。※後の題名は『少年少女』(岩波文庫)の方です。
●「ファンションと小鳥たち」 ― 「ファンション」
●「学校で」 ― 「学校」
●「フレデリックの勇気」 ― 「勇気」
●「カトリーヌのお客さま」 ― 「カトリーヌのお客日」
●「野あそび」 ― 「野あそび」
以上の5編が収録されています。
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by Claranomori | 2011-12-11 08:50 | 本の中の少女たち・少年たち
b0106921_2191051.jpg★ジェラール・ド・ネルヴァル(Gérard de Nerval:1808年5月22日~1855年1月26日)の1854年の最晩年の作品『火の娘たち』。嗚呼!ネルヴァル!!フランス・ロマン派の奇才作家。大好きな作家と云うよりも深く深く私の心に沁み入り続ける詩人です。なので、綴るのはちょっと安易ではないので軽く。どうした訳か、16歳~17歳頃に出合った音楽と文学は私の中でいつまでも寄り添い合ってしまうようです。ネルヴァルというと、ブリジット・フォンテーヌのとりわけ70年前後作品、楽曲たちが絶妙なハーモニーを奏でるかのように響きます。ジェラール・ド・ネルヴァルは狂気の果てに死に至ったお方ですが、ニーチェも然り。発狂死というものがいったいどんな世界だろう...と考えます。凡人の私には到底分かりはしないけれど、ある種の聖域で神聖な純粋さをも感じてならないのです。人間の究極の境地の一つでもあるような。

何冊か読んでいるのですが、今日は『火の娘たち』の『シルヴィ』を。最初に読んだのは80年代でやはり新潮文庫でした。20数年ぶりに先日読み返したのですが、もの凄く感動しました!20数年の時の流れの中で、私も歳を重ね少々の人生の苛酷さを知ってしまった。けれど、人生は尊いものであることも知り得たつもりです。この先何が待ち受けているのか分からないけれど。幻視文学あるいは幻想文学と喩えることも可能ながら、当のネルヴァルご本人は現実と夢の世界を自由に彷徨しているので、読んでいて摩訶不思議なのです。夢幻的という言葉がとても似合うもので、一貫して漂い続ける叙情に涙しました。マルセル・プルーストの絶賛を受けたものの、19世紀後半には忘れ去られていたネルヴァル。20世紀になり、ようやく再評価されたのも、今だと何となく分かる気もします。時代背景的なものを少しは考慮しながら読むと、やはり途轍もない時代だったのだと。ネルヴァルは、実在の女優ジェニー・コロンに強く熱情を示し、叔父の財産総てを彼女を讃美するための雑誌「演劇界」の発行に蕩尽している。けれど、ジェニーとその後再会したのは一度だけ。それでも、ネルヴァルにとっての"永遠の女性"として生涯心の中で生き続けることに。そのジェニーの死の知らせの衝撃は大きくネルヴァルをさらなる夢の世界へと誘い、幾度かの発作、療養を経るがもう戻っては来れない。ネルヴァルにとって、現実というものは常に闘うものであったように想う。革命の狭間の少年時代、育ての親のような叔父の神秘主義の影響、早くから聡明で豊か過ぎる感性はやはり現実から夢の世界へという地獄を辿り、行き着いた果ては穏やかな"第二の人生"であったのだと。

『シルヴィ』『エミリイ』『ジェミイ』『オクタヴィ』『イシス』という女性名5つからなる『火の娘たち』(私が読んだものは『火の娘』 訳:中村真一郎 新潮文庫)のシルヴィとはオーレリアに続くもので、ネルヴァルの原初的な美しい想い出の土地、ヴァロワ地方の自然と遠い昔の幼な友達シルヴィ。その少女シルヴィへの愛が夢の恋人オーレリーへの連鎖という物語。もう論理など軽く超えたもので、ネルヴァルはロマン主義と象徴主義の作家だと痛感。記憶、過去、想い出の深い処から無意識的に精神を放浪させる形式。これはプルーストの『失われた時を求めて』の先駆的な作品であり、またアンドレ・ブルトンの『超現実主義宣言(シュルレアリスム宣言)』へと繋がるもの。20世紀後半になり、ボードレールと並ぶ詩人と云う評価に至るのは、やはり作品の中に流れる"詩"であり"歌"(古謡など)が美しく、正に夢と追憶の陰影からなるソネットのようです。やはり、私は歌の流れる、響く小説などがとても相性が良いようです。そして、想います。このような作家の作品はどんなに社会や科学が進歩しても解き明かされるものではないのだと。論理的よりも象徴的なるものの方が、私には必要であり大切な心の糧として空を舞うのです。

想うままに綴っているので取り留めなく、まだまだ続きそうです。フランス・ロマン派の作家、テオフィル・ゴーティエとはシャルルマーニュのリセの同級でもあり親交の深かったお方であります。フランスに限らず、やはり19世紀に夢を馳せることが多く、尽きない学びの源泉のようです。
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by Claranomori | 2011-11-03 08:08 | 19世紀★憂愁のロマンと美
 時々云っているかもしれないけれど、私は「岩波文庫」が大好き!初めて手にしたのは中学生の頃だけれど、それ以前にも岩波ジュニア新書という児童文学等の優れた作品群があるので、総じて子供時代から「読書は岩波育ち」と断言できる。梅田の紀伊国屋書店での購入が最も多く、当時は先ず岩波文庫のコーナーに向かった。今はデザインが新装されているけれど、あのベージュのシンプルなデザインと質感が好きで、今もやはり愛着がある。お友達と一緒に書店に行くと、岩波文庫を買うのは私だけだった。仲の良かった級友は当時人気だったコバルト文庫ものをいつも買っていた。私は岩波文庫の次に好きだったのは新潮文庫。高校生後半から白水社のUブックスを知り20代までに網羅は出来ていないけれどかなり読んだ。とても愉しい本との想い出。

 3月11日から3ヶ月以上を経過して遂に猛暑到来の季節になった。多くの方がこの東日本大震災でお亡くなりになり、多くのものが失われてしまった。その上、原発事故で命ある者までも不安な状態で、これは日本だけの問題ではないのでかなり深刻なこと。総理や東電の会見や責める声、反原発、脱原発、推進派の人々の様々な意見が毎日ニュースで賑わう。けれど、今も瓦礫は積まれ避難所生活の人々、全壊した家屋から新たな一歩を踏み出し始めた人々、放射能の危険にさらされながら作業されている人々...この大災害から助かった命ある人々を想う。家族を失った方も多いけれど、それでも生きて行かなければならない。漁業が出来なくなったから農業を始めるという60代の女性の姿をニュースで知った。60代になって今までまったく経験のないお仕事を始める。穏やかな語りのその女性はあまりにも強靭で尊い姿として私は涙が出てしまった。私にはそんな強さはないだろうから...。

 4月頃だったかな?『きけ わだつみのこえ』を読んだ。岩波文庫のワイド版で。私は数ある岩波文庫の中でこの『きけ わだつみのこえ』はなかなか読めずにいたもの。結局読んだけれど、やはり読んでいて辛いし、20歳前後の若き命、ただ一度だけの青春時代という時間を戦争に捧げるのだと想うと。でも、編集顧問の東大教授でフランス文学者の渡辺一夫氏による序文の中の詩がおぼろげに残っていたもので、再読ではっきりしてメモに取っておいた。4月頃のブログで書こうかと思いながら何となく戸惑いもあり今日になってしまった。その詩はフランスのレジスタンス詩人であるジャン・タルジューが、1943年の『詩人の光栄』という詩集に収められていたものだそうだ。ジャン・タルジューのこの詩は第二次世界大戦中に刊行されたというのも驚く。フランスは連合軍ながらアメリカやイギリス軍とは違って、ドイツとはかなり激しい戦いがあり、ナチスの占領下の時期も経ての勝利国というなんとも複雑な重い歴史を抱えている。ゆえに、その時代を描いた映画も多く今も作られ続けるのだろう。レジスタンスに身を投じ若き命を失った人たちは世界中にどのくらいおられるだろう。戦争なんて必要ないと想うのに太古の昔から今日も果てしなく続いている。私はガンジーを尊敬しているので反戦云々とも少し違う。日本がこの大震災に遭った時、フランスとイギリス(アメリカも)はリビア戦が過熱していた。ヨーロッパの闘いの歴史もまた凄まじいものでかなり複雑怪奇...学びと思考の日々は続く。

死んだ人々は、還ってこない以上、
 生き残った人々は、何が判ればいい?

 死んだ人々には、慨く術もない以上、
 生き残った人々は、誰のこと、何を、慨いたらいい?

 死んだ人々は、もはや黙ってはいられぬ以上、
 生き残った人々は沈黙を守るべきなのか?

 詩:ジャン・タルジュー 訳:渡辺一夫 1949年8月31日

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※「わだつみ」とは「わたつみ」、「海神」という意味の古語だそうですので、なんとも・・・。また、未見なのですが映画化もされているそうです。
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by claranomori | 2011-06-28 09:42 | 想い・鑑賞・読書メモ
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 2011年3月11日2時46分頃...この日から6週間を経て想うことは深くなっている。そうした中で元来の弱い内臓に響くのは当然だと享受しながらも怯える心。人生謳歌とは何も享楽生活のことではない。この東日本大震災の復興はまだまだこれから。「安くて安全」と云われてきたものが実はどんなに恐ろしいものであったか。日本のバブル期に起きた旧ソ連のチェルノブイリの原発事故。あれから25年を経た今もお金では解決できない苦しみを背負いながら生きている人たち。今では「ソ連」という響きが懐かしい、お若い方には馴染んでいない国名。現在はウクライナの独立国になり、大国ソ連は大きく変貌した。日本はあの第二次世界大戦で広島と長崎に原爆投下された。首都の東京ではその以前に関東大震災が起こり、戦争では東京大空襲で焼け野原に。そんな我が国日本はそれでも復興し、アメリカに次ぐ経済大国と経済成長した。幼き頃、オイルショックが起きたというけれど身に染みた記憶はない。そんな呑気な子供であるのが私の成長期なのだ。

 今なお行方不明の方は多く、助かった方々でさえ疲労やストレスが嵩む中、それでも被災者たちによるボランティア活動もなされている。こうしたコミュニティーの力って凄い。地震国日本、火山国日本は常に自然と共に生きて来た。けれど、今回で露わになった原発、放射能の恐怖を長年訴えてこられた人々が民放に出演されることはなくなり、一般市民である私たちは反対も賛成もなく明るくより良い未来という用意された道を歩いていたのかもしれない。大きな疑問、?がいっぱいでよく分からないけれど問題提起されたことを教訓として、考えてゆくことが大切だと想う。

 多くの人はテレビは民放を観る。なのに原発反対派の活動をされて来た人々の出番はなくなってゆく。危険人物だと何か大きな力がかかるのだろう。広瀬隆氏が嘗て「朝まで生テレビ」に出演された映像をあげてくださっている方がおられる。観たかったので嬉しい。まだ途中で少しずつ作業してくださっているようです。政府や原子力研究所のお偉い方、各電力会社の人たち推進派の人々ってどうして・・・?接待の中にジャーナリストもいるというし、民放はスポンサーに逆らえない。こんなメディア操作された日本は隠し持つ情報をなかなか公表せず、後から少しずつ。世界はうんざりしているのではないだろうか。外国の方の放射能に関する意識は日本人とかなり違うようで、私にだって「フクシマダイイチ大丈夫ですか?あなたの健康は?」というようなメールが届く。既に広がっているけれど、東日本の大震災ではなく、日本の大困難で、ゆえに戦後最大の国難の機に今ある。ある意味、私個人としては色々考える機会を与えてくださったこと、この時代に生きていて良かったとも想う。多くの方の犠牲を無駄にしてはならないと。

 チェルノブイリの子供たちは、今も奇妙な病気が多発していて施設で暮らす少年少女たちが多い。ある学者は「それは放射能による直接の原因は確認されておらず、体質によるものである」とか。大阪で生活する私なんかでも体調狂うのだ。この子供たちの両親たちが被曝されいて、その遺伝に怯えることからの病気だとしても、根源には放射能による問題ではと想う。目に見えないもので、人それぞれの体質によって皆異なる。チェルノブイリの事故の収束作業に30万人もの作業員が担ったという。こうしたことが今、福島で被曝の恐怖を前に作業されている人々が居られる。その方達は東電の協力会社の作業員と。「協力会社」とは元請、下請、孫請...の人たち。その線量の基準をさらに上げるなどと書かれていた。人間が作ったもの、その事故も結局は人間の手で。その現場に居られる方々のことなどもっと知りたいのに、タブーなのか報道はほとんどされない。変である。

 嘗て原田芳雄、倍賞美津子、平田満他の出演の『生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言』という映画の中で、「原発ジプシー」という言葉、そうした人々が描かれていた。その時に知った言葉を想起する。広瀬隆氏の支持者であったという忌野清志郎は覆面バンドのタイマーズで反原発ソングを作り歌っていたことも。その時清志郎さんは契約を切られたのだろう、違うレーベルからアルバムを出しライヴ活動。こんな勇気のある人たちは必ず何かの圧力がかかる。フィクションだけれどノン・フィクションのようなアメリカの映画『チャイナ・シンドローム』ではジャック・レモン扮する原子力発電所の頭脳部で働く社員の告発は死に至った。この映画の後、スリーマイル島の事故が起こる。今回の震災後、この映画を観返して慄いた。何故、命がけで作業する人たちの会社名や名前が出ないのだろう。出なくてもよいとしても、彼等にも家族がある。福島に住む人たちだって。

 福島から他県に移った子供たち。何件かのニュースを読んだけれど、小学生の子供たち。公園で兄弟が新しい環境で遊んでいた。方言ゆえだろう、地元の子供が「どこから来たの?」と尋ねた。その兄弟は「福島」と。すると子供たちは「きゃあ~」とか「放射能がうつる」と言い、その兄弟は泣いて家に帰り、両親たちはまた移動したという。子供たちは子供たちで考える力がある。それでも様々。この記事を読んだ時も泣いてしまった。小さな兄弟だって悲しいのに、新しい土地で新しい学校生活を楽しみにしていただろうに。これは子供たちだけではなくて、大人たちの中でも問題になっている。さらに、海外からは日本製の食品および商品を敬遠する傾向が強くなっている。明るい日本でなくても良いな...私は眩しい光が苦手なので仄暗い程度が性に合うので問題ない。谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」という言葉がある。日本の家屋にはそうした風情が本来多くあった。なのでコンクリートで覆ったような建物を見ても美しいと思えない私は、さらに「陰翳礼讃」を快く望む。

 万の神の国。太古から神様や仏様に手を合わせる、祈るという気持ちが日本にはある。そうした長い歴史の中で育まれてきた日本人の礼節のようなもの。この尊い姿を海外の人々は称賛するけれど、何も意識してのことではなく「日本人」であるがゆえの姿である。計画停電で首都圏は大混乱。でも、一人一人が「ちょっと節電気をつけよう」と思うだけでかなり状況は変わったのも、そんな国民性ゆえだと想う。科学を過信することにアンチであった私。アンチで何も知らないのは最低なので興味はないけれど、それらの書物も読むようになった。でも、心は豊かになれないので中世から19世紀末辺りの文学作品を愛する傾向はさらに強まるのだけれど。先日読み終えたのは親鸞聖人の『歎異抄』。10数年ぶりに読み返した。親鸞聖人は20年程、常陸国で布教活動をされ、京に戻るのだけれど、親鸞聖人の生きた時代は鎌倉、戦国時代。選択教科は世界史で日本史は疎い。けれど、中世という1000年もの長い時代は激動の時代であり戦国の時代。その中で多くの優れた芸術も生まれている。そうした符号にも興味が尽きない。取り留めのない綴りとなってしまいましたが、今の気分で15世紀のフランスの詩人アラン・シャルティエの詩を☆

嬉しげなる顔つくろい
いつわりの喜び示し、
心にしいて歌いしが
楽しきが故ならず、恐れのためぞ。
悲しみの名残り
常にその声音にまじる、
再び悲しみに帰りき、
さながら歌に帰る 林のくろうた鳥のごと。

アラン・シャルティエ


※個人的な想いを綴っておりますので転載は嬉しくないのですが、共有してくださるお方が居られましたら大変うれしく思います。スキャンしたりして掲載しております画像等もご自由に共有してください。勝手が分かっておりませんが、本日より、とりあえず最近の記事からソーシャル・ボタンを付けてみました。コメント等もお気軽によろしくお願いいたします♪
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by claranomori | 2011-04-24 18:02 | 想い・鑑賞・読書メモ
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★ジュール・ルナール(Jules Renard:1864-1910)はジュウル・ルナアルとされているものもある。外国語の日本語表記は難しい。この自然主義文学とも作風は異なり、なんとも異色の作家と思えるジュール・ルナールの『にんじん』は私が生まれる以前から家の本棚に並んでいた。『少年少女世界文学全集』の「フランス編」の中に。私はというと、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の映画『にんじん』を観たことで、この作家の原作とようやく一致した。ジュール・ルナールの『にんじん』が刊行されたのは1894年。児童文学の中にも入るけれど、年少の子供たちがそのまま読むとかなり怖い場面も多い。暗鬱であり残酷なのは執拗に折檻する母親の姿や無味乾燥な家族の情景だけではなく、にんじんことフランソワ少年の姿にも。作者であるジュール・ルナールの半自伝的な作品ということながら、ルナールは自らの少年時を美化するでもなく描いている。でも、それらの子供たちの姿は普通なのだとも思う。子供は純粋ゆえに残酷なことをしたり云ったりする。

1887年から1910年頃に執筆されたという膨大な『日記』がルナールの死後発表された。これはフランス文学史を少しばかり受講していた折に知ったこと。その日記の全貌は知らないけれど、ルナールの実の父親が病を苦に自殺されたこと、母親もその後井戸に落ちて亡くなっている(事故か自殺とも定かではないようだ)。こうした「事実は小説より奇なり」なことに時々遭遇してはゾクっとする。ルナールの描き方は淡々としていて簡潔。けれど鋭敏な洞察眼が魅力。その視線を見事に、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督は脚色し映像化されたと思う。

にんじんを演じるロベール・リナンも素晴らしい!レジスタンスという時代にリナン自身は身を投じ22歳の若さで死に至る。それまでに、『にんじん』以外でもジュリアン・デュヴィヴィエ監督作品の『我等の仲間』(1936年)、『シュヴァリエの放浪児』(1936年)、『舞踏会の手帖』(1937年)、またマルク・アレグレ監督の『家なき児』(1935年)にも出演されていた。『シュヴァリエの放浪児』と『家なき児』は未見なので観てみたいと思っているけれど...。

私は今のところ、やはりフランス文学とフランス映画を多く読んだり観たりしてきたよう。”フランス”だからと目くじらを立て読むのでもなく観るのでもない。そう云えば音楽もやはりフランスの音楽は好きである。意識しなくても気になるから興味があるから心が向かうのだろう。長い歴史のフランスという国の残した文化遺産のようなものたちに(英国やその他の国も同じように)。その中に、私の好きな「美」が山のようにあるのだから。知らないことだらけなので、まだまだ興味は尽きないけれど。

そんなことで、このルナールの同時代に同じジュールという名の作家がもうお二人浮かぶ。ジュール・ヴァレス(Jules Valles:1832-1885)とジュール・ヴェルヌ(Jules Verne:1828-1905)である。それぞれ勿論趣は異なるけれど、ヴァレスは自伝小説を書いている。小説家でありパリ・コミューンの闘士でもあったというお方。また、ヴェルヌは最も有名かも知れない。『海底二万海里』(1870年)や『80日間世界一周』(1873年)など、並外れた科学知識と空想力、ドラマティックなお話は人間ドラマであり文明批判をも含むもの。ルナールにしてもヴェルヌにしても、児童文学作家でもあるけれど、其処に留まるものではない。世界中の多くの優れた児童文学及び作家がそうであるように。

にんじん/POIL DE CAROTTE
1932年・フランス映画
監督・脚本:ジュリアン・デュヴィヴィエ 原作:ジュール・ルナール 
撮影:アルマン・ティラール、ティラール・モンニオ 音楽:アレクサンドル・タシスマン 出演:ロベール・リナン、アリ・ボール、カトリーヌ・フォントネイ、ルイ・ゴーチェ、クリスチアーヌ・ドール、コレット・セガル、マキシム・フロミオ、シモーヌ・オーブリ

前述の【『にんじん』 フランソワ少年と少女マチルド 監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ 原作:ジュール・ルナール】にもう少し追記いたしました。
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by claranomori | 2010-11-23 06:53 | 銀幕の美少年・少年映画