あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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★ポール・ギャリコはやはり好きで、以前『さすらいのジェニー』のことを綴りましたが、今回は『雪のひとひら』(初版は1975年)を。ある冬の寒い日、雪のひとひらは生まれ、はるばると地上に舞い降りてきました。丘を下り、川を流れ、風のまにまにあちこちと旅を続ける。ある日、愛する伴侶となる雨のしずくに出会い、子供たちが生まれる。けれど最愛の夫の雨のしずくを亡くします。悲しみの中、彼女は少女の頃を想い出しながら自問するのです。優しい子供たちが母のまわりに集まり慰めようとする。雪のひとひらは、悲しみのうちにも微笑みながら、我が子を見やり思わず目をこする。彼らはもはや子供ではなく立派に成人していてくれたのです。母にそっくりな雪のしずくと雪のさやか、また雨のひとひらと雨のしずく二世は父に似ているのでした。けれど、時は行き、川は流れ続けます。彼らとのお別れの日がくることも悟る。雪のひとひらは「水」という特性ながら一人の女性なのです。流動する命であり、珠玉でもある水の一滴。その姿は純粋で聡明なよるべない魂の偽りのない姿かもしれない。愛する者たちをことごとく失ったあとに、ほんとうの寂しさが訪れる。孤独というものをつくづくと。

何ゆえに? すべては何を目あてになされたことなのか? そして、何より、はたしてこれは何者のしわざなのか? いかなる理由あって、この身は生まれ、地上に送られ、よろこびかつ悲しみ、ある時は幸いを、ある時は憂いを味わったりしたのか。最後にこうして涯しないわだつみの水面から太陽のもとへと引きあげられて、無に帰すべきものを? まことに、神秘のほどはいままでにもまして測りしられず、空しさも大きく思われるのでした。そうです、こうして死すべくして生まれ、無に還るべくして長らえるにすぎないとすれば、感覚とは、正義とは、また美とは、はたして何ほどの意味をもつのか?

ポール・ギャリコの描く悲哀はいつもやさしい。全編の柔らかな美しさに幾度も涙しました。この装画と挿絵は原マスミでファンタジックに作品を彩ります(新潮文庫)。訳者である矢川澄子は、「この小説『雪のひとひら』の主題はやはり愛のこと、もしくは美と愛との一致するところにあり、その答えは最後の甘美なささやきではありますまいか」と。これは、雪のひとひらが最期のこのときにあたり、幼き日々が蘇り、いままでいつぞ答えられなかった数々の疑問が舞い戻ってくる場面のことで、あたたかな涙と共に心が清められるかのようです。

「ごくろうさまだった、小さな雪のひとひら。さあ、ようこそお帰り」

そんな雪のひとひらの耳に最後に残ったものは、天と空いちめんに玲瓏と響き渡る、懐かしくも優しい言葉だった。老女の喜びと悲しみの一生を終える最後にこの言葉が残る。水の一滴、それは人間にも欠かせないものであり、大地や自然の恩恵を受けて生きている。どんなに小さなものでも、どんなに目立たないものでも、みんな其々の存在理由があり意味のあることなのだと想います。私はまだ人生の途中ですが老境に至るまでに、また最期の折にいったいどのような疑問が舞い戻るのだろう。きっと、雪のひとひらのように、幼き日の想い出が蘇りながらもその答えはないだろう。最後に聞こえる言葉がやさしい響きであれば幸せな人生だったと想えるのだろうか。それならばその為にも苦しみを望む。望まなくともいつもやって来るけれど、それらの苦しみがなければ幸せもないと想って今を生きてゆく。
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by claranomori | 2012-02-20 17:02 | 往還する女と少女
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★フランス屈指の独特の映像美でダーク・ファンタジーの世界を映画くジャン=ピエール・ジュネ監督。『デリカテッセン』(1991年)で知ったのだけれど、より感動した作品は1995年の『ロスト・チルドレン』。ジャン=ピエール・ジュネ監督映画の最大のヒット作は2001年の『アメリ』なのだろうけれど、やはり印象強く焼きついている作品というとこの『ロスト・チルドレン』。

 最近は古い日本の映画を多く観ていて、まだ復興もままならぬ東日本大震災の傷痕を想う日々。まったくの個人的な気持ちなのだけれど、以前から心捉われるものの一つであった「戦争」というもの、敗戦後の日本を想う。戦争を知らない子供であり、バブル期に思春期を過ごした私がである。私の亡き両親は戦後、少年少女時代を過ごした世代。聞かせてくれた僅かなその当時のお話、その頃を舞台にした映画や文学...。今もまだその時代を体験した人々が多く生きておられる。想像することしか私には出来ないけれど、それは壮絶な凄まじいものだっただろう。けれど、焼け野原の日本は躍進して経済大国に。その過程にはやはり技術や科学の発展、進歩ということを抜きには語れない気がする。その功罪を乏しい頭と心で考えているという日々です。不思議な記憶がこの『ロスト・チルドレン』を呼び戻したかのようで、二度目の鑑賞。当時は気付かなかったことがあまりにも多く、また感動した場面は変わりなく同じシーンで涙した。この映画に惹きつけられるのは「孤独」だろうか・・・。
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 お話は、近未来の港町。そこはどことなくネオ・ヴィクトリアンとでも云えるかのような不思議な雰囲気を醸し出している暗い町。見世物小屋やサーカス、そこに怪力男ワン(ロン・パールマン)がいる。その町では子供たちの失踪事件が起こっており、ワンの幼い弟ダンレー(ジョゼフ・ルシアン)も誘拐されていまう。ワンの弟(捨て子のダンレーを弟として育てている)探しが始まり謎の一つ目族の本拠に侵入、9歳の美少女ミエット(ジュディット・ヴィッテ)と出会い、彼らの危機と脱出までの冒険ファンタジーが描かれる。その中でワンと少女ミエットとの心の交流は重要なもので、ワンは見かけは怪男ながら心はとても優しく純粋。そんなワンに幼心に心惹かれる少女ミエット。けれど、このミエットは9歳の幼い少女ながらとても大人の女性のようでもある。不思議な魅力のミエットは孤児の泥棒団のリーダーのような存在で、この少年少女たちは孤児院にいる。その孤児院の経営者はシャム双生児の姉妹で絶対的な命令下にあり、ワンも一味に入れられる。一つ目族の本拠内の実験室にはクランク博士とクローン人間たち(すべてドミニク・ピノン)や水槽の脳イルヴィン(声だけながら名優ジャン=ルイ・トランティニャン)がいる。クランク博士の実験は狂気を増し、遂にはイルヴィンの脳と誘拐した2歳の幼い少年ダンレーを結合する実験を。
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 そんな狂気の中で創造物であるイルヴィンが子供たちを救うために海へメッセージを詰めたカプセルを流す。そのメッセージとは子供の夢を託した悪夢である。その海(船)には実はクランクをも創造した本当の博士(ドミニク・ピノン)が記憶を失って住んでいた。けれど、その海に流されたカプセルのお陰で博士も、捕えられたミエットも真相を知ることになる。ワンとミエットはダンレーを救うために実験室に侵入。その折にミエットの体にワンは自分の着ているセーターの糸を繋ぐ。ミエットは「私たちは結ばれたのね」と数少ない笑顔を見せる。ミエットはダンレーを救うために、自ら悪夢の中、眠りの中へ。愛するもののためには悪夢を見なければならないのである。そのテーマは色んなことに置き換えることが出来ると想う。「童話を愛した者は童話に復讐される」という処に私は今居るように感じていて、とても辛い。綺麗な夢溢れるおとぎの世界には悪夢が共に在る。それをも引き受けなければ愛する世界を放棄することになる...そんな気がしています。

 ミエットとワンの冒険の中で、ワンが姉妹に暗示をかけられミエットを殴る場面がある。ミエットは賢明な少女であるので知っている。けれど、その天使のような妹と想っているミエットをワンが殴らなければならない。その場面のミエットの涙。この場面がたまらなく大好き!そのミエットの眼差しが。結局、ミエットとワンたちの活躍でダンレーや孤児院の子供たち、博士に作られた者たちはその施設から脱出することができた。博士は実験室と共に滅びる。映画は彼らが暗い海を船を漕いでゆきながら終えるけれど、私に残された余韻は決してハッピーエンドでもない。あの子供たちは孤児である。いったい何処に行くのだろう、また何処からやって来たのだろうか。奇怪な世界、歪な世界があるからこそ、ファンタジーも生まれる。ファンタジーは悪夢をも内包することを受け止めないと夢の世界には行けない。夢をみる者には苛酷な試練なのだ。そう云えば、オープニングから途中も鏡の歪んだような映像がある。それはルイス・キャロルの世界を想起させるのは意図してのことだろう。近未来の戦後という設定ながら、実に今の社会とも符合する。なので、私は今またこの映画を観返し学んだように想えるのでした。

 グロテスクさの中の美学のような映像満載で、ジャン=ピエール・ジュネとマルク・キャロのコンビ作品はやはり特異な世界。他にも蚤使いのマルチェロ(ジャン=クロード・ドレフュス)、2歳のダンレーはお腹を空かせては食べている愛らしき存在(何が起こっているのかも分からない無垢さ)、音楽担当のアンジェロ・バダラメンティ、エンディング曲はマリアンヌ・フェイスフル、衣装はジャン=ポール・ゴルチェと素晴らしいスタッフ&キャストによるファンタジー映画の傑作に想います。テリー・ギリアム監督も大絶賛されたお墨付きでもあります☆
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ロスト・チルドレン/LA CITE DES ENFANTS PERDUS
1995年・フランス映画
監督:ジャン=ピエール・ジュネ 美術監督:マルク・キャロ
製作:クローディー・オサール 監督・脚本:ジャン=ピエール・ジュネ、マルク・キャロ、ジル・アドリアン
撮影:ダリウス・コンジ 衣裳:ジャン=ポール・ゴルチェ 
音楽:アンジェロ・バダラメンティ
出演:ロン・パールマン、ジュディット・ヴィッテ、ドミニク・ピノン、ダニエル・エミルフォルク、ジョゼフ・ルシアン、ジャン=クロード・ドレフュス、ジャン=ルイ・トランティニャン(声の出演)

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by claranomori | 2011-06-26 17:43 | 銀幕の少女たち・少女映画
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 文は宙野素子、絵は東逸子の両氏によるファンタジー『月光公園』の中に登場する男の子と女の子。月光公園への切符を首にかけて綺麗な少年は天使のよう。その公園の中には「月の光植物園」という場所やメリーゴーランドも。まわるまわるメリーゴーランド。私もメリーゴーランド大好き。少年の髪を風が走りぬけ、まるで飛んでいるように感じている。さらさらさら・・・と聞こえる音は風じゃない。少年ははっと息をのみ広場の砂や小石が動くを見た。「ごとん」と音がして、メリーゴーランドはゆっくり止まった。少年が空を見上げると お月さま!月が降りてくる。月が地面とふれあい、光の中で小さな影が動く。・・・それは少女だった。少女がブランコをしている。月の中の少女はティコ。

 「わたし、ティコ」「あなたのこと、・・・知ってる」
少女の影が、波のようにゆれる。後ろにおおきくゆれるたびに、少女のからだは月に溶ける。月は、少女が溶けこむごとに、うっとり欠けていく。

 少女が少年に手を差しだし、少女がぐいっと引く。ふわっと浮き上がった少年を柔らかな月が包む。少年に聞こえてくる小さな声、何度も何度も繰り返す声、すぐ近くで囁いているような声、遠くからやって来るような声、優しい声・・・「いつも、あなたを、見てる」「いつも、あなたを、見てる・・・」と。その声を聞くうちにだんだん眠くなりいつの間にか少年は眠ってしまった。目覚めた少年は切符がないことに気づく。そして空を見上げると、そこには月があった。月は静かに少年を見ているのでした・・・。

★絵本 『月光公園』 文:宙野素子 絵:東逸子 
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by claranomori | 2011-05-24 22:08 | 童話・絵本・挿絵画家
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★ジョセフ・L・マンキウィッツ監督の1947年映画『幽霊と未亡人』。美しいジーン・ティアニーと幽霊ながら毅然としていてかっこ良く、全く怖くないグレッグ船長役のレックス・ハリソン。そして、娘アンナ役の当時8歳頃の少女子役時代のナタリー・ウッドの可愛い姿(ナタリー・ウッドお目当ての鑑賞でした)にやはりトキメク。美しいモノクロームの映像と名優方によるユーモア溢れるファンタジック・ロマンの名作だと想います。

お話は、20世紀初頭。若く美しい未亡人ルーシー・ミューア(ジーン・ティアニー)は、親類達の反対をおし切ってロンドンを去り海辺の一軒家に移り住む。8歳の娘アンナ(ナタリー・ウッド)と家政婦マーサ(エドナ・ベスト)と愛犬ランミーを連れて。けれど、この家には前の持ち主であるダニエル・グレッグ船長(レックス・ハリソン)の幽霊が出るという。そして、噂に違わず本当に幽霊が現れるのだった。ところが、未亡人ルーシー・ミューアは強気で気丈な女性ゆえに幽霊船長のおどしにもめげず、一緒に暮らすことにする。間もなく、ルーシーは生活費に困り家賃も払えない状況に。見かねた幽霊船長は、自分の生涯を小説にして出版するよう提案。そして、グレッグ船長が語りルーシーが書くという日々が始まった。そして、完成したのも良いけれど、ルーシーは幽霊船長グレッグに恋をしてしまった。
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★可愛い少女アンナ役のナタリー・ウッド♪

グレッグ船長はルーシーにロンドン行きを勧め出版の契約となる。そこでマイルス・フェイヤリーという作家(ジョージ・サンダース)と知り合う。このマイルスなる男性は近くに住み始めルーシーも彼との結婚を決意するのだけれど、なんと!妻子のいる男性であった。すっかり騙され幻滅するルーシーはグレッグ船長に戻って来てほしいと願う。年月が流れどもルーシーはこの愛しき幽霊屋邸を離れる気持ちはなかった。そして、ルーシーは愛するグレッグと一緒になるという、コミカルでロマンティックなファンタジー♪
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幽霊と未亡人/THE GHOST AND MRS. MUIR
1947年・アメリカ映画
監督:ジョセフ・L・マンキウィッツ 製作:フレッド・コールマー 原作:R・A・ディック 脚本:フィリップ・ダン 撮影:チャールズ・ラング・Jr 音楽:バーナード・ハーマン 出演:ジーン・ティアニー、レックス・ハリソン、ジョージ・サンダース、ナタリー・ウッド、エドナ・ベスト、ヴァネッサ・ブラウン、アンナ・リー、ロバート・クート、イソベル・エルソム、ヴィクトリア・ホーン

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by claranomori | 2010-11-08 10:45 | キネマの夢・シネマ万華鏡
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★第二次世界大戦が終わって10年余りたったある日のこと。語り手のボーイはハンブルグに向かう船上で、奇妙な鳥打ち帽の男性から「姪御さんのネレの物語」を書かないよう忠告される。けれど、遠縁のネレはハンブルグ中央駅近くのランゲ・ライエ通りに住むごく平凡な11歳の少女に過ぎない。幼い頃に、両親が離婚し今は教員の父親との二人暮し。母方のソーニャ叔母さんの居酒屋が家庭代わり。久しぶりにその居酒屋を訪れたボーイは「彼女は私と同じで泣くことができない。時代に合っているんだ」と電話で話す黒ずくめの痩せた紳士を目撃する。同じ日、ネレの天才的な歌声と踊りに驚嘆したレコードプロデューサーのマックス・マイゼがネレの父親と契約を成立させる。少女ネレは瞬く間に天才少女歌手と呼ばれ、世界的スターへの道を歩み始める。その過程でネレとボーイはショービジネスのイロハを体験することになり、スターの階段を上り、手に入るギャラの桁が増えるにつれ、ネレの心は不安定になり、しばしばパニックに陥る。丁度『笑いを売った少年』を書いていたボーイは黒ずくめの紳士が気になりネレが心配でたまらない。折良く再会したティム・ターラーが良い知恵を授けてくれそうな...ネレの涙を売ったのは誰?黒ずくめの痩せた紳士の目的は?なにより、ネレは笑ったり泣いたりできるようになるのだろうか?...というファンタジーであり、考えることの尊さを痛感する作品です。

「子どもたちに善悪の別を教えることはもちろん大切だが、私の最大の関心事は、善が悪に変わる可能性があること、どのようにして何時、善が悪に変わるかを教えることだ。つまり、昨日まで善であったことが今日を境に悪に変わりはじめる時があることを子どもたちに教え、その時を見極める力をつけてやることだ」

これが作者であるジェイムス・クリュスの最大の願いのようで、エーリッヒ・ケストナーと同様に、当初の教師になることを止め、子どもたちのための本を書き始めたという経歴のお方で、上記の言葉は『ある物語作家の略歴』(1965年)より。また、ケストナーとの親交も深い。ジェイムス・クリュスは「おはなし丸の船長」として親しまれているという。エーリッヒ・ケストナー、ミヒャエル・エンデと共に現在ドイツの3大児童文学作家とされている。

『涙を売られた少女』(1986年)が『笑いを売った少年』(1962年)の続編であること。私はいつも思う。しょっちゅう泣いている私はまたしょっちゅう笑ってもいるではないかって!これらの子どもたちのために書かれた小説は今の私にも生きる力を与えてくださる。「涙と笑い」はコインの裏表のようなもの。表裏一体のもの。苦しい現実の中をこうして笑っても生きていられる幸せに感謝したい。次々と困難なことがやって来るけれど、それは大人だけではなくて、子どもたちだって同じ。そこで「考えること」を学ぶというのか、「しあわせの世界」を頭に描きながら、考えながら生きてゆくことは困難に立ち向かう術でもあるのだと。似たようなことを、私は幸いにも子供の頃から両親と親しんできた本や映画の中から学んで来たと想える。

私はこの『涙を売られた少女』というタイトルと表紙の淡い色彩の絵(装画:大間々賢司)に惹かれて読みました。なので、続編から読んだことになります。先に書かれた『笑いを売った少年』も読むと、面白いくらいに「涙と笑い」が表裏一体であることに心が涼しくなりました。そんなものなのだ、人生は!って☆

b0106921_726763.jpg『笑いを売った少年』作:ジェイムス・クリュス 訳:森川弘子★少年は最後にシャックリのついてくる、だれの心をも明るくしてしまうとびきりの笑いを持っていました。彼は三歳のとき、陽気で優しいお母さんと死に別れ、貧しい人々が暮らす裏通りのアパートに引っ越します。大好きな父さんは仕事で留守がちです。大人は皆そうですが、とりわけ訳の分からない継母や、わがままで意地悪な義兄さんとつらい日々を送っていました。日曜だけ、優しい父さんと競馬場に出かける日曜日だけは、まだ明るい笑い声を響かせていました。十二歳のとき、その父さんまで事故で失ない、天性の明るい笑いを忘れてしまいそうになりました。父さんの葬儀の日に出会った謎の紳士と取り引きし、どんな賭けにも勝てる力、つまり莫大な富と引き替えに、その素晴らしい笑いを売ってしまいます。やがて、富は幸せをもたらさないこと、笑いこそ、人生に不可欠のものだと思い知った彼は、十四歳で家を跳び出し、ハンブルクの港から、笑いを取りもどす旅に出ます…まだ笑うことのできる全ての人々のために。夢見ることが忘れられない永遠の少年達のファンタジー。そして、『涙を売られた少女』作:ジェイムス・クリュス 訳:森川弘子 はどちらも出版社:未知谷より発行されています。

※あとがきによると、この「ティム・ターラーのテーマ」は「百一日物語」シリーズ(全17冊)で、1956年から1986年作品として刊行されているそうです。残念ながら邦訳されたものは今のところ僅かですが、上記の2冊を読むことができる現状に感謝したいと想います♪
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by claranomori | 2010-11-02 07:52 | 本の中の少女たち・少年たち
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ねこねこ子猫 どこへ行った?
女王さまたずねて ロンドンへ
ねこねこ子猫 なにとった?
階段の上の でぶねずみ
ねこねこ子猫 それどうした?
あとでたべます お弁当に

(スコットランドの子守歌)

★ポール・ギャリコ(PAUL GALLICO:1897年7月26日~1976年7月15日)はニューヨーク生まれのアメリカの作家ながら、イギリスやモナコ他、ヨーロッパ各地で過ごしながら多くの作品を残されたお方。代表作は『スノーグース』『さすらいのジェニー』『トマシーナ』『雪のひとひら』『ポセイドン・アドベンチャー』『七つの人形の物語』『トンデモネズミ大活躍』『ハリスおばさんシリーズ』『愛のサーカス』『ほんものの魔法使』...と多数。

私はポール・ギャリコの作品だと『スノーグース』を最初に読み、その次に読んだのがこの『さすらいのジェニー』で、中学生の頃にカフカの『変身』でたいそう衝撃を受けたので、ファンタジーとしての変身譚は好きになっていたのかもしれない。けれど、この『さすらいのジェニー』が面白いのは、猫好きの8歳の少年ピーター君がある日、子猫を追いかけていて大通りに飛び出してしまったために石炭輸送車にはねられてしまう。気がつけばピーター少年は純白の美しい猫になっていた。

現代のロンドン、それも交通事故による変身譚。それも、ピーター少年は人間としての少年の心のまま、見かけは立派な猫になってしまったのだから、戸惑いや困惑も当然起こる。そんな中、雌猫のジェニーと出会い、彼等の純愛物語として綴られてゆく。精神は8歳のロンドン少年であるので、なかなか雌猫ジェニーの愛をうまく受け入れられない。そんな中ボス猫と命がけの決闘に挑み、相手の息の根を止めるけれど、自分も負傷を負い死の暗闇に...。物悲しい最後はピーターという人間であることが意識として曖昧になりながら、否すっかりそんなことを忘れてしまって泣きながら読み終えるのであった。元のピーター少年に戻るのだけれど、彼にとって永遠の女性像として、雌猫ジェニーの姿が描かれている。そんな素敵なファンタジーの真骨頂とでもいうべき名作だと想います。矢川澄子さんが大好き!なので、先日も再読していたところです。私の読んだその『さすらいのジェニー』は大和書房版(80年代発売の上の画像のもの)です。今は『ジェニー』として新潮文庫も出ているようですが、そちらは未読です♪

上の「スコットランドの子守歌」は、この『さすらいのジェニー』の「事のおこり」の前に書かれているもの。子守歌って何でも好きな気がしています☆
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by claranomori | 2010-10-02 07:14 | 本の中の少女たち・少年たち
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★イギリスの作家ルーマー・ゴッデン(RUMER GODDEN)は、『黒水仙』や『川』などの作家としても有名ながら、児童文学作家としても『人形の家』(1947年刊行)以来欠かせない存在となったお方。この『人形の家』のお話は、プランタジネット一家の人形たちの身の上に起こった悲劇を、二人の少女姉妹(エミリーとシャーロット)の心の描写、動きと共に描かれた素晴らしい人形ファンタジー(物語)。小さな木でできたオランダ人形トチーは、嘗てスコットランド人形だったプランタジネット氏とその妻バーディの娘にみたてられ、弟のりんごちゃんと共に、エミリーとシャーロット姉妹のおもちゃ箱のなかで暮らしている。持ち主の少女たちも、お人形たちも寒くて暗い箱ではなく家らしい家に住みたいと願っていた。姉妹の大おばさんが亡くなり、その遺品である古い人形の家がやって来た。トチーは嘗て住んでいたことのあるお家なので、家族と一緒に幸せな気分になっていた。けれど、この家の住人であった綺麗だけれど高慢ちきな花嫁人形のマーチペインが後からやって来たことから悲劇は始まる。

美しいお人形のマーチペインを少女エミリーはすっかり気に入ってしまう。シャーロットの抗議も受け付けずに、プランタジネット一家を屋根裏に追いやり、一等良い寝室をマーチペインのものにしてしまう。驕り高ぶったマーチペインはプランタジネット一家に色んな嫌がらせをし不運が続く。姉妹が人形の家のランプの火を消し忘れたために、セルロイド製のバーディは燃えつきて姿を消してしまった...。この事件の折も高慢ちきなマーチペインの心は醜く薄ら笑いさえ浮かべていた。エミリーとシャーロット姉妹はこのマーチペインを疎ましく思い人形博物館へ寄付することに。そうして、プランタジネット一家には再び家と平和が戻ってきたのだけれど、バーディはもう戻っては来ないのだった。

お人形たちはモノかもしれない。でも、お人形を愛する者たちには生命のあるモノである。作り手が愛を込めて作った様々なお人形たちは作り手から離れ、それぞれの持ち主の処へやって来る。その持ち主の心によってモノであるお人形は生命(新たなる)を持つことになるように思う。私も子供の頃はご贔屓の綺麗なお人形には特別の計らいをしていた。今は美醜や値段などではなくすべてをそれぞれに大事にしているつもり。でも、一人だけ私の心から決して消え去ることのないドイツ人形が居る。彼女は美少女というわけでもなくちょっぴりふとっちょな子。何故だか、幾度も私を救ってくれたのはその子。私は毎年歳を重ねてゆくのに一向に成長しないで小さな少女のまま。愛おしい私の友人たちでもある。この『人形の家』は人形世界と人間社会のあわいを紡ぐ大好きなファンタジー。人形たちの運命は人間に左右されてしまう。けれど、彼女たちの心を覗いてみることもできる。人間社会の悲喜交々と共に生きる宿命を背負ってもいるのだと。
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by claranomori | 2010-09-11 19:08 | 本の中の少女たち・少年たち
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先述の『美女と野獣』で有名なフランスの女性作家ボーモン夫人(マダム・ルプラン・ド・ボーモン)のお話の中には他にも好きな作品が幾つもあるのですが、『不運つづきの娘』というお話の中の主人公の娘オーロール。18世紀の作品であり、ボーモン夫人が子どもたちを愛して古い民話を編んだり、英国滞在時での教育事業に傾けた熱意と誠実さ、モラリテが強くお話から感じられる。ボーモン夫人の子供たちへ注がれる眼差しを。各国の仙女物語やおとぎ話の中でよく見られることながら、この『不運つづきの娘』にも登場するもう一人の娘エーメ。彼女はオーロールの妹でこの姉妹は共にたいそう美しい少女である。けれど、妹のエーメは意地悪な性格の持ち主。姉オーロールは心優しく賢明な娘。どうしたわけか、その姉オーロールにばかり不運が訪れる。羊飼いのおばさんはその都度、オーロールに助言を与えてくださり、素直な娘はその言葉を受け入れ、どんな試練がやって来ようと動じない気高き意思をも備えてゆく。

この姉妹と結婚することになる王さまとその弟君。王さまは弟が結婚するという美しい娘オーロールを手に入れようと企てる。けれど、オーロールが荊で美しい顔が傷だらけになってしまった時に王さまは娘に会うことに。王さまは何故こんな醜い娘を弟が愛したのかわからない。オーロールは痛い上にとても傷ついただろうに。けれど、その時、荊で怪我を負わなければ愛する弟王との結婚は妨げられていたのだ。古今東西、人生は正負の法則なのだと教えられる。上の挿絵はアダマールというお方によるものをスキャンしました。オーロールと弟君の王さまはめでたくご結婚されるのだけれど、ある日森でお二人の赤ちゃんが海賊に奪われる。この絵の海辺に描かれている女性はその海賊の妻で抱きかかえている赤ちゃんはオーロールと弟君の王さまの子供。海賊の船は難破してしまいこの二人だけが生き残り、運命的な幸せな出会いで終えました。そうそう、オーロールを化け物扱いした王さまはオーロールの妹エーメと結婚。しかし、性悪の妻を持ったがゆえに苦悩のあまり亡くなってしまいました。オーロールの荊での顔の傷は癒えて元の美しいお顔になっています♪
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by claranomori | 2010-08-06 11:55 | 本の中の少女たち・少年たち
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★ジャン・コクトーは大好きなのですが、初めて観たジャン・コクトー監督の映画はこの『美女と野獣』でテレビ放送でのこと。中学生頃の事で、カラー世代ゆえにモノクロームの映像に今ひとつ馴染めないでいたのだけれど、偶然にも近い時期に衝撃的なモノクロ映画に出会うことができた。まだそれらの作品をひとつも取り上げてはいないのでそろそろ(すべてフランス映画)。ジャン・マレーというギリシャ彫刻のような美男の俳優を知ったのもジャン・コクトー作品からである。お話は子供の頃に読んでいたので大筋は知っていたのだけれど、1時間半程の間、テレビ画面に吸い込まれていたように想う。映像の魔術にすんなり魅了されてしまった。その時に1946年の映画だということなんて知らない。そんな古い映画を観ているとも感じず「美」に圧倒された!というしかない。

原作の『美女と野獣』は、イギリスで1757年にマダム・ルプラン・ド・ボーモン(ボーモン夫人)が『子どもの雑誌』あるいは『子どもたちの宝庫』に纏めたものの中に収められたお話。前年の1756年にフランス語で出版されていたそうだ。ボーモン夫人は1748年から1761年の帰国までの英国滞在、とりわけ子供たちの教育事業に打ち込んでいた時期であり、40冊程の作品を書き上げ、後に傑作と謳われる作品たちは、このロンドン滞在時に書かれたものである。このお話は「妖精物語」とも云える「おとぎ話」。この原作をジャン・コクトーは自ら脚本を手掛け、とんでもなく美しい、幻想的かつ優美な詩的映画として世に出されたもの。

最強のスタッフが揃っていることに今だと気づく。技術顧問あるいは撮影アシスタント的な役割をルネ・クレマンが担当している。あの『禁じられた遊び』を監督する以前の1945年(この年に『美女と野獣』の撮影開始)。また、美女ベル(ジョゼット・デイ)に求婚する乱暴者の青年アヴナン、野獣、王子の三役をこなすジャン・マレー。コクトーはこの美しきジャン・マレーのために構想を練ったと云われるもので、アンリ・アルカンのカメラワークがさらにマレーの美を際立たせている。コクトーはアンリ・アルカンに「画家フェルメールの光の使い方で撮ってほしい」と注文したという。そして、ベルや野獣の豪奢な衣装を始め、神秘的でファンタジックな野獣のお城などの美術担当はクリスチャン・ベラール。以前からコクトーの舞台美術なども担当してきた画家であり、ファッション・デザイナーでもあるコクトーの旧友である。さらに、ジョルジュ・オーリックの音楽も私はいつも相性の良さを感じているお気に入りの音楽家のお一人だし、ベル役のジョゼット・デイの神々しさも焼きついたまま。ジャン・マレーとジョゼット・デイは『恐るべき親達』(1948年)でも再び共演された。

美女と野獣/LA BELLE ET LA BETE
1946年・フランス映画
監督・脚本:ジャン・コクトー 製作:アンドレ・ポールヴェ 原作:マダム・ルプラン・ド・ボーモン(ボーモン夫人) 撮影:アンリ・アルカン 美術・衣装:クリスチャン・ベラール 音楽:ジョルジュ・オーリック 技術顧問:ルネ・クレマン 出演:ジャン・マレー、ジョゼット・デイ(ジョゼット・デエ)、マルセル・アンドレ、ミシェル・オークレール、ミラ・パレリ

※関連:「大好きな映画監督VOL.4 ジャン・コクトー:JEAN COCTEAU」
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by claranomori | 2010-08-05 19:57 | 文学と映画★文芸・史劇
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しあわせが 
蜜のように あまいとは 
かぎりません

ふしあわせが
毒のように にがいとは
かぎりません

しあわせのなかにも
舌にのこる にがさは
ありますし・・・

ふしあわせのなかにも
かすかな あまさは
あるのです

★絵本作家である永田萌さんの1981年に刊行された画集(ことばと絵から成る)『もえと妖精たち』という大好きな作品があります。上記の詩はその中の一篇です。

幼少の頃、思春期の頃...だんだん年齢だけ大人になってゆく中で、幾度も葛藤がありました。今もはみ出したままの気がしますが、人生は尊いと思えます。世の中は汚いばかりでもないとも。意地悪で心の荒んだ人々もいることも知ってしまったけれど、心優しく繊細で傷つきやすいけれど愛する世界を持っている人々、寛容で常にマイペースな当店主や大切な友人たち...充分に素晴らしいではないか!と思えるのです。相変わらず「少年少女」が大好き!無性で聖なる存在。そんな少年少女たちと同じ位に大好きなのが「妖精」。これも変わることは無いようです。妖精にもいろんな性質があるように、子供たちも様々。そして、大人になってゆく...。現実を生きている私は、時々、「此処ではないどこか」へ行ってしまうらしい。いつの間にか得た私の処世術なのかもしれない。

夢は儚くぼんやりしています。でも、夢の世界の住人達は優しく私を迎えてくださる。居心地の良いそんな私の「夢の宝石箱」には大切なものたちで溢れています。あるお方からすれば「ただのガラクタ」のようなものも多いかも。私には愛しいものばかり。そして、幼き日の幻影や記憶、風景もそれらの愛するガラクタたちと一緒に居るのです。
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by claranomori | 2010-07-13 10:22 | 童話・絵本・挿絵画家