あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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 大好きなフランソワーズ・アルディの『私の詩集』より。下の映像にはピエロがふたり。私はお人形が好きですが、棺に入る折に一緒に居てほしい子は一人だけと決めている、今のところ。その子とはもう20年以上一緒に暮らしている。ちょっと大きいけれど成長しないで少女のまま。いつも静かに私に話しかける。音にならない声。私は愛おしくて声を出して話しかける。時に「ありがとう」と抱きしめる。凄く悲しい時、不安な時、怖い時...私の危機を幾度もその小さな少女は助けてくれた。幼い頃からお人形で遊ぶことが大好きだった私は、自分の心の中の言葉をお人形に託してお話してもらっていた気がする。あまり仲間外れはしなかったけれど、格別お気に入りのお人形には特別のお部屋を作ったりしたものです。

 この「私は知らない」は以前綴った「私の騎士」と同様に作曲はトゥーカ。でもこちらはアルディの作詞。やはり詩はアルディご本人のものの方がより好き。邦題は「私は知らない」で「Je ne sais pas」と始まり曲中幾度か出てくる。原題は「La question」。アルディの世界が好きなのは私の感情がすんなり入ってゆけるから。気負いなどなく。そして、問いかける、自分自身に。私が私に「なぜ?」と問う。答えが見つからないままのことばかり。それでも私は「なぜ?」と疑問をずっと抱えて生きている。それは性分だろう。子供の頃から両親に「どうして~」と尋ねてばかりいた。私の親友のような甥が似てしまったのか、小さな頃から私に「どうして~なの?」と質問攻めに合う事もしばしば。とても答えるのに躊躇したり考えたり、新鮮な感動を得たものです。

 自分の心を探ることで見えるものもある。永遠に分からないものもあるだろう。それでも「なぜ?」と問い続ける気がするのです。なぜ生きているのか?と問うと、大事なものが浮かんでくる。その時々で想いも違うけれど。このアルディの「私は知らない」の中に「あなた」も沢山出てきます。あなたと書いたのですが「tu」なので親しい間柄の人。その「あなた」の中にもう一人のアルディがいるようにも思えたりします。レコード世代なのでCDよりレコードの方が多いのですが、私のレコード棚で一等多いのはフランソワーズ・アルディなのです、ボウイではなく。「好き」の感情にも色々あるけれど、歌声がメロディーと共に、そして歌詞を想い、そこから私自身への問いへと繋がる。そんな音楽は私にとってはフランソワーズ・アルディが最高峰のようなのです。

フランソワーズ・アルディ / 私は知らない
FRANCOISE HARDY / LA QUESTION
作詞:フランソワーズ・アルディ 作曲:トゥーカ 1971年

私は知らない
あなたがどんなひとなのか
私は知らない
あなたの希望が何なのか
私はいつでもあなたを
知りたがり
あなたの無口が また
私の沈黙をおびやかす

私にはわからない
なぜここにとどまるのか
この海で 
私は溺れかけているのに
私にはわからない
なぜここにとどまるのか
この風で 
私は息がつまりそうなのに

あなたは血
私の傷口の
あなたは火
私のやけどの
あなたは問い
答えの無い
叫びは声にならず
私は沈黙する




★此処、「クララの森・少女愛惜」は私の心の支柱のような、そんな事をつらつらと綴っています。音楽のことは、大好きな映画や文学、絵画について想いを綴る折よりも、何か抑圧のようなものを感じたりして躊躇しがちでした。別に音楽ブログ的に開設したり。でも、もうずっと大好きな音楽の核なるものは変わらない。自分のブログなのだから、自分の言葉で拙くてもその時の想いを綴れば良いかな...と。なので、此方でも、音楽のこと、大好きな曲のこと、もう長くずっと好きであり続けているアーティストのことなどを、これからは気楽にその時々の想いを記しておこうと想います。不規則な更新ですのに、更新を待ってくださる方が居て下さる事に感謝しています。お気軽にコメントなどください。また、知らないことだらけなので、色々と情報交換させて頂きたいです。皆様、いつもありがとうございます!
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by claranomori | 2013-10-29 10:12 | 私的少女音楽★愛しき歌姫
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★イギリスの作家ルーマー・ゴッデン(RUMER GODDEN)は、『黒水仙』や『川』などの作家としても有名ながら、児童文学作家としても『人形の家』(1947年刊行)以来欠かせない存在となったお方。この『人形の家』のお話は、プランタジネット一家の人形たちの身の上に起こった悲劇を、二人の少女姉妹(エミリーとシャーロット)の心の描写、動きと共に描かれた素晴らしい人形ファンタジー(物語)。小さな木でできたオランダ人形トチーは、嘗てスコットランド人形だったプランタジネット氏とその妻バーディの娘にみたてられ、弟のりんごちゃんと共に、エミリーとシャーロット姉妹のおもちゃ箱のなかで暮らしている。持ち主の少女たちも、お人形たちも寒くて暗い箱ではなく家らしい家に住みたいと願っていた。姉妹の大おばさんが亡くなり、その遺品である古い人形の家がやって来た。トチーは嘗て住んでいたことのあるお家なので、家族と一緒に幸せな気分になっていた。けれど、この家の住人であった綺麗だけれど高慢ちきな花嫁人形のマーチペインが後からやって来たことから悲劇は始まる。

美しいお人形のマーチペインを少女エミリーはすっかり気に入ってしまう。シャーロットの抗議も受け付けずに、プランタジネット一家を屋根裏に追いやり、一等良い寝室をマーチペインのものにしてしまう。驕り高ぶったマーチペインはプランタジネット一家に色んな嫌がらせをし不運が続く。姉妹が人形の家のランプの火を消し忘れたために、セルロイド製のバーディは燃えつきて姿を消してしまった...。この事件の折も高慢ちきなマーチペインの心は醜く薄ら笑いさえ浮かべていた。エミリーとシャーロット姉妹はこのマーチペインを疎ましく思い人形博物館へ寄付することに。そうして、プランタジネット一家には再び家と平和が戻ってきたのだけれど、バーディはもう戻っては来ないのだった。

お人形たちはモノかもしれない。でも、お人形を愛する者たちには生命のあるモノである。作り手が愛を込めて作った様々なお人形たちは作り手から離れ、それぞれの持ち主の処へやって来る。その持ち主の心によってモノであるお人形は生命(新たなる)を持つことになるように思う。私も子供の頃はご贔屓の綺麗なお人形には特別の計らいをしていた。今は美醜や値段などではなくすべてをそれぞれに大事にしているつもり。でも、一人だけ私の心から決して消え去ることのないドイツ人形が居る。彼女は美少女というわけでもなくちょっぴりふとっちょな子。何故だか、幾度も私を救ってくれたのはその子。私は毎年歳を重ねてゆくのに一向に成長しないで小さな少女のまま。愛おしい私の友人たちでもある。この『人形の家』は人形世界と人間社会のあわいを紡ぐ大好きなファンタジー。人形たちの運命は人間に左右されてしまう。けれど、彼女たちの心を覗いてみることもできる。人間社会の悲喜交々と共に生きる宿命を背負ってもいるのだと。
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by claranomori | 2010-09-11 19:08 | 本の中の少女たち・少年たち
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★13才のお誕生日に主人公のサラは、誰からの贈り物か分らない大きな箱を開ける。開けてみると人形の家。ずっと住んでみたいと思っていた装飾の凝った作りのマンサード屋根のお屋敷。目覚めるとサラはお屋敷の中にいました。いつも夢みたお家だから中の事もよく知っていました。ただ西側の棟の鍵のかかったドアの向こうに何があるのか、それだけは知らなかったのです。居るはずの召使い達も庭師も先生の姿もいっこうに見あたりません。サラはその鍵のかかったドアの向こうに全てがあることを知っていました。夕刻になって広い食卓にはたったひとり。バースデイ・ケーキとプレゼントがあります。プレゼントを開けてみると見覚えのある鍵が入っていました。サラはその鍵を持って急いでドアの中に入って行きました。そこには弾き慣れたピアノもあるし、先生も召使い達もいます。思ったとおりです。朝方、サラのおかあさんは売り払ってないハズのピアノの音に目覚め、その音がサラの部屋から聴こえてくるので入ってみると知らない人形の家の中から音がします。中を覗いてみるとサラが小さな声で「あら、おかあさんね。今日からわたし、ここで暮らすことにしたの。心配しないで。ジョージもブラウディさんも、セルマ先生も、みんなとってもよくしてくれるから。」

このサラの言葉でこの本は終わります。読んでいた私はサラのずっと夢みた暮らしが実現したものなのか?まだ目覚めぬ夢のお話なのか?はたまた...等と色々な想像が出来るのです。ただ、このお話はあまりにも私の少女時代と重なり合い、不思議な既視感に胸を躍らせてくれるものでした。幼い頃は夢の世界が現実に成り得ると信じてしまうことがよくあります。何も懐疑せずに。男の子の世界にも違う形でこのような想い出があるのでしょうね。女の子なら誰でも強弱の差はあれど、この感覚は憶えのあるものではないでしょうか?私はとってもお人形が大好きで中学生になってもまだ一緒に遊んでいたもので、従姉妹にあげなければならなくなりました。ところが、お人形達は私にとって今でも大切なお友だち。ある途轍もない寂しさと恐怖心が襲って来た日がありました。私は何も迷わずにお人形を買いに行きました。あんなに仲良しだったお友だちを見捨てた時期を償うかのように、それからは大切に一緒に居ます。

 シルヴィー・ヴァルタンが歌った大好きな曲『JOLIE PUPEE - きれいなお人形』を思い出します。

女の子が大きくなってしまった為に、部屋の片隅に置き捨てられてしまった。きれいなお人形が、どうして自分を捨てたのかと非難をするのに対して、娘は、もう自分には恋人ができてお人形と遊ぶには大きくなりすぎてしまったのです。
 私をうらんだり、いたずらに悲しんだりせずに、きれいなお人形の運命を受け入れて、おもちゃの王国におかえりなさい。


・・・おもちゃの王国にサラは行ってしまったのかもしれません。

この『「サラ・人形の家」 著:テリー・バーガー/デヴィッド・バーガー 写真:カレン・コショフ 1982年』は英文と和文で書かれ、写真(挿絵のように)が付いています。カレン・コショフなる人の写真がまた、不思議な魅力でもあります。少女サラはどう観ても13才になったばかりの女の子。でも、時折見せる表情は悲しみと警告をも感じさせるもの。それは、サラがお人形に同化している時なのかもしれません。今で言うゴシック・ロリィタな雰囲気も漂う個性的な写真。文章と同等にこれらの写真は私の心を惹きつけます。やや風変わりな著書ではありますが、どこかの古本屋さんで見つけることがありましたらそお~っと、覗いてみてください。

 2002年・春 冊子『BRIGITTE 01号』より

※2002年の春に『私の好きな本の世界』として書いたものですが掲載いたしました。今は休んでおりますが私の主宰いたします『BRIGITTE』というちいさな友の会の冊子をメンバーの方々にお届けさせて頂いておりました。パソコンが壊れてしまってデータが中に入ったまま片隅に放置しています。冊子を手打ちで書き写すのって、自分で書いたものでも大変でした♪

今後は、こちらの『クララの森・少女愛惜』と『永遠のアイドルと泉の畔の女神たち』の二つのブログからさらなる私の好きな音楽・映画・本・絵画...そんな愛しき世界のことを拙い綴りですが想いを記録してゆこうと思います。そのうちに、再び『BRIGITTE』を冊子にしたいとも思っています。
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by claranomori | 2010-06-10 15:58 | 本の中の少女たち・少年たち
b0106921_11131277.jpg★フランスの文豪アナトール・フランス(Anatole France:1844年~1924年)が1886年にパリのアシェット社から刊行された、『少年少女』という19篇の短いお話からなるもの。初刊の題名は『我々の子供たち』と題された上下巻からのものだったそうだ。その下巻の題名が『少年少女』で日本語訳の折にこの題となったとあとがきに記されている。私は馴染みの深い三好達治訳で手にしたのだけれど、もう大人になっていた。そして、この小さなご本を10数年ぶりに読み返し感動している。もう毎日がこんな具合で過ぎてゆく。ちょっとばかり今、バランスの均衡が不安定でまた風邪気味。何故、私はすぐに風邪をひいてしまうのだろうか。きっと、精神力や気力、また自己管理能力が欠けているからだろうと想う。考えなくてもよい「ここではない、どこか」へ想いを馳せることが多く、でも「あなたの場所はここよ!」と現実の大きな壁が現前する。そんなまだまだ人生という荒波の真っ只中の私。それでも、私なりに少しは乗り越えて(あるいは伴って)歳だけ重ねているとも想うのだけれど。

読みやすく品性のある文体。子供の頃にも読んでみたかったな。今の私の心に響く数々の少年少女たちの日常風景。少女カトリーヌと弟ジャンを中心に少年少女たちが主人公。中にはカトリーヌのお友達でもあるお人形も出てくるし、野の草花で花冠や花環を作って遊んだりしている。このお話の中の子供たちにすんなり私の子供時代の風景が重なる。過ぎ去りし幼き日々なのにありありと。輝くようにそれらの風景が浮かぶ。ヴィム・ヴェンダース映画に夢を映像化するようなお話のものがあったけれど、そのような機械があれば素敵かなあ...とか。私の脳内あるいは心象風景として輝く場面たち。たかが、想い出と記憶による不思議な風景でもある。
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『カトリーヌのお客日』の中の少女カトリーヌのお遊び。お客様たちはみんなお人形たち。カトリーヌは一人ですべての会話をこなす。そして、器量良しな贔屓しているお人形がいる。そんな少女カトリーヌの気持ちがとってもよく分かる。でも、それらの遊びのなかで、次第にみんなに公平にしなければいけないのだということも学習してゆく。それは誰かに云われるでもなく、カトリーヌの心が自然とそのように感じ始める。面白いくらいに私もそうだったので苦笑してしまうけれど。お話の最初に個性的な挿絵(版画)が載っていて、その挿絵はエディー・ルグランというお方のもの。上の絵はその中のひとつ『カトリーヌのお客日』よりスキャンいたしました♪
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by claranomori | 2009-11-23 00:48 | 本の中の少女たち・少年たち