あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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セットの扉は、いつも開け放っておきなさい。
扉の向こうをだれが通り過ぎるかわからないし、扉を抜けてだれがセットに入ってくるかもわからない。
それが映ると、リアリティが出るのだよ。

~ ジャン・ルノワール ~

そして、批評家であり翻訳家である柴山幹郎氏の「映画は監督で回っている」というコラムで綴られていた言葉にも頷きながら拝読。ベルナルド・ベルトルッチ監督の、あの『ラストタンゴ・イン・パリ』(1972年)のいくつかの場面が蘇るかのようです。哀切な初老の男性を演じた名優マーロン・ブランドと不思議な小悪魔的な魅力を湛えたまだお若き日のマリア・シュナイダー。

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説得力のある助言だ。この言葉を、ベルトルッチは映画作りの憲法にしてきたのだろう。実際、彼は広大な空間の派手なドラマを好む一方、小さな扉や窓の向こう側でうごめく意外な細部も描き出す。人の土地も光も影も、彼の映画では思いがけない変化を見せる。
~ 柴山幹郎 ~

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★ジャン・ルノワール監督は、印象派画家のピエール=オーギュスト・ルノワールの息子でもある。また、美の巨匠というと欠かせないルキノ・ヴィスコンティもまた、お若き日にジャン・ルノワールの助監督を務めていたのでした。継承されゆく美意識。こうした美の系譜から生み出された数多くの作品が、作者の手から離れて世界中の受け手へと届く。その中の一人に私もいるのだろう、などと想うととても嬉しいものです。芸術は美的であることによって、概念的支配を批判することもでき、デヴィッド・ボウイが問いかけたリアリティ。美が仮象の現象であるのならば、現実存在を超越するという主体。美こそすべて!
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# by claranomori | 2012-10-04 11:56 | 美学と芸術哲学の断章
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ベルナルド・ベルトルッチ:BERNARDO BERTOLUCCI
生年月日:1940年3月16日 魚座 イタリア・パルマ生まれ

★ベルナルド・ベルトルッチ(Bernardo Bertolucci)は1940年3月16日生まれの、北イタリア、エミーリア地方のパルマ出身の映画監督。父親は有名な詩人かつ文芸評論家のアッティリオ・ベルトルッチである。早熟な詩人で23歳の折に『11月の火』という詩集を出版している。母親のジネッタ・ジョヴァナルディはオーストリア出身で、アイルランド人の母親ととパルマ出身のイタリア人の父親との娘である。ベルナルドには六つ下の弟、ジュゼッペがいる。ベルトルッチはパルマの丘に近い大きな家で少年時代を過ごし、1952年に家族と共にローマに移った。けれど、ベルトルッチ少年にとって故郷パルマは忘れ難く、帰郷の機会をうかがっていた。故にパルマとその近辺のエミーリア地方はパリと共に、ベルナルド・ベルトルッチ作品の重要な背景でもある。

まだ10代のベルナルド・ベルトルッチは1956年から1957年には、パルマで短編映画を撮影していた。『豚の死』である。そして、『ローブウェイ』という作品も撮っている。その後、ローマ大学を中退し、ピエル・パオロ・パゾリーニの助監督を担当し、1962年の監督長編処女作『殺し』以降、国際的映画監督として歩み始める。パリのシネマテークに通いづめ、イタリアの同時代の映画よりもフランスのヌーヴェル・ヴァーグ作品に夢中になっていた。殊にジャン=リュック・ゴダールの影響は大きい。詩、歴史的映画と時間、故郷、父親を求めるベルトルッチ自身と作品の中の分身たちとの対立と同化も特徴である。

端正な構図と物語の展開。その時間と空間は重奏的な詩のようでもある。ファシズムと社会主義の軋轢が主題であっても、ベルトルッチ映画は常に狂気と美の監督で、その美は甘美かつ残酷である。そのような美意識が私の心に響くのだろうと想います。また私の個人的な強い思い入れは『暗殺の森』であり『1900年』なのですが、それは惑うことなくドミニク・サンダへの愛ゆえに。

私は詩人の息子である。詩人の父は長年にわたって様々な雑誌に映画批評を書いていた。私は極めて早くから詩を書き始めたように、極めて早くから映画館にも通った。私たちはパルマに近い田舎に住んでいて、父は度々私を町に連れて行ってくれた。そして私は沢山の映画を見て、パルマの映画館の案内嬢は一人残らず顔見知りだった。私の父は映画を見ること、映画を理解すること、そして映画を愛することを教えてくれた。私の映画に対する愛は、私の祖父の田舎に対する愛が父の田舎に対する愛となって現れているように父の映画に対する愛に多くを負うている。

- ベルナルド・ベルトルッチ -

●代表作●  
ドリーマーズ (2003) 監督 
10ミニッツ・オールダー イデアの森 (2002) 監督/脚本 
愛の勝利 (2001) 脚本/製作 
アルマーニ (2000) 出演 
シャンドライの恋 (1998) 監督/脚本 
魅せられて (1996) 監督 
リトル・ブッダ (1993) 監督/原案 
シェルタリング・スカイ (1990) 監督/脚本  
ラストエンペラー (1987) 監督/脚本 
ある愚か者の悲劇 (1981) 監督/脚本 
ルナ (1979) 監督/脚本 
1900年 (1976) 監督/脚本 
ラストタンゴ・イン・パリ (1972) 監督/脚本 
暗殺の森 (1970)監督/脚本
愛と怒り (1969) 監督 
暗殺のオペラ (1969) 監督/脚本 
ウエスタン (1968) 原案 
革命前夜 (1964) 監督/脚本 
殺し (1962) 監督/脚本

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# by claranomori | 2012-10-01 12:25 | 大好きな映画監督
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芸術作品の本質とは、外界に対していささかの繋がりをも必要とせず、その糸の一本一本を再びその中心点に向って紡ぎ返しつつ、それ自体で以て一つの全体であるということである。 作品はそれだけより深く、またより完全に我々の内へと入ってくる。

だいたいにおいて、人間には救いがない。それゆえに、人間は慰めという素晴らしい範疇を形成してきたのである。― 人間は、ただ人々が慰める目的で彼に語る言葉だけから慰めを得るのではなく、世界の多種多様な所与からもそれを引き出すのである。
- ゲオルク・ジンメル -


●ゲオルク・ジンメル(Georg Simmel:1858年3月1日~1918年9月26日)は、ドイツ、ベルリン出身の哲学者、社会学者である。ジムメルと表記されることもある。19世紀末から20世紀初頭の社会学者のお一人。彼の哲学は、ニーチェ、ショーペンハウエルと共通点をもつ生の哲学だが、大学の世界で薫陶を受けているため、それをカント以来のドイツ観念論の系譜で一般的な用語法を持って語るという、なかなかユニークなもの。

「断章」などにも本人が書いているように、知的遺産の後継者には恵まれなかったが、彼の思想は彼の提唱する形式社会学に結実した。形式社会学に含まれるその考え方はアメリカにわたり、社会学のシカゴ学派、そしてシンボリック相互作用論に大きな影響を与え、定性的研究の源流のひとつとも言われるようになった。また、近年では、ドゥルーズ、ガタリ以降の生気論再評価の文脈で、社会化以前の生を捉えようとする後期ジンメルの論が新たに注目されている。(引用・参照:wikipediaより)


★台風接近だと尖閣に中国も台湾の船も近づけないですね。でも災害にはご注意ください。大好きな季節の秋です。去年の今頃はまだ暑くて秋がなくて一気に冬になったのでした。1000年に一度という大震災と原発事故も経験しました。郷里を後にしなければならなくなった人たち。復旧どころか、まだ東北の震災瓦礫はそのままの場所も。絆とかオールジャパンなどという空々しい言葉に涙した日が嘘のようです。今日は、日中国交正常化40周年という日ながら、正常化していない現実も露わ。個人的友好と国家間では異なるのですから困ったものですね...。

私は10数年前から「BRIGITTE フレンチ・女性ヴォーカル友の会」という音楽を主としたサークル活動をのんびり続けているのですが、そこには映画や文学、殊に少女愛惜というテーマがあります。広義のアート、芸術、それも私なりの美をもとめての探求のような作業でもあります。暫く、外に向けてのイベントをしていなかったのですが、今後、定期的に『サロン・ド・ヴェルヴェット~美と芸術を愛する友の会』として冊子制作も並行して再開してゆきたいと思います。

これまでの「BRIGITTE フレンチ・女性ヴォーカル友の会」の発展形として、「美」をさらに優先しながら、政治や哲学的な思想なども加えてのもの。世界を見つめながら、日本を考えることも。護るべきものは保守しなくてはならず、けれどイデオロギーは自由で様々な考えや想いの方がおられる。争論などではなく、対話、会話をする場でありたいです。冊子はイベントにご参加くださる方々には配布させて頂きます。ご予約を頂きましたお方にはセレクトCDもございます。遠方のお方やご都合でお越し頂けないけれど、冊子はほしい、とおっしゃって頂けるお方はご連絡ください。冊子は送付させて頂きます。また随時お知らせいたします。どうぞ、今後ともよろしくお願いいたします。この「美学と芸術哲学の断章」は読書や鑑賞からの覚え書きですが、忘れて行くので此方にメモしておこうと想います♪
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# by claranomori | 2012-09-29 06:44 | 美学と芸術哲学の断章
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★リチャード・アヴェドン(Richard Avedon:1923年5月15日~2004年10月1日)はニューヨーク生まれのアメリカの写真家で、数多くの銀幕の名花たちのポートレートを撮影されています。私がこのアヴェドンのお写真に魅せられた最初のものはエリザベス・テイラーでした。アヴェドンならではのリズのお美しさが表現されていると想います。今回はリチャード・アヴェドンの撮った銀幕の名花たちの一部を掲載させて頂きます。
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アヴェドンは「ハーパーズ・バザー」や「ヴォーグ」等のファッション雑誌を中心に写真を撮り始める。時代は1940年代のこと。渡仏しパリ・コレクションや、オードリー・ヘプバーンとフレッド・アステア共演の『パリの恋人』の映画脚本にまで着手する活躍ぶり。1980年代以降は「エゴイスト」や「ザ・ニューヨーカー」誌と契約。
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けれど、テキサス州サン・アントニオで撮影中に倒れ10月1日に同地で死去された。アヴェドンは「民主主義について(デモクラシー)」と題する2004年アメリカ大統領選挙についての構想に着手していたそうです。今年もアメリカ大統領選が白熱しているようですが、2004年というと共和党のジョージ・ブッシュ大統領が第二期目を圧勝でスタートさせたのでした。日本は小泉内閣でしたね。
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●上から、エリザベス・テイラー、ソフィア・ローレン、ツイッギー、バーブラ・ストライザンド、ブリジット・バルドーです。どれも好きですが、やはりリズの神々しさに魅入ってしまいます☆
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# by claranomori | 2012-09-29 03:08 | 映画・女優とファッション
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★久しぶりに映画のこと、少女映画を。レオ・マッケリー監督の1945年映画で『聖メリーの鐘(セント・メリーの鐘)』。主演は名優のお二人で、ビング・クロスビーとイングリッド・バーグマンなのですが、少年少女たちのお話でもあります。同じくビング・クロスビー主演で同役柄のオマリー神父は前年の『我が道を往く』に続くものです。ビング・クロスビーは勿論、イングリッド・バーグマンの歌声(スウェーデンの唄で「It's Spring」)も聴けるのですが、兎にも角にもバーグマンの尼僧姿がお美しいのです!また少女パッツィ役のジョーン・キャロルはヴィンセント・ミネリ監督の『若草の頃』(1944年)に続く出演作でもあります。
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進歩的、革新的な思考の持ち主であるオマリー神父(ビング・クロスビー)と、心の強い美しいシスター・ベネディクト(イングリッド・バーグマン)は謂わば保守的で祈りで目の前の大問題を解決できると信じ、敬虔であるが楽観的でもある。この神父とシスターは子供たちの教育方針も異なるけれど、神父の寛容さもあり、次第に協力しながら教会の運営の危機を乗り越える。その一方で、家庭の事情から母親が13歳の少女パッツィ(ジョーン・キャロル)を教会に寄宿させるために連れて来る。この少女の成績が悪いことの視点も神父とシスターは異なる。また、使用人の息子エディ(リチャード・タイラー)が他の生徒との喧嘩で殴られてしまう事件も起こる。神父は男子の喧嘩にも寛容であるけれど、シスターは違った。けれど、このエディには防衛策としてのボクシングを教えることに。バーグマンが尼僧姿で少年にボクシング指導する場面は微笑ましく今も蘇ります。オマリー神父は教育に歌を導入し、少年少女たちの心も次第に朗らかになってゆく。パッツィも作文に才能を発揮するようになり、エディも頼もしくなってゆく。神父とシスターは理解し合えたけれど、シスターは病いの療養のために教会を去る日が訪れる。その姿を何とも云い難い気持ちでオマリー神父はみつめながら、お互い最後は安堵の気持ちでお別れする・・・。

オマリー神父とシスター・ベネディクトの考え方の違い、それでも窮地の教会を守るために協力してゆく過程には、意見が違えどもお互いを尊重し合うという心がある。教育の世界のみならず、どの職場でも学校でも通じる大切なことだと想います。この『聖メリーの鐘(セント・メリーの鐘)』は1945年のアメリカ映画である。その頃の日本は...などと想いを馳せながら、この素晴らしいクラシック映画を想い出すのでした。

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●あらすじ●
聖ドミニック教会を再建すると、雪の降るクリスマスの晩に、ひょう然と立ち去った神父オマリーが、赴任したのは聖メリーの教区であった。ここには学園が付属しているが、老神父オーガディには窮迫している教区の財政を建て直す能力はなかった。オマリー神父が来たのは、そのためでもあった。学園は尼僧長ベネディクト尼が、学園長として教育と経営の任に当たっているが、教育家としては申し分ないにしても、経営の方は円滑に行かないのは是非もないことだった。オマリー神父はベネディクト尼が余りにも若く美しいのにびっくりしたが、さすがに若くして尼僧長になるだけのしっかりした性格を持ていた。学園の隣には建築中の大きなビルディングがあった。そこは以前学園の運動場だったのを、実業家ボダーガスが買い取ったのである。ベネディクト尼は、それが完成したら、ボダーガスが学園に寄付するだろうと思って毎日そうなるように祈っているというのであった。オマリー神父は彼女が余りにも世間を知らなすぎるのに、かつ驚きかつ憂えるのであった。

ある日一見して夜の女であると思われる婦人が、オマリー神父を訪ねて来た。テレサ・ギャラガーという女で、12年前夫ジョウが家出して以来、一人娘のパッシーを抱え辛い世渡りをして来たが、娘が13になって母の職業を勘づいた様子なので、学園に寄宿させて頂きたいというのだ。神父が承知したので、彼女は翌日パッシーを伴って来た。オマリー神父は孤独な生活がパッシーの生活をひねくれさせていることを知ったが、ベネディクト尼は勉強嫌いでパッシーの成績が悪いのだと単純に思い決めているので、彼女の訓育について神父と尼僧長の意見は合わなかった。ボダーガスはベネディクト尼がビルディングを寄付をされたいと申し入れて来たのにびっくりして、憤慨したため持病の心臓病に障り病臥してしまった。オマリー神父が見舞いに行くと医師が来ていて、病気は心労のせいだと言った。神父は医師にボダーガス氏がビルディングを学園に寄付してしまえば心労がなくなるだろうにと言った。ところが医師から言われたと見え、数日後ボダーガスはベネディクト尼を訪れ、寄付を正式に申し出た。尼僧長は大喜びだったが、オマリーは彼女が肺を侵されていることを医師から聞くと、彼女をアリゾナの病院へ転勤させる手続きをした。

彼女はパッシーを卒業させないので、神父が意趣返しをしたのではないかと思っている様子だった。卒業式を終わると尼僧長は出発することになっていたが、オマリー神父はパッシーから自宅に帰るのがいやで、答案を下手に書いたという告白を聞いた。しかもテレサはジョウが帰宅したといって二人連れで、娘の卒業式を見に学園を訪れた。神父が困ったことになったと心配していると、尼僧長がパッシーも卒業させると言出し、彼女を式場に連れて行った。卒業式が終わるとベネディクト尼はあいさつして出て行った。それを見ると神父は堪らなくなって追いかけた。そして彼女がアリゾナに転勤になる理由は、彼女の健康のためであること、彼女の肺が少し悪いからだと、告げたのである。ベネディクト尼の顔は晴れやかに輝いた。神父に対する一片の疑惑の雲もなくなったからであろう。ベネディクト尼は健康を回復したら、また帰って参りますと言った。オマリー神父も再会のその日を待ちましょうと握手して別れた。
(参照:goo cinemaより)
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聖メリーの鐘 / THE BELLS OF ST. MARY'S
1945年・アメリカ映画
監督・製作・原作:レオ・マッケリー
脚本:ダドリー・ニコルズ 撮影:ジョージ・バーンズ
作詞:ジョニー・バーク 作曲:ジミー・ヴァン・ヒューゼン 音楽:ロバート・エメット・ドーラン
出演:ビング・クロスビー / イングリッド・バーグマン / ヘンリー・トラヴァース
ジョーン・キャロル / ウィリアム・ガーガン/ リチャード・タイラー

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# by Claranomori | 2012-09-28 10:29 | 銀幕の少女たち・少女映画
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★ポール・ガヴァルニ:PAUL GAVARNI(1804年1月13日~1866年11月23日)はフランス、パリ生まれの19世紀のイラストレーター。挿絵画家でもありますがカリカチュアの代表的なお一人です。あのフランス特有の風刺画は世相を反映しており毒も強いので、作品は好きなものとあまり好きでないものがあります。けれど、このポール・ガヴァルニの作品は知っているものに限れば好きな画家のようです。

少しばかり経歴を。ポール・ガヴァルニとはペンネームで、本名はギョーム=シュルピス・シュヴァリエ。1829年10月に創刊された「ラ・モード」の発行者であるエミール・ド・ジラルダンにバルザックがガヴァルニを紹介。ブルボン復古王政が崩壊する以前で、この「ラ・モード」誌は王家の援助を受け好評であったそうです。「パリの神秘」でベストセラー作家となるウジェーヌ・シュー、バルザックにジョルジュ・サンド等もこの雑誌から世に出ることになる。ガヴァルニとバルザックは友人で共にこの時25歳の若さ。1830年から絵を発表し、バルザックの小説で挿絵を担当したり、「カリカチュール」誌にやはりバルザックの紹介であるが、ガヴァルニは政治にほとんど興味を示さない方で政治風刺画はほとんどない。なので寧ろ発表の場は「シャリヴァリ」誌であった。石版画や水彩画も秀でており、それらを展覧会に出品したりしていた。1833年に、「子供達」の連作で自己の画風を完成させる。そして、自らの雑誌を創刊するに至る。名称は「社交界の人々の新聞」である。

今回は『恐るべき子供達』という連作より。この作品は1838年から1842年の5年間に飛び飛びに作られ、50枚のシリーズになる。子供の無邪気さが恐るべきものになるという皮肉な構図で、この頃からガヴァルニは、単なる観察者からシニカルなモラリストと変容してゆく。因みにジャン・コクトーの『恐るべき子供達』は1929年の小説。

上の絵の少女はかわいい子供ではなく、大人のような表情をしています。

紳士:「かわいいお嬢さん、あなたのお母さんは何という御名前のマダムなの?」
少女:「ママはマダムではないのよ、マドモワゼルなのよ」

こんな具合である。バルザックやボードレールのような文学者もこのカリカチュアに協力し、ジャーナリストは文学者に劣る、また挿絵画家は文筆家に劣るという時代が変わろうとしていた頃。こうした文学と美術が共鳴し合う様はとてもフランス的で好きなのです。

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# by claranomori | 2012-09-10 03:01 | 絵画の中の少女・女性
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VELVET MOON presents
『Salon de Velvet』
美と芸術を愛する友の会
 

●発足記念・第一弾●
「幻の黄金時代 オンリーイエスタディ80's」
~西村幸祐さんをお迎えしてのトーク・イベント~
何と!幸祐先生の大阪初となるトークライブです!

~イデオロギーを超えて~
尖閣、竹島、だけでない日本の危機!
日本の危機を80年代から透視する。


2012.10.13.(土) 
会場:MAMBO CAFE (マンボ・カフェ)
場所:大阪市北区大淀南1ー1ー14 2F TEL:03-5464-7411
開場:15:30 開始:16:00~
入場料:前売り2000円 当日2500円 (別途1Drink)
西村幸祐先生&Velvet Moon制作 レジュメ 付
そして、ご予約の方限定 Salon de Velvet Selection CDプレゼント♪

●当日会場にて西村幸祐先生のサイン付御本の即売コーナーもございます●

出演:西村幸祐(批評家) 
特別ゲスト:西村眞悟(元衆議院議員) 石平(評論家) 
藤井聡(京都大学教授) 一色正春(元海上保安官) 他

yamaten et chouchou (Velvet Moon)
主催:RECORD&CD SHOP VELVET MOON

●ご予約は上記のマンボ・カフェさん か
VELVET MOONのこちらへ ↓ 以下の件名でお願いいたします。
件名 「サロン・ド・ヴェルヴェット」・「幻の黄金時代 オンリーイエスタディ80's」イベント予約

満員御礼!前売りご予約が定員数に達しましたので、前売りご予約&当日チケット共に締め切らせて頂きました。10/13(土)当日、どうぞ宜しくお願い致します!

★「サロン・ド・ヴェルヴェット」発足記念の第一弾となる、豪華ゲストの先生方をお招きしてのトーク・イベントです。私chouchou主宰『BRIGITTE』の発展形のようなものになるかと思います。音楽や映像なども交えながら。

美とは?私の永遠の問いのようです。広義の芸術が好きですが、それらを中心に政治、思想を足したようなもので、日本を軸に世界を眺め色々な想いの方々との交流、会話の場になれば、と思ってます。堅苦しくなくて気楽に其々の想いや活動をされている方々が繋がる。「日本が好き」で何が悪い!愛国なるものは教わるものではない。けれど、愛国という言葉さえタブーの如き時を経て来た気がしています。

世代によって差異はあるのでしょうが、あまりにもグローバル社会、多文化共生を是と生きて来た感があります。イデオロギーを超えて、日本を軸に見渡し、歴史や文化を尊ぶことに心を傾けながら生きてゆきたいと思います。島国日本は長い歴史と文化が継承されています。でも解体勢力も。反日という内外の敵とは?!世界の国々には素晴らしき文化と人々がおられます。世界の文化に触れながら、決して国粋主義ではないけれど、もう少しわが国日本のことを考えたい、考えなければならないと思っています。経済的に豊かな日本に生まれ育ちました。それは先代の方々のお陰です。けれど今だけではなく、次世代へと継承される美しき日本について、実はよく知らない。

どうも中国や韓国は反日意識が強く、反日プロパガンダで国が纏まるのだと知った折はショックでした。今、世界的に民族、移民問題が起きています。個人的な交流と国家としての友好は分けて考えないといけない。誤解される方もおられますが、冷静に視点を変えると、今や日本で生きる日本人の方が逆差別を受けているかのように感じるのです。なぜでしょう。歴史のある、他に例のない民主国家である日本の美しさが失われてゆくのに、なるがままで良いとは思えないのです。

今回は西村幸祐先生の最新の著書である『幻の黄金時代 オンリーイエスタディ'80s』を中心に各先生方とのお話をお聞きしたり、質問したりしたいです。オープニングでは幸祐先生と私で少し、このトークイベント実現の経緯などに触れ、そして後は私もお話をお聞きして勉強させて頂きたいと思います。出会いや繋がるご縁に感謝いたします。堅苦しいイベントではございませんので、どうぞお気軽にお越しください。よろしくお願いいたします!
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# by claranomori | 2012-09-09 10:44 | お知らせ
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★ロンドン・オリンピックもいよいよ終盤となりました。四年に一度のオリンピックがやはり好きなので睡眠不足が続いております。昨年より今年の夏はさらに猛暑でもあり熱中症寸前の日もありましたが、どうにか過ごしております。ロンドンは好きな世界都市の一つなので、今日は英国の美のことを。私は英国というとどうしても19世紀末のラファエル前派が欠かせない程大好きです。もっとも美術館や画廊巡りをしたのは80年代なのですが、ラファエル前派関連の展覧会にも幾度か行きましたことも懐かしい想い出として残っています。

ラファエル前派とは、イタリア・ルネッサンスの巨匠ラファエロ以前の自然に忠実な絵画精神を目指し、1848年に結成された絵画運動で、形骸化しつつあったイギリス画壇に大きな影響を与える。同派は1860年代以降、新たな開花を遂げ、ロセッティやバーン=ジョーンズ等の傑作はヨーロッパのみならず、遠くわが国日本の明治浪漫主義の芸術家にも多大な影響を及ぼすことになる。とりわけ後期を中心とするラファエル前派は、世紀末美術の源泉としてその意義が重視される、20世紀末に10代であった私の心と40代の今の心は変わらないものもあれば、今日的意義という点に於いてますます興味深い絵画運動であると想っています。

知人が私を「文化保守的タイプ」とおっしゃった。政治的、経済的なことは疎くもっと勉強したいと想っていますが、文化や伝統を保守することは右左、イデオロギー云々以前に、いつしか私の中でごく自然なことのように思えるのです。けれど、古ければ全て良し、とも思わない。そして新しいことが全て良いとも。人それぞれの感性は異なり、時代も変動する中で、やはり守るべきものは国柄ということではないでしょうか。この19世紀の英国の絵画運動は正しく英国という古い歴史と伝統を持つお国としての保守運動であったとも想います。そして、この混迷する混沌化する日本に於いて、私は日本人として守るべきものは「日本の美」であり「日本人の美徳」であると想います。難しいことは分かりませんが、芸術も政治も切り離すことは出来はしないという中で、私の心が求めるものへ、ただ素直に赴き、時に闇をも見据えなければならなくとも対峙する中で得られる尊いもの、それが精神的な崇高なる美に繋がると想いますので、これからも向かい合い、我流の異端であれど私らしく生きてゆきたいと想います♪
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# by Claranomori | 2012-08-08 11:55 | 19世紀★憂愁のロマンと美
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★エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(Elisabeth-Louise Vigee-LeBrun:1755年4月16日~1842年3月30日)は18世紀後期ロココを代表する女流画家。同じく画家であった父親ルイ・ヴィジェとは15歳の折に死別。10代の頃から画家の才能を認められ母親と弟を養っていたという。画家で画商のジャン=バティスト=ピエール・ルブランと結婚後、ますます宮廷画家としても多くの貴族の肖像画を描く。マリー・アントワネットにヴェルサイユ宮殿に招かれ王妃や家族の肖像画も多数描かれた。マリー・アントワネットとエリザベート・ヴィジェ=ルブランの友情関係も築かれていったとされるけれど、フランス革命が起こってからはフランスから逃れ、ヨーロッパを転々とされた。

上の自画像はやはりエリザベート・ヴィジェ=ルブランの代表作のひとつだと思いますが、1790年のフィレンツェでの製作とあります。下の愛らしい瞳の大きな娘さんとの母子像が1786年とのことですので、この小さな少女はまだ3歳か4歳という頃です。王妃の身を案じながら、小さな一人娘を抱え、いったいどのような心でフランス革命の最中、この典雅な面持ちの画を維持できたのだろう。生涯画家として多くの作品を残され、王政復古した祖国フランス、ルイ18世に手厚く迎えられ安住の地となる。けれど、夫や成長する娘の素行は良くなく、家庭的には決して幸福なものではなかったという。

「ここで、ついに、私は休みます…」と刻まれた墓碑銘。画家として激動のフランス、ヨーロッパの中で生き抜いた86歳のエリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランの壮絶な時代との生涯と、柔和で優雅な微笑みの肖像画の数々ゆえに、鑑賞者の私に与えてくださるものは言葉を超える☆
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# by claranomori | 2012-07-15 22:10 | 絵画の中の少女・女性
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★7月14日は「パリ祭」或いは「パリまつり」と呼ばれている日。けれどこの呼称は日本でのことで、本国フランスでは「建国記念日」であるけれど、あのバスティーユ襲撃の日であること、そして、フランス革命という世界史に於いてもたいへんな劇的な転換をもたらした大事件だと思います。「自由・平等・友愛」をスローガンに人間の尊い自由なる精神を得る大偉業でもあり、また多くの犠牲、血なまぐさい恐怖政治という時代をも経なければならなかった、フランスの歴史、およそ100年近くのこのフランス革命には今も複雑な想いで揺れ動きます。

まだ幼い時に、池田理代子作の『ベルサイユのばら』が大好評となった頃。私がその作品を知ったのは、母に連れられて行った宝塚歌劇団の『ベルサイユのばら』が最初でどんなお話かも知らないし、タカラヅカのこともその時まで知らなかった。母にはとても感謝しています。今でも浮かぶのはラストシーンのマリー・アントワネットのお姿と「マリー・アントワネットは、フランスの女王なのですから」という台詞が焼きついています。あのタカラヅカの煌びやかな夢のような雰囲気に圧倒されていたのだと想うのですが、死にゆく王妃の気高き心が子供の私に何かを与えてくださったのだと想います。そして後にアニメ版、そして原作という順で作品に親しみました。

以前、ジャン・コクトーのマリー・アントワネットについての言葉に触れましたが、やはり「マリー・アントワネットについて考えるとき、首を斬られるということは、極端な悲劇的な意味をおびる」のです。僅か14歳でフランス王妃となり39歳の若さでギロチン(ギヨチーヌ)刑という生涯。フランス革命に限らず、歴史的な大事件は多角的に見たり考えたりすると、正と悪という短絡的な感情では収まらないものなのでしょう。フランスの文化が好きなのですが、「パリ祭」の日には華やぐ気分にはなれないのです。フランス革命の歌『ラ・マルセイエーズ』は、自由と解放の歌のように愛唱されている有名なフランス国歌でもありますが、歌詞はとても血なまぐさいものです。

起てや祖国の 健児らよ、 栄えある日こそ 来たるなれ、
われに刃向う 暴虐の、 血染めの旗ぞ 翻る、
君よ聞かずや 野に山に、 敵兵どもの 吠えるのを、
わが同胞を 殺さんと、 奴らはわれに 迫り来る、
いざ武器を取れ 市民たち! 隊伍を汲めや いざ行かん!
敵の汚れし 血潮もて、 わが田の畝を 潤さん。

このフランス革命歌、フランス国歌の軽やかなリズムゆえに、高らかに謳う陰に、貴族やデモクラシーに反対する人々(当時の体制派、保守派)は敵であり、アリストクラートと呼ばれた。1792年の夏に、『ラ・マルセイエーズ』はパリに集まって来た義勇兵たちが高唱したもので、フランス国民の統一と団結を謳うもの。けれど、もう一方では同じフランス人の多くの人々のギロチン(ギヨチーヌ)という悲劇は、尊い自由の代償として深く傷痕を残しているようです。けれど、フランスは長い複雑な歴史を国内からあらゆる視点で描く人々がいる。フランスに限らず先進国、大国と呼ばれる成熟した国ならそうでしょう。日本はいつの間にか、フランス国歌よりもずっと穏やかで美しい和歌「古今和歌集」を基とした『君が代』という国歌がありながら、合唱する機会は稀であるという状況。間もなくロンドン・オリンピックが開幕される。日本の選手が金メダルを獲得する折、あの場面すら放送されない局もあるのだろうか、と想うと何故?!と疑問は歳を重ねるほどに強く深くなっています。そんな諸々を想起していました♪
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# by claranomori | 2012-07-14 23:56 | 想い・鑑賞・読書メモ
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フランソワーズ・アルディ / 私の騎士
FRANCOISE HARDY / SI MI CABALLERO
作詞:フランク・ジェラール 作曲:トゥーカ 1971年

シ・ミ・カバレロ
できることなら
白い砂塵になって
あなたの軍隊の後を追いたい

シ・ミ・カバレロ
どんなに嬉しいことかしら
一束の雑草になって
あなたの体にくっついてゆけたら

この白い家は
花々に囲まれていても
あなたがいなくては
墓石とおなじよう


 フランソワーズ・アルディ!私が「フレンチ・ポップス」という音楽を意識した上で、最初に好きになったお方。そのほんの僅か前にブリジット・フォンテーヌを知ったことが大きいのでしょう。けれど、ブリジット・フォンテーヌにはフレンチ・ポップスというイメージを当時抱かなかったのです。当然のことながら、私も毎年年齢を重ねている。ちょっと寂しいような、でもこの先どんな風なのだろう、と、今の日本の状況の中で私は生きてゆくわけです。とっても憂国の念に溢れながら、でも私はこの日本で生きていつか死が訪れる。思考は深みに陥り滅入るけれど、幸いなことに生まれつきの楽天的な性格が、それでも前を、空を見上げることを忘れずにいられるらしい。

 その当時、私は16歳。実に不思議なくらい、この16歳~17歳という高校生の時期に、今も大好きな音楽、アーティストに出合うのです。それ以前は英国、ブリティッシュ・ロックやポップスを主に聴いていたけれど、この辺りから徐々にフランスの音楽、ヨーロッパへ。また女性ヴォーカルが一段と好きになってもゆく。そんな音楽的には実に充実した実りの多い頃ゆえに、こうして好きな曲をふと想い出したり聴いたりすると、いとも簡単に16歳のあの頃、あの教室、あの風景が蘇ります。いつまで経っても行ったり来たり。

 この「私の騎士」という曲はオリジナル・アルバムでは『私の詩集』に収録された1971年の曲。作詞はフランク・ジェラールでアルディが信頼を寄せているお方でもある。そして、作曲はブラジルのトゥーカが担当しています。トゥーカもアルディと同様に、女性シンガー・ソング・ライターで、同時代を生きたお二人の中で芽生えた友情のようなものが素敵な曲を作り上げたのだと思えます。

 イントロが口笛で始まる印象的な曲で、とっても好きな曲です。アルディに関しては山のように好きな曲が存在するのですが、16歳の私が初めて買ったフランソワーズ・アルディのアルバムに収録されていた曲なので、かなり思い入れの強い曲です。タイトルは「SI MI CABALLERO」とスペイン語。「さあ、私の騎士さん」。物憂い、メランコリックなアルディの歌声とこの詩と曲がピッタリ呼吸を合わせるかのような名曲です。私の好きな往還する女と少女の世界、そして知的でエレガント、そして風変わりなフランソワーズ・アルディの名曲の一つだと思います。

 この当時アルディは27歳頃。60年代後半からミュージシャンのジャック・デュトロンと同棲生活を始め、息子さんも。長い間、「結婚しない女」と呼ばれていたアルディはずっとデュトロンとの生活を今も続けている。今は正式にご夫婦でありますが、実にフランス風な良きパートナーとの関係を想うのです。


★「FRANCOISE HARDY / SI MI CABALLERO」♪

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# by Claranomori | 2012-07-04 15:21 | 私的少女音楽★愛しき歌姫
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★毎月第一日曜日に開催されている『なんでもない日のお茶会』のお知らせです。
今回のフライヤーは格別美しいのでスキャンいたしました。
写真は関西が誇るカメラマン、谷敦志さんです。独特の世界で、あまりにも美麗です。
モデルの女性は主催のお店のお方でkayoさんという可愛らしいお方。
まるでお人形のような耽美な雰囲気が漂うこのお写真にしばしうっとりしたものです。

詳細及び会場へのアクセス等は→ dolldressさんのHP をご覧ください。

7.1(SUN)
OPEN 16:00  START 17:00  CLOSE 21:00

FREE FOOD&FREE DRINK (アルコール別途)
ご予約:2500円  当日:3000円

★ご予約・お問い合わせ★
DollDress GalerieBrocante(ドールドレス ガレリーブロカント)
06-4802-0155
info@brocante.jp
※ご予約は6月30日(土)深夜12:00まで承っております

当日は、バグパイプ奏者の方(『スコットランドの伝統楽器「ハイランド・バグパイプ」を演奏。山口県を拠点にその魅力を伝えるべく活動中』)のライヴ、
素敵な物販ブース、豪華なお料理がございます。
また、ドールドレスさんはベルギー・ビール専門のBar&Cafeでもあり、珍しいベルギー産のビールが多数揃っております。

私はまったりBGMを毎月担当、お手伝いさせて頂いております。

どうぞ、ご参加くださいませ。


※音楽ブログの更新のお知らせです。
「麗かな憂鬱・時の鐘よ鳴れ」にて、大好きな暗黒天使な歌姫、ダニエル・ダックス(DANIELLE DAX)の曲とその時の思いなどを綴ってみました。どうぞよろしくお願いいたします♪
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# by Claranomori | 2012-06-30 17:15 | お知らせ
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 どこに行ってしまうのでしょうか、日本は?!と虚無的にもならざるを得ない日々、されど愛しき日本なのです。一昨日から、これまで好きで聴いて来た音楽たち、詩や言葉たちと今の私がどう向き合えるのかと、向き合ってみようと思い、まったく私的な音楽との出会いを綴り始めました。時々ぼやいたりもしてしまいますが軽く読み流してください。「耽美派ロック」なるものを愛好してきた私にとって、欠かすことのできない音楽雑誌「Fool's Mate」(現行のビジュアル雑誌になる以前の)編集長であった北村昌士というお方のこと。殊に、書かれる文章が大好きで影響を受けて来たように感じています。そんな訳で、「北村昌士氏に謝意、或いは愛惜...永遠なれ、美しきものよ!」という拙い今日の思いを少し綴ってみました。"何故、今頃、北村昌士?"と思われるお方。"誰?その人"と思われるお方も多いと思いますが、そうして忘れ去られてしまうにはあまりにも稀有なるお方なのです。私の蒼き刻の言葉や音楽との出会いに、思い入れが強すぎる故の綴りともなるのでしょうが、現実を見つめながらも、時にはノスタルジーに浸るのも好しと思っています。

 「北村昌士氏に謝意、或いは愛惜...永遠なれ、美しきものよ!」

 今年の6月も間もなく終わり7月、夏の扉へ...苦手な季節は子供の頃から変わらない。きっと私は夏に死ぬのだろう、などと想えたり。昨年の3月11日の東日本大震災は私に、同じ日本で生きる同胞の人々の姿から、痛ましい悲報の中で礼節極まる姿から、まだ残されていた共同体、日本人の美徳を思い起こさせてくださった尊いものだった。都会に暮らす私にも幼い頃にはあった、あの懐かしい風景が蘇り尊く想えたもの。まだ復興などしていない、イデオロギー云々で反原発も推進も勝手にしやがれ、と心が叫び続けて消えない。何が子供たちだ、何が人権だ、権利だ...本来自由を謳う精神は誰にもあるもの。人権だって、子供の権利だって。けれど、義務もある。「放射脳」という厄介な論調が蔓延する中、福島にも子供たちはいる。原発反対を当初から訴え続けて来た人々とは違う大人のイデオロギーが連携してゆく様は、もう一つの放射脳である「推進脳」もまた同じように感じたり...冷静に国家を思惟する政治家、真正保守主義(自由主義)である、石原慎太郎氏しか信用できない、こんな危機の折には「石原イズム」に託したい、そんな今日この頃。

 生活が音楽と共にあれど、ご飯を食べ、滅入るような毎日のニュースからも逃れることはできない。この6月というと、私にとってある恩人のようなお方の死が今も惜しまれてならない。北村昌士という音楽評論家であり、ミュージシャンでもあったお方。2006年の6月17日に49歳で死去された。現在はビジュアル系の雑誌となっている音楽雑誌「Fool's Mate」(まだ海外のNewWaveやインディーズ中心の、正統派のサブカル雑誌だった頃)の編集長でもあったお方で、私が最も影響を受けた音楽評論家は北村氏だろう。既に洋楽ばかり聴くようになっていた中で、北村氏の創設したインディーズ・レーベル「トランス」だけは好きで聴いていたものだ。何か相性の良さのようなもの、そういう言葉を超えた感覚は好きな音楽でも映画でも読書にも表れるのではないだろうか。言葉を超えた旋律が詩的に響く瞬間を幾度か感じた気がする。

 私が10代の頃、あるいは蒼い季節を共に過ごした友人たち。私が熱心な「Fool's Mate」の読者であり、北村昌士氏の、殊にあの文章の大ファンであったことは折り紙つきらしい。そんな私が北村氏に謝意を表することをこれまであまりしていない。そうした自戒の意も込めて、忘却の彼方へと去られてしまうには、あまりにも惜しい、北村昌士氏の言葉や音楽など、心に残るものを留めておきたい。懐かしい言葉たちに時を経た今の私の心がどう向き合うのか、向き合えるのか。永遠なれ、美しきものよ!

新しいモラル、新しい倫理、新しいおしゃれ、新しいイデオロギー。新しいということが輝かしさと同一だったあの平和なひとときはいつのまに過ぎ去ってしまったのでしょうか。
別に皮肉を言うつもりはありません。美は肯定されるものだからです。

北村昌士



★CANIS LUPUSの大好きな名曲「天使」です♪

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# by Claranomori | 2012-06-29 08:01 | 想い・鑑賞・読書メモ
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★村岡花子(明治26年:1893年6月21日~昭和43年:1968年10月25日)というと『赤毛のアン』の翻訳者として有名なお方で、エレナ・ポーター、ルイーザ・メイ・オルコットの著作の翻訳も手がけた児童文学者でもある。村岡花子は、明治時代のミッション・スクールの寄宿舎へ、10歳の折に父に手を引かれ、麻布、鳥居坂の桜並木を歩いていた。七分咲きの桜のレース越しに見える空は青く澄み、枝の間にはガス燈が文明開化の名残をとどめる。時は明治36年(1903年)の春のこと。平民の花子には雲の上の人々であった華族や富豪の娘たちが多く学ぶ東洋英和女学校という、カナダ人宣教師によって設立されたミッション・スクールであった。花子は奨学生(給費生)として、クリスチャンである条件以外に、在学中は麻布十番にある孤児院の日曜学校での奉仕活動が義務付けられていた。そして、学費の免除の代わりに、学科の成績が悪ければ即、退校という境遇。カナダ人宣教師の教育はとても厳しいものであったという。

そんな少女時代を送った花子は、後にルーシー・モード・モンゴメリの「赤毛のアン」シリーズ全10巻を訳了し、新潮文庫の全訳と、講談社の抄訳、それぞれのシリーズが出版、という大偉業に達する。『赤毛のアン』『アンの青春』『アンの愛情』『アンの友達』『アンの幸福』『アンの夢の家』『炉辺荘のアン』『アンをめぐる人々』、そして、物語の主人公をアンから、アンの6人の子供たちの世代に移した『虹の谷のアン』『アンの娘リラ』を世に送った。

同じ時代を生きた人々との交流を想う。友人たちの思い出が書斎にはいっぱい。その中に、年下の林芙美子(明治36年:1903年12月31日~昭和26年:1951年6月28日)から贈られた直筆の詩が額装して壁に飾られているそうです。原稿用紙に、万年筆で丸い癖のある文字で。

風も吹くなり
雲も光るなり
生きてゐる幸福(しあわせ)は
浪間の鷗のごとく
縹渺とただよい

生きてゐる幸福(こうふく)は
あなたも知ってゐる
私も知ってゐる
花のいのちはみじかくて
苦しきことのみ多かれど
風も吹くなり
雪も光るなり

詩:林芙美子
『アンのゆりかご』
より

人気作家となった林芙美子は、いつも何かに追われ心のゆとりとは無縁であった。あらぬ噂を立てただの、常に泥臭い評判が付き纏い、成金趣味と周囲は冷笑していた。けれど、村岡花子の記憶の中では、友だちから誤解されて辛いと涙ながらに訴えていた芙美子、雑談では煙草をふかし「家庭なんて」とうそぶきながら大事にしていた家族、「母が村岡さんのファンなのよ」と云って母親を紹介してくれた芙美子・・・の可愛い姿だけ。恐らく噂の半分は本当で、もう少し心のバランスがとれていれば、あんなに早く命を落とさずにすんだのではないかと惜しまれるが、芙美子の過剰なまでの欲望が人々の心に訴える優れた作品を書かせていたのだろう。またこの詩に内面の真実があるのだろうとも。私もそんな風に想えます。時代と闘いながら生き抜いた明治の女性作家たち☆
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# by claranomori | 2012-06-09 03:08 | 愛の花束・日本の抒情
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★老いてこそ人生!私の人生に於いて最後のヒーローとも云うべきお方、石原慎太郎氏の文壇登場から57年。こんなに賞讃と批判のお方も珍しい。三島由紀夫氏がおっしゃったように、それは石原氏がエトランジェであるからだろうと、その意味合いも分かるようになりました。戦中、戦後派文学の中でも、やはり異色の存在。その上、大政治家でもある。思えば、ロマン主義の時代から文学者が政治の世界へも向かわざるをえない状況が度々あった。偉大なるゲーテ然り、シャトーブリアン然り。政治的イデオロギーを超えて、石原慎太郎氏を中心に、その時々を辿りながら日本を、世界を見つめてみようと想います。友人曰く、私は文化保守的人間だそうです。けれど、どちらかというとかなり左派の傾向も強いのです。右派左派と政治的スタンスで線引きできる現実ではありませんし、どちらが良いとかも想いません。ただ、日本人でありながら日本が好きだ、という意志表示がまるでタブーの如き日々を過ごしてきたことに疑問を抱き始めたのです。愛国という言葉がイコール右翼ですか?私はフランスという国や文化が好きで幼い頃から影響を受けて今に至ります。好きな男優のお一人でもあるイヴ・モンタンは奥様のシモーヌ・シニョレと共に、フランス共産党支持者でした。リベラル、左翼党です。けれど、その党のスローガンには「愛国主義」と謳われていました。本来、右も左も自国を愛する、という根本があったはずです。一党独裁国のようなお国は別でしょうけれど。

そんな訳で、今後は大まかなイメージですが、此方の「クララの森・少女愛惜」では母権的、少年少女、柔和。新ブログ→「石原慎太郎・憂国のエトランジェ」では父権的、実存文学や美学、ストイシズムのようなものを見つめ標榜できると良いと想っています。石原氏の書物は膨大ですが読破ものんびり目指したいです。映画の脚本も何十本も手掛けておられ、それらの映画も観たいのですが、ソフト化されていない作品も多数です。お芝居の脚本も仲良しだった寺山修司氏とは表現世界が異なりますが読んだりすると、わくわくします。私の年齢も人生の曲がり角を過ぎたとも云え、回帰し行き着く先はやはり少女時代からの憧れや好きな世界と繋がるのです。それがはっきりと、石原慎太郎氏という存在、その言葉たちに出会うことが出来ました。なので、難解な御本も読んだりしていますが、心は晴れ晴れと、快活に過ごしてゆけそうな気分を愉しんでいます。いつも、更新を待ってくださっている方々や気にかけてくださる方々に感謝しています。ありがとうございます!今後ともどうぞ末永くお付き合いください。

※上の画像は、今日更新した読書メモで、「セーレン・キェルケゴールの青年時代の覚え書き 『キェルケゴールの生涯と作品』 著:フリチオフ・ブラント」というものです。そちらにも、どうぞお気軽にコメント等にお越しくださいね。ブロブ名の「石原慎太郎・憂国のエトランジェ」のエトランジェは三島氏のお言葉から頂きました。
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# by Claranomori | 2012-06-05 22:03 | 19世紀★憂愁のロマンと美
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2012年6月1日現在、尖閣寄附金は10億円を超えています。

10億1048万5228円 件数 7万333件 
平成24年6月1日入金確認分まで


2012年5月8日の時点で、東京都庁への尖閣寄附金は3億円を超えました。


★大手メディアはこの寄附金口座すら報道せず、石原都知事の発言を批判的な歪曲報道に必死ですが、見事に日本国民の民意は反映されています。僅かな募金でも(100円でも1000円でも1万円でも)日本の領土を守るために寄附をしたいと思う気持ちは尊いです。中国共産党は「尖閣は核心的利益」としており、既に日本の領海侵犯をし海底資源の調査も開始しているのです。それもメディアは伝えない。いったい、どうなっているのでしょう。そうしたものもあぶり出されることになり、戦後の平和ボケに大きな一石を投じた石原慎太郎東京都知事の今回の発言がアメリカ・ワシントンから故に、さすがに国内メディアも報じないわけには行かず政府も含めアタフタ状態。反日家もエセ保守を見つめるにも分かりやすい踏み絵とも云えます。

いつまでも国民を侮るなかれ!歓喜した日本人はこの都知事の発言から、ようやく戦後レジームからの脱却に光を見い出せたのです。地権者の方は石原氏だから売るとおっしゃっている。金額のお話は一度もないと。中国は350億円で購入したいと持ちかけ断られている。尖閣が中国の領土なら購入交渉することもないでしょうに。海洋国世界第6位の日本。石原慎太郎氏は子供の頃から海に魅せられ自然を愛しながらもその脅威をもご存知のお方である。今回の講演でも憲法破棄論、環境問題や移民問題等も触れている。けれど、そうした発言はまったく報道されず、暴言だの失言だのと言葉尻ばかりを見出しに批判され続ける存在ながら、その存在が脅威なのは諸外国に対してもハッキリ物を言う政治家だからである。三島由紀夫氏が石原氏を「彼はエトランジェだから」と云った意味も感慨深いです。

寄付金の振り込み先
みずほ銀行 東京都庁出張所
普通口座 1053860
「東京都尖閣諸島寄附金」
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ゆうちょ銀行
口座記号番号 00110-9-386056
加入者名「東京都尖閣諸島寄附金」

10万円を超えるなど、現金自動預払機(ATM)で取り扱いができない場合は、都から専用の振込用紙を送付する。連絡先は都知事本局尖閣諸島寄附担当(電)03・5388・2206(平日午前9時~午後6時)。 → 都のホームページにも案内がございます。「尖閣募金」の寄附口座は東京都庁出張所のみですので、お気をつけください。

以下引用: 産経新聞 より
東京都の石原慎太郎知事は27日、沖縄県・尖閣諸島購入問題について「尖閣諸島寄附金口座」を開設したと発表。現地調査のための上陸許可申請など、実務を担当する7人態勢の専従組織を、5月1日に設置することも明らかにした。

 石原知事は、尖閣諸島購入の寄付金が、都庁に現金書留などで計37件、計数十万円寄せられていることを明らかにし、「10万円入っているものもあった。インターネットにも問い合わせや協賛の声があり、ありがたい」と語った。

 国はこれまで、「平穏かつ安定的な維持及び管理」を理由として、島への上陸を認めてこなかったが、石原知事は「国が許可を下ろさなければ、下りるまでやる」と語気を強めた。

 石原知事はこれに先立ち、野田佳彦首相と首相官邸で会談し、米軍横田基地の軍民共用化を29日からの訪米でオバマ大統領に提起するよう求めた。尖閣問題については、「(首相に)一番の障害は外務省だと事例を挙げて言った」と説明した。

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# by claranomori | 2012-05-09 14:11 | 想い・鑑賞・読書メモ