あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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★アニエス・ヴァルダ監督の『冬の旅 (さすらう女)』(1985年)。原題は「屋根も無く、法も無く」あるいは「ヴァガボンド」。美しく詩的な映像で始まる寒い冬の南仏の木々。アニエス・ヴァルダ監督のナレーションが聞こえる。その中で、少女モナは”海からやって来たのかもしれない”と。凍てつく寒さの中、海で泳いでいる。この18歳の少女の死を映し出し、彼女に出会った人々の証言たちが。彼等はモナが死んだ事を知らずに語ってゆく。初めて観た折の私は正直モナを好きになれなかった。ヴァルダの作品はそれでも美しく、また、モナの何かが私に記憶され続けていた。年月を経て、今想う事はモナの反抗、自由、孤独の中に見る崇高さのようなものに憧れるのだろうか。イデオロギーに反発するのでもなく、モナは失うものを持っていない。それは孤独と表裏一体。「孤独」や「自由」って何だろう...人は誰もが孤独ではないか。でも、モナの孤独は死を持って崇高さを獲得したようにも想う。私は「自由」というものを真剣に求めたことなどない。育った環境や教育、モナの年の頃はバブルな時代を過ごしていた。また、私は「失いたくないものがある」。それ故に、社会との鬩ぎ合いの中でバランスを保ちながらどうにかこうにか生きている。ちっぽけな私の愛する王国のために。人生は苛酷なものであるという前提にそれでも、空を見上げることを忘れたくはないと。蒼い幻想...。

アニエス・ヴァルダは戦中、戦後、60年代という、激動の時代を体験して来たお方。この映画の中でプラタナスは重要。アメリカからやって来た菌に侵されたプラタナスは、後30年で朽ちてしまうという(ドアーズの音楽が使われている)。それを放っておいてはいけないと研究している独身の女性教授ランディエ。証言の中で、彼女はモナを置き去りにしたことを後悔し、助手にモナを探して連れ戻すように依頼している。しかし、終盤、助手はモナを駅の構内で見つけるけれど、ランディエ教授には見つけたと言わなかった。彼は当初からモナの汚れた髪や衣服、悪臭を敬遠していた。教授は寛容で「もう慣れたわ」と語っていた。私もモナと知り合えたら慣れていただろうか。毎日幾度も手を洗う癖のある私がモナの垢だらけの指を我慢できただろうか(これは、単なる私の病理的なことに過ぎないのだけれど)。複雑な想いが巡る中、それでもこのモナは光の少女として映る。美しいとも想う、このアンビバレントな気持ちは何だろう。きっと、私には持ち合わせていない「自由」を持つ少女が羨ましいのかもしれない。

それにしても、ヴァルダというお方は強靭だ。純粋無垢な少女として敢えて描いてはいない。モナは行きずりの男性と共に過ごすし、少女の汚れた爪を映し出す。女性監督ならではの感性、と言っても様々なのだと幾人かの女性監督が浮かぶ。私は映画を娯楽として愉しみ、また、多くのことを学び思考を強いられ苦しくなることもある。この作品はそんな一つ。サンドリーヌ・ボネールは撮影当時このモナと同い年位。素晴らしい女優さま!

モナは旅を選んだ。路上には、日常的な暴力があり、飢えと渇き、恐怖、そして寒さがある。彼女はそれを生き凌ぎ、何事が起ころうと、誰に出会おうとも意に介さない。私自身、彼女にひどくぞんざいにされた。が、それだけいっそう、彼女の孤独に胸をうたれる。

アニエス・ヴァルダ

このお言葉にあるラスト「私自身、彼女にひどくぞんざいにされた。が、それだけいっそう、彼女の孤独に胸をうたれる。」を読み、私は涙に溢れた。救われた気がしたのです。上手く心を綴れないけれど...。
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【あらすじ】 少女がひとり、行き倒れて寒さで死んだ。誰に知られる事もなく共同墓地に葬られた少女モナ。彼女が誰であったのか、それは彼女が死ぬ前の数週間に彼女と出会った人々の証言を聞くほかなかった。また、証言でわかるものでもない。少女の名はモナ(サンドリーヌ・ボネール)、18歳。寝袋とテントを担いでヒッチハイクをしながらのあてどのない旅。時折、知り合った若者と宿を共にしたり、農場にしばらく棲みついたりすることはあったものの、所詮行きずりの人々にモナがその内面を垣間見せることは滅多になく、また何処ともなく消えてゆくのが習いだった。ある時、プラタナスの病気を研究している女性教授ランディエ(マーシャ・メリル)がモナのことを拾う。ぽつりぽつりと自らのことを語るモナ。ランディエも彼女に憐れみを覚えるが、結局どうすることもできず、食料を与えて置き去りにする。モナは森の中で浮浪者に犯された。またしても放浪の旅を続けるモナはついにはテムの街で浮浪者のロベールたちと知り合い、すっかり荒んだ様子になってしまった。そしてそこへ、前にモナと空き家の別荘で暮らしていたユダヤ人青年ダヴィッド(パトリック・レプシンスキ)がやってきて、マリファナの取引きのことでロベールといさかいになってモナの住んでいたアジトは火に包まれてしまう。すっかり薄汚れて再び路上に戻ったモナはパンを求めて近くの村に赴くが、今しもそこはブドウ酒の澱かけ祭のさなか。何も知らないモナは彼女に澱をかけようとする屈強の男たちに追われ、恐怖に顔をひきつらせ、そのまま力尽きて路傍に倒れ込む。

冬の旅 / SANS TOIT NI LOI
1985年・フランス映画
監督・脚本:アニエス・ヴァルダ 
撮影:パトリック・ブロシェ 音楽:ジョアンナ・ブルゾヴィッチ 
出演:サンドリーヌ・ボネール、マーシャ・メリル、ステファン・フレイス、
ヨランド・モロー、パトリック・レプシンスキー、マルト・ジャルニアス

関連:いつまでも大好き!★カトリーヌ・ランジェ:CATHERINE RINGER(レ・リタ・ミツコ:LES RITA MITSOUKO)♪

※この『冬の旅』は2009年に綴ったものに画像追加いたしました。
以前の映画雑記を少しずつ整理しています♪
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# by claranomori | 2013-03-24 15:54 | 銀幕の少女たち・少女映画
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★「なぜ?」と問いながら生きてゆく。それが人生なのだと想いながら、ふと懐かしいフランス映画が脳裡に蘇り、深夜観返していました。多分3度目ですが、前回観た折は超平和ボケの頃で、ただただ少年同士の友情や別れに号泣するばかりでした。けれど、今回は細部の台詞や時代背景などを注意しながら観ることが出来、戦中戦後、現在の日本の状況とも重なり合う部分が多々あることに気づき想いもさらに。

前々から、フランスに親近感を抱いているのですが、そんなお話を友人にすると、私が長年フランス贔屓なので日本との親和性を見つける脳になっているのでは、という愉快な会話。自分でもそうかもね...と想うので、出来るだけ冷静に鑑賞してゆきたいです。けれど、やはりシンパシーを抱きます!フランスは戦勝国ながらドイツ、ナチス占領下にありました。日本は敗戦後GHQ占領下にありました。お国柄も人種も異なりますが、この『サンドイッチの年』の中で描かれる幾多の共通項故に。主人公はヴィクトール少年(演じるトマ・ラングマンはクロード・ベリの息子さん)と彼を雇い面倒をみてくれるマックス小父さんとも云えます。共にポーランド系ユダヤ人で家族を失っています。マックスはクズ屋(字幕に依る)を営んでいるけれど、戦後のどさくさで闇市商売をしている人々、GI(アメリカ)、フランスのキリスト教者たちに対して距離を置いて生活している、やや頑固な小父さん。近隣の人々が戦後すっかりGI及びアメリカ製、英語、米国という異国に憧れを抱いている様子とは対照的なユダヤ系フランス人で、ユダヤ人としての誇りを強く持ち続けて生きているのですが、異教である十字を切ることも出来る。
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日本ではユダヤ人ということでの排他的気運からは離れて来たものの、イラン、イラク、イスラエル、パレスチナへの姿勢はアメリカに倣え。朝鮮戦争もあり二つに分かれた韓国と北朝鮮との関係もねじれたまま、根本的な問題を棚上げにしながら混沌化。白洲次郎氏の「アメリカは食料だけはくれた」というような記述を読んだ事があります。日本を奴隷制度にしなかったアメリカは、嘗てのフランスやイギリスのアジア諸国で強いていた植民地制度とは異なり良かったと想います。今想うのはやはり異国、異教徒の人々との共生は言葉では「お互い寛容に」と想いながらも、そんな言葉も薄っぺらいものに過ぎず、分からないものは分からない。けれど、異なる国家や文化に対してお互いが理解を示そうと歩み寄る対話は拒絶してはならないように想うのです。それらを戦後日本はお金で解決しようとばかりして来たのではないでしょうか。故に、隣国(中国、北朝鮮、韓国、ロシアと地政学的に大変ピンチな状況!)との摩擦が生じたまま解決策も見いだせないまま今日に至るような。

陽がまた昇る限り いい日も来る。
今年のような年は、ハムの薄切れのようなものだ。
2枚の厚いパンの間にはさまって、つまり、サンドイッチの年だ。
そういう時はよく噛みしめなきゃならん。
カラシが一杯で涙が出ても 全部食べなきゃならんのだ。
全部だ、いいな。

このように終盤、ヴィクトールにマックスが語ります。ここで込み上げてくるように涙が溢れました。嗚呼、美しくも儚く過ぎゆくけれど、決して失われはしない10代の風景!兎に角、再確認できた事の一つはマックス役のヴォイチェフ・プショニャックはやはり素晴らしい俳優だ、という事です。ポーランド(現在はウクライナ)出身の、アンジェイ・ワイダ監督作品に欠かせないお方であり、大好きな『コルチャック先生』でヤヌシュ・コルチャックを演じていたお方です。歳を重ねる毎にアンジェイ・ワイダ監督や石原慎太郎氏が好きになってゆく私ですが、色々と合点!因みに、この主人公のヴィクトールの年齢は15歳(石原慎太郎、浅利慶太、大島渚は皆ヴィクトール少年と同年齢)。この『サンドイッチの年』での舞台となる年は1947年7月~8月。第二次世界大戦中と戦後を、サンドイッチの年として現体験している世代の方々なのです。これは逃れようのない運命とは云え、その体験から来る想いは書物で詰め込んだ歴史観、国家観よりもずっしりと重く響くようです。日本を想い社会と共闘して来た先輩方にイデオロギーや思想の差異はあれど、私の世代などには希薄な何か連帯、仲間という意識が強く心に刻まれているのだと想え、憧憬のような気持ちも抱きます☆

サンドイッチの年 / LES ANNEES SANDWICHES
1988年・フランス映画
監督:ピエール・ブートロン
製作:フィリップ・デュサール
原作:セルジュ・レンツ 脚本:ピエール・ブートロン、ジャン=クロード・グルンベルグ
撮影:ドミニク・ブラバン 音楽:ロマン・ロマネッリ
出演:トマ・ラングマン、ニコラ・ジロディ、ヴォイチェフ・プショニャック、ミシェル・オーモン、クロヴィス・コルニアック、フランソワ・ペロー

【あらすじ】 1947年7月、15歳の少年ヴィクトール(トマ・ラングマン)は、両親がナチスに連れ去られて以来、初めてパリに戻ってきた。地理に不案内な彼は地下鉄構内で、伯父さんの仕事を手伝うためにパリに到着したばかりの金持ちの息子フェリックス(ニコラ・ジロディ)と出会い、すっかり意気投合する。彼の案内でかつて住んでいたアパートを訪ねるヴィクトールであったがそこにはもう彼の知る人は誰も住んでいなかった。途方にくれて街を彷徨い歩いているうちに古物商の戸に貼られた求人広告を見つけ、行く宛のない彼は店主のマックス(ヴォイツェフ・プショニャック)に雇ってくれるように頼み込み、やがて屋根裏部屋に住み込みで店の手伝いをする事になったヴィクトールは、おこりんぼで皮肉屋、一筋縄ではゆかない偏屈者、しかしユーモラスで傍若無人の頭の裏には温かい心が隠されている複雑な人柄をもつマックスにあたふたと振り回される日々と、親友フェリックスとの心躍る出来事に満ちた楽しい休日の中で生活してゆくことになる。ところがそんな時に、闇取引をしている少年ブブル(クローヴィス・コルニヤック)と接し、その取引の場に首を突っ込むことになった二人は、予期せぬ事件からフェリックスが大怪我をうけたことにより、彼の家族から交際を禁じられてしまう。すっかり落ち込んでしまうヴィクトールに、マックスは静かに穏やかに、そして優しく温かく彼をなぐさめるのだった。だれの人生にも“サンドイッチの年”がある。人生の中で最も中味の濃い時期、噛めば噛むほどに味わい深くなる人生のちょうどつなぎの年、ヴィクトールにとって今がその“サンドイッチの年”なのだ、と……。(参照:MovieWalkerより)
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# by claranomori | 2013-03-21 10:36 | 銀幕の美少年・少年映画
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★川端康成(1899年:明治32年6月14日~1972年:昭和47年4月16日)の『美しい日本の私』 という講談社新書から引用させて頂きながら日本を憂う日々です。この川端康成の『美しい日本の私』は1969年に刊行されたもので、前年1968年にノーベル文学賞を受賞された折の講演文です。なのでそんなに長い文ではないのですが素晴らしいのです。日本の美を作品の中で描き続けて来られた文豪の晩年は、1970年の三島由紀夫の死とも呼応するかのようで感慨深いものがあります。

一輪の花は百輪の花よりも花やかさを思はせるのです。開き切った花を活けてはならぬと、利休も教えてゐますが、今日の日本の茶でも、茶室の床にはただ一輪の花、しかもつぼみを活けることが多いのであります。冬ですと、冬の季節の花、たとえば「白玉(しらたま)」とか「侘助(わびすけ)」とか名づけられた椿、椿の種類のうちでも花の小さい椿、その白をえらび、ただ一つのつぼみを生けます。色のない白は最も清らかであるとともに、最も多くの色を持ってゐます。

引用: 川端康成 『美しい日本の私』 より

川端康成は、この九年間座り続けながら思考沈黙の果てに悟りの境地に達したとされる、達磨大使の道歌を例えに無念無想の境に入り、「我」をなくして「無」になる修行に触れています。この「無」は西洋風の虚無ではなく、寧ろその逆の、万有が自在に通う空、無涯無辺、無尽蔵の心の宇宙なのだと。思索の主はあくまでも自己、さとりは自分ひとりの力で開かねばならなず、論理よりも直観です、とも。

問へば言ふ間はねば言はぬ達磨どの
心の内になにかあるべき
一休

もうひとつ一休の道歌を例えに道元や、日本の花道や庭園の「枯山水」に触れています。「山水」といふ言葉には、山と水、つまり自然の景色、山水画、つまり風景画、庭園などの意味から、「ものさびたさま」とか「さびしく、みすぼらしいこと」とかの意味まであり、茶道が尊ぶ「わび・さび」は勿論、寧ろ心の豊かさを蔵してのことであり、却って無辺の広さと無限の優麗とを宿しているのだ、と述べています。

心とはいかなるものを言ふならん
墨絵に書きし松風の音
一休

そして、最初に引用させて頂いた『美しい日本の私』 での川端康成の言葉。私はとても好きです。この「色のない白は最も清らかであるとともに、最も多くの色を持ってゐます」とは何とも日本人的美意識でしょう!けれど、今の日本はこの美学からかけ離れ、きっといつの日にかこのような日本は失われてゆくのではないだろうか、と懸念を抱く今日この頃なのです。以前に岡倉天心の 『茶の本』と日本の美を考えていた折からさらに、この憂国の念は深まるばかりです。進歩と変化は必要だと想うのですが、戦後アメリカによる日本解体の威力はやはり大成功であったのだ。アメリカン・ドリーム、ましてや北朝鮮の地上の楽園などは嘘だったのに、何かを信じながら戦後焼け野原になった日本を、ここまで立て直してくださった先輩方に敬意を表する気持ちと重なり合う複雑な想いが募ります。

●追記●
「美しい日本」と安倍首相がおっしゃる。先の衆議院選挙での自民党のポスターはどう書いていたのか?「ウソつかない」「TPP断固反対」「ブレない」「日本を耕す」と。でも先日TPP参加表明されました。よく分からない会見のまま突き進むことに懸念。川端康成の云う「美しい日本」とは「かつての日本」、「かつてあった日本」なのではないでしょうか。「TPPの交渉参加に反対!」「比例代表は自民党へ」と云いながら、まるでペテンのようなTPP交渉参加、そして日中韓FTAの交渉も今月26日から開始されると報道。日本は世界に開かれているではないですか。私は決して反米ではないのですが強国アメリカに追従の道は、もうそろそろ軌道修正する時ではないのだろうか、と想うのです。自国を守ることすら出来ない日本、伝統や文化を守ることが出来ない今の日本を、先人たちはどう想われるでしょう。あゝ、憂国の日々☆

b0106921_1264344.jpgb0106921_1262022.jpg嘘ばっかり!TPPも日中韓FTAも反対です。もっと説明と議論を!・・・でも邁進の道のようですね。日本が再び経済バブル?希望の光だとか。違う気がします。「美しい日本」っていったい何?

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# by Claranomori | 2013-03-20 23:57 | 愛の花束・日本の抒情
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★確定申告や風邪気味続きのバタバタした日々を送っているのですが、久しぶりに懐かしい想い出の映画のことを。ジム・ジャームッシュ監督の『ストレンジャー・ザン・パラダイス』という映画を先月観返していました。1984年作品ですが日本公開は1986年。80年代初頭辺りからヴィスコンティやフェリーニ等のイタリアの巨匠のリバイバル映画、トリュフォーやゴダールなどのヌーヴェル・ヴァーグ作品を後追いする日々がとても愉しかったものです。そして同時代の新しい映画も今よりずっと観ていました。このジム・ジャームッシュ映画に興味を抱いたのは、ジョン・ルーリーが出演されていると知った事が大きい。所謂〝NO NEW YORK”一派で、弟のエヴァン・ルーリーやアート・リンゼイ等によるラウンジ・リザーズというバンドの音楽が好きで、中でもジャケットに写るジョン・ルーリーが素敵だなあ、って。そんなミーハーな気分でこの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』、『パーマネント・バケーション』、『ダウン・バイ・ロー』とジム・ジャームッシュ作品が一気に日本公開されたものでした。音楽は全てジョン・ルーリーが手掛けており、御大トム・ウェイツも出演していて歓喜!ジム・ジャームッシュはカンヌ映画祭で強い。本国アメリカより日本での人気の方が高かったとも云われていました。

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この『ストレンジャー・ザン・パラダイス』の劇中に、さり気なく小津安二郎監督の『東京物語』の事が出て来たり、ジム・ジャームッシュ監督の独特の表現手法の中に日本的な〝間”、ジャームッシュ解釈による日本の和の精神からの影響を垣間見ることが出来、また新鮮な想いを抱きました。かなり時を経る中で私なりに多少の薀蓄も積もる故の発見。当時の私の今作の印象は、ざらついた映像的な新鮮さ、淡々とした人物描写、飛行機、コミカルなロードムービー...そんな断片的な映像が残像としてこれまで漠然とあったに過ぎず。けれど、今の私の関心はやはり〝ストレンジャー”とは?或いは〝パラダイス”とは?に向う。ハンガリーからアメリカへやって来て10年になるウィリー(ジョン・ルーリー)と、アメリカにやって来たばかりの16歳の従妹エヴァ(エスター・バリント)によって、パラダイス=アメリカをシニカルに感じることが出来たという感じ。アメリカに馴染もうとする青年と、醒めた少女の対比と結末が面白い。

そこで〝ポストコロニアリズム”に再会する事になり、想えばかなり長年、この問題が気になっているのです。この映画のアメリカに住む異国人の主人公たちのみならず、世界中で今も問題はなかなか解決出来ず深い根を下ろすことになっていること。1984年というとまだ米ソによる冷戦状態で、この年の夏にはアメリカのロサンゼルス・オリンピックが開催された。けれど、ソ連を始め東側14か国が不参加でした。オリンピック競技では体操が一等好きな私はとても残念な物足らない大会だったことだけは憶えています。

ポストコロニアリズムとは、20世紀後半、第二次世界大戦後、世界が脱植民地化時代に突入すると、それまで植民地だった地域は次々に独立を果たしたが、こうした旧植民地に残る様々な課題を把握するために始まった文化研究のこと。
(参照:wikipedeiaより)

けれど、今一つ日本では馴染まないポストコロニアリズムなる理論なり運動な気がします。フランスでも然り。それはやはりこのポストコロニアリズムがアメリカ的だからではないでしょうか。ソ連の崩壊後、世界の中心は強国アメリカである。多文化共生、人類皆兄弟の思想は素晴らしい。けれど、今世界中で民族、宗教、文化の差異による諸問題は大問題となっています。差異を、権利を主張し過ぎると逆に際立たさせる事にもなる。日本でも在日外国人(殊に在日朝鮮人)問題が深刻化しているのは、日本で生活する人間同士として長く生きているのに、韓国や中国は国家政策として抗日、反日教育をして来た。日本の状況も複雑ながら、ヨーロッパもかなり複雑。陸続きの戦争の繰り返し、アメリカの肌の色の差異よりも、ヨーロッパは概して云えばユダヤ人やジプシー(ロマ)に対する排斥の方が根強いように感じます。戦争に良いも悪いも無く、また勝った国が善で負けた国が悪であるわけもなく。ただ大きな時代の流れ、歴史のうねりの中で逃れようのない運命のような。

幼稚園から高校まで一緒だった友人の祖父母が韓国人であった。日本で生まれ日本語を話し同じ学校に通っていた。家族同士も家が近いので仲が良く、今想起しても懐かしい風景しか浮かばない。ただ、小学四年生頃に、同じ級友がその少女に「○○ちゃん、朝鮮人やろ?」と云った。きっと幼いし深い意味も悪気もなかったのだと想う。けれど彼女は泣いてしまった。私は前後の会話も意味も良く分からず何故泣いているのかが気になった。結果として泣かしてしまった少女は帰ってしまい、私はその時、まだ泣いている友人が可哀想だと想い、今も時折想い出す。その時のその友人の小母さんの眼差しもまた。幼い私に向ってあんなに真剣な眼差しと口調で「おばちゃんも○○も日本人なんよ。」と。それ以後、その少女とは洋楽の情報交換などをして引っ越すまでお互いのお家を行き来していた。高校では一度も同じクラスにならなかったけれど、帰宅後、彼女の好きな米国音楽(ウエストコースト辺りの爽やかな)、私の大好きなデヴィッド・ボウイのレコードを抱えて一緒に聴いたり。紛れもない私の大切な想い出。今の韓国や中国の日本に対する抗日的態度はやはり残念!私はどうしても日本人であるとさらに自覚し日本を想う。けれど、あの小母さんの言葉はきっと一生忘れる事はないだろう。そして、保守だとか革新、右派左派というイデオロギーを超えて、どの国にも民族の誇りがあることを踏まえた上で、私なりにもっともっと考えながら生きてゆきたいと想います。


ストレンジャー・ザン・パラダイス / STRANGER THAN PARADISE
1984年・アメリカ映画
監督・脚本:ジム・ジャームッシュ
製作:サラ・ドライヴァー 製作総指揮:オトー・グローケンバーガー
撮影:トム・ディチロ 音楽:ジョン・ルーリー
出演:ジョン・ルーリー、エスター・バリント、リチャード・エドソン、セシリア・スターク

【あらすじ】 ウィリー(ジョン・ルーリー)は、10年来ニューヨークに住んでいる。ハンガリー出身で本名はベラ・モルナー。クリーヴランドに住むロッテおばさん(セシリア・スターク)から電話が入り、彼女が入院する10日間だけ、16歳のいとこエヴァ(エスター・バリント)を預かるこどになった。エヴァはアメリカで新生活を始めるため、ブダペストからやって来るのだ。やって来たエヴァに、TVディナーやTVのアメリカン・フットボールを見せるウィリー。彼にはエディー(リチャード・エドソン)という友達がいて、2人は、競馬や賭博で毎日の生活を食いつないでいる。エヴァの同居をはじめ迷惑がっていたウィリーも、彼女が部屋の掃除や万引きしたTVディナーをプレゼントしてくれるうちに、親しみを覚えていった。お礼に贈つたドレスを、エヴァはうれしそうにもらうが、気持ちだけ受けとって、その趣味の悪いドレスをゴミ箱に捨てた。彼女がクリーヴランドに発った直後、ウィリーとエディーは、いかさまポーカーで大儲けして、借りた車でクリーヴランドヘ向った。クリーヴランドは雪におおわれており、ロッテおばさんの家で暖まった2人は、ホットドッグ・スタンドで働いているエヴァを迎えに行く。エヴァと彼女のボーイフレンドのビリー(ダニー・ローゼン)とクンフー映画を見に行ったり、エリー湖に行ったりした2人。数日を過ごした後、ウィリーとエディーは、ニューヨークに帰ることにするが、いかさまで儲けた600ドルのうち、まだ50ドルしか使ってないことに気づき、エヴァも誘つてフロリダに行くことにする。サングラスを買って太陽のふりそそぐ海辺に向かう。2人分の宿賃で安モーテルにもぐり込む3人。翌朝、エヴァが起きるとウィリーとエディはドッグレースに出かけており、有り金を殆どすって不機嫌な様子で戻って来た。やがて競馬でとり返すと言って彼らが出て行き、エヴァは土産物店でストローハットを買うが、その帽子のために麻薬の売人と間違えられ大金を手にする。競馬に勝って勇んで帰って来た2人は、エヴァのおき手紙と大金を発見して驚く。飛行場に急ぐ彼ら。しかし、エヴアは、その頃、考え直して安モーテルに戻ることにするのだった。(参照:goo映画より)


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# by claranomori | 2013-03-08 13:31 | キネマの夢・シネマ万華鏡
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★日々世相は暗いけれど、色々なニュースから考えさせられる事も多い。素朴な疑問が過ぎるけれど、よく分からない事について安易に二者択一の返答は出来ない。なので、私なりに調べたり考えたりしている、そんな今日この頃。手許にある限られた資料やネット検索などを利用させて頂き、以前から興味があり読んだりしていた事柄を、今は日本の社会事象から新たな想いを抱きながら読み返す作業をしています。そんな中再会した一つが、19世紀のヴィクトリア朝時代の英国のガヴァネスのこと。以前、(『ガヴァネス』 ヴィクトリア朝時代の女性家庭教師たち)という記事を書いた折に疑問であった事柄が少し解けたようで、日々、学びであることを実感し感謝しています。

ガヴァネスとは「女性家庭教師」ですが、住み込みのガヴァネスの場合、その雇い主には召使たちも居る。身分的にはガヴァネスの方が上ながらもどうも曖昧で矛盾を孕んだ状況であった。その前後に興味深い「飢餓の40年代」と云われた10年間の不況があった。生活の場を植民地へ求めたり、婚期を遅らせる独身男性が増え、結婚の機会を逃す女性も続出。そこに、下層社会から、教育を身に付け社会的地位を目指し、ガヴァネスのポストをねらう女性も続出。そして競争が激しくなり零落のガヴァネスも年々増えて行ったようです。

上の絵は19世紀英国の画家、リチャード・レッドグレイヴ(Richard Redgrave:1804年4月30日~1888年12月14日)による『憐れな教師』(1843年)。興隆する中流階級の家でのガヴァネスの曖昧な地位は孤独であったことを示唆している美しい絵画だと想います。召使たちより身分もお給料も上で、時には召使に命じる立場でもあるガヴァネスながら、召使からの反感や僻みも受け、精神的重圧も起こるという歪んだ逆現象。そんなガヴァネスの孤独は、真っ黒な地味な服装、手にした手紙、寂しげな表情、陽気な家族たちとの対比を陰翳濃く描かれています。また、ピアノの楽譜は「ホーム・スウィート・ホーム」なのだそうです。

ガヴァネスの存在が、1840年代から社会的にも文学的にも注目を浴びるようになったのは、「レディ」の孤独がこのような社会的矛盾を抱えていたからであろう、と腑に落ちるのでした。

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# by claranomori | 2013-02-22 23:49 | 絵画の中の少女・女性
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花のように

『えんぜるになりたい
花になりたい』と
うたったあの詩人の
孤独で美しい魂は
どんな花になり
このひかりの中
このやさしい風に
揺れているのでしょう
野に咲く花を見るたび
わたしもつぶやきます
花のように生きたい・・・と

詩:永田萌

★永田萌さんの1986年の『花のように』という小さな絵本のような詩集の中の一篇です。母に感謝していることの一つに、このようなやさしい言葉たちを美しい絵と一緒に綴った絵本や童話などを、幼い私にさり気なく与えてくれていたこと。この詩集が発売された頃はもう自分で読みたい御本を選んで買っていましたけれど。

子供の頃は田畑が近くに幾つかあり、お友達と一緒に、春にはたんぽぽや綿毛、蓮華草でお花の冠や首飾りを作って遊びました。お互い作ったものを交換しあったりもしました。懐かしい風景が蘇ります。美しく神々しく咲き誇る豪華なお花も綺麗ですが、そおっと野に咲くお花や道端のお花もまた愛らしいです。

子供の頃ならよく野花を摘んでいたのですが、今は見つめるだけで十分なのです。摘んでしまうと可哀相な気もしますし。悲しい気分の折や何か冴えない気分の折に、これまで数えられないくらいに優しく囁きかけてくださったお花たち。おセンチで甘ったるいと想われるお方も居られるでしょうが、人間の方が上等だとは想わないのです。枯れてしまう儚き命の花々が可憐に咲き誇る。その彩や芳香で人間の邪悪な汚れた心を吸収してくださる。見つめて「綺麗だな。」「可愛いな。」と心が休まる私は生へのエネルギーをお花から頂き、私の闇の心を可憐なお花が受けてくださる。なので、欲の無い花々は枯れてもなお美を残すのでしょう。

今年も早々から、幾人かの友人知人から勇気や励ましのお言葉を頂いています。ブログにコメントをくださる皆様にも本当にいつも感謝しています。つらつらとその時々の私の他愛のない綴りに共鳴してくださることが嬉しいです。嗜好は千差万別、感性もそれぞれ。だから愉しい。好き嫌いや偏狭な思考に偏ることなく、可能な限り寛容でありたいと想っています。人生の半分、宙ぶらりんの年齢になれどいつまでも修行は続く。生や自由を尊ぶこと、それは不自由であるからこそだとも想えます。なので、今年も幾つも私に苦難が訪れるでしょうが、それ故に人生の、自由の尊さを感じ得ることができるのだと。泣いた数だけ微笑むことが出来る。探せば幸せは必ずある。欲張らずに小さな幸せが。そんなことを無心の花々を想い、再確認しています。皆様、いつもありがとうございます☆

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# by claranomori | 2013-01-12 17:55 | 童話・絵本・挿絵画家
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「サロン・ド・ヴェルヴェット★美と芸術を愛する友の会」のコンテンツBRIGITTE内に設置いたしました。そして、イベントも1/25(金)に前回に続き、西村幸祐先生を中心に豪華なゲストの皆様がご参加くださることになりました。明日にはHP上でも新しい告知を更新予定です。

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そして、昨日はデヴィッド・ボウイ様の66歳のお誕生日でした。あまり更新出来ないでいる 「ボウイ館」をボウイのお誕生日には更新したいと想っていると、なんと!なんと!ボウイの新曲がボウイのオフィシャル・サイトにて突如発表されました。そして、3月には10年ぶりとなる新作、通算30作目のスタジオ・アルバムも発売されるという朗報。英国は勿論、海外でもこのボウイの復活を伝える報道に溢れました。ボウイ・ファンはみんな待っていたのですよね!あのお声が聴きたいもの!世界中で絶賛された「リアリティ・ツアー」の終盤にボウイは心臓の大手術をされた。あれから10年の年月を経る中で、「ボウイはもう引退も同然」だとか、「まだ新曲出ないのか」とか、様々な報道を目にする度に私は複雑な想いに駆られました。私は人生を生き貫くお方が好きなので、ボウイはきっといつか...と、気長に復活を待とうと努めていたようです。ボウイの新曲のPVと昨夜の想いを少し「ボウイ館」に綴りました。

昨日、この朗報を友人から教えて頂き、数時間の間、頭の中の感動と心が合致しないでいました。夜になり、ひしひしと涙が溢れて来ました。そして心から嬉しい!と想いました。そして、ずっといつもボウイと共に私の人生が在ったという30余年の刻に感謝の気持ちでいっぱいになりました。まったく、上手く言葉に表せないのですが、世界中の多くのボウイ・ファンに、ご自身のお誕生日に、ファンが「おめでとう!デヴィッド☆」と伝えたい気持ちを充分受けとめてくださっているのですね。「待たせてごめんね」というお気持ち。「まだリタイアしないよ!」というメッセージだと私は受け止め歓喜しています。

ボウイが復活!ローリング・ストーンズは50周年!ミックとキースは70歳!石原慎太郎は80歳!なんてカッコいいのでしょう!私の好きな人たちはご自身の世界を保ちながら生き貫くお方が多いようです。それらのお姿から私も生へのエネルギーを頂いているのだとも。今年も前途多難ですが、光をもとめて!その為には暗い闇をも見つめよう。目を逸らさずに私なりに感じ、考えながら生きてゆきたいと想います。
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# by claranomori | 2013-01-09 20:52 | 想い・鑑賞・読書メモ
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明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

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2013年1月25日(金)『Salon de Velvet 美と芸術を愛する友の会』 第二弾も決定いたしました。会場は前回と同様で梅田MAMBO CAFEさんです。
前回も多くの方々に大変お世話になりありがとうございました。
美と芸術、そして少年少女たちを愛する故に音楽も文学も政治も私には同等です。想いを共有して下さる方々に感謝しております。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
お知らせ及び詳細更新等はこちらの「サロン・ド・ヴェルヴェット★美と芸術を愛する友の会」サイトにて。ご予約も承っております♪

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# by Claranomori | 2013-01-02 23:49 | お知らせ
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Joyeux Noël !

今日はクリスマス・イヴですね。とっても寒波のクリスマスとなりました。26日には新内閣誕生となるのですが、限られた隣国の動向は相変わらず不穏で危機感を募らせる師走です。でも、寒さを愉しむ事の出来る子供たちの笑顔って素晴らしいです。今日のニュースで東北の雪の壁とその地で生きる人々の姿が映し出されていました。人の叡智や生命力に胸を打たれます。今年も特に嬉しいクリスマス気分など皆無なので、やや暗く優美な美しい詩を読んだり、相変わらずロマン主義或いはロマン派の作品との相性が良いので、今日はフランスの詩人ポール・フォールの詩をアンドレ・カプレが歌曲にした抒情的かつ感動的なピアノ曲を♪

『小舟の別れ』 詩:ポール・フォール

今こそ城は眠りにつき
櫂はひときわ美しく
燕は金色の夕べを
空の青きわまるところに運ぶ
僕の眼には恋が溢れ、
城も空も映らない。
泣きぬれたまま僕は去く。
この櫂をはなれよう 今日かぎり!

★アンドレ・カプレ(André Caplet:1878年11月23日~1925年4月22日)はル・アーヴル生まれのフランスの作曲家で指揮者。カタカナ表記ではキャプレとも。この夭折の音楽家はドビュッシーの友人として知られ、ドビュッシーもまたカプレを非常に高く評価していたとされています。ドビュッシーの『聖セバスティアンの殉教』、『おもちゃ箱』、『月の光』、『子供の領分』などの編曲もしています。また、カプレは素晴らしいピアニストでもあり、残されたピアノ曲や歌曲の幾つかは小曲ながらもドビュッシーの美感の影響も伴いながら独創的な中世ポリフォニー音楽への探求の響きが聞こえるかのようでもあります。第一次世界大戦従軍中に毒ガスによって神経を冒され、胸膜炎を併発して早世したという不幸が惜しまれます。歌曲に於いては殊に難解な声のパート、朗唱法の指示が楽譜に細かく書かれているのだそうです。陰翳のあるリリシズムはやはり美しく詩的です。

Christopher Goldsackによるものがyoutubeにありましたので共有させて頂きます。
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# by Claranomori | 2012-12-24 23:38 | 詩人・作家・画家・芸術家
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★ルイ・イカール(LOUIS ICART:1888年9月12日~1950年12月30日)は南フランスの古都トゥールーズ生まれのイラストレーターであり版画家。"アール・デコの華"とも称されるルイ・イカールの全盛期は1920年代~1930年代のようです。アール・デコにとどまらず、ロココ絵画の影響、二つの大きな世界大戦、とりわけ20年代のフランスは"レ・ザネ・フォル"と呼ばれる狂騒、狂乱の時代であり、アメリカはジャズ・エイジとぐんぐんと大国へと経済発展を遂げ行く。そして30年代に入ると、ナチズムの擡頭と共に再びヨーロッパは暗雲に覆われるという時代。そんな時代背景の中で、ルイ・イカールは女性を描き続けていたのです。

上の作品は『赤ずきん』、下の作品は『マノン・レスコー』と題された共に1927年制作。モード雑誌にイラストを描いたり、版画、油絵を描いていたルイ・イカールの作品の特徴は、羽根であったり動物であったりもしますが、文学やオペラを題材にした作品も多数残されています。1980年代後半に梅田の大丸で「ルイ・イカール展」が開催されたので行きました。予備知識無しでしたが、たいそう印象強く作品から何かを得ながらも、描かれる少女や女性たちは美しくも、どこか不穏である魔性をも感じました。アベ・プレヴォーの『マノン・レスコー』のようにファム・ファタルな女性たちを感じたのかもしれません。ルイ・イカールの他の作品のこともまた♪

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# by claranomori | 2012-12-06 02:55 | 絵画の中の少女・女性
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★目まぐるしく政局が動く中、風邪が悪化したり回復したり、というここ一か月。とっても久しぶりの更新となります。気にかけてくださっている皆様に感謝しております。いつもありがとうございます。パソコンのフォルダーを整理していると素敵なお写真に再会できました。その中の一枚から1960年代のロベール・ローラン或いはロバート・ローランによる『帽子と手』と題された作品。このお方について詳しく知らないのですが、とても美しいモノクロームなお写真です。

19世紀に写真術の発明。絵画をモデルに写真作品へと。それはロマン主義であったり自然主義であったり、絵画主義的写真の流れの19世紀。そして、19世紀から20世紀にかけて変容をみせることになる。造形芸術の領域での数多の「イズム」の登場に興味があります。未来派、キュビズム、シュプレマティズム、ダダ、表現主義、構成主義、ヴェリズム、プロウン、抽象主義、他。すべてはモダニズムであり、レオナルド・ダ・ヴィンチの「絵画の手綱であり舵である」という遠近法。その遠近法を超える試みが写真芸術の中に見ることができるようで愉しい夢の時間です。

個人的には絵画の方が写真よりも好きなのですが、音楽や映画、そしてファッションとどれも密接な関係にある芸術なので、やはり写真にも興味を抱かないわけにはゆかないようです。

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# by Claranomori | 2012-12-05 01:07 | 詩人・作家・画家・芸術家
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静かな風景さえも、鳥の飛び交う草原や、刈り入れ時の畑、あるいは緑の燃え盛っている草地でさえも、車が通り、農民や恋人たちが歩いている道さえも、朝市がたち、教会の鐘楼の見えるヴァカンスを過ごす村さえも、ごく簡単に、絶滅収容所に通じているかもしれない。
ジャン・ケロール

★『夜と霧』という映像を観たのは偶然テレビでだった。これほどのドキュメンタリー映画の衝撃は、その後もいまだに私にはない。アラン・レネの要望で実際に収容所に収容された体験のある作家ジャン・ケロールによって、この危険を伴う作業は進められたという。このアウシュビッツの生々しい映像ドキュメンタリーを初めて観た時から随分時が経つけれど、今も甦るのは凄まじい恐怖の歴史と哀しく美しいミシェル・ブーケのこのナレーションの印象。戦争の恐怖、人が人を虐殺するという残虐な殺戮、けれど逃れることの出来ない時代の大きな渦の中に巻き込まれる歴史に是非はないようにも思います。私はホロコースト映画をも見逃すわけにはゆかないのです、なぜだか。これもまた人間の姿であるという悲劇。ナチス・ドイツの姿は何も遥か彼方の歴史ではない。そして、隣国の一党独裁体制下の中国共産党の侵略は、今もなお続いています。日本もその標的であることの脅威...!

夜と霧 / NUIT ET BROUILLARD
1955年・フランス映画 
監督:アラン・レネ 製作:アナトール・ドーマン
原作・脚本:ジャン・ケロール 
撮影:ギスラン・クロケ、サッシャ・ヴィエルニ
音楽:ハンス・アイスラー ナレーション:ミシェル・ブーケ

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この本は、人間の極限悪を強調し、怒りをたたきつけているが、強制収容所で教授が深い、清らかな心を持ち続けたことは、人間が信頼できるということを示してくれた。この怖ろしい書物にくらべては、ダンテの地獄さえ童話的だといえるほどである。しかし私の驚きは、ここに充たされているような極限の悪を人間が行ったことより、かかる悪のどん底に投げ込まれても、人間がかくまで高貴に、自由に、麗わしい心情をもって生き得たかと思うことの方に強くあった。その意味からフランクル教授の手記は現代のヨブ記とも称すべく、まことに詩以上の詩である。
引用野上弥生子 『夜と霧』 書評 より
『夜と霧』 1997年新装版 著:V.E.フランクル 訳:霜山徳爾

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# by claranomori | 2012-10-24 23:58 | 文学と映画★文芸・史劇
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★シルヴィア・クリステルとは70年代女優と云えるのでしょう。作品も70年代~80年代初頭辺りまでと、晩年ではやはり...。母が映画雑誌の『スクリーン』を70年代の後半まで購入していたもので、私は子供の頃から『スクリーン』によって作品は知らないけれど、女優、男優の名やお姿をそのグラビアから知ったお方が多い。なぜだか、大抵は男優より女優ばかり眺めていた。カラーのグラビア、表紙を飾る方々は当時の人気のバロメーターにもなる。子供心にそれらの美麗な女優たち、銀幕の名花に魅せられた。私は音楽より先に映画が大好きになって行った。

結構ボロボロにもなっている母の時代の『スクリーン』や『キネマ旬報』、自分でも買い始めた80年代の『スクリーン』、時々『ロードショー』という映画雑誌は、引越の折に箱に詰めたままのものが多いので、活用してゆきたいと思いながら時を経る。映画評論家の中に幾人か好きなお方がいるのですが、女性では渡辺祥子氏の批評に親しんで来たように思います。ちょっと、ドミニク・サンダさまには厳しい批評もあったのですが、それでも書かれる批評は女性の眼差しゆえに、すんなり受け止めることが出来たのかもしれない。女性、男性ってあまり関係ないようでやはりある。その渡辺祥子氏が語ったシルヴィア・クリステルについての文章を読み返していました。訃報は18日に知りましたが、数日後の追悼記事となってしまったのは心が追いつかないから。今もピンと来ない。でも、なにか切なくて悲しいです。淡い光の中の白いドレスを纏うショートヘアーの少女エマニエルはボーイッシュに感じたけれど、紛れもなくしなやかな女性だった。今までの女優とは違うエロティシズムの芳香。元々ファッション・フォトグラファーの監督ジュスト・ジャカンにとっても、シルヴィア・クリステルという女優との出会いがなければ成功は有り得なかったのではないでしょうか!

バレリーナを想わせる彼女のしなやかな姿態に魅せられない女がいるだろうか?
あの静かなブルーの瞳に、ラブリーな口もとに心を奪われない女がいるだろうか?
女なら、おそらく誰もがシルヴィアのように生まれつきたかった、と願うのではないかと思う。女は、本来、美しい女が大好きなのだし、女の美しさに対して敏感なのは、男よりも、むしろ女なのだから。
引用渡辺祥子 『夢淡きお嬢さんから世界のスターへ』 より

この「女は、本来、美しい女が大好きなのだし、女の美しさに対して敏感なのは、男よりも、むしろ女なのだから。」というお言葉にかなりの年月を経て再会できたこと。探していた言葉のようにも感じ懐かしく嬉しい出会いです。美しき帝国主義の娘。綺麗なシルヴィア・クリステル。ご冥福をお祈りいたします☆

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# by Claranomori | 2012-10-23 18:25 | キネマの夢・シネマ万華鏡
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シルヴィア・クリステル:SYLVIA KRISTEL
1952年9月28日 オランダ・ユトレヒト生まれ
没年2012年10月18日


★シルヴィア・クリステルの訃報は今も何か切ないです。もの凄く好きな作品があるわけでもないけれど、やはり時代を築いた銀幕の名花のお一人だったと思います。いつまでも『エマニエル夫人』という役柄から解放されずに80年代以降はかなり心身ともに荒廃されていたという。170cm以上の長身とあの長い脚。お美しい肢体、綺麗な女優さまでした。「シルヴィア・クリステルって綺麗だよね?」と云うと、映画通の先輩に軽く流された。懐かしい会話が蘇ります。もうシルヴィア・クリステルという名を知らない方も多い。名女優でも演技派でもないけれど、映画の中に新たな風と共に現れた70年代女優の華であったことは多くの方々の記憶に刻まれていることでしょう!殆どの作品が後追いですが、私はグラビアからそのお姿を知りました。60歳での死。ご冥福をお祈りいたします☆

●代表作●
それぞれのシネマ ~カンヌ国際映画祭60回記念製作映画~ (2007) 
ブレイントラスト (2000) 
エマニエル パリの熱い夜 (1993) 
エマニュエル 愛欲のチベット (1993) 
シルビア・クリステル / 奴隷貴婦人 (1992)
エマニュエル・ザ・ハード (1991) 
ホット・ブラッド (1989)
ドラキュラ・ウィドー  
シルビア・クリステル / 蒼ざめた欲望 (1987) 
カサノバ (1987) 
シルビア・クリステルの ディープレッスン (1985) 
魔性の女スパイ (1985) 
レッドヒート (1985) 
エマニュエル (1984) 
プライベイトスクール (1983) 
チャタレイ夫人の恋人 (1982)
シルビア・クリステルの キス・オブ・ゴールド / 華麗なる女の闘い (1981) 
プライベイトレッスン (1981)
0086笑いの番号 (1980) 
ピンクのルージュ (1979) 
エアポート'80 (1979)
ルトガー・ハウアー&シルビア・クリステルの ミステリーズ (1978) 
シルビア・クリステルの ピンク泥棒 (1977) 
さよならエマニエル夫人 (1977) 
華麗な関係 (1977)
夜明けのマルジュ (1976) 
危険な戯れ (1975) 
続エマニエル夫人 (1975)
暴かれたスキャンダル (1974) 
卒業試験 (1974)
エマニエル夫人 (1974)
処女シルビア・クリステル 初体験 (1972)
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# by Claranomori | 2012-10-23 17:30 | 女優館★銀幕の名花たち
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★唐突ですが、我が国日本の歴史よりも、欧州文化に慣れ親しんで生きて来た私です。洋楽に目覚め始めた頃、まだ中学生で音楽的情報源はもっぱらラジオでした。電波の悪いローカルな番組もよくアンテナを回しながら聴いていました。そして、MTVやベストヒットUSAなどの番組、関西では阿木譲氏のコーナーのある番組などでビデオクリップを観る事が出来る時代。10代から20代という時期、日本の経済が世界の最先端を走っていたあのバブルの時代に呼応します。西村幸祐氏の著書『幻の黄金時代 オンリーイエスタデイ'80s』の中で当時の事象や問題提起がなされている、これまでどなたも書かなかった80年代をキーワードに綴られたもの。先日10/13にその幸祐先生の大阪で初となるトーク・イベントをご縁があり、Velvet Moonが主催させて頂く運びとなり大盛況で終えることができました。10日には既に前売り予約も当日チケットも販売無しという状態になり、その後も多くの方からご予約のお問い合わせを頂きましたが、心苦しい想いでソールドアウトのご連絡をお詫びも込めて送らせて頂きました。皆様、ありがとうございました!満員の座席となり立ち見のお方もおられ、申し訳ございませんでした。でも、少しずつ、繋がり合ってゆける人達との共有するものが「日本」である、という実感を感じ始めています。今日も素敵なお手紙を頂き感激しています。今後も『Salon de Velvet 美と芸術を愛する友の会』を定期的に開催してゆきます。次回は新春の予定です。
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昨日今日と、そんな「幻の黄金時代」であったバブル期の日本で、夏にはガンガン冷房を普通に使い、社会人になると最終バスに乗り遅れることも日常茶飯事でタクシーを利用して帰宅することなどを想い出していました。今ではそんな余裕などなくタクシーとのご縁はあの時期に集中していると回顧します。タクシー乗り場も長蛇の列で、朝早くに出かける父に迎えに来て頂くこともありました。父の睡眠時間を妨害していたのです。申し訳ないなあ...と想いながら、そんな日々を追われるように過ごしていました。お仕事で頂いたお給料も好きに使っていた。でもなにか息苦しさの中で私は音楽を聴くこと、映画館に逃げ込むようなあの頃を懐かしく、また虚しく想い出します。私の家族がまだあった頃。80年代末に母が倒れ、父まで癌を宣告された。そして、昭和から平成に変わり両親は共に天国へ。父が時々、私の部屋に入って来て、「外国の音楽ばかり聴いてるが意味はわかるのか?」という言葉とあの父の表情が浮かびます。父はくどくど詳しく説明してくれない。ぼそっと云う言葉の後に続く音にならない言葉を私は探さなくてはならないのでした。それはもっと子供の頃からのことで、「ふん...どういう意味だろう」と。どうしても分からない時は母に尋ねるのですが母の説明も抽象的でした。ただそんな私を母は笑顔で理解してくれていたように想います。

家族って素晴らしいですよね!居なくなって両親の有り難さが身に沁みる親不孝な娘ですが。80年代、私たちの世代は「シラケ世代」とか「新人類」などと称されていました。文学もアートもポストモダンが主流の中、何かしっくりしない私は日本文学というと、澁澤龍彦や寺山修司の作品を好んでいました。その前に音楽ではデヴィッド・ボウイ、映画ではルキノ・ヴィスコンティが大好きでしたので、耽美派少女としての流れ的には王道を歩んでいたのだと今振り返ると自負します。欧州退廃女優のイコンであったシャーロット・ランプリングとドミニク・サンダ、男優ではヘルムート・バーガーやジェレミー・アイアンズ、萩尾望都を愛し、沖田総司を好むというのも王道ですよね、と問いかけてみたくもなるほど、懐かしい風景が蘇ります。同時に、それらは今の私にとっても過去の宝石たちではないのだということに光を感じ得ます。ずっと何かしらの勇気を与えてくださっているのだと。それはすべて「美」!
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★「美と政治を一緒に語るのは危険です」と。あるお方にアドバイスを頂きました。おっしゃる意味合いが私なりに伝わっています。ありがとうございます。でも、どちらも切り離せはしないのです。そんな人間も少数派かもしれませんが存在し、日本を想い生きているのです。ナチス・ドイツを例にとれば分かり易い危険を示唆されているのでしょう。ナチス・ドイツは国家社会主義ドイツ労働者党。北朝鮮は朝鮮民主主義人民共和国。日本はやや社会主義的なところもありますが民主主義国家です。こんな言葉の意味を考えたりしていると訳が分からなくなるのですが。

今の民主党政権下でのこの3年。私は最初から支持していないのですがこんなに酷い政権時を、同時代を生きているという現実。唯一の功績なるものがあるとすれば、国民を目覚めさせたことでしょうか。そこには、東日本大震災が起こり、原発事故も伴い、中国船による尖閣衝突事件...どの対応も国民を憤らせるお粗末政権。まだ復興しない東北の大震災の折の総理が菅直人氏であったという不幸。あの時の対応も総理より石原都知事、政府より東京都の方がずっと頼もしく感じられました。都知事は助かった命のために、緊急手段ですが食料などの空からの投下を菅氏に提案されましたが断りました。一時も急務な対応は決断して行動すれば良いという緊急事態というより、非常事態宣言という時でした。放射能の恐怖もあり、官邸も東電もメディアも訳のわからないお話ばかり。必死で現状を知りたくてネットで情報収集をしていました。色々な情報が飛び交うので何が真実なのかまったく分からない内に、冷静に二項対立ではない思考が大切だと想えたのでした。それは今も変わりません。殊に原発の事は、設計者や技術者の方々でなければ分からない難しい問題なので。なのに、30年までに、30年代までに原発をゼロにします、とかしないとかコロコロ。

総理は毎年変わり、各大臣もコロコロ。沖縄の普天間問題も鳩山氏のお陰で滅茶苦茶。日米関係が安定していた小泉政権時代が懐かしいと、今ほどアメリカの存在を強く感じることはありません。私は親米でも反米でもないのですが、日米同盟は重要だという想いが確固たるものになり良かったです。でも今のままでは半属国状態ですので、自主憲法を持っての真の同盟国に。よく、アメリカは怒らないなあ...と想ってしまうほど、私は今最もアメリカが好きです。日中国交正常化40周年の今年2012年、夢物語である反日国の愚劣な姿が浮き彫りに。韓国大統領の常軌を逸したあの言動はまだ解決していません。無かったことにはならないとんでもない無礼千万の天皇陛下に対する発言を忘れることは日本人ならば出来ないでしょう!また、今年は日印国交樹立60周年の年でもあることをなぜメディアは喜んで報じないのでしょうか。インドは国を上げて、あの東日本大震災の発生直後に黙祷を捧げてくださいました。その記事を読み涙が溢れました。

真の友とは?!真の国交正常化とは?!国家とは?!領土とは?!...と私はますます高齢になられても一時も休まず57年間有名税を払い続け日本のために問題提起される石原慎太郎氏の存在が大きく重く感じられるようになりました。心より敬意を表します!尖閣諸島になぜ、石原氏は国会議員時代から拘り続けているのか。その訳も今はもの凄い危機感と共に感じています。すべて繋がっている問題です。中国共産党は覇権主義のお国。それらの残虐な侵略を日本のメディアは報じません。報じないことの中に真実があることもある。「日本をチベットにしたくない」と石原都知事が幾度もおっしゃる。国会でもおっしゃったのに報じない。「また都知事が吼えた!」とか短絡的な誤魔化し報道で逃げるばかり。中国共産党はチベットを、内モンゴルを、台湾を、インドを、そして次は日本だともう綿密に計画実行しいているのです。情報戦では日本は遅れを取っていますが、工作員はもう日本中にどのくらいいる事やら。中には中国を民主化したい想いの中国人もおられるでしょう。でも、日本とはまったく違う一党独裁の共産主義国であることは逃れられないことなのでしょう。それでも民主化に向けて行動されている中国人を私は支持しています。日本は島国ゆえに保たれている尊い歴史がありますが、常に自然災害とも。それは正負の法則でそれらの困難を克服する術を知恵を得ながらのこと。色々な問題を抱えて生きている私達。語らうことを忘れたくないです。様々な想いを語らいたいと想い、『Salon de Velvet 美と芸術を愛する友の会』を発足いたしました。試行錯誤しながらですが、どうぞ宜しくお願いいたします!

★そんな事を想いながら音楽ブログ 「麗かな憂鬱・時の鐘よ鳴れ」を更新いたしました。
永遠のベラドンナ ☆ スティーヴィー・ニックス / 嘆きの天使 STEVIE NICKS / STOP DRAGGIN' MY HEART AROUND ~ エッジ・オブ・セヴンティーン / EDGE OF SEVENTEEN (1981年)
ハート / マジック・マン ☆ ソフィア・コッポラ監督の映画『ヴァージン・スーサイズ』で再会したアン&ナンシー姉妹のハートの70年代の名曲たち

★関連ブログ:「石原慎太郎・憂国のエトランジェ」も時々更新しております。
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# by Claranomori | 2012-10-18 17:51 | 想い・鑑賞・読書メモ
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★デヴィッド・ボウイの 『セヴン・イヤーズ・イン・チベット』(1997年)の曲と付随する想い、それに関連して、「デヴィッド・ボウイとドイツ表現主義★エーリッヒ・ヘッケル:ERICH HECKEL」を。以下の言葉はボウイ自身が語った『セヴン・イヤーズ・イン・チベット』という曲についてですが、表現主義的なレベルの歌詞とありますものでドイツ表現主義のことを少し。

チベットの状況について何か発言したかったんだ。僕は19才の頃ににわか仏教徒になった。半年ほど勉強したかな。実に素晴らしいチベット人たちと知り合った。ロンドンのチベット協会でのことだ。その中の一人とは数年間付き合いを保っていた。彼の名前はチメ・ヨン・ドン・リンポチェといい、ロンドンの大英博物館の翻訳者なんだ。当時僕が非常に影響を受けていた本にハインリッヒ・ハラーというドイツ人の『チベットでの七年間』というのがあった。彼はごく初期の内に実際にチベットに行った西洋人の一人だった。この本の卓越した実在感と実に崇高な哲学は感動的だ。何年たっても忘れることのできない本だった。そこで僕は近年チベットで起こっている政治的状況に、音楽を通じて何らかの関わりを持ちたいと思った。この曲は家族を殺され、自国内で無力化させられている若いチベット人たちの絶望感や苦悩を表現している。敢えて具体性を追求しすぎないようにした。表現主義的なレベルの歌詞の方がより効果的だからだ。曲全体から漂う雰囲気を感じ取ってほしい。

デヴィッド・ボウイ

そうなのです。ボウイと殊にドイツ表現主義との関連は重要なのでした。画家でもあるボウイはドイツ表現主義、或いはドイツ表現派に属する作品とボウイの絵も評価されています。ドイツ表現主義は20世紀初頭にドイツから発生した一大芸術運動。そして、ドイツ表現主義の最初の芸術家集団「ブリュッケ」が誕生しました。中心となるメンバーはエルンスト・キルヒナー、エーリッヒ・ヘッケル、カール・シュミット=ロットルフ、フリッツ・ブライルの四人は創設メンバーでした。ボウイがとても影響を受けたのはその中のお一人、エーリッヒ・ヘッケルです。

エゴン・シーレに傾倒しているわけではない。最も好きなのはエーリッヒ・ヘッケルで、彼の属する表現主義が私の基盤、特別なルーツだ。ある種の基盤を持つのは大切だ。
そして私の場合は表現主義ってことになる。

デヴィッド・ボウイ

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エーリッヒ・ヘッケル(Erich Heckel:1883年7月31日~1970年1月27日)は、ドイツ表現主義の代表的画家であり版画家。木版による白と黒の対比による力強い表現が高く評価されたようです。また、ドイツ表現主義の作品で扱われるテーマは、生活及び社会の矛盾、革命、戦争など、既存の秩序や市民生活に対する叛逆を目指したものが多く、これらのアーティスト達の思想的影響はニーチェによるものが大きいとされているのも妙に納得します。そんな訳で、5年前に綴ったパウラ・モーダーゾーン=ベッカー以来となりますが、久しぶりにドイツ表現主義に関わりの大きいデヴィッド・ボウイと共に少し触れてみました。

★関連記事:「『セブン・イヤーズ・イン・チベット SEVEN YEARS IN TIBET』 ~ 今の日本の危機を想う」を「ボウイ館」にて追記いたしました♪
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# by Claranomori | 2012-10-17 07:53 | 詩人・作家・画家・芸術家