あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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★ロマン・ポランスキー監督の拘束というニュースが届いたりするけれど、私はポランスキー映画が大好き!日本公開、ソフト化された作品はいつの間にか自然とほぼ網羅していると作品データを眺め知る。ミア・ファロー主演の『ローズマリーの赤ちゃん』、ナスターシャ・キンスキー主演の『テス』で知り好きになり、様々な作品が壮絶かつ屈折した監督人生の中で製作されている。どれも好きなのだけれど、やはりカトリーヌ・ドヌーヴ主演の『反撥』にも似た空気を感じるけれど、主人公が追いつめられてゆく心理サスペンス的なお話となると、この『テナント 恐怖を借りた男』も素晴らしい名作だと思う。ポランスキー自ら主演で、とても主人公にピッタリ!と思ったもの。まだお若き頃のイザベル・アジャーニも出演されているのも嬉しかった。また、アパートの管理人役のシェリー・ウィンタース、同じ住人の少女役でエヴァ・イオネスコも少しだけ登場する場面も印象的。

私は個人的に一人暮らしの経験がないのだけれど、マンション生活という体験を得た中で、特に都会のど真ん中で約10年程の経験は今もなにかしら尾を引いているように思う。それまでの家族と一緒の家、隣近所の人たちとの生活に慣れていたせいか、一人でマンションに居る時、あるいは近くで大きな物音がしたり、間違ってチャイムを鳴らす方が居たり、挨拶をしても反応がなかったり、隣人方のお名前も知らないとか...こういうことは今は当たり前のようだけれど、私はとても嫌だった。幾人かの友人のお話でも、やはり大きな音を立てないように神経をピリピリさせながらの生活をされたことがあるという。この主人公トレルコフスキー(ロマン・ポランスキー)も新しく引越してきたアパルトマンで、謂れのない苦情や嫌がらせのようなことをされる。次第に神経過敏になるのは当然だろう!そして、この部屋の前の住人の女性は窓から飛び降り大怪我を負った上に亡くなったのだった。その女性の残したお洋服などもそのまま。奇妙なことに壁からはその女性のものと思われる歯が見つかったり...。窓から覗くといつも人の姿があるのもゾクっとする場面でゴシックホラーっぽくもある。次第にその死んだ女性に同化してゆく様、隣人達のあたかも舞台の観客のような道化の姿を嘲笑う声。妄想なのか現実なのか観ている私も曖昧になる。原作のローラン・トポールの『幻の下宿人』でも大筋は似ていたように記憶する...トレルコフスキーの女装し破滅に向かってゆく様、滑稽かつ緊迫した不条理な世界。未公開映画ながらポランスキーの70年代名作の一つだと思う。
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【あらすじ】
古びたアパートに空き部屋を見つけたトレルコフスキー(ロマン・ポランスキー)は、前の住人が窓から飛び降り自殺を図った事を聞かされる。彼はその女性-シモーヌを病院に見舞い、そこで彼女の友人と名乗るステラ(イザベル・アジャーニ)と知り合う。やがてシモーヌは死に、その部屋に越してくるトレルコフスキー。部屋にはまだシモーヌの痕跡がそこかしこに見られ、壁に開いた穴の中には彼女のものと思われる一本の前歯が隠されていた。そして、向いの窓には奇妙な人物の佇む姿もあった。不安な中で始まる新生活。わずかな物音でも隣人から苦情が発せられ、口うるさい家主(メルヴィン・ダグラス)と無愛想な女管理人(シェリー・ウィンタース)もトレルコフスキーにとって脅威となっていく。やがてタバコや飲み物といったトレルコフスキー自身の嗜好も変化し、彼は周囲の人々によって自分がシモーヌに変えられていく事を感じ始めていた。被害妄想は次第に膨れ上がり、ある夜、その妄想は現実と化す……。(引用:allcinemaの解説より)

テナント 恐怖を借りた男/LE LOCATAIRE
1976年・フランス/アメリカ合作映画
監督:ロマン・ポランスキー 製作:アンドリュー・ブラウンズバーグ 
原作:ローラン・トポール 『幻の下宿人』 
脚本:ロマン・ポランスキー、ジェラール・ブラッシュ 
撮影:スヴェン・ニクヴィスト 音楽:フィリップ・サルド
出演:ロマン・ポランスキー、イザベル・アジャーニ、メルヴィン・ダグラス、シェリー・ウィンタース、ジョー・ヴァン・フリート、ベルナール・フレッソン、リラ・ケドロヴァ、クロード・ドーファン、エヴァ・イオネスコ

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by claranomori | 2010-08-27 09:28 | 文学と映画★文芸・史劇
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★テオドール・シュトルムの『みずうみ』は、「老人」~「幼馴染」~「森にて」~「道のべに乙女子は立ちて」~「ふるさと」~「ある手紙」~「インメン湖」~「母の願いは」~「エリーザベト」~「老人」からなる1849年のシュトルムの代表作。文学的な流れではドイツロマン主義~写実主義という辺りのシュトルム。この『みずうみ』(原題Immensee:インメンゼー)は石丸静雄訳によるもの。最近はすっかり幼少期の童話、あるいは10代から20代という時期に出会った作品や作家に再び回帰という傾向が強いようなのだけれど、やはり文学はドイツ文学に魅せられ読書が好きになって行ったこともあり、こうして最も心の落ち着く作品を再読したりしている。

月光の流れる部屋に散歩から帰って来た孤独な老人ラインハルトは、壁にかかった少女エリーザベトの肖像画を見入るうちに、幼き日の彼女との忘れえぬ思い出に耽り始める。清らかな愛情で結ばれながらも他郷の大学での勉学中に友人エーリヒとエリーザベトは結婚してしまう。この苦い現実に深い人生の悲哀を感じながら、その後も孤独を守り続けて老後を送っている老人の回想で、現在から過去、その嘗てから今という形式のリリシズム溢れる美しい小説。シュトルムは元来、抒情詩人でもあるのでお話の中に甘美な詩が幾つも出てくる。私はそんな詩たちが大好きなのです。

少女が5歳くらい、少年は10歳くらいの頃からの「幼馴染」~「森にて」の中の少年ラインハルトがノートに書いた詩。オランダイチゴを探しに森に出かけた幼き日の眩い光景の少年ラインハルトと少女エリーザベトを思い浮かべ、安楽椅子に座る老人ラインハルトの心を想う。

ここの山腹には
そよとの風もなく
しなだれる枝の
その下に乙女は憩う

あたりいっぱいに
タチジャコウソウのかんばしい香り
青い羽虫が ぶんぶんと
宙に舞ってきらきら光る

寂として音もない森
この子のかしこい目つき
とび色の髪の毛に
日の光が流れまつわる

遠くのほうから郭公の声
わがこころは思う―
この乙女こそ森の女王の
黄金のまなこ持てりと

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by claranomori | 2010-08-26 10:25 | 19世紀★憂愁のロマンと美
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★この絵本『白雪と紅ばら』(SNOW WHITE AND ROSE RED)の初出は1984年で、日本語訳としての刊行は1991年。お話はグリム童話の『白雪と紅バラ(白ばら紅ばら)』なので幾種類もの刊行物がありますが、これは「ワンス・アポンナ・タイム・シリーズ」のもの。絵はローラン・トポール(ROLAND TOPOR)で甘すぎずやや奇妙なメルヘン・ワールドです。

むかし、むかし・・・・・夫をなくした貧しい女性の小屋の前の庭に、小さなバラの木が2本植わっていました。1本は白いばら、もう1本は紅(くれない)のばらです。またこの女性にはばらの花のような二人の美しい娘がおり、一人は白雪、もう一人は紅(べに)ばらという名前でした。二人の娘は優しく気立ての良い、働き者でした。白雪はおとなしく穏やかで、紅ばらが牧場や野原を駆け回って、お花を摘んだり蝶を捕まえたりしている時も、白雪はお家に居てお母さんのお手伝いや本を読んであげるという対照的な性格。でも、二人はとても仲が良く、いつも一緒に手を繋いで出かけるのでした。

「わたしたち、いつもいっしょよ」と白雪がいうと、紅ばらはこたえます。 「いつまでも、いっしょよ」 そんなとき、お母さんはいいました。「なんでも、ふたりで仲よく分けあうんですよ」

この箇所がとっても大好きなのですが、この仲の良い姉妹の森でのできごと。小人との出会い、そして口のきけるクマとの出会い。実はこのクマは王子さまなのでした。このお話での小人は悪者で王子さまに魔法をかけてクマに姿を変え、宝を奪っていたのでした。王子さまはその小人をやっつけることができた時に、ようやく魔法が解けもとの凛々しい王子さまの姿に戻り宝石も取り戻せました。そうして、白雪は王子さまの花嫁に。紅ばらは王子の弟の花嫁に。宝も分け合い、年老いたお母さんも、2本のバラの木も一緒に王子さまのお城で幸せに過ごしました。そのバラの木はお母さんのお部屋の窓の外に植えられて、くる年、くる年、白と紅の、それはそれは美しい花を咲かせたのでした。...というようなお話です。

この絵本のローラン・トポール(1938年1月7日~1997年4月16日)はパリ生まれの画家であり作家。ポーランド系のユダヤ人でもあり、1964年の初の小説『幻の下宿人』、その原作を映画化したロマン・ポランスキー監督の『テナント 恐怖を借りた男』との類似のような直感から好きさが増したのは、1972年のルネ・ラルー監督との共同製作アニメーション映画『ファンタスティック・プラネット(野性の惑星)』を知った時。再見して知ったことにヴェルナー・ヘルツォーク監督の『ノスフェラトゥ』にも出演されていた。正に怪奇と幻想、ゴシック・ロマン香る私の好きな世界の繋がりの妙を想う。これらの映画のことについても感想などをまた綴ろうと想います。

(関連記事)
『テナント 恐怖を借りた男』 監督・主演:ロマン・ポランスキー原作:ローラン・トポール『幻の下宿人』を更新いたしました♪
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by claranomori | 2010-08-23 06:17 | 童話・絵本・挿絵画家
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★原題である「ペペ・ル・モコ」とはジャン・ギャバン演じる主人公の名。邦題の『望郷』とは美しい宝石や香水で身を纏ったパリからやって来た美女ギャビー(ミレーユ・バラン)によってペペ・ル・モコの故郷を思慕であり、男と女の運命的な出会いによる哀しいドラマ。パリからやって来て2年のペペ・ル・モコはカスバではボスであった。けれど、このカスバとは、アルジェリアの首都アルジェ郊外の城塞都市。そこはスラム化した町で、訳ありの人たちが流れ着く場所でもあり、ジャン・ギャバン扮するペペ・ル・モコもパリを追われてやって来たギャングだった。カスバは当時はフランスの植民地であったけれど、アルジェリア独立運動、迫り来るナチズムの脅威など暗雲の空気に溢れた時代。重苦しく悲観的な空気と異国情緒が不思議な閉塞感を画面から放つかのよう。カスバとは「砦」という意味を持つという。そんな砦の町は「牢獄」のようでもある。ジュリアン・デュヴィヴィエ監督は「ペシミズム(悲観主義)表現の監督」と呼ばれていたそうで、本国フランスより日本での評価の方が当時は高かったと読んだことがある。

パリの香りを全身から漂わせるギャビー(ミレーユ・バラン)の美しさが私には忘れられない作品で、ミレーユ・バランの出演作品はこの一作しか鑑賞していないのだけれど、美しき宿命の女ギャビーとして永遠なのだ!ペペ・ル・モコはギャビーを追ってパリに出ると決める。それは明日無き恋であり運命の時でもある。成就などするはずはない。ペペ・ル・モコの逮捕の契機を待つスリマン刑事(リュカ・クリドゥ)、情婦イネス(リーヌ・ノロ)の夢と裏切り、少年やライバルたち...皆魅力的である。殊にスリマン刑事とペペ・ル・モコには「追う者と追われる者」ならではの奇妙な友情めいたものがある。この辺りは後々ジャン・ギャバンが見せてくれる「フレンチ・フィルム・ノワール」の幾つもの名作の中で描かれてゆく私の好きなテーマ「男の美学」を見るようである。

ペペ・ル・モコが最後に「...ギャビー!」と叫ぶ声と船の汽笛の音はやはり観る者の記憶に深く焼きつく名場面なのだろう!こうした「メロドラマ」もまた愛してやまない私。ミレーユ・バラン演じるギャビーは「悪女」とは思わないけれど、やはり一人の男(ペペ・ル・モコ)にとっては宿命の女、ファム・ファタルであったと遥か彼方の二人を思い浮かべ、知りもしない異国、時代に夢とロマンを馳せる♪
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ペペ・ル・モコ(ジャン・ギャバン)とギャビー(ミレーユ・バラン)

望郷/PEPE-LE-MOKO
1937年・フランス映画
監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ 原作:ロジェ・ダシェルベ 脚本:アンリ・ジャンソン、ロジェ・ダシェルベ 撮影:ジュール・クリュージェ 音楽:ヴィンセント・スコット 出演:ジャン・ギャバン、ミレーユ・バラン、リーヌ・ノロ、リュカ・クリドゥ、ルネ・カール、マルセル・ダリオ

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by claranomori | 2010-08-17 23:45 | キネマの夢・シネマ万華鏡
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★「心に残る映画」をふと想い描くと、次々と浮かぶ美女たち!勿論、格別のお気に入り女優たちの各作品もながら、私のようなお気楽な鑑賞道楽者にとっては「美こそ、すべて!」あるいは「女優ありき!」なのだとつくづく再認識している今日この頃です。音楽も文学もすべて総合芸術として様々な作品やアーティストが連なり合う様はやはり愉しいのです。「宿命の女(ファム・ファタル)に魅せられる」という中にはどうしても「悪女」が付き纏う。人それぞれの「悪女」のイメージがあると思いますが、私が魅せられる「悪女」は美しく知的。性悪女とは違う!けれど、そんな「悪女」の中にも「愛らしい」と想える方も居れば、「とっても恐ろしい」存在も。これらは少女愛好や、私の好きな時代が19世紀であることなどとも大きく繋がっています。ロマン主義的な芳香を愛してやみません。象徴主義から世紀末におけるデカダンス。それらの傍らにはなんとも魅惑的で謎の美女たちが多く存在しているのです。女性とも限らないミューズたち。「ヒロイズム」もまたロマン主義に欠かせないものであるので、1940年代から1950年代のハリウッド産「フィルム・ノワール」から「フレンチ・フィルム・ノワール」の世界を愛する私が居ます。犯罪映画に美女の存在は大きく、娼婦であったり妖婦であったり様々な姿で登場される。ヴァイオレンス描写やアクションはあまり好きではないのですが、記憶に残っている場面の多くは運命に翻弄される男たちであり女たちの美しくも滅びゆく姿であることが多いのです。「男の美学」に憧憬を抱き、また男性社会の中での女性たちのお人形ではない自己、自立という中で描かれる「女性映画」ともリンクしてゆきます。

映画の中の悪女列伝を脳内で描いておりましたら大変なことになっています!なので、少しずつ「魅惑の悪女たち」も映画を主に綴ってゆこうと想います。

真っ先に浮かぶ「魅惑の悪女」・・・シモーヌ・シニョレにジャンヌ・モローなどは作品を挙げると多くなります。『ミザリー』のキャシー・ベイツも美しいとは思えないけれどとっても怖い悪女でした。ロリータもまた悪女であったりします。年代も国籍も問わずですので膨大になりますが、作品としても好きなものを優先しながら少しずつ纏めてゆけたらと想います。上のお写真のお方は、ハリウッド最高の演技派女優と謳われたベティ・デイヴィス(ベット・デイヴィス)です☆
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by claranomori | 2010-08-16 19:56 | キネマの夢・シネマ万華鏡
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グレース・ケリー(GRACE KELLY)

神が思いあまって白鳥のなかへ入ったとき
彼は白鳥の美しいことにほとんど愕然としながら
まったく狼狽してその中に姿を消した
だが このまだ経験したことのない存在の感触を

試すひまもなく 既にその偽りの姿が
彼を行為へと導いたのだった そしてあけひろげのレダが
白鳥となって近づいてくる者を知り
一つのものを求めていたことを悟っていた

引用: リルケ 「レダ」より
 
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by claranomori | 2010-08-12 21:07 | キネマの夢・シネマ万華鏡
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「一本の映画を分析するには、どんな能力が必要だろう。あるいは監督の感情や経験を持ち、さらに倫理観、宗教、言語、郷土が同じであればいいのだろうか。現在、過去、未来を結びつける感情と経験は人それぞれ違う。私の好きな映画『道』でのフェリーニは私にとって神だった。これはネオ・リアリズム作品という以上に力強い映画だ。『道』で、フェリーニは人間の喜びと悲しみの偉大な叙情詩、叙事詩を作り上げた。」 
アッバス・キアロスタミ 「ソフィア・ローレンから『甘い生活』まで」より

道/LA STRADA
1954年・イタリア映画
監督:フェデリコ・フェリーニ 製作:カルロ・ポンティ、ディノ・デ・ラウレンティス 脚本:フェデリコ・フェリーニ、エンニオ・フライアーノ、トゥリオ・ピネッリ 撮影:オテッロ・マルテッリ 音楽:ニーノ・ロータ 出演:アンソニー・クイン、ジュリエッタ・マシーナ、リチャード・ベースハート

関連:『道』 少女のようなジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ) 監督:フェデリコ・フェリーニ
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by claranomori | 2010-08-08 21:12 | キネマの夢・シネマ万華鏡
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先述の『美女と野獣』で有名なフランスの女性作家ボーモン夫人(マダム・ルプラン・ド・ボーモン)のお話の中には他にも好きな作品が幾つもあるのですが、『不運つづきの娘』というお話の中の主人公の娘オーロール。18世紀の作品であり、ボーモン夫人が子どもたちを愛して古い民話を編んだり、英国滞在時での教育事業に傾けた熱意と誠実さ、モラリテが強くお話から感じられる。ボーモン夫人の子供たちへ注がれる眼差しを。各国の仙女物語やおとぎ話の中でよく見られることながら、この『不運つづきの娘』にも登場するもう一人の娘エーメ。彼女はオーロールの妹でこの姉妹は共にたいそう美しい少女である。けれど、妹のエーメは意地悪な性格の持ち主。姉オーロールは心優しく賢明な娘。どうしたわけか、その姉オーロールにばかり不運が訪れる。羊飼いのおばさんはその都度、オーロールに助言を与えてくださり、素直な娘はその言葉を受け入れ、どんな試練がやって来ようと動じない気高き意思をも備えてゆく。

この姉妹と結婚することになる王さまとその弟君。王さまは弟が結婚するという美しい娘オーロールを手に入れようと企てる。けれど、オーロールが荊で美しい顔が傷だらけになってしまった時に王さまは娘に会うことに。王さまは何故こんな醜い娘を弟が愛したのかわからない。オーロールは痛い上にとても傷ついただろうに。けれど、その時、荊で怪我を負わなければ愛する弟王との結婚は妨げられていたのだ。古今東西、人生は正負の法則なのだと教えられる。上の挿絵はアダマールというお方によるものをスキャンしました。オーロールと弟君の王さまはめでたくご結婚されるのだけれど、ある日森でお二人の赤ちゃんが海賊に奪われる。この絵の海辺に描かれている女性はその海賊の妻で抱きかかえている赤ちゃんはオーロールと弟君の王さまの子供。海賊の船は難破してしまいこの二人だけが生き残り、運命的な幸せな出会いで終えました。そうそう、オーロールを化け物扱いした王さまはオーロールの妹エーメと結婚。しかし、性悪の妻を持ったがゆえに苦悩のあまり亡くなってしまいました。オーロールの荊での顔の傷は癒えて元の美しいお顔になっています♪
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by claranomori | 2010-08-06 11:55 | 本の中の少女たち・少年たち
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★ジャン・コクトーは大好きなのですが、初めて観たジャン・コクトー監督の映画はこの『美女と野獣』でテレビ放送でのこと。中学生頃の事で、カラー世代ゆえにモノクロームの映像に今ひとつ馴染めないでいたのだけれど、偶然にも近い時期に衝撃的なモノクロ映画に出会うことができた。まだそれらの作品をひとつも取り上げてはいないのでそろそろ(すべてフランス映画)。ジャン・マレーというギリシャ彫刻のような美男の俳優を知ったのもジャン・コクトー作品からである。お話は子供の頃に読んでいたので大筋は知っていたのだけれど、1時間半程の間、テレビ画面に吸い込まれていたように想う。映像の魔術にすんなり魅了されてしまった。その時に1946年の映画だということなんて知らない。そんな古い映画を観ているとも感じず「美」に圧倒された!というしかない。

原作の『美女と野獣』は、イギリスで1757年にマダム・ルプラン・ド・ボーモン(ボーモン夫人)が『子どもの雑誌』あるいは『子どもたちの宝庫』に纏めたものの中に収められたお話。前年の1756年にフランス語で出版されていたそうだ。ボーモン夫人は1748年から1761年の帰国までの英国滞在、とりわけ子供たちの教育事業に打ち込んでいた時期であり、40冊程の作品を書き上げ、後に傑作と謳われる作品たちは、このロンドン滞在時に書かれたものである。このお話は「妖精物語」とも云える「おとぎ話」。この原作をジャン・コクトーは自ら脚本を手掛け、とんでもなく美しい、幻想的かつ優美な詩的映画として世に出されたもの。

最強のスタッフが揃っていることに今だと気づく。技術顧問あるいは撮影アシスタント的な役割をルネ・クレマンが担当している。あの『禁じられた遊び』を監督する以前の1945年(この年に『美女と野獣』の撮影開始)。また、美女ベル(ジョゼット・デイ)に求婚する乱暴者の青年アヴナン、野獣、王子の三役をこなすジャン・マレー。コクトーはこの美しきジャン・マレーのために構想を練ったと云われるもので、アンリ・アルカンのカメラワークがさらにマレーの美を際立たせている。コクトーはアンリ・アルカンに「画家フェルメールの光の使い方で撮ってほしい」と注文したという。そして、ベルや野獣の豪奢な衣装を始め、神秘的でファンタジックな野獣のお城などの美術担当はクリスチャン・ベラール。以前からコクトーの舞台美術なども担当してきた画家であり、ファッション・デザイナーでもあるコクトーの旧友である。さらに、ジョルジュ・オーリックの音楽も私はいつも相性の良さを感じているお気に入りの音楽家のお一人だし、ベル役のジョゼット・デイの神々しさも焼きついたまま。ジャン・マレーとジョゼット・デイは『恐るべき親達』(1948年)でも再び共演された。

美女と野獣/LA BELLE ET LA BETE
1946年・フランス映画
監督・脚本:ジャン・コクトー 製作:アンドレ・ポールヴェ 原作:マダム・ルプラン・ド・ボーモン(ボーモン夫人) 撮影:アンリ・アルカン 美術・衣装:クリスチャン・ベラール 音楽:ジョルジュ・オーリック 技術顧問:ルネ・クレマン 出演:ジャン・マレー、ジョゼット・デイ(ジョゼット・デエ)、マルセル・アンドレ、ミシェル・オークレール、ミラ・パレリ

※関連:「大好きな映画監督VOL.4 ジャン・コクトー:JEAN COCTEAU」
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by claranomori | 2010-08-05 19:57 | 文学と映画★文芸・史劇
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ジャン・コクトー:JEAN COCTEAU
生年月日:1889年7月5日 蟹座 フランス・セーヌ=エ=オワーズ生まれ 
没年:1963年10月11日

★ジャン・コクトーというお方の生きた歴史、軌跡がすべてアートであったと思う。詩人、戯曲作家、画家、映画監督、評論家...と肩書きはズラリと並ぶ。ジャン・コクトーの審美眼が好きだし、美学者としても大好きなのだけれど、映画監督としてもどうしても好き。戦争映画が盛んな折に幻想的な美しい映画を撮り、かなり前衛的な試みでもあった。ジャン・コクトーは1889年7月5日にパリ郊外のブルジョワ家庭に生まれた。10歳の折に父を自殺で喪っている。けれど、多感な少年は文学や音楽を心の支えに成長し、1909年に詩集『アラジンのランプ』を発表。以後、小説、評論、戯曲、絵画などでも活躍し、40代になり前衛映画『詩人の血』(1930年)を撮る。

「詩とは夢、奇跡、死に近い世界である」と考えていたというコクトーは、詩の世界を映画で表現しようとした。本格的に映画の仕事に取り組むのは第二次世界大戦直前、24歳のジャン・マレーとの出会いから。マレーが主演した『悲恋』(1943年)の脚色を経て、マレーのために構想された『美女と野獣』(1946年)を手がけた。以後も『双頭の鷲』(1947年)や『オルフェ』(1949年)などマレーを主演に3本の映画を撮った。これらの代表作に共通する不可能な愛。ゆえに、死によって成就する彼岸の愛を描くその甘美な美学は「コクトーのフェニクソロジー(不死鳥学)」と謳われている。こんなアーティスト(総合芸術家)は二度と現れないだろう!

●代表作●  
ジャン・コクトー/知られざる男の自画像 (1983)  
想い出のサンジェルマン (1967)  
山師トマ (1965) 脚本  
クレーヴの奥方 (1961) 脚本  
オルフェの遺言-私に何故と問い給うな- (1960) 監督/脚本/出演  
グレバン蝋美術館 (1958)  出演  
一つのメロディと四人の画家 (1954) 出演  
サント・ソスピール荘 (1952) 解説/監督  
恐るべき子供たち (1950)  脚本/原作  
オルフェ (1949)  監督/脚本/原作  
アモーレ (1948) 原作  
恐るべき親達 (1948) 監督/脚本/原作  
双頭の鷲 (1947) 監督/脚本/原作  
ルイ・ブラス (1947) 脚本  
美女と野獣 (1946) 監督/脚本
ブローニュの森の貴婦人たち (1944) 台詞  
悲恋 (1943) 脚本  
詩人の血 (1930) 監督/脚本
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by claranomori | 2010-08-05 06:14 | 大好きな映画監督