あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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★DEAD CAN DANCE(デッド・カン・ダンス)の1990年の5thアルバム。まだバンド形態としてのドコドコとした暗黒感覚に溢れていた1stから今も好きでよく聴いている。80年代の『4AD』は英国のとても好きなインディー・レーベルだった。その最も好きな時期の『4AD』はコクトー・ツインズとこのデッド・カン・ダンスが主軸だった。DEAD CAN DANCE(デッド・カン・ダンス)は「デカダンス」を捩っているとも想う。

初期のゴシック感覚からさらに民族音楽や古楽に至る中世の空気が強化されていった。徐々にブレンダン・ペリーとリサ・ジェラルド(リサ・ジェラード)の2人の世界は深まって行く。個人的にこの作品がリリースされた頃、ある重圧と葛藤の時期でもあった。そんな中、この作品を聴きながら辛うじて祈りと心の平静さを保つ事が出来た。ある人生の過渡期に一緒に居てくれた音楽は忘れられない。
 
とてもヨーロッパ的な芳香が強いのだけれど、このデッド・カン・ダンスの出身はオーストラリアのメルボルン。そして、イギリスに渡りアメリカ...と活動の場を広げてゆく。それも全くスタンスを崩す事無く、商業主義に陥る事無く、独自の道をゆっくりと(その間、ソロ作品もある)。リサ・ジェラルドは麗しい美貌の持ち主(嘗て「Fool's Mate」にて"NewWave界の(?)いしだあゆみ"というような形容があった)、ブレンダンもまるで貴公子の様な佇まい。しかし、彼らはジャケットにはご自分の容姿ではなくあるシンボル的なものや絵画などを使う。この1990年のアルバム『AION』のジャケット・デザインは23Envelopeではなくブレンダン自らが担当。この絵画はヒエロニムス・ボス(ボッシュ)の作品が使用されている。フランドル(ネーデルランド)のルネサンス~ゴシック派の画家である。
 
ヴォーカルも大体半分ずつ位を担当する。彼らに比較出来るグループが見当たらない。ジャンルも難しいけれど、ゴシック~クラシカル・ロック~チェンバー・ミュージック...という様な音のファンの方には気に入って頂けるかもしれない。ニコ(NICO)の世界を想い浮かべることもできるかも。私は稀に生理的に苦手な音楽もあるけれど用語化されたジャンルに偏見を持ちたくはないと常々想う。何故なら、雑音(ノイズ)から音楽は生まれたのだから。ロックにもこの様な独自の世界を追求している人達が実は世界中に存在する。それらの音楽に巡り会う度に喜びを感じてもいる。

【追記】
「ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch)について知ってる二、三の事柄」★ヒエロニムス・ボス(ボッシュ)は中世末期の興味深い画家のお一人であり、描き出される地獄の幻想は奇怪で不穏でもある。時代が宗教と死(魔女なども)に支配された、そんな時代を反映させているとも云われる。けれど、最大の謎とされるのはボッシュ自身で、ほとんどこの人物像はわかっていない。1450年~1516年という生涯の大半をネーデルランドのスヘルトーヘンボスという町で過ごされたそうだ。世紀を超え、今も残された作品たちは困惑を伴って私を魅了する。
 
上の「デッド・カン・ダンス」のアルバムジャケットに使われているものは、有名な『快楽の園』(1480年~1500年頃)の中央パネル画の一部である。この絵はボッシュの晩年の作品で、三連祭壇画の形式で描かれ、この世の快楽を飽くことなく追求した結果、地獄に堕ちる人間の姿を描いている。左翼パネルでエデンの園での堕落の種が撒かれ、中央パネルで肉欲の偽りの快楽として開花させる。そして、右翼パネルでは、地獄の責め苦が描かれているというもの。

DEAD CAN DANCE/AION
1990年 4AD
1. The Arrival and the Reunion
2. Saltarello
3. Mephisto
4. The Song of the Sibyl
5. Fortune Presents Gifts Not According to the Book
6. As the Bell Rings the Maypole Spins
7. The End of Words
8. Black Sun
9. Wilderness
10. The Promised Womb
11. The Garden of Zephirus
12. Radharc
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by claranomori | 2010-06-14 07:21 | 耽美派少女の愛した音楽たち
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主演の美しきマレーネ・ディートリッヒとゲイリー・クーパー

★日本で最初の字幕スーパー(スーパーインポーズ)の登場は『モロッコ』だった。1931年公開と記録されている。監督はオーストリア、ウィーン出身のジョセフ・フォン・スタンバーグ。まだ新人だったマレーネ・ディートリッヒを主演に『嘆きの天使』をドイツで制作後、アメリカに進出。トーキー初期の名作のひとつ。それまでの日本では、弁士が日本語でお話を語っていたそうだ。そういうのも楽しそうだと夢を馳せる。けれど、スクリーンに字を焼き付けるのだから、それは大変な作業なのだと思う。古い映画を観ると字幕の書体にも味わいがあり何となくいいなぁって思うことがある。

カタカナ表記って迷う事が多い。ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督と書いたけれど、ジョゼフと記されているものもある。ドイツ語ではヨーゼフ・フォン・シュテルンベルクと。スタンバーグ監督はディートリッヒを主演に愛情を込めて丹念に美しく映像化し、このコンビで8本制作している。  

その8作品は『嘆きの天使(1930)』 『モロッコ(1930)』 『間諜X27(1931)』 『アメリカの悲劇(1931)』 『ブロンド・ヴィナス(1932)』 『上海特急(1932)』 『恋のページェント(1934)』 『スペイン狂想曲(1934)』です☆
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by claranomori | 2010-06-12 21:48 | キネマの夢・シネマ万華鏡
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★『少女愛惜』を始めた初期に大好きな少女映画(永遠の少女)として少し綴りました。とにかく、大好きな心に刻まれた古いモノクロームの美しくも哀しいフランス映画の名作のひとつです♪
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シベールの日曜日/CYBELE OU LES DIMANCHES DE VILLE 1962年 フランス映画
監督:セルジュ・ブールギニョン 原作:ベルナール・エシャスリオー 脚本:セルジュ・ブールギニョン、アントワーヌ・チュダル 
撮影:アンリ・ドカエ 音楽:モーリス・ジャール 
出演:ハーディ・クリューガー、パトシリア・ゴッジ、ニコール・クールセル、ダニエル・イヴェルネル、アンドレ・オウマンスキー

★関連記事:『シベールの日曜日』(セルジュ・ブールギニョン監督)
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by claranomori | 2010-06-12 11:56 | 銀幕の少女たち・少女映画
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★13才のお誕生日に主人公のサラは、誰からの贈り物か分らない大きな箱を開ける。開けてみると人形の家。ずっと住んでみたいと思っていた装飾の凝った作りのマンサード屋根のお屋敷。目覚めるとサラはお屋敷の中にいました。いつも夢みたお家だから中の事もよく知っていました。ただ西側の棟の鍵のかかったドアの向こうに何があるのか、それだけは知らなかったのです。居るはずの召使い達も庭師も先生の姿もいっこうに見あたりません。サラはその鍵のかかったドアの向こうに全てがあることを知っていました。夕刻になって広い食卓にはたったひとり。バースデイ・ケーキとプレゼントがあります。プレゼントを開けてみると見覚えのある鍵が入っていました。サラはその鍵を持って急いでドアの中に入って行きました。そこには弾き慣れたピアノもあるし、先生も召使い達もいます。思ったとおりです。朝方、サラのおかあさんは売り払ってないハズのピアノの音に目覚め、その音がサラの部屋から聴こえてくるので入ってみると知らない人形の家の中から音がします。中を覗いてみるとサラが小さな声で「あら、おかあさんね。今日からわたし、ここで暮らすことにしたの。心配しないで。ジョージもブラウディさんも、セルマ先生も、みんなとってもよくしてくれるから。」

このサラの言葉でこの本は終わります。読んでいた私はサラのずっと夢みた暮らしが実現したものなのか?まだ目覚めぬ夢のお話なのか?はたまた...等と色々な想像が出来るのです。ただ、このお話はあまりにも私の少女時代と重なり合い、不思議な既視感に胸を躍らせてくれるものでした。幼い頃は夢の世界が現実に成り得ると信じてしまうことがよくあります。何も懐疑せずに。男の子の世界にも違う形でこのような想い出があるのでしょうね。女の子なら誰でも強弱の差はあれど、この感覚は憶えのあるものではないでしょうか?私はとってもお人形が大好きで中学生になってもまだ一緒に遊んでいたもので、従姉妹にあげなければならなくなりました。ところが、お人形達は私にとって今でも大切なお友だち。ある途轍もない寂しさと恐怖心が襲って来た日がありました。私は何も迷わずにお人形を買いに行きました。あんなに仲良しだったお友だちを見捨てた時期を償うかのように、それからは大切に一緒に居ます。

 シルヴィー・ヴァルタンが歌った大好きな曲『JOLIE PUPEE - きれいなお人形』を思い出します。

女の子が大きくなってしまった為に、部屋の片隅に置き捨てられてしまった。きれいなお人形が、どうして自分を捨てたのかと非難をするのに対して、娘は、もう自分には恋人ができてお人形と遊ぶには大きくなりすぎてしまったのです。
 私をうらんだり、いたずらに悲しんだりせずに、きれいなお人形の運命を受け入れて、おもちゃの王国におかえりなさい。


・・・おもちゃの王国にサラは行ってしまったのかもしれません。

この『「サラ・人形の家」 著:テリー・バーガー/デヴィッド・バーガー 写真:カレン・コショフ 1982年』は英文と和文で書かれ、写真(挿絵のように)が付いています。カレン・コショフなる人の写真がまた、不思議な魅力でもあります。少女サラはどう観ても13才になったばかりの女の子。でも、時折見せる表情は悲しみと警告をも感じさせるもの。それは、サラがお人形に同化している時なのかもしれません。今で言うゴシック・ロリィタな雰囲気も漂う個性的な写真。文章と同等にこれらの写真は私の心を惹きつけます。やや風変わりな著書ではありますが、どこかの古本屋さんで見つけることがありましたらそお~っと、覗いてみてください。

 2002年・春 冊子『BRIGITTE 01号』より

※2002年の春に『私の好きな本の世界』として書いたものですが掲載いたしました。今は休んでおりますが私の主宰いたします『BRIGITTE』というちいさな友の会の冊子をメンバーの方々にお届けさせて頂いておりました。パソコンが壊れてしまってデータが中に入ったまま片隅に放置しています。冊子を手打ちで書き写すのって、自分で書いたものでも大変でした♪

今後は、こちらの『クララの森・少女愛惜』と『永遠のアイドルと泉の畔の女神たち』の二つのブログからさらなる私の好きな音楽・映画・本・絵画...そんな愛しき世界のことを拙い綴りですが想いを記録してゆこうと思います。そのうちに、再び『BRIGITTE』を冊子にしたいとも思っています。
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by claranomori | 2010-06-10 15:58 | 本の中の少女たち・少年たち
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★私にとってルキノ・ヴィスコンティ映画は欠かせないもので、やはり「美少年」としての世界中の俳優がスクリーンにそのお姿を刻んできたとは云え、やはり『ベニスに死す』のタジオ(タッジオ)を演じたビヨルン・アンドレセンのお美しいお姿を超えるものはないと思うことに変わりはないようです。

映画の『ベニスに死す』は何回観ただろう...観る度に想いが深くなるのだけれど。久しぶりにトーマス・マンの『ベニスに死す』を読みたくなって再読していた。やはり好きなあの場面も変わりなく...しばし私の心はここから離れてしまったかのようだった。
家庭教師か話相手かの役をする一人の女に監督されながら、籐の小卓のまわりに集まった、大人になりかかりの連中の一団がある。十五歳から十七歳までらしい三人の少女と、十四歳くらいに見える髪の毛の長い少年である。アッシェンバッハはその少年が完全な美しさを持っているのを見て驚愕した。蒼白く優雅にむっつりしている顔は蜂蜜色の髪にとりかこまれ、鼻筋は通り、口は愛らしく、優美で神々しいきまじめさをたたえていて、最も優れた時代のギリシャ彫刻を思わせるが、きわめて純粋な形式的完全性にもかかわらず、まことに比類なく個性的な魅力を持っているので、いまそれを眺めているアッシェンバッハは、自然のなかにも造形芸術のなかにも、これほどりっぱにできあがったものはいまだかつて見たことがないと信じたのである。

- トーマス・マン『ベニスに死す』より -

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by claranomori | 2010-06-10 02:43 | 文学と映画★文芸・史劇