あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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★この曲は、オトゥール・ドゥ・リュシー(AUTOUR DE LUCIE)のデビュー・アルバム『美しき逃亡(L'ECHAPPEE BELLE)』の1曲目『完全な和音(L'ACCORD PARFAIT)』。ヴァレリー・ルリヨ、オリヴィエ・デュラン、ファブリス・ドュモンの3人による良質メロディーとしっかりとしたソングライティング。そして可憐なヴォーカル&アコースティック・ギターを担当するヴァレリー・ルリヨのさり気ないウィスパー・ヴォイスと翳り。ヴァレリー嬢のフェイヴァリット・アーティストにトレイシー・ソーン、スザンヌ・ヴェガ、ホープ・サンドヴァルを挙げ、唯一フランスのアーティストはフランソワーズ・アルディだと書かれていた。私も大好きなお方ばかり!またギタリストのオリヴィエはペイル・ファウンテンズ、スミス、フェルトという英国アコースティック・バンドを挙げていた。そんな薀蓄は後に知ったのだけれど、このアルバム(作品)にはとっても強い想い入れがある。

1994年。当店のオープンした年で、最初は中古盤のみだったけれど新作も入荷し始めた。実は、このアルバムがCDでは初めての複数枚数を仕入れたものだったのである。周りには大型店もあるし、他のお店もあるなかで、やはり「好きな作品を一枚でも多くお好きなお方に届けたい」というような気持ちがあった。その為には、どうしても自分で「大好きだ!」と想えるものでないといけない。フランス盤(この頃はインディーズ時代)でまだ雑誌等に掲載される前に聴けることは唯一の特権のようなものかな。このオトゥール・ドゥ・リュシーは新人バンドで情報も無かったのだけれど、オーダーリストの中に、「Produit par Michael Head」とだけ小さく載っていた。あのペイル・ファウンテンズやシャックのマイケル・ヘッドがフランスのバンドのプロデュース!!と、もうそれだけで早く届かないかなって待ちわびていた。急な階段を上がって来てくださるお客様の目に付き易いようにと、入り口のすぐの処に5枚程だったのだけれど「大すいせん盤!」と手描きの見苦しいコメントと一緒に置いていた。その一枚を買ってくださったお方は今も当店のお客様で居てくださっている。16年近く前のことながら、あの時の感動はこのアルバムを聴く度に蘇る。あの場所、あの雰囲気、そしてあの刻の私...何故か涙が溢れるな。

オトゥール・ドゥ・リュシー(AUTOUR DE LUCIE)は次第にアブストラクトなサウンドへと移行してゆくのだけれど、それらも心地良い。ヴァレリー・ルリヨのヴォーカルさえあれば私はずっと聴き続けてゆくのだろう。この曲ではないけれど、アルバム中の『ISLAND(アイランド)』という曲の作曲とプロデュース、さらにギターでマイケル・ヘッド&ジョン・ヘッド兄弟で参加されている。この新しいバンドが尊敬しているマイケル・ヘッドであるのだけれど、好感が持てるのは自分を出し過ぎないでいてマイケル・ヘッドの存在感は充分に漂っているという辺りに、なんというのかグッと来るのである。私はどうもそんなタイプの人間が好きらしい♪


★アルバムの中でも一際ポップな曲です(動画ではございません)♪


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by claranomori | 2010-02-27 11:56 | 私的少女音楽★愛しき歌姫
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★スザンヌ・ヴェガの2ndアルバム『孤独 ひとり(Solitude Standing)』(1987年)に収録の名曲『ルカ(LUKA)』。階上に住む少年が両親によって虐待されているという深刻な内容の歌。このような現実に起こっている問題を歌にする勇気は必要だと想うので、さらりと歌ってしまうスザンヌ・ヴェガが好き。スザンヌ・ヴェガの1stアルバム『街角の詩(Suzanne Vega)』(1985年)から聴き始め、今も好きなシンガー・ソング・ライターのお一人。そもそもはこのデビュー・アルバムのプロデューサーがレニー・ケイだと知りアルバムを購入したのがきっかけ。すっかり気に入ってしまい今に至る。

スザンヌ・ヴェガは1959年7月11日生まれで、サンタモニカ生まれのニューヨーク育ち。決して恵まれた家庭環境ではなかったようだけれど、義父がプエルトリコ系の作家であり、マルチカルチャーな影響を受けて育ったようだ。そして、9歳頃から義弟たちに曲を作ってあげていたという。本格的な音楽活動は1979年頃で、ルー・リードのライヴ体験が大きかったそうだ。大学生の折にグリニッチ・ヴィレッジ等で歌うようになり、1984年にA&Mと契約された。

スザンヌ・ヴェガは自ら、「もともと声量がないため、感情を表に強く出すよりも、サウンドに溶け込むように語っていく方が好き」と語っておられ、アストラッド・ジルベルトの歌い方を真似ているうちに、今の歌い方になったそうだ。あの乾いたあっさりとしたウィスパー・ヴォイス!私が直ぐにスザンヌ・ヴェガが好きになったのはあのお声と歌い方にあったと想う♪
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by claranomori | 2010-02-17 20:42 | 私的少女音楽★愛しき歌姫
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『永遠のアイドルとガールズポップ★ロック&シャンソン愛好者の偏愛音楽館』(今年より音楽ブログです) ← にて更新いたしました♪
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by claranomori | 2010-02-13 08:40 | 愛の花束・日本の抒情・文学
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★クシュラは1971年12月18日に生まれたニュージーランドの女の子。生まれた時から両手の指が一本多いことで直ちに手術を受ける。しかし、その後、様々な障害を持っていると両親や周囲の人々も認知してゆく。心臓に小さな穴が開いているという。視聴覚にも障害があるので発育は遅れて行った。絶望の中での両親の懸命さ、愛情に心打たれる。生後4ヶ月になったクシュラが母の読む絵本に関心を示した。クシュラと外の世界との繋がりは本だった。本から豊かな言葉たちをクシュラは得ることができ、3歳の頃には健常児を凌ぐ程であったという。

「さあこれで、ルービー・ルーに、ほんをよんであげられるわ。だって、このこ、つかれていて、かなしいんだから、だっこして、ミルクをのませてやらなくてはね。」

この言葉に私は胸を打たれた!1975年8月18日、3歳と8ヶ月の日のクシュラ。この時のクシュラは、ソファーに深々と身を沈め、両腕で布のお人形を抱きしめており、そばにはいつものように本の山があった。

懸命な両親と優しい妹という家族の愛に恵まれていて良かった。けれど、クシュラは不自由であった。命も何年持つかとう状況だったようだ。クシュラに何かしらの希望の光が見つけられたのは多くの本たちだ。本の中で多くのお友だちを持て、描かれる絵本の色彩は美しくあたたかなぬくもりを少女に与えたのだろう。想像することしかできないけれど、お話によっては時に怖くなったり寂しい想いもしただろう。そんな小さな少女クシュラの心を知っているのはクシュラの心の住人たちなのだと想う。「異常である」と診断されてきた少女。けれど、それは発育のこと。健常者以上に言葉の豊富な感性の持ち主なのに...。身体の不自由な子供たちがすべてクシュラのように育って行くとは限らないけれど、この書が示唆していること、希望や可能性を遮断することはいかなる医学の権威を振りかざしてもできないのではないだろうか...僅かな光を信じて辛抱強く目を見つめて語り、子供の多様な表情をしっかり見守ること。それに豊かな絵本や童話の世界の登場人物や風景たちも手を差し延べることは可能なのだと想う。

私には心の住人たちが沢山居る。遡れば幼児期の絵本との出会いや、児童文学のお話たちが絡まり合いながら今の私が居るようなのだから。クシュラの苦渋は私には到底分りはしない。けれど、あの本を持つ笑顔は私に生きることの勇気と希望を与えてくれるのだ。ありがとう、クシュラ☆
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by claranomori | 2010-02-12 06:05 | 本の中の少女たち・少年たち
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★昨日『レモン・インセスト』を数回聴き、時々起こる胃腸障害のような状態となった。本当にあのシャルロットのお声がたまらなく可愛くて私の心を突き刺す。どうしてそんなに好きなのかは言葉には出来ない。私の抱えている他愛の無いことが起因しているのだろうけれど、そんな他愛の無いことに囚われ続けている。それらを考えるとまた色々なことが想起され涙する。「偏愛音楽」なのだから、「ちょっと好き」とか「けっこう好き」という表現ではなくて、作者の手を離れて年月が経てども私の心に住み着いてしまったものたちなのだ。それらは生き物となんら変わりは無い。ああ、不思議。

さて、セルジュ・ゲンスブールの1984年のアルバム『ラブ・オン・ザ・ビート(LOVE ON THE BEAT)』。この頃はよく通っていたレコード屋さんに予約して先ず輸入盤のレコードを先に買った。そして、日本盤にもなったので購入した。店主は既にセルジュ好きでいっぱい持っていたけれど、私が買った初めてのセルジュのアルバムはここからがリアルタイム。この作品の前はレゲエ・アルバムを2作リリースしていた。私は先にジェーン・バーキンが好きになっていたので、店主と情報交換するようにもなった。セルジュは共通した大好きなアーティストのお一人である。なので、Velvet Moonにとってセルジュは欠かせないお方である。セルジュの来日公演もまた大切な想い出。このアルバムの邦題の副題は『セルジュ式性愛術』だった。嘗ての洋楽には様々な邦題が付けられていて好き。このアルバムのトップを飾る同名曲『ラブ・オン・ザ・ビート』にも副題があり『もういちどジュ・テーム』。クスっとしてしまう。

書き忘れてはならないのは、このセルジュのアルバムは前年1983年に発売されたデヴィッド・ボウイの世界的大ヒット・アルバム『レッツ・ダンス』のセルジュ版とも云われる。ボウイのバックメンバーが参加していることも嬉しい。当時、何かの雑誌でこのセルジュのアルバムにボウイがシークレットで参加しているって。レコーディング・スタジオにはボウイも居たとかって。嘘でも噂話でも妄想話でも大好きなボウイとセルジュのお姿を浮かべては嬉々とした。今もそうであったかもしれないなあ...って想う。事実なんてどうでもよくて。以前、イザベル・アジャーニのアルバムの中の『ボウイのように』のことを少し書いたけれど、このアルバムの『I'M THE BOY(風変わりな少年)』という曲にもボウイが少しイメージングされているようだ。シド・ヴィシャス、デヴィッド・ボウイ、マイケル・ジャクソン、ミック・ジャガー、ジェームス・ディーン、モンゴメリー・クリフト...たちの名をセルジュは並べていたという(立川直樹氏による解説より)。セルジュはロリータ的なテーマの作品も魅力だけれど、時々こうして少年あるいは男性の歌も登場する。私は嬉しい限り!セルジュの並べる男性たち(スターたち)はそれぞれ魅力的だけれど、どこか中性的な魅力のある方々でもある。セルジュは常に美しい女性に囲まれてお仕事をされてきたけれど、よく云われるような女好きとはちょっと違うと想う。セルジュは逆に女性が好きでなかったのかも...とも想ったりもする。まあ、プロ中のプロ!本質が見え隠れしながらも計算された世界観を構築してゆく(それも大いなる才能)辺りもセルジュとボウイの共通点だと想える。そうそう、このアルバムでのセルジュは女装しておられます。お綺麗な娼婦なのかな。アートデザインは奇才!ウィリアム・クライン。

セルジュとボウイをどちらも大好きなお方は結構居られると想う。私が活字として初めて、こうしたセルジュとボウイの共通するものを指摘されたのはサエキけんぞう氏であった。流石!サエキさんである。セルジュが大好きなお陰で「ゲンスブール・ナイト」などのお手伝いもさせて頂くことになった。そして、予てからファンであった永瀧達治さんに大変お世話になってゆくことにもなった嬉しき出会いよ。あの永瀧達治氏と個人的に言葉を交わすなんて!と緊張してしまっていたけれど、まったく気さくでお優しいお方なのである。名台詞は幾つも記憶しているけれど、「ゲンスぶる」と「アズナぶる」などよく今もフレンチ好きの友人たちの中での会話に登場するのだ。嘗て「ゲンスぶって」おられたお方も「アズナぶって」ゆくらしい。私は元々どちらでもなく「ファルメっている」とミレーヌ好きの友人に言って頂いた。今も「ファルメっている」みたいで、ようやく重い腰ながら『源氏物語』に挑戦しようと時間も無いくせに。偏愛は自然と深まり常に学びである。この先どうなるのかさっぱり分らないけれど、「好きなことを一生懸命しなさいね」って仰って頂いたお言葉はしっかり心に刻まれている。

フレンチポップスが渋谷系亡き後すっかり人気が無いと云う。けれど、私たちは渋谷系という括りで音楽を愛好してはいなかった。ピチカート・ファイブだってそれ以前から好きだったのだし。メディアって面白いなとも想うし怖いなっとも想う。まあ、私たちはこれからもいつか売れるかも...という愛する音楽やアートたちと共に生きてゆくだけ。バブル期に思春期から大人になっていた。管理主義やデータ主義、機能主義へという時代。私は数字なんて最も苦手なのにそんな現実と向き合わねばならなくなってしまっていた。私たちはアート主義だと指摘され、これからの時代はそれではダメだって云われた...かなりの打撃だった。しかし、ダメとかイイとかではなくて私たちは頑固にもそれらの人々から離れ今に至る。音楽に関わるお仕事ばかりしているけれど、常にアーティスティックの鏡のようなボウイやセルジュ...愛するものたちのお陰で今も生きている。どうにか食べてゆければ幸せだと想う。私たちに大きな野望などなにもない。私はお婆さんになっても出来るだけ元気で、可能ならば小さな子供たちに囲まれて過ごせたらいいな...と長閑な光景を浮かべる。けれど、現実は厳しく耐えることばかり。試練続き。それも学びであり知らないうちに糧となることでもあろう♪
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by claranomori | 2010-02-10 07:02 | 耽美派少女の愛した音楽たち
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★シャルロット・ゲンズブール(CHARLOTTE GAINSBOURG)のデビュー曲となる『レモン・インセスト(LEMON INCEST)』。父であるセルジュ・ゲンスブール(SERGE GAINSBOURG)の1984年アルバム『ラブ・オン・ザ・ビート(LOVE ON THE BEAT)』を購入して死ぬかと想った!この比喩は大袈裟なようだけれど、こんなにある一曲が私の胸を突き刺すような体験は後にも先にもこの曲のみ(近いものは他にもあるけれど)。因って、今なおシャルロットは私にとっての「聖少女」であり続けている。美しい二児の母親になられ大女優への道を歩んで行かれても。この曲に限ってはセルジュやショパン云々よりも、少女シャルロットのお声がすべてである私。あの歌唱は芸術品とも云える。やはりセルジュは天才だ!常日頃から脳内少女幻想気質の私は結構遠めに傍観してもいる。けれど、この曲に限っては想い入れが尋常ではないものでまったく落ち着きが無くなってしまうらしい。もう何十回もこの曲を聴いているけれど、今も聴きながら胸に刺さったものは消え失せることはないので痛い。この曲はポップ・シングルにしては短くもなく5分11秒。6分あれば持たないかもというくらいの衝撃だった。嘘ではないので、同じようなお方が居られましたらお知らせ下さい。

落ち着こう。この『レモン・インセスト』はアルバム『ラブ・オン・ザ・ビート』のラストに収録されている。セルジュとシャルロット親子によるデュエット曲、それも禁断の危ない曲で、今も嫌悪されるお方も結構居られるという。けれど!私にセルジュのような才能があり、シャルロットのような娘が居たならばこの曲を12歳のシャルロットの為に、自分の為に作るに違いないと想う。人生に於いて妄想が無くなってはつまらない(過剰は問題だと知っている)。セルジュが居てくださることで当時の私の心の葛藤は幾分か和らぐものだった。私の少女愛惜及び少年愛好は今も留まりはしない。これまで良き友人としてのアドバイス(忠告&警告)のようなご意見を頂いて来たけれど、やめられない。近親相姦の歌。それだけで揶揄するのは視点の違いで、この曲はこの少女期のシャルロットにしか歌えない、その娘とデュエットする機会はこの時期しかないというセルジュの知的な計画は脳内にあったと想う。下のPVをご覧ください!シャルロットの消え入るような危ういヴォイスで一生懸命歌っている時の横の父セルジュの顔や首の動きを!見守るように愛でているあのお姿は痛いほどに伝わる(少し笑ってもしまうけれど)。これです!この曲は私の心の支柱でもある「少女愛惜」のテーマ曲のように勝手に想っている。また何を云ってるのか分らなくなって来たけれど、不謹慎なようだけれどセルジュ流の文学を歌の中に持ち込んだ一曲で、猥雑さの中に常に品性をも欠かすことのないセルジュのこれまでの多くの楽曲たちを再度聴いてみてください。本物ですから!何がというと、プロとしてのお仕事ぶりも然り、ロリータ趣味のことです。きっと、ブリジット・バルドーの存在が大きいと想っている私(ジェーン・バーキンよりも)。また、マリリン・モンローの存在もかなり大きいと想う。男性視点と女性視点は時に目線のズレが生じその行方を左右するけれど。

この『レモン・インセスト(LEMON INCEST)』。シャルロットの1stアルバムのオリジナル盤には収録されなかったけれど、後のジャケット変更後のものには収録されている。そのシャルロットの1stアルバム・タイトルは『CHARLOTTE FOREVER』である。『レモン・インセスト(LEMON INCEST)』から2年後の1986年発売。まだ少女期のシャルロットながらこの2年の時間はとっても!大きく重要だ。確信犯的にセルジュはそれを充分に知っているが故に「この時期を逃しては!」とご自分のアルバム『ラブ・オン・ザ・ビート(LOVE ON THE BEAT)』のラストにこの曲を収録し余韻を残した。愛娘の大プロモーションを全身全霊を込めて開始してゆく。これも親の愛!これぞ父の愛!さらに、エロディ・ブシェーズを見出し、映画『スタン・ザ・フラッシャー』を撮った。このインストであるテーマ曲もとんでもない名曲!死して「やはりセルジュは偉大であった」と云われるようになったけれど、「すべてを手に入れたけれど人生に失敗した」と云い、また「しあわせなどない」というようなセルジュらしい言葉をそのまま受け取ることも出来ない。屈折具合は半端ではないし、挑発的な言動の裏側には「愛」に拘り続けた繊細な姿がいつもある。また、「死を待つ」と云うセルジュの老境でのこれらの作品はやはり知的な一流のプロ職人のようにさえ想う。

セルジュのことはまた追々。アルバム『ラブ・オン・ザ・ビート』のことを続けようと想います♪
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by claranomori | 2010-02-09 13:51 | 私的少女音楽★愛しき歌姫
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★スウェディッシュ・ポップ・バンドやシンガーが続々と登場していた1995年頃が昨日のことのようだけれど、今聴いても好きなバンドは多い。特に女性ヴォーカルだけれど。このパインフォレスト・クランチ(PINEFOREST CRUNCH)のデビュー・シングルとなる『カップ・ヌードル・ソング(CUP NOODLE SONG)』は1stアルバムの1曲目で、一際ポップで爽やかな名曲。ヴォーカルのオーサ・エクルンドのキュートな歌声と美少女ぶりにトキメクという理由も大きく、今もよく聴きたくなる。この曲以外も好きで、もっとフォークっぽい楽曲は北欧の幻想的な景色を想起するかのようで、プログレ風の響きも印象的。それもその筈、ドラムスのマティアス・オルソンはアングラガルドというプログレ・バンドのメンバーでもあったという。2ndアルバムはさらにそんな雰囲気に包まれた作品。ヴォーカルのオーサ・エクルンドは今は母親になられているそうだ。このアルバムがリリースされて10数年になるのだと想うと不思議な気もする。カーディガンズ、クラウドベリー・ジャム、シナモン、コメダ...好きなバンドは多い。やはり、アバの国だものなっとも想う。北欧には行ったことがないけれど、神話や妖精譚を読むのが好きな私は夢を馳せる♪


★オーサ・エクルンドちゃんが可愛すぎ!彼女ばかり見てしまう素敵なPVです♪

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by claranomori | 2010-02-09 10:45 | 私的少女音楽★愛しき歌姫
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『奇跡のアルバム★郷ひろみ『HIROMIC WORLD』(1975年)作詞:荒井由実 作曲:筒美京平♪』として、2010年2月6日に書いたものです。

このアルバム『HIROMIC WORLD(ヒロミック・ワールド)』は1975年11月21日に発売された6枚目のアルバム。アルバムの全曲の歌詞を荒井由実(ユーミンがご結婚される前)が書かれ、作曲は全て筒美京平。プロデュースはひろみのデビューから今日までの活躍に欠かせないお方である、CBSソニーの音楽プロデューサーの酒井政利&筒美京平。レコーディングは1975年の7月15日から10月25日に赤坂ミュージック・スタジオにて。

このアルバムはひろみファンの皆様の中でも格別お気に入りのお方も多いのではないだろうか。ひろみはシングル・ヒットの多いお方なので、ついついシングルになった曲たちが浮かぶけれど、アルバムとして優れた作品も実に多いお方である。こういう点は見逃されてしまっているように想う。この『HIROMIC WORLD』からのシングル・カット曲はない!凄い!アイドルなのに既にアルバム志向を始めておられたのだ。この1975年というとジャニーズからバーニングへ移籍された年。ひろみの最初の苦難の経験ではないだろうか。酒井氏にそのことで相談に行かれた時に、酒井氏は初めて輝くひろみの表情の曇りを見た日だったという。けれど、その表情も絵になるとも仰っておられた。この『HIROMIC WORLD』が発売される前に、バーニング移籍第一弾となるシングル『花のように鳥のように』(1975年4月21日)、そして『誘われてフラメンコ』(1975年7月21日)、そして『逢えるかもしれない』(1975年10月21日)と名曲シングルを続発している。このアルバムのレコーディング期間中に2枚もシングル発売。驚異のハードスケジュールだっただろう!とびっきりのアイドルだったのだし。そして、このアルバムのレコーディング終盤にひろみは20歳を迎えているのだ。

何故!このアルバムが大好きで仕方がないかと云うと、この優れた楽曲たちはこの刻、あの時だったからこそ作り得たのだということ。15歳でデビューして一躍アイドルの郷ひろみがだんだん大人になってゆく。少年から一歩一歩...これは、全曲の作詞を担当している荒井由実時代のユーミンだからこそ書けたものでもある。アルバム丸ごとのユーミンの少女世界の少年版は後にも先にもこの郷ひろみのアルバムしかないだろう!それも、この時のひろみが残してくださったこと、この奇跡のアルバムは色褪せない。ユーミンは1954年1月19日生まれなのでひろみより一足先に20歳になられ、松任谷正隆氏と婚約されたのが1975年12月。ユーミンと云えば多くの女性アーティストにユーミンならではの少女世界を描いた楽曲を提供され、ご自身でも歌っておられる名曲は多数。日本におけるクィーン・オブ・ポップである。また、日本におけるキング・オブ・ポップはHIROMI GOである!と私は想っているのでこのお二人を敬愛してもいる。凄いのだから!!しかしながら、ひろみのCD化されていないアルバムも多く私は古びたレコードを思い出してはレコードプレーヤーに乗せる。先日も大変な発見をして舞い上がっていたばかり。

このアルバムの中に『ウィスキー・ボンボン』という素敵な大好きな曲がある。最近毎日歌っている。逸れるけれど、「ひろみが好き!」となった頃はまだ一桁の子供だった私。何故、うんと年上のひろみなのにテレビを観ては「ひろみ、カワイイ!」って想ったのだろう...私の同時代のアイドルはたのきんトリオや少年隊、中森明菜や小泉今日子という頃。けれど、学友たちが話題にするアイドル話の頃は既に洋楽を聴いていた。最近、苦手だったYouTubeに頭が上らない日々なのだけれど、ひろみの動画を拝見しているとよくコメント欄に外国のお方が「cute!」と書いておられると知る。そう云えば、ある友人がヨーロッパに居られるのだけれど、時々遊びでDJパーティーをされると。ドイツだったと想うけれど、当時ピチカート・ファイヴをかけると大受けするって。そして、帰国した折に郷ひろみとピンク・レディのレコードを持って帰られた。受けるのだそうだ!ひろみはドイツでも大受け!やはり筒美京平や都倉俊一という時代の歌謡曲は名曲がワンサカ!なにを書いているのか分らなくなってきたけれど、この名作アルバム『HIROMIC WORLD』が大好きだ!そうそう、高校生の時の修学旅行でスキーに行った。就寝を共にした数人の女の子たちはなかなか寝ないで隠し持ったお菓子やアルコールなども。私は今もお酒がほとんど飲めないのだけれど、「飲めなくてもこれなら大丈夫!」とウィスキー・ボンボンを貰った。何個食べたのか覚えていないのだけれど、翌日発熱し頭がガンガン!3日間のスキー講習だったけれど、私は初日しか参加できずに違うお部屋で寝込んでしまっていた。この想い出は今でも笑い話としてされる。保健の先生は私のウィスキー・ボンボン熱のこと、いけない女の子たちの秘密を知る由も無いのだった。嗚呼、懐かしき若気の至り♪

郷ひろみ/HIROMIC WORLD 1975年
荒井由実作詞 筒美京平作曲

SIDE A
1..午后のイメージ
2.20歳を過ぎたら
3.恋のハイウェイ
4.宇宙のかなたへ
5.君のおやじ

SIDE B
1.雨にひとり
2.ウィスキー・ボンボン
3.ライトグリーンの休日
4.青ひげの男
5.誰もこない世界へ
6.ガラス張りのエレベーター

★「ひろみ・イン・パリス」という大型ポスターが付いていました♪

★郷ひろみ/ウィスキー・ボンボン(1975年)♪

『昭和歌謡の少年少女★目次』のカテゴリーにて更新記事を追記してゆきます♪


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by claranomori | 2010-02-06 19:28 | 少年少女の情景★昭和歌謡
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『奇跡のアルバム★郷ひろみ『HIROMIC WORLD』(1975年)作詞:荒井由実 作曲:筒美京平』 ← を更新いたしました♪

※だんだん分って来る気がします。何故!私が女の子大好き!で、なおかつ少年愛好も続けているのか。心がそうさせるのですが、どちらかに偏ることが多いとお聞きします。そうなのです!私の原点にはあの「女の子のように可愛い郷ひろみ」が居たからです。もう後戻りはできないでしょう...すっかり童女時代にまでタイムスリップしてしまい、「私のバラ色の人生」のあの風景が蘇るのです。アイドルやスターって凄いです!こうであらねばならないのです。「音楽ブログ」の方に、郷ひろみ+荒井由実(ユーミン)+筒美京平による奇跡の名盤のことを綴りました。ユーミンの少女世界の少年版とも云える名作だと想います。ひろみの19歳から20歳にかけてのアルバムです。ああ、素晴らしい☆
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by claranomori | 2010-02-06 02:28 | 少女愛考・少年愛好
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★フレッド・アステア:Fred Astaire(1899年5月10日~1987年6月22日)のエレガントで美しいダンスシーンを観るのが好き。映画ファンのお方でも様々な趣向があるのでそれぞれ。私はミュージカル映画も大好き。お話があって音楽があって踊りが一体化していて思わず軽やかな気持ちになれる。フレッド・アステアはマイケル・ジャクソンにも大変な影響を与えたお方だと云われている。このお写真はアステアの10歳頃のもので、左のお方は二つ年上の姉アデール。アデールがご結婚されるまでご一緒にステージに立たれていた。こんなに幼い頃からお二人の軽やかな足並み。愛らしく仲の良い姉弟のお姿を拝見してほっこりする私です♪
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by claranomori | 2010-02-06 00:21 | 写真の中の少女・夢の時間