あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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★ドイツの美貌の歌姫ウテ・テンパー(UTE LEMPER)は麗しい容姿のみならず、歌手としてもとても優れたお方でコンサート活動も精力的に行っておられる。マレーネ・ディートリッヒとエディット・ピアフを敬愛されており、クルト・ワイル作品などと共に幅広いレパートリーをお持ち。ドイツ語は勿論、フランス語、英語曲も多い。また、映画にも出演されている。女優としての素質はライヴを拝見しても充分に伝わるもので、"天は二物を与えた"稀有なる歌姫のお一人。

この『STREETS OF BERLIN』はウテ・レンパーのアルバム『PUNISHING KISS』(2000年)の中に収録されているものであり、ショーン・マサイアス監督の映画『ベント 堕ちた饗宴』(1997年)の中でミック・ジャガーが歌っていた曲でもある。楽曲はこの映画の原作戯曲者であるマーティン・シャーマンとフィリップ・グラスによるもの。この映画は重く悲しいけれど大好きなもの。映画の中ではミックが女装して歌うクラブの退廃的な冒頭シーンと、エンド・ロールでもフルで歌われる曲でもある。

この映画『ベント 堕ちた饗宴』のことを以前少し綴っています。

※下の動画は、カッコいい!ウテ・レンパーの2007年のライヴでの『STREETS OF BERLIN』と、映画『ベント 堕ちた饗宴』のミック・ジャガー(グレタ役として)が歌う素敵な場面です♪


※グレタ役のミックの歌声と美しいジュード・ロウもちょこっと拝見できます♪

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by claranomori | 2010-01-31 10:53 | 耽美派少女の愛した音楽たち
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『Sub-Culture』
~A New Decade~

2010.1.29(Fri)
@SOCIOあめりか村

18:00~23:00
1000円(1ドリンク付き)

DJs:
mine
zoe
yamaten(Velvet Moon)
chouchou(Velvet Moon)
SLIP(SOCIO)

at 心斎橋SOCIOあめりか村
大阪市中央区西心斎橋2-11-5
高谷ビル2階
06-6213-2060

基本メンバーはzoe、mine、yamaten、chouchouの4人ですが、SOCIOのマスターもご一緒です。DJ歴はこの中で最も長いお方なのです。そして、愛すべき仲間たち☆
Sub-CultureのHP ← です♪

80年代のNewWaveを中心としたイベントです。当時「ポジティヴ・パンク」とか「ネオ・サイケ」と呼ばれていた「ゴシック・ロック」、エレポップやネオ・アコースティック...など、各DJの趣味で色々かけています。毎回かかるサブカル定番曲もあれば、滅多にかからないようなコアな曲たちも。この『sub-culture』というイベントは実に珍しい特殊なものだと想いますし、そのように仰って頂いています。元々、NewWaveを愛好する人々はあまりコミュニケーションを好まなかったり苦手だったり(実はシャイ故に)。けれど、違いますよ~!暗い音楽が流れる中、とっても和やかな雰囲気です。”類は友を呼ぶ”と云いますがそんな人たちが自然と集います。初めてお会いした方でも意気投合できるのは嬉しいです。それは、きっとその時代を音楽と共に過ごして来たこと、あるいは世代は違ってもその時代の音楽が好きな年下の方、それぞれに音楽と共に過ごして来たことが共通しているのでしょう。普段は会社にお勤めの方々も、私のような者も。

いつもご参加くださる皆様、初めて参加の方々もどうぞお気軽にお越し下さいね。ドレスコードもございません。サブカル・チームのメンバーはどなたも温厚です(これも面白い特徴)。私は中でも最も下手なDJですが、大好きな”愛しのへんてこりん”音楽をかけています。やはり、女性ヴォーカルのNewWaveが多いです。今回もアヴァン・ポップを中心にと想っています。ああ!楽しみです★

今年も『sub-culture』と『Velvet Moon』共々、宜しくお願いいたします♪
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by claranomori | 2010-01-29 18:00 | イベントのお知らせ
b0106921_1843415.jpg★次から次へと心の曲たちが蘇り、軽く少女時代にタイムスリップしている。相当な年月の経過にはたと気付いてはみるものの、実年齢だけは増えてゆけども気分はあまり変わってはいない。現実を見つめて生きてゆかねば!と頭では考える。けれどいったい現実って何なのだろう...。でも今、この時を生きている私は事実居る。でも、ずっと大切な心の住人たち(人物に限らない)が居るからこそ、泣いても笑うことをも忘れず生きてゆける。そのようにしてずっと生きてきた気がする。私はもっと強靭な人間になりたいとも願うけれど、毎日は苛酷ですぐ挫けそうになる。人生とはそういうものだ。辛いことの方が多いのだから!泣いた数と歓喜する心の数のバランス。時に不調(協)和音で心がざわめくけれど、こうして心が躍る蘇るあの刻がある。愛するものたちともっともっと向き合い、さらに心に刻んでおきたい。

洋楽のレコードを買い始めてまだ20枚も持っていない頃。しつこいようだけれど、ボウイの『ジギー・スターダスト』がまったく売っていなくて(80年代初めにようやく入手)、他の気になるレコードを買っていた。ジャパン(JAPAN)の音楽との出会いはそんな頃。それも、初めて買った輸入盤である(それもUS盤だった)。1978年の2ndアルバム『苦悩の戦慄(OBSCURE ALTERNATIVES)』。予備知識まったく無しという状況でのジャケ買い。奇しくも私は「少女のための耽美派雑誌」(あるいは「耽美派少女のために変態雑誌」とも云われていた)『アラン(ALLAN)』の発売をまだかまだかと待っている日々と時はほぼ同じ。この『OBSCURE ALTERNATIVES(苦悩の戦慄)』以外にも作品はリリースされていたので、好きになり発売を待ってというのは80年代に入ってからだけれど、日本では本国より先に人気があったこともあり、『アラン』仲間(一人だけ)の同級の女の子、そして、エアチェックしたカセットや情報交換の友人(これまた彼女ただ一人)とボウイやジャパンのお話ができた。私はいけないことだったのだろうけれど、ラジカセを学校に持参するようになっていた。重いとか感じもしなかったな。ああ、若気の至り。

ジャパンはパンク全盛の折にデビューしている。なんとも不可思議な時代とのズレ。けれど、とんでもなくカッコいい!!と想えたのだ、殊に妖しいメンバーのルックス。デヴィッド・シルヴィアンの髪の長い頃はミック・カーンの方が好きだった。今はデヴィッド・シルヴィアンが大好き!まあ、ジャパンとはシルヴィアンのバンドのようなものでもあったのだし。当時は気付かなかったけれど、シルヴィアンのヴォーカルに何の抵抗もなく、”素敵なお声!”と聴き入っていたのは、既にブライアン・フェリー(ロキシー・ミュージック)が好きだったからかもしれない。そうそう!私はブライアン・フェリーも大好きで、これは逸れてしまうけれど、映画好きでもあるもので、「美少年・美青年・美中年・美老人の系譜」らしきものがいつの間にか存在するようになった。勿論ボウイも居られるのだけれど、その源流はダーク・ボガードへと行き着くと気付いた時、想起するお方にブライアン・フェリーが居たのである。理由など分らない。ボウイは直結しないみたい。ヘルムート・バーガーとは直結する。ああ、何を書いているのやら。大変なことになってしまった。ヘルムート様のお名前が出るとニヤけてしまい、浮かぶは初めて観た『雨のエトランゼ』のお姿が!いつも、このジャパンとの出会いの頃を回顧するとこんな具合になってしまう。2年半程前に綴ったものを読み返してみても我ながら呆れる。

ジャパンのこと、シルヴィアンのこと、名曲の数々のこと...追々に。嘗ての日本盤の邦題が好き。邦題で覚えている曲というのは付き合いの長い証でもある。「苦悩」とか「孤独」とか「影」とか「絶望」とか...そんな厭世的な世界に惹かれていた蒼き刻。けれど、私の大切な想い出たちでもある。『苦悩の戦慄(OBSCURE ALTERNATIVES)』は1978年の2ndアルバム。けれど1stアルバムの『果てしなき反抗(ADOLESCENT SEX)』はその僅か数ヶ月前なので、何とも性急なリリース!すんなりジャパン好きになった私ながら、当時ジャパンのお話をしてくれるクラスメイトは居なかった。こうして思い返せば、ボウイもジャパンも好きになったのは中学生だった。あれからとても年月が経過しているのだけれど、今も「美少年」に心踊り、ロマンチシズム溢れるデカダンな、当時から愛好していた所謂「耽美派ロック(耽美系ロック)」は今も好き。当時から少し変化しているとすると「美中年」から「美老人」までをも追っていること。私も当時のアイドルやスターたちと共に歳を重ねている証拠だろう。ジャパンは3rdアルバム以降、評価されるようになって来た。私も3rd~4th辺りが最も好きなので、また追々。「少女のための耽美派ロック」から抜け出せないで今もトキメク私なので、懲りずにそんな音楽の事も書いてゆきます。ルックスだけではなくて、やはり個性溢れるヴォーカルの力とソングライティングの優れた方々でもあるのです。奇抜なルックス、美麗な外見ばかりを注目され、音楽的な才能の評価が置き去りにされてしまったアーティストも多い。

今もドキドキします!ジャパンの『コミュニスト・チャイナ』(1978年の1stアルバム収録)を♪

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by claranomori | 2010-01-27 19:00 | 耽美派少女の愛した音楽たち
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『永遠のアイドルとガールズポップ★ロック&シャンソン愛好者の偏愛音楽館』(今年より音楽ブログです) ← にて更新いたしました♪
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by claranomori | 2010-01-22 08:03 | 私的少女音楽★愛しき歌姫
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★ケイト・ブッシュのデビュー・アルバムの邦題は『天使と小悪魔(THE KICK INSIDE)』。この中の『嵐ヶ丘(WUTHERING HEIGHTS)』がデビュー・シングル(1977年)。ケイトはピンク・フロイドのデイヴ・ギルモアによって見出された正しく天才少女!EMIとの契約は16歳の折。そして、このアルバムを発表した折は19歳。驚愕の嵐!13曲の楽曲全てが私には衝撃的かつ楽しいもので、彼女の世界に引き摺り込まれて行くのだった。どうしてだろう~と考えると、私の好きなものがケイトの音楽、表現する世界にいっぱい詰め込まれているからなのだ。エミリー・ブロンテ、英国、妖精、幻想、少女、エロティシズム...とても19歳で作り上げた作品とは思えない。少女の為の音楽でもない。でも、私のイメージする少女がケイトの音楽の中にある(私の好きな往還する女と少女である)。邦題とジャケットも好き。「天使と小悪魔」・・・ロリータのイメージ。英国のオリジナル・ジャケットは違うのだけれど、私は左右の目のメイクと胸元の広く開いたピンクのタンクトップのジャケットの方が好き。歌声の素晴らしさは唯一無比!

ケイト・ブッシュの本名は”キャサリン・ブッシュ”。デビュー曲の『嵐が丘(Wuthering Heights)』は映画の『嵐が丘』(ヒロイン名はキャサリン!)からインスピレーションを受けて作られたものだそうだ。ケイトの年齢や作風から想像すると、ヒースクリフ役はローレンス・オリヴィエ版(最古の名作)ではなく、ハマー・プロ版のティモシー・ダルトンが演じたものではないだろうかと思っている。そして、『嵐が丘』と言えばエミリー・ブロンテの原作の英国文学(ブロンテ姉妹、大好き!!)なので、全てが連鎖しているこのミラクル・ワールドに歓喜する。

洋楽はイギリスから、映画はフランスから。そんな幼少期の出会いは全てがとても新鮮で衝撃的だった。国籍でどうのこうの、ジャンルでどうのこうのという意識は薄いつもりだけれど、広義な意味での英国趣味とフランス贔屓は今も続いているようなのだ。

コンサートをあまりされないお方でキャリアの割りに寡作な天才ケイト!デビュー前はリンゼイ・ケンプに師事していた。なので、ボウイとの共通項が特に初期の映像(ライヴでの動きや演劇的な構成など)からも窺える。ふとした動きがボウイと似ているのはケンプの弟子同士であるからかもしれない。また、ザイン・グリフとの繋がりもある...と、もう不思議なくらいに自然と繋がってゆくのだった。ケイトの最も有名な曲の映像を。完璧に美しい(できないけれど、思わず側転をしたくなる)♪


★とっても綺麗な「レッド・ドレス・ヴァージョン」♪

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by claranomori | 2010-01-22 07:07 | 耽美派少女の愛した音楽たち
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★1971年のワリス・フセイン監督による英国映画『小さな恋のメロディ』のことを以前少し綴ったのですが、その当時はエキサイト様のYouTube掲載が禁止されておりました。今は許可されておりますので、やはり可愛いトレイシー・ハイド(メロディちゃん)、マーク・レスター(ダニエル君)、ジャック・ワイルド(オーンショー君)たちの映像をと想います。可愛いい~!♪



*また、この映画の音楽も全編素晴らしいものです。初めて観た時から大好きな主題歌『メロディ・フェア』(ビー・ジーズ)等をも追記いたしました♪

☆可愛すぎて、愛らしすぎて、瑞々しすぎて、純粋すぎて、美しすぎて!今日も朝から泣いてしまいました。
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by claranomori | 2010-01-21 07:24 | 少女愛考・少年愛好
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★大好きな映画!!これは永遠だろう!ワリス・フセイン監督の1971年映画『小さな恋のメロディ』。主役のメロディちゃん、ダニエル君、オーンショー君を演じるトレイシー・ハイド、マーク・レスター、ジャック・ワイルドの3人はみんな好き(ジャック・ワイルドは惜しくも2006年に他界されました)。幾度観ても愛らし過ぎて泣いてしまう映画。美しい英国の自然、子供たちと大人たち、そして名場面(ばかり!)を彩る音楽たち。すべてがひとつになって美しい!

シングル・カットされたビー・ジーズ(THE BEE GEES)の歌う「メロディ・フェア」は初めて観た時から大好きだった。私のリアルタイムはもっと後で、映画『サタデー・ナイト・フィーバー』(ジョン・トラボルタ主演)の主題歌をラジオで聴いた辺り。なので、ビー・ジーズのメンバーがどこの国籍の方なのか混乱していた時期も長い。今ではイギリス人である3人の兄弟グループで、本国イギリス、オーストラリア、そしてアメリカへと活動の拠点を変えて行かれたのだと整理できるようになった。バリー・ギブ、ロビン・ギブ、モーリス・ギブ(ロビン&モーリスは双子)の3兄弟。けれど、モーリス・ギブが2003年に他界され、「ビー・ジーズ」としての活動は終ってしまった。

映画『小さな恋のメロディ』のことは以前少し綴りましたが、本当に大好きな色褪せない映画のひとつです。下の動画ではビー・ジーズによる3曲が名場面と共に拝見できます。1曲目は「イン・ザ・モーニング(IN THE MORNING)」、2曲目が「メロディ・フェア(MELODY FAIR)」、3曲目は「ラヴ・サムバディ(TO LOVE SOMEBODY)」です。映画『小さな恋のメロディ』全編に流れる音楽(サウンドトラック)すべて素晴らしいです♪


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by claranomori | 2010-01-21 06:01 | キネマの夢・シネマ万華鏡
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★イヴ・モンタンが大好きです!あらためて考えてみれば、歌手として、また俳優として、共に名曲&名作を多数残されたお方で、さらに国際的スターであり、なおかつ本物の歌手であり俳優であったお方。俳優業の片手間に少し歌も歌うとか、歌手を本業にしながら少し映画にも出演される有名人は多く居られる。けれど、共に本物であり、かつ生涯に渡りスターであり続けたお方はそう多くは居られない。フランスではモンタンが随一であろう!映画の遺作であるジャン・ジャック・ベネックス監督の『IP5』は再見すると悲しくなる。モンタンの歴史は長くなるので追々にと想う。好きな曲や出演された映画は多数あるけれど、今日は粋なリズムで素敵なモンタンの歌声、フランシス・レイとピエール・バルーによる楽曲『自転車乗り(LA BICYCLETTE)』を。1981年の「オリンピア」での13年ぶりとなるコンサート映像より。チケットは発売と同時に完売であったという。素晴らしい!




花が自然のものであるように、シャンソンは人間のものといえる。それは、可憐にして純粋な表現で、情熱という嵐、感情という雷雨、怒りという大風、優しさというそよ風、愛の風・・・・・・・といった心の変化に晒されている。希望、苦悩、歓喜、抵抗、不安がそこに表現されるシャンソンは、人間でもあるのだ。

今日は微笑みを、明日は厳しさを、往々にして気紛れで、時には狂ったように・・・・・・・シャンソンは泣き、笑い、情熱に燃え、踊り、そして思考する。数多くの秘密を分かち合った友人でもあるのだ。

バラの花がいつまでも愛されるように、シャンソンも永遠である。その要素である美しさ、優しさ、そして希望が永遠なのだから。

イヴ・モンタン

この素敵なお言葉はモンタンが残されたもの。「シャンソン・フランセーズ その栄光と知られざる歴史」(著:ピエール・サカ/序文:イヴ・モンタン/監修・訳:永瀧達治)より引用させて頂きました。

★私はどういう訳か、洋楽が好きになり最初は英国のロックやポップスに夢中になっていた。体が弱くなかなか子供が産まれなかったという母が私を産んでくださった。当時では高齢出産という時期のこと。なので、私の両親と私の世代は大きく違っていた。けれど、そのことがいつの間にか私には学びとなってゆき今に至り継続中。映画好きの両親と一緒に古い映画をよく観た。お陰で私は同世代の作品と古い映画を平行して愛好するようになった。音楽も同じように、無意識のうちに、あるいは運命的な出会いのようなレコードたちを聴き続けている。それらに国境はない。アイドルやポップ・ミュージックも大好き!

文学も同じようにフランス文学が特に好きらしい。けれど、英国文学やドイツ文学に大好きな作家が幾人も。国籍や言語をあまり意識しているつもりはないけれど、何故だか「シャンソン・フランセーズ」は相性が良いのか心が安堵する楽曲が多い。母の持っていた古いレコードをなんとなく聴いていた頃から、意識的に自分でも購入するようになったのは80年代の初め。ヨーロッパのニュー・ウェイヴの音楽を聴きながら。リオやヴァネッサ・パラディ、シャルロット・ゲンズブールやエルザ、ミレーヌ・ファルメールやパトリシア・カースたちが大好きで聴き入っていた頃。ブリジット・フォンテーヌ、バルバラ、フランソワーズ・アルディは既にキャリアの長い方々であった。英国のマリアンヌ・フェイスフル、ドイツ人だけれど無国籍な佇まいの孤高のニコも同じく。

イヴ・モンタン!本当に素敵で大好き。俳優だと想っていたのに、歌手としても偉大なお方だと知ったのもそんな頃。初めて観た映画は『戒厳令』。政治映画でとてもシリアスな作品から知った。劇中の苦悩する渋い表情に魅せられた。そして、今でも「好きな男優」の指折りに必ず入るお方。モンタンの出演作品は結構観ることができている。作品によって様々なモンタンの魅力がある。晩年のモンタンも大好き!額の皺や白くなった髪は長い芸能生活、「イヴ・モンタンの軌跡」である。両親と私が一緒に鑑賞したり、魅せられたお方のおひとり。なので、私のあの時、あの頃が共に蘇るのである。そして、愛する両親との想い出も。みんな、もうこの世に居られないけれど、私の心の中にはずっと、いつまでも。
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by claranomori | 2010-01-20 10:55 | シャンソン・抒情と悲調の浪漫
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1991年のベルギー映画『トト・ザ・ヒーロー』が大好き!この映画は不思議なファンタジー映画。監督はジャコ・ヴァン・ドルマル。劇中で効果的にこの『ブン』が使われている。この映画のことは以前少し触れています。此方では本家のシャルル・トレネの古い映像がありましたので掲載させて頂きます。

1938年のシャルル・トレネによる作詞・作曲。同年、映画『輝ける道』(ピエール・カロン監督)の中でご本人が歌われているのだそうですが未見です。"チク、タク、チク、チク”や”ピク、パク、ピク、ピク”、そして”ブ、ブン!”と僕らの心が鳴る。この擬音語と軽快なリズム、愉快な歌声が好きです。「シャンソン」にも色々な名曲が沢山ありますが、このようなファンタジックなシャンソンも魅力のひとつです。

モノクロの美しい舞台で心和みます。優美な時代に夢を馳せて♪



シャルル・トレネ:CHARLES TRENET  
1913年5月18日生まれ 没年:2001年2月19日

★第二次世界大戦前から戦後にかけて活躍され、多くの名曲を残された「シャンソン」というと欠かせないお方のおひとり。私の個人的な好みですが、幾つものお写真を眺めていると、その朗らかなクルクルした瞳の輝きが好きです。「シャンソン・ファンテジスト」の代表的なお方でもあります。あと、帽子姿が多いです。

ベスト盤などに必ずと云ってよい程、収録される名曲に1937年から1938年録音ものが多く、「喜びあり(Y A D'LA JOIE)」「青い花(FLEUR BLEUE)」「王様のポルカ(LA POLKA DU ROI」「ラ・メール(LA MER)」「メニルモンタン(MENILMONTANT)」「ブン!(BOUM)」「私はうたう(JE CHANTE)」...と大変な時期です。その後も「残されし恋には(QUE RESTE-T-IL DE NOS AMOURS)」「詩人の魂(L'AME DES POETE)」他多くの名曲があります。

幼少時から曲を書いていたそうですが、15歳頃にドイツ(ベルリン)に留学されています。美術の勉強をされており絵を描いてもいたそうですが、その道ではなく歌の世界でチャンス到来!そのきっかけとなるお方にマックス・ジャコブとの出会いや映画があります。シャルル・トレネとしての前に「シャルルとジョニー」というコンビで活動されていました。同年代のジョニー・エスというスイス出身のお方と。

けれど、戦争という時代もあります。兵役中にも曲を書いていたそうです。『歌う狂人』とも呼ばれる由来は、その在隊中に軍服とも平服とも云えぬ奇妙な格好で町に出向いて歌っていたのを、楽譜出版社のラウル・ブルトンが見初めたことによるものだそうです。愉快なお方です。

そして、モーリス・シュヴァリエやジャン・コクトーの存在も欠かせません。「メニルモンタン」はシュヴァリエに捧げられた曲です。

初期のおおまかな軌跡です。

※去年綴ったものです。私は「シャンソン・フランセーズ」という大きな枠組みでの音楽がやはり好きです。そして、音楽と同等に大好きな映画や文学との繋がりが強い曲が数多くあります。それらはフランスに限りません。音楽と映画が対を成して私の心に刻まれている曲たちのことも、気ままに綴ってゆこうと思います♪
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by claranomori | 2010-01-20 09:55 | シャンソン・抒情と悲調の浪漫
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★小林繁さんが17日に急死されたというニュースを知る。心筋梗塞であったそうだ。そして、江川卓さんの悲痛な言葉を聞く...30年にも前になるあの電撃的なトレードのこと(「空白の一日」と呼ばれている事件)は、お二人の心の中でずっと消えないものだったという。当人方にしかその心の痛みは分りはしない。私は昨日から今日も何も集中できず泣き止んではまた泣いていた。父との想い出も付随して蘇るからでもあった。

今日の記事は私の少女時代のこと。小林繁さんがジャイアンツからタイガースに移籍された。その時の私はまだ子供で「空白の一日」と今も語り継がれる前代未聞の事件のことはうる覚え。ただ、あの時の私は江川さんの印象が良くなかった。今はこれからも背負って生きてゆかれるのだと思うと気の毒な思いである。選手に責任はないと思えるから。でも、あの時に「野球が好きだから、阪神にお世話になります」という潔い姿勢はスポーツマン精神の表れだと思う。その時に拒否する権限もあったそうだ。

私の父は若き日から巨人(読売ジャイアンツ)のファンで、とりわけ長嶋茂雄さんは父のヒーローのようだった。父が大好きな私は父の好きな巨人の応援を何も知らないうちにしていた。小学生の時の担任の先生も巨人ファンで、ある日「巨人ファンの人は手を上げて下さい」とにこやかに仰った。私は手を上げた。兵庫なのでクラスの多くは阪神ファンの人たちだった。ところが、小林さんが阪神に移籍となったその日から、私はいとも簡単に阪神ファンになってしまった。長嶋さんはその頃監督で巨人が優勝された年も小林さんは大活躍だったのだ。背番号19番。細い体つきでサイドスローの投手。投げた後は帽子が吹っ飛ぶあの姿をしっかり覚えている。私はミーハーゆえに野球の専門的なことなど何も知らない。けれど、あんなに野球を必死で観戦していた時期はあの頃しかない。その時期は正しく私の少女時代である。弟は入退院を繰り返しながらもリトルリーグという地域の少年野球クラブに入っていた。私より先に自らの意思で阪神ファンとなっていた。母は私以上に野球のルールもよく分かっていないようだったけれど、阪神を応援していた。なので、家族内での五分五分で巨人対阪神という試合はとっても楽しいものだった。家族そろってブラウン管に向かっていたあの頃が懐かしい。

父は私の変わり目の早さに呆れていた。でも、父は巨人の次に応援するチームは阪神だったのだ。なのでアンチではなかった。そして、高校野球も必ず観ていた。「どこを応援してるの?」と訊くと、「どこでもない。負けてる方を応援している」と。そんな父が大好きだった!寂しい想い出は、日曜日の休日になると、よく父と弟は家の前でキャッチボールをしていた。私は傍でなんとなく弟を羨ましく見ていた。すると、優しい父は弟のグローブを借りて私が父の投げるボールを受けるという機会を与えてくれた。二人はテンポ良く続けていたので、私はあのボールが上手にキャッチ出来るだろうか(キャッチしたい!)という思いだった。何球かは上手くキャッチできなかったけれど、グローブに父の投げたボールがあった時、とっても嬉しかった。父は私には下から軽く投げてくれていた。また、弟も優しいから「お姉ちゃん、頑張れ!」って云ってくれた。何故だか、そんな遠い日の想い出たちが蘇り、今も上手く自分の気持ちが綴れないけれど、ただ悲しい。

私は熱狂的な野球ファンではないけれど、「好きなチームは?」と尋ねられたなら「タイガース」と答えている。そして、あの70年代の終わりから80年代半ば頃は野球観戦が楽しくてしかたのない頃だった。弟は今も大のタイガース・ファン。けれど、二人の甥はどちらも野球にあまり興味がない。でも、甲子園に何度も行っている。上の甥はオマリー(コーチ時代)に頭を撫でてもらったのだそうだ。甥よりも弟の方が大喜びして帰って来た。

現監督の真弓さんとも小林さんは仲が良かったという。真弓さんも私は阪神に入団されてからずっと好きだった。ホームランを打てる一番打者でハンサムだし。私も長嶋さんや王さんが好き。でも、阪神の次に好きなチームは広島カープだった。川口さんや大野さん、山本浩二さんに衣笠さん、そして前田さんとかスター性がありかつ実力のある方々が多く居た。今も居られるのだろうけれど、テレビを観なくなったしなにか私の中では違う感じ。やはり「昭和」が好き。そして、こうして私の好きな人たちがお亡くなりになってゆく。昭和のヒーローやスターたちが。そして、今日18日に追い討ちをかけるような訃報。浅川マキさんが心不全でお亡くなりになられたというニュース。浅川マキさんとは幾度かお会いさせて頂いたことがある。ご一緒にカレーライスを食べたり、頂いたご本なども大切にしている。あの不思議なマキさんに「あなたは変な女ね」と云われてしまい「そうですか?」と自分ではまともなつもりなので複雑な思いながら笑ってしまった。もう少し東京に居られたなら...と残してきたものを悔恨する。けれど、両親が倒れ、精神的にも限界だったこともあり関西に戻って今に至る。

マキさんとの事は上手く今は語れない。いつの春にか...。

小林繁さん、浅川マキさんの連日の訃報はまだ信じられないけれど、御冥福をお祈りしています。そして、ありがとうございました。
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by claranomori | 2010-01-18 20:33 | 想い・鑑賞・読書メモ