あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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★今年も後一日。2009年の最後の記事はオードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn:1929年5月4日~1993年1月20日)で。前述のコレットの『ジジ』の舞台版の主役はオードリーだった。コレット自身からの抜擢で選ばれたという。そして、『ローマの休日』で銀幕のスター☆オードリー・ヘプバーン登場となる。その後も秀作揃い!優れたスタッフや俳優仲間にも愛され、いくらお歳を召されても可憐でお美しいお方だった。

オマージュ作品は未見のものがあるけれど、ほぼ観れる範囲の作品は観ている。どれも素敵!酷評の作品だってオードリーが素敵ならそれでいいって想う。不思議なお方。今も愛され続け、現役の人気俳優たちに混じって人気投票に名を連ねている。もう何十年もの歳月ではないだろうか。殊に日本での人気は世界一なのかもしれない。平成生まれの甥も「オードリー・ヘプバーン」を知っているのだから凄い。オードリー映画の相手役に好きなお方も多いので私は映画を観る中で、年月と共に”オードリー好き”は強まって行った。それぞれの作品は魅力的で役柄も様々。何歳でも何を演じてもオフショットの時でも、いつも素敵なあの瞳!笑顔も多いけれど、ゆえに内省的なショットや場面に遭遇するとさらに好きでもある。

オードリーは生涯「オードリーであった」。高慢ちきでもなく人の意見をしっかり聞けるお方であり、かつご自分の意思を貫く!それが「オードリーらしい生き方」であり、晩年のユニセフの活動までずっと。オードリーのお写真は数多く存在する。多くのスター女優は撮る角度や採用のチェック、オフ時は禁物...というのが通常。けれど、オードリーはいつでも撮られることを拒むお方ではなかった。気さくで優しい。生まれ持った気品と意思の強さ。個性を活かしたファッション・センス。少女らしさを残しながらも決して子供っぽくはない。”美人女優”ならワンサカ続々世界中から登場される。そんな中で世界規模の国際女優でありスターであり続ける(死してさえ)。ああ、やはり「スターがスターであった時代」に夢を馳せる。褒め讃えるばかりであるけれど、晩年の活動は少女期の暗い戦争という刻との関係も深いと想っている。そんな”慈しみ”のようなものを持ち続けたお方であったから、いつまでも清らかでお美しくあられたのだろうとも想う。上の自転車のカゴに居るのは愛犬アッサム(フェイマスは死んでしまった)で、オードリーとご一緒にスタジオに向かう(『緑の館』で共演した子鹿イップ(イプ)も好き)。息子さまだって。そんなお姿もお美しい。私生活を隠し、母親になってもそうしたイメージを払拭しようと保つお方も多い。けれどオードリーは違う。”潔さ”というのかもしれない。実にクリーンである。やはり永遠の妖精オードリー♪

※昨夜から台所の給湯器のお湯がでなくなり点検して頂いた。どうやらもう古くて壊れていて部品も製造されていない。運悪く年の瀬なので交換作業はあと1週間程のち。ガクンと冷たいお水でお皿やカップを洗いながら”ヒーヒー”呟いている。こうした予期せぬこともあるのだ。それも人生。それも試練。また愉しいとさえ想える。更新にたいそうムラがある私ですのに、いつも気に留めてくださる方々、何かの検索で訪れてくださる方々、コメントをくださる方々....そうしたご縁をとても嬉しく、また励みに生きております。今後とも末長く宜しくお願いいたします。皆様、良いお年を♪
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by claranomori | 2009-12-31 01:15 | 少女イコン・不滅の少女
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★シドニー=ガブリエル・コレット(Sidonie-Gabrielle Colette:1873年1月28日~1954年8月3日)の少女時代のお写真。15歳頃のものを拝見すると、すっかりふくよかになられていたのでもう少し前の頃だと想う。12~15歳辺りは個人差はあれど、私のとても好きな刻。そろそろ大人の階段を上ってゆく手前...。後に20世紀のフランス文学に代表作を残され、数多くの恋愛遍歴(コレットは”性の解放”を唱え実践されたお方で、性別も年齢も関係ないロマンスが繰り返された)、演劇や舞台との関連など81歳で亡くなられるまでの生涯はとても興味深いものがある。

このお写真の頃の少女コレットを想う。ブルゴーニュの美しい自然の中で育った。20歳で結婚しパリに出ることになるなんて、この時は知らないのだ。こうした「一枚の写真」はその刻を封じ込める。正確な年月日は分からないけれど、この瞬間はただ一度っきり。どこか物思いに耽るような少女コレットを勝手に想像する私。

コレット原作の映画も多い。マチルダ・メイがコレットを演じた『コレット 水瓶座の女(1991年)』では最初の結婚生活が描かれていた。その夫(アンリ・ゴーティエ=ヴィラール)の名義「ヴィリー(ウィリー)」で出版されたという『学校のクロディーヌ(1900年)』と『パリのクロディーヌ(1901年)』は実質上のコレットの処女作ということになる。けれど、シドニ=ガブリエル・コレットというと、やはり、『シェリ(1920年)』、『青い麦(1923年)』、『牝猫(1933年)』、『ジジ(1945年)』などが代表作だと想う。とりわけ映画化された『青い麦』は私が最初に読んだコレット作品だったこともあり思い出深い。この小説は2番目の夫アンリ・ド・ジュヴネルの息子との関係が作品に与えたものも大きいという。その後、3度目の結婚は17歳年下のモーリス・グドケ。最初の夫は15歳年上でバイセクシャルなお方だったそうだ。

大きな二つの大戦の中でもコレットであった。この「コレットであった」と想うのはおそらく生涯活き活きと、かつ瑞々しい文体を維持された。私生活面でも自由奔放で、殊に夫が居ながらも同性との恋愛も謳歌されていた姿を想うからかもしれない。時代を切り開く新しい女性像のおひとりだったと。そして、その源泉は生まれ育った環境、美しい草花や動物たちとの自然に包まれた少女時代が深く関係しているのだとも想う。
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by claranomori | 2009-12-29 11:22 | 写真の中の少女・夢の時間
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★今日は12月25日。メリー・クリスマス!今月はあまり更新出来ずにいたけれど、クリスマスというので浮かぶ好きな童話を。アンデルセンの『マッチ売りの少女』はとても有名なので、どなたも一度は読んだり聞いたりされているのだと想う。私が子供の頃に読んだものは子供向けに書かれた内容だったので、後に読んだ悲惨な想いはもっと薄いものだった。でも、「かわいそう...」と想った。今でも、勿論「かわいそう」に想うけれど、もっと深刻な内容に心が赴く。

大晦日の日にマッチを売り歩く少女。貧乏なので綺麗なお洋服は持っていない。足は裸足。まず、この場面が脳裏に焼き付いている。おそらくまだ10歳に満たないくらいの小さな少女が大晦日の夜にマッチを売って歩いているのだ。裸足なのは死んでしまったお母さんの残した靴を履いていたけれど、歩く中で片方ずつ脱げてしまった。小さな少女には大きすぎたのだろう。この靴一足が唯一の少女の靴だった。エプロンをして美しく長いブロンドの髪の少女がマッチを売り歩く。けれど、誰も買ってはくれない。ひとつも売れない。だんだん寒くお腹も空いてくるけれど、家にこのまま帰るとお父さんに殴られてしまうから帰れない。

私がこの少女を好きなのは、心の清らかさと健気さだと想う。みすぼらしい服装だけれど、どこか清潔感を抱くのだ。きっと、少女がただ一人愛した(愛してくれた)今は亡きおばあさんの敬虔な教えが影響しているように想う。クリスマスの夜という内容のものもあるけれど、大晦日。日本と違ってヨーロッパではクリスマスから新年までを継続してお祝いするような風習があるので、この辺りは子供の頃は分からない事だった。

素足で歩く少女を想う。長い髪を束ねエプロンにマッチを入れて。誰も買ってくれない。この現実の厳しさは大晦日の夜の寒さを増徴する。そして、家に帰ると殴るという父親に憤る。母親が居ないので、この少女は家事全部を担っているだろう。帰ってもどうせ寒いのは同じだと少女は想う...何故!?屋根はあれども隙間風の吹く暖房もない寒い家。

足がどんなに冷たかっただろう!手は悴み、頬も赤みを超し青ざめていただろう!寒さのあまり持っているマッチを少女は4本壁で擦る、「シュッ」と。まるでストーブのように輝く光。でもすぐに消えてしまう。2本目、3本目と「シュッ」。ひとつは豪華な食卓の風景をガラス越しに見る。鵞鳥がナイフとフォークを刺して歩いてくる。また、クリスマスツリーが見える。綺麗な光と飾り付けをされたツリー。少女の心は一瞬楽しい光となり両手を広げ空を仰ぐ。けれど灯は消えてしまう。その時、クリスマスツリーの光は高い星になり、その中のひとつが長い尾を引いた流れ星となって落ちてくる。

星が落ちるときに、ひとりの人の魂が、神さまのみもとに昇ってゆくんだよ

この唯一人少女に愛の手を差し延べたおばあさんの言葉を想い出す。そして、4本目のマッチを急いで擦る。すると、おばあさんが優しく輝いて立っている。灯が消えるので束のマッチを全部擦る。おばあさんの姿を留めていたいがゆえに。マッチは赤々と燃え上がり明るくなり、おばあさんは少女を抱き、二人は、光と喜びに包まれて天に昇ってゆき、神のもとに召された。

けれど、大晦日の夜に、少女はマッチの束を持ったまま凍え死んでしまう悲しい結末。新年の太陽が昇り少女の亡骸を照らす。頬は紅色で口元には微笑を浮かべていた。この姿を見た人々は「この子は暖まろうとしたのだね」と云う。けれど、少女が光に包まれて愛するおばあさんと一緒に天国に昇って行ったことを、誰も知る人はいなかった。

このお話は、幼い少女の凍死という結末。けれど、少女は死によって新たな光に導かれ微笑むことが出来た。アンデルセン自身の困窮の経験や想いが重なるけれど、少女は救われたのだろう。なので、かわいそうだけれど、悲しい涙は溢れない。

1848年に書かれた『マッチ売りの少女』。1848年というと、フランスでは二月革命、ドイツとオーストリアで三月革命の年。1820年後半にイギリス人によって発明されたマッチ。時の混乱の中、社会が変革してゆく中、貧しい人々の生活が見える。そんな寒い家しかなく、自分の靴もない少女はどんな暮らしだったのだろう。このアンデルセン童話がただ子供向けに書かれたものでないのは云うまでもないけれど、優れた「童話」であり「メルヘン」であり「ファンタジー」である。子供は子供の心で、大人になれば大人の心でもう一度読み想うことが出来る。そして、各々が心に描き、考える。童話を子供の読み物と侮ってはいけないと想う。また、子供向けに書かれた読み物を大人が読むことで教えられることも多い。また、読んだ少年少女の感想や表情を得られるとなお喜びとなる♪
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by claranomori | 2009-12-25 11:34 | 童話・絵本・挿絵画家
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★パリと東京を中心に活動されている写真家のMIKA POSA(ミカ・ポサ)さんの卓上カレンダー。上の少女たちはその中の特にお気に入りの少女たち。いつものことだけれど、年末をバタバタと過ごしている私のことなので、”きっと、買う時間がないだろう”というお優しいお友達から頂き今年を共に過ごしたもの。もうすぐ今年も終わりだなぁ...と想うと少し寂しい。このカレンダーは来年になると私の頂いたもの箱に保存させて頂きます♪

上の少女たちのお写真にちょっとした文が添えられている。その言葉も好きなものから選んだように想う。上から順に(1月~3月~5月~12月)。

●お菓子があると笑顔になっちゃう。
●これから、春をみつけにおでかけするの。
●ベリーの森は、あまい香りでいっぱいなの。
●雪といっしょに、すてきなことがふってきますように。

ああ、可愛過ぎて涙が出ます。おんぼろのパソコンの調子が悪いので配置を変えたばかり。それでなくても環境に馴染めない私。今までと違う場所に色んなものも移動してウロウロしたり、機械音痴のくせに配線をいじったりして音が出なくなり元に戻せず落ち込んでいたり。こうして時間は過ぎ行く。けれど、今日を生き、明日を生きるために、優美なもの、美しいものたちを大切に自分の歩幅で歩いてゆこうと想うのです。
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by claranomori | 2009-12-19 03:42 | 写真の中の少女・夢の時間
★毎月第一日曜日に『なんでもない日のお茶会』で音響・BGM係りで参加させて頂いている。今月は6日に開催された。私はこのお茶会を毎月楽しみにしている。第一回から一度も欠席したことがないのだ(ちょっと、誇らしげ♪)。個性的な方々が集う。もう5年も続いているイベントで、最初は知らないお方が多かったのだけれど、今では次第にお声をかけてくださる方々も増えて嬉しい。今回は『ストレインフォビア(STRAIN FOBIA)』による朗読劇『MOON』だった。この劇団はいそろく君というお方が主宰で、今年はミュージカルもあった。童話モチーフを独自の解釈で脚本化され、演出から出演とこなす才人。毎回出演者は流動的なようで今回の朗読劇はいそろく君と可愛い黒猫ちゃんのお二人でのものだとお聞きし楽しみにしていた。

今回はもう一つ『アリスの音楽隊』という女性4人(お一人男性も演劇で参加)による四重奏で、音楽と演劇を紡ぐ構成でこちらも好きなものだった。彼女たちのリハが終わり、そろそろ2階のオープンという時間になった頃、いそろく君が台本をお持ちになって、DJブースに座っていたZOE氏と私に、「主人公の少年のお父さんとお母さんの箇所をお願いします」と云われた。ZOE氏はまったく動じることなく楽しげに引き受けやる気満々。私は突然のことで不安と緊張を伴っていた。『MOON』というお話は幼少時から月や宇宙に魅せられている少年ユウイチ君が主人公。この少年は事故により神経を患うことになりそれ以来、目が見えないという状況となった。今17歳。その母親の台詞を読むのだけれど、想ったよりも多くてドキドキしていた。それでも、1時間弱の真っ暗な空間の中での朗読劇は私に17歳の少年ユウイチ君と、彼と出会うことになる16歳の少女ハルちゃんの会話。そして、壁伝いにぎこちなく天体望遠鏡を持って神社に向かう姿が目に浮かぶのだった。「大丈夫だろうか...」と想いながら。そんな素敵なお話に自然と引き込まれていたので、何とか台詞を読むことができた。横にZOE氏とマッチ君が居てくれたので安心感もあったと想う。

少女ハルちゃんも天体好きの少女。けれど、何故か学校生活に馴染めずにいる。そんな疎外感と孤独感を持つ少女がぎこちなく歩いてゆく少年に出会い、そぉっと後を追う。少年は自分の目の見えないことに劣等感を持っている。けれど自己を放棄はしてはいない。そんな二人の夜空の観測風景と交わされる会話。お互いが偽りながらもどこか気遣い合う。「本当の事を云ったら...」という不安が共にある。感動的だったのは、途中で分かることだったけれど、少年の天体望遠鏡のレンズは割れていた。そして、少女はその割れたレンズでは星を観測することなどできないと分かっていて、夜空の美しさを告げる。少年は割れたレンズに気付かず、「うん、綺麗だね」と見えていないのに語る...私は泣き虫なので既に泣いていた。

自分の息子がこんな状況になってしまったのだ。両親の心もどんなに苦しいだろう!一人で外出することをどんなに心配しただろう!私は母親の台詞で泣く箇所があったのだけれど、開演前は上手く泣いた感じで読めるだろうか...などと不安だったけれどなんとか。お話を聞きながら浮かぶ二人の姿と共に心に浮かんだのは私の亡き母だった。元気な折から近眼と乱視が酷いという方だったのだけれど、病気になり寝たきりになり死が近づく中、次第に視力を失ってしまったから。面会に行っても私の姿が見えていないのだった。辛うじて右手の感覚だけが機能していたので、私は母の手をさすり耳元で話しかけ私だということを伝えていた。今から想うと、私の母である!手をさする私の指の感触で娘であることは充分分かっていただろう。それでも姿が見えないことはどんなに辛いことだっただろうか...。私は帰りはいつも泣いていた。そんな母の姿を見るのが辛かった。でも、見えない目で私を想像していたのだろうと想うと、不思議な気分にもなる。

目に見えないものを心で見る。見えるものだけではなく、見えないものの中に見えるものもある。これはずっと私が感じていることで、歳を重ねる毎にその尊さを想う。「想像してごらん」とジョン・レノンは歌った。絵空事と現実派の方に笑い飛ばされることもあった。それでも、私はこの厳しい現実を生きていく上で、少しでも心豊かに生きていたい。お金がなければ生きてゆけないということも知ってしまった。それでも、何とか生きてゆくだけのお金があればいい。それよりももっと大切なのは心まで貧しくならずに「人生謳歌」してゆくこと。

自由であるためには不自由であらねばならないだろう。また、幸福であるためには不幸であらねばならないだろう。これらの事は大好きな寺山修司から学んだように想う。まだまだあるけれど、私にとって最大の難問がずっとある。課題とでもいうのだろうか。それは子供の頃から頑固なくせに自分から積極的に向かうことを怖がるということ。また、苦手であるとか好きではないということに関し、自然と距離を保つようになった。いそろく君が仰った。「何かを始めるのに年齢や遅いということはないと想う」って。私もそう想う。私は少年少女の心を想うことが何よりも好きで仕方がない。ある意味病気かもしれない。それでも、もうどうしようもない。なので、とことん!自分の内面を見つめ掘り下げてゆこうと想っている。その作業のようなものの過程には必ず壁があり闇に遭遇する。行き先不明と戸惑いや挫折もある。けれど、掘り続ける事に決めたのだ。まるでモグラのような状態。でも、ちょっと途中で土から顔を出せば叩かれてしまうのだから、暗くても堀り続ける方が良い。すると、いつの日にかきっと、光を見ることができるだろう!途中で死んでしまうかもしれないけれど、それでもいい。

まだ漠然としているけれど、来年2010年のちっぽけな目標ができた。それも、やはり親愛なる友たちにお力をお借りしながらだけれど。ZOE氏とYAMATEN氏には軽くお伝えした。そして、ZOE氏より「詩を書いてください」と云われたので、今少しずつ書いているところ。さて...?いったいどんな風になるのやら。本業のお仕事は山積み状態なので、あくまでも心のバランスのため。そして、ある克服のため。そして、美しき心の住人たちにさらなる愛を込めて私の人生に刻むために☆
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by claranomori | 2009-12-10 11:32 | イベントのお知らせ
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★スティーヴィー・ニックスの1981年のヒット曲『嘆きの天使(STOP DRAGGIN' MY HEART AROUND)』。1stソロ・アルバム『麗しのベラドンナ』よりのもので、共演はトム・ぺティ&ザ・ハートブレイカーズ。MTVのビデオクリップを幾度も観ては胸ときめく10代でした。私にとって、スティーヴィー・ニックスは輝くスターでありアイドルのようなお方(おこがましいけれど)、あの少し鼻にかかったようなハスキーというかダミっとしたお声、反して妖精のような麗しいお姿にドキドキする存在で、今も思い浮かべるだけで心が高揚しトキメクというお方。きっと、そのようなお方は知らないうちに私の心の住人となっていて、ある意味「アイドル」と云えるのかもしれないと。けれど、ソロアルバム前に、フリートウッド・マック(スティーヴィー・ニックス加入後が全盛期だと想う)、当時、恋人同士だったリンジー・バッキンガムとのユニット「バッキンガム・ニックス」など長いキャリアのお方で後追いの私には、「ミューズ(女神)」的な存在と云った方がフィットするようにも想う。

この曲でトム・ぺティを知った。好感を持ってしまったのはスティーヴィー・ニックスとの共演者であるという単純なことかもしれない。けれど、トム・ぺティのアルバムも購入して聴くと、カッコイイのであった。そして、御大ボブ・ディランが来日という日がやって来た。やはり生であのお声を聴きたいと想いチケットを購入。大阪ドームの後ろの方で小さくしか見えなかったけれど、その時の共演がトム・ぺティであったのでラッキーに想えたものだった。好きになったアーティストの共演者や関連する人々を追うという癖があり、お陰で色々広がってゆく。もう細かいことを忘れてしまったり、タイトルが想い出せない...等、こうしてメモしておかないと頭が混乱するばかり。想い出せないと眠れなかったりと困った性質らしい。

スティーヴィー・ニックスの動きも好き。可愛いくてカッコイイ!これは私の好きなタイプの女性アーティストに多い。女性らしさの中に熱いものがある。スティーヴィーの場合、私は特にあの片足の動きが魅力のひとつでもある。歌いながら感情が高まる時に自然とでる動きなのだと想う。その片足でリズムを取り歌う視線はクールでもある。この下の動画では時折カメラ目線となる。その度に「ドキン!」と私はときめく。妖艶さも嫌味がなくロングヘアーと黒や白のドレス姿も好き。両手を広げふんわりと廻るお姿も特徴で、やはり「ドキン!」とする。永遠のロック・クィーン!永遠のベラドンナ!永遠の妖精スティーヴィー・ニックス☆


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by claranomori | 2009-12-06 10:25 | 私的少女音楽★愛しき歌姫
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★サンディ・ショウを知ったのは私が洋楽に目覚めた初期の頃なので、結構年月を経過している。そもそものきっかけは、母から買って貰ったビートルズのレコードが最初の洋楽のLP盤。その少し前にお友達と一緒にサンリオ・ショップに出入りしていた小学6年生の時に、カーペンターズの7インチ・シングルを買って嬉しかったのだった。このカーペンターズも母の薦めでお小遣いを貰ってのこと。ラジオで時々英語の曲が流れるのが気になり始めていた。ビートルズからデヴィッド・ボウイとなる。そして、同時期にケイト・ブッシュとピーター・ガブリエルが好きになる。ボウイのレコードがなかなか揃わないでいたので他の気になるアーティストのレコードを買うようになっていた。そんな洋楽好きの中学、高校、大学、社会人になっても郷ひろみのレコードは買い続けていた。

ケイト・ブッシュの衝撃は今の私に欠かせない!「女の人のヴォーカルが好き!」と実感したのである。そして、マリアンヌ・フェイスフルやニコを後追いしていた頃にサンディ・ショウのジャケットが気になり購入。それは上のお写真のベスト盤で、中にはジャック・ブレルの『行かないで』のカバーも収録されていた。私はジャック・ブレルの名をサンディ・ショウから知った。そして、後にボウイもブレルのファンであり(スコット・ウォーカーの影響が大きいと想われる)、またさらに後にマーク・アーモンドもブレルのファンでアルバム丸ごとブレルのカバー・アルバムがある。マークの大ファンであるお友達はボウイのファンでもあり色々と教えて頂いたり仲良くして頂いているのだけれど、マークのブレルはボウイ経由だろうと仰っていた。こうした受け継がれてゆく美しき方々を想うと心がほっこりするのは何故だろう。マークのことはもうすぐ。ブレルのことはまた違う機会に。

サンディ・ショウの『(THERE'S)ALWAYS SOMETHING THERE TO REMIND ME』は1964年の2ndシングルで全英チャートの1位に輝いたヒット曲。当時17歳のサンディ・ショウながら落ち着いた雰囲気が素敵。この曲を歌う動画もあったのですっかりYouTubeに感服しているところ。この曲を歌う当時のモノクロの映像を観ると、ますますこの邦題の『愛のウエイト・リフティング』に”あれ?なぬ?...”って想える。何やらオリンピックに合わせての邦題となったと読んだけれど。愛し合っていたふたりがお別れすることになり、「あなたを愛するために生まれたのね、私は」と歌っている。そんな忘れられない想い出たちに包まれて、戻ってきてほしいと願ってもいる。

どうしたらあなたを忘れることが出来るでしょう
一緒だった時のことが思い出される時に
一緒だった時のことが思い出されるたびに

なので、悲恋の歌。でも、曲調は極上ポップであり、それもそのはずバート・バカラック&ハル・デヴィッドによる曲なのだから!フランスのエディ・ミッチェル(ミシェル)も歌っている。80年代の英国ポップ・デュオのネイキッド・アイズも歌っていた。同じ曲を同時期に競作というのか、幾人かの方々が歌うということが多かったのを聴き比べるのも好きだし、カバーも愉しい。少女時代にポップ・スターとなったサンディ・ショウだけれど、60年代後半から次第にお仕事のペースを抑えるようになる。ご結婚され子育てという時期も経て(お子様はミック・ジャガーの娘さまと同じ学校に通っていたそうだ)、80年代に復活された。それは、ザ・スミスのサポートによって。モリッシーのアイドルのお一人であったサンディ・ショウ。そんな復活後に来日されたので私はコンサートに行く事ができた。相変わらずスリムでクールだった。空席が目立ったのだけれど、最後にはスミスのファンの方がステージに駆け上がった、そのお姿が印象的だった。とっても幸せそうだった。大のスミス・ファンのようで後ろのポケットにはお花も入っていた。取り留めのない感じだけれど、サンディ・ショウの好きな楽曲は多いのでまた他の曲なども。「英国のガールズ・ポップ」というと私には指折りに入るお方なので♪
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by claranomori | 2009-12-05 10:16 | 私的少女音楽★愛しき歌姫
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『永遠のアイドルとガールズポップ愛好館』 ← にて更新いたしました♪

◆12月になりました。暑い夏の日もすっかり紅葉の秋、そして白い冬の季節。もうすぐクリスマスがやって来て、年末今年も終わり。2010年の新年が近づいています。この私の心の支柱のようなブログ『クララの森・少女愛惜』は絶えるまであれやこれやと拙い想いを綴ってゆきます。また、連動した形にもなりますが、「音楽」、それも「ポップ・ミュージック」に特化し、私的ガールズ・ポップやボーイズ・ポップの愛しきアーティストや楽曲が浮かぶだけでも数千を超します。始めたばかりでまだまだ記事が少ないのですが、この『永遠のアイドルとガールズポップ愛好館』も今月からピッチを上げて更新してゆく予定です。どうぞ宜しくお願いいたします☆
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by claranomori | 2009-12-03 09:02 | 私的少女音楽★愛しき歌姫