あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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<   2009年 03月 ( 14 )   > この月の画像一覧

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マンドリンオーケストラで幕が開くと、舞台は一面に真青で、そのまんなかにまん円い月がぶら下がっている。三角帽子のピエローがゼンマイ仕掛の人形のような足取り出て来る。
 
ピエローの独唱
  「昔私は月を見た
   今晩私は月を見た
 それは昔と同じ月
   今も昔も同じ月
   これから先も同じ月」
 
月の独唱
  「それから先はどうなった」
 
ピエローの独唱
  「それから先もそれだけさ」
 
歌が終ると同時に月からシューと赤と青の火花が噴き出して、そのまま矢車になって廻り出す・・・・・黒い幕が急に落ちる。


★稲垣足穂を好きな友人が、歳を重ねるうちに少しずつ私の周りにいてくださるようになって来た。とても不思議だけれど、そんなことが嬉しい。稲垣足穂・・・童話の天文学者、セルロイドの美学者、星と飛行機と少年愛の作家。限りなきファンタジーの作家と佐藤春夫も讃えた。少し、サン=テグジュペリみたい。このピエローとお月様の会話、浮かぶ光景はその時の気分でも変わるようだ。これぞファンタジーの愉しさ。ロマンティック♪
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by claranomori | 2009-03-29 23:16 | 童話・絵本・挿絵画家
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思い出にしがみついて
大人になるのを忘れた私
子供の心をもったまま
大人の世界から逃げだすの

シンドローム シンドローム
そう、これがピーター・パン・シンドローム

イマジネーション・トリップ
夢が溢れ出る
7番目の空にやってきたティンカーベルは
火の粉を撒き散らす羽根を広げたピーターは
彼女と宙を飛んで行く

シンドローム シンドローム
そう、これがピーター・パン・シンドローム

忘れてはいけないレッスン
それは大人になるのを忘れること

『ピーター・パン・シンドローム』より

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★この曲は、イザベル・アンテナの1992年(フルアルバムとしては6作目)の『CARPE DIEM(邦題:とまどいの瞬間(モメント)』の1曲目を飾るフランス語で歌われた曲。”クレプスキュール”というベルギーを拠点に活動するレーベルはお気に入りレーベルのひとつ。まだ3人組で”アンテナ(ANTENA)”として活動していた80年代初期。デビューは1981年の『イパネマの少年』で、NEW WAVE(プロデュースはジョン・フォックスだった)的な範疇で出会ったお方。ジャズやボサ・ノヴァといった要素をイザベル流のポップな楽曲にして歌われる曲たちが今も心地良く響く。このアルバム発売前に夫でもあったダーク・シュウフツ(バイヤ・コン・ディオスのメンバー)が急死されている。前作と対照的な作品だと感じるのは深読みかな。でも、このアルバムの原題の意は、ラテン語で”今日を楽しく生きよ”というものだそうだ。イザベル・アンテナというと洒落た都会的な大人のイメージも強い。けれど、私は時折やはり”往還する女と少女”を見てしまう。この曲だけではないけれど、昨日数枚のイザベルの作品を聴いていて再認識していた。前向きで、かつ自由な姿勢が気持ちよいお方♪

※私はブログを営利目的など考えずに想いを綴る場所としている。でも、親しい友人やVELVET MOONを応援くださる方々はいじいじするという。何故かと尋ねると、”何故、そんな好きな作品を扱っているのにVELVETと連携しないのか?!”って。愛ある助言なのだ。けれど、今も上手くは出来ない...好きなこと、好きだということを伝わるお方に届き、そしてお買い上げ頂けるとそんな嬉しいことはない。人々の選択は自由。情報は溢れている。音楽や映画のソフトはモノである。けれど、そんなモノを愛してしまう私はそれらを売るという本業がある。そのバランスにもうずっと悩まされている。それでも16年目を歩みだした。まったく変われない。もう組み込まれてしまっているみたい。そして、衣食住と同等に愛するモノたちに栄養とエネルギーを頂いて生きている。そんな私の想いをこれからも此方を主に綴ってゆくのだと想う。”もっと、音楽のお話も~♪”と仰って頂ける私はしあわせなので、私の器内で好きなアーティストや音楽のことももう少し増やしていけたらと想います。皆様、いつもありがとうございます☆
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by claranomori | 2009-03-26 11:48 | 私的少女音楽★愛しき歌姫
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★クララ・シューマン(CLARA SCHUMANN:1819年9月13日~1896年5月20日)は19世紀を生きたドイツの女性音楽家として歴史に名を刻んだお一人。父親フリードリヒ・ヴィークは優れた音楽家であり教育者であったとされている。その生徒とも言える娘クララ。少女時代からクララは”天才少女ピアニスト”と讃えられていた。フリードリヒ・ヴィークの弟子でもあった(2年間ほど)ロベルト・シューマンとクララのロマンス物語は好き、謎とされている部分も含めて。また、父親の過剰なクララへの愛情も気になる(気にしても遠い昔のことながら)。父親の猛反対を押し切りふたりは生涯を共にする。ロベルトの晩年の精神錯乱、そして精神病院での生活、そして死。その時、クララは36歳であった。その後、ヨハネス・ブラームスとの親交は色々な説があるのだけれど、私はクララのロマンティシズム溢れる人生を尊重したいので彼らの友愛説を思い描いてうっとりしている。ブラームスはクララよりも14歳年下でクララの死の翌年に死去している。1896年と1897年のドイツ世紀末。ドイツ・ロマン派の終焉とも言われている。クララの夫ロベルトへの献身さ、子供たちの母としても。また、ブラームスのクララへの献身さ(彼は生涯独身を貫いている)などを想い、人生の浮き沈みは誰にでもある。いくら天才的な才能を得た者たちでさえ。クララはあまり体の丈夫なお方ではなかったというけれど、76年余を生きた。そこには支えとなる愛する者たちと彼女自身の強い信念をも感じてならない。
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何故に、私がクララ・シューマンに強い思い入れがあるかというと、あまりにも単純なこと。大好きなナスターシャ・キンスキーがクララ・シューマン役を演じた『哀愁のトロイメライ クララ・シューマン物語』のクララが重なって焼き付いているからというミーハーな理由。けれど、またしても映画から一人の実在の女性音楽家について知りたいという思いを抱くことが出来、こうしてつらつらと。また、映画のことも此方に綴りたいと想います♪
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by claranomori | 2009-03-24 21:16 | 19世紀★憂愁のロマンと美
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★映画と文学が好きで、19世紀(殊に末期)になにか心惹かれ、遥かなる夢を馳せる傾向は相変わらず変わらない。”ガヴァネス”(女性家庭教師)と呼ばれる女性たちがヴィクトリア朝時代にかなりの人口増加した。男女の比率のバランスが大きく崩れ、女性が余るかたちとなったこと。当時の英国のあるべき美しき女性像は家庭の中の良妻賢母という姿。そんな時代に結婚できず(せず)社会で”レディ”としての体面を保ちながら生きてゆく女性のお仕事は”ガヴァネス”しかなかったようだ。

『ガヴァネス ヴィクトリア時代の<余った女>たち』(著:川本静子)に書かれている事柄を参考にさせて頂くと、”フランス語、あるいはイタリア語などの外国語、絵画、音楽、基礎教育一般...”などの心得は必須。中流から上流階級の家庭の女性教師としてのお仕事。お給与は薄給。興味深いところでは、”容姿端麗なるガヴァネス”は敬遠されたこと。まあ、そうだろうと想像はつくけれど。私が最初に知ったガヴァネスはおそらくシャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』だと想う。以前に『ジェイン・エア』のことを少し綴ったことがあったけれど、まだまだ追記したいことはいっぱい。そして、まだまだ読んだり観たりも継続中。中にはやはり同性愛者のガヴァネスもいたというのも何の不思議もないけれど、当時認知されるものではなかった。

ガヴァネスとしての女性は自身が”レディ”でなければならない。けれど、雇い主と対等ではなく冷遇な立場、ガヴァネスの虚栄心を傷つけることにもなり、彼女たちのなかには精神の均衡を失い、精神病院へ送られる者も多かったという。

ガヴァネスは、天と地の間に宙づりになっているマホメットの墓のように、身分の高い者と低い者との間に宙づりになっている。前者の七光りをいくらか受けているだろうが、どちら側の楽しみも享受していない。

ガヴァネスは親戚でもなく、客でもなく、女主人でもなく、召使でもない ― だが、そのすべてが入り混じったものなのだ。


このような状況だったようだ。ヴィクトリア朝時代のガヴァネス、あるいは大量の未婚女性が存在した事実は、それまでとは異なる社会現象。ガヴァネスの養成学校の多くの女性たちがすべて職を得たはずもないだろうに。
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by claranomori | 2009-03-23 20:17 | 19世紀★憂愁のロマンと美
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ダイアン・キートンが好きなので彼女に関する映画は機会があれば鑑賞している。そんな中で知った作品『ワイルドフラワー』はテレビ映画として製作された1991年のもの。ダイアン・キートンは出演していなくて監督。真っ赤なバラのお花が香るような美しい映像。撮影はヤヌス・カミンスキー(ホリー・ハンターのご主人でもある)。原作は『アリス』。主人公の少女アリス(パトリシア・アークエット)は重度の難聴で発作も起こる不治の病。母親エイダ(スーザン・ブレイクリー)は夫に先立たれ娘と生活してゆくためにガスリーという乱暴な男性と暮らしている。兎に角このガスリーは凶暴で大嫌い!母親の立場や気持ちは分かるし娘との絆も深い。ただこの継父ガスリーは少女アリスを厄介者扱い。驚くべきことにアリスはボロボロの納屋に住んでいる。近所に住む兄妹がアリスの存在を知り友情を育んでゆく。この妹役のエリー(リース・ウィザースプーン)の魅力もいっぱい。この作品がリース・ウィザースプーンのデビュー作(『マン・イン・ザ・ムーン』と同年。こちらも好きな映画なのでまた♪)らしい。
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体中汚れて納屋に住むアリスは外の世界を知らない。学校へも行かせてもらえず言葉も知らないことだらけ。正確な設定は分からないけれど10代後半頃の少女のようだ。優しい兄妹と過ごす中、初めて草花の香りを知る。本も初めて見るもので詩の美しさを知る。まるで赤ちゃんのように無垢なアリス。最初はこっそりアリスに会いに行っていたふたりを叱る父ジャック(ボー・ブリッジス)もアリスを自分の家に住ませることにする。町のお医者さんもおばあさんも優しい。際立つ凶暴な継父の存在。何故母エイダは我が娘を納屋に住ませているのか...と疑問に思いながら観ていた。凶暴な継父と一緒よりも安全だからだった。エイダもアリスもこの乱暴者にしょっちゅう殴られている。継父は何もアリスに教えようともしない。アリスはようやく”愛”というものを知ったのだ。ジャック一家と触れ合う中で。泥だらけの少女は見違えるように美しくなった(本来の美しさだけれど)。そして、年頃のサミーとアリスは次第に友情から恋が芽生え始める。サミーの大学行きなど色々みんなが上手くは行かないけれど、クリスマスの感謝祭での町のパーティーを外から眺める母エイダの表情。そこに台詞はないけれど、その表情が如何に娘を愛しているのかが伝わる。女二人で生きてゆくのは困難なことだろう。難病の娘と一緒でもある。ジャック一家に住むアリスは新しい家族が出来た。けれど、母は一人!また、ジャックも妻に先立たれているので、ジャック家には母親がいない。まだ14.15歳であろうエリーはママが恋しい...。そんな其々の立場や思いを感じながら観ていた。匂い立つような赤いバラや木々などの自然と心優しき人々の姿は美しい。映像もとても綺麗。名女優ダイアン・キートンはやはり凄い!しかし、リース・ウィザースプーンの演じる少女エリーの存在が最も私には印象強く残っている。少女期の真っ直ぐな姿は大好き☆
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ワイルドフラワー/WILDFLOWER
    1991年・アメリカ映画
監督:ダイアン・キートン 原作・脚本:サラ・フラニガン 撮影:ヤヌス・カミンスキー 出演:パトリシア・アークエット、リース・ウィザースプーン、ウィリアム・マクナマラ、ボー・ブリッジス、スーザン・ブレイクリー
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by claranomori | 2009-03-17 10:55 | 銀幕の少女たち・少女映画
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主人公の少女スーシー(アンナ・リンデーン)は15歳。幼い頃に父親とは死別。母親はアルコール中毒。スーシーは子供の頃から里親から里親へ。親から愛されたことのない少女。愛をもっとも求めているのだけれど、愛されたことのない少女にはその受け入れ方も分からないのだろう...。このカイ・ポラック監督の『ラブミー』をとっても久しぶりに観返した。とても響いた。少女スーシーの傷ついた心や繊細さ。そして、義父なる存在との関係。これは度々映画や小説を読んでいても出てくる”ロリータ”というキーワード。そして、安易に”ロリータ映画”と括る、あるいは呼ぶことも好きじゃない。こういう疑問がいつも付き纏い頭と心が混乱するのは何故だろう。

初めて観た時は私もずっと若く、正直後味は良くない印象の映画だった。両親の愛をいっぱい頂いて育ったと思える私には少女スーシーの心の孤独さを感じることなどできなかったのだろう。逆にこのスーシーに対して不快な気持ちも抱いていたのかもしれない。なのに今回で3回目の鑑賞...何かが突き刺さったままだからかな。実の母親のアルコール中毒症はかなりの重度のよう。それでもそのママを愛しているスーシー。けれど、里親を転々としている。いまだに馴染む”家”が見つからずにいる。一番欲しいであろう”愛”と”家”。15歳のスーシーの新しい里親グンナー(トーマス・ラウスティオラ)とマルタ(レーナ・グラーンハーゲン)。殊にマルタはこの少女を我が娘のようにと望んでいる。彼女を助けようと精一杯の姿に心打たれる!他人でもこのような”愛”を持って接することのできる人はいる。人間の尊く美しい姿をマルタに見る。グンナー一家には18歳の少年トーマス(トーマス・フリュク)と幼い娘アン(イェニー・カイ・ラーセン)がいる。彼等はスーシーを優しく歓迎する。けれど、その初日から問題だらけ。スーシーは彼らの優しさが分からない。利発な少女なので頭では分かっているし感じてもいる。けれど、その優しさの受け入れ方を知らない。とても可哀想。苛立ちは乱暴な行動をとったり家出を繰り返したり。でも、時折とても美しい表情を見せる。幼いアンと一緒にピアノを弾く場面が好き。この小さな少女アンもとても可愛い。トーマスはスーシーに恋をするけれどまだ若い。15歳のスーシーは初めて純粋な恋をするかに見えたけれど、そうも行かない。義父を誘惑したりもするあたりの心を想う...。

でも、ようやく”家”を見つけたかのようだった。”長い道のりだった”という。15歳の少女が”長い道のり”と自覚するのだ。どんなに辛いこれまでだっただろう。でも、この先の方がずっと長い道のり。その後、スーシーがどのように成長し過ごしたのかは分からないけれど、最後に映るスーシーの立ち姿は美しく、表情には微笑みが見られた。そして、ピアノを弾くスーシーを見つめるアン。スーシーを渾身の力と強い愛で受け入れようとするマルタ。複雑ながらスーシーを放したくはないグンナーとトーマス。穏やかなグンナー一家を破壊しそうなスーシーだったけれど、彼等は彼女を愛している。そして、その微笑みと同じように今までとは違う新しい人生への光のようなものを残して映画は終わる。澄んだ北欧の景色と深い余韻を残して☆
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ラブミー/ALSKA MEJ
1986年・スウェーデン映画
監督・脚本:カイ・ポラック 撮影:ローランド・ステルネル 音楽:アラン・ペテション、グスタフ・マーラー 出演 アンナ・リンデーン、レーナ・グラーンハーゲン、トーマス・ラウスティオラ、トーマス・フリュク、イェニー・カイ・ラーセン
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by claranomori | 2009-03-15 11:59 | 銀幕の少女たち・少女映画
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スコット・マクギー&デヴィッド・シーゲル監督の『綴り字のシーズン』(2005年)は、宗教学者の大学教授ソール・ナウマン(リチャード・ギア)一家のお話。一見何不自由のない幸せな家庭、ナウマン一家。でも、それぞれに家族の誰にも言えない秘密の心があり、次第に均衡が崩れバラバラになろうとする。そのバラバラになったものをまた再生へと向かう優しい力に最後は泣いてしまった...。
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完璧過ぎる夫を愛しながらも、実は息が詰まりそうな日々の妻ミリアム(ジュリエット・ビノシュ)。二人には可愛い息子アーロンと娘イライザがいる。父は優秀な息子アーロンに愛情を注ぎ、アーロンもまた誇りに思う父であり尊敬していた。しかし、ある日娘イライザが学校でスペリング大会に優勝して帰ってきた。地区大会でも優勝。とんでもないスペリングの才能を持つ11歳の少女イライザ(フローラ・クロス)。彼女は”目を瞑ると文字が浮かんでくるの”と母に語る。そんな娘の才能を知り、父の愛情の傾きがイライザに大きくなってゆく。イライザは父に抱きしめられ会話する時間が増えとても嬉しい。それまで兄を羨ましく思っていたので。でも、今度は兄が心寂しくなる。何となく分かるなぁ~という感じ...。意外な展開だったのは、ミリアムには幼い頃に両親を失ったことでのトラウマが今も心に強くあった。そのことはソールも知らない。ミリアムには窃盗癖がありその発覚に驚くソール。全国大会が近づく中、家族がバラバラになってゆく。イライザはその様子を見ながら戸惑うけれど、全国大会優勝目前でワザと間違う終わりのシーン、スペルは折り紙《origami》だった。崩れそうな家族の絆を結びつける役目となるこの少女。ミリアムも盗んだ破片たちで形にしていくという秘密の場所、それは心でもあるので、何となく普通の主婦のようで謎めいた役、次第に人格が破綻してゆくミリアムをビノシュは流石に上手く演じていたと思う。
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知らない単語が出てきてもイメージして答える大会。ただの暗記大会ではないので新鮮な感じ。映画初出演となるイライザ役のフローラ・クロスは、パリ生まれのフランス人なので次はフランス映画でお会い出来るかも?台詞は多くはないのだけれど静かな大きな役柄を見事にこなしていた。髪どめのスタイルと大きな瞳、万華鏡を覗くシーンなど、とても可愛く印象強く今も残っている!※この下のお写真のフローラちゃんにキュンとなります!!大スターのリチャード・ギアの手を小さな両手でこの表情☆こんな可愛い少女を見ると心に栄養を頂けます♪
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綴り字のシーズン/BEE SEASON
    2005年・アメリカ映画
監督:スコット・マクギー、デヴィッド・シーゲル 原作:マイラ・ゴールドバーグ 脚本:ナオミ・フォナー・ギレンホール 撮影:ジャイルズ・ナットジェンズ 出演:リチャード・ギア、ジュリエット・ビノシュ、フローラ・クロス、マックス・ミンゲラ 

※2007年3月8日に綴ったものに画像を追加いたしました。この少女イライザ役のフローラ・クロスの愛らしさは今もしっかりと焼きついています!嘗てはあまり興味のなかったリチャード・ギアなのですが、実は結構作品を追っています。歳を重ねるごと素敵なお方で今では好きな男優さまとなりました。今年還暦ですね☆そして、ジュリエット・ビノシュも演技力のあるお方でオスカー女優さまでもあります。今年は関西では開催されず寂しいのですが、『フランス映画祭』の団長として来日です☆確定申告を終えたあと、風邪気味となりましたが、積もる一方のお仕事も頑張ってはおります。此方の『少女愛惜』に綴ったつもりでいたもの(『映画の宝石箱』に綴っていたもの)を此方へも記録しておきたいと思います。平行して新しい記事も更新してゆきます。いつもご覧頂いている皆様、ありがとうございます☆
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by claranomori | 2009-03-13 03:07 | 銀幕の少女たち・少女映画
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大好き!な映画で覚悟して数回観ている。2年程前にスペインの歴史に関するものを読んでいた時期がある。それは、この映画の影響もあり、以前からよく知らないスペイン内戦について知りたいと思ったから。何故なら、その事実を背景とする作品に好きな映画が色々あったこと、何故、ルイス・ブニュエル達は亡命していたのかとか...あまりにも無知だったので。そして、この世界最初の代理戦争の史実と深い傷跡に、予想以上に私は落ち込んだというか、暫くスペイン映画を観れないような気分になったものだ。

久しぶりに、この『蝶の舌』を観返し、やはりラスト・シーンで胸がいっぱいになるのだった。グレゴリオ先生役のフェルナンド・フェルナン・ゴメス(故人となられたのは寂しい)は『ミツバチのささやき』以上に私の中で焼きついている作品。素晴らしい!そして、喘息持ちの体の弱い8歳の少年モンチョ役のマヌエル・ロサノ君は2500人もの中から選ばれデビューした少年。何ともいえない愛らしさで初々しい。その兄や両親の存在感も充分。そして、音楽は監督でもあるアレハンドロ・アメナバルで原作はマヌエル・リバス。

”アテオ!アカ!”と共和派の連行される人たち(先生もいる)に人々は罵声を浴びせる。母親にモンチョも叫ぶように言われ、先生と目を合わせながら遠ざかる先生を追いかけ、石を拾い投げながら”ティロノリンコ!蝶の舌!”と叫び終わる。8歳の少年モンチョは新しい体制のことも今から始まる内戦のこともよく分からないはず。でも、先生とのお別れだということは感じていて、教えてもらった鳥の名と蝶の舌と叫ぶ。そう叫ぼうなんて考えてもいない、自然と少年の心が叫んだのだ。なので、私はその美しさにふるえ凍てつくような気持ちで涙する。
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ホセ・ルイス・クエルダ監督はこう語っていた。
「製作中、ルイ・マルの『ルシアンの青春』とロッセリーニの『ドイツ零年』がいつも私の心を離れなかった。『蝶の舌』は、気づかないほど穏やかな、絶え間ないクレッシェンドとでもいうべき構造になっているが、上映が終わったとき、ある時代の忘れることが許されない愚かな出来事について、観客の方々に何かを感じてもらえたらと思う。自尊心を潰され、汚名を負わされ、そしてその汚名に生涯に渡って苦しめられることになった”もうひとつの戦死者たち”・・・・・私は、原作者リバスを筆頭に、我々が彼らの威厳を復活させることに、少しでも貢献できたらと思っている。」

「『蝶の舌』は、少年モンチョが信頼する教師や新しい友人たちや家族らを通して、人生の現実に導かれる通過儀礼(イニシエーション)の物語である。愛とは何か、友情とは、貧富とは、自由とは、そして卑怯、自尊心、裏切りといったものを学んでいく。しかし、それは1936年の夏の訪れとともに突然終わりを告げる。」


監督のこれらのお言葉の後に私如きが何を言えようか!ただ、”上映が終わったとき、ある時代の忘れることが許されない愚かな出来事について、観客の方々に何かを感じてもらえたらと思う。”と仰るように私は何かを感じ受け取り考えることが出来たと思っているので、この映画に出会えたことを嬉しく思う☆(2007年6月30日に綴ったものに追記致しました♪)

蝶の舌/LA LENGUA DE LAS MARIPOSAS
       1999年・スペイン映画
監督:ホセ・ルイス・クエルダ 原作:マヌエル・リバス 脚本:ラファエル・アスコナ 撮影:ハビエル・G・サルモネス 音楽:アレハンドロ・アメナーバル 出演:フェルナンド・フェルナン・ゴメス、マヌエル・ロサノ、ウシア・ブランコ、ゴンサロ・ウリアルテ
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by claranomori | 2009-03-07 07:52 | 銀幕の美少年・少年映画
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ジェーン・カンピオン監督の1986年の長編第一作となる『ルイーズとケリー』。長編と言っても76分なのであまり長くはない。ジェーン・カンピオン監督は常に冷静に少女たちを描くお方だと思う。このふたりの少女ルイーズとケリーの高校入試時期から9ヶ月程の期間を時間を遡って描いてゆく。お話の始まりは同級生の少女のドラッグによる死から。対照的なふたりの少女は親友。けれど、この9ヶ月で環境も変わり心の距離も出てきた。ケリーとルイーズは正反対の部分が多いけれど似ているようでもある。ケリーの問題は先ず、継父と折が合わないことの不幸。難関校の入試に受かったふたりは歓喜する。その笑顔で終える。淡々と時間が巻き戻されてゆく中、観ている私の心は案外冷静だった。けれど、ラストの(最初の)ふたりが抱き合い喜ぶ笑顔と歓喜の声!その場面でグッと胸が詰まってしまったのか涙が出てきた。そんな余韻を残す淡い映画。
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好き嫌いの分かれるジェーン・カンピオン監督のようだ。この1986年の映画の公開は1997年なので、『ある貴婦人の肖像』の後。その前には『ピアノ・レッスン』がある。80年代的な髪型やファッション。特に印象深く残っているのはルイーズのスカートの丈。そして、15歳頃の少女たちの制服と初々しい脚かな。僅か9ヶ月の間にルイーズのワンピースの丈は長くなっている。母親はルイーズがこれからさらに成長することを知っているので少し余裕のある制服に決める。その時のルイーズの不機嫌さは私にはよく分かるものだった。15歳。個人差があれども子どものようで大人へと一歩ずつ...。そんな思春期の少女にはスカートの丈5センチや10センチはとても大きなこと。私も高校の制服を購入する際に母が少し大きめのものにした時を覚えている。なんだかかっこ悪い気がした。

同じ高校に進学出来たというのに、ケリーの継父はその学校が嫌いでケリーを違う高校へと決める。ふたりまだ先一緒に過ごせることを願い、それが叶ったというのに!気に入らない継父だった。でも、そういうこともあるのだろう。自分たちの意思では何ともならないことも。ケリーはよくルイーズのお家に遊びに来て泊まることも。お台所で一緒に歌いながら踊ったりする場面も好き!お互いボーイフレンドも出来手紙のやり取りは続いているけれど、嘗てのような感情ではない。その先は分からないけれど、そんな年頃の少女の姿を描いた作品。ケリーがルイーズに宛てた手紙の一部より♪

”汝の心の欲するままに”
今日入試の結果が分かる
待ちきれない
落ちてたら自殺するわ
どっちか落ちたら二人とも
行かない約束
四年間も一人なんてイヤよ
誤字だらけね
減点されるかな?
合格したら同じクラス?
心配ごとがいっぱい
おまじないするわ
このペンもだめ
手紙を書き始めて8本目よ
ピザ屋でもらったの
去年みんなで行ったお店よ


※ルイーズ役のエマ・コールズはこの映画が初出演のようで、黒い髪のショートカット。でも本来はブロンドの長い髪の少女だったそうだ、当時14歳。また、ケリー役のクリス・ビデンコは今も女優の道を続けていて、ジェーン・カンピオン監督の1984年の短編映画である『AFTER HOURS』にも出演しているそうだけれど未見。いつか観てみたい☆

ルイーズとケリー/TWO FRIENDS
  1986年・オーストラリア映画
監督:ジェーン・カンピオン 製作:ジャン・チャップマン 脚本:ヘレン・ガーナー 撮影:ジュリアン・ペニー 音楽:マーティン・アーマイガー 出演:エマ・コールズ、クリス・ビデンコ、クリス・マッケイド
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by claranomori | 2009-03-06 23:44 | 銀幕の少女たち・少女映画
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ジョディ・フォスターの初主演映画(ナポレオン役のジョニー・ウィッテカーも主演)の『ナポレオンとサマンサ(ジョデイ・フォスターのライオン物語)』を観た折の感想(2005年当時)。まだ10歳(撮影当時9歳頃)の可愛いジョディ!思わず、この頃からあの涼しげな表情なので嬉しくて「可愛い~可愛い~』って言いながら観ていた。一人で観ているのに思わず声を出してしまう事がある。とにかくあのクールな目は今も変わらない。
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原題のように、ナポレオンという少年とサマンサという少女の冒険物語。この少年役の方の事は全く知らないけれど(ジョディも共演した『トム・ソーヤの冒険』があるけれど未見)、柔らかい鮮やかなブロンドのソフトカーリー・ヘアーとそばかすが印象的だった。そして、忘れてはならない雄のライオン!少佐という名のナポレオンが飼っている元サーカス団にいたライオン。私は子供の頃から動物園に行くと何よりも先にライオンが見たくて走って行ったものだ。それも鬣のある雄のライオンが大好きなのだ。この少佐が活躍する場面もあるので嬉しかった。

この映画はウォルト・ディズニー製作もの。ジョディ・フォスターが有名になったのでこの様な邦題が付けられたのだろう。途中からダニーという青年が登場。マイケル・ダグラスで、凄くお若い。私はあまり興味はないけれど爽やかな好青年役だった(お父様のカーク・ダグラスの方が好き!)。
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ナポレオンは祖父と少佐と暮らしていたけれど、祖父の死が訪れ孤児院に預けられる事を避ける為に、友人のサマンサと相談して、祖父の死を隠す事に。死体を山に埋めたりする(ちょっと、後の『白い家の少女』を連想してしまった)のだけれど、村の人々は姿を見ないので不信に思い始める。そこで、二人はダニーの住む家までの冒険の旅に出るのだ。その道中、幼い二人には危険や困難な事が起こる。それでも、めげずに到着する。少佐に乗ったり、尻尾を持って歩いたり、とにかく百獣の王ライオンが本物なので、ドキドキしたりワクワクしながら観ていた。

最後は結局、警察や大人の人達によって保護されるのだけれど、それまでの子供ならではの発想や真剣さはとても愛らしく思え、大人になるにつれ忘れてしまう事、耐えなくてはならない事...そんな事をライオンと一緒の冒険として描いているので、子供の頃にも観ていたかったな。

少女ジョディの愛らしさと格好いいライオン!それにしても、天才子役と讃えられオスカー女優で監督もされるまだまだお若いジョディ。レズビアン宣言をしパリの街を女性と子供を連れ闊歩するジョディ。あの涼しい眼差しと意志の強さを感じる歩き方は生まれつきなのだ。IQもとんでもない高さだというし凄いお方だ。この稀なる女優さまは今も私のミューズのおひとり♪
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ジョディ・フォスターのライオン物語/NAPOLEON AND SAMANTHA  1972年・アメリカ映画 
監督:バーナード・マキヴィーティ 撮影:モンロー・P・アスキンス 音楽:バディ・ベイカー 出演:ジョディ・フォスター、ジョニー・ウィッテカー、マイケル・ダグラス、セレステ・ホルム、ウォーレン・オーツ
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by claranomori | 2009-03-05 23:13 | 銀幕の少女たち・少女映画