あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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<   2009年 02月 ( 17 )   > この月の画像一覧

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★フランスの作家ミシェル・トゥルニエの『海辺のフィアンセ』という短編集の中に、『ルイス・キャロルのエロチシズム』がある。その他にも好きなお話があるけれど。以前、オルセー美術館を訪れた折の夢のような時間を忘れはしない。何も調べずに行ったのだけれど、『英国展』を開催していて、ラファエル前派の作品も多く観賞できた。また2階の小部屋では「ルイス・キャロルの写真展」が。小さなその暗室には少女たちのお写真ばかり♪

ミシェル・トゥルニエは語る。

奇妙な独身者の情念がこのように溢れ出るためには、ヴィクトリア朝のイギリスのすさまじいばかりのお上品ぶりが必要だったのだ。私たちの、いわゆる自由放任な社会では、このような場合、確実にごうごうたる非難が沸き起こることだろう。しかし、そうだとしたら、間違っているのはこの社会の方だ。なぜならルイス・キャロルの少女たちにたいする愛は、言うまでもなく厳格にプラトニックなものであったし、そうでしかありようがなかったのだから。

エロチシズムだって?たしかに。それは最高のエロチシズムなのだ。一人の天才の人生のすべてを巻き込み、崇高な作品へと結晶する愛としてのエロチシズム、情念としてのエロチシズム、情愛としてのエロチシズム。


☆私はこのミシェル・トゥルニエの言葉を愉しい面持ちで読む。けれど、ある人はこの”エロチシズム”という言葉、または少女たちを写真に撮るルイス・キャロルを邪な色眼鏡で見るお方もいるだろう。100%と言っていい程、少女たちの存在がルイス・キャロルの純粋なる心、人生に必要不可欠なものだったのだと私は信じる。おこがましいけれど、そのお気持ちが分かるようであるから♪
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by claranomori | 2009-02-26 23:12 | 少女愛考・少年愛好
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ジョセフ・ロージー監督のデビュー作である『緑色の髪の少年』(1949年)。60年も前の古い映画ながら色褪せない名作だと思う。私はジョセフ・ロージー監督は好きな監督を挙げると2番目か3番目には出てくる大好きなお方。この『緑色の髪の少年』を初めて観たのはずっと後で、英国人だとばかり思っていた。けれど、このデビュー作はアメリカ映画で、後に監督は”赤狩り”のためにイギリスに亡命したのだと知る。そんなことも想いながら観返すとさらに深い作品に感じるようになった。

ロンドンで暮らす裕福な少年ピーター君の丸坊主頭の姿から映画は始まる。児童心理学者のエバンズ博士との対話による回想...。クリスマスには大きな彩られたツリーがお部屋にあり、プレゼントに犬とおもちゃを貰ったと。そんな幸せな時間は短く、幼くして両親を戦争で亡くす。けれど、親戚の人々はまだ幼い少年にその事実を知らせることはできない。両親は外国に旅行に行っていると思うようにしていたようだ。子供心に両親が死んでしまったのだと感じていたけれど、まさか戦争で!とは思っていなかった。親戚中をたらい回しにされた挙句、優しいおじいさん(パット・オブライエン)と暮らすようになり、新しい学校へも通う。ある日、授業でドイツの戦争孤児たちの写真を見ることに。すると、級友が”君も戦災孤児だよ”と告げ喧嘩になる。両親は子供たちを救うために戦死したのだけれど、ピーター君には”他の子供を助けて、僕を捨てた”と思ったりする。町中で大人たちは戦争のお話ばかり。おじいさんは夜はお仕事で留守がちでピーター君は暗い夜を一人で過ごす日々。ベッドの横にはいつもバットを置いて...こんな状況で繊細で真心のある少年の心はどんなに恐怖だっただろう。

おじいさんの”明るいときには見えない、暗闇には見えるものがある”という言葉を信じて眠る。そんなピーター君は次第に夜の暗さが平気になってゆくけれど、多感な少年時代の想像力は豊かに働くのだろう。お風呂で髪を洗った後、髪が緑色になっていた。おじいさんと病院へ行くけれど、身体に異常はないという。例のないことだと。けれど、級友たちにはからかわれ、牛乳やお水のせいではないかと牛乳屋さんのおじさんも困ってしまう。本人が一番元の髪に戻りたいのに大人たちは髪を剃れば元に戻ると言って床屋さんで坊主頭にされてしまう。ピーター少年の幻想の世界。森の中であの授業で見た戦争孤児の少年少女たちに出会う。彼らはピーター君の緑の髪は”春の色、希望の色”だと言う。”戦争は子供を不幸にする”とも。そして、町の人々に戦争で地球が滅びること、愚かなことを告げて回る場面。軽やかな歌と綺麗な色彩の映像はとてもファンタジック。幻想的でメルヘン的とさえ感じるユニークな作風。ジョセフ・ロージー監督の秀逸な反戦映画!バーバラ・ヘイル扮する美人で優しい先生の存在も欠かせない☆
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緑色の髪の少年/THE BOY WITH GREEN HAIR
         1949年・アメリカ映画
監督:ジョセフ・ロージー 原作:ベッツィ・ビートン 脚本:ベン・バーズマン、アルフレッド・ルイス・レヴィット 撮影:ジョージ・バーンズ 音楽:リー・ハーライン 出演:ディーン・ストックウェル、パット・オブライエン、バーバラ・ヘイル、ロバート・ライアン、ドウェイン・ヒックマン
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by claranomori | 2009-02-24 21:05 | 銀幕の美少年・少年映画
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先述のクリスチナ・ロセッティとの縁の深い英国画家アーサー・ヒューズ(Arthur Hughes:1832~1915)のことを追記しておこうと思う。好きな作品は多いのだけれど、少女や少年たちとその家族を描いた作品もアーサー・ヒューズの魅力のひとつ。けれど、暗い色調の作品たちは”陰気である”とか”不愉快である”などとあまり評価されなかったものもある。”デッサンが下手”と批評されたりもしたそうだ。2つの目の作品は『誕生日のピクニック』と題されたもので、左から二人目の葉の冠を載せた少年ノーマン・パーシー・パティソン君の5歳のお誕生日を記念してアーサー・ヒューズが描いたもの。とても優しく抒情的で美しい。一番上の可愛い少女ふたりは『マージョリーとラティーシャ』という姉妹のよう。一番下は『Lost Child』という紫暗色なやや不気味な作品もあるけれど、気になる!これらの古い絵画の中の子供たちと家族を見つめるのが好き。多分それらから想像される物語性のようなもの。そんなロマンティシズムが心地良いのだろう♪
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by claranomori | 2009-02-22 21:45 | 絵画の中の少女・女性たち
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月が空から、 おりて来て
ずっとお話、 していたら
どんなお話、 もってきて
どんなお話、 するかしら

「百もの、きれいなものを見た
百もの、楽しいものを見た
だけど、夜しか出ないから
昼間のことは、分からない!」


★1872年に出版されたクリスティーナ・ロセッティ(Christina Rossetti:1830~1894)の童謡集『シング・ソング』より。ヴィクトリア朝時代の英国詩人であるクリスチナ・ロセッティの詩が好きなのだけれど(暗鬱かつ静寂なものが特に好きなので、またそのうちにと思う)、この『シング・ソング』は少し異色に思う。英国でこの『シング・ソング』が書評で取り上げられた時には、ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』と並んで批評されたそうだ。当時の英国児童文学ではナンセンス・ブック人気が高まっていた頃で、この『シング・ソング』にもいくつかのナンセンス詩が含まれている。クリスチナの兄であるダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti:1828~1882)の友人のひとりであったルイス・キャロルことチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン(Charles Lutwidge Dodgson:1832~1898)。ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティが住んでいた「チューダー・ハウス」と呼ばれる古い邸宅で飼われていた多くの動物たち。その中のウォンバットは『不思議の国のアリス』のドーマウスのモデルとなったともいわれている。この『シング・ソング』の挿絵を担当しているのは「オフィーリア」や「四月の恋」が浮かぶ優美な画家アーサー・ヒューズ(Arthur Hughes:1832~1915)!。ラファエル前派大好きな私。世界中の19世紀末好きの私は、そんな時代の英国にしばし夢を馳せ、興味深い方々の交流を思い浮かべ心が悦ぶ。けれど、次の瞬間には愕然とする...でも、その束の間の夢と現実の往来を楽しんでいるようでもある♪

※詩と挿絵の頁は同じではないのですが、この挿絵が好きなので掲載させて頂きました。
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by claranomori | 2009-02-21 09:35 | 童話・絵本・挿絵画家
コートニー・ラブ(Courtney Love)のロックバンドHOLEの2ndアルバムの裏ジャケットに写るこのお写真。大ヒットしたアルバムであり私も好き。発売当時からこのお写真を見ては何かやるせない思いを抱き、時には泣いてしまうこともある。今日は大丈夫そうなので。この少女時代のコートニー・ラブはいくつくらいだろう...10歳前後のように感じる。また、このお写真を撮ったお方はおそらく2人目か3人目の義父ではないだろうか...とまったく私はコートニーについて詳しくないけれど勝手な妄想。女優としても活躍し始めた頃だったと思う。その時期はマドンナと論争のようなことをしていたようだった。何かの雑誌でコートニーがマドンナを批判する発言などを読んだ時に、コートニーの実の父親はグレイトフル・デッドのローディーのような事をされていて、一緒にいる時間はなかったようだと知った。後に、コートニーの母親は幾度か結婚離婚を繰り返し、コートニーがまだ小学生の頃にはその母親からも離れて施設生活をして育った少女だと知った。真実は分からないけれど、不遇な少女時代、愛に餓えたまま大人になっていったのではないか...と思うようになった。一時期、ライオット・ガールズというような表現がされていた女性ロックバンドの方々。その中にはベイブズ・イン・トイランドやL7のメンバーもいて、コートニーも彼女達との交流を経てホール結成に至っている。いつも気になること、ベイブズ・イン・トイランドもホールにもお人形が存在する。けれど、破壊されているのだ...私はお人形を抱きしめる方なので投げたり傷めるようなことはしたくない。でも、人それぞれの愛し方があるし存在理由があるだろうと思う。何故、彼女たちはお人形を破壊するのに必要とするのだろう。好きだからだと思う。また、何かしらその気持ちの中には少女時代の思い出と繋がるものがあるように感じる。
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このお写真のコートニーはどこかはにかんだような愛らしい微笑みを浮かべ可愛らしい。けれど、なにか悲しい。小学生の頃、記憶では4年生頃から挨拶を交わすようになった同い年の少女がいた。一緒に遊んだことは一度もないけれど、”おはよう”とか”バイバイ”とか。中学生になって前年度の担任だった女の先生は体育の教師で素敵なお方だった。独身だと仰っていて映画がお好きだというので私はその先生の言葉をいつも必死で聞いていた。翌年は担任ではなくなったけれど、体育の時間はその先生。その先生がその時担任だったクラスにその小学生の頃から挨拶だけする少女がいた。このコートニーを見るとその彼女を思い出す。似ているのではないけれど、少し寂しそうで、少し怖い。その少女の家庭も複雑だと耳にはしていた。けれど、人の噂なのでどこまで本当かは知らないけれど聞いていると怖くなるお話だった。その少女は次第に登校拒否をし始めた。義務教育なので担任の先生は遠いのにそのお家まで迎えに行かれたりしていた。でも、先生も毎日迎えに行く事は無理だった。そこで、どういう経緯かは分からないけれど、私が待ち合わせて一緒に学校に行く役目を受けた。待ち合わせられる方向であり小学生の頃から知っている人は他にも何人もいたけれど、何故か私が。中学までは1キロ程あり遠かった。でも、一緒に学校に向かいながら笑ったりしてくれた。でも、何をお話していたのか思い出せない。きっと私はジョン・レノンやデヴィッド・ボウイに夢中になり始めた頃でそんなお話を一人で喋っていたのかもしれない。ところが、待ってもその時間に来ないようになり私は一人で走って学校に行く日が増えた。少し遅刻しても許される理由があったのだけれど、私は一人で走って行くのが嫌だった。遅れて教室に入り注目を浴びるのも嫌だった。心の中で彼女に対して苛立ちも覚えた。事情を先生が私の母に伝えていたので母が時間を見ては、”もう行きなさい。”と。私はもう少し早い時間に待ち合わせて一緒に学校に行くお友達がいた。本当は彼女たちと一緒に登校したかった。でも、今も幾度か見せてくれた笑顔と笑い声、あの時の、その少女を忘れてはいない。とうとう、その少女は卒業をせずに学校にまったく来なくなった。その後のことも何も知らない。彼女のことも何も知らないまま。噂も少しはそうだろうと感じる複雑な家族。でも、あの笑った顔はそんな噂が飛んでしまうものだった。もう少し、忍耐強く私が待っていてあげれたなら...ともっと後に思うようになったけれど、すっかり遅すぎた。子供時代の想い出は大人になっても忘れられずに心の何処かにあるらしい。

※今日は大丈夫そう...と思って一気に綴ってみたけれど、やはり涙が止まらなくなってしまった。何故だろう。このお洋服の着方や漂う孤独さのようなものからかどうしてもあの少女を思い出す。そしてあの時の私。
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by claranomori | 2009-02-18 22:32 | 写真の中の少女・夢の時間
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ジェシカ・ハーパーという女優さまを初めて知ったのは、ダリオ・アルジェント監督の『サスペリア』(1977年)だった。ところが、怖くて怖くて観返す勇気もいまだになく、ハッキリとお話を思い出せない。直視できない場面が多くとにかく怖かった。けれど、ゴブリンの音楽や、バレエ学校の少女たちやジェシカ・ハーパー扮するスージーのお顔は今も浮かぶ。そして、後に観た、ブライアン・デ・パルマ監督の『ファントム・オブ・パラダイス』(1974年)のフェニックス役のジェシカ・ハーパー。こちらはホラー映画ではなく音楽映画とも言えそうな楽しい作品だった。大筋は覚えているけれど、やはりこの作品でも可憐なフェニックスの姿がしっかり焼きついている。
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ダリオ・アルジェントとブライアン・デ・パルマ!一時はいくつもの作品がごちゃごちゃと絡まりながら記憶されていたものだ。たとえば、大好きなシシー・スペイセク主演の『キャリー』やマーゴット・キダー主演の『悪魔のシスター』、または、アーシア・アルジェント主演の『トラウマ 鮮血の叫び』...などなど。私は鮮血ホラーがとっても怖くて苦手なのに、それでもヒロイン(少女)役のお方が美少女だったり病的な美しさを漂わせていたりするので彼女たちが見たい...という大きな目的ゆえに観る。シシー・スペイセクを筆頭に、10代の少女役を実年齢はもっと大人なのにすんなり演じてみせる女優さまたちがおられる。このジェシカ・ハーパーも、フェニックス役、スージー役共に20代であるけれど、印象は少女役のヒロイン!華奢な体型というのも大きいのだろうけれど、本来持ち合わせている魅力と演技力や描き方などから、そのような印象を強く受けるのだと思う。
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ファントム・オブ・パラダイス/PHANTOM OF THE PARADISE
           1974年・アメリカ映画
監督・脚本:ブライアン・デ・パルマ  撮影:ラリー・パイザー 美術:ジャック・フィスク 音楽:ポール・ウィリアムズ、ジョージ・アリソン・ティプトン 出演:ポール・ウィリアムズ、ウィリアム・フィンレイ、ジェシカ・ハーパー、ジョージ・メモリー、ゲリット・グレアム

サスペリア/SUSPIRIA
 1977年・イタリア映画
監督・脚本・音楽:ダリオ・アルジェント 撮影:ルチアーノ・トヴォリ 音楽:ゴブリン 出演:ジェシカ・ハーパー、アリダ・ヴァリ、ジョーン・ベネット、ステファニア・カッシーニ、ウド・キア、ミゲル・ボゼ

★『ファントム・オブ・パラダイス』の美術担当はジャック・フィスクだったのだ!と今知ったところ。ジャック・フィスクはシシー・スペイセクのご主人である。こうした発見や繋がりを想うとこれまた愉しい♪
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by claranomori | 2009-02-16 23:23 | 銀幕の少女たち・少女映画
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★心身は乱調なり。故に美に耽る。ああ!美しいとわが心は微笑む・・・”やさしくも深き心のなごやかさ”とヴェルレーヌはうたう♪
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by claranomori | 2009-02-13 23:58 | 歎賞★愛するが故に沈黙す
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1976年に発表された詩人シルヴィア・プラス(SYLVIA PLATH)の『おやすみ、おやすみ』(原題は『THE BED BOOK』)は、子供向けに作られた愛らしいもの。日本にいつ入ってきた(翻訳された)のかは知らないけれど、大好きなシルヴィア・プラスの詩集を先に知り、こんな素敵な絵本もあるのだ!と嬉しくなった。ベッドばかりのご本で、枕はパン、ベッドの頭には備えつけの自動販売機、それもコインは要らない。犬とネコとインコが泥だらけの足でダンスしても、誰も文句は言わないシミばっかりのベッド...とユーモアと空想の世界でふわふわ。そして、この絵本の挿絵はクェンティン・ブレイク。シルヴィア・プラスと同じ年の1932年生まれの英国のお方。ロアルド・ダールの本の挿絵も有名で何冊か出ている。また、訳は長田弘!このお方も詩人である。同じ「みすず書房」より出版されている『一日の終わりの詩集』の中のことばと結びつく。

ひとは死ぬ。
赤ん坊が生まれる。
ひとの歴史は、それだけだ。
そうやって、この百年が過ぎてゆくのだ。

何事もなかったように。


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★自らの命を断ってしまった詩人。シルヴィア・プラスは今は永眠されているけれど、生きていた時はよく眠れなかった日も多かったのだろうか...。深読みばかりしては良くないけれど、絵本を読んで泣くこともある私。子供のための絵本は、大人になった私にも今も大切な世界だと想う。可愛い、愛らしいものばかりでもない。幻想文学へと誘う世界でもある、なんとも愉快で奇妙なファンタジーの世界。けれど、決して!オーブンに頭を突っ込まないように...と自分に言う私。そして、映画『ロンリー・ハート』での姉妹シシー・スペイセクとジェシカ・ラングの場面が付随する...やはり、私の頭の中は少し奇天烈ナリ☆
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by claranomori | 2009-02-12 23:11 | 童話・絵本・挿絵画家
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エミール・ゾラ(Emile Zola:1840年~1902年)は自然主義文学の代表的なお方。1871年から実証的実験手法を小説に取り入れた『ルーゴン・マッカール叢書』を発表し始める。けれど、当初の予定の10巻は、書き進むにつれ全20巻となり、費やした年月は20年以上。この大叢書の副題は「第二帝政下における一家族の自然的、社会的歴史」。私は映画をあれこれと観ているうちに知らず知らずにエミール・ゾラというフランス文学の作品に出会うことになった。やはり代表作『居酒屋』は今でも原作も映画も好きなもの。ゾラの『居酒屋』の原題は『L'ASSOMMOIR』。映画の方は、健気ながら転落の末路に向う主人公の女性の名ジェルヴェーズ『GERVAISE』となっている。”ASSOMMOIR”とは元来は人や動物を叩きつける棍棒の意味を持ち、それが転じて、きつい安酒で人を泥酔させる酒場を意味するのだそうだ(1992年頃、今と違って時間があったので通信教育でフランス文学を受講していたことがある。その時に教えて頂いた)。

マリア・シェルを初めて知った映画はこの『居酒屋』が先か『女の一生』が先だったのか...よく覚えていないけれど似た時期に知り得たことを幸運に思う。そして、ルキノ・ヴィスコンティの『白夜』、デヴィッド・ボウイのお母様役の『ジャスト・ア・ジゴロ』はシドニー・ローム(アラン・ドロンとの共演作『個人生活』で知った女優さま)、キム・ノヴァク、マレーネ・ディートリッヒとの共演作。弟のマクシミリアン・シェルと共演した『オデッサ・ファイル』、ドストエフスキーの『カラマゾフの兄弟』、ロミー・シュナイダー、ミシェル・ピコリ、マチュー・カリエール、ヘルムート・グリーム達との『サン・スーシの女』、超豪華オールキャストでの『さすらいの航海』...マリア・シェルは年老いても脇役でも、ヨーロッパ映画でもハリウッド映画でも、マリア・シェルのシーンを刻んだお方だと思っている。美しく演技力もある本物のアクトレス。美しい容姿だけではなく、あのブルー・グリーンな瞳や表情豊かな演技に魅了されてきたように思う。それにしても、お若い頃の主演作、代表作にはなんと耐える健気な女性を数多く演じているのだろう!どんな境遇でも哀しみと希望をも忘れないあの笑顔は美しすぎる。ところが、『居酒屋』のラストは目も虚ろな酒浸りのジェルヴェーズの姿が残る。ここでは、もう希望はない。でも、少し大きくなった娘ナナはリボンを首元に付け颯爽と男の子たちのもとに駆けてゆく...『ナナ』(『女優ナナ』や『娼婦ナナ』)へと続くことを示唆している。この少女は『シベールの日曜日』名子役☆パトリシア・ゴッジの実の姉のシャンタル・ゴッジ。また、長男のエチエンヌは後に『ジェルミナール』の炭坑労働者の物語の主人公として登場する。その他ゾラの原作が映画化されたものを幾つか観ているのだけれど、やはり『居酒屋』が強烈に残っているしまた観たいとも想う。

この映画『居酒屋』の監督はルネ・クレマン。徹底したリアリズムというのだろうか、細かい部分まで当時の労働者階級の人々の生活を表現しているのだと思う。マリア・シェルはどう考えてもとんでもなく素晴らしい!映画の中で食卓でのお食事の場面などが好きなようで、よく観た後、お腹が空いた気がして同じものを食べたくなったりする。ここでも、晩餐会のシーンは秀逸で、がちょうのお肉を食べるシーンがあるのだけれど、それぞれ食べ方が違う。滅多に食べることのできないご馳走なのだ。晩餐会の主役であるジェルヴェーズは笑顔でそのお肉を貪るように食べる...生き生きと伝わるものがある。ナイフとフォークもテーブルにはあるけれど使わない。自然主義文学の原作を見事に映像化した名作。いつまでも心に残る映画☆

居酒屋:GERVAISE
1956年・フランス映画
監督:ルネ・クレマン 原作:エミール・ゾラ 撮影:ロベール・ジュイヤール 音楽:ジョルジュ・オーリック 出演:マリア・シェル、フランソワ・ペリエ、アルマン・メストラル、ジャック・アルダン、シュジー・ドレール、ジャニー・オルト、シャンタル・ゴッジ

※私は映画が大好きで一日中でも観ていられるくらい(時間がないけれど)。歳を重ねるうちに観る映画の幅も狭いながらも広がっているよう。でも、やはり基本的に好きな世界、優先順位は変わりはしない。少女や少年映画は勿論なのだけれど、文学が好きなのでどうしても原作も気になってしまったり、逆に映画化が気になってしまう。その上、演劇・戯曲も好きなので歴史劇や時代劇も大好き!所謂”古典”的な世界。基本的に原作も映画も読み観たもので好きな作品をこのカテゴリに入れてゆきたいと思います。時代を超えて浮遊する心のときめき☆そんな思いを抱くことができる私はしあわせだと思います。でも、現実逃避でもないのでバランスは時に崩れてしまいますが、これまで生きてきた私の心の源泉はやはり”美”を感じる世界のようです☆
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by claranomori | 2009-02-11 01:50 | 文学と映画★文芸・史劇
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レアード・コーニグの『白い家の少女(路地の奥に住む少女)』を読み返して謎が解けた!!と大喜びしていた私。ずっと不思議に想っていたことだけれど、ジョディ・フォスターが映画『白い家の少女』の少女リンを演じた時、ジョディの髪が染められていたのがずっと謎だった...ジョディは生まれ持った美しいブロンドの髪の少女なのに、映画の中では微妙に違うブロンド色だった(気のせいではないと想う)。

久しぶりに再読してみると、勝手に謎が解けたようで気分が良い。原作の中で、13才のお誕生日のお祝いのケーキとロウソクと薄暗いお部屋の描写の場面。映画とかなり二重に浮かぶ、可愛いジョディ♪

焔が二重になって輝いている鏡の前で、少女はじっと立っていた。ゆらめくロウソクの光を浴びて、彼女の両手と顔は青白く、蝋のように白かった。ふだんは樫の落葉色をしている長い髪の毛は、いま赤銅色に染まっていた。

ジョディの本来の髪ではロウソクの光で赤く映えないという美術的な理由からだったのだろう(謎が解けたと言いながらも勝手な想像に過ぎない)...まあ、とにかくやれやれ☆以前も少女リンの愛読書であるエミリー・ディキンソンの詩集のことで、映画を見返したりして納得していたこともあった。やはり、かなり大好きな少女リンなのだろう☆
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by claranomori | 2009-02-10 06:04 | 少女イコン・不滅の少女