あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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アーサー・ラッカム(Arthur Rackham:1867~1939)の有名な挿絵の一つ。ジェイムズ・バリイ(James Matthew Barrie:1860~1937)の『ケンジントン・ガーデンのピーター・パン』(1906年)の中のもので『妖精と鳥は仲が悪い』と題されていて面白い。ラッカムは『不思議の国のアリス』やシェイクスピアもの、妖精画家・挿絵画家としてヴィクトリア朝から20世紀の英国を代表する画家のお一人で、その独特の世界は”ラッカメア・フェアリー”と呼ばれ、今も愛され続けている。私も大好きなので、度々他の絵に関する事柄や想いも綴ってゆくと思う。

また、ジェイムズ・バリ(ジェームス・マシュー・バリー)というと”ピーターパン”と切り離せないお方。ジョニー・デップ主演の『ネバーランド』も記憶に新しいし、ファンタジックな可愛い映画『ピーター・パン』などもある。バリはピーター・パンを幾度も加筆していて、最初のものは1902年の『小さい白い鳥』として出版。そして、1906年『ケンジントン・ガーデンのピーター・パン』として、さらに、1911年には『ピーターパンとウェンディー』としても出版されている。ロンドンのケンジントン公園には笛を吹きながら踊っているピーター・パンの像を建てている(養子のマイケルがモデルとされているが、そのマイケルは僅か20歳で溺死している)。劇作家であり小説家であるバリは、自らの貧しい子供時代などの経験や養子の夭折が大きな要因と思われるが、作品から得られる権利を全て小児病院に寄付している。そこから、次第にイギリスやアメリカ、カナダに財団が設立され、1993年には日本でも(財)日本児童家庭文化協会内に日本「ピーターパンこども基金」が設立され、運営されている。

ピーター・パンは妖精の国と関わりを持ったが故に、永久に大人になれない少年。ピーター・パンは生後間もなく、母親たちが自分が大人になった時のことを想像して話しているのを聞き失望してしまい、其処から逃げ出してケンジントン公園のサーペンタイン池にあるネヴァーランドで妖精たちと暮らし始める、というお話。
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by claranomori | 2007-05-27 12:57 | 神話・お伽噺・妖精譚
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1916年から1920年までに従姉妹の少女2人が撮影した妖精写真。上のものは1916年のフランシスと妖精をエルシーが撮影したもの。1920年に、この写真が報道されイギリス中で大論争となる。ヨークシャー地方のコティングリー村で、エルシー・ライト(16歳)と彼女の従姉妹のフランシス・グリフィス(9歳)が絵本『Princess Mary's Gift Book』(1815年)の中の妖精を模写したものを切り抜いて合成写真を撮ったのだった。少女たちは1980年(60年経過)にそのことを告白した。けれども、彼女たちは妖精を見たという。でも、撮影することが出来なかったのだ。だって、多分妖精は長く静止してはいないだろうから。私はこの二人の妖精を見たという言葉を信じている。なので、いつか死ぬまでに出来たら花の妖精か水の妖精に出会ってみたいというのが夢。大人には見えない、子供には見える・・・というのも少し違う気がする。現在子供の人でも頭から妖精の存在など想像上のものだと思っている人もいるだろうし、大人でも私みたいな気持ちの方がいると思うから。弟にこういうお話をすると”また、メルヘンの世界に行ってますね、大丈夫か?”と笑われる。彼はきっと会えないだろう。

1997年のイギリス映画『フェアリーテイル』はこの事件を基に映画化されたもの。英国の名優ピーター・オトゥールはアーサー・コナン・ドイル役、ハーヴェイ・カイテルはフーディニー役で登場している。この当時の事件にアーサー・コナン・ドイルはとても関心を示しており、鑑定の結果”妖精の姿をとらえた写真が存在する!”と新聞にドイルのお墨付きが載ってしまったのだから、それは大変!論争も大いにあったようだけれど、第一次世界大戦という状況や心霊的研究(ドイルは降霊会にも参加している)、写真(カメラ)の発達、本当に見たことのある人たち、興味津々な人たち...を熱中させた実在の事件。二人の少女はきっと、こんな大きなことになるとは思ってもいなかっただろうと思う。

妖精のお話は大好きなので、まだまだ続けたいと思う♪
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by claranomori | 2007-05-26 12:05 | 神話・お伽噺・妖精譚
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フェアリーテイル/FAIRY TALE: A TRUE STORY
   1997年 イギリス映画
監督:チャールズ・スターリッジ 製作:ブルース・デイヴィ、ウェンディ・フィネルマン 原作:アルバート・アッシュ、トム・マクローリン、アーニー・コントレラス 脚本:アーニー・コントレラス 撮影:マイケル・コールター 衣装デザイン:シャーリー・ラッセル 音楽:ズビグニエフ・プレイスネル 出演:フローレンス・ホース(フロレンス・ハース)、エリザベス・アール、ポール・マッギャン、フィービー・ニコルズ、ビル・ナイ、ピーター・オトゥール、ハーヴェイ・カイテル、ボブ・ペック

★可愛い二人の少女エルシーとフランシスは勿論のこと、英国の美しい景色と色彩、名優方の大人たちの存在感も嬉しい、とっても大好きな映画。『フェアリーテイル』というタイトルのみで即反応してしまう。残念ながら私はまだ妖精に出会っていない(いつか、きっと...と願う♪)。この映画に関して話し出すと大変な文字数になると思うので軽く感想を。”そよ風に踊って 妖精さん出てきて 黄金色の光の中へ どうかお願い”と可愛い二人の従姉妹が秘密の森で唄う。事実か嘘かなんてどうでもよくて、私は子供の信じるという清らかな心と世界の尊さがたまらなく好き。美しい英国の自然や衣装、そして二人の少女。でも、決してただの子供向け映画ではない。奥深いファンタジー映画。
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エリザベス・アール:Elizabeth Earl フランシス・グリフィス役 当時10歳
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フロレンス・ハース:Florence Hoath エルシー・ライト役 当時13歳

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by claranomori | 2007-05-26 02:26 | 銀幕の少女たち・少女映画
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何が最初だろうか...クリノリン・スタイルのお衣装を知ったのは。勿論、その言葉を知るのはずっと後になってからのこと。でも、おそらく最初に”綺麗だなぁ~♪”と思ったのはヴィヴィアン・リー扮するスカーレット・オハラだと思う。あの大きく広がった長いスカート。ヴィヴィアン・リーはとてもお美しい女優さまで、この映画『風と共に去りぬ』(1939年)のお話や映像全てが素晴らしいという前提でのことながら。大好きなデボラ・カー扮するアンヌが『王様と私』(1956年)の中で身につけたお衣装やユル・ブリンナーとの舞踏シーンは圧巻の華麗さ。色彩も美しいけれど、やはりクリノリン・スタイルのスカートが強烈な印象だった。現在だと機能的ではないのでお芝居や映画などのお衣装として拝見できる位の用途だろう。色々、どうしても映画が浮かぶのだけれど、あの中はどうなっているのかな?と思ったものだ。何枚ものスカートを重ねているのだろうか?とか、色々考えてみたものだ。

エリザベス・テイラーの『愛情の花咲く樹』(1957年)の中で、クリノリンを装着するシーンがあった。私は別にファッション研究するわけでもなく、美しいと思うものに興味を抱くのみ。大した知識もないけれど、疑問が少し解けた時は嬉しい。そして、少しだけ調べてみるとこのスタイルが発達したのはヴィクトリア朝時代だった。道理で気になる訳だと一人で納得する(この時代に固執しているつもりは全くないけれど、自然と好きなものがあまりにも多数存在する時代だと気づいたのでその濃厚さをもう少し知りたいと思うだけ)。1850年代後半の画期的な異変と言われている、このクリノリンの発達。それ以前の重いペティコートを幾重も身につけることなく、簡単にスカートを広げることが可能となったのだから。馬毛(crin)を織り込んだ硬い麻布(lin)という言葉が由来。1860年代以降は形が変わって行くけれど、そのような流れは今日までの歴史の流れなのだと思うと面白い。当時のそのドームのように丸く広がった長いスカートの裾から火事や事故が続出したと言われている。その様な事態は安易に想像できる。でも、憧れる。

バブル期にぬくぬくと育った者ながら、ますます進む機能重視な現在があまり居心地が良くない。便利な時代でこうしてパソコンに向かって想いを綴ったり、漢字の変換も簡単だということも有りながら、未だにメモ帳というのかノートに書き留める癖は続く。検索をパソコンでもするけれど、辞書や古い雑誌や本の頁を捲る作業が好き。鉛筆と消しゴムも絶対に机に欠かせない。なんだか、時代に取り残されていくようだけれど、別に気にしない。元々、トレンディという言葉が好きではなかった。アンティークという言葉の方がずっと好きだった。故に流行には今も全く疎い。母の洋服箪笥のレトロなスタイルのスカート・スーツを羨ましく思ったりもした。勝手に着たりしてみたものだけれど、サイズが違ってしっくりしないので、サイズ直しをお願いして、頂いた若草色のミニのワンピース・スーツを想い出す。母は洋裁を晩年までしていたので、いつも古い足踏みミシンが鳴っていた。針仕事が長かったので40代以降は肩と腕を悪くしていたようだった。母の形見として残している針山と使いかけの糸や指貫などの道具たちは、高価なものではないけれど出来ればずっと一緒にいたい、父の愛用のハンカチや最期の年の手帳と共に。ロマンス映画が大好きだった母の面影と、私の年の重なり毎に結びつく美しい古い映画たち。ヴィヴィアン・リーやエリザベス・テイラーの美しさ、素晴らしさにようやく私の心が溶け込むように感じている...そして、まだまだ青いと我ながら苦笑する。穏やかなノスタルジー。

※5月に『ヨーロッパの憂愁庭園』に綴ったものの追記です。デボラ・カーが先月10月16日にお亡くなりになられたと知りました。気品に溢れたお美しいお方で大好きでした...ご冥福をお祈りいたします。
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by claranomori | 2007-05-19 22:25 | 映画・女優とファッション
”ポプリ”は今ではとてもお手頃な価格で様々な芳香を楽しむことが出来る。私も好きなのでいくつかの箇所に置いたりして使用している。特に薔薇の香りが好き。そもそも、この”ポプリ”は中世以来、疫病に対する効果的な予防法がなく、衛生のためにも消毒法が無かった時代において、装飾や香りの楽しみのためというよりも、悪疫を退け、不快な匂いを撃退するという実用的な(あるいは医学的)目的に供されていたもの。ドライ・タイプのものやペイスト・タイプのものも活用されていた。また、ポプリを円形の小さな容器に詰め、首やベルトにかけるポマンダーは、当時の女性の広がったスカートの下のフープに吊るすなどと活用されていた。バラやハーブなどによる室内香としてポプリはエリザベス1世時代(16世紀)に遡る。かのシェイクスピアも愛用者であり、その歴史がヴィクトリア朝時代には普段の生活にすっかり定着するようになり、果物を混ぜたものなども病室に置いたりして香りが癒しの役目を担ってきたのだと思うと、自然の香りたちと共に人間は歩んできたのだと感謝のような気持ちを好きなポプリたちを見つめて思う。

上の写真のように、この時代は乳鉢で香料をすりつぶす力仕事はそのお家のメイドのお役目。そして、”いかがでしょうか?”と奥様にその香りを嗅いで頂くというもの。でも、次第に労働者階級の人々たちの生活にも浸透してゆき、今日では世界中で様々な形状のものや用途に使用されている。香りとはとても大切なものだといつも感じているので、このような長い歴史の知恵の尊さを思う。

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by claranomori | 2007-05-18 22:44 | 19世紀★憂愁のロマンと美
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フランソワ・トリュフォー:FRANCOIS TRUFFAUT
生年月日:1932年2月6日 水瓶座 フランス・パリ生まれ 
没年:1984年10月21日

★父は設計技師、母は雑誌社の秘書。しかし、両親はトリュフォーの生後間もなく離婚し、母の再婚後、叔母たちの家に預けられる。幼少期から映画に熱中し、初等教育を終え、15歳から工場で働き始める。しかし長続きはせず職を転々としている内に、友人と映画狂サークルを作り始める。その間にトラブルなどを起こし少年保護観察所に入所したりもしている。1950年には会社をサボりシネマテーク通いを始め、そこの常連のエリック・ロメール、ジャック・リヴェット、ジャン=リュック・ゴダール、クロード・シャブロルらと同人誌を刊行。翌年、失恋の痛手から軍隊に志願するものの、脱走し「カイエ・デュ・シネマ」の映画欄を執筆し、辛辣な批評を発表。1956年にロベルト・ロッセリーニ監督の助手となる。1957年、映画会社の令嬢マドレーヌ・モンゲンステルヌと結婚、翌年短編『あこがれ』を発表し絶賛される。この後、自伝的な処女長編『大人は判ってくれない』でカンヌ映画祭の監督賞を受賞。ヌーヴェル・ヴァーグの旗手として注目され、1962年には『突然炎のごとく』(61年作品)、1968年の『夜霧の恋人たち』、その後も各作品でフランス・シネマ大賞など映画賞を多数受賞。『隣の女』の主演女優ファニー・アルダンと公私に渡る関係となり、1984年に娘ジョゼフィーヌをもうけたが、癌のため10月21日に死去された。遺稿の『小さな泥棒』はクロード・ミレール監督、シャルロット・ゲンズブール主演によって映画化された。

フランソワ・トリュフォーというと「アントワーヌ・ドワネルの冒険」と題されたシリーズと、そのドワネル役のジャン・ピエール・レオーの存在、ジャンヌ・モロー、ナタリー・バイ、デリフィーヌ・セイリグ、イザベル・アジャーニ、カトリーヌ・ドヌーヴ、ファニー・アルダン...と素晴らしきフランス女優さま達、ジュリー・クリスティやジャクリーン・ビセットの英国女優さまたちも♪そういう私の好きな女優さまたちを拝見できると共に、どの作品にも平凡な私のような人間にも共鳴を与えることの出来る、普遍的なテーマを扱ってきたのも、好きな要因だと思う。初めて観たトリュフォー作品はテレビでの『黒衣の花嫁』だった。劇場でのリアルタイムは『日曜日が待ち遠しい』のみ(まさかの早世だったので)。その後、特集などが組まれて過去の作品も徐々に観る機会に恵まれたり、あまりにも大好きな作品はビデオを購入したりして、今もそれらの映画たちが好き♪トリュフォー監督作品で嫌いな作品は全くない程、とても好きな監督☆

●代表作●
フランソワ・トリュフォー/盗まれた肖像 (1993) ドキュメンタリー
小さな泥棒 (1988) 原作
日曜日が待ち遠しい! (1982)
隣の女 (1981)
終電車 (1980)
未知との遭遇 特別編 (1980) 出演
逃げ去る恋 (1978)
緑色の部屋 (1978)
未知との遭遇 (1977) 出演
恋愛日記 (1977)
トリュフォーの思春期 (1976)
アデルの恋の物語 (1975)
映画に愛をこめて アメリカの夜 (1973)
私のように美しい娘 (1972)
恋のエチュード (1971)
家庭 (1970)
暗くなるまでこの恋を (1969)
野性の少年 (1969)
黒衣の花嫁 (1968)
夜霧の恋人たち (1968)
華氏451 (1966)
彼女について私が知っている二、三の事柄 (1966) 製作
マタ・ハリ (1964) 脚本
柔らかい肌 (1963)
二十歳の恋 (1962)
突然炎のごとく (1961)
ピアニストを撃て (1960)
大人は判ってくれない (1959)
勝手にしやがれ (1959) 原案
あこがれ (1958)
水の話/プチ・シネマ・バザール (1957~1989)
王手飛車取り (1956) 出演
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by claranomori | 2007-05-17 07:06 | 大好きな映画監督
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エドワード・バーン=ジョーンズ(Edward Burne-Jones:1833~1898)の1895年作品の『プシケの結婚』(数ある好きな作品の中から追々)。この『プシケの結婚』はローマ・ギリシャ神話からのもの(他の作品もある)で、私はこのお話がとても好き。美しいプシケ(プシュケ)は三人姉妹の末娘。美の女神であるアフロディーテ(ギリシャ神話では。ローマ神話ではヴィーナス)の息子クピト(キューピットともエロスとも呼ばれる)、プシケの姉たちも絡んでのロマンティックかつ少し残酷ながらも美しい物語。

ある日、美の神アフロディーテは人々がプシケの美しさをあまりに讃えることに嫉妬し、プシケが醜い豚飼いに恋をするようにと息子のクピトに命じる(愛の神であるクピトは彼の矢で人を射ると、自由に人に恋をさせることができた)。ところが、命令を受けてプシケに近づいたクピトは、眠っているプシケのあまりの美しさに驚き魅せられてしまい、思わず自らの胸を矢で傷つけてしまう(素敵~♪)。こうしてプシケに恋をしたクピトは、自分の姿を決して見ないこと、暗闇の中でしか会わないことを条件に彼女と結婚し、宮殿に匿う(神と人間が結婚した場合、神は自分の姿を見られると、それを見た人間はタダゴトでは済まない故)こととなる。

ところが、ここでプシケの姉たちの悪仕掛け。幸福なプシケの結婚生活に嫉妬した姉たちが「クピトはもしやすると、とても恐ろしい怪物なのではないかしら」と告げる。その言葉に疑念を持ってしまったプシケは、夫クピトの真の姿を見たい衝動を抑えられなくなり、ある夜、夫が眠っている時に蝋燭の灯を点し、ついに夫の姿を見てしまう。するとどうでしょう!!その夫クピトは今までに見たこともないような美しい青年なのだった。プシケは夫の言葉を信じず、彼の姿を見てしまったことを後悔する。心を傷つけられたクピトは”信頼のない所に愛は存在しない”という言葉を残し彼女の元から姿を消してしまう。どうしてもクピトの許しを請いたいプシケは自ら美の神アフロディーテの許へ赴き許しを請うが、アフロディーテは苛酷な試練をプシケに課す。しかし、プシケは見事に耐え抜き、晴れてアフロディーテからもクピトの妻として認められ、夫との結婚生活を取り戻し、さらに神々の一員として迎えられる。という、何とも美しくも健気な乙女の姿に感涙してしまうお話。

私の場合、もうラファエル前派(大きな範囲での)は格別大好きなものなので、好きな作品群は膨大な数になる。題材となるものも神話やロマン派の詩人たちの作品も多いのも要因のひとつだと思う。一時期神話ばかり読んでいた時期があったけれど、最近は忘れてしまっていることも多い。なので、こうして好きな世界を綴ると思い出せたり、再発見できたりしてかなり楽しい。
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by claranomori | 2007-05-15 23:11 | 19世紀★憂愁のロマンと美
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レイモン・ラディゲ(Raymond Radiguet:1903年6月18日~1923年12月12日)。正しく夭折の天才作家ラディゲ。僅か20年の生涯とはあまりにも運命は皮肉なもの。逸早く才能を見抜き寵愛していたジャン・コクトーは、ラディゲの死の悲しみを引き摺り10年(20年とも)阿片に溺れる生活となる。いかにコクトーにとってラディゲの存在が大きなものだったのかと想像するしかないのだけれど...。この小説としての処女作『肉体の悪魔』(習作は14歳頃とも言われている)は17歳の時のもの。高校生の少年フランソワが年上の人妻マルトに恋をするロマンス(悲恋物語)。この作品はラディゲの小説を先に読み、ずっと後になってジェラール・フィリップとミシュリーヌ・プレールによるフランス映画の『肉体と悪魔』(1947年)を観ることに恵まれ、ジェラール・フィリップ(フランス映画史上、未だにこの貴公子”ファンファン”を凌ぐ美しき男優を知らない、きっとこの後も在り得ないと思っているけれど)を始めとする気品溢れる美麗さ、素晴らしい音楽などと共に好きなもの。このクロード・オータン=ララ監督の映画と原作であるラディゲの『肉体の悪魔』は対となって私の心と脳裡に焼きついているという感じもする(三島由紀夫の『ラディゲの死』の感銘も重なっている)。

ラディゲの次作『ドルジュル伯の舞踏会』は、執筆中に病床(腸チフスに侵され)に伏しながら書き上げられたもので、発表されたのは死後だという。コクトーとラディゲの関係も深いものだし、多くの人々がまだまだラディゲの作品を待っていたと思う。パブロ・ピカソもラディゲの才能と魅力に魅せられたおひとりで、17歳のラディゲの肖像を描いている。この絵が表紙の日本語訳の『肉体の悪魔』は古いものなのだろうか...記憶にあるけれど。今は新訳版としてジェラール・フィリップ (彼もまた夭逝)が表紙のものが出版されているようだ。私は一日中でも読書していられる。一日中でも映画を観ていられるという体質なので、お仕事やコンディションとのバランスが難しい。この新訳版もまたそのうち読んでみたいと思うので、読書課題も増える一方の今日この頃。
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by claranomori | 2007-05-14 12:58 | 詩人・作家・画家・芸術家
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ティルダ・スウィントン:TILDA SWINTON
1960年11月15日 イギリス・ロンドン生まれ 
本名:Katherine Matilda Swinton

★デレク・ジャーマンの作品群で知り、『オルランド』で決定的な信奉者となった私。近作の『コンスタンティン』では天使ガブリエルを。『ナルニア国物語』の白い魔女も神々しいお姿でした!長身で凛々しくナチュラルな佇まいの中に、生まれ持つ気品と知性が漂います。とっても素敵な女優さま♪

●代表作●
リミッツ・オブ・コントロール (2009)
ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛 (2008)
ベンジャミン・バトン 数奇な人生 (2008)
バーン・アフター・リーディング (2008)
フィクサー (2007)
倫敦(ロンドン)から来た男 (2007)
コンスタンティン (2005)
ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女 (2005)
ブロークン・フラワーズ (2005)
サムサッカー (2005)
猟人日記 (2003)
アダプテーション (2002)
バニラ・スカイ (2001)
ディープ・エンド (2001)
ザ・ビーチ (1999)
愛の悪魔/フランシス・ベイコンの歪んだ肖像 (1998)
素肌の涙 (1998)
クローン・オブ・エイダ (1997)
イヴの秘かな憂鬱 (1996)
グリッターバグ/デレク・ジャーマン1970-1986 (1994)
ヴィトゲンシュタイン (1993)
BLUE ブルー (1993)
リメンバランス/記憶の高速スキャン (1993)
オルランド (1992)
エドワード Ⅱ (1991)
ザ・ガーデン (1990)
ウォー・レクイエム (1989)
アリア (1987)
ラスト・オブ・イングランド (1987)
カラヴァッジオ (1986)
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by claranomori | 2007-05-14 11:17 | 女優館★銀幕の名花たち
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ジャン=ピエール・レオーの『大人は判ってくれない』(1959年)は初主演にして、あの眼差しとモノクロームの美しい映像(アンリ・ドカエ)、見事なラストの海のシーン...と永遠の名作。フランソワ・トリュフォーは私自身、フランスの監督で一等好きだと思っている(ルイ・マルもエリック・ロメールもジャック・リヴェットもゴダールもドゥミもアニエス・ヴァルダもシャブロル、ドワイヨン...ルルーシュ!もいっぱい好きだけれど)。この映画のことやトリュフォーのことはまた映画ブログで綴る予定。シャルロット・ゲンズブール主演の『小さな泥棒』について以前に少し綴ったので、その男の子版(こちらがずっと先だけど、共にトリュフォーの原作)にも触れなければ!トリュフォーの長編デビュー作でもあり、当時14歳のレオーの”アントワーヌ・ドワネル”シリーズの第一弾。トリュフォーの1984年の早世は繊細なレオーにも大きく影響し精神のバランスを崩す。トリュフォーとゴダールの訣別の折もどちらの作品にも欠かせない存在だったためか、やはり精神的にバランスを崩した時期と言われている。でも、パゾリーニやベルトルッチ、ヴァルダにガレル、アキ・カウリスマキの作品出演など、現在63歳、俳優として50年近いキャリアでまだまだ健在なのは嬉しい限り。幼い頃から手に負えない坊やだったそうで、6歳から14歳の間に寄宿舎を12回も移っているという。困った面白い少年(両親や周りの人達は大変だっただろうけれど)♪

この映画が今もなお訴えかけてくるものは?・・・時代が変わっても同じ気がする。子供の気持ちや言葉にもっと大人は忍耐を持って耳を傾けることができれば...と思う。子供たちから学ぶことも沢山ある。私は子供たちが好きなので、特に楽しく接する機会があれば幸せ。そして、ドキリとさせられたり、美しい心から得るものがあり、汚染された大人の心が僅かながらも浄化されたような清々しい気分になる。まるで友人のような甥っ子たち(彼らのお友達とも)とは今も大の仲良し。成長してほしくないと思ったりもしたけれど、今も彼らはスクスクと成長中で、学校や社会に揉まれながらも笑顔を忘れてはいない。上の甥は洋画好きになっているので(かなり趣味が合うので嬉しい)この映画を観せてあげた。感動して泣いて電話をくれた。共感するものがあったのだろう!そんな度に愛しく思う私は幸せなのだ。トリュフォーは他の作品でも普遍的なテーマを描き続けた監督だと思うので、私達の生活、人生の中で共鳴する点が多くてとても大好き☆ジャン=ピエール・レオーはあまりお顔は変わっていなくて、相変わらずどこかユニークで個性的な素敵なお方なので今も好きな俳優さま。
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このお写真も1959年とあるので14歳頃のもの。フォーマルな装いの可愛いレオー少年。お父さんのようなトリュフォーが後ろに。そして、その横にはジャン・コクトーのお姿が!!コクトーの1960年作品『オルフェの遺言』にレオーは出演している。コクトーも彼の魅力が気に入ったのだろう♪
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by claranomori | 2007-05-13 07:45 | 銀幕の美少年・少年映画