あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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★世紀のシャントゥーズ!ジャン・コクトーはエディット・ピアフの声を「芸術だ」と絶賛し、運命的とも言えるピアフの訃報を聞き同じ日に他界してしまったという。そんな「エディット・ピアフ」という存在はいつまでも私には大き過ぎる...。

この映画はエディット・ピアフとマルセル・セルダンの友情を越えた深い絆で結ばれた愛の時間を描いたもの。2時間40分に及ぶものだけれど、時間が足らない位なのかもしれない。名曲「愛の讃歌」はピアフが書いた壮絶な尊い愛のシャンソンだという事を知ったのは、美輪明宏様のお歌の会に行くようになってから。そんな事を知った上で観たのでなおさら感動的だった。監督はクロード・ルルーシュ。音楽はフランシス・レイとシャルル・アズナヴール(共に出演されている)。

劇中、ピアフを取り巻くブレーンのお一人の中にジャン=クロード・ブリアリも居て嬉しかった。国民的歌手であるピアフと、国民的英雄ボクサーの二人の愛。セルダンは事故で命を失ってしまう...当時を知る方々にとって、この悲劇がどれだけの人々の心をも哀しみに包んだだろうか!作り話でもなく実話なのだから。ピアフはその後、アルコールやドラッグ、自殺未遂...と身体がボロボロになってもあの小さな身体で最期まで歌った。歌う事が宿命の様なお方だったのだろう。ピアフの人生を描くには時間が足らない。でも、二人の関係、セルダンの死までを映画にしたルルーシュの眼差しには、とても尊敬と優しさのようなものが感じられるのだった。親交の深かったシャルル・アズナヴールは全編を通して登場している。

エディット・ピアフというお方は与える事を惜しまないお方だったという。愛した人、友人達に惜しみなく...そんな人だから、愛されたのだろうし、愛した男達は道が開けて行った。素敵な女性だと思う。最後の方で「あなたと共に」と繰り返される歌声を聴きながら涙に溢れていた。

セルダン役はセルダンの実際の息子さん(マルセル・セルダンJr)が演じていた。そんな配役やシャルル・デュモンの曲なども含め、クロード・ルルーシュのピアフを讃える、それも押しつけがましくない描き方で粋に思えた。ピアフ役のエヴリーヌ・ブイックスは、少しパトリシア・カースの美しさを想起させるお方だ。ルルーシュ作品にはよく出ているお方でもある(一度ご結婚されており、お二人の間には娘さんのサロメ・ルルーシュがいる)。

恋に生きた女ピアフ/EDITH ET MARCEL
1983年・フランス映画 
監督:クロード・ルルーシュ 
脚本:シルビー・ケークライン 撮影:ジャン・ボフェティ 
音楽:フランシス・レイ、シャルル・アズナヴール 
出演:エヴリーヌ・ブイックス、マルセル・セルダンJr、ジャン=クロード・ブリアリ、シャルル・アズナヴール、ジャック・ヴィユレ(ジャック・ヴィルレ)

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by claranomori | 2005-01-27 15:54 | キネマの夢・シネマ万華鏡
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★リアルタイムではない『ラジオのように』をジャケ買いした。伊丹の星電社の片隅に再発盤が新入荷のコーナーに有ったのだ。不思議な悦ばしき出会いは思いがけずやって来た。とにかく「わぁ~!これ買う!!」という感覚でレジに持っていった様に思う。全くその時はこの作品が名盤だということすら知らなくて、さらにフランス人であるということさえ...。針を下ろして音が流れてきた時のあの奇妙な気持ちを何と喩えればよいのだろう...”なんだろう?この音楽は。”とか”よく分からないけれどかっこいい!”・・・多分このような印象を持った。そして、間章氏のライナーノーツをじっくり拝読していく内にすっかり私はフォンテーヌに魅了されていたのだと思う。あの文章、活字は私にはあまりにも大きなものだった。

当時、英国を中心としたニューウェーヴの音楽が好きでラジオは毎日聴いていた。雑誌も細かくチェックしていた。16歳の私は学校では音楽の会話の出来るお友達がほとんど居なかった。みんな恋愛や日本の音楽やアイドルのことで楽しそうだった。そんなお話を聞きながらも早くお家に帰って好きな音楽が聴きたい!と思ったり、気分が乗らない会話に時間を費やすより図書館で過ごす事を選ぶ様になってしまった。休日は数人で映画に行く事もあったけれど、次第に私の観たい映画では無いことに忠実な態度を取り始めていた。今振り返ってみて、この時期の私はとてつもない速度で音楽や文学や映画といった今の私の宝物たちに接近して行ったと思える。そして、「ブリジット・フォンテーヌ」という風変わりなアーティスト(ヴォーカリスト)の衝撃はデヴィッド・ボウイ様との出会い以来の事。私にとってのあるキーであると言える。そうとしか思えない。「ヴァガボンド」という言葉に憧れたけれど私には持ち合わせてはいないと今も思う...。訳詞を読みながら浮かぶ不可思議な幻想。ラディカルであり猥雑であり、でも、あの優しさは今も私の心に必要なのだ。一等好きな作品は『III』。「はたご屋」ばかりを何度も繰り返し針を置き聴き入った。このままだと狂ってしまうかも?というくらいにその世界に引き込まれてしまった。正しく声の美力なり!というかこのお方は魔力の様だ。今も御大フォンテーヌは健在だけれど、あの空気感はあの時代のものだったのだと思う。誰にも時代の空気感は再現不可能なのだ。特にあの様な時代は...なので一層憧れるのかもしれない。

アレスキーやジャック・イジュラン、ピエール・バルーにも傾倒していく中、セルジュ・ゲンスブールに出会い、バルバラ、カトリーヌ・リベロに出会う。映画ではゴダール!文学はランボーからネルヴァルに向かっていった。この選択肢が今の私に繋がっている大切なキーだと思うし、もうどうしようもない後戻り不可能な組み込まれてしまった何かの様にも。たかが私個人の事ながら、音楽やある一曲が人生を変えるきっかけになる事を私は感じる事が出来たのだ。良かったのか?悪かったのか?はどうでもいい。フォンテーヌのお声は今も時に少女の様に可愛らしく響き、かつ厳しいアナーキストな面持ちも消えてはいない。”過激な優しさ”をこれ程までに表現出来るヴォーカリストを私は知らない。シャンソンというカテゴリーからは大きくはみ出した異端児フォンテーヌ。そんなカテゴリーを軽く飛び越えるフォンテーヌが今も私は大好き!

(追記)
★『BRIGITTE』の由来はブリジット・バルドー(好きだけれど)ではなく、フォンテーヌ!そして、私の長年の心のミューズのお一人でもある。結局のところ、私はもうすっかり歳を重ねてしまったけれど、今もまだ行ったり来たり...。戻れない時間だけれど想い出は永遠。ノスタルジーに浸っていてはいけないとも想うけれどまだまだ彷徨しているみたい。そんな心を此方でつらつらと綴っているのだろう。人それぞれの”少女観”があるけれど、私は”美しい!”と思えるものや”儚い幻想”のようなものがいつも好きな気がする。『我が心の泉の畔の妖精たち』あるいは時空を超えたミューズたちはまったく変わらない☆
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by claranomori | 2005-01-03 06:35 | 耽美派少女の愛した音楽たち