あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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カテゴリ:絵画の中の少女・女性( 22 )

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★日々世相は暗いけれど、色々なニュースから考えさせられる事も多い。素朴な疑問が過ぎるけれど、よく分からない事について安易に二者択一の返答は出来ない。なので、私なりに調べたり考えたりしている、そんな今日この頃。手許にある限られた資料やネット検索などを利用させて頂き、以前から興味があり読んだりしていた事柄を、今は日本の社会事象から新たな想いを抱きながら読み返す作業をしています。そんな中再会した一つが、19世紀のヴィクトリア朝時代の英国のガヴァネスのこと。以前、(『ガヴァネス』 ヴィクトリア朝時代の女性家庭教師たち)という記事を書いた折に疑問であった事柄が少し解けたようで、日々、学びであることを実感し感謝しています。

ガヴァネスとは「女性家庭教師」ですが、住み込みのガヴァネスの場合、その雇い主には召使たちも居る。身分的にはガヴァネスの方が上ながらもどうも曖昧で矛盾を孕んだ状況であった。その前後に興味深い「飢餓の40年代」と云われた10年間の不況があった。生活の場を植民地へ求めたり、婚期を遅らせる独身男性が増え、結婚の機会を逃す女性も続出。そこに、下層社会から、教育を身に付け社会的地位を目指し、ガヴァネスのポストをねらう女性も続出。そして競争が激しくなり零落のガヴァネスも年々増えて行ったようです。

上の絵は19世紀英国の画家、リチャード・レッドグレイヴ(Richard Redgrave:1804年4月30日~1888年12月14日)による『憐れな教師』(1843年)。興隆する中流階級の家でのガヴァネスの曖昧な地位は孤独であったことを示唆している美しい絵画だと想います。召使たちより身分もお給料も上で、時には召使に命じる立場でもあるガヴァネスながら、召使からの反感や僻みも受け、精神的重圧も起こるという歪んだ逆現象。そんなガヴァネスの孤独は、真っ黒な地味な服装、手にした手紙、寂しげな表情、陽気な家族たちとの対比を陰翳濃く描かれています。また、ピアノの楽譜は「ホーム・スウィート・ホーム」なのだそうです。

ガヴァネスの存在が、1840年代から社会的にも文学的にも注目を浴びるようになったのは、「レディ」の孤独がこのような社会的矛盾を抱えていたからであろう、と腑に落ちるのでした。

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by claranomori | 2013-02-22 23:49 | 絵画の中の少女・女性たち
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★ルイ・イカール(LOUIS ICART:1888年9月12日~1950年12月30日)は南フランスの古都トゥールーズ生まれのイラストレーターであり版画家。"アール・デコの華"とも称されるルイ・イカールの全盛期は1920年代~1930年代のようです。アール・デコにとどまらず、ロココ絵画の影響、二つの大きな世界大戦、とりわけ20年代のフランスは"レ・ザネ・フォル"と呼ばれる狂騒、狂乱の時代であり、アメリカはジャズ・エイジとぐんぐんと大国へと経済発展を遂げ行く。そして30年代に入ると、ナチズムの擡頭と共に再びヨーロッパは暗雲に覆われるという時代。そんな時代背景の中で、ルイ・イカールは女性を描き続けていたのです。

上の作品は『赤ずきん』、下の作品は『マノン・レスコー』と題された共に1927年制作。モード雑誌にイラストを描いたり、版画、油絵を描いていたルイ・イカールの作品の特徴は、羽根であったり動物であったりもしますが、文学やオペラを題材にした作品も多数残されています。1980年代後半に梅田の大丸で「ルイ・イカール展」が開催されたので行きました。予備知識無しでしたが、たいそう印象強く作品から何かを得ながらも、描かれる少女や女性たちは美しくも、どこか不穏である魔性をも感じました。アベ・プレヴォーの『マノン・レスコー』のようにファム・ファタルな女性たちを感じたのかもしれません。ルイ・イカールの他の作品のこともまた♪

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by claranomori | 2012-12-06 02:55 | 絵画の中の少女・女性たち
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★ポール・ガヴァルニ:PAUL GAVARNI(1804年1月13日~1866年11月23日)はフランス、パリ生まれの19世紀のイラストレーター。挿絵画家でもありますがカリカチュアの代表的なお一人です。あのフランス特有の風刺画は世相を反映しており毒も強いので、作品は好きなものとあまり好きでないものがあります。けれど、このポール・ガヴァルニの作品は知っているものに限れば好きな画家のようです。

少しばかり経歴を。ポール・ガヴァルニとはペンネームで、本名はギョーム=シュルピス・シュヴァリエ。1829年10月に創刊された「ラ・モード」の発行者であるエミール・ド・ジラルダンにバルザックがガヴァルニを紹介。ブルボン復古王政が崩壊する以前で、この「ラ・モード」誌は王家の援助を受け好評であったそうです。「パリの神秘」でベストセラー作家となるウジェーヌ・シュー、バルザックにジョルジュ・サンド等もこの雑誌から世に出ることになる。ガヴァルニとバルザックは友人で共にこの時25歳の若さ。1830年から絵を発表し、バルザックの小説で挿絵を担当したり、「カリカチュール」誌にやはりバルザックの紹介であるが、ガヴァルニは政治にほとんど興味を示さない方で政治風刺画はほとんどない。なので寧ろ発表の場は「シャリヴァリ」誌であった。石版画や水彩画も秀でており、それらを展覧会に出品したりしていた。1833年に、「子供達」の連作で自己の画風を完成させる。そして、自らの雑誌を創刊するに至る。名称は「社交界の人々の新聞」である。

今回は『恐るべき子供達』という連作より。この作品は1838年から1842年の5年間に飛び飛びに作られ、50枚のシリーズになる。子供の無邪気さが恐るべきものになるという皮肉な構図で、この頃からガヴァルニは、単なる観察者からシニカルなモラリストと変容してゆく。因みにジャン・コクトーの『恐るべき子供達』は1929年の小説。

上の絵の少女はかわいい子供ではなく、大人のような表情をしています。

紳士:「かわいいお嬢さん、あなたのお母さんは何という御名前のマダムなの?」
少女:「ママはマダムではないのよ、マドモワゼルなのよ」

こんな具合である。バルザックやボードレールのような文学者もこのカリカチュアに協力し、ジャーナリストは文学者に劣る、また挿絵画家は文筆家に劣るという時代が変わろうとしていた頃。こうした文学と美術が共鳴し合う様はとてもフランス的で好きなのです。

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by claranomori | 2012-09-10 03:01 | 絵画の中の少女・女性たち
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★エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(Elisabeth-Louise Vigee-LeBrun:1755年4月16日~1842年3月30日)は18世紀後期ロココを代表する女流画家。同じく画家であった父親ルイ・ヴィジェとは15歳の折に死別。10代の頃から画家の才能を認められ母親と弟を養っていたという。画家で画商のジャン=バティスト=ピエール・ルブランと結婚後、ますます宮廷画家としても多くの貴族の肖像画を描く。マリー・アントワネットにヴェルサイユ宮殿に招かれ王妃や家族の肖像画も多数描かれた。マリー・アントワネットとエリザベート・ヴィジェ=ルブランの友情関係も築かれていったとされるけれど、フランス革命が起こってからはフランスから逃れ、ヨーロッパを転々とされた。

上の自画像はやはりエリザベート・ヴィジェ=ルブランの代表作のひとつだと思いますが、1790年のフィレンツェでの製作とあります。下の愛らしい瞳の大きな娘さんとの母子像が1786年とのことですので、この小さな少女はまだ3歳か4歳という頃です。王妃の身を案じながら、小さな一人娘を抱え、いったいどのような心でフランス革命の最中、この典雅な面持ちの画を維持できたのだろう。生涯画家として多くの作品を残され、王政復古した祖国フランス、ルイ18世に手厚く迎えられ安住の地となる。けれど、夫や成長する娘の素行は良くなく、家庭的には決して幸福なものではなかったという。

「ここで、ついに、私は休みます…」と刻まれた墓碑銘。画家として激動のフランス、ヨーロッパの中で生き抜いた86歳のエリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランの壮絶な時代との生涯と、柔和で優雅な微笑みの肖像画の数々ゆえに、鑑賞者の私に与えてくださるものは言葉を超える☆
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by claranomori | 2012-07-15 22:10 | 絵画の中の少女・女性たち
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★ウージェーヌ・ドラクロワ(Eugene Delacroix:1798年4月26日~1863年8月13日)はフランスのシャラントン・サン・モーリス生まれの19世紀フランス・ロマン派を代表する画家。この『墓場の少女』或いは『墓場の孤児』と題された作品は1824年のもの。絵画鑑賞は10代からずっと好きな趣味のひとつなのですが、この絵はドラクロワの名画の中でもとりわけ印象強く今も脳裏に焼き付いている作品です。『墓場の孤児』として最初知りましたが『墓場の少女』という題の方が有名なのでしょうか。この少女の見つめる先に何があるのか。この強い視線。ドラクロワ自身も7歳の折に父親を、また16歳の折に母親を失っていること、この25歳頃のドラクロワは如何なる心境でこの少女を描いたのだろう。うら若き女性を墓場で見かけ、その寂しげな哀感をイメージして描かれたという。堅実な写実はドラクロワの基盤ながら、この少女の仰ぐ空への眼差しは寂しさを伴いながらも情念のような強さをも感じる。

われわれが描くべきものは事物それ自身ではなく、その事物のごときものである。
眼のためでなく心のために作り出すのである。

このようにドラクロワは語っている。優美な古典派も好きですが、やはり文学、政治、音楽、絵画という各表現の場でのロマン派たちの挑む姿、その心を感じることが好きなので、このドラクロワの言葉の意味は重要に想えます。


少数派ブログながら参加してみました♪
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by claranomori | 2012-03-06 11:49 | 絵画の中の少女・女性たち
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★ジョージ・ロムニー(George Romney:1734年12月26日~1802年11月15日)は英国の画家で、主に肖像画家として多数作品を残されている。エピソードとして、ジョシュア・レノルズとの長きに渡る確執も有名。生涯ロイヤル・アカデミーの展覧会に出品しなかったのは、総長をジョシュア・レノルズが務めていたゆえに。青年時代に出品した歴史画『ウルフ将軍の死』が受賞することになっていたが、レノルズの情実のため、自分の友人にその賞を授けたことがロムニーの憤慨の種となったという。このような事情から、ジョージ・ロムニーは肖像画家としては在野の首領となり、高い画料をとっていたにもかかわらず、ロムニーのアトリエは依頼者が絶えない状態の人気画家であったそうです。

ジョージ・ロムニーが47歳の折に17歳の少女エマ・ハートと出会う。後のハミルトン夫人ですが、ロムニーはエマ・ハミルトン(ウィリアム・ダグラス・ハミルトン卿の愛人から夫人となる)の美貌にたいそう打ち込み、ハミルトン夫人を題材に、神話や伝説のヒロインを多く描いた時期もある。今日は、やわらかで甘美な佇まいの少女の肖像画を幾つか。どれも大好きな作品です。殊に「ロースン・ゴール一族の子供たち(ゴワー一家)」が最初に知ったロムニー作品でしたので、やはり今も思い入れの強い大好きな絵です。この頃、18世紀の英国画家は、フランスの宮廷、ロココの影響も漂う作品が多いように感じます。
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※上から「ウィロビー嬢」、「ヴィクトリア嬢 少女の肖像画」、「ゴワー一家の子供たち(ロースン・ゴール一族の子供たち)」です。
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by claranomori | 2012-01-20 18:23 | 絵画の中の少女・女性たち
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★上の絵はジョン・エヴァレット・ミレイによる1857年、エドワード・モクソン版『アルフレッド・テニスン詩集』の挿絵の中の二点("モクソン版『テニスン詩集』の挿絵のための五点の下絵"より)です。ジョン・エヴァレット・ミレイは大好きな画家のお一人ですが、久しぶりに幾種かの画集や図録を眺め、うっとりしていました。

エドワード・モクソン(Edward Moxon :1801年12月12日~1858年6月3日)というお方は、英国文学界の重要な人物で、主に詩の出版業者として知られています。また、このジョン・エヴァレット・ミレイのモクソン版『テニスン詩集』の挿絵のための五点の下絵は1855年頃のものとされ、「堀を巡らした屋敷のマリアーナ」「ゆく年の終わり」「聖アグネス祭の前夜」「バーリーの領主」「白昼夢:眠れる宮殿」という題のものです。1842年にアルフレッド・テニスンの『詩集』が刊行されており、このモクソン版 『テニスン詩集』との差異を明らかにすることは残念ながら出来ないのですが、テニスンの詩は極めて美しくロマンティシズム薫る哀歌が多く好きな詩人のお一人でもあります。またテニスンの詩も追々にと予定しています♪

※上の挿絵は「白昼夢:眠れる宮殿」と「ゆく年の終わり」です。
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by Claranomori | 2011-12-16 18:06 | 絵画の中の少女・女性たち
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★この『菫色のドレスを着た娘の肖像』は アーサー・ヒューズ(ARTHUR HUGHES) による1860年頃の作品。80年代から90年代頃、最も美術館や個展巡りをしていた折に出合った今も印象深く心に残る名画の一つです。この絵の著名と年記は後から記されたものらしく、著名はモノグラムで年記は1860年。しかしながら、この作品は アーサー・ヒューズによるものであることは間違いないとされた。年代は1860年頃とのこと。

ラファエル前派及び象徴主義絵画はこの上なく好きな作品が多く、またその時代に魅せられ続ける私です。この『菫色のドレスを着た娘の肖像』の少女の物憂げな表情はなんだろう。左手に握りしめる手紙、膝の上のパンジーのお花。この手紙はこの少女の恋するお方に関するものだろうけれど、喜びに満ち溢れたものとも異なる、どこか哀しみを帯びたもののように想う。故に、膝の上にパンジーが。パンジーの花言葉は"物思い"や"純愛"である。また別名ではハートイーズという言葉もある。ハートイーズとは"心を慰める"。またシェイクスピアは『真夏の夜の夢』の中で、妖精の王オベロンに"キューピッドの花"と語らせてもいる。パンジーの花言葉に託された乙女の恋心を想像する。この少女はひたむきに恋する気持ちを心の中で静かな炎を絶やさず、恋の成就を願っているのだろう...。そんな勝手な妄想を抱きながら、いつしか私はこの絵の中の名も知らぬ少女が好きになっていったようです。

●パンジー●
スミレ科の一年草または短命の多年草。5月から9月に、紫、黄、白など三色の直系1から2.5センチの小さな花を咲かせる。香りは無い。今日親しまれている大輪の園芸種のパンジーは品種改良による19世紀のイギリスで作られたものかその系統(ヨーロッパの野生花のサンシキスミレやビオラなどが祖とされる)の一年草らしい。また、パンジーという名の由来はフランス語のパンセから来ているというのも納得。日本には1864年に渡来し、「遊蝶花」「胡蝶花」などと呼ばれていた。しかしながら、その後も品種改良が進み、嘗て、エリザベス朝に愛されて来た素朴で可憐なパンジーの姿ではない姿で、今日の日本で親しまれているのは少し寂しい気もします。
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by Claranomori | 2011-12-14 10:47 | 絵画の中の少女・女性たち
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★『白のシンフォニーNo.2 白衣の少女』或いは『団扇を持った白い服の娘』或いは『白い少女』と題された、ジェームズ・マクニール・ホイッスラーの「白のシンフォニー」の第二作で1864年の作品。ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー(James Abbott McNeill Whistler:1834年7月10日~1903年7月17日)は、19世紀末を代表するアメリカ人の画家ながら、パリで美術を学び、画家としては大半をロンドンで過ごしているので英国画家であるとも思います。この絵画はテート・ギャラリーに所蔵され、ラファエル前派の動きとも呼応します(ラスキンとの論争も長きに渡る)。けれど、美術史の中の位置づけは印象派及び印象主義、耽美主義に属します。さらに、このホイッスラーの絵画を鑑賞して感じるあの感傷的な雰囲気、正しくヨーロッパの憂愁なのです。ホイッスラーの父親はオランダ人だそうですが、土木技師であった為、鉄道建設の仕事でロシアに赴く。その後、イギリス、アメリアと渡り、フランスに移住という流民の人であった。そうした父の人生とホイッスラーの人生が重なり合う、鏡のようでもあります。

この『白のシンフォニー』の頃は「白の時代」で、当時の英国はヴィクトリア朝時代なのでジャポニスムの影響も絵の中に表れています。物憂い少女の面持ちと柔らかなモスリン風の白い衣服に団扇を持ち、朱色の碗も見られます。全体を包む白のイメージは、私の好きなロマン主義的な感傷へと誘います。ホイッスラーはとても音楽を好んだ画家のお一人で、やはりロマン派を愛好されていたように何かで読んだことがあります。アメリカ人ながら異邦人のようなホイッスラーは、複雑怪奇な脈々と流れる長いヨーロッパの歴史、芳香を受け、汲み込みながら作品に投影されていたように思います。この絵の「白い少女」の憂いと倦怠のようなもの、そして全体の構図としての穏やかな調和は、やはり私には「音楽」あるいは「詩」を奏でる作品です。ホイッスラーの心にはそうした心の音楽、心の詩が流れていたのでしょう。優美で大好きです。
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by Claranomori | 2011-10-31 11:18 | 絵画の中の少女・女性たち
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アルフォンス・マリア・ミュシャ(Alfons Maria Mucha:1860年~1939年)のサラ・ベルナールをモデルに描いた『トスカ』のことを4年程前に書きましたが、久しぶりに大好きなミュシャの作品を。好きな作品ばかりですが、今回から「私の好きな美少女・魅惑の美女を数珠繋ぎ的に、時折画集等から取り上げさせて頂きたいと思います。ミュシャ展には2度行きました、かなり前になりますが。美しさの中に漂う独特の神秘的な世界がとても好きです。美しい女性たちや草花、四季、音楽、演劇・・・といった私の好きな芸術世界に溢れています。19世紀末から20世紀初頭に、多くの作品を残してくださり、後世の私たちがそれらの美にふれることができる幸せに感謝したいです。

この『星』(Les Etoiles)と題された1902年のシリーズ作品は、『月光』(Clair de Lune)『宵の明星』(Etoile du Soir)『北極星』(Etoile Polaire)『明けの明星』(Etoile du Matin)からなるものです。中でも一等好きな作品が『月光』なのです。うら若き女性はまだ少女の面影を残しつつもどこか妖しげで、目が合うものでドキンとします。ミュシャの絵の外縁の草花はアール・ヌーヴォー芸術としても不可欠ですが、この色彩も華やかな色合いの作品とは違った魅力です。少女の仕草と背後の薄明かりな月光。青白い月光と夜空は詩的モチーフにピッタリです。神秘と幻想の淡き星空、そして美しい少女。

※まったく不規則な更新で申し訳ございません。ちょっと最近の近況を。当店(RECORD&CD SHOP VELVET MOON)のサイトがサーバートラブルに遭い、2週間弱反映されないアクシデントで落ち込んでいました。けれど、今は無事復旧しておりますので安心しています。そして、多分、年内に刊行されるフリーペーパーに執筆することになりまして、その原稿の締め切りがもう僅か!東京発のものですが、当店にも幾部か頂けると思いますので、また完成しましたらお知らせさせて頂きます。次号にも継続されるということで、私のコーナーのタイトルを真剣に考えているのですがどうも...。音楽と映画のコラムになりますが、敢えて少女や女性ヴォーカルに拘らずに作品を候補に上げているところです。私の思春期から青春期は紛れもなく80年代ですので、とりわけ音楽は80年代の作品に思い入れの強いアルバムや楽曲が多数あります。ちょっとマニアックなNew Wave作品(CD化されていないアルバム、DVD化されていない映画など)をとの事で進めています。有名なミュージシャンやアーティストの記事も掲載されるそうで、恐縮ですが私の器内で頑張りたいと思います。
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by Claranomori | 2011-10-29 18:55 | 絵画の中の少女・女性たち