あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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カテゴリ:銀幕の美少年・少年映画( 48 )

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★「なぜ?」と問いながら生きてゆく。それが人生なのだと想いながら、ふと懐かしいフランス映画が脳裡に蘇り、深夜観返していました。多分3度目ですが、前回観た折は超平和ボケの頃で、ただただ少年同士の友情や別れに号泣するばかりでした。けれど、今回は細部の台詞や時代背景などを注意しながら観ることが出来、戦中戦後、現在の日本の状況とも重なり合う部分が多々あることに気づき想いもさらに。

前々から、フランスに親近感を抱いているのですが、そんなお話を友人にすると、私が長年フランス贔屓なので日本との親和性を見つける脳になっているのでは、という愉快な会話。自分でもそうかもね...と想うので、出来るだけ冷静に鑑賞してゆきたいです。けれど、やはりシンパシーを抱きます!フランスは戦勝国ながらドイツ、ナチス占領下にありました。日本は敗戦後GHQ占領下にありました。お国柄も人種も異なりますが、この『サンドイッチの年』の中で描かれる幾多の共通項故に。主人公はヴィクトール少年(演じるトマ・ラングマンはクロード・ベリの息子さん)と彼を雇い面倒をみてくれるマックス小父さんとも云えます。共にポーランド系ユダヤ人で家族を失っています。マックスはクズ屋(字幕に依る)を営んでいるけれど、戦後のどさくさで闇市商売をしている人々、GI(アメリカ)、フランスのキリスト教者たちに対して距離を置いて生活している、やや頑固な小父さん。近隣の人々が戦後すっかりGI及びアメリカ製、英語、米国という異国に憧れを抱いている様子とは対照的なユダヤ系フランス人で、ユダヤ人としての誇りを強く持ち続けて生きているのですが、異教である十字を切ることも出来る。
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日本ではユダヤ人ということでの排他的気運からは離れて来たものの、イラン、イラク、イスラエル、パレスチナへの姿勢はアメリカに倣え。朝鮮戦争もあり二つに分かれた韓国と北朝鮮との関係もねじれたまま、根本的な問題を棚上げにしながら混沌化。白洲次郎氏の「アメリカは食料だけはくれた」というような記述を読んだ事があります。日本を奴隷制度にしなかったアメリカは、嘗てのフランスやイギリスのアジア諸国で強いていた植民地制度とは異なり良かったと想います。今想うのはやはり異国、異教徒の人々との共生は言葉では「お互い寛容に」と想いながらも、そんな言葉も薄っぺらいものに過ぎず、分からないものは分からない。けれど、異なる国家や文化に対してお互いが理解を示そうと歩み寄る対話は拒絶してはならないように想うのです。それらを戦後日本はお金で解決しようとばかりして来たのではないでしょうか。故に、隣国(中国、北朝鮮、韓国、ロシアと地政学的に大変ピンチな状況!)との摩擦が生じたまま解決策も見いだせないまま今日に至るような。

陽がまた昇る限り いい日も来る。
今年のような年は、ハムの薄切れのようなものだ。
2枚の厚いパンの間にはさまって、つまり、サンドイッチの年だ。
そういう時はよく噛みしめなきゃならん。
カラシが一杯で涙が出ても 全部食べなきゃならんのだ。
全部だ、いいな。

このように終盤、ヴィクトールにマックスが語ります。ここで込み上げてくるように涙が溢れました。嗚呼、美しくも儚く過ぎゆくけれど、決して失われはしない10代の風景!兎に角、再確認できた事の一つはマックス役のヴォイチェフ・プショニャックはやはり素晴らしい俳優だ、という事です。ポーランド(現在はウクライナ)出身の、アンジェイ・ワイダ監督作品に欠かせないお方であり、大好きな『コルチャック先生』でヤヌシュ・コルチャックを演じていたお方です。歳を重ねる毎にアンジェイ・ワイダ監督や石原慎太郎氏が好きになってゆく私ですが、色々と合点!因みに、この主人公のヴィクトールの年齢は15歳(石原慎太郎、浅利慶太、大島渚は皆ヴィクトール少年と同年齢)。この『サンドイッチの年』での舞台となる年は1947年7月~8月。第二次世界大戦中と戦後を、サンドイッチの年として現体験している世代の方々なのです。これは逃れようのない運命とは云え、その体験から来る想いは書物で詰め込んだ歴史観、国家観よりもずっしりと重く響くようです。日本を想い社会と共闘して来た先輩方にイデオロギーや思想の差異はあれど、私の世代などには希薄な何か連帯、仲間という意識が強く心に刻まれているのだと想え、憧憬のような気持ちも抱きます☆

サンドイッチの年 / LES ANNEES SANDWICHES
1988年・フランス映画
監督:ピエール・ブートロン
製作:フィリップ・デュサール
原作:セルジュ・レンツ 脚本:ピエール・ブートロン、ジャン=クロード・グルンベルグ
撮影:ドミニク・ブラバン 音楽:ロマン・ロマネッリ
出演:トマ・ラングマン、ニコラ・ジロディ、ヴォイチェフ・プショニャック、ミシェル・オーモン、クロヴィス・コルニアック、フランソワ・ペロー

【あらすじ】 1947年7月、15歳の少年ヴィクトール(トマ・ラングマン)は、両親がナチスに連れ去られて以来、初めてパリに戻ってきた。地理に不案内な彼は地下鉄構内で、伯父さんの仕事を手伝うためにパリに到着したばかりの金持ちの息子フェリックス(ニコラ・ジロディ)と出会い、すっかり意気投合する。彼の案内でかつて住んでいたアパートを訪ねるヴィクトールであったがそこにはもう彼の知る人は誰も住んでいなかった。途方にくれて街を彷徨い歩いているうちに古物商の戸に貼られた求人広告を見つけ、行く宛のない彼は店主のマックス(ヴォイツェフ・プショニャック)に雇ってくれるように頼み込み、やがて屋根裏部屋に住み込みで店の手伝いをする事になったヴィクトールは、おこりんぼで皮肉屋、一筋縄ではゆかない偏屈者、しかしユーモラスで傍若無人の頭の裏には温かい心が隠されている複雑な人柄をもつマックスにあたふたと振り回される日々と、親友フェリックスとの心躍る出来事に満ちた楽しい休日の中で生活してゆくことになる。ところがそんな時に、闇取引をしている少年ブブル(クローヴィス・コルニヤック)と接し、その取引の場に首を突っ込むことになった二人は、予期せぬ事件からフェリックスが大怪我をうけたことにより、彼の家族から交際を禁じられてしまう。すっかり落ち込んでしまうヴィクトールに、マックスは静かに穏やかに、そして優しく温かく彼をなぐさめるのだった。だれの人生にも“サンドイッチの年”がある。人生の中で最も中味の濃い時期、噛めば噛むほどに味わい深くなる人生のちょうどつなぎの年、ヴィクトールにとって今がその“サンドイッチの年”なのだ、と……。(参照:MovieWalkerより)
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by claranomori | 2013-03-21 10:36 | 銀幕の美少年・少年映画
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★私はイラン映画が好きなのですが、アッバス・キアロスタミ監督は中でもダントツに好きです。素人の子供たちを自然な感じで撮っているようで観ていて親近感を覚えるのです。この『友だちのうちはどこ?』はジグザグ道三部作の第一弾となるもので、もう、とってもとっても大好きな映画。主役のモハマッド少年がとにかく健気で可愛い!イランの人のお名前って覚えにくく、特にこの二人の少年の名は似ているので注意を払って。
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その二人の通う小学校の先生はとても厳しくてアハマッド君に"明日ノートに宿題をしてこなければ退学だ!"と注意する。泣きじゃくるアハマッド君も可愛いけれど、モハマッド君の心配そうなその時の表情とか、もう胸が締め付けられるくらいに可愛いのです。お家に帰ると兄弟達の世話やお母さんのお手伝い、そして宿題...ととってもハード。机もなく背を曲げて床で勉強する。今の日本の状況とは全く違う。

お家のお手伝いを終え勉強しようとふと見ると、アハマッド君のノートが鞄に入ってる。返さなければ彼は宿題が出来ないので退学にされてしまう。そこで思い切って、隣町のアハマッド君のお家を探しに行く決意をする。でも、なかなか辿り着けない。道中に登場する大人たち、最後に親切な老人に案内してもらうけれど間違っていたり、もう日が暮れ真っ暗。諦めて我が家に帰ると両親に叱られ晩ご飯も喉に通らない。そして、アハマッド君の宿題もしてあげることにする。何て優しいモハマッド君!翌日、学校に登校するがアハマッド君は遅れてやって来る。そして、さり気なく、"やってあるから大丈夫。"とノートを渡す。そして、先生は"よくできました。"と仰る。ああ、良かった!と私は胸を撫で下ろす。監督は「子供の為の映画ではない。子供についての映画です」と語っていた。よく知らないイランの子供たちの様子を少し知ることができる。当たり前ながら、子供たちの純粋さ、子供たちでも子供たちの心で考えて行動するのである、ということを再認識させられる。でもイランの子供たちの境遇は苛酷。両親や先生、目上の人の言う事は絶対!という一昔前の日本もそうだったのだろうけれど、厳しい社会である。モハマッド少年の心が台詞少なに動きや表情で伝わってくる。なので、もうハラハラしたり、イジイジしたりしながら彼の行動を見守るしかないのだけれど、"急がなきゃ!"とか"ちゃんと聞いてあげてください"等と心の中で呟いていた。でも、お友達が退学にならなくて良かった。

この『友だちのうちはどこ?』の感動を一行で云うと、「このモハマッド少年の瞳の美しさが語ってるいるものに感動していた」と、云える程に綺麗な瞳の少年が主人公の、大好きなイラン映画です☆

友だちのうちはどこ?/KHANE-YE DOUST KODJAST?
1987年・イラン映画
監督・脚本:アッバス・キアロスタミ
製作:アリ・レザ・ザリン 撮影:ホマユン・パイヴァール
出演:ババク・アハマッドプール、アハマッド・アハマッドプール、ゴダバクシュ・デファイエ、イラン・オタリ
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※5年程前に書いたものですが、その映画ブログは閉じましたもので、場面等を追記し再度掲載させて頂きました。
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by Claranomori | 2012-01-31 00:01 | 銀幕の美少年・少年映画
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前述のウィリアム・ゴールディングの『蝿の王』の原作をハリー・フック監督が映画化した1990年のイギリス少年映画。この映画を観直してから書こうかと想いながら、どうも気が進まず、脳裏に焼きついている美しいジャック少年役を演じるクリス・フュール君のお姿を眺めていました。こんなに美しい少年が悪のリーダーとなってゆくので、かなり衝撃でした。この映画(原作共に)を観ずに少年映画もないでしょうが、やはりヘヴィです。原作では舞台は近未来でしたが、ハリー・フック監督映画では舞台をアメリカに置き換え、陸軍幼年学校の生徒たちを乗せた飛行機が墜落し、漂流する24人の少年たちを描いています。やはり最後は救出されますが、少年ラルフの涙が観る者の心に焼き付いているのではないかと想います。
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この映画出演しか知らないブロンドの髪の美少年クリス・フュール君。ラルフ少年役のバルサザール・ゲティ君は成長した現在も俳優を続けている。この美しいジャック少年(原作を後で読んだものでこのジャック少年の姿はどうしてもクリス・フュール君となってしまいます)が次第に"蠅の王"を掲げる野性派のリーダーとなり残忍になる。『蝿の王』とは聖書の中に出てくる言葉。「ベルゼバブ」という大悪魔はヘブライ語で「蝿たちの王」となるそうです。なので、ジャック率いるグループは「悪魔」の象徴で、対して、ラルフ少年を中心に"ほら貝"を「秩序」の象徴ということのようです。最初は規則を作り助け合って共同生活を誓う少年たち。次第にジャックをリーダーに野蛮になってゆく。ラルフやジャックたちより年少の子供たちは豚のお肉が食べたいのでジャックのグループに入ってゆく。漂流生活を想像しただけで私のような者は直ぐに死に至るだろうと想う。大人が誰も居ない中で何とか生き延びなければならない。お腹も空くし食べなければ体力は維持できない。サバイバルの世界...ああ!苦手。死んでしまう少年たち。最後に救出されてもラルフ少年の涙が全てを物語っているかのように、やはり、「無垢の終焉、人の心の暗黒」を知ってしまった少年の心。以前は"戦争ごっこ"だったのだろうけれど、現実には遊びではないことを知ってしまった少年の心。けれど、このラルフ少年の涙に私は希望を見い出したい!と願う。彼がそこで助かって良かったと笑顔で終えるよりも、失ってしまったもの(あるいは内在している醜悪な人間の姿)、その喪失感が涙で噎ぶのだと。人間なんて所詮こんなものだ!とは想いたくは無い...。

蝿の王/LORD OF THE FLIES
1990年・イギリス映画
監督:ハリー・フック 製作:ロス・ミロイ、ルイス・アレン 
製作総指揮:ルイス・アレン、ピーター・ニューマン
原作:ウィリアム・ゴールディング 脚本:サラ・シフ
撮影:マーティン・フューラー 音楽:フィリップ・サルド
出演:バルサザール・ゲティ、クリス・フュール、ダニュエル・ピポリー、バジェット・デイル、ゲイリー・ルール、アンドリュー・タフト、エドワード・タフト、マイケル・グリーン

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by claranomori | 2010-11-24 00:50 | 銀幕の美少年・少年映画
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★ジュール・ルナール(Jules Renard:1864-1910)はジュウル・ルナアルとされているものもある。外国語の日本語表記は難しい。この自然主義文学とも作風は異なり、なんとも異色の作家と思えるジュール・ルナールの『にんじん』は私が生まれる以前から家の本棚に並んでいた。『少年少女世界文学全集』の「フランス編」の中に。私はというと、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の映画『にんじん』を観たことで、この作家の原作とようやく一致した。ジュール・ルナールの『にんじん』が刊行されたのは1894年。児童文学の中にも入るけれど、年少の子供たちがそのまま読むとかなり怖い場面も多い。暗鬱であり残酷なのは執拗に折檻する母親の姿や無味乾燥な家族の情景だけではなく、にんじんことフランソワ少年の姿にも。作者であるジュール・ルナールの半自伝的な作品ということながら、ルナールは自らの少年時を美化するでもなく描いている。でも、それらの子供たちの姿は普通なのだとも思う。子供は純粋ゆえに残酷なことをしたり云ったりする。

1887年から1910年頃に執筆されたという膨大な『日記』がルナールの死後発表された。これはフランス文学史を少しばかり受講していた折に知ったこと。その日記の全貌は知らないけれど、ルナールの実の父親が病を苦に自殺されたこと、母親もその後井戸に落ちて亡くなっている(事故か自殺とも定かではないようだ)。こうした「事実は小説より奇なり」なことに時々遭遇してはゾクっとする。ルナールの描き方は淡々としていて簡潔。けれど鋭敏な洞察眼が魅力。その視線を見事に、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督は脚色し映像化されたと思う。

にんじんを演じるロベール・リナンも素晴らしい!レジスタンスという時代にリナン自身は身を投じ22歳の若さで死に至る。それまでに、『にんじん』以外でもジュリアン・デュヴィヴィエ監督作品の『我等の仲間』(1936年)、『シュヴァリエの放浪児』(1936年)、『舞踏会の手帖』(1937年)、またマルク・アレグレ監督の『家なき児』(1935年)にも出演されていた。『シュヴァリエの放浪児』と『家なき児』は未見なので観てみたいと思っているけれど...。

私は今のところ、やはりフランス文学とフランス映画を多く読んだり観たりしてきたよう。”フランス”だからと目くじらを立て読むのでもなく観るのでもない。そう云えば音楽もやはりフランスの音楽は好きである。意識しなくても気になるから興味があるから心が向かうのだろう。長い歴史のフランスという国の残した文化遺産のようなものたちに(英国やその他の国も同じように)。その中に、私の好きな「美」が山のようにあるのだから。知らないことだらけなので、まだまだ興味は尽きないけれど。

そんなことで、このルナールの同時代に同じジュールという名の作家がもうお二人浮かぶ。ジュール・ヴァレス(Jules Valles:1832-1885)とジュール・ヴェルヌ(Jules Verne:1828-1905)である。それぞれ勿論趣は異なるけれど、ヴァレスは自伝小説を書いている。小説家でありパリ・コミューンの闘士でもあったというお方。また、ヴェルヌは最も有名かも知れない。『海底二万海里』(1870年)や『80日間世界一周』(1873年)など、並外れた科学知識と空想力、ドラマティックなお話は人間ドラマであり文明批判をも含むもの。ルナールにしてもヴェルヌにしても、児童文学作家でもあるけれど、其処に留まるものではない。世界中の多くの優れた児童文学及び作家がそうであるように。

にんじん/POIL DE CAROTTE
1932年・フランス映画
監督・脚本:ジュリアン・デュヴィヴィエ 原作:ジュール・ルナール 
撮影:アルマン・ティラール、ティラール・モンニオ 音楽:アレクサンドル・タシスマン 出演:ロベール・リナン、アリ・ボール、カトリーヌ・フォントネイ、ルイ・ゴーチェ、クリスチアーヌ・ドール、コレット・セガル、マキシム・フロミオ、シモーヌ・オーブリ

前述の【『にんじん』 フランソワ少年と少女マチルド 監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ 原作:ジュール・ルナール】にもう少し追記いたしました。
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by claranomori | 2010-11-23 06:53 | 銀幕の美少年・少年映画
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★『少年の瞳』という1984年のオーストラリア映画。この映画の主人公の少年はとびっきりの美少年というタイプではないけれど、やはり、あの足とお声は愛おしいもの。ビルという名があるのに皆から「PS」と呼ばれている6歳の少年。その小さな少年の視線で映し出される。なので、大人たちを見上げる背丈の少年と上半身がすべて映らない大人たちの場面などもあり愉快。私は前世余程愛に飢えた子供時代を過ごしたのでは...と思えるくらいに、「孤児」「私生児」「戦争による悲劇」というような少年少女たちのお話に敏感。観ずにはおられないという感じ。

この『少年の瞳』の舞台は1930年代のオーストラリア。元々は英国の植民地であった国。英国好きなので好きな俳優方は英国にわんさか。オーストラリアにも優れた俳優方が多く好きなお方も多いのは、そんな歴史が関係しているのかもしれない。あまり国籍や人種で区別はしないので色々観る中で感じていることだけれど。

この映画は日本では劇場未公開。オーストラリアでは各賞を総なめにした作品だそうだ。この少年役のニコラス・グレッドヒルの出演作はこの映画しか知らない。大人たちの会話を耳にし瞳をうるうるさせる愛らしい少年。最後までお話の真相が細かく分からないのは、すべてこの少年の視線で描かれているからだろう。ミーハー故に、私はこの映画のもう一人の主役とも言える美しい叔母ヴァネッサ役のウェンディ・ヒューズが好き。他の作品でも素敵だけれど、この1930年代という時代設定で裕福な役柄。纏われる美麗なお衣装や濃い目のメイクのそのお姿は麗しい。時折、大好きなナスターシャ・キンスキーにホープ・サンドヴァルを足して、メグ・ティリーの雰囲気も重ねたような...。最後は英国に戻る船が事故に遭い死んでしまうけれど、PS少年の父親と若き日になにやら関係があったということらしい。なので、他の姉妹たちのPSを見つめる姿とは異なる。今も愛している人(姉の夫なのでややこしい)の姿を小さな少年の中に見ている。主役はPS少年なのだけれど、私はこのヴァネッサという貴婦人の人生にも興味を抱きながら観ていた。

PSというあだ名は変だけれど、皆そう呼んでいる。叔母が確か4人いた。お産の後死んでしまった母親シンディの遺言の中に書かれていた言葉が由来。この子供は「自分の人生のPS(追伸)のようなもの」だというような...PSが可哀相に思えた。優しい伯母ライラがPSの後見人となり6年を過ごしていた。決して裕福な時代ではないオーストラリアの1930年代。伯母夫婦は質素な生活の中で我が子のように温かく育てて来た。PSも実の両親のように慕っている。そんな矢先に英国からもう一人の叔母ヴァネッサがやって来る。PSを引き取りたいと。6歳の少年はライラ夫妻とヴァネッサの家を往来することになる。まったく違う過ごし方。ヴァネッサはお金持ちなので綺麗なお洋服をPSに与え、乗馬やピアノ、ダンスと色々習わせる。名門の学校に入れられるけれど、そこで「私生児」だとからかわれたりもする。PSはライラの元に帰りたい。けれど、養育費はヴァネッサの方が楽にある。ライラの夫ジョージが失業してしまったことは大きかった。当時のオーストラリアの不況を垣間見ることができる。PSの父親ローガンが突然現れてはまた汽車に乗って行ってしまう。金鉱を手にして戻ってくるというような夢を抱いて。父ローガンは妻のお葬式にも姿を現さなかったという。なので、PS少年はまったく父親を知らない。突如目の前に父親を見た少年の気持ちはどんなだったろう!きっと、よく分からない、言葉にもできない感覚だっただろうから、深く描かれてはいないので、勝手に想像して泣いてしまった。

PS少年が”ぼくはビルだ”という場面は特に感動的だった。実の母親の死を知り、父とも再会(また別れ)、叔母の死を経て、この小さな少年はまた少し成長したのだろう。辛いことが多いけれど、彼等(子どもたち)の前途は光に満ち溢れているものなのだから。そうであらねばならないと想い続けている。

少年の瞳/CAREFUL, HE MIGHT HEAR YOU
1984年・オーストラリア映画
監督:カール・シュルツ 原作:サムナー・ロック・エリオット 脚本:マイケル・ジェンキンス 撮影:ジョン・シール 出演:ニコラス・グレッドヒル、ウェンディ・ヒューズ、ロビン・ネヴィン、ジョン・ハーグリーヴス、ジェラルディン・ターナー、イザベル・アンダーソン、ピーター・ホイットフォード

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by claranomori | 2009-09-17 06:36 | 銀幕の美少年・少年映画
b0106921_5164070.jpg★寺山修司も絶賛された竹宮恵子作品というと欠かせない『風と木の詩』。私は連載時の途中からがリアルタイム。その頃の私は彼等の年齢より下だったけれど、不思議なくらいに違和感なく読み進めていた。後に、このアニメ化された映画をある友人と一緒に観たのだけれど、彼女は好きでも嫌いでもない...という感じだった。語った言葉が印象的で「ジルベールって女の子にしか思えない」と。面白いと思った。彼女には何か不自然なものを感じたようだった。女の子のような男の子でも男の子のような女の子でも私は変だと思ったことが一度もない(魅力的ならば憧れた)。私は今も作品で描かれる少年たちの世界を少女世界に置き換えて観ているのかもしれない、まったくの無意識の中で。男の子も女の子も同じく儚い刻を過ぎ行く。淡い想いを他者に抱くあの気持ちは誰にもあるだろう。私にもある。女の子であった。理解されないお方も多いだろう。いくらここまでボーイズラブという世界が市民権を得た今も。何かが違う気がする。私は限られた作品しか知らない。少女マンガが大好きだったことは誇りにも想う。けれど、早くに映画や音楽へと比重は大きく傾いて行き今に至る。すべてが私の大切な思い出たちであり記憶である。そして、今もこの作品を思い出すことで考えることが色々ある。歳を重ねる中でどうでもいい薀蓄も積もる。そんな「どうでもいいこと」が大切でたまらない!マンガが文学より劣ると安易に語るお方やそのような先入観を自然と持たれているお方も多い。私には優劣などない。美しい絵が沢山頁を彩りお話が進む。その原作が映画になると美しい絵は動き、語る言葉や音楽も一緒。頁を捲り読み進めてゆく愉しみとはまた異なるもの。

ジルベール・コクトー わが人生に咲き誇りし最大の花よ・・・ 遠き青春の夢の中 紅あかと燃えさかる紅蓮の炎よ・・・ きみは、わがこずえを鳴らす 風であった 風と木の詩がきこえるか 青春のざわめきが おお 思い出す者もあるだろう 自らの青春のありし日を・・・

このアニメ映画は僅か1時間程のもの。原作の最初の方のお話。セルジュの回想から始まる。そして、美しい音楽の調べは彼等の儚き刻を印象つける。幼き日のジルベールの微笑み。あの声。あの走る姿...もう戻り来ることのない時間。個人差はあれど、男の子も女の子にもある。今、立派な大人になっている人々にだって...。

※14歳のジルベールとセルジュ。私はあまりアニメに詳しくないので声優方のお名前も知らない。けれど、セルジュのお声があの「のび太君」だとはわかる。「白い王子」ことロスマリネも好きだったと懐かしく回想しながら、何故か物悲しい風が私をよぎるかのよう。聖なるものと邪なるもの。その狭間を想う。私の好きな世界はどうもその境界を漂うものが多いようだ。故に、考えることばかり、何故?と疑問ばかりで生きているのだとも想う。

風と木の詩 sanctus -聖なるかな-
1987年・日本映画
監督:安彦良和原作・監修:竹宮恵子 絵コンテ:安彦良和 
作画監督:神村幸子 美術監督:石川山子 撮影監督:高橋明彦 
音楽:中村暢之 音響監督:千葉耕一 
声の出演:佐々木優子(ジルベール・コクトー)小原乃梨子(セルジュ・バトゥール)榊原良子(アリオーナ・ロスマリネ)塩沢兼人(オーギュスト・ボウ)竹村拓(パスカル・ビケ)柏倉つとむ(カール・マイセ)

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by claranomori | 2009-09-16 07:06 | 銀幕の美少年・少年映画
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1981年のロバート・マーコウィッツ監督映画『ロングウェイ・ホーム』。この映画は当初はテレビ用に作られたものだそうだ。私は90年代になってから観たもので、既に主人公のドナルド(10代後半から青年期)を演じるこの映画の主役であるティモシー・ハットンは有名だし知ってはいた。けれど、この映画を観て好感を持てるようになったので思い出深いもの。この映画は”少年映画”とも云えるけれど、兄弟妹の離れても心の繋がりは断ち切ることはできないのだという”家族”という絆の尊さを奇を衒うことなく描いている秀作に思う。当時の私はこのような作風を優先して観ることはなかった(最初はロザンナ・アークエットをお目当てに観たのだから)。けれど、感動して号泣した。今感じるのは”アメリカの一風景”であるということに何か向かうものもある。このお話は実話に基づいたものだそうだし、このような子供たちが普通に暮らしているという現代アメリカという大国。そんなお話を新聞で読んで知るよりもずっとリアルに響くのはやはり映画な私。
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長男のドナルド7歳、次男のデヴィッド4歳、末っ子の妹キャロライン3歳という実の兄弟妹。娼婦の母親と職の定まらない父親に捨てられてから幼い3人だけとなる。そんな状況下に置かれた幼い子供たち。けれど、長男のドナルドはその日から弟妹の兄でありながら父親の役も担うことになる。どこから調達してくるのかコーンフレークやミルクなどの食料を分け与える。けれど、そんな彼らは施設に送られ里親の家へと離れ離れとなる。ドナルドはひと時も弟と妹のことを忘れることはなかった。擁護施設のカウンセラーの女性リリアン(ブレンダ・ヴァッカロ)にドナルドはしつこく彼等の居場所を尋ねるのだけれど、規則故に18歳になるまでは教えてもらえない。ドナルドは自分が18歳になる日をまだかまだかと待ちわびる。高校生のドナルドは美しい少女ローズ(ロザンナ・アークエット)と出会い、二人は卒業して結婚する。大切な妻との生活の中でもやはり弟と妹に再会できる日を願い続けていた。リリアンの尽力もあり先ず弟デヴィッドと再会。お互い成長した姿で兄弟なのにぎこちない様子に私は胸が熱くなるのだった。そして、名場面のひとつかな。幼い時、僅かな食料しかない日々。冷蔵庫のミルクをデヴィッドが勝手に全部飲んでしまった。再会した今、デヴィッドが飲み干す姿を見つめてあの日がオーバーラップするドナルドの心。妹キャロラインとは最後の最後でようやく再会!3人が時を経てまた抱き合うシーンをローズも優しく見つめている。決して大味ではないと思う。製作者であるリンダ・オットーはカウンセラー経験のあるお方で、リリアンの役どころにかなり彼女の視点を重ねることに成功しているようにも思う。私は女性なので、どうしても女性の目、視線を強く感じる傾向が過敏になって来ているようだ。女性だからすべて好きな描き方とも限らないけれど。ドナルドの子供時代を演じているのはウィル・ウィートン!後にリヴァー・フェニックスたちとの『スタンド・バイ・ミー』でさらに有名になったけれど、この『ロングウェイ・ホーム』(映画デビュー作のようだ)でも存在感を残しているので素晴らしい。親に捨てられバラバラになった兄弟姉妹たちは多い。それら皆がこのように再会できることは多くはないだろう。これは映画ながら現実の生活の中で見られることなのだ。里親が新たな家となる。そこで成長してゆく。けれど、”心の家”はただ一つ。あの汚れた顔の幼い子供たちの精一杯のコーンフレークとガランとしたテーブルが深く焼き付いている。きっと今もそんな子供たちが世界中にいる。それでも生きる子供たちに光をと願う☆
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ロングウェイ・ホーム/A LONG WAY HOME
      1981年・アメリカ映画
監督:ロバート・マーコウィッツ 製作:リンダ・オットー、アラン・ランズバーグ 撮影:ドン・バーンクラント 出演:ティモシー・ハットン、ブレンダ・ヴァッカロ、ロザンナ・アークエット、ポール・レジナ、ウィル・ウィートン、ジョン・レーン、ボニー・バートレット、セヴン・アン・マクドナルド
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by claranomori | 2009-06-05 08:12 | 銀幕の美少年・少年映画
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スタンリー・キューブリック監督の1975年映画『バリー・リンドン』はキューブリック作品で一等好きなもの。”少女愛惜”なら『ロリータ』というべきかも知れないけれど、どのキューブリック名作よりも私は『バリー・リンドン』が大好きなのだ。3時間を超える大作ながらまったく長く感じたことはない。好きな点は先ず映像美。レディ・リンドン役のマリサ・ベレンソン(このお方もルキノ・ヴィスコンティ映画で知ったお方)が纏う華麗なるお衣装やヘアスタイル(マリサ・ベレンソンは鬘ではなくご自分の髪だそうだ!)、壮大なる歴史ロマン...そして、何度観ても美少年ブライアン・パトリック・リンドン(デヴィッド・モーレイ:DAVID MORLEY)の可愛らしさ。こんなに可愛い少年が落馬により幼くして死んでしまう場面の前後は、もうずっと泣いてしまう。容姿だけではなく、お声があまりにも胸に痛く響く。今も浮かぶ”パパ、パパ..”という愛らしいお声や、死に際の”パパとママは喧嘩をしないで。愛し合うって約束して...そうしたら僕たちは天国で会えるよ。”...と語る場面が浮かびうるうるする。少年とも少女とも区別のつかぬ程の無性なる声!
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この二部構成の大作の魅力、好きな箇所を書き出すととても長くなるので、とりあえず大まかに。サッカレーのピカレスク小説『虚栄の市』をキューブリックが脚色したもので、撮影はアイルランド。素晴らしい音楽はチーフタンズがアイルランドの民謡を元に作ったものや、クラシック(ヘンデル、シューベルト、バッハ等)の楽曲たち。圧倒的な映像美はキューブリック特有の室内自然色を始め、撮影、コスチューム(徹底されている!)、ロケーション、俳優、スタッフ...と見事なまでに文学と映画と音楽と美術が結晶化されたかのように思える。ライアン・オニール扮するバリー・リンドンの野心。権力と財力と貴族の称号を得るために下層社会から這い上がってくる。第一部ではその様子が戦争の悲劇やロマンスと共に描かれている。そして、第二部である!ここからはバリー・リンドンの没落。美貌の貴婦人レディ・リンドンと恋に落ち、華麗なる一大資産に囲まれて暮らす身となる。レディ・リンドンとの間に生まれた愛息ブライアン(デヴィッド・モーレイ)をとても愛し可愛がっていた。けれど、お誕生日のプレゼントの子馬からブライアンは落下して死に至る。その頃のバリーは浪費と浮気と放蕩三昧。レディ・リンドンはブライアンの死後、鬱積していたものが心身を一気に破壊し始め狂乱状態で服毒自殺を図る。レディ・リンドンの前夫との間の息子ブリンドン卿は爵位継承者である。彼とバリーがお互いに憎み合う中で、妻であり母であるレディ・リンドンのお気持ちに私は感情移入してしまう。大切なものは失ってからその尊さを知るものだと感じるけれど、バリーは愛する息子の死にとても傷つき悲しむ。遂にはレディ・リンドンとの別離。母とアイルランドへと帰ってゆく。然程、興味のなかったライアン・オニールながら、このバリー・リンドン役はとても好きで見方が少し変わったようにも思う。

バリー・リンドン/BARRY LYNDON
    1975年・イギリス映画
監督・脚本:スタンリー・キューブリック 原作:ウィリアム・メイクピース・サッカレー 撮影:ジョン・オルコット 衣装デザイン:ミレーナ・カノネロ、ウルラ=ブリット・ショダールンド 音楽:レナード・ローゼンマン 出演:ライアン・オニール、マリサ・ベレンソン、パトリック・マギー、スティーヴン・バーコフ、ハーディ・クリューガー、マーレイ・メルヴィン、デビッド・モーレイ
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by claranomori | 2009-04-06 21:32 | 銀幕の美少年・少年映画
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大好き!な映画で覚悟して数回観ている。2年程前にスペインの歴史に関するものを読んでいた時期がある。それは、この映画の影響もあり、以前からよく知らないスペイン内戦について知りたいと思ったから。何故なら、その事実を背景とする作品に好きな映画が色々あったこと、何故、ルイス・ブニュエル達は亡命していたのかとか...あまりにも無知だったので。そして、この世界最初の代理戦争の史実と深い傷跡に、予想以上に私は落ち込んだというか、暫くスペイン映画を観れないような気分になったものだ。

久しぶりに、この『蝶の舌』を観返し、やはりラスト・シーンで胸がいっぱいになるのだった。グレゴリオ先生役のフェルナンド・フェルナン・ゴメス(故人となられたのは寂しい)は『ミツバチのささやき』以上に私の中で焼きついている作品。素晴らしい!そして、喘息持ちの体の弱い8歳の少年モンチョ役のマヌエル・ロサノ君は2500人もの中から選ばれデビューした少年。何ともいえない愛らしさで初々しい。その兄や両親の存在感も充分。そして、音楽は監督でもあるアレハンドロ・アメナバルで原作はマヌエル・リバス。

”アテオ!アカ!”と共和派の連行される人たち(先生もいる)に人々は罵声を浴びせる。母親にモンチョも叫ぶように言われ、先生と目を合わせながら遠ざかる先生を追いかけ、石を拾い投げながら”ティロノリンコ!蝶の舌!”と叫び終わる。8歳の少年モンチョは新しい体制のことも今から始まる内戦のこともよく分からないはず。でも、先生とのお別れだということは感じていて、教えてもらった鳥の名と蝶の舌と叫ぶ。そう叫ぼうなんて考えてもいない、自然と少年の心が叫んだのだ。なので、私はその美しさにふるえ凍てつくような気持ちで涙する。
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ホセ・ルイス・クエルダ監督はこう語っていた。
「製作中、ルイ・マルの『ルシアンの青春』とロッセリーニの『ドイツ零年』がいつも私の心を離れなかった。『蝶の舌』は、気づかないほど穏やかな、絶え間ないクレッシェンドとでもいうべき構造になっているが、上映が終わったとき、ある時代の忘れることが許されない愚かな出来事について、観客の方々に何かを感じてもらえたらと思う。自尊心を潰され、汚名を負わされ、そしてその汚名に生涯に渡って苦しめられることになった”もうひとつの戦死者たち”・・・・・私は、原作者リバスを筆頭に、我々が彼らの威厳を復活させることに、少しでも貢献できたらと思っている。」

「『蝶の舌』は、少年モンチョが信頼する教師や新しい友人たちや家族らを通して、人生の現実に導かれる通過儀礼(イニシエーション)の物語である。愛とは何か、友情とは、貧富とは、自由とは、そして卑怯、自尊心、裏切りといったものを学んでいく。しかし、それは1936年の夏の訪れとともに突然終わりを告げる。」


監督のこれらのお言葉の後に私如きが何を言えようか!ただ、”上映が終わったとき、ある時代の忘れることが許されない愚かな出来事について、観客の方々に何かを感じてもらえたらと思う。”と仰るように私は何かを感じ受け取り考えることが出来たと思っているので、この映画に出会えたことを嬉しく思う☆(2007年6月30日に綴ったものに追記致しました♪)

蝶の舌/LA LENGUA DE LAS MARIPOSAS
       1999年・スペイン映画
監督:ホセ・ルイス・クエルダ 原作:マヌエル・リバス 脚本:ラファエル・アスコナ 撮影:ハビエル・G・サルモネス 音楽:アレハンドロ・アメナーバル 出演:フェルナンド・フェルナン・ゴメス、マヌエル・ロサノ、ウシア・ブランコ、ゴンサロ・ウリアルテ
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by claranomori | 2009-03-07 07:52 | 銀幕の美少年・少年映画
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ジョセフ・ロージー監督のデビュー作である『緑色の髪の少年』(1949年)。60年も前の古い映画ながら色褪せない名作だと思う。私はジョセフ・ロージー監督は好きな監督を挙げると2番目か3番目には出てくる大好きなお方。この『緑色の髪の少年』を初めて観たのはずっと後で、英国人だとばかり思っていた。けれど、このデビュー作はアメリカ映画で、後に監督は”赤狩り”のためにイギリスに亡命したのだと知る。そんなことも想いながら観返すとさらに深い作品に感じるようになった。

ロンドンで暮らす裕福な少年ピーター君の丸坊主頭の姿から映画は始まる。児童心理学者のエバンズ博士との対話による回想...。クリスマスには大きな彩られたツリーがお部屋にあり、プレゼントに犬とおもちゃを貰ったと。そんな幸せな時間は短く、幼くして両親を戦争で亡くす。けれど、親戚の人々はまだ幼い少年にその事実を知らせることはできない。両親は外国に旅行に行っていると思うようにしていたようだ。子供心に両親が死んでしまったのだと感じていたけれど、まさか戦争で!とは思っていなかった。親戚中をたらい回しにされた挙句、優しいおじいさん(パット・オブライエン)と暮らすようになり、新しい学校へも通う。ある日、授業でドイツの戦争孤児たちの写真を見ることに。すると、級友が”君も戦災孤児だよ”と告げ喧嘩になる。両親は子供たちを救うために戦死したのだけれど、ピーター君には”他の子供を助けて、僕を捨てた”と思ったりする。町中で大人たちは戦争のお話ばかり。おじいさんは夜はお仕事で留守がちでピーター君は暗い夜を一人で過ごす日々。ベッドの横にはいつもバットを置いて...こんな状況で繊細で真心のある少年の心はどんなに恐怖だっただろう。

おじいさんの”明るいときには見えない、暗闇には見えるものがある”という言葉を信じて眠る。そんなピーター君は次第に夜の暗さが平気になってゆくけれど、多感な少年時代の想像力は豊かに働くのだろう。お風呂で髪を洗った後、髪が緑色になっていた。おじいさんと病院へ行くけれど、身体に異常はないという。例のないことだと。けれど、級友たちにはからかわれ、牛乳やお水のせいではないかと牛乳屋さんのおじさんも困ってしまう。本人が一番元の髪に戻りたいのに大人たちは髪を剃れば元に戻ると言って床屋さんで坊主頭にされてしまう。ピーター少年の幻想の世界。森の中であの授業で見た戦争孤児の少年少女たちに出会う。彼らはピーター君の緑の髪は”春の色、希望の色”だと言う。”戦争は子供を不幸にする”とも。そして、町の人々に戦争で地球が滅びること、愚かなことを告げて回る場面。軽やかな歌と綺麗な色彩の映像はとてもファンタジック。幻想的でメルヘン的とさえ感じるユニークな作風。ジョセフ・ロージー監督の秀逸な反戦映画!バーバラ・ヘイル扮する美人で優しい先生の存在も欠かせない☆
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緑色の髪の少年/THE BOY WITH GREEN HAIR
         1949年・アメリカ映画
監督:ジョセフ・ロージー 原作:ベッツィ・ビートン 脚本:ベン・バーズマン、アルフレッド・ルイス・レヴィット 撮影:ジョージ・バーンズ 音楽:リー・ハーライン 出演:ディーン・ストックウェル、パット・オブライエン、バーバラ・ヘイル、ロバート・ライアン、ドウェイン・ヒックマン
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by claranomori | 2009-02-24 21:05 | 銀幕の美少年・少年映画