あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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カテゴリ:大好きな映画監督( 6 )

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★アンジェイ・ワイダ(Andrzej Wajda)はポーランドを代表する国際的監督かつ脚本家で、1926年3月6日、ポーランド東北部のスヴァウキ生まれの現在87歳。1950年代から今日に至るまで、ポーランド映画を牽引して来られたお方。1953年、ウッチ映画大学を卒業。翌年『世代』で映画監督としてデビュー。1950年代末から1960年年代初めの、アンジェイ・ムンク、イェジー・カヴァレロヴィチらと並んで、所謂「ポーランド派」の旗手的存在となる。

反ソ連、反共産主義、レジスタンスを圧倒的映像で描き出した『世代』『地下水道』『灰とダイヤモンド』は、「抵抗三部作」とも呼ばれるもの。1980年代初頭には「連帯」運動との関連の『大理石の男』『鉄の男』、その他『約束の土地』『ダントン』『コルチャック先生』『パン・タデウシュ物語』『カティンの森』など。また舞台監督でもあり、坂東玉三郎主演の『ナスターシャ』の舞台演出と映画化。アンジェイ・ワイダは青年期から、日本の古典芸能や美術などの影響が大きいと語る親日派監督で、1987年には「京都賞(思想・芸術部門)」受賞。その賞金を基に日本美術技術センターを、ポーランドのクラクフに設立、開館。

ワイダ監督は、名誉と義務を重んじる軍隊的伝統の家庭に生まれ、そのような環境の下に培われた祖国に対する愛国心と道徳観を胸に1939年の戦争に突入した、と語っておられる。激動のポーランドを生きて来たワイダ監督ならではの言葉と映像には、やはり体験者、行動するものとしての重みがあります。第二次世界大戦期の占領下時代、戦後の社会主義政権時代、1989年の「連帯」大勝利から始まる民主化時代、そしてEU加盟に至る現代を、ポーランド人として、映画人として、また1989年にはポーランド議会の上院議員にもなられた。

1996年には、第8回高松宮殿下記念世界文化賞(演劇・映像部門)受賞。2000年には、世界中の人々に歴史、民主主義、自由について芸術家としての視点を示した業績を称えられ、第72回アカデミー賞名誉賞を受賞。2010年12月6日には、メドベージェフロシア大統領から友好勲章を授与されました。

映画監督にとって政治映画を作る際の最大の問題は、検閲の介入を容認するかどうかということではない。大事なのは検閲そのものを無効にしてしまうような映画を作ることなのだ。

ポーランドにあっては、芸術家はいい加減な映画を撮るべきではないと思っています。わが国の芸術はいつも社会的関係を有しており、芸術家は国家の状況、とりわけ政治・社会状況について語る義務があります。

- アンジェイ・ワイダ -

●代表作●
菖蒲 (2009) 監督/出演 
カティンの森 (2007) 監督/脚本 
パン・タデウシュ物語 (1999) 監督/脚本 
聖週間 (1995) 監督/脚本 
ナスターシャ ~ドストエフスキー「白痴」より (1994) 監督/脚本 
鷲の指輪 (1992) 監督/脚本 
コルチャック先生 (1990) 監督/脚本
パリ・ストーリー (1988) 監督 
悪霊 (1987) 監督/脚本 
愛の記録 (1986) 監督/脚本 
ドイツの恋 (1983) 監督/脚本 
尋問 (1982) 製作総指揮 
ダントン (1982) 監督/脚本 
鉄の男 (1981) 監督 
ザ・コンダクター (1980) 監督 
ヴィルコの娘たち (1979) 監督 
麻酔なし (1978) 監督/脚本 
大理石の男 (1977) 監督 
THE DEAD CLASS/死の教室 (1976) 監督 
約束の土地 (1974) 監督/脚本 
婚礼 (1973) 監督 
白樺の林 (1970) 監督 
戦いのあとの風景 (1970) 監督/脚本 
蝿取り紙 (1969) 監督 
すべて売り物 (1968) 監督/脚本 
灰 (1965) 監督 
二十歳の恋 (1962) 監督 
夜の終りに (1961) 監督 
灰とダイヤモンド (1957) 監督/脚本/原作 
地下水道 (1956) 監督
世代 (1954) 監督

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●偶然テレビで観たワイダ映画の初見は『地下水道』でした。リアルタイムな映画館での鑑賞は『ドイツの恋』でした。その頃、私はまだ10代でどちらの作品もよく分からないものでした。それでも、心に突き刺さった何かはその後ずっと。そして、歳月と共に、私の大好きな映画監督のお一人だと強く想えるようになりました。私が芸術と政治を切り離せないのは、アンジェイ・ワイダ氏の50年代から今日までの歩み、石原慎太郎氏の50年代から今日までの歩みは、その存在や言葉のみならず、稀なる激動の時代を生きて来た強い体験を抱きながら、現実の社会に関与して行くという行為に、崇高なる反骨精神を見るからでしょうか(批判する人々は書きっぱなしで責任も実務も伴わないのですから)。

アンジェイ・ワイダと石原慎太郎の両氏は、1962年のフランソワ・トリュフォー監督が企画したオムニバス映画『二十歳の恋』に、ポーランド、日本から監督作品参加されています。想えば、両氏共に絵も描かれます。私はコスモポリタンな思想の芸術家よりも、やはり母国、祖国愛が、国家がご自身の中にしっかりとあるお方に憧憬を抱きます。またそれは敬意という言葉と共に学びとなっている過程でもあります。後の世代の者ながら、このような稀有な方々にはいつまでも長生きして表現を続けて頂きたいと願っています☆
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by claranomori | 2013-08-12 11:09 | 大好きな映画監督
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ベルナルド・ベルトルッチ:BERNARDO BERTOLUCCI
生年月日:1940年3月16日 魚座 イタリア・パルマ生まれ

★ベルナルド・ベルトルッチ(Bernardo Bertolucci)は1940年3月16日生まれの、北イタリア、エミーリア地方のパルマ出身の映画監督。父親は有名な詩人かつ文芸評論家のアッティリオ・ベルトルッチである。早熟な詩人で23歳の折に『11月の火』という詩集を出版している。母親のジネッタ・ジョヴァナルディはオーストリア出身で、アイルランド人の母親ととパルマ出身のイタリア人の父親との娘である。ベルナルドには六つ下の弟、ジュゼッペがいる。ベルトルッチはパルマの丘に近い大きな家で少年時代を過ごし、1952年に家族と共にローマに移った。けれど、ベルトルッチ少年にとって故郷パルマは忘れ難く、帰郷の機会をうかがっていた。故にパルマとその近辺のエミーリア地方はパリと共に、ベルナルド・ベルトルッチ作品の重要な背景でもある。

まだ10代のベルナルド・ベルトルッチは1956年から1957年には、パルマで短編映画を撮影していた。『豚の死』である。そして、『ローブウェイ』という作品も撮っている。その後、ローマ大学を中退し、ピエル・パオロ・パゾリーニの助監督を担当し、1962年の監督長編処女作『殺し』以降、国際的映画監督として歩み始める。パリのシネマテークに通いづめ、イタリアの同時代の映画よりもフランスのヌーヴェル・ヴァーグ作品に夢中になっていた。殊にジャン=リュック・ゴダールの影響は大きい。詩、歴史的映画と時間、故郷、父親を求めるベルトルッチ自身と作品の中の分身たちとの対立と同化も特徴である。

端正な構図と物語の展開。その時間と空間は重奏的な詩のようでもある。ファシズムと社会主義の軋轢が主題であっても、ベルトルッチ映画は常に狂気と美の監督で、その美は甘美かつ残酷である。そのような美意識が私の心に響くのだろうと想います。また私の個人的な強い思い入れは『暗殺の森』であり『1900年』なのですが、それは惑うことなくドミニク・サンダへの愛ゆえに。

私は詩人の息子である。詩人の父は長年にわたって様々な雑誌に映画批評を書いていた。私は極めて早くから詩を書き始めたように、極めて早くから映画館にも通った。私たちはパルマに近い田舎に住んでいて、父は度々私を町に連れて行ってくれた。そして私は沢山の映画を見て、パルマの映画館の案内嬢は一人残らず顔見知りだった。私の父は映画を見ること、映画を理解すること、そして映画を愛することを教えてくれた。私の映画に対する愛は、私の祖父の田舎に対する愛が父の田舎に対する愛となって現れているように父の映画に対する愛に多くを負うている。

- ベルナルド・ベルトルッチ -

●代表作●  
ドリーマーズ (2003) 監督 
10ミニッツ・オールダー イデアの森 (2002) 監督/脚本 
愛の勝利 (2001) 脚本/製作 
アルマーニ (2000) 出演 
シャンドライの恋 (1998) 監督/脚本 
魅せられて (1996) 監督 
リトル・ブッダ (1993) 監督/原案 
シェルタリング・スカイ (1990) 監督/脚本  
ラストエンペラー (1987) 監督/脚本 
ある愚か者の悲劇 (1981) 監督/脚本 
ルナ (1979) 監督/脚本 
1900年 (1976) 監督/脚本 
ラストタンゴ・イン・パリ (1972) 監督/脚本 
暗殺の森 (1970)監督/脚本
愛と怒り (1969) 監督 
暗殺のオペラ (1969) 監督/脚本 
ウエスタン (1968) 原案 
革命前夜 (1964) 監督/脚本 
殺し (1962) 監督/脚本

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by claranomori | 2012-10-01 12:25 | 大好きな映画監督
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ジャン・コクトー:JEAN COCTEAU
生年月日:1889年7月5日 蟹座 フランス・セーヌ=エ=オワーズ生まれ 
没年:1963年10月11日

★ジャン・コクトーというお方の生きた歴史、軌跡がすべてアートであったと思う。詩人、戯曲作家、画家、映画監督、評論家...と肩書きはズラリと並ぶ。ジャン・コクトーの審美眼が好きだし、美学者としても大好きなのだけれど、映画監督としてもどうしても好き。戦争映画が盛んな折に幻想的な美しい映画を撮り、かなり前衛的な試みでもあった。ジャン・コクトーは1889年7月5日にパリ郊外のブルジョワ家庭に生まれた。10歳の折に父を自殺で喪っている。けれど、多感な少年は文学や音楽を心の支えに成長し、1909年に詩集『アラジンのランプ』を発表。以後、小説、評論、戯曲、絵画などでも活躍し、40代になり前衛映画『詩人の血』(1930年)を撮る。

「詩とは夢、奇跡、死に近い世界である」と考えていたというコクトーは、詩の世界を映画で表現しようとした。本格的に映画の仕事に取り組むのは第二次世界大戦直前、24歳のジャン・マレーとの出会いから。マレーが主演した『悲恋』(1943年)の脚色を経て、マレーのために構想された『美女と野獣』(1946年)を手がけた。以後も『双頭の鷲』(1947年)や『オルフェ』(1949年)などマレーを主演に3本の映画を撮った。これらの代表作に共通する不可能な愛。ゆえに、死によって成就する彼岸の愛を描くその甘美な美学は「コクトーのフェニクソロジー(不死鳥学)」と謳われている。こんなアーティスト(総合芸術家)は二度と現れないだろう!

●代表作●  
ジャン・コクトー/知られざる男の自画像 (1983)  
想い出のサンジェルマン (1967)  
山師トマ (1965) 脚本  
クレーヴの奥方 (1961) 脚本  
オルフェの遺言-私に何故と問い給うな- (1960) 監督/脚本/出演  
グレバン蝋美術館 (1958)  出演  
一つのメロディと四人の画家 (1954) 出演  
サント・ソスピール荘 (1952) 解説/監督  
恐るべき子供たち (1950)  脚本/原作  
オルフェ (1949)  監督/脚本/原作  
アモーレ (1948) 原作  
恐るべき親達 (1948) 監督/脚本/原作  
双頭の鷲 (1947) 監督/脚本/原作  
ルイ・ブラス (1947) 脚本  
美女と野獣 (1946) 監督/脚本
ブローニュの森の貴婦人たち (1944) 台詞  
悲恋 (1943) 脚本  
詩人の血 (1930) 監督/脚本
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by claranomori | 2010-08-05 06:14 | 大好きな映画監督
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フランソワ・トリュフォー:FRANCOIS TRUFFAUT
生年月日:1932年2月6日 水瓶座 フランス・パリ生まれ 
没年:1984年10月21日

★父は設計技師、母は雑誌社の秘書。しかし、両親はトリュフォーの生後間もなく離婚し、母の再婚後、叔母たちの家に預けられる。幼少期から映画に熱中し、初等教育を終え、15歳から工場で働き始める。しかし長続きはせず職を転々としている内に、友人と映画狂サークルを作り始める。その間にトラブルなどを起こし少年保護観察所に入所したりもしている。1950年には会社をサボりシネマテーク通いを始め、そこの常連のエリック・ロメール、ジャック・リヴェット、ジャン=リュック・ゴダール、クロード・シャブロルらと同人誌を刊行。翌年、失恋の痛手から軍隊に志願するものの、脱走し「カイエ・デュ・シネマ」の映画欄を執筆し、辛辣な批評を発表。1956年にロベルト・ロッセリーニ監督の助手となる。1957年、映画会社の令嬢マドレーヌ・モンゲンステルヌと結婚、翌年短編『あこがれ』を発表し絶賛される。この後、自伝的な処女長編『大人は判ってくれない』でカンヌ映画祭の監督賞を受賞。ヌーヴェル・ヴァーグの旗手として注目され、1962年には『突然炎のごとく』(61年作品)、1968年の『夜霧の恋人たち』、その後も各作品でフランス・シネマ大賞など映画賞を多数受賞。『隣の女』の主演女優ファニー・アルダンと公私に渡る関係となり、1984年に娘ジョゼフィーヌをもうけたが、癌のため10月21日に死去された。遺稿の『小さな泥棒』はクロード・ミレール監督、シャルロット・ゲンズブール主演によって映画化された。

フランソワ・トリュフォーというと「アントワーヌ・ドワネルの冒険」と題されたシリーズと、そのドワネル役のジャン・ピエール・レオーの存在、ジャンヌ・モロー、ナタリー・バイ、デリフィーヌ・セイリグ、イザベル・アジャーニ、カトリーヌ・ドヌーヴ、ファニー・アルダン...と素晴らしきフランス女優さま達、ジュリー・クリスティやジャクリーン・ビセットの英国女優さまたちも♪そういう私の好きな女優さまたちを拝見できると共に、どの作品にも平凡な私のような人間にも共鳴を与えることの出来る、普遍的なテーマを扱ってきたのも、好きな要因だと思う。初めて観たトリュフォー作品はテレビでの『黒衣の花嫁』だった。劇場でのリアルタイムは『日曜日が待ち遠しい』のみ(まさかの早世だったので)。その後、特集などが組まれて過去の作品も徐々に観る機会に恵まれたり、あまりにも大好きな作品はビデオを購入したりして、今もそれらの映画たちが好き♪トリュフォー監督作品で嫌いな作品は全くない程、とても好きな監督☆

●代表作●
フランソワ・トリュフォー/盗まれた肖像 (1993) ドキュメンタリー
小さな泥棒 (1988) 原作
日曜日が待ち遠しい! (1982)
隣の女 (1981)
終電車 (1980)
未知との遭遇 特別編 (1980) 出演
逃げ去る恋 (1978)
緑色の部屋 (1978)
未知との遭遇 (1977) 出演
恋愛日記 (1977)
トリュフォーの思春期 (1976)
アデルの恋の物語 (1975)
映画に愛をこめて アメリカの夜 (1973)
私のように美しい娘 (1972)
恋のエチュード (1971)
家庭 (1970)
暗くなるまでこの恋を (1969)
野性の少年 (1969)
黒衣の花嫁 (1968)
夜霧の恋人たち (1968)
華氏451 (1966)
彼女について私が知っている二、三の事柄 (1966) 製作
マタ・ハリ (1964) 脚本
柔らかい肌 (1963)
二十歳の恋 (1962)
突然炎のごとく (1961)
ピアニストを撃て (1960)
大人は判ってくれない (1959)
勝手にしやがれ (1959) 原案
あこがれ (1958)
水の話/プチ・シネマ・バザール (1957~1989)
王手飛車取り (1956) 出演
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by claranomori | 2007-05-17 07:06 | 大好きな映画監督
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ダニエル・シュミット:DANIEL SCHMID
生年月日:1941年12月26日 山羊座 スイス生まれ 
没年:2006年8月5日

★スイスの大きなホテルを営む一家に生まれ、少年時代からホテル内の探索と映画や音楽に興味を抱いていたという。1962年にベルリン自由大学に入学。この時期、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーたちに出会い映画を志す。1968年にテレビ用の短編映画で監督デビューし、1972年の「今宵かぎりは…」で劇場映画デビュー。80年代には「青髭」「ルル」「シャモニーのリンダ」などオペラ演出家としても活動されていた。また「アメリカの友人」「ロベルトは今夜」などでは俳優として出演。残念ながら2006年8月5日死去。個人的に2006年の大切な悲しいニュースのひとつとなる。

追悼。決定的な映像が私に焼きついている数少ない監督。その虚構美とも言われる現実と幻想の境界線を超越したかのような映像。夢へと誘う至福の瞬間を映画館のスクリーンで体験出来た。あのイメージは今も忘れられない。ルキノ・ヴィスコンティの耽美、ルイス・ブニュエルの幻想美とも違った、魔法のような映像だった。静かで綺麗なロマネスク。また貴重な映画人がこの世を去ってしまったのだな...。この訃報を知り今もまだ上手く気持ちが言葉にならないでいる。

●代表作●
ベレジーナ (1999)
書かれた顔 (1995)
季節のはざまで (1992)
デ・ジャ・ヴュ (1987)
人生の幻影 (1984)
トスカの接吻 (1984)
ヘカテ (1982)
カンヌ映画通り (1981)
ラ・パロマ(1974)
今宵かぎりは… (1972)
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by claranomori | 2007-02-02 06:44 | 大好きな映画監督
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ルキノ・ヴィスコンティ:LUCHINO VISCONTI
生年月日:1906年11月2日 蠍座 イタリア・ミラノ生まれ 
没年:1976年3月17日

★イタリアの名門貴族に生まれ、芸術的香りに満ちた環境で演劇の素養を高めながら成長。映画監督としてデビューするきっかけは、パリでココ・シャネルにジャン・ルノワールを紹介され助監督を務めたこと。1942年に監督デビュー。1944年のレジスタンス活動により捕らえられるが、連合軍のローマ解放で自由となる。1963年にカンヌ国際映画祭にて『山猫』でパルム・ドール受賞。その他世界的映画祭で多数の受賞。しかし、アカデミー賞の受賞はない。それも納得出来る。ルキノ・ヴィスコンティは映画に留まらず演劇やオペラの舞台も多数手掛けている。間違いなく20世紀の巨匠のお一人。そして、私にとって一等大好きな監督。

個人的にとても尊敬していてかつ自分でもよく分からないけれど多大な影響を受けてきた大監督。公爵の息子として生まれ育ちとっても裕福。絹の手触りには慣れすぎて庶民が着ている綿のお洋服を着たがったという。ルキノ・ヴィスコンティの大きなお屋敷のためだけに一軒のお花屋さんが存在している。町で土を掘っている人々、海の漁師たちの躍動に憧れを抱く。貴族である自分が嫌でも生まれながらの貴族。そういう哀切さ。作品の中で描かれる愛は敗北。華麗な頽廃美を細部にまで拘って美しく描く。初期のネオリアリスモ時代から『夏の嵐』以降の壮絶なまでの華麗なる世界。赤い貴族、ヴィスコンティ作品はどれもひとつの美術品のよう。今年の2006年で生誕100年。残念ながら私はヴィスコンティのリアルタイム世代ではないけれど『ヴィスコンティ映画祭』が幾度か巡り、80年代には劇場に連日通った。大好き!

●代表作●
ヴィスコンティの肖像 (1976)
イノセント (1975)
家族の肖像 (1974)
ルードウィヒ/神々の黄昏 (1972)
ベニスに死す (1971)
地獄に堕ちた勇者ども (1969)
異邦人 (1968)
華やかな魔女たち (1966)
熊座の淡き星影 (1965)
山猫 (1963)
ボッカチオ'70 (1962)
若者のすべて (1960)
白夜 (1957)
夏の嵐 (1954)
われら女性 (1953)
ベリッシマ (1951)
揺れる大地 (1948)
郵便配達は二度ベルを鳴らす (1942)
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by claranomori | 2005-12-29 06:32 | 大好きな映画監督