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カテゴリ:本の中の少女たち・少年たち
2011年 12月 17日
![]() ★ふと、高校から大学に入った時期に本や映画の趣味が合うので親交のあった友人を想い出す。彼女は所謂ミステリー小説愛好家でとても詳しく熱狂的で個性的な方だった。私はというと、ドイツやフランスの古典文学を中心に、雑多に心の赴くままに読み漁るお気楽な読書人生を今も継続中。映画も音楽も美術も大好きなもので、それらが自然と繋がることが愉しい。そんな連鎖する作品たちを鑑賞しては、私なりの感想や想いが後に残る。その友人に奨められたミステリー小説のことに触れたいのだけれど、その前に今日も19世紀の英国文学より。 以前にチャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』のことを少し書いたのですが、ディケンズの晩年期の大作『荒涼館』(1852年~1853年刊行)の主人公エスターとキャディの二人の少女(娘)の挿絵をお借りして。 『荒涼館』の語りとなる、主人公である賢明で美しい家政婦の少女エスター・サマーソンと、滑稽な慈善事業家のジェリビー夫人の娘キャディ・ジェリビーの友情、エスターの出生の秘密、浮浪児ジョー...など、ディケンズらしいユーモア溢れる人物描写の中で、19世紀イギリスの貧富の差などの社会の様子も窺える、推理小説的でもある群像劇。 上のエスターとキャディの絵は、フィズ(Phiz)として知られるイギリスのイラストレーター、ハブロット・ナイト・ブラウン(Hablot Knight Browne:1815年7月12日~1882年7月8日)によるものです。チャールズ・ディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』も担当しています。 2011年 12月 11日
![]() ファンションはまだ一桁の小さな少女で、おばあさんのお家に行くのがとっても楽しみ。おばあさんもまた、孫娘に会い一緒に過ごす時間をとても楽しみにしている。おばあさんは会うたびに大きくなってゆくファンションを愛おしく見守っている。そして、おばあさんも嘗てのファンションの歳の頃を想い出したりするのだろう。大きくなってゆく少女と小さくなってゆくおばあさんは、正しく往還する女と少女であるので、私は老女と少女のお話は大好き!私個人はおばあさんという存在を知らない。父方も母方の祖母も私が生まれる前にとても若くして亡くなっていたので。それ故に、おばあさん、おばあちゃんという存在に憧憬を抱くのかもしれない。 小さなファンションは分からないことが多く、その都度、おばあさんに尋ねる。おばあさんとの会話で学ぶことは新鮮なことなのだ。かわいい孫娘のために、おばあさんはオムレツやパンケーキを作ってくれる。ファンションはおばあさんの手作りのお料理が大好き。そして、色んなお花や草木の茂るおばあさんのお庭で遊ぶことも。そのお庭には小鳥たちもやって来る。ファンションはパンくずをちぎっては小鳥たちに。けれど、色んな色の小鳥がいるように、太った元気の良い小鳥や、やせ細った小鳥、威勢よくパンくずを突きにやって来る小鳥も居れば、なかなか食べることの出来ない小鳥も居る。優しい少女ファンションは、小鳥たちと遊びながらも自然と学んで行く。パンくずをどの小鳥にもあげられるように、小さくちぎって。小鳥たちは嬉しくて囀る。その歌声を聞くとファンションも嬉しくなる。小鳥たちは小鳥たちの言葉で歌い語る。その意味は「神さまがおまもりくださいますように。」とファンションにお礼の気持ちを託して。ファンションは空の歌声に送られながら、おかあさんのもとへ帰ってゆくのでした。 小さな子供は子供なりに思考する。私は長い間、この世の中に悪い人は居ない、と思って大人になって行った。けれど、世の中には悪意というものが存在し左右され、人を傷つけることになったり、人や社会との関係に亀裂が生じることも多々あるのだと今は想う。みんなが仲良くというのは最上の理想なのかもしれない。あまりにも世の中は殺伐としている。それでも、せめて、身近に居る家族や友人、隣近所の人達のことを案じる気持ちは失いたくはないと今も想う。否、今だからこそ、強く想う。 ★『かわいい子どもたち』(講談社 少年少女世界文学全集)の収録内容を記しておきます。※後の題名は『少年少女』(岩波文庫)の方です。 ●「ファンションと小鳥たち」 ― 「ファンション」 ●「学校で」 ― 「学校」 ●「フレデリックの勇気」 ― 「勇気」 ●「カトリーヌのお客さま」 ― 「カトリーヌのお客日」 ●「野あそび」 ― 「野あそび」 以上の5編が収録されています。 2011年 07月 23日
![]() お話の中で殊に好きなのは「水仙の芽とガンダーラの仏像」という章。仏像は東洋のものだと思い込んでいたコペル君の心がわくわくするのが伝わってくるので。仏像は仏教思想からだけのものではなく、古いギリシャ彫刻の技師、技術だけで生まれたものでもない。両方が結びついて生まれたものだと、叔父さんの説明で知る。 ギリシャから東洋の東の端までの遠い距離―二千年の時の流れ―生まれては死んでいった何十億の人々― そして、さまざまな民族を通して、とりどりに生まれて来た、美しい文化! それは、なんというすばらしい広大な眺めでしたろう。コペル君は、自分の胸がふくらんで来て、何か大きく揺すられているような気持でした。丁子の花の香を運んで来る、夜の風に吹かれながら、コペル君はしばらく黙りこんで、卓上電灯を見つめていました。 ―昼間庭に立って感じた、あの延びてゆかずにいられないものは、何千年の歴史の中にも大きく大きく動いているのでした。 この世界の長い長い歴史が色んな所で繋がっていること、そんなことを想うのが大好きな私にも、似た心のときめきがこれまで幾度もありました。学校の授業の折も、映画や音楽を鑑賞していたり、古い絵画を眺めていたり、読書の中で知り感じたことたちが、ごちゃごちゃでも緩やかに頭の中で結びついてゆく、あの感じ!愉しい感動! この『君たちはどう生きるか』は残念ながらコペル君と同じ年の頃には知らない御本でした。もっと成長してからの80年代の岩波文庫で。岩波文庫でも古典やヨーロッパの文学を優先して読んでいたことが機会を逃していたのだと思います。『君たちはどう生きるか』というタイトルはちょっと教訓めいているもののようにも最初は感じたものですが、そんなお説教めいたものではないのでした。作者のこれからを生きる少年少女たちへの愛のこもった問いかけのようです。 元々は1935年10月に新潮社から山本有三氏の『心に太陽をもて』という作品が刊行され、これは山本有三氏が編纂した『日本少国民文庫』全16巻の第12巻で最初の配本。そして、1937年7月に完結し、吉野源三郎氏の『君たちはどう生きるか』はその最後の配本だったそうです。当時の日本は、満州事変が起こり、中日事変(日中戦争)となり、ヨーロッパでもムッソリーニとヒトラー政権によるファシズムの脅威という時勢。この『日本少国民文庫』は、そんな時勢の中でも、少年少女に訴える余地はまだ残っており、少年少女たちこそ、次の時代を担う大切な人々であり、守りたいし希望はあると、執筆制限も強くなっていながらも刊行を計画し実行されたという歴史の背景を見逃してもならないと思います。幾度も再販されていて、ポプラ社の『ジュニア版吉野源三郎全集1 君たちはどう生きるか』もあります。その時代の風潮によって戦後版削除、訂正箇所も幾つもあったようですが、時代に拮抗する著者の強い信念、想いが『君たちはどう生きるか』の全編から柔和に、かつひしひしと感じられ、伝わるので長く読み継がれているのだと想います。私もまた読み返すと想います。 ★『君たちはどう生きるか』 著:吉野源三郎 岩波文庫 VELVET MOON ONLINE SHOP(音楽と映画と本のセレクトショップ) 2011年 02月 18日
![]() このお話の中の少女シャーロットはこんな少女のようなのだ。以前綴った「ジョン・シンガー・サージェント:JOHN SINGER SARGENT」というお気に入りの画家の作品の中の一つ、『カーネーション、リリー、リリー、ローズ(Carnation,Lily,Lily,Rose)』という大好きな絵の中。白いお洋服を着た少女が二人。後ろ姿の方の少女がこの『メリーゴーラウンド』に登場する少女シャーロットのイメージ。ダニエルがテイト・ギャラリーで見つけた絵としても描かれています。不思議な運命の糸で結ばれたプルーとシャーロットの人生は、メリーゴーラウンドのように回り始めてゆく♪ ![]() 2010年 11月 11日
★アベ・プレヴォー(Abbé Prévost)の本名はアントワーヌ・フランソワ・プレヴォー(Antoine François Prévost:1697年4月1日~1763年12月23日)。その通称アベ・プレヴォーという名は何と云っても文学史上初の妖婦(娼婦)小説とされる『マノン・レスコー』が代表作。この『マノン・レスコー』は元々は『ある貴人の回想録』あるいは『隠棲した貴族の回想と冒険』(1728年~1731年)の第7巻が独立した作品。名門出の優秀な騎士シュヴァリエ・デ・グリューは帰郷する前日、ある少女を見かける。彼女の名はマノン。その可憐な美しさの虜になったデ・グリューは、修道院へ入るはずのマノンを伴いパリへ向かう。けれど、マノンはただの世間知らずの少女ではなかった。贅沢三昧の上、他の男性と関係をもつ。デ・グリューは父の下僕により強制的に連れ戻される。マノンが隠れ家を密告していたのだった。重なる裏切りに絶望したデ・グリューは修道院に入るが、会いに来たマノンにまたしても心奪われる。二人は駆け落ちをするけれど、田舎では退屈なマノンはパリに出てゆき、詐欺、逮捕、誘拐、逃亡と悪の道へ転落する二人。けれど、その途上、憔悴したマノンは息をひきとり、デ・グリューは長い時間抱擁する。天使のように愛らしく、悪魔のように残酷な女。正しくファム・ファタル(宿命の女)であり、妖婦(娼婦)小説の原型となった悲劇のロマンス。 プレヴォーはフランス、アルトワ地方エダンの貴族の家に生まれ、15歳(16歳説も)で入隊するが幻滅し修道士となる。けれど、それもまた馴染めず、その後は、イギリス、オランダ、ドイツ、イタリアを転々と放浪を重ねるなか、ようやく1743年にフランスに落ち着く。そのイギリス、オランダ時代に出会ったある女性との10年以上に渡る関係はプレヴォーの財政上の困難の原因となったという。そんな作家プレヴォーの実体験が反映されているようで、厳格な修道生活と享楽的な生き方の間で煩悶し、僧院を脱走しては恋愛事件を幾度も起こしていたという。国外追放の時期もある波乱万丈の人生は、作品の時代背景となる摂政時代、ルイ14世死後の、開放的かつ退廃的な当時の風俗描写と重ね合わせているようでもある。 魅惑的で小悪魔のようなマノンは謎の美女。きっと少女時代からロリータ的な魅力を持ち合わせていたのだろうけれど、作品の中で肉体的な特徴の描写がないのも不思議な魅力。オペラや映画作品にもこのお話は継承され続けているけれど、それらの作品の中で演じるマノン役の女性の魅力が様々なのも当然ということ。マノンはデ・グリューを愛していたのだけれど、お金が無くなると贅沢な生活に憧れ違う男性に走る...今ではこのようなお話は驚嘆すべきものではないけれど、このアベ・プレヴォーの『マノン・レスコー』は1731年!ルソーにも影響を与えたそうですし、プレ・ロマンティスム作品の一つでもあるので、後のフランス・ロマン主義の源流にある作品とも云えます。時代やジャンル的な形容で、作品を縛りつけるようなことは本来不可能なのだと想います。そうした前提で、やはりロマンティスムの光と影が好きです。 2010年 11月 07日
★レオン・フラピエ(Leon Frapie:1863年~1949年)の1905年の短編集『女生徒(L'Ecoliere)』。表題の『女生徒』の他8篇の9つからなる小さな物語たち。邦訳初刊は1938年のようですが、私は1995年の復刊時に表題が気になり購入。共に岩波文庫からの訳者は桜田佐によるもので、この復刊時のものも初刊の折と同様だと思える旧仮名遣いで、このような風情が好きですが、読み辛いと思われるお方もおられるかもしれない。大体、変な感じですね...縦書きに書かれた文章を読むことが多いのですが、こうして想いを書き留めておく場合は横書きなのですから。詩情のようなものが旧漢字等の変換もできず損なわれますがご了承ください。この『女生徒』の主人公も10歳の健気な少女の姿を描いたもので好きですが、最も印象強く残っているのは『愛の歌』というお話の中の、10歳の少女ルイゼットと、同じ建物に住む11歳の少年トトールの愛らしいお話。少女ルイゼットは金髪の痩せっぽちで青白く、ませた顔が妙におっとりした憂鬱さで淋しそうで、碧い眼は澄んで利口そう。蝶形に結ばれた青い編リボンの端が、左の耳の上、髪の毛の間から可愛らしくのぞいている。その彼女の護衛のような、また兄妹のような存在の少年トトールも金髪で帽子をかぶらず貧血症で、黒い手や墨だらけの顔は印刷屋の子供といった雰囲気で、悠々と鼻をほじくる。こんな様子で二人とも愛らしいのです。 少女ルイゼットの両親は別れていて母親と暮らしているけれど、週に一度、父親に会いにゆける。母のことづけの「お前、お父さんに、あたしあの人、好き・・・・・なもんかいつて云ひな。」という言葉をルイゼットは落ち着いて父に告げる。父も冷静な様子で沈黙が続くなか、外で待っている少年トトールの口笛が聞こえる。そろそろお暇しないといけない時刻。ルイゼットは、「ぢや、お母さんになんて云ひませうか?」と尋ねると、父は「同じ事を云っておくれ。私は母さんが好き・・・・・なもんかいつて。」 そうして、ルイゼットとトトールは家路へ向かう中、ルイゼットがトトールに教える。「お父さんとお母さんはもうぢき仲直りするわ。」と。そんな小さな二人も仲よく会話したりイライラしたりし合う。ちょっと険悪な空気になり、「今日はどうかしてるね!いゝかい、僕は、お前が好き・・・・・ぢやないつと。」「あたしもよ、いゝこと、あんたなんか好き・・・・・ぢやないわ。」暫くして、急に二人はにこにこする。もうぢき二人もいゝ仲になるだろう。 レオン・フラピエはパリ生まれの写実派の作家。この『女生徒』の訳者である桜田佐は以下のように序文で述べている。 櫻田佐 昭和13年夏 レオン・フラピエの作品の邦訳は少ないようですが、1904年の長篇『母の手(La maternelle)』はゴンクール賞に選ばれた小説で、平凡社から邦訳刊行されていました。訳者の序では『保育園』と題されていますが、原題は同じで邦題が異なる場合もあるので他の出版社からも発行されていたのかもしれません。フランス版の表紙も素敵です♪ ![]() ※同じタイトルの太宰治の『女生徒』も以前綴ったことを想い出しました。 2010年 11月 05日
![]() 1888年(19世紀末)作品ながらとてもモダンで、少女ルウルウは訳者の森茉莉さんのようにも想えたりしながら記憶されています。軽快でユニークな作品。主人公は、おしゃまな貴族の14歳の少女ルウルウ。天衣無縫な少女ルウルウの颯爽とした優雅な身のこなし、知性はのびやかで、男性に媚びることもなく、綺麗な少女ながら少年ぽいイメージも私にはあります。ゆえに、大好きな少女像でもあるのですが。森茉莉さんが翻訳されたのは1933年なので、作者ジィップの死後ということになります。その事は森茉莉さんも悲しまれていたそうです。 ジィップは革命の直後、貴族の家に生まれました。彼女は周囲の虚礼的な、そうして権力のない者を冷遇するような生活態度に反感を持っていたらしく、その文学にはそれが出てくるようです。また非常に頭のいいために男というものに不満で、くだらない男より動物のほうがいいというので動物に夢中だったといいます。彼女は少女のときに、モンテスキュウに可愛がられたそうです。上流の家に生れて、馬鹿げた因襲、虚飾に反抗して、男の悪口をいい、動物に夢中になっているルウルウはジィップそれ自身のようです。 引用:訳者のことば 森茉莉 より ![]() 著:ジィップ 訳:森茉莉 ※上のカラーの画像は2009年新装版の『マドゥモァゼル・ルウルウ』の見返しの美麗な絵(宇野亜喜良)をスキャンいたしました。天・地・小口はピンク(薔薇色)で、表紙も実物はもっと素敵です(ゴテゴテしていなくて)♪ 2010年 11月 02日
![]() これが作者であるジェイムス・クリュスの最大の願いのようで、エーリッヒ・ケストナーと同様に、当初の教師になることを止め、子どもたちのための本を書き始めたという経歴のお方で、上記の言葉は『ある物語作家の略歴』(1965年)より。また、ケストナーとの親交も深い。ジェイムス・クリュスは「おはなし丸の船長」として親しまれているという。エーリッヒ・ケストナー、ミヒャエル・エンデと共に現在ドイツの3大児童文学作家とされている。 『涙を売られた少女』(1986年)が『笑いを売った少年』(1962年)の続編であること。私はいつも思う。しょっちゅう泣いている私はまたしょっちゅう笑ってもいるではないかって!これらの子どもたちのために書かれた小説は今の私にも生きる力を与えてくださる。「涙と笑い」はコインの裏表のようなもの。表裏一体のもの。苦しい現実の中をこうして笑っても生きていられる幸せに感謝したい。次々と困難なことがやって来るけれど、それは大人だけではなくて、子どもたちだって同じ。そこで「考えること」を学ぶというのか、「しあわせの世界」を頭に描きながら、考えながら生きてゆくことは困難に立ち向かう術でもあるのだと。似たようなことを、私は幸いにも子供の頃から両親と親しんできた本や映画の中から学んで来たと想える。 私はこの『涙を売られた少女』というタイトルと表紙の淡い色彩の絵(装画:大間々賢司)に惹かれて読みました。なので、続編から読んだことになります。先に書かれた『笑いを売った少年』も読むと、面白いくらいに「涙と笑い」が表裏一体であることに心が涼しくなりました。そんなものなのだ、人生は!って☆ 『笑いを売った少年』作:ジェイムス・クリュス 訳:森川弘子★少年は最後にシャックリのついてくる、だれの心をも明るくしてしまうとびきりの笑いを持っていました。彼は三歳のとき、陽気で優しいお母さんと死に別れ、貧しい人々が暮らす裏通りのアパートに引っ越します。大好きな父さんは仕事で留守がちです。大人は皆そうですが、とりわけ訳の分からない継母や、わがままで意地悪な義兄さんとつらい日々を送っていました。日曜だけ、優しい父さんと競馬場に出かける日曜日だけは、まだ明るい笑い声を響かせていました。十二歳のとき、その父さんまで事故で失ない、天性の明るい笑いを忘れてしまいそうになりました。父さんの葬儀の日に出会った謎の紳士と取り引きし、どんな賭けにも勝てる力、つまり莫大な富と引き替えに、その素晴らしい笑いを売ってしまいます。やがて、富は幸せをもたらさないこと、笑いこそ、人生に不可欠のものだと思い知った彼は、十四歳で家を跳び出し、ハンブルクの港から、笑いを取りもどす旅に出ます…まだ笑うことのできる全ての人々のために。夢見ることが忘れられない永遠の少年達のファンタジー。そして、『涙を売られた少女』作:ジェイムス・クリュス 訳:森川弘子 はどちらも出版社:未知谷より発行されています。※あとがきによると、この「ティム・ターラーのテーマ」は「百一日物語」シリーズ(全17冊)で、1956年から1986年作品として刊行されているそうです。残念ながら邦訳されたものは今のところ僅かですが、上記の2冊を読むことができる現状に感謝したいと想います♪ 2010年 10月 17日
![]() 両親(母キャリーと義父アルバート)と4人の子供たちが、休暇に訪れた外国の古い砦の町でのできごと。12歳の少女ジョーは、その土地の少年アレクシスと友達になる。その少年の父親は政治的な理由から国外に亡命中。その異国は独裁政権下の国で、ジョーも兄のチャーリーも理解できないでいる。でも、ジョーはアレクシスに好意を抱いている。その少年アレクシスは親の居ない暮らしながら、亡命している父親のことを誇りに思っている美しい凛とした少年。そんな中、海軍による反乱計画によりアレクシスが巻き込まれてしまい、その事で兄妹たちはようやく独裁政権下の国で起こっていることを子供ごころで理解する。反乱は未然に防ぐことになったけれど、少年が捕えられるという衝撃的な事件は、少女ジョーにとって忘れることのできない体験となり、また、そのショッキングな休暇は、義父であるアルバートへの不信感も解けてゆき、ジョーを始め、兄妹たちの成長をも描いた、児童文学作品として画期的な作品で、著者ニーナ・ボーデンは自ら「推理・政治小説」であるという。 このようにニーナ・ボーデンは語っている。少女ジョー(わたし)は、あの時のことを考えると息がつまりそうになり、からだがちじむような思いをする。以前よりやわらいだけれど、今でもそんな気分になる。と、語っている。 この義父アルバートの言葉を胸に刻みながら、惨事は避けられたものの、友人が死んでいたかもしれないと思うと怖いだろうし、納得しきれないものもあるのは当然だろう。それでも、父を亡くして母の再婚という環境にもまだ馴染めずに、疎外感のようなものを抱いていた12歳の少女ジョーは洞察力もあり、小さな妹思いで優しく賢明な少女。自分の赤毛でそばかすの陽に焼けても赤くなるばかりの容姿にコンプレックスを持っているようなのだけれど、私も子供の頃から赤毛で陽に焼けると顔も髪も赤くなるばかりでそばかすも多かった時期(中学生の頃が最も顕著だった)を今でも思い出すので、なんだか少女ジョーは赤毛同盟のお友達のように感じたりしながら再読していた。そして、以前読んだ折はあまり私もお話がよく分からず、内容も異質だったので面白いと思えず印象が曖昧だったけれど、再読して良かったと思える。 この地中海の異国とはギリシャであり、コンスタンタン・コスタ=ガヴラス監督の作品たち、とりわけイヴ・モンタン主演での政治サスペンスの3部作『Z』(1969年)『告白』(1969年)『戒厳令』(1973年)を想起していた。コスタ=ガヴラス監督の娘であるジュリー・ガブラス監督による『ぜんぶ、フィデルのせい』(2006年)も大好きな映画なので、ジュリー・ガブラスの少女時代を勝手に想像したり。ギリシャの激動の歴史を詳しく知らないけれど、歳を重ねてゆく中で、こうして文学や映画などから教えて頂いている。コスタ=ガヴラス監督作品の初見は『戒厳令』であり、シャンソン歌手としても国際俳優としても名作の多いイヴ・モンタン主演映画の初見も『戒厳令』。10代の折でさっぱり意味も分らずテレビで観たのだけれど、モンタンの表情が焼きついてしまって、そこからモンタンの出演映画を追うようになり、今でもよく観返すし、モンタンの歌声も頻繁に聴いています♪ 2010年 10月 16日
![]() この『クララからの手紙』(1991年)は、ユニークかつ独創的な文体で綴られた短編集で、老境に入ったクララが宛てた手紙という淡々とした構成。中でも『夏について』の少女は、まるで自伝『彫刻家の娘』(1968年)の続編的(後日談)とも云えそうなトーベ・ヤンソンの少女時代を垣間見るかのようで大好き!屋根裏に秘密の小部屋を作り、初めて深い水の中を泳ぎ、ボートを漕いだり、韻のふみかたを発見したり、薪納屋の壁に絵を書いたりする。特にボートを漕ぐ練習の場面などクスクス笑ってしまえる程愉快。 母シグネとトーベは妥協を許さない強い意志や快活さも似ていたようだけれど、母シグネの颯爽としたおてんば娘ぶりとは違う。少女トーベも、のびのびしているけれど、母のようなガールスカウト活動には参加せずに、ひとり遊びを好む空想家の少女の姿を想う。けれど、ボートを漕ぐ練習などみっともなくて人には見せられぬ!という幼き少女に既にプロ意識のようなものがある。これらは、やはり母シグネからの影響がとても大きいのだろう。 また、『カリン、わが友』の美しい敬虔な少女カリンを見つめる少女の姿も愛おしい。相変わらず美しく寡黙で真面目なカリンと、随分長い年月を経て再会した折の描写も印象的。 この二人の少女の様子を思い浮かべるのが大好き!「わかった」「これだったんだわ。つぎに神の声が続くのよ」と再度かけてほしいと願うカリンと、銀河の震える余韻に呑み込まれ、やがてゆっくりと沈黙の中に消えてゆくと感じる二人で鑑賞している電子音楽の世界であるけれど、二人の少女の時間軸にはそうとうのずれが生じているのである。このピエール・シェーファーとは、ピエール・アンリと共に、フランスの偉大なるミュージック・コンクレートの創始者である音楽家ピエール・シェフェールのことで、クラウス・シュルツェとは、これまた偉大なクラウス・シュルツ(私も好きなのですが)であり、ドイツの電子音楽(ジャーマン・ロック~プログレ等)に欠かせないアーティストのお一人なので、トーベ・ヤンソンの作品の中で彼等の名が登場するのでとても嬉しく、その光景を想像してしまいます。 他にも、『エンメリーナ』の中のこの世の少女なのか幻想なのか...と思わせる不思議な浮世離れした少女エンメリーナ、また、トーベ・ヤンソンお得意の魅力的な老人たちの姿もある。この『クララからの手紙』 は、軽々と時間軸を浮遊するような柔和な短編集なのです。 ※このブログ名でもある「クララの森」のクララには幾人もの大好きなクララが居ます。ある一人の少女のことではないのですが、気がつくと愛しきクララたちが。この今は老女であるクララもその中のお一人なのです♪ < 前のページ次のページ >
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★アベ・プレヴォー(Abbé Prévost)の本名はアントワーヌ・フランソワ・プレヴォー(Antoine François Prévost:1697年4月1日~1763年12月23日)。その通称アベ・プレヴォーという名は何と云っても文学史上初の妖婦(娼婦)小説とされる『マノン・レスコー』が代表作。この『マノン・レスコー』は元々は『ある貴人の回想録』あるいは『隠棲した貴族の回想と冒険』(1728年~1731年)の第7巻が独立した作品。
★レオン・フラピエ(Leon Frapie:1863年~1949年)の1905年の短編集『女生徒(L'Ecoliere)』。表題の『女生徒』の他8篇の9つからなる小さな物語たち。邦訳初刊は1938年のようですが、私は1995年の復刊時に表題が気になり購入。共に岩波文庫からの訳者は桜田佐によるもので、この復刊時のものも初刊の折と同様だと思える旧仮名遣いで、このような風情が好きですが、読み辛いと思われるお方もおられるかもしれない。大体、変な感じですね...縦書きに書かれた文章を読むことが多いのですが、こうして想いを書き留めておく場合は横書きなのですから。詩情のようなものが旧漢字等の変換もできず損なわれますがご了承ください。





