あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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カテゴリ:神話・お伽噺・妖精譚( 11 )

 
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 前述の記事を書きながら、「八百万の神」と云いながら、はて、それはどこから来たのだろう?自然と共に生きてきた日本人には、漠然とこのような想いは多く共通するものだと想います。今全国で桜の季節の折、ちょっと思い出した桜のお姫様(女神)のこと。日本最古の書物である『古事記』より以下引用させて頂きます。

我が女ニたり並べて立奉りし由は、石長比売を使はさば、天つ神の御子の命は、雪零り風吹くとも、恒に石の如くに、常はに堅はに動かず坐さむ。また木花の佐久夜毘売を使はさば、木の花の栄ゆるが如栄えまさむと誓ひて貢進りき
古事記 

 1200年以上も昔の『古事記』の漢字や仮名遣いは、現代国語に慣れた私達には読み辛い。今も文字を打ちながら変換出来ずに時間がかかりました。けれど、そんな面倒な作業の中にも多くの学びと愉しみを感じてもいます。我が女二たり(わが娘二人)の我がとは父親の大山津見で、二人の娘とは「石長比売」《いはながひめ》と「木花之佐久夜毘売」《このはなのさくやびめ》。ニニギが笠沙の岬で出会った美しい乙女に求婚する。乙女は自ら返事をすることはできず、父がお答えいたしましょう、という流れで、たいそう喜んだ父は姉のイハナガヒメを添えて献上した。ところが、ニニギは美しいサクヤヒメだけを傍におき、醜い姉のイハナガヒメは送り返してしまった。このことを父は恥じ、「もしも二人の娘と結婚していたら、あなたの命は石のような不動性と、花のような繁栄を同時に手にすることができた。けれど、サクヤヒメだけを留めたので、天つ神の御子の寿命は花のように短くなるでしょう」と云う。

 醜い姉とされるイハナガヒメがお気の毒に想いながら、この美しい乙女サクヤヒメとの対比は石と花。石も美しいと想うけれど、花は美しいが短命、というイメージがあるので分かり易いです。コノハナノサクヤヒメの「サク」は「咲く」であり、「ヤ」は感動を示し、「咲く」には「栄え」「盛り」「酒」などと同根の、内なる生命力が外に向かって放たれる意味があるという。その象徴的なものが満開の桜であり、サクヤヒメという名に桜を想起させる。「サクラ」の「サ」は早乙女の「サ」と同様に神威の現れとし、「クラ」は神の寄りつく場所だとされ、木の花に宿る精霊、花の精なのだろうと想えます。大山津見にはもう一人の娘「コノハナノチルヒメ」がいるそうで面白いです。咲き誇る花と同様に、また散りゆく花にも神威を見たのですね。日本人には古来からこのような、木々、草花には神が宿るという、森羅万象の風土があると想います。それはやはり八百万の神であり、多神教の国日本を象徴しているようにも。またこのような観念から日本人は一神教であろうと他の神々、他の宗教にも寛容であるのではないでしょうか。ケルト、北欧、エジプトの神々などにも通ずるように想います。そんな神話、精霊と共に生きる世界観、愛らしく美しく、また儚げなお花たちの物語が私はとても好きです☆

 ●今日の読書、調べものは『古事記の読み方 - 八百万の神の物語』(著:坂本勝)を参照させて頂きました。

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by claranomori | 2014-04-05 14:52 | 神話・お伽噺・妖精譚


風も吹かない
日も照らない―
だのに 白雪が
そっと舞いおちる―
小枝も大枝も
広葉も棘も
みんな凍って
ひっそり さみしい。
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ささやきながら、寄りそいながら、
空に舞い、舞い、
敷居に石に、
そして屋根にも―どこにでも
雪は 粉の水晶片を積みあげて
どんな木でさえ 山にする。
一日の終りに
一本の冬の日差しが
淡く、かすかに
西空から消えゆくまで。
そして おぼろな月の出るあたり
火の羽根に覆われて、
一羽のこまどりが
さみしい調べを さえずりつくす。

詩:ウォルター・デ・ラ・メア 挿絵:ドロシー・P・ラスロップ 訳:荒俣宏
『妖精詩集』 夢の世界
より

★この『雪』はウォルター・デ・ラ・メアの1922年刊行の『妖精詩集』の中に収められている好きな詩の一つです。挿絵はドロシー・P・ラスロップで、各詩に寄りそうように一緒にあります。ニュースで東北及び首都圏の雪空、雪の中を歩く人々の姿を拝見いたしました。大阪は昨日から今日も雨模様。同じ日本に生きる人々なので、やはり気になります。私が雪掻きのお手伝いが出来るのでもないのですが...。ウォルター・デ・ラ・メア(Walter De La Mare:1873年4月25日~1956年6月22日)はイギリスのケント州チャールトン生まれの作家。幻想文学、詩集、児童文学と多岐に渡る独自の夢幻的世界を美しく綴る作家です。

ウォルター・デ・ラ・メアは幼な心を謳いあげた"幼な心の詩人"と謳われるお方。この『妖精詩集』の訳者である荒俣宏氏のあとがきには、西條八十や佐藤春夫、三好達治もウォルター・デ・ラ・メアを愛したのだとあります。また、江戸川乱歩は、デ・ラ・メアの名言「うつし世はゆめ、よるの夢こそまこと」を座右の銘にしていたのだそうです。

デ・ラ・メアの作風をひとことで述べれば、"夢の中に暮らす幼年期の感性"、ともあり、私はそうだからこそ、ウォルター・デ・ラ・メアの詩や物語が好きなのだと想えます。年々実年齢だけは増してゆく中で、どうしても幼き頃の風景たちが私の人生には不可欠のようなのです。夢の世界と現実の世界を往来できる作品に出合うと嬉しいです。

現実を見つめると重く悲劇的な気分に陥ります。殊に東日本大震災以降、否、おそらくあの終戦後(敗戦後と云うより)から日本の心は闇の中に沈むばかりだったのではないかと感じます。けれど、黙して耐えながら曙光を求め願い続けて来たのも日本人ではないだろうか、とも想います。雪の寒さの中ですが、どうか東北の皆様、頑張ってください☆
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by claranomori | 2012-01-21 18:05 | 神話・お伽噺・妖精譚
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★ヨーロッパのところどころに「悪魔の橋(devil's bridge)」と呼ばれる橋が存在し、その橋架けに悪魔が手を貸したという伝説がある。日本にも似たお話があるようですが、色々読んでいる中で面白く印象強かったお話の一つに、世界文化遺産でもあるスペインの「セゴビアの水道橋」のお話のこと。このセゴビアの水道橋の構想は紀元前80年(紀元前1世紀)頃の古代ローマまで遡るようなので共和政ローマ時代。そして、このセゴビアの水道橋を建造したのはトラヤヌス皇帝(在位:98年~117年)とされているので、所謂ローマ帝国時代の1世紀から2世紀初頭頃のもののようです。二段のアーチ119個を連ねた高さおよそ30メートル、幅4メートル、全長876メートルという巨大な建造物は、とても人間技では不可能で、きっと悪魔が作ったのだという伝承から「悪魔の橋」と呼ばれるようになったのではないかというものです。とりわけ、それに纏わる伝説物語が私には興味深いもので、悪魔と美しい娘の物語。

悪魔がセゴビアの町の美しい娘に恋をしてしまい熱心に言い寄る。たまたま水汲みに疲れてその白い腕の病める夜、娘は悪魔に、「もし明朝夜が明けるまでに、私の家の前まで水道をひいてくれるなら、そのお礼にあなたの言う事をきいてもいい」と返事をしてしまう。悪魔は大張り切りで一晩中、それこそ気狂いのようになって働いた。けれど娘は日の出とともに黒いつぶらな瞳をあけ、悪魔が最後のアーチに石を置くのを見てしまった。太陽の最初の光が、悪魔のしっぽを照らして輝いていたのです。

悪魔は約束通り一晩で完成させたと云う。けれど娘は見たので間に合わなかったのだと云う。そしてこの悪魔と娘の事件はセゴビアの法廷にまでもちこまれた末、結果は悪魔が日の出前に橋を架けることに失敗したという裁定で娘は救われた、と、ちょっと面白いお話です。この物語は『歴史のなかの 橋とロマン』という御本を参照させて頂きました。
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世界遺産であるセゴビア旧市街と水道橋には、ゴシック様式のセゴビア大聖堂とアルカサルの古城もあります。アルカサルの古城がまたとても幽玄たる美しい佇まいなのですが、ディズニー映画の『白雪姫』のモデルにもなったお城です。行ったことなど無いのですが、映画や音楽の源泉を辿ることが好きなもので、遥かなる歴史を書物などを通して読んだり眺めたり。史跡巡りをしながら神話や伝承物語にも遭遇できるので愉しいのです。
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by claranomori | 2011-07-31 20:50 | 神話・お伽噺・妖精譚
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★上の絵はスコットランドの画家ジョン・ファエド(JOHN FAED:1819年8月31日~1902年10月22日)の『クルエル・シスター』(1851年)です。英国のトラッドフォーク・バンドのペンタングルの歌にも同名タイトル曲があります。私はジャンルをあまり意識せず女性ヴォーカルがいつの間にか大好きになり、今では愛好しているのだという自覚さえあります。少女愛好と無縁でもないのです。そんな中でトラッドフォークが好きになってゆきましたが、何と云ってもあの幻想とロマンの歌詞の世界とメロディに魅了されたからです。そのきっかけとなった曲がペンタングルだったのです。

ロマン主義とも無縁ではなく、美しくも残酷な伝承たちは遥かな時代から生き続けている。元来、神話や妖精物語が大好きなので今もまだまだ色々と読んだり鑑賞したり。フランシス・ジェームズ・チャイルド(FRANCIS JAMES CHILD:1825年2月1日~1896年9月11日)というお方の大偉業である『チャイルド・バラッド』の文献の日本語訳(全部ではないけれど)が全3巻として発行された折は飛び上がる思いで、今も机の片隅にいつも居るご本たち。この『クルエル・シスター』は『チャイルド・バラッド』の10番(チャイルド氏の名がリスト番号となっている)の『二人の姉妹(THE TWA SISTERS)』と題されたものと類似したお話。似たお話は、イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズを中心にヨーロッパ各地までに及ぶ「バラッド集」は幾種類もの文献が存在する。私は特に研究家でもないので限られた手許にある資料を参考にさせて頂いている。

姉妹物語が好きでもあるので、今日はこの絵に関連した『二人の姉妹(THE TWA SISTERS)』のことを。この絵の三人は、真ん中の騎士と向かって左の女性が姉で右が妹。この騎士は妹を愛しているのだけれど姉の妬みにより、可哀相に妹は姉の手によって川へ突き落とされて死んでしまう。姉は黒髪であることが強調されているようで、妹は金髪で白百合のような手で細い腰の美しい娘である。しかし、姉の手によって溺死してしまう。妹は浮いては沈み浮いては沈み水車の堰まで流れてゆく。粉屋が娘を見つけ、竪琴弾きが通りかかり、その娘の蒼い姿をみつめ泣く。竪琴弾きは娘の肋骨(ほね)で琴を作り、娘の髪で弦を張り、その竪琴を持ってお城にゆく。その音色は石の心も和らげ、その調べは人の心を悲しませる。お城に着き石の上においたその琴はひとりでに鳴り出すのであった。

琴がならした最後の音は
ビノリー ビノリー
「ひどいお姉様のヘレンにわざわいあれ」
きれいなビノリーの水車のほとり

引用:『チャイルド・バラッド』より

「肋骨(ほね)で琴をつくり」、「髪で弦を張り」という現実的とも非現実的ともいえる表現について、ウィンバリーは「『二人の姉妹』は骨=魂の関係の証拠であり、娘の精霊が髪の毛に現れている」と述べている。なので、琴が妹の化身であるということでもあると、解説にあります。

「ビノリー ビノリー」のリフレインがまた不気味に美しいのですが、こうした伝承バラッドには詳しい舞台設定など無く、淡々と突発的に物語が進んでゆくのも愉快です。黒い髪の姉は色黒のようであり、この時代「黒い」とか「黒」は不吉なとか、野蛮、劣悪さの象徴とされていた時代。赤い髪もかなり酷い扱われ方をしてきたけれど、こうした伝承世界に有色人種に対する嫌悪は隠せない時代であったことも、長い歴史の中で考えさせられ学びとなると想っています。ちなみに、ペンタングルの歌の最後では、この残酷な姉は涙を流して終わりますが、バラッド詩の中では残酷な姉は妹の呪いの歌声(調べ)を聞きながら終えるのが通説のようです。
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by claranomori | 2010-10-08 08:49 | 神話・お伽噺・妖精譚
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ジョン・セイルズ監督の映画『フィオナの海』(以前少し綴りました)は、ロザリー・K・フライの同名原作『フィオナの海』を脚色し、荒涼としたアイルランドを舞台に妖精伝説をモチーフに、海にさらわれた弟が生きていると信じる少女フィオナ(ジェニ・コートニーちゃんがかわいいです!)を中心に描かれた、素晴らしい家族愛のドラマでもあると思います。その映画の音楽(サントラ)を聴いておりまして、その中に収録されている『フィオナの子守歌』が好きなので記しておこうと思います。音楽はメイソン・デアリングでジョン・セイルズ監督とは同志のような欠かせない存在のお方。この映画『フィオナの海』の音楽を担当するにあたって、アイルランドへ赴き、トラッド・ミュージックを研究し、フィドル奏者モイア・ブレナック(モーラ・ブレナック)や現地のミュージシャン達と共に作り上げたという作品です。『フィオナの子守歌』はイーリン・ロックナーン(アイリーン・ロックナーン)のヴォーカルもたおやかで心に優しく響く綺麗な楽曲ですが、その他にもゲール語で歌われる曲や長く深く息吹くアイルランドの伝統や伝承を想起させてくださるような美しくも幻想的な楽曲たちで貫かれています。映画と音楽の絆が深いことを再認識いたします♪

『フィオナの子守歌』

小さな愛し子よ
眠れ 眠れ
小さな愛し子よ
眠れ 眠れ

眠れ 眠れ
わたしの胸に、わたしの胸にもたれ
眠れ 眠れ
穏やかに、穏やかに澄み渡り

対訳:茂木健
サントラ『フィオナの海』 より

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by claranomori | 2010-10-07 06:04 | 神話・お伽噺・妖精譚
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★2010年、最初の読書はもう結構長く愛読している「神話」関連の一つで、世間はお正月なのだけれど毎年実感の伴わない生活をしている私。読んでも暫くすると名前を忘れてしまうので、記しておきたいと想う。

上の絵はエリュー・ヴェッダー(Elihu Vedder:1836~1923)による『プレアデス七人姉妹の踊り』(1885年)。象徴主義あるいはラファエル前派の画家とされているお方。アメリカのお方ながらヨーロッパ的な芳香で19世紀末の耽美な世界に私を誘う。

右下の方に光が見える。これがギリシャ神話で『行方知れずのプレヤードの星』と呼ばれているものだそうだ。この星のお話は世界中の伝説にあるらしくどれも似た内容だという。冬空の美しい星団として知られる「プレアデス星団」の星たちになっているのは、マウリタニアの王、巨人アトラスとニンフのプレイオネの間に生まれた七人の娘たち。マイア、タイゲタ、アステロペ、エレクトラ、ケレーノ、アルキオネ、メローペ。この七人の姉妹に父と母が加わっての星の集まりと云われている。けれど、いくら目を凝らして眺めても現実に見える星は六個で、余程の視力の良さでないと七個は見えないのだそうだ。もしも、七個見えたなら九個見えるとも。

その見えない星を巡る伝説が『行方知れずのプレヤードの星』である。七人姉妹のうち一人だけが見えない(消えてしまった)というお話でとてもロマンチック!その一人はマイアであるとかエレクトラであるとか定かではないけれど、この姉妹たちはたいそう可愛らしい美少女たちで、野原で歌ったり踊ったりと、楽しく遊んでいたところを、オリオンに追いかけられ天に昇り美しい星になったという。

カナダの伝承ものでは、やはりこの七人姉妹(セヴン・シスターズ)が歌い踊っている場面が記されている。その美しい光景を見た青年が魅了されてしまい翌日もその場所にやって来る。ますます、魅せられてしまった青年は三晩目に姉妹たちを追いかけてしまう。けれど、慌てて天上に逃げてしまった。その時に逃げ遅れかごに乗り損ねてしまった少女が一人いた。

「あなたは、どなたですか。どこからやって来たのですか。」と青年は尋ねた。少女は「私たちは、七人姉妹で天上界に住んでいるのです。空が穏やかで湖も静かな時を選んで、ここに降りて来て星明かりで踊っているのです。」泣いていた少女のこの言葉を聞き一層愛らしく想った青年は結婚を申し込んだ。それは天上界で暮らすという条件のもと。そして、二人は仲良く暮らしたそうだ。いつも夫のかげに隠れて座っているこの乙女ゆえに、通常私たちの目には見えないのだというもの。どの娘なのかは記されていないので分らないけれど、「だれだろうなあ」って想うのが好き♪

☆新年、明けましておめでとうございます。相変わらずこんな調子でありますが、今年もどうぞ宜しくお願いいたします!☆
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by claranomori | 2010-01-05 02:58 | 神話・お伽噺・妖精譚
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アイルランドのホワイト・フィールドの丘のリール王が、ジャグル王の里子であるオーレル・オブ・アランの三人の娘の長女オーヴと結婚した。そして二人には女の子と男の子の双子が生まれた。フィングラとイードである。さらに男の子が二人、フィアクラとコーンが生まれた。その時、妻オーヴは死ぬ。リールは嘆き悲しむが子供たちが愛しい。ジャグル王は、友情の絆が切れないようにとオーヴの妹オーファを妻として与えようと提案する。リールは同意し二人は結婚した。最初は四人の子供たちをかわいく名誉に思うオーファであったけれど、リールの溺愛ぶりに嫉妬の矢がオーファを貫き、彼女は子供たちを憎むようになる。殺そうとまでするが出来ず、ドルイドの魔法の杖で子供たちを湖の中に追いやり、四人を四羽の白鳥に変えてしまう。その子供たちは900年間アイルランドの湖と河を漂う運命となる。

三人の弟を両翼と胸でかばい、吹きすさぶ嵐の海を漂流するフィングラの姿は気高く美しい。しかも、北の湖から帰還すれど、愛する父はとうの昔にこの世にいない。900年の期間が来た。聖者に会いようやく人間の姿に戻ることが出来た。けれど、四人とも死間近い老人であった。このように悲哀に満ちたロマン。このお話は、ジョーゼフ・ジェイコブズの『ケルト妖精物語 2』の中の一つで、ケルト三大悲話の一つとされるという。上の挿絵は19世紀末の英国の挿絵画家ジョン・D・バトンによるもの。

さあ、聖者よ、われらに洗礼を。
われらの汚れを落としてくれ!
この日われらの墓見ゆ ―
フィアクラとコーンは両脇に、
わが膝には両腕で抱く、
わが美しき弟イードを

この最期の刻に歌うフィングラの歌は、私を花の涙へと誘う☆

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by claranomori | 2009-10-03 12:36 | 神話・お伽噺・妖精譚
レプラコーンという妖精の靴屋さんがいるらしい。背丈は人の指くらいで、妖精たちが踊りですり減らした靴を修理する、たいそう腕の良い職人さん。このレプラコーンを見つけても、ちょっと目を離すと姿を消してしまうそうだ。人間にはなかなか捕まらないらしく、騙すのも逃げ足も速いという。くしゃみをしているうちに逃げられてしまったという例もあるそうだ...残念☆
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この優美な絵画は英国画家ジェイムズ・サント(JAMES SANT)による『フェアリー・テイル』と題された作品。1860年~1916年という生涯のいつの年に描かれたものかは不明(勉強不足)。100年程彼方の英国。やはり生来の英国贔屓であると実感...と云いながらも空想の異国の旅をしている。最近は本業のVELVET MOONのお仕事に費やす時間が大抵(当然なのだけれど)で、なかなか更新出来ずにおりますが、頭の中は120%以上溢れかえっております。整理しながら、でも、まだまだ果てしなき旅は続く作業のようです。皆様、いつもありがとうございます♪
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by claranomori | 2008-11-28 20:13 | 神話・お伽噺・妖精譚
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イダ・レントール・アウスウェイト(Ida Rentoul Outhwaite:1988~1960)は当時は英国領だった頃のオーストラリアのメルボルン生まれ。イギリスでは、既にケイト・グリーナウェイやアーサー・ラッカム、オーブリー・ビアズレー達、挿絵画家達の黄金時代という頃。友人から頂いたビアズレーの絵に夢中になり、2歳頃から周りを驚かせるような絵を描いていたというイダの絵を、友人がイギリスの出版社に送ったりもしていたという。

イダは4人姉弟の二番目で、姉のアーニィは古典語や詩に秀でたお方で文章を書いていた。その姉の詩に挿絵を描き、次第に姉妹は雑誌やポストカードなどで広く知られる存在となってゆく。イダはパントマイム劇団のお衣装をデザインしたり、初めてオーストラリアで刊行された「ピーターパン」の挿絵を書いたお方でもある。

1909年には若き実業家と結婚。その夫グレンブリィ・アウスウェイトは才能ある妻のためにアトリエを建て、イダは4人の子供たちの子育てと両立しながらも絵を描き続けていた。カラー印刷の技術が急進的に発達した時期でもあり、それまでのモノクロのペン画から色彩を取り入れるようになってゆく。第一次世界大戦下に姉の文章と共に出版した「こびとと妖精」(1916年)で、51枚の挿絵を描き妖精画として、それまでイギリスに頼っていたアートブック界で、初めてオーストラリアにもその到達を得たもの。このご本は、夫の発案により英皇室に献本し、印税は戦時下の赤十字に寄付されたという。戦後は、夫の勧めで英国で個展を開き成功を収め、その名はこうして今日まで継承されるに至る。

私の勝手なイメージながら、生まれ持った絵の才能を姉や夫と共に、年老いてもずっと少女の夢の世界を描き続けたようなお方に想う。全ての作品を知っているわけではないけれど、年代を追って眺めていると、どうしてもそのように感じ嬉しく思い、そんなお心が絵に表れているようで敬服する。
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by claranomori | 2007-09-12 10:00 | 神話・お伽噺・妖精譚
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アーサー・ラッカム(Arthur Rackham:1867~1939)の有名な挿絵の一つ。ジェイムズ・バリイ(James Matthew Barrie:1860~1937)の『ケンジントン・ガーデンのピーター・パン』(1906年)の中のもので『妖精と鳥は仲が悪い』と題されていて面白い。ラッカムは『不思議の国のアリス』やシェイクスピアもの、妖精画家・挿絵画家としてヴィクトリア朝から20世紀の英国を代表する画家のお一人で、その独特の世界は”ラッカメア・フェアリー”と呼ばれ、今も愛され続けている。私も大好きなので、度々他の絵に関する事柄や想いも綴ってゆくと思う。

また、ジェイムズ・バリ(ジェームス・マシュー・バリー)というと”ピーターパン”と切り離せないお方。ジョニー・デップ主演の『ネバーランド』も記憶に新しいし、ファンタジックな可愛い映画『ピーター・パン』などもある。バリはピーター・パンを幾度も加筆していて、最初のものは1902年の『小さい白い鳥』として出版。そして、1906年『ケンジントン・ガーデンのピーター・パン』として、さらに、1911年には『ピーターパンとウェンディー』としても出版されている。ロンドンのケンジントン公園には笛を吹きながら踊っているピーター・パンの像を建てている(養子のマイケルがモデルとされているが、そのマイケルは僅か20歳で溺死している)。劇作家であり小説家であるバリは、自らの貧しい子供時代などの経験や養子の夭折が大きな要因と思われるが、作品から得られる権利を全て小児病院に寄付している。そこから、次第にイギリスやアメリカ、カナダに財団が設立され、1993年には日本でも(財)日本児童家庭文化協会内に日本「ピーターパンこども基金」が設立され、運営されている。

ピーター・パンは妖精の国と関わりを持ったが故に、永久に大人になれない少年。ピーター・パンは生後間もなく、母親たちが自分が大人になった時のことを想像して話しているのを聞き失望してしまい、其処から逃げ出してケンジントン公園のサーペンタイン池にあるネヴァーランドで妖精たちと暮らし始める、というお話。
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by claranomori | 2007-05-27 12:57 | 神話・お伽噺・妖精譚