あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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カテゴリ:童話・絵本・挿絵画家( 26 )

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花のように

『えんぜるになりたい
花になりたい』と
うたったあの詩人の
孤独で美しい魂は
どんな花になり
このひかりの中
このやさしい風に
揺れているのでしょう
野に咲く花を見るたび
わたしもつぶやきます
花のように生きたい・・・と

詩:永田萌

★永田萌さんの1986年の『花のように』という小さな絵本のような詩集の中の一篇です。母に感謝していることの一つに、このようなやさしい言葉たちを美しい絵と一緒に綴った絵本や童話などを、幼い私にさり気なく与えてくれていたこと。この詩集が発売された頃はもう自分で読みたい御本を選んで買っていましたけれど。

子供の頃は田畑が近くに幾つかあり、お友達と一緒に、春にはたんぽぽや綿毛、蓮華草でお花の冠や首飾りを作って遊びました。お互い作ったものを交換しあったりもしました。懐かしい風景が蘇ります。美しく神々しく咲き誇る豪華なお花も綺麗ですが、そおっと野に咲くお花や道端のお花もまた愛らしいです。

子供の頃ならよく野花を摘んでいたのですが、今は見つめるだけで十分なのです。摘んでしまうと可哀相な気もしますし。悲しい気分の折や何か冴えない気分の折に、これまで数えられないくらいに優しく囁きかけてくださったお花たち。おセンチで甘ったるいと想われるお方も居られるでしょうが、人間の方が上等だとは想わないのです。枯れてしまう儚き命の花々が可憐に咲き誇る。その彩や芳香で人間の邪悪な汚れた心を吸収してくださる。見つめて「綺麗だな。」「可愛いな。」と心が休まる私は生へのエネルギーをお花から頂き、私の闇の心を可憐なお花が受けてくださる。なので、欲の無い花々は枯れてもなお美を残すのでしょう。

今年も早々から、幾人かの友人知人から勇気や励ましのお言葉を頂いています。ブログにコメントをくださる皆様にも本当にいつも感謝しています。つらつらとその時々の私の他愛のない綴りに共鳴してくださることが嬉しいです。嗜好は千差万別、感性もそれぞれ。だから愉しい。好き嫌いや偏狭な思考に偏ることなく、可能な限り寛容でありたいと想っています。人生の半分、宙ぶらりんの年齢になれどいつまでも修行は続く。生や自由を尊ぶこと、それは不自由であるからこそだとも想えます。なので、今年も幾つも私に苦難が訪れるでしょうが、それ故に人生の、自由の尊さを感じ得ることができるのだと。泣いた数だけ微笑むことが出来る。探せば幸せは必ずある。欲張らずに小さな幸せが。そんなことを無心の花々を想い、再確認しています。皆様、いつもありがとうございます☆

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by claranomori | 2013-01-12 17:55 | 童話・絵本・挿絵画家
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わたしの おねがい おまどに かいた

★いわさきちひろ(1918年12月15日~1974年8月8日)は福井県武生市(現:越前市)生まれの画家であり絵本作家。この『あめのひのおるすばん』は昭和43年(1968年)の作品。この作品に限らず、いわさきちひろの絵の主題は常に「子どもの幸せと平和」であったこと、これは終戦直前に空襲で東京の実家を焼かれたりという忘れ難い戦争の恐怖でもあったであろう。この絵の中の少女が雨の日の窓に書いた平仮名ばかりの小さな一文。そんな光景を懐かしく想い出すお方も多いと想う。私もそんな想い出が蘇ります。けれど、おるすばんは苦手だった。弟が入退院するので、時々一人でお留守番ということがあった。怖いのである。これは性分のようで今も家に一人、それも日が暮れ夜になると。なので、ヘッドフォンで音楽を聴いたり、映画を観たり、耽読できる作品たちと共にその時間を過ごす。小学生の頃は、思いっきりテレビの音量を上げ、歌を歌ったりしていた。それでも、心の中はドキドキ落ち着かず、両親の帰宅を待ちわびていた。子供は気まぐれで勝手なものでもあるので、そんな臆病者の私なのに、ランドセルの中にいつもお家の鍵を持っている人が羨ましいとも想っていた。彼女たちは持ちたくて持っていたのではないのに。

あの淡く繊細な色彩、あの滲んだような色調の絵の中の少年少女たちは、戦後の日本、殊に昭和60年代から70年代初頭期の作品群として残されている。私は知らず知らずに、いわさきちひろの絵を眺めていた。絵本や児童文学関連の御本の中の挿絵としてだったと想う。今でも古びた栞があり大切にしている。アンデルセン童話での挿絵や童画集を子供の頃からぺらぺらと頁を捲っていた。子供の私が選んで購入したはずもなく、紛れもなく母の趣味であろう。けれど、母はいわさきちひろの共産党的思想などを一度も私に語らなかった。父は保守思想的であり、母は革新主義ではないけれど、やや左派的な想い(ロシアへの憧れという時代でもあり、ロシア文学を愛好していた様子)があったように感じている。戦争は二度と嫌なようだった。それでも戦争で亡くなった英霊方や、よく左派の方々が天皇制云々の批判をされるけれど、両親は天皇皇后両陛下があっての日本であるという想いは私に強制するでもなく伝わるものだった。ごく自然なことのように。そうした緩やかなイデオロギーの下、育ったことは良かった気がする。

例えば、もう少し成長し思春期以降にいわさきちひろの作品に出合っていたら、少し違うだろう。さらに、いわさきちひろと日本共産党というイメージが先行してから作品を知るのとも。なので、今、子供だった頃から幾十年経ても、「いわさきちひろ」はあの繊細な童画たちと共に私の子供時代の情景と共に在る。きっといつまでもそうであろう。少女期と云えども、やはり幼い子供時代は概ね両親の影響が大きく、歳を重ねても失せるものではないらしい。
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by claranomori | 2012-02-18 22:41 | 童話・絵本・挿絵画家
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★この『さいこうのいちにち』という絵本は、イギリスの絵本・児童文学作家であるジーン・ウィリスの文と、同じイギリスの絵本作家・挿絵画家であるトニー・ロスの綺麗な絵で綴られたもの。地上に出てきたカゲロウの最初で最後の一日を美しく描いています。僅か一日だけの命。でも悲しがるよりもこの一日を自然や出会う子供たちと共に楽しんでいます。そして、夜になり、残される愛しき我が子たちのしあわせを願い、お月さまがのぼり、お星さまの光が薄れてゆく中、カゲロウは今日という一日に感謝を捧げて終えます。元来泣き虫の性分ですが、最近さらに涙脆くなってしまい、この美しい絵本を読みながら見ながらうるうる・・・でも、心は妙に平静であります♪

カゲロウはタマゴをうむ。
しずかな夜に。
さいじょう、さいこうの夜に。

そして、さいごにいのる、「いとしい子たち。
あすからの日々が、わたしのきょうのように
しあわせでありますように!」

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★絵本 『さいこうのいちにち』 文:ジーン・ウィリス 絵:トニー・ロス 
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by claranomori | 2011-07-21 11:07 | 童話・絵本・挿絵画家
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 文は宙野素子、絵は東逸子の両氏によるファンタジー『月光公園』の中に登場する男の子と女の子。月光公園への切符を首にかけて綺麗な少年は天使のよう。その公園の中には「月の光植物園」という場所やメリーゴーランドも。まわるまわるメリーゴーランド。私もメリーゴーランド大好き。少年の髪を風が走りぬけ、まるで飛んでいるように感じている。さらさらさら・・・と聞こえる音は風じゃない。少年ははっと息をのみ広場の砂や小石が動くを見た。「ごとん」と音がして、メリーゴーランドはゆっくり止まった。少年が空を見上げると お月さま!月が降りてくる。月が地面とふれあい、光の中で小さな影が動く。・・・それは少女だった。少女がブランコをしている。月の中の少女はティコ。

 「わたし、ティコ」「あなたのこと、・・・知ってる」
少女の影が、波のようにゆれる。後ろにおおきくゆれるたびに、少女のからだは月に溶ける。月は、少女が溶けこむごとに、うっとり欠けていく。

 少女が少年に手を差しだし、少女がぐいっと引く。ふわっと浮き上がった少年を柔らかな月が包む。少年に聞こえてくる小さな声、何度も何度も繰り返す声、すぐ近くで囁いているような声、遠くからやって来るような声、優しい声・・・「いつも、あなたを、見てる」「いつも、あなたを、見てる・・・」と。その声を聞くうちにだんだん眠くなりいつの間にか少年は眠ってしまった。目覚めた少年は切符がないことに気づく。そして空を見上げると、そこには月があった。月は静かに少年を見ているのでした・・・。

★絵本 『月光公園』 文:宙野素子 絵:東逸子 
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by claranomori | 2011-05-24 22:08 | 童話・絵本・挿絵画家
★今日もまた怖い夢をみた。夢の中で頓服を飲む自分の姿があった。ニュースや被災者の方々のメッセージから考えさせられることはあまりにも多い。1週間を経た頃だっただろうか...ある少女の表情が焼きついて離れない。津波に流され全壊したお家にご家族の方と向かい、想い出たちを持ち帰ろうとされていたようだった。ご両親と小さな弟さんが一緒だった。その少女は俯き青ざめていたように感じた。少女は10歳前後ではないだろうかと思う。さらに幼い少年は笑顔を見せてくれていた。一言に「子供」と言っても様々な性格があり環境も異なる。こんな悲劇の中でさえ、すべて公平ではない。私がその少女の姿に何かシンパシーを感じてならないのは何故だろうと考えてしまう。きっと、学校ではお友達と一緒で笑顔の愛らしい少女だろう。また、違うニュースの映像では、流れ着いたがれきの中にランドセルがあった。ランドセルには私もとても思い出があるので反応してしまう。6年間の小学校生活を共にした愛しき赤いランドセルだった。

私の幼い日の風景が巡る。確か小学二年生だったと思う。国語の時間にオスカー・ワイルドの『しあわせの王子』のお話を先生が読んでくださった。私は授業中にお話を聞き泣いてしまうことが幾度かあった。最も古い記憶は幼稚園で、多分その次がこの『しあわせの王子』。オスカー・ワイルドはとても大好きな作家なので、幾度か読み返すのだけれど、年齢によってこの有名な童話の魅力も異なるような。自分で購入したものは、『幸福な王子』と題されているワイルド童話の名作が詰まったもの。以前に『王女の誕生日』のことを綴ったけれど、やはり、どのお話も好き!
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オスカー・ワイルドの童話ではもっとも有名な作品なので読まれたお方も多いと思う。私が幼き日に感動した心と今では妙な妄想と共に作品は深まるばかり。けれど、美しい王子の像の、その体の一部である宝石や金箔をツバメに頼み、貧しい人々に与えるという崇高な心。また、エジプトへ向かう予定だったツバメは遂には寒い季節となり死に至る。輝く王子の像はすっかり灰色の像、その王子の足元にツバメの亡骸が...。もう美しくはない王子の像は見捨てられ、広場の像は市長の像に変えられる。像を炉で溶かすけれど、壊れた鉛の心臓だけは溶けない。議員や鋳物工場の人たちはその鉛をツバメの死骸を捨てた塵山に投げ捨てる。けれど、神さまは天使に「町中で一番尊いものをふたつ持ってきなさい」と言い、天使は鉛の心臓と死んだツバメを持ち帰り、天国の神さまの庭で彼らは共に。

「わたしが行くのはエジプトではありません。死の家に行くのです。死は眠りの兄弟です。そうじゃありませんか?」

そしてツバメは幸福な王子のくちびるにキスをし王子の足元へ落ちて死んでしまう。その瞬間に、何かが壊れたような、ぴしりという奇妙な物音が像の内側で響く。それは、鉛の心臓が割れた音であったという場面に心奮える感動を覚えたのは、大人になって読み返した折のこと。私は古典と呼ばれる文学に魅了され続けていて、好きな作品を読み返すことも多い。殊に19世紀辺りまでの作品。なので、最近の作品に疎い。けれど、本を読むという中で得られる、なんとも言えない心の彷徨や時間軸や空間を浮遊するかのような、あのトキメキ!温故知新という言葉も大好きなので、どうしても古い時代に心が赴くようなのです。

※アイルランド生まれのオスカー・ワイルド(Oscar Wilde)の童話集、『幸福な王子』の初刊は1888年。19世紀末に残され今も読み継がれる作品。上の絵は同じく19世紀の英国に生きたウォルター・クレイン(Walter Crane)による挿絵です。
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by claranomori | 2011-03-31 09:51 | 童話・絵本・挿絵画家
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★『ばらになった王子』あるいは『バラの花びら姫』というクレメンス・ブレンターノ(Clemens Brentano:1778年9月9日~1842年7月28日)の19世紀の作品。クレメンス・ブレンターノはドイツ・ロマン派後期の詩人であり童話作家でもある。『ばらになった王子』はリスベート・ツヴェルガー(Lisbeth Zwerger:1954年、オーストリア・ウィーン生まれ)が絵を担当して、絵本として発売されたもの。初刊は1978年で、日本では1983年に冨山房より池田香代子訳で発売されました。

バラをこよなく愛し、美しく長い髪を大切にしているお姫様ロザリーナ。その妹をたいそう愛し可愛がっている優しき兄ロスミタール公爵。イムマーウントエーヴィッヒ公子を妹ロザリーナ公女に紹介する。けれど結婚を断ってしまう。イムマーウントエーヴィッヒ公子は魔法使いの伯母に相談する。ロザリーナ公女のために、バラに姿を変えた公子(ばらになった王子)の優しい気持ちに胸打たれる。バラの花びらを食べたロザリーナ公女は女の子を身籠る。その女の子はローゼンブレットヘン(バラの花びら)と名付けられる。ロザリーナはこのバラの花びら姫をたいそう可愛がっていたけれど、魔法使いの呪いにより、バラの花びら姫の頭に櫛がささって死んでしまう。ロザリーナはガラスの柩にバラの花びら姫を入れ、哀しみにくれた数年間を過ごす。死期の迫ったロザリーナは兄に、バラの花びら姫が入ったガラスの柩のある部屋の鍵を渡す。「絶対に開けないでください。」と・・・。

『バラの花びら姫』では、ローゼンブレットヘンは美しい14歳の少女に箱ごと成長していた。魔法使いによって、このお姫様は長い年月の間、生きたまま眠らされていたのである。けれど、公爵が留守の折に公爵夫人(美しいが心の良くない夫人)はその部屋を開けてしまう。その生きた美しいお姫様の存在は夫人を憤らせた。酷い仕打ちをし長い髪も切られみすぼらしい姿の少女は奴隷用の仕事着を着せられていた。最後はローゼンブレットヘンは高貴な王子さまのお妃となり、持参金としてロスミタール公国全土を与えられた。イムマーウントエーヴィッヒのバラの木も再び花をつけ、バラが甘く香るある夜のこと、ローゼンブレットヘンが夫君と窓際に寄ると、母と腰元たちがバラの木を跳び、イムマーウントエーヴィッヒの姿も見えた。

「お父様お母様!神の祝福がありますように!」とローゼンブレットヘンは大きな声で言った。すると窓の下の両親たちからも、大きな声が返ってきた。「ああ!いとしい子供たち!神の祝福がありますように!」と両親たちは空に消えてゆく。

後に、南瓜のような揺り籠を作らせ、可愛い公子を天から授けられる。という「眠り姫」や「白雪姫」のグリム童話のようなメルヒェン。大きな意味での「ファンタジー」や「メルヒェン」が大好きです!
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★この『ばらになった王子』あるいは『バラの花びら姫』のお話は、イタリアの詩人であるジャンバティスタ・バジーレ(Giambattista Basile:1575年~1632年)の『ペンタメローネ(五日物語)』という作品をクレメンス・ブレンターノが改作したものということです。その他にもブレンターノ童話の名作『ミルテの精』、『ヴィッツェンシュルツェルの話』、『のみの男爵』もこのバジーレの『ペンタメローネ』の中からの改作。ブレンターノの言葉遊びとユーモアは正しくファンタジー!突拍子もない事柄が楽しく軽やかに綴られてゆく。

このバラになった王子の名はイムマーウントエーヴィッヒ公子。イムマーウントエーヴィッヒ「immer und ewig」とは「いついつまでも」という意味が託されています。

『ばらになった王子』は、ドイツ語では「Das Marchen Von Rosenblattchen」、英語では「The Legend of Rosepetal」と題されています。『バラの花びら姫』版は1980年発行のメルヘン文庫のものです。現在は『ばらになった王子』のタイトルが通常のようですが、私は『バラの花びら姫』としてついつい浮かぶのです☆


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by claranomori | 2011-02-27 22:04 | 童話・絵本・挿絵画家
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★アメリカの作家ジェームズ・サーバー(James Thurber:1894年12月8日~1961年11月2日)の1944年の作品『たくさんのお月さま』の中の、海辺の王国のお姫様。名前はレノア姫。もうすぐ11歳になるお姫様。姫の望みは何でも叶えてやろうとする優しい父王や家来たちとお城に住んでいる。ある日。木いちごを食べすぎて病気になってしまう。レノア姫は「お月さまをもらったら元気になると思うわ」と言うので大騒ぎとなる。この難題を巡り王様や家来、魔法使いたちも大変。そこで呼ばれた道化師がレノア姫にどんな月がほしいのかと尋ねると、「自分の親指の爪よりちょっぴり小さく、窓の外の木のてっぺんぐらいのところにいる金でできた月」って答えるのである。道化師の機転とレノア姫の言葉が愉快な愛らしいお話。

子どもの王国から学ぶこと、驚かされることって多い。私が子供の頃も、奇妙な事を言ったり、急に感激して泣き出したりするので、どこか痛いのではと幼稚園の先生に心配されご迷惑をおかけしたこともある。5歳なリ10歳なり、20歳なり30歳、40歳なり50歳...その時々の感じ方や考え方は違う。また同い年でも人それぞれの感性で受け取り方は様々。そういうのって愉しいと思いませんか?私は愉しいです!なので、物語の中の子どもたちが大好きです。絵本や児童文学に限らず、色んな物語の中の少年少女たち、ユニークで奇想天外な発想や行動をしたり、時にヒヤヒヤさせられたり、愛らしくも残酷だったり、子供だからと侮ってはならない、子供の心で優しさや悲しみを受け止めているのだから。

★上の絵は宇野亜喜良氏がイラストを担当した1989年発行の絵本より♪
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by claranomori | 2011-02-09 08:44 | 童話・絵本・挿絵画家
b0106921_1129436.jpg『はなのすきなうし』
作:マンロー・リーフ
絵:ロバート・ローソン
訳:光吉夏弥
発行:岩波書店
初刊:1936年

★アメリカの児童文学作家マンロー・リーフ (Munro Leaf:1905年12月4日~1976年12月21日)の名作絵本『はなのすきなうし』の初刊は1936年。挿絵はマンロー・リーフの友人である同じくアメリカの画家ロバート・ローソン(Robert Lawson:1892年10月4日~1957年5月27日)が担当しています。

舞台はスペイン。主人公であるフェルジナンドは幼い頃からお花が大好きでひとり静かにお花の香りを嗅いで静かに過ごしている愛らしい牛。他の多くの牛たちは闘牛場で勇敢に闘うことを夢に見て過ごしている。そんなある日、闘牛探しにやってきた5人の男性。他の牛たちは自分をアピールするために唸ったり威勢が良い。愛しきフェルジナンドときたら、まったく興味もなくいつもの場所でお花のにおいを嗅ごうと草の上に座るのだけれど、運悪くそこにはハチが居てお尻を刺されてしまう。痛くて飛び上がって大騒ぎとなったフェルジナンドは、マドリッドへ連れて行かれることに。

闘牛場にひきだされたフェルジナンドは、闘牛士たちがいくら躍起になって挑発しようが、一向に闘う気配はない。けれど観客席には胸や帽子に芳しい花をつけたご婦人がたがいっぱい。フェルジナンドはその芳香をうっとりと嗅ぐばかり。闘牛としてまったく役に立たないフェルジナンドは無事、もとの平和な牧場に帰され、お花に包まれた静かなしあわせな生活に戻れました。ああ、良かったね!フェルジナンド君♪

初刊の1936年はスペイン内戦真っ只中であったために、かなりの論議を醸し出したそうです。発禁処分にも遭っていて、ナチスドイツにも燃やされてしまい、日本でも1941年(昭和16年)に『花と牛』という題で出版された折も、当時の軍国主義者たちから戦争を否定しているとして猛烈な攻撃を受けたという。けれど、いまなお、この作品が世界中で読まれ愛され続けている。お花を愛することは平和を愛することと繋がっていると思います。

人ぞれぞれの解釈がありますが、私は"武器よりお花を!"という性質なので、とてもこのフェルジナンドの気持ちが分かるようで、また人間世界に置き換えた場合でも、「女の子だからこうありなさい」「男の子なんだからもっと強く」「みんなと仲良く遊びなさい」「今の日本はこうでなければならない」...云々と大人たちは子供をある枠にはめようとすることも多い。他の人と違ってもいいじゃないのって子供の頃から思って生きて来た私はなおさら、このフェルジナンドが同士のようにさえ感じられるのです。この子牛のフェルジナンドのお母さんも寛容で素晴らしいです。我が子の感性や好きな世界、性格を優しく受け入れている。一人で遊ぶことの楽しさもあれば、お友達と遊ぶ楽しさもある。私は誘われないと外で遊ぶ子供ではなく、いつも一人でお人形遊びや少女マンガ(悲しいお話が子供の頃から好きでした)を読む時間を優先していたものでした...と回顧♪
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by claranomori | 2011-01-21 11:27 | 童話・絵本・挿絵画家
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★ビネッテ・シュレーダー(Binette Schroeder)は1939年、ドイツ・ハンブルグ生まれの画家。スイスのバーゼルの実業学校で商業美術、印刷、石版画を学ぶ。1969年の処女作『お友だちのほしかったルピナスさん』で、ブラチスラバ世界絵本画展金のりんご賞を受賞される。以後、国際的な絵本作家として活躍するビネッテ・シュレーダーですが、ご主人であるペーター・ニクル氏と1971年にご結婚後は夫婦共同作品が多く、とりわけ『わにくん』は1975年に、ライプチヒ図書展の「世界で最も美しい本賞」を受賞された代表作の一つです。この作品はナイルの洒落たワニ君を主人公に、人間社会への風刺がユニークに描かれているもの。どこか不思議な緊張感漂うシュールな画風とファンタジックな世界がとても好きです。『お友だちのほしかったルピナスさん』の主人公はお人形で、お友だちの鳥のロベルト、パタコトンやハンプティ・ダンプティとの冒険譚で幻想的な人形劇のような風情の素敵な絵本です。
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1989年の『グリム童話 かえるの王さま』の絵もやはり幻想的で好きな色彩で焼きついています。ビネッテ・シュレーダーは他にもボーモン夫人作の『美女と野獣』(1986年)や、ミヒャエル・エンデ作の『影の縫製機』(1982年)、『満月の夜の伝説』(1993年)を絵本にしたものなど、どれも夢のような中間色の色合いの静寂さと緊張感が同居したような佇まいです。また、ややゾクっとする不気味さと愛らしさの同居とも云えるのかもしれません。「矢川澄子さんの翻訳本」とあれば、直ぐに反応してしまうようになったのはいつ頃からだろうか...。このビネッテ・シュレーダーという素敵な絵本の世界に導いてくださったのも矢川澄子さんの翻訳であった『グリム童話 かえるの王さま』(1989年)と『ほらふき男爵の冒険』(1977年)を続けて読んだのが最初です。ビネッテ・シュレーダーの全作品を読んではいないのですが、1999年の『ラウラとふしぎなたまご』(翻訳:ささきたづこ)の少女ラウラとハンプティ・ダンプティのチューリップの森での冒険譚もやはり素敵でした。絵本というと子供のためのご本のように想われてしまいそうですが、私は「絵」を眺めることが好きで、ファンタジックな世界が広く好きになってしまったもので、たまらなく魅惑的な世界なのです。素晴らしい絵(画家)と多くを語らないことばたち。時には、その絵の存在の方が大きすぎ、ことばを超えるようなことも。古く生き続ける有名なルネッサンス絵画も愛らしい絵本の挿絵も優劣などなく、私に本に書かれていない言葉を届けてくださるのです。そんな絵に出合うと嬉しくて心がときめきます。絵は時に詩にもなりメロディを奏でる。そんな瞬間が時々あるのですが、それも独りよがりな夢なのでしょうが至福の瞬間とも云えるのです☆
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※画像は上から『お友だちのほしかったルピナスさん』『グリム童話 かえるの王さま』『ラウラとふしぎなたまご』より♪
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by claranomori | 2010-10-13 19:15 | 童話・絵本・挿絵画家
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★この絵本『白雪と紅ばら』(SNOW WHITE AND ROSE RED)の初出は1984年で、日本語訳としての刊行は1991年。お話はグリム童話の『白雪と紅バラ(白ばら紅ばら)』なので幾種類もの刊行物がありますが、これは「ワンス・アポンナ・タイム・シリーズ」のもの。絵はローラン・トポール(ROLAND TOPOR)で甘すぎずやや奇妙なメルヘン・ワールドです。

むかし、むかし・・・・・夫をなくした貧しい女性の小屋の前の庭に、小さなバラの木が2本植わっていました。1本は白いばら、もう1本は紅(くれない)のばらです。またこの女性にはばらの花のような二人の美しい娘がおり、一人は白雪、もう一人は紅(べに)ばらという名前でした。二人の娘は優しく気立ての良い、働き者でした。白雪はおとなしく穏やかで、紅ばらが牧場や野原を駆け回って、お花を摘んだり蝶を捕まえたりしている時も、白雪はお家に居てお母さんのお手伝いや本を読んであげるという対照的な性格。でも、二人はとても仲が良く、いつも一緒に手を繋いで出かけるのでした。

「わたしたち、いつもいっしょよ」と白雪がいうと、紅ばらはこたえます。 「いつまでも、いっしょよ」 そんなとき、お母さんはいいました。「なんでも、ふたりで仲よく分けあうんですよ」

この箇所がとっても大好きなのですが、この仲の良い姉妹の森でのできごと。小人との出会い、そして口のきけるクマとの出会い。実はこのクマは王子さまなのでした。このお話での小人は悪者で王子さまに魔法をかけてクマに姿を変え、宝を奪っていたのでした。王子さまはその小人をやっつけることができた時に、ようやく魔法が解けもとの凛々しい王子さまの姿に戻り宝石も取り戻せました。そうして、白雪は王子さまの花嫁に。紅ばらは王子の弟の花嫁に。宝も分け合い、年老いたお母さんも、2本のバラの木も一緒に王子さまのお城で幸せに過ごしました。そのバラの木はお母さんのお部屋の窓の外に植えられて、くる年、くる年、白と紅の、それはそれは美しい花を咲かせたのでした。...というようなお話です。

この絵本のローラン・トポール(1938年1月7日~1997年4月16日)はパリ生まれの画家であり作家。ポーランド系のユダヤ人でもあり、1964年の初の小説『幻の下宿人』、その原作を映画化したロマン・ポランスキー監督の『テナント 恐怖を借りた男』との類似のような直感から好きさが増したのは、1972年のルネ・ラルー監督との共同製作アニメーション映画『ファンタスティック・プラネット(野性の惑星)』を知った時。再見して知ったことにヴェルナー・ヘルツォーク監督の『ノスフェラトゥ』にも出演されていた。正に怪奇と幻想、ゴシック・ロマン香る私の好きな世界の繋がりの妙を想う。これらの映画のことについても感想などをまた綴ろうと想います。

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『テナント 恐怖を借りた男』 監督・主演:ロマン・ポランスキー原作:ローラン・トポール『幻の下宿人』を更新いたしました♪
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by claranomori | 2010-08-23 06:17 | 童話・絵本・挿絵画家