あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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カテゴリ:19世紀★憂愁のロマンと美( 45 )

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★フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh:1853年3月30日~1890年7月29日)。ゴッホはオランダ出身の後期印象派の画家で、死期迫る中でも描き続けたお方です。ゴッホの作品は幾つかの時期に分けられるようですが、この19世紀末の最晩年、1890年の『花咲くアーモンドの枝』はとても好きな絵画です。アーモンドのお花を知ったのもこのゴッホの絵からでした。桜にも似たバラ科の一種です。ゴッホは精神的病に侵されながら、極度の困窮の中でも描き続けて亡くなりました。どんな想いがこの絵に託されているのだろう...と百数十年以上も前の絵を眺め想います。この絵にはジャポニスム(ジャポニズム)の影響も濃く感じられます。当時のヨーロッパに影響を与えた日本文化を外国の作品から感じることができる、そんな世界に遭遇すると何故か嬉しくなります。

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by Claranomori | 2013-06-02 04:09 | 19世紀★憂愁のロマンと美
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★ロンドン・オリンピックもいよいよ終盤となりました。四年に一度のオリンピックがやはり好きなので睡眠不足が続いております。昨年より今年の夏はさらに猛暑でもあり熱中症寸前の日もありましたが、どうにか過ごしております。ロンドンは好きな世界都市の一つなので、今日は英国の美のことを。私は英国というとどうしても19世紀末のラファエル前派が欠かせない程大好きです。もっとも美術館や画廊巡りをしたのは80年代なのですが、ラファエル前派関連の展覧会にも幾度か行きましたことも懐かしい想い出として残っています。

ラファエル前派とは、イタリア・ルネッサンスの巨匠ラファエロ以前の自然に忠実な絵画精神を目指し、1848年に結成された絵画運動で、形骸化しつつあったイギリス画壇に大きな影響を与える。同派は1860年代以降、新たな開花を遂げ、ロセッティやバーン=ジョーンズ等の傑作はヨーロッパのみならず、遠くわが国日本の明治浪漫主義の芸術家にも多大な影響を及ぼすことになる。とりわけ後期を中心とするラファエル前派は、世紀末美術の源泉としてその意義が重視される、20世紀末に10代であった私の心と40代の今の心は変わらないものもあれば、今日的意義という点に於いてますます興味深い絵画運動であると想っています。

知人が私を「文化保守的タイプ」とおっしゃった。政治的、経済的なことは疎くもっと勉強したいと想っていますが、文化や伝統を保守することは右左、イデオロギー云々以前に、いつしか私の中でごく自然なことのように思えるのです。けれど、古ければ全て良し、とも思わない。そして新しいことが全て良いとも。人それぞれの感性は異なり、時代も変動する中で、やはり守るべきものは国柄ということではないでしょうか。この19世紀の英国の絵画運動は正しく英国という古い歴史と伝統を持つお国としての保守運動であったとも想います。そして、この混迷する混沌化する日本に於いて、私は日本人として守るべきものは「日本の美」であり「日本人の美徳」であると想います。難しいことは分かりませんが、芸術も政治も切り離すことは出来はしないという中で、私の心が求めるものへ、ただ素直に赴き、時に闇をも見据えなければならなくとも対峙する中で得られる尊いもの、それが精神的な崇高なる美に繋がると想いますので、これからも向かい合い、我流の異端であれど私らしく生きてゆきたいと想います♪
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by Claranomori | 2012-08-08 11:55 | 19世紀★憂愁のロマンと美
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★老いてこそ人生!私の人生に於いて最後のヒーローとも云うべきお方、石原慎太郎氏の文壇登場から57年。こんなに賞讃と批判のお方も珍しい。三島由紀夫氏がおっしゃったように、それは石原氏がエトランジェであるからだろうと、その意味合いも分かるようになりました。戦中、戦後派文学の中でも、やはり異色の存在。その上、大政治家でもある。思えば、ロマン主義の時代から文学者が政治の世界へも向かわざるをえない状況が度々あった。偉大なるゲーテ然り、シャトーブリアン然り。政治的イデオロギーを超えて、石原慎太郎氏を中心に、その時々を辿りながら日本を、世界を見つめてみようと想います。友人曰く、私は文化保守的人間だそうです。けれど、どちらかというとかなり左派の傾向も強いのです。右派左派と政治的スタンスで線引きできる現実ではありませんし、どちらが良いとかも想いません。ただ、日本人でありながら日本が好きだ、という意志表示がまるでタブーの如き日々を過ごしてきたことに疑問を抱き始めたのです。愛国という言葉がイコール右翼ですか?私はフランスという国や文化が好きで幼い頃から影響を受けて今に至ります。好きな男優のお一人でもあるイヴ・モンタンは奥様のシモーヌ・シニョレと共に、フランス共産党支持者でした。リベラル、左翼党です。けれど、その党のスローガンには「愛国主義」と謳われていました。本来、右も左も自国を愛する、という根本があったはずです。一党独裁国のようなお国は別でしょうけれど。

そんな訳で、今後は大まかなイメージですが、此方の「クララの森・少女愛惜」では母権的、少年少女、柔和。新ブログ→「石原慎太郎・憂国のエトランジェ」では父権的、実存文学や美学、ストイシズムのようなものを見つめ標榜できると良いと想っています。石原氏の書物は膨大ですが読破ものんびり目指したいです。映画の脚本も何十本も手掛けておられ、それらの映画も観たいのですが、ソフト化されていない作品も多数です。お芝居の脚本も仲良しだった寺山修司氏とは表現世界が異なりますが読んだりすると、わくわくします。私の年齢も人生の曲がり角を過ぎたとも云え、回帰し行き着く先はやはり少女時代からの憧れや好きな世界と繋がるのです。それがはっきりと、石原慎太郎氏という存在、その言葉たちに出会うことが出来ました。なので、難解な御本も読んだりしていますが、心は晴れ晴れと、快活に過ごしてゆけそうな気分を愉しんでいます。いつも、更新を待ってくださっている方々や気にかけてくださる方々に感謝しています。ありがとうございます!今後ともどうぞ末永くお付き合いください。

※上の画像は、今日更新した読書メモで、「セーレン・キェルケゴールの青年時代の覚え書き 『キェルケゴールの生涯と作品』 著:フリチオフ・ブラント」というものです。そちらにも、どうぞお気軽にコメント等にお越しくださいね。ブロブ名の「石原慎太郎・憂国のエトランジェ」のエトランジェは三島氏のお言葉から頂きました。
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by Claranomori | 2012-06-05 22:03 | 19世紀★憂愁のロマンと美
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おれがお前たちにいってやる!おれたちが神を殺したのだ。―お前たちとおれがだ!おれたちはみな神の殺害者なのだ。だがどうしてそんなことをやったのか。どうしておれたちは海の水を飲みほすことができたんだ。地平線をのこらず拭い去る海綿を誰がおれたちに与えたのか、この地球を太陽から切り離したとき、おれたちはなにをやったか。地球はいま、どこへ向かって動いてゆくのか。われわれはどこへ向って動いているのか、すべての太陽から離れてゆくのか、われわれはひっきりなしに堕落してゆくのではないか。

ニーチェ 『悦ばしき知識』 より

★ニーチェは「神の死」を告げることにより、近代的人間の矛盾する根底をニヒリズムとする。「われわれはどこへ向って動いているのか、すべての太陽から離れてゆくのか、われわれはひっきりなしに堕落してゆくのではないか」と、自然科学の内包するニヒリズム。「神の死」は、この神の名によって支えられてきた超越的存在、生の究極的意味、目的と価値の世界がひっくり返る。「一切価値の転倒」であり、ヨーロッパ・ニヒリズムの当来である。

人間は自然のなかの故郷を喪失した。パスカルのように、その神をみることのできない、大いなる空間の無限の沈黙のなかに恐るべき不安をおぼえる。ニーチェはこのヨーロッパのニヒリズムからの克服する道として、「超人」や「永劫回帰」の哲学に求めてゆく。それは、「究極の知、究極の善、究極の権力のまえで永久に立ち止まり汝の思想の馬具をはずすことを拒否する」という思想。超人ツァラトウストラとは「末人」から「高人」を経て「超人」へと自己を克服してゆくニーチェその人の姿でもあり、この克服の過程に、存在の絶対的肯定へと転換する永劫回帰や運命愛が説かれる。

運命愛とは、「力は瞬間毎に自己の最終的帰結を引き出す」であり、「ある事のために命を捨てる」であり、「ひとはいつも犠牲をはらう」という意であると考える折に私の頭に浮かぶのは、今の(もっと以前からの)日本の混沌と堕落、それは私自身の反省をも含め、自責と共にやはり崇高なる「美」を求める心、あの思春期に毎日ニーチェの言葉の中で溺れそうになりながら「生」とは何だろう、という大きな疑問が解けないまま大人になってしまった私が、ようやく向き合うことのできるものを実感しているかのような微かな歓びがあります。人ぞれぞれの「美」があるという上で、「美しきもの」を求め仰ぐ心であるのだと、嘗ての蒼い私、少女時代の疑問に再び、否、今ようやく向き合っているように感じています。
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by Claranomori | 2012-04-12 12:19 | 19世紀★憂愁のロマンと美
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★オーブリー・ヴィンセント・ビアズリー(Aubrey Vincent Beardsley:1872年8月21日~1898年3月16日)は、イギリスの挿絵画家(イラストレーター)であり詩人。英国ヴィクトリア朝の世紀末美術のイコンでもある。繊細な線描はこの細長い指先で描かれていたのかと19世紀末に夢を馳せます。黒の美学を愛するようになり30年を過ぎていますが、私の最も好きな色はやはり今も黒。またそろそろ知人の冊子に寄稿するために拙い想いを巡っているので、暫くそんな題材が多くなるかと想いますが、その日の気分にまかせて。
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オーブリー・ビアズリーのデビュー作は、1893年から1894年にかけて制作された、トマス・マロリー作『アーサー王の死』の挿絵及び装飾デザインとされている。まだこの頃はエドワード・バーン=ジョーンズやラファエル前派の影響が窺える、中世ロマンチシズム漂うものでファンタジックである。しかし、オスカー・ワイルドはこの頃のビアズリーのジャポニスムの雰囲気を嫌ったそうで、ワイルドの『サロメ』(1894年)の挿絵ではかなり印象が変わる。けれど黒と白、または線と面という構造はやはりビアズリーの美学に他ならないでしょう。『アーサー王の死』の挿絵はウィリアム・モリスとの剽窃論争も起こったとされ、先輩方から方々での批判が飛び交っていたようです。ワイルドの『サロメ』以降僅か4年間ながら社交界を席捲していたオーブリー・ビアズリーという名。しかし、学生時代から肺を患い病に伏しがちであったビアズリーは、結核により25歳の若さで息絶える。その夭逝はやはり惜しまれます。

肺病患者はきまって熱烈な、熱病のような才能の輝きを持っているものだ―本能的にそれが自分の悲しむべき分け前のであると知っている短い時間に出きるだけ沢山の人生を吸収しようと焦って。可哀そうなオーブリー! 彼は悲劇の人物だった。まるで神々がこう宣言したようなものだ―あと四年だけお前に与えよう。 だが、その四年の間にお前は他の人間が四〇年かけて学ぶことを経験するのだ。

これはビアズリーと同い年であった画家ウィリアム・ローセンスタイン(ウィリアム・ローセンシュタイン)の『回想の人々』の中の言葉です。ウィリアム・ローセンスタインによってビアズリーは日本の浮世絵や枕絵などの版画を知ったとされています。この19世紀末、英国のヴィクトリア朝時代の交流劇は私にとって夢のような絵巻でもあり英国の栄華なる時代です。
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by claranomori | 2012-02-22 04:51 | 19世紀★憂愁のロマンと美
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★三島由紀夫の「ギュスターヴ・モロオの「雅歌」 ― わが愛する女性像」と題されたエッセイがあります。昭和37年(1962年)4月23日の婦人公論増刊に寄せられたものです。三島由紀夫の小説も然りながら、エッセイの中にも興味深いものは多数あります。殊に私の好きなロマン主義(ロマン派)や象徴主義(象徴派)の絵画や文学に関するお言葉は、耽読することが多いようです。ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau:1826年4月6日~1898年4月18日)は、フランス、パリ生まれの象徴主義の画家。聖書やギリシャ神話を題材に幻想の世界を描き、19世紀末のフランスのみならず、象徴主義の先駆者として多大なる影響を与えた神秘の画家であります。三島由紀夫が取り上げているギュスターヴ・モローの『雅歌』(The Song of Songs)は1853年の作品です。マスネエの音楽とは19世紀から20世紀初頭のフランスの作曲家のジュール・マスネのことで、ギド・レニはグイド・レーニのことでかのゲーテも「神のごとき天才」と讃えた17世紀イタリアのバロック画家です。

ギュスターヴ・モロオの「雅歌」 ― わが愛する女性像
三島由紀夫


浪漫派絵画で、男性的な雄渾なドラクロアと、女性的な典雅なモロオとは、共に私の敬愛する画家だが、テオフィル・ゴーティエの小説の女主人公や、フロベールの「サランボオ」を思わせる絵すがたは、モロオのものだ。この絵でも、近東風の物憂い官能性、典雅な淫逸、肉体の抒情と謂ったもののあふれるばかりの女人像は、そのきらびやかな宝石のきらめきと相俟って、しばし観る者を夢幻の堺へ誘う。マスネエの音楽もひびいて来るようで、いわば最も贅沢な「二流芸術」の見本だ。大体、二流のほうが官能的魅力にすぐれていることは、ルネッサンス画家でもギド・レニを見ればわかることで、私の好きなものも正直その点である。

昭和37年4月23日の婦人公論増刊
引用 : 「三島由紀夫の美学講座」 編:谷川渥 ちくま文庫

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by claranomori | 2012-02-16 13:55 | 19世紀★憂愁のロマンと美
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昨日の続きで『ロシア その民族とこころ』からの覚え書きと想いです。フョードル・チュッチェフを引用されている箇所から。

ロシアは頭だけでは理解できない
並みの尺度では計れない
ロシアだけの特別な体躯があるから―
ロシアは信ずるしかない

フョードル・チュッチェフ(Фёдор Тютчев: Fyodor Tyutchev:1803年12月5日~1873年7月27日)は19世紀ロシアのロマン派詩人。この詩の「ロシア」を「日本」に置き換えたらどうだろう、と想った。ロシアは複雑な歴史の大国でまだまだ私には謎だらけながら、社会主義(崩壊しているが)の国の中でも何故だか興味があるのは、こうした真にロシア的なるものを、ロシア人の習俗や心性が民衆や自然と共に長きに渡り綿々と息づいているところに、日本人と似た心性を感じるからであろうと想う。その気持ちが確認されたようでなんとも晴れ晴れとした静かな感動さえ覚えた。

そして、フョードル・チュッチェフの詩から連想されるのはアンドレイ・タルコフスキー映画の断片であるが、著者の川端香男里氏はタルコフスキーの映画『ノスタルジア』(1983年)にも触れ、イタリア製作であるイタリア映画である『ノスタルジア』ながら、題名が『ノスタルギーヤ』とロシア語であることを指摘されている。ロシア語のまったく分からない私には新鮮なことであった。日本語にするとその差異は曖昧になってしまうけれど、ロシア語での「ノスタルギーヤ」には、憂い、悲しみ、苦しみ、倦怠という意味があり、他方では、なつかしみ、慕い、恋い焦がれる強烈な憧れの感情を表す意味も重ね持っているそうだ。望みつつも得られぬもの、失われたものへのやるせない思い、「病い」としてしか云いようのない厳しい思いを表現する「タスカー」と「ノスタルギーヤ」のこの二つは一つの「病い」の表と裏であり、ロシアの魂であるという。ロシアのあの広大な自然は、ロシア人の農耕民族としての自然観は、気候上、日本とは異なるけれど自然と共に労働、生活している人々にとっては、いくら厳しい自然であっても生が一体となる。今回の東日本大震災での東北を想う。荒廃してしまった土地のみならず、家族のように育てていた家畜たちも多くの人々の死と共に失われてしまった。飼っていた犬や猫も多いだろうに。都会に住む私たちは東北から多くの恩恵を受けている。同じ日本であり日本人の心、魂というものを私は今回の大災害の中で痛感できたことを東北の方々に感謝の気持ちを込めて、どうか希望を抱いて頑張ってください、と願い祈ることを続けたいです。

愛しい人よ、奇しくも眩く燃え立つ
君の目が私は好きだ
君が双の目を突然僅かに挙げ
まるで天の稲妻のように
素早くあたり全体を見回す時の・・・しかし、その魅惑より強いものがある
それは 情熱の口づけに
伏せられたまなざし
閉じた睫毛を通してのぞく
愛欲の、暗鬱でほの暗い焔・・・・・

アンドレイ・タルコフスキー(Андрей Тарковский:Andrei Tarkovsky:1932年4月4日~1986年12月29日)の映画『ストーカー』(1979年)の中で、「机」「椅子」「コップ」という静物の中に溶け込んでゆく少女が本を閉じ、まるで少女の内的独白のように響く詩である。この詩がフョードル・チュッチェフのものであることを、私はタルコフスキーで知った。このSF映画の原作はストルガツキー兄弟の『路傍のピクニック』という小説だそうだが未読。アンドレイ・タルコフスキーは叙情的、あるいは詩的な映像というよりも視点とイメージの監督であるだろうけれど、少年や少女、親子の姿を映しながら多くの詩が引用される。不思議な精神交歓というのか、感覚の交錯のようなものが圧倒的なイメージ、映像力で響く。そして、私の心には静謐な詩的な世界が刻まれるのである。

『アンドレイ・ルブリョフ』での反愛国的作品としての刻印による上映禁止等から海外へ亡命することになるタルコフスキーは、祖国、ロシア(ソ連)を離れたくはなかったであろう。けれど、『ストーカー』がソ連での最後の作品であり、ソビエト連邦書記長のミハイル・ゴルバチョフが、アンドレイ・タルコフスキーの名誉回復を宣言し帰国を認める声明を発表するも、時の運命は哀しく1986年12月29日、パリにて癌の為死去された。54歳であった。80年代のほんの僅かな刻をタルコフスキー映画と共に過ごせた。それは私の映画館との大切な想い出でもある。
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by claranomori | 2012-02-06 20:11 | 19世紀★憂愁のロマンと美
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わたしのとても好きなものは、おぼろげなもの、ほのかな音と色、
すべてうちふるえ、波打ち、おののき、玉虫色に光るもの、
髪の毛と眼ざし、水、木の葉、薄絹、
ほっそりとしたものの生けるごときたたずまい。

詩:アルベール・サマン 『好きなもの』より 訳:内藤濯

★19世紀フランスの詩人、アルベール・サマン(Albert Samain:1858年4月3日~1900年8月18日)の詩です。この詩を読んでから随分年月が経ちましたが、今もやはり共鳴する私です。絵は、アルベール・サマンと同じ時代のフランスを生きた、印象派の画家ピエール=オーギュスト・ルノワールの1886年の名画『読書をする少女』を何となく一緒に並べさせて頂きました。印象派、19世紀末、フランス、淡くほのかな音と色...私の好きなものでもありますので、心が安堵します。
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by claranomori | 2012-01-05 23:48 | 19世紀★憂愁のロマンと美
b0106921_2191051.jpg★ジェラール・ド・ネルヴァル(Gérard de Nerval:1808年5月22日~1855年1月26日)の1854年の最晩年の作品『火の娘たち』。嗚呼!ネルヴァル!!フランス・ロマン派の奇才作家。大好きな作家と云うよりも深く深く私の心に沁み入り続ける詩人です。なので、綴るのはちょっと安易ではないので軽く。どうした訳か、16歳~17歳頃に出合った音楽と文学は私の中でいつまでも寄り添い合ってしまうようです。ネルヴァルというと、ブリジット・フォンテーヌのとりわけ70年前後作品、楽曲たちが絶妙なハーモニーを奏でるかのように響きます。ジェラール・ド・ネルヴァルは狂気の果てに死に至ったお方ですが、ニーチェも然り。発狂死というものがいったいどんな世界だろう...と考えます。凡人の私には到底分かりはしないけれど、ある種の聖域で神聖な純粋さをも感じてならないのです。人間の究極の境地の一つでもあるような。

何冊か読んでいるのですが、今日は『火の娘たち』の『シルヴィ』を。最初に読んだのは80年代でやはり新潮文庫でした。20数年ぶりに先日読み返したのですが、もの凄く感動しました!20数年の時の流れの中で、私も歳を重ね少々の人生の苛酷さを知ってしまった。けれど、人生は尊いものであることも知り得たつもりです。この先何が待ち受けているのか分からないけれど。幻視文学あるいは幻想文学と喩えることも可能ながら、当のネルヴァルご本人は現実と夢の世界を自由に彷徨しているので、読んでいて摩訶不思議なのです。夢幻的という言葉がとても似合うもので、一貫して漂い続ける叙情に涙しました。マルセル・プルーストの絶賛を受けたものの、19世紀後半には忘れ去られていたネルヴァル。20世紀になり、ようやく再評価されたのも、今だと何となく分かる気もします。時代背景的なものを少しは考慮しながら読むと、やはり途轍もない時代だったのだと。ネルヴァルは、実在の女優ジェニー・コロンに強く熱情を示し、叔父の財産総てを彼女を讃美するための雑誌「演劇界」の発行に蕩尽している。けれど、ジェニーとその後再会したのは一度だけ。それでも、ネルヴァルにとっての"永遠の女性"として生涯心の中で生き続けることに。そのジェニーの死の知らせの衝撃は大きくネルヴァルをさらなる夢の世界へと誘い、幾度かの発作、療養を経るがもう戻っては来れない。ネルヴァルにとって、現実というものは常に闘うものであったように想う。革命の狭間の少年時代、育ての親のような叔父の神秘主義の影響、早くから聡明で豊か過ぎる感性はやはり現実から夢の世界へという地獄を辿り、行き着いた果ては穏やかな"第二の人生"であったのだと。

『シルヴィ』『エミリイ』『ジェミイ』『オクタヴィ』『イシス』という女性名5つからなる『火の娘たち』(私が読んだものは『火の娘』 訳:中村真一郎 新潮文庫)のシルヴィとはオーレリアに続くもので、ネルヴァルの原初的な美しい想い出の土地、ヴァロワ地方の自然と遠い昔の幼な友達シルヴィ。その少女シルヴィへの愛が夢の恋人オーレリーへの連鎖という物語。もう論理など軽く超えたもので、ネルヴァルはロマン主義と象徴主義の作家だと痛感。記憶、過去、想い出の深い処から無意識的に精神を放浪させる形式。これはプルーストの『失われた時を求めて』の先駆的な作品であり、またアンドレ・ブルトンの『超現実主義宣言(シュルレアリスム宣言)』へと繋がるもの。20世紀後半になり、ボードレールと並ぶ詩人と云う評価に至るのは、やはり作品の中に流れる"詩"であり"歌"(古謡など)が美しく、正に夢と追憶の陰影からなるソネットのようです。やはり、私は歌の流れる、響く小説などがとても相性が良いようです。そして、想います。このような作家の作品はどんなに社会や科学が進歩しても解き明かされるものではないのだと。論理的よりも象徴的なるものの方が、私には必要であり大切な心の糧として空を舞うのです。

想うままに綴っているので取り留めなく、まだまだ続きそうです。フランス・ロマン派の作家、テオフィル・ゴーティエとはシャルルマーニュのリセの同級でもあり親交の深かったお方であります。フランスに限らず、やはり19世紀に夢を馳せることが多く、尽きない学びの源泉のようです。
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by Claranomori | 2011-11-03 08:08 | 19世紀★憂愁のロマンと美
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★ヨハン・アウグスト・ストリンドベリを続けます。詳しくないけれど興味を抱いたのは、ストリンドベリの女性像というか女性観のようなものかもしれない。同時代の北欧の劇作家にイプセンが居られる。私はイプセンの作品の方をより親しんでいる。ストリンドベリというとそのイプセン批判などのイメージが長らくあった為か、作品から暫く遠のいていたお方である。けれど、どこか気になるものが私の記憶の中にあり、年月の経過と共に消え失せるものではないと感じるに至っているような。

ストリンドベリは「女性嫌悪」という批評もあるけれど、それは表裏一体に思う。ただ、聡明なお方ながら女性に関しては老年期に至るまで少年のような幻想を抱いておられたのではないだろうか...。ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ(Johan August Strindberg:1849年1月22日~1912年5月14日)は、スウェーデンのストックホルムで小型船舶の販売を営む家に生まれる。けれど1850年に父親は破産。母親は嘗てこの家の女中であったお方で、二人には男の子が二人誕生(その弟の方がストリンドベリ)。けれど、母親は終始夫から主従関係を強いられていたという。また、当時の世間の目もこの母子には苛酷なものであっただろう。ストリンドベリにとって母はとても優しい存在であった。

ストリンドベリの生涯を4つに区分され語られる。その時代と女性たちとの関係も興味深い。

1870年代=探求の時代
1874年(25歳)に王立図書館に職を得る。担当は中国関係だった。
男爵夫人シリ―・フォン・エッセンとの三角関係から結婚(1877年)へ。
大作の戯曲や自然主義小説『赤の部屋』などで名を馳せる。

1880年代=批判の時代
ヨーロッパを各地に移り住み、社会主義の影響を受ける。
自伝的小説『女中の子』(1886年)、『ある魂の成長』(1886年)を発表。
『父』(1887年)、『令嬢ジュリー』(1888年)などの自然主義戯曲の名作を刊行。ニーチェは『父』を絶賛されたという。
けれど『令嬢ジュリー』は出版及び上演も禁止される。
ゲーオア・ブランデス経由ニーチェの影響のもとに精神的貴族主義となり『チャンダラ』(1889年)などを刊行。
妻シリ―と疎遠になる。

1890年代=地獄の時代
1891年に妻シリ―・フォン・エッセンと離婚し、ベルリンへ。
ボヘミアンの旗頭でムンクなどスカンジナビアの芸術家たちとの交友。
『痴人の告白』(1893年)を発表。
1893年二人目の妻フリーダ・ウール(女性記者)と結婚。
二年後に離婚。
精神的疾患が悪化し狂気の危機との苦闘の時期。

1898年~1909年=大ストリンドベリの時代
1890年代の終わりから約12年間の晩年である。
優れた戯曲を多数書き、小劇場を自力でストックホルムに興す。
1901年三人目の妻ハリエット・ボッセ(女優)と結婚、1904年に離婚。

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老年期60代のストリンドベリにとっての「最後の恋」が訪れる。
フアンニイ・フアルクネルとの実らぬ恋であった。
知り合ったのはフアンニイ・フアルクネルが10代の少女の頃。
婚約(解消されるけれど)した折は20歳頃の女優・画家の卵時代。
フアンニイ・フアルクネルは1911年頃に『青い塔の中のストリンドベリ』(邦題:『ストリンドベルクの最後の恋』1924年刊行)を書き、その中でストリンドベリとの愛の日々を綴っている。けれど、翻訳版は大正時代のもので今も絶版。けれど、この『ストリンドベルクの最後の恋』を読んだ島崎藤村の言葉が残されている。

「幸か不幸か、ストリンドベルクにはそれほど女運のなかつたばかりに、女の価値といふものが低くならないで、晩年に到るまでそれを重く視つづけて行つた人のやうにも思はれる。これは作家として、また人としての彼を知る上に、かなりデリカなことであらうと思ふ。何故かなら、女を知れば知るほど女の価値が低くなるといふのは多くの人の場合であらうから」

藤村の言葉を知る由もなく、ストリンドベリは1912年5月14日、胃癌によりストックホルムに死す。

※とりあえず頭の中の整理のために纏めてみました。もっとストリンドベリの作品に触れた後に、私の想いももう少しは言葉に出来るような予感がします。後50年ちょっとは生きようと思っているのですが、3月11日以来、自然災害と人災により、日本は混沌とした時代を迎えたようで不安は募るばかりで心身不調です。けれど、東北は日本の基盤であるとさえ思うので、どうか時間がかかっても復興してほしいと願います。
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by claranomori | 2011-04-14 23:11 | 19世紀★憂愁のロマンと美