あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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カテゴリ:銀幕の少女たち・少女映画( 157 )

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 相も変わらず少年少女映画が大好き!なのですが、今日はちょっと懐かしい『ペーパー・ファミリー』という映画のことを。ドリュー・バリモアの映画デビュー作はケン・ラッセル監督の『アルタード・ステイツ / 未知への挑戦』(1979年)。その後『E.T.』で人気爆発。1984年には主役で『炎の少女チャーリー』と、この『ペーパー・ファミリー』、まだひと桁の幼き少女子役時代のドリューちゃんですが、既にかなり荒れた生活となっていたそうです。元々、映画一家のお嬢様で映画界への道は何の不思議もないお方ですが、子役スターの悲劇から復活され、現在もチャーミングな女優さまとして活躍されているのは嬉しい。お顔もあまり変わっていないですね。
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 9歳の少女ケイシー(ドリュー・バリモア)がなんと!「両親を離縁します。」との裁判場面から始まるお話です。1984年のアメリカ映画で日本公開は1988年。まだ幼い娘に裁かれる両親って?!どんな展開なのだろう、コメディ風な展開なのかと最初は思ったのですが、最後は何故かしんみりと泣いてしまいました。父アルバート(ライアン・オニール)と母ルーシー(シェリー・ロング)という配役も良かったです。ヒッチハイクで知り合ったアルバートとルーシーはその四日後に結婚。娘ケイシーが生まれ、小さなアパートで三人暮らし。歩く映画百科のようなアルバートは映画科の講師をしていたのだけれど、大物プロデューサーのデヴィッド・ケスラー(サム・ワナメイカー)に才能を買われ編集を任されることに。その映画『アメリカン・ロマンス』は大成功。二人は段々お金持ちになり、アパートから一軒家に。さらに大邸宅に住み、メイドを雇い、すっかり生活が変わってゆく。そんな日々をなんとなく淋しいと感じるルーシーも作家として成功したい夢がある。本来お料理上手なルーシーなのに、次第に娘の世話までメイド任せになってゆく。
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 二人の出会いは1972年という時代設定から9年間、この家族の経緯を回想しながら裁判は進む。裁判官や聴衆も呆れるほどの両親の身勝手さに言葉も出ない大人たち。少女ケイシーは裕福な生活でも心はひとりぼっち。最も懐いているのは世話をしてくれるメイドのマリア。マリアはスペイン系アメリカ人のようで、ケイシーは母親との会話でスペイン語を使うようになったり(小さな反抗)。虚ろな眼差しでテレビを観たり、9歳の少女が読むには過激な書物を読んだり。挙句の果てには父の浮気で両親は別居(浮気相手の素人女優役はシャロン・ストーン)。アルバートとルーシーは、喧嘩になると責任のなすり合い。孤独なケイシーの堪忍袋の緒が切れ、両親を離縁すると訴える羽目に。前代未聞の事でマスコミも駆けつけ大反響の渦中...。
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 アルバートは全財産を費やした『アトランタ』という映画が史上最低の不調作となり破産。一方、娘を連れて家を飛び出したルーシーは養育費はもらっているけれど、精神的にかなり疲労困憊。イライラしたり常に何か食べていたり(過食症)。ある日、スーパーで我が身の変化にハッとして奮起。アルバートとのこれまでの生活を基にした作品を一気に書き上げる。なんと、それがベストセラーとなり、今度はルーシーがアルバートの大豪邸を買い取ることに。なんだか、お話はテンポ良くコミカルながら実は深刻な問題が随所に見られる。それは都会の生活、仕事を持つ女性、両親と子供、また夫婦、メイドを含めた家族というもののかたち。9歳の少女は裁判の最後に自らの希望を告げる。「マリアの家族と一緒にくらしたい」と。「私は両親にとって犬(ペット)のような存在」と。マリアにも二人の子供がいる。こじんまりとした温かいマリアの家族たちとの暮らしを選ばなくてはならない9歳の少女って。ケイシーにはマリアという優しいメイドが長年居て良かった。メイドを雇えるアメリカ人は一部でしょうから。エンドロールで流れる曲は、フランク・シナトラの「You and Me」。その曲の意味(私なりの大意)は深いもので、ほろりとしてしまう。何かを得る代わりに何かを失う...。

 お互いの夢を掴んだけれど、
 小さな愛を失った

 後日、マリアの家族と暮らすことになったケイシーに週交代で逢いに行くアルバートとルーシー。失ってから大切なものを痛感した二人。ある日、ルーシーが面談日を間違え三人が顔を合すことになり、久しぶりに三人でのお食事。その時のケイシーは笑顔の輝く少女なのでした。アルバートとルーシーのお互いの心も完全に離れ切ってはいない。幸か不幸か、人生には色んなタイミングがある。一概にこの若き夫婦を非難できない。経済大国となった日本もよそ事ではなく家族崩壊が進む昨今、考えさせられる映画でもありました。

 所々笑える場面もありました。ライアン・オニールのアルバート役も良いのですが、ルーシー役のシェリー・ロングはやっぱりキュートなコメディエンヌ!同じ時期にベット・ミドラーと共演した『うるさい女たち』(1987年)もとっても素敵でした。ほっそりとしたスタイルとコミカルな動き(目や手の表現など)が実に愛らしい女優さまです。

ペーパー・ファミリー / IRRECONCILABLE DIFFERENCES
1984年・アメリカ映画

監督:チャールズ・シャイア
製作:アーリン・セラーズ / アレックス・ウィニツキー
製作総指揮:ナンシー・マイヤーズ
脚本:ナンシー・マイヤーズ / チャールズ・シャイア
撮影:ウィリアム・A・フレイカー
音楽:ポール・ド・セネヴァル / オリヴィエ・トゥーサン
出演:ライアン・オニール / シェリー・ロング / ドリュー・バリモア / サム・ワナメイカー
アレン・ガーフィールド / シャロン・ストーン / ルアナ・アンダース / ジェニー・ガゴ

●追記●
 エキサイト様のブログ機能が大きく変わり、ウロウロしています...機械音痴なので、慣れるまでもう少し時間が必要なようです。字体が表示と違うのはどうしてでしょう...ふむふむ。無料で使わせて頂いているので感謝しなくては☆

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by claranomori | 2013-11-19 00:18 | 銀幕の少女たち・少女映画
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★アニエス・ヴァルダ監督の『冬の旅 (さすらう女)』(1985年)。原題は「屋根も無く、法も無く」あるいは「ヴァガボンド」。美しく詩的な映像で始まる寒い冬の南仏の木々。アニエス・ヴァルダ監督のナレーションが聞こえる。その中で、少女モナは”海からやって来たのかもしれない”と。凍てつく寒さの中、海で泳いでいる。この18歳の少女の死を映し出し、彼女に出会った人々の証言たちが。彼等はモナが死んだ事を知らずに語ってゆく。初めて観た折の私は正直モナを好きになれなかった。ヴァルダの作品はそれでも美しく、また、モナの何かが私に記憶され続けていた。年月を経て、今想う事はモナの反抗、自由、孤独の中に見る崇高さのようなものに憧れるのだろうか。イデオロギーに反発するのでもなく、モナは失うものを持っていない。それは孤独と表裏一体。「孤独」や「自由」って何だろう...人は誰もが孤独ではないか。でも、モナの孤独は死を持って崇高さを獲得したようにも想う。私は「自由」というものを真剣に求めたことなどない。育った環境や教育、モナの年の頃はバブルな時代を過ごしていた。また、私は「失いたくないものがある」。それ故に、社会との鬩ぎ合いの中でバランスを保ちながらどうにかこうにか生きている。ちっぽけな私の愛する王国のために。人生は苛酷なものであるという前提にそれでも、空を見上げることを忘れたくはないと。蒼い幻想...。

アニエス・ヴァルダは戦中、戦後、60年代という、激動の時代を体験して来たお方。この映画の中でプラタナスは重要。アメリカからやって来た菌に侵されたプラタナスは、後30年で朽ちてしまうという(ドアーズの音楽が使われている)。それを放っておいてはいけないと研究している独身の女性教授ランディエ。証言の中で、彼女はモナを置き去りにしたことを後悔し、助手にモナを探して連れ戻すように依頼している。しかし、終盤、助手はモナを駅の構内で見つけるけれど、ランディエ教授には見つけたと言わなかった。彼は当初からモナの汚れた髪や衣服、悪臭を敬遠していた。教授は寛容で「もう慣れたわ」と語っていた。私もモナと知り合えたら慣れていただろうか。毎日幾度も手を洗う癖のある私がモナの垢だらけの指を我慢できただろうか(これは、単なる私の病理的なことに過ぎないのだけれど)。複雑な想いが巡る中、それでもこのモナは光の少女として映る。美しいとも想う、このアンビバレントな気持ちは何だろう。きっと、私には持ち合わせていない「自由」を持つ少女が羨ましいのかもしれない。

それにしても、ヴァルダというお方は強靭だ。純粋無垢な少女として敢えて描いてはいない。モナは行きずりの男性と共に過ごすし、少女の汚れた爪を映し出す。女性監督ならではの感性、と言っても様々なのだと幾人かの女性監督が浮かぶ。私は映画を娯楽として愉しみ、また、多くのことを学び思考を強いられ苦しくなることもある。この作品はそんな一つ。サンドリーヌ・ボネールは撮影当時このモナと同い年位。素晴らしい女優さま!

モナは旅を選んだ。路上には、日常的な暴力があり、飢えと渇き、恐怖、そして寒さがある。彼女はそれを生き凌ぎ、何事が起ころうと、誰に出会おうとも意に介さない。私自身、彼女にひどくぞんざいにされた。が、それだけいっそう、彼女の孤独に胸をうたれる。

アニエス・ヴァルダ

このお言葉にあるラスト「私自身、彼女にひどくぞんざいにされた。が、それだけいっそう、彼女の孤独に胸をうたれる。」を読み、私は涙に溢れた。救われた気がしたのです。上手く心を綴れないけれど...。
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【あらすじ】 少女がひとり、行き倒れて寒さで死んだ。誰に知られる事もなく共同墓地に葬られた少女モナ。彼女が誰であったのか、それは彼女が死ぬ前の数週間に彼女と出会った人々の証言を聞くほかなかった。また、証言でわかるものでもない。少女の名はモナ(サンドリーヌ・ボネール)、18歳。寝袋とテントを担いでヒッチハイクをしながらのあてどのない旅。時折、知り合った若者と宿を共にしたり、農場にしばらく棲みついたりすることはあったものの、所詮行きずりの人々にモナがその内面を垣間見せることは滅多になく、また何処ともなく消えてゆくのが習いだった。ある時、プラタナスの病気を研究している女性教授ランディエ(マーシャ・メリル)がモナのことを拾う。ぽつりぽつりと自らのことを語るモナ。ランディエも彼女に憐れみを覚えるが、結局どうすることもできず、食料を与えて置き去りにする。モナは森の中で浮浪者に犯された。またしても放浪の旅を続けるモナはついにはテムの街で浮浪者のロベールたちと知り合い、すっかり荒んだ様子になってしまった。そしてそこへ、前にモナと空き家の別荘で暮らしていたユダヤ人青年ダヴィッド(パトリック・レプシンスキ)がやってきて、マリファナの取引きのことでロベールといさかいになってモナの住んでいたアジトは火に包まれてしまう。すっかり薄汚れて再び路上に戻ったモナはパンを求めて近くの村に赴くが、今しもそこはブドウ酒の澱かけ祭のさなか。何も知らないモナは彼女に澱をかけようとする屈強の男たちに追われ、恐怖に顔をひきつらせ、そのまま力尽きて路傍に倒れ込む。

冬の旅 / SANS TOIT NI LOI
1985年・フランス映画
監督・脚本:アニエス・ヴァルダ 
撮影:パトリック・ブロシェ 音楽:ジョアンナ・ブルゾヴィッチ 
出演:サンドリーヌ・ボネール、マーシャ・メリル、ステファン・フレイス、
ヨランド・モロー、パトリック・レプシンスキー、マルト・ジャルニアス

関連:いつまでも大好き!★カトリーヌ・ランジェ:CATHERINE RINGER(レ・リタ・ミツコ:LES RITA MITSOUKO)♪

※この『冬の旅』は2009年に綴ったものに画像追加いたしました。
以前の映画雑記を少しずつ整理しています♪
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by claranomori | 2013-03-24 15:54 | 銀幕の少女たち・少女映画
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★久しぶりに映画のこと、少女映画を。レオ・マッケリー監督の1945年映画で『聖メリーの鐘(セント・メリーの鐘)』。主演は名優のお二人で、ビング・クロスビーとイングリッド・バーグマンなのですが、少年少女たちのお話でもあります。同じくビング・クロスビー主演で同役柄のオマリー神父は前年の『我が道を往く』に続くものです。ビング・クロスビーは勿論、イングリッド・バーグマンの歌声(スウェーデンの唄で「It's Spring」)も聴けるのですが、兎にも角にもバーグマンの尼僧姿がお美しいのです!また少女パッツィ役のジョーン・キャロルはヴィンセント・ミネリ監督の『若草の頃』(1944年)に続く出演作でもあります。
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進歩的、革新的な思考の持ち主であるオマリー神父(ビング・クロスビー)と、心の強い美しいシスター・ベネディクト(イングリッド・バーグマン)は謂わば保守的で祈りで目の前の大問題を解決できると信じ、敬虔であるが楽観的でもある。この神父とシスターは子供たちの教育方針も異なるけれど、神父の寛容さもあり、次第に協力しながら教会の運営の危機を乗り越える。その一方で、家庭の事情から母親が13歳の少女パッツィ(ジョーン・キャロル)を教会に寄宿させるために連れて来る。この少女の成績が悪いことの視点も神父とシスターは異なる。また、使用人の息子エディ(リチャード・タイラー)が他の生徒との喧嘩で殴られてしまう事件も起こる。神父は男子の喧嘩にも寛容であるけれど、シスターは違った。けれど、このエディには防衛策としてのボクシングを教えることに。バーグマンが尼僧姿で少年にボクシング指導する場面は微笑ましく今も蘇ります。オマリー神父は教育に歌を導入し、少年少女たちの心も次第に朗らかになってゆく。パッツィも作文に才能を発揮するようになり、エディも頼もしくなってゆく。神父とシスターは理解し合えたけれど、シスターは病いの療養のために教会を去る日が訪れる。その姿を何とも云い難い気持ちでオマリー神父はみつめながら、お互い最後は安堵の気持ちでお別れする・・・。

オマリー神父とシスター・ベネディクトの考え方の違い、それでも窮地の教会を守るために協力してゆく過程には、意見が違えどもお互いを尊重し合うという心がある。教育の世界のみならず、どの職場でも学校でも通じる大切なことだと想います。この『聖メリーの鐘(セント・メリーの鐘)』は1945年のアメリカ映画である。その頃の日本は...などと想いを馳せながら、この素晴らしいクラシック映画を想い出すのでした。

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●あらすじ●
聖ドミニック教会を再建すると、雪の降るクリスマスの晩に、ひょう然と立ち去った神父オマリーが、赴任したのは聖メリーの教区であった。ここには学園が付属しているが、老神父オーガディには窮迫している教区の財政を建て直す能力はなかった。オマリー神父が来たのは、そのためでもあった。学園は尼僧長ベネディクト尼が、学園長として教育と経営の任に当たっているが、教育家としては申し分ないにしても、経営の方は円滑に行かないのは是非もないことだった。オマリー神父はベネディクト尼が余りにも若く美しいのにびっくりしたが、さすがに若くして尼僧長になるだけのしっかりした性格を持ていた。学園の隣には建築中の大きなビルディングがあった。そこは以前学園の運動場だったのを、実業家ボダーガスが買い取ったのである。ベネディクト尼は、それが完成したら、ボダーガスが学園に寄付するだろうと思って毎日そうなるように祈っているというのであった。オマリー神父は彼女が余りにも世間を知らなすぎるのに、かつ驚きかつ憂えるのであった。

ある日一見して夜の女であると思われる婦人が、オマリー神父を訪ねて来た。テレサ・ギャラガーという女で、12年前夫ジョウが家出して以来、一人娘のパッシーを抱え辛い世渡りをして来たが、娘が13になって母の職業を勘づいた様子なので、学園に寄宿させて頂きたいというのだ。神父が承知したので、彼女は翌日パッシーを伴って来た。オマリー神父は孤独な生活がパッシーの生活をひねくれさせていることを知ったが、ベネディクト尼は勉強嫌いでパッシーの成績が悪いのだと単純に思い決めているので、彼女の訓育について神父と尼僧長の意見は合わなかった。ボダーガスはベネディクト尼がビルディングを寄付をされたいと申し入れて来たのにびっくりして、憤慨したため持病の心臓病に障り病臥してしまった。オマリー神父が見舞いに行くと医師が来ていて、病気は心労のせいだと言った。神父は医師にボダーガス氏がビルディングを学園に寄付してしまえば心労がなくなるだろうにと言った。ところが医師から言われたと見え、数日後ボダーガスはベネディクト尼を訪れ、寄付を正式に申し出た。尼僧長は大喜びだったが、オマリーは彼女が肺を侵されていることを医師から聞くと、彼女をアリゾナの病院へ転勤させる手続きをした。

彼女はパッシーを卒業させないので、神父が意趣返しをしたのではないかと思っている様子だった。卒業式を終わると尼僧長は出発することになっていたが、オマリー神父はパッシーから自宅に帰るのがいやで、答案を下手に書いたという告白を聞いた。しかもテレサはジョウが帰宅したといって二人連れで、娘の卒業式を見に学園を訪れた。神父が困ったことになったと心配していると、尼僧長がパッシーも卒業させると言出し、彼女を式場に連れて行った。卒業式が終わるとベネディクト尼はあいさつして出て行った。それを見ると神父は堪らなくなって追いかけた。そして彼女がアリゾナに転勤になる理由は、彼女の健康のためであること、彼女の肺が少し悪いからだと、告げたのである。ベネディクト尼の顔は晴れやかに輝いた。神父に対する一片の疑惑の雲もなくなったからであろう。ベネディクト尼は健康を回復したら、また帰って参りますと言った。オマリー神父も再会のその日を待ちましょうと握手して別れた。
(参照:goo cinemaより)
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聖メリーの鐘 / THE BELLS OF ST. MARY'S
1945年・アメリカ映画
監督・製作・原作:レオ・マッケリー
脚本:ダドリー・ニコルズ 撮影:ジョージ・バーンズ
作詞:ジョニー・バーク 作曲:ジミー・ヴァン・ヒューゼン 音楽:ロバート・エメット・ドーラン
出演:ビング・クロスビー / イングリッド・バーグマン / ヘンリー・トラヴァース
ジョーン・キャロル / ウィリアム・ガーガン/ リチャード・タイラー

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by Claranomori | 2012-09-28 10:29 | 銀幕の少女たち・少女映画
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★マーティン・スコセッシ監督の『タクシー・ドライバー』を最初に観たのはテレビで多感な頃。何度か観ているのだけれど、何かがこの作品に対して残ったまま今日に至ってる気がしてならない。去年も再見し、今年も。年月が経過する中で病めるアメリカ、世界の大都市ニューヨークで生きる人々、街の光と影。時代への叛逆、若者の孤独と混沌としたものが不気味に胸に突き刺さるばかり。この頃のロバート・デ・ニーロの蒼白な顔つきは好きだけれど、ここでのトラヴィス役は何だろう...凄まじい。70年代のアメリカ、アメリカン・ニューシネマの名作に違いないのだろう。マーティン・スコセッシ監督はカンヌでパルムドール受賞作品ながら、本国アカデミーは候補に挙がりながら受賞を逃した。バーナード・ハーマンの珠玉のスコアも素晴らしいけれど、脚本のポール・シュレイダーは主人公トラヴィスに当時のご自分の内面を映し描いたという。またスコセッシ監督もその脚本に共鳴し、ロバート・デ・ニーロはトラヴィスを神憑り的凄さで壮絶なまでに演じきった。
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そのトラヴィスが恋心を抱く美しい女性ベッツィー役は前述のシビル・シェパード、街に立つ娼婦アイリス役は撮影当時12歳~13歳の少女子役時代のジョディ・フォスター。お若いハーヴェイ・カイテルは壮絶な最期を迎えるスポーツ役。スコセッシ監督もちょこっとタクシーのお客さん役として登場する。凄く豪華な脇役たちであると再確認、そしてやはりデ・ニーロは凄い。
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私はこの映画が好きか?と問われたなら、今もまだ答えられない。でも、この恐怖感は今を生きる私達にとてもリアルな感覚も持ち合わせているように思う。30年以上前の作品なのに。一見、英雄のように映るトラヴィス。そこが怖いと思うし、今日的な気がする。華やかな街のざわめきを照らすネオン。タクシーで徘徊しながらトラヴィスは不浄な世界が目に付き苛立ちと持って行き場の無い怒りと孤独が募る。ベトナム戦争から帰って来たというのも要因だろう。恋も実らず、ますますやるせない気持ちが狂気を伴っていく様から終盤へ...壮絶だ。見事過ぎて怖い!

この映画の公開後、ジョディ・フォスターは、あるジョディの熱狂的なファンによるレーガン大統領が襲われるという事件が起こり大きなショックを受ける。演技者として優れた才能は映画を離れても予期せぬ形で影響を与えてゆく。現実と妄想の境目が不安定になるというお方も多い。幸い、どうにか私は映画が大好きで感情移入し過ぎて時に暫く境界を彷徨う一瞬がある。それが魅力だとも思っているし、映画は最良の娯楽だと思っているので、美しい風景の中にいつまでもいたいと願う作品に感銘を受けても、また現実に戻ることができる。多くの映画好きなお方はそうだろうし、もっと細かい分析をされたり、かなり精神的な衝撃を受け深い思考に陥ることもあるだろう。何が言いたいのだろう...よく自分でも分からないけれど、デ・ニーロは優れた名優だけれど役柄のトラヴィスではない。そして、トラヴィスは結果的にアイリスを救ったけれど彼女のためという英雄劇ではなく、己との葛藤や憤り、都会の孤独や寂寥が痛ましいデス・コミュニケーション。この残像が30年以上経った今もリアルに色褪せないものとして伝わってくるように感じる。でも、少女子役時代のジョディ・フォスターの登場シーンは幾度観てもときめく。現在50代になったジョディ・フォスターは今も大好きで、出演作品を追うことはまだ続けています。
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タクシー・ドライバー/TAXI DRIVER
1976年・アメリカ映画
監督:マーティン・スコセッシ
製作:マイケル・フィリップス、ジュリア・フィリップス 脚本:ポール・シュレイダー
撮影:マイケル・チャップマン 特殊メイク:ディック・スミス 音楽:バーナード・ハーマン
出演:ロバート・デ・ニーロ、シビル・シェパード、ジョディ・フォスター、ハーヴェイ・カイテル、
ピーター・ボイル、アルバート・ブルックス、ジョー・スピネル、ダイアン・アボット、
ヴィック・アルゴ、レオナルド・ハリス、マーティン・スコセッシ

※2007年に綴ったものに画像と少し追記いたしました♪

少数派ブログながら参加してみました♪
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by claranomori | 2012-03-09 18:25 | 銀幕の少女たち・少女映画
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★もう何度も書いている『クリスチーネ・F』ですが、この度パッケージも新装版にてDVD再発売が決定いたしました。発売は今月2月24日です。この画像はそのチラシの表紙です。痛々しい美少女クリスチーネの後ろには彼女が大好きだったデヴィッド・ボウイのポスターも写っています。今回のDVDでの特典は映像特典として、「当時を振り返る監督インタビュー」、封入特典として、「飾っておきたいCDジャケットサイズ フォトデザイン・ライナーノーツ(音楽ライター 小田島久恵)」と嬉しい内容です。

私は当時劇場で鑑賞し、たいそう衝撃を受けた想い出の映画です。長らく廃盤状態でビデオを友人にプレゼントする為に保存しているのですが、DVD化されたらそちらの方が良いだろうなと発売日が待ち遠しい朗報でした。少女映画としても異色の内容で、またデヴィッド・ボウイのファンにも必須な作品です。これまでにこの『クリスチーネ・F』について書いたものを以下に再度掲載させて頂きます。『クリスチーネ・F』は、私が映画館で鑑賞した最初のドイツ映画でもあります。随分年月が経ちましたが、あの日の光景、観終えひとり帰宅する中での複雑な想いを抱いていたあの頃が蘇ります。私もまだ10代でした。あの時期に観れた幸運はかけがえのないもので、涙が出ます。デヴィッド・ボウイとは、私にとっても、いつも片時も離れず閃光を放つ美の化身「神に近い存在であった」のです。

13歳のクリスチーネは、デヴィッド・ボウイが好きな普通の少女であった。誘われて始めたドラッグにすっかりハマリ、人生は大きく変わってしまった。薬を買う金欲しさに街に立ち体を売り、禁断症状にのたうち回る。抜け出せない苦しみは延々と続く。死と隣り合わせのクリスチーネはどうなってしまうのか?クリスチーネが焦がれたデヴィッド・ボウイの歌が、まるで救いのようにただ流れるだけだった―


★劇中デヴィッド・ボウイご本人役として登場され歌われる『ステーション・トゥ・ステーション♪

●関連記事:『クリスチーネ・F (われら動物園駅の子供たち)』のナーチャ・ブルンクホルスト:NATJA BRUNCKHORST♪
●関連記事:ボウイを見つめる美少女クリスチーネ(ナーチャ・ブルンクホルスト) 映画『クリスチーネ・F』より再び♪
●関連記事:『クリスチーネ・F』音楽デヴィッド・ボウイ★劇中歌われる『ステーション・トゥ・ステーション』(1981)
●関連記事:映画『クリスチーネ F』の中の素晴らしいボウイ・ライヴ
●関連記事:映画『クリスチーネ・F』とサウンドトラック
※以前に書いたもので、内容が重複する箇所もございます。

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クリスチーネ・F 新装版DVD
1981年・西ドイツ映画
監督:ウルリッヒ・エデル
原作:カイ・ヘルマン、ホルスト・リーク 
脚本:ヘルマン・バイゲル
音楽:デヴィッド・ボウイ、ユルゲン・クニーパー 
出演:ナーチャ・ブルンクホルスト、トーマス・ハルシュタイン、イェンス・クーパル、クリスチーヌ・ライヒェルト、クリスチーヌ・レハル、デヴィッド・ボウイ(本人役)






●追記です●
★デヴィッド・ボウイとはなんであろうか!!実は、最近ボウイについて何も書けなくなっています。理由は自分でも分からず、ボウイが今も一等大好きなアーティストであり音楽であることには変わりはない。けれど...。私は長い間、大人になること、社会人として生きてゆくことに途轍もない戸惑いと葛藤が続きました。バカなお話のようですが、どうしようもない事実で、あの10代後半期(特に16歳から18歳の頃は神経症なまでに)はある種の病的なまでもの潔癖性を保ち、私はある自分の殻の中に閉じこもり問答していたのです。クラスメイトの誰にも告げることもできないこと。大人になってもまだ続き、先輩の女性に少しお話してみたのですが、やはり「そんな考えは病的だよ」と云われ、それ以後また自己問答。きっと、今も完全に解き放たれてはいないのかもしれない。それでも、私はもう子供ではないし戻ることもできない。ただ、いつでも無邪気な幼い頃、そして思春期の光と影の自分が蘇る。その時にデヴィッド・ボウイというお方がいつも、絶体にいつも、一緒に居た。私の心はデヴィッド・ボウイの美のお陰で均衡をどうにか保たれていたように今も想えます。もう23時頃から涙が止まらなくて、久しぶりに号泣しています。そんな私なもので、心の旅路の記録として、この「クララの森・少女愛惜」があるのだとも想えます。皆様、いつもありがとうございます☆
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by claranomori | 2012-02-04 23:55 | 銀幕の少女たち・少女映画
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★今日も怖い夢で目が覚めた。明日で新年1月も終わり2月となり3月を迎える。あの3月11日から間もなく1年。戦後生まれの者にとって忘れられない大震災が日本で起こった。その上に原発事故で今も復興ままならぬ状態が続く。この日本の大災害がなければ3月20日未明(日本時間)に始まったリビア戦争が新聞のトップを飾る出来事だっただろう。英仏米による多国籍軍とリビア、カダフィー政権との戦い。戦争は世界中でいつも起こって来たし起こり続けている。世界の平和を願う人々の気持ちがいくら大きくとも。ガンジー思想を理想と心に掲げてもそんな日は来ないだろう。中東諸国の原油生産量が多い土地柄は幸か不幸か。今、最も大きな中東問題はイランがホルムズ海峡を封鎖すると声明したことだろう。日本にとっても大きなこと。何年前だったか中東情勢をテレビで観た折の小さな体には大きすぎる銃を持った少年兵たちの姿が脳裏に焼き付いている。勇んで気を吐く少年も居れば、怖がっていた少年も居た。それでも彼らは祖国のために戦場に向かわねばならない。運命という逃れられないものがいつも誰にもある。戦争に悪も善もないのだろう。今回のイランに対しては日本は立場的に欧米に歩調を合わせるしかないのだろう。言語も宗教も肌の色も違うことは長い歴史の中で今も紛争の要因だとも想う。どちら側か一方の視点だけで正義も悪もあったものでなはい。私が「戦争による悲劇」と想う折は、その国々の子供たち、少年少女たちを直ぐに想う。それがどうしてか、私の中のどこから其処に向かうのかは自分でも分からないけれど。

2001年のアメリカ製作の『プロミス』というドキュメンタリー映画を想い出す。主な舞台となる場所はパレスチナで、パレスチナ・イスラエル問題を現地の子供たちの姿と共に観る者に問題提起した映画だと想います。公開前に東京の友人にこの映画のことを教えて頂いた。監督はジャスティン・シャピロ、B・Z・ゴールドバーグ、カルロス・ボラドの三人でボストン生まれのアメリカ人ながら少年時代をイスラエルで過ごしたB・Z・ゴールドバーグ監督が提案者。パレスチナとイスラエルの長い対立の中で、今も昔も戦争と隣り合わせの日常を過ごす子供たち。家族や友の命を奪われても、それでも彼らはその地で生きてゆかねばならない。B・Z・ゴールドバーグは、そんな紛争と和平の狭間にいる子供たちの声が聞きたくなったという。1997年から2000年の和平交渉の時期に撮られた映画で、パレスチナとイスラエルの子供たち7人(8歳から12歳の少年少女たち)を取材したもの。お互いほんの20分足らずの場所に住んでいるのに、彼らはお互いの事を知らない。ユダヤ人の双子の少年ヤルコとダニエルはパレスチナ人の少年ファラジの写真をB・Z・ゴールドバーグ監督に見せてもらい、彼に会いたいと想う。反対する子供もいるけれど、彼らは初めてファラジが中心となり会合を開く事になる。難民キャンプを訪れ、食卓を囲みサッカーをして遊ぶうち距離は縮まってゆくが、歩み寄りたい彼らの願いは叶わず、友情の約束は束の間の出来事として、その後もお互いの現実を生きてゆく。その遮断されたもの、壁は途轍もなく厚く強固である。7人の内、唯一の女の子サナベルの愛らしい姿と瞳がどうしても忘れられない。
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●7人の子供たち●
ファラジ
デヘイシャの難民キャンプに住む少年。イスラエル兵に殺された友達の仇をとりたいと想っている。
「いつか必ずこの土地を取り返してやる。いつか次の世代がパレスチナを開放し、故郷を取り戻してくれる」
ヤルコとダニエル
西エルサレムに住む双子の兄弟。関心事は陸軍、宗教、バレーボール。祖父はドイツのユダヤ人強制収容所の体験者である。
「イスラエルでは自分で自分を守らなければならないんだ。仲良く暮らせばよいのに」ヤルコ
「戦争やテロで人々が死んだと聞くたびに殺し合ってバカみたいだと感じる」ダニエル
サナベル
デヘイシャの難民キャンプに住む少女。ジャーナリストの父親は刑務所に2年も抑留されている。
「エルサレムはキャンプから10分なのに私はまだ一度も行ったことがないのよ。検問所のせいでね」
マハムード
東エルサレムに住み、ハマス(イスラム抵抗運動)を支持している少年。父親は旧市街のイスラム教徒地区で、三代に渡り香辛料とコーヒーを売るお店を経営している。
「ここは絶対アラブ人の土地さ。何をどう言おうと変わらない。ここで生まれ育ったのは僕らだ」
シュロモ
ユダヤ教徒地区に住み、1日12時間トーラー(モーセ五書)を勉強している。超正統派ユダヤ教徒なので兵役義務は免除され、国から給付を受け神学校に席を置いている少年。
「彼らの気持ちも分かる。50年前に土地を奪われて心細いんだと思う。でも、アラブ人とは友達になれない」
モイセ
歴史の古いベイト・エル入植地に住む少年。将来はイスラエル軍の最高司令官になり、アラブ人を一人残らずエルサレムから追い出したいと思っている。
「ここはユダヤ人の地だ。アラブ人と仲良くなんかしたら友達に臆病者扱いされちゃうよ」

★資料を基に打ちながら涙が出て止まりません。彼らの中で誰が間違っていて、誰が正しいとか想えないです。もうみんな二十歳を過ぎた頃ですが映像の中でしか知らないけれど、出会えて嬉しいです。

プロミス/PROMISES
2001年・アメリカ映画
監督・製作:ジャスティン・シャピロ、B・Z・ゴールドバーグ
共同監督・編集:カルロス・ボラド
撮影:イアン・バックビンダー、ヨーラム・ミロ
出演:B・Z・ゴールドバーグ
ファラジ、ヤルコ、ダニエル、サナベル、マハムード、シュロモ、モイセ
(実在の少年少女たち)
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※赤い丸で囲んだ辺りがホルムズ海峡です。

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by Claranomori | 2012-01-30 21:42 | 銀幕の少女たち・少女映画
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★フランス屈指の独特の映像美でダーク・ファンタジーの世界を映画くジャン=ピエール・ジュネ監督。『デリカテッセン』(1991年)で知ったのだけれど、より感動した作品は1995年の『ロスト・チルドレン』。ジャン=ピエール・ジュネ監督映画の最大のヒット作は2001年の『アメリ』なのだろうけれど、やはり印象強く焼きついている作品というとこの『ロスト・チルドレン』。

 最近は古い日本の映画を多く観ていて、まだ復興もままならぬ東日本大震災の傷痕を想う日々。まったくの個人的な気持ちなのだけれど、以前から心捉われるものの一つであった「戦争」というもの、敗戦後の日本を想う。戦争を知らない子供であり、バブル期に思春期を過ごした私がである。私の亡き両親は戦後、少年少女時代を過ごした世代。聞かせてくれた僅かなその当時のお話、その頃を舞台にした映画や文学...。今もまだその時代を体験した人々が多く生きておられる。想像することしか私には出来ないけれど、それは壮絶な凄まじいものだっただろう。けれど、焼け野原の日本は躍進して経済大国に。その過程にはやはり技術や科学の発展、進歩ということを抜きには語れない気がする。その功罪を乏しい頭と心で考えているという日々です。不思議な記憶がこの『ロスト・チルドレン』を呼び戻したかのようで、二度目の鑑賞。当時は気付かなかったことがあまりにも多く、また感動した場面は変わりなく同じシーンで涙した。この映画に惹きつけられるのは「孤独」だろうか・・・。
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 お話は、近未来の港町。そこはどことなくネオ・ヴィクトリアンとでも云えるかのような不思議な雰囲気を醸し出している暗い町。見世物小屋やサーカス、そこに怪力男ワン(ロン・パールマン)がいる。その町では子供たちの失踪事件が起こっており、ワンの幼い弟ダンレー(ジョゼフ・ルシアン)も誘拐されていまう。ワンの弟(捨て子のダンレーを弟として育てている)探しが始まり謎の一つ目族の本拠に侵入、9歳の美少女ミエット(ジュディット・ヴィッテ)と出会い、彼らの危機と脱出までの冒険ファンタジーが描かれる。その中でワンと少女ミエットとの心の交流は重要なもので、ワンは見かけは怪男ながら心はとても優しく純粋。そんなワンに幼心に心惹かれる少女ミエット。けれど、このミエットは9歳の幼い少女ながらとても大人の女性のようでもある。不思議な魅力のミエットは孤児の泥棒団のリーダーのような存在で、この少年少女たちは孤児院にいる。その孤児院の経営者はシャム双生児の姉妹で絶対的な命令下にあり、ワンも一味に入れられる。一つ目族の本拠内の実験室にはクランク博士とクローン人間たち(すべてドミニク・ピノン)や水槽の脳イルヴィン(声だけながら名優ジャン=ルイ・トランティニャン)がいる。クランク博士の実験は狂気を増し、遂にはイルヴィンの脳と誘拐した2歳の幼い少年ダンレーを結合する実験を。
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 そんな狂気の中で創造物であるイルヴィンが子供たちを救うために海へメッセージを詰めたカプセルを流す。そのメッセージとは子供の夢を託した悪夢である。その海(船)には実はクランクをも創造した本当の博士(ドミニク・ピノン)が記憶を失って住んでいた。けれど、その海に流されたカプセルのお陰で博士も、捕えられたミエットも真相を知ることになる。ワンとミエットはダンレーを救うために実験室に侵入。その折にミエットの体にワンは自分の着ているセーターの糸を繋ぐ。ミエットは「私たちは結ばれたのね」と数少ない笑顔を見せる。ミエットはダンレーを救うために、自ら悪夢の中、眠りの中へ。愛するもののためには悪夢を見なければならないのである。そのテーマは色んなことに置き換えることが出来ると想う。「童話を愛した者は童話に復讐される」という処に私は今居るように感じていて、とても辛い。綺麗な夢溢れるおとぎの世界には悪夢が共に在る。それをも引き受けなければ愛する世界を放棄することになる...そんな気がしています。

 ミエットとワンの冒険の中で、ワンが姉妹に暗示をかけられミエットを殴る場面がある。ミエットは賢明な少女であるので知っている。けれど、その天使のような妹と想っているミエットをワンが殴らなければならない。その場面のミエットの涙。この場面がたまらなく大好き!そのミエットの眼差しが。結局、ミエットとワンたちの活躍でダンレーや孤児院の子供たち、博士に作られた者たちはその施設から脱出することができた。博士は実験室と共に滅びる。映画は彼らが暗い海を船を漕いでゆきながら終えるけれど、私に残された余韻は決してハッピーエンドでもない。あの子供たちは孤児である。いったい何処に行くのだろう、また何処からやって来たのだろうか。奇怪な世界、歪な世界があるからこそ、ファンタジーも生まれる。ファンタジーは悪夢をも内包することを受け止めないと夢の世界には行けない。夢をみる者には苛酷な試練なのだ。そう云えば、オープニングから途中も鏡の歪んだような映像がある。それはルイス・キャロルの世界を想起させるのは意図してのことだろう。近未来の戦後という設定ながら、実に今の社会とも符合する。なので、私は今またこの映画を観返し学んだように想えるのでした。

 グロテスクさの中の美学のような映像満載で、ジャン=ピエール・ジュネとマルク・キャロのコンビ作品はやはり特異な世界。他にも蚤使いのマルチェロ(ジャン=クロード・ドレフュス)、2歳のダンレーはお腹を空かせては食べている愛らしき存在(何が起こっているのかも分からない無垢さ)、音楽担当のアンジェロ・バダラメンティ、エンディング曲はマリアンヌ・フェイスフル、衣装はジャン=ポール・ゴルチェと素晴らしいスタッフ&キャストによるファンタジー映画の傑作に想います。テリー・ギリアム監督も大絶賛されたお墨付きでもあります☆
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ロスト・チルドレン/LA CITE DES ENFANTS PERDUS
1995年・フランス映画
監督:ジャン=ピエール・ジュネ 美術監督:マルク・キャロ
製作:クローディー・オサール 監督・脚本:ジャン=ピエール・ジュネ、マルク・キャロ、ジル・アドリアン
撮影:ダリウス・コンジ 衣裳:ジャン=ポール・ゴルチェ 
音楽:アンジェロ・バダラメンティ
出演:ロン・パールマン、ジュディット・ヴィッテ、ドミニク・ピノン、ダニエル・エミルフォルク、ジョゼフ・ルシアン、ジャン=クロード・ドレフュス、ジャン=ルイ・トランティニャン(声の出演)

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by claranomori | 2011-06-26 17:43 | 銀幕の少女たち・少女映画
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★10歳の少女点子ちゃんが大好き!本当の名前はルイーゼ・ポッゲ(ドイツ語原題ではピュンクシェン)という。ミュンヘンで暮らす点子ちゃんの父親(アウグスト・ツィルナー)は医者で母親(ユリアーネ・ケーラー)はボランティア活動に励む多忙な日々を送っている裕福な家庭。エーリッヒ・ケストナーの原作(1931年)ではべルリンで、ポッゲ氏の職業はステッキ工場の経営者ながら、映画化にあたり、監督のカロリーヌ・リンクは1999年に合わせた時代設定に脚色されているのも面白い。この少女点子ちゃん(エレア・ガイスラー)にはアントン・ガスト(マックス・フェルダー)という同い年の男の子のお友だちがいる。アントン少年は母子家庭でその母親(メレット・ベッカー)は病気で入退院を繰り返す生活。けれど、アントンとお母さんはとっても仲良しで、点子ちゃんの内心はそんなアントンが羨ましい。お金持ちの点子ちゃんのようにアントンは暮らせないけれど、母親思いの優しい少年。母親が入院している間もその職場で代わりに働いている。退院してから職が無くなっては困るから。何とも健気なアントン君。

そんなアントン君の家庭の事情を知り、点子ちゃんは両親に相談するのだけれど、お仕事に忙しい両親は聞く耳を持たない。裕福でも親の愛の希薄な少女なのだ。点子ちゃんの話し相手は、養育係であるロランス(シルヴィー・テステュー、原作での名はアンダハト)、家政婦のベルタおばさん(グードルーン・オクラス)、そして愛犬のピーフケぐらいである。点子ちゃんはアントン君のお母さんを療養させてあげたい気持ちでいっぱい。両親は無関心で相手にならないので自ら実行することに!閉店後の街で歌を歌ったりしてお金を貯める。結局そのことが両親に知れる。けれど、そこまでアントンを思う友情に心打たれる。また、多忙な毎日で点子ちゃんの両親の仲もあまり良くない。私が点子ちゃんを好きなのは、心の優しさから生まれる勇気を持ち、まっすぐな少女だから。決して男勝りな少女ではないのだけれど、この勇敢さに感動してしまう。そんな点子ちゃんが羨ましいのかもしれない...。泥棒騒ぎでのベルタおばさんの活躍の場面も微笑ましい。そして最後は点子ちゃんと両親の破綻がちな家族の仲も戻り、アントン君と病気のお母さんと5人で出かけることに。その海での笑い合う姿は美しく、点子ちゃんは一人その光景を眺めてしあわせに思うのだった。その時の点子ちゃんの表情が最高に愛らしくてジ~ンとくる!こうして、またちょっぴり少女は成長したのだろうと思う♪
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点子ちゃんとアントン/PUNKTCHEN UND ANTON
1999年・ドイツ映画
監督・脚本:カロリーヌ・リンク 製作:ペーター・ツェンク、ウッシー・ライヒ
原作:エーリッヒ・ケストナー 撮影:トルステン・ブロイアー 
音楽:ニキ・ライザー 出演:エレア・ガイスラー、マックス・フェルダー、ユリアーネ・ケーラー、アウグスト・ツィルナー、メレット・ベッカー、シルヴィー・テステュー、グードルーン・オクラス

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by claranomori | 2011-01-19 11:58 | 銀幕の少女たち・少女映画
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★クラシック映画ならではの魅力というものがあると想うけれど、このジョージ・スティーヴン監督の1948年の名画『ママの想い出』もそんな一つでとても感動した作品です。原作はキャスリン・フォーブスの『ママの銀行預金』を脚色し映画化されたもので、ブロードウェイで約2年ものロングラン・ヒットとなった戯曲でもあるそうです。

ママことマルタ(アイリーン・ダン)とパパことラース(フィリップ・ドーン)、そして長男のネルス(スティーヴ・ブラウン)、長女キャトリン(バーバラ・ベル・ゲデス)、次女クリスティナ(ペギー・マッキンタイア)、三女のダグマー(ジューン・ヘディン)の6人家族の物語。長女キャトリンの回想で綴られる。大工のパパのお給料を毎週土曜日にママが仕分ける。決して裕福ではないけれど両親と子供たちはその状況を毎週見て知っている。ママが「これで銀行に行かずに済むわ」と云う言葉に子供たちは安堵する。けれど、家庭の事情は意外な出来事で予定変更となるもの。まだ幼い末娘ダグマがある日高熱を出し入院手術という事態。小さな少女は家族と離れて病室で寝ている。ママは「一緒に居てあげる」と約束してくれた。ところが、手術は成功したものの明日まで面会謝絶。まだ幼い娘がどんなに寂しい想いをしているかと気が気でないマルタは、掃除婦に変装して病室に忍び込む。ダグマもママの顔を見るとホッとするのだった。また、長女と次女は高校生でキャトリンはもうすぐ18歳になり卒業。子供たちは日々成長している。パパのお仕事もストで収入が減ってしまい「小さな銀行」と家族が呼んでいる宝箱の中のお金も空っぽに。でも、銀行に貯金があるから子供たちはそんなに深刻でもない。
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この家庭には英国人の居候ハイド氏(サー・セドリック・ハードウィック)という老人が居るのだけれど、もう何か月も家賃を払えない人。でも、教養豊かで文学を読んで聞かせてくれたりする。そんなお陰で殊に長女キャトリンは自分で小説を書くことにも目覚める。ある日突然、そのハイド氏が使えない小切手を置いて出て行ってしまった。伯母達はハイド氏のことを悪く云うけれど、パパとママはお金に換算できないものを残してくれたと、置いて行ったシェイクスピアなどの書籍とこれまでの交流を重んじる。年頃になってゆくキャトリンとクリスティナ。キャトリンは高校卒業のお祝いにお化粧道具セットが欲しいとママに云っていた。運悪く家計の苦しい時期であるけれど、マルタは母の形見のブローチを売り娘のお化粧道具セットを買ったのだった。そのことは、キャトリンは知らない。年の近い次女クリスティナは姉に「勝手すぎるわ!ママはブローチを売ったのよ。」と喋ってしまう。結局ブローチは戻りお化粧道具セットはお店に返すことで納まった。

この家族はノルウェーからサンフランシスコへ移住した人たち。その伯母や叔父たちも個性的で、とりわけ声の大きな足の不自由なクリス伯父さんの存在も重要で、病死の後残された手帳で分かることに、この伯父さんは体の不自由な子供たちの医療費などを長年払って来たのだった。なので、まったく遺産を残すことはできなかった。でも、キャトリンはそんな伯父さんを誇りに想えるようになってもいた。『若草物語』のジョーと少し似た状況で、高校を卒業後は作家の勉強をしたいと作品を書き続けていたキャトリンながら、なかなか採用されない。有名な女流作家がお料理本を執筆中と知ったママは、ノルウェーの秘伝のお料理のお話と交換に出版社を紹介してもらい、キャトリンは家族のことを書くように奨められる。ママは「パパのことを書きなさい」と云うけれど、ママの事ばかり書いてしまうのだった。そうして完成した作品が『ママの想い出』という作品。このご本は採用され賞金も頂けた。キャトリンは家族のために銀行に預けるように両親に渡す。パパとママは子供たちに本当の事を話す時がやって来た。銀行に預金どころか口座も無いのだった。「小さな銀行」の宝箱の中のお金が全財産だった。子供たちに心配させたくないゆえの両親の嘘であった。嘘がこんなに美しいこともある!時に喧嘩もする、悲しい出来事も辛いことも、でも、助け合い想い合うことで笑顔が生まれる。素敵な家族なのである。荒んだ社会、家庭崩壊などと聞こうとしなくても聞こえてくる声。アメリカも今はこの映画の舞台のような時代ではないけれど、時代を超えて尊いものを古き映画から教えて頂けることをしあわせに想う。ママ役のアイリーン・ダン!とにかく素晴らしいのでした☆

ママの想い出/I REMEMBER MAMA
1948年・アメリカ映画
監督:ジョージ・スティーヴンス 製作:ハリエット・パーソンズ
原作:キャスリン・フォーブス 『ママの銀行預金』 
原作戯曲:ジョン・ヴァン・ドルーテン 脚本:ドゥウィット・ボディーン 
撮影:ニコラス・ムスラカ 音楽:ロイ・ウェッブ
出演:アイリーン・ダン、バーバラ・ベル・ゲデス、オスカー・ホモルカ、フィリップ・ドーン、ペギー・マッキンタイア、ジューン・ヘディン、スティーヴ・ブラウン、エドガー・バーゲン、エレン・コービイ、サー・セドリック・ハードウィック

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by claranomori | 2010-12-21 21:38 | 銀幕の少女たち・少女映画
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★聖餐式の中、教会でひとりの少女が殺された。アリスという名の12歳の女の子(ポーラ・シェパード)が、両親や家族殺しの罪をかぶせられる。アリスに向けられた疑いは晴れぬまま、次々と殺傷事件が起きる。“恐るべき子供たち”をモチーフにしたスリラー。アリスの妹役カレンでブルック・シールズが出演、これが映画デビュー。前半で殺されてしまい出演シーンは少ないけれど、まだあどけない美少女ぶりは強力な印象を残す。お話も面白い展開、テンポで最後までドキドキする。低予算で製作されたそうだけれど充分に佳作に思う。どんでん返しのサイコスリラー的な内容で意外な結末は悲哀も感じる。難点は字幕と台詞が合っていない箇所が多く、幾度か観て分るようになりました。どうも変だと...。でも、音楽も好きです♪
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アリス・スイート・アリス/ALICE, SWEET ALICE 
1977年・アメリカ映画
監督:アルフレッド・ソウル  製作:リチャード・K・ローゼンバーグ 
脚本:アルフレッド・ソウル、ローズマリー・リトヴォ 
撮影:ジョン・フライバーグ、チャック・ホール 音楽:マーク・サルワッサー
出演:トム・シグノレリ、ルイザ・ホートン、ポーラ・シェパード、ブルック・シールズ、ミルドレッド・クリントン、リンダ・ミラー、リリアン・ロス

※2006年2月16日に旧ブログにて書いたものに加筆いたしました。
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by claranomori | 2010-11-17 11:45 | 銀幕の少女たち・少女映画